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今朝は特に目覚ましをかける出もなかったのだが7時に目が覚めてしまった。そして外に出ると期待通り目の前にマチャプチャレやアンナプルナの山々が広がっている。まだ太陽が低いせいかオレンジ色がかっていてより神々しく見える。
屋上でマチャプチャレを堪能していると、「謎のお姉さん」がコーヒーを片手に上ってきた。何が「謎」なのかは上手く説明できないのだが、何となく謎っぽい人で今日アンナプルナ内院を目指してトレッキングに行くらしい。
そして自分も同じルートで行こうと思っているので今日はいろいろとトレッキングの準備をしないといけない。自分が今泊まっているのはダムサイドと呼ばれている比較的閑散としたエリアだ。この辺りの特徴は日本人が多いことそして極端に白人が少なくて街を歩いていても見かけるのはまず日本人かネパール人だ。
そしてもう一つがレイクサイドと呼ばれるエリアで、こっちは何処を見ても白人だらけでカフェやレストラン、英語の本屋、そして何とベネトンのショップまであるというそんな感じの所だ。最近は日本人の進出も進んでいて、ダムサイドは更に閑散としているようだ。
当然メインはレイクサイドで、トレッキング用品店や入域許可証を買うのもこのレイクサイドだ。と言うわけで朝からレイクサイドにお出かけ。途中Mt.フジMoMoレストランというダムサイドの新勢力日本料理屋で朝食、メニューは目玉焼き、ミルクティにチベタンブレッドと日本式ではないのだが、夜の定食や丼ものはポカラで一番安くてそしてかなり美味しい。ただ、かまどが一つしか無くて調理にめちゃくちゃ時間がかかるのと、テーブルが3つしか無いのがネックだろうか。
そしてレイクサイドに入ると町並みはがらっと変わって賑やかになる。最初に立ち寄ったトレッキング用品店でアンナプルナ方面の情報を聞く。というのは何人かの日本人から「アンナプルナBC方面は雪崩の危険があって行けないかもしれない」という情報を聞かされていたからだ。そしてこの店はなかなか当たりで、店員はトレッキングガイドでもあって、登山用の地図を見ながら細かく説明してくれた。現在雪崩が危険な個所は3カ所、そして雪崩は必ず午前10時以降に起きるので7時ぐらいに小屋を出れば雪崩の起きる時間までに危険個所を通過できるらしい。
そしてこの店員は強引にガイドを薦めてくる出もなくいろいろと相談に乗ってくれるので、ここで寝袋のレンタルとジャケットを購入する事にした。ジャケットは今持っている純正North Faceのやつの防水が完全に機能しなくなったので買い換えようと思っていたのだが、ここネパールではGore-Texっぽいジャケットが信じられないような値段で手に入ってしまう。ちなみに今日買ったのはGoreのジャケットの内側に厚手のフリースが取り付けられるようになったタイプで、何とたったの1500Rs(2400円ぐらい)仮にGore-Texがニセモノであっても十分な値段だ。ちなみに風呂場で試してみるが表面の撥水がまだまだ効いているのでGore-Texの真偽を確かめる事は出来なかった。
そして国立公園関係の事務所でアンナプルナの入域許可証をもらう(1000Rs)この許可証も以前はチェックポイントで取れたらしいのだが、2月1日からは「必ず事務所で取る事」となったらしい。と言うことは許可証無しでダンプスまで行った人は追い返されてしまうのだろうか?ともかく事務所に寄ってみて良かった。
こうしてトレッキングの用意は全て揃ったのであとはパッキングして不要な荷物を宿に預けるだけだ。天候は確実に下り坂に入っているので一日でも早くと言うことでさっそく明日出発する事にした。無事アンナプルナ内院までたどり着けるだろうか?
今日は朝からいよいよアンナプルナ内院目指して出発だ。さっそくレイクサイドとダムサイドの間のバス停から市バスに乗る。やってきたバスに「オールドバザール?」と聞くと「そうだそうだ乗れ」という。所がこのバスレイクサイドのど真ん中で終わってしまった。
「オールドバザールは?」と聞くが、ここで下りろというだけだったのだが、今までさんざんこういうトラブルにはあってきたので、今回は強く抗議した。最初はへらへらしていたのだが、シートをバンバン叩いて怒鳴ると運転手もやってきて、結局車掌のミスで、ここで下りるがお金は返すという事で決着がついた。
そして別のバスでオールドバザールを目指すが、これも「ここか?」と聞くと「そうだ」と答えるので下りると全然違う場所だった。そしてさらに別のバスでフェディ行きバスターミナルへ。こんな事をしている間に3時間近く時間が経過してしまった。全く何やってんだか。
そしてフェディ行きの超ボロボロバスで1時間ほど揺られてフェディの集落へ。集落と言ってもダンプスへの登山口というだけで、ほとんど家は無い。地元の親父に「ダンプス?」と聞くと急な階段を指さした。
ダンプスへはまさに階段の連続で、階段のみでほぼ700mを登り切る事になる。時間にして2時間ほどなのだが予想以上にきつかった。基本的には階段を上るのだが途中少し集落があって、振り返ると規則正しく永遠に続く棚田がとても美しかった。
上までのぼってさっそくロッジにチェックインしてから散歩していると、3人ほどの子供がなにやら紙を見せて「僕たちのグループに寄付をして欲しい」とか言ってきた。紙をみると小学生が書いたような字で「YUKI, Japanese 100Rs」「Thomas, England 120Rs」などとブロック体のサインと寄付金額が書かれていた。
あまりのアホさに怒る気にもならず、相手にせずに放っておくとしばらくしてどっかに退散していった。素朴な山の村なのだが、やはりそこは観光地。ま、こんなもんかと言った感じ。
たった1000m上っただけなのだが山の上は寒くて、日没後は寝袋に入っておかないと寒くて我慢できないほどだった。この分だと先が思いやられそうだ。
今日はダンプスからランドルンまで。数字的には下りだが、途中山を越えて行かなくてはいけないので、距離のわりには少しハードだ。
そしてビチュクデオラリでティーを飲んでいる時に突然悪い知らせが入った。以前から今年は大雪と雪崩の当たり年でひょっとするとBC(ベースキャンプ)まで行けないかもしれないと聞いていたのだが、まさにそのBC行きを断念したパーティー3組に出会ってしまった。
ガイドの話によると、ヒマラヤホテル周辺に幅800mの雪崩おこって道も流されて通行不可能。そして毎日たくさんの雪崩がやってくるというのだ。そして実際その後もたくさんのBC行きをあきらめた人達とすれ違ったり、トルカの村でイギリス人のおじさんと知り合っていろいろとしゃべったりしていたのだが、みんな一同に「ベースキャンプは無理だ」という。
ベースキャンプ行きだけのためにユーラシア陸路横断を捨てた自分としては納得いかない所もあるのだが、無理な物は仕方ない。コースをゴレパニ方面に変更して、プーンヒルからダウラギリでも見るか。とにかくショックは大きくその後も足取りは重かった。
朝起きたら目の前にアンナプルナサウスが横たわっていた。ダンプスから見たのとは桁違いのでかさで圧倒されてしまう。そしてすれ違う人から集めた情報によるとチョムロンから見るアンナプルナサウスとマチャプチャレがかなり綺麗らしいので、とりあえず途中のチョムロンまで向かうことに決めた。
途中ニューブリッジという村があったのだが、川にかかっているブリッジは竹で作ったような、それは恐ろしいオールドブリッジだった。そして川を最低点にして道は再びのぼる。そして昼下がりにジヌーの村に着いた。
ここで一泊するのは早いので一気にチョムロンまで上ろうかとも思ったのだが、ここジヌーには日本人なら誰でも惹かれる温泉がある。そんなわけでロッジを見つけて荷物をおろしさっそく温泉へ。当然トレッキング中は基本的に大きな村でしかホットシャワーは出ないので、風呂もシャワーも無しだ。だから温泉はなおさらうれしく、川沿いの露天風呂に頭の先までつかって汗を流した。
露天風呂自体は日本人には少し温度が低すぎるのだが、ぬるいので1時間でも入っている事ができて、風呂から上がってロッジに着くと眠気がおそってきた。やっぱり温泉はいいね。
今朝はチョムロンからの景色を見るために5時に起きて出発準備。というのもこの季節のネパールは晴れているのは午前10時ぐらいまでで、それを過ぎると必ず雲が出てきて山が隠れてしまうからだ。
前の夜から予約しておいた朝食を食べ6時半ごろにチョムロンへ向けて出発。ここもダンプスと同じ階段が延々続いてかなりきつい。あるガイドブックによると、ここがアンナプルナBCまでの最大の難所らしいのだが、このときはその後にとてつもない難所が待ちかまえているとは知る由も無かった。
かくして上りつめたチョムロンからの景色はそれはすごかった。目の前にアンナプルナサウス、ヒウンチュウリ、マチャプチャレが広がる。しかも全部が一度に視界に入らないぐらい近い。ここまで来て良かった。
石垣に座って山々を眺めながらくつろいでいると、日本人の「山屋」らしき大学生4人組に出くわしたのでちょっと情報を聞いてみる事にした。すると何とかれらは昨日アンナプルナBCを出発して帰ってきたという事だった。不可能と聞いていたのにまさかBCから帰ってきた人にあうとは。
彼らからの情報を総合すると
・BCでは毎晩必ず降雪があって、積雪は1m以上
・新雪の上を歩くと必ず膝から太ももぐらいまでめり込むので、スパッツ(ブーツカバー)が必ず必用
・ドバンから積雪があり、雪崩が氷河のようになっておりその上を越えなければいけない。
・きついが標準的な体力があれば何とか行けるだろう
ラオスで会った「ゆーじさん」が絶賛し、「まい坊」が「初めて景色を見て泣いた」というアンナプルナBC。きついながらそこへ行けるというのなら行かない手は無い。最悪行けるところまで行ってみよう。決断に時間はかからなかった。
チョムロンのレンタル屋でスパッツを借りてさっそくドバンに向かった。道のりはアップダウンが激しくきついものだったが、BCへ行ける可能性があるとなると足取りは軽い。夕暮れまえにドバンまでたどり着いたのだが「ジヌーから一日で来た」というとみんなに「ベリーハードね」と言われた。明日からはいよいよ正真正銘の難所に突入する。
今朝も早起きだ。というのも10時を過ぎると雪崩が起き始める為、なんとしてもそれまでにデオラリに到着したかったからだ。実際たくさんの人が昼間の雪崩の起きる時間帯に通り抜けてはいるものの、やはりここは安全を最優先にしたい。
6時ちょうどに出発するものの、途中でなぜか簡単な道を間違ってしまい1時間ほどロスしてしまったので、途中で時計は10時をまわり、小さな雪崩が起き始めた。どれもトレイル(山道)まで落ちてくる程ではないものの、音の無い世界にに響くその音が恐怖心を加速させる。
雪崩はなにも上から落ちてくるものだけではなく、数日まえにヒマラヤホテルをはさんで起きた二つの超巨大な雪崩はその後も溶けずに氷河のようになっている。木をなぎ倒し土をはぎ取り、そして道は完全に消えてなくなっていて、その上を靴で削りながら足場をつくってよじ登らなければならない。ドバン〜デオラリ間にはそういった場所が少なくとも5カ所はあった。
11時少し前に目的地のデオラリに到着した。この辺から少し高度障害が出始めてきて、デオラリ付近は雪崩が怖くて仕方ないにも関わらず、一歩あるく毎に二呼吸しなければ前に進めない。自分はどうやらとてつもなく高度に弱いらしい。
デオラリから先も雪崩の危険性が有るため、まだ午前中なのだが安全重視でここで一泊する事にした。しばらくしてガイドを伴ったグループが上ってきたので、明日はその後ろを行く事で安全が確保できるだろう。
山小屋で休んでいると二人のネパール人が子鹿をかついで下りてきたので「どうしたの?」と聞くとすぐ上で雪崩に巻き込まれて死んでいたらしい。あー何てこったい。なにやら食事中に巻き込まれたらしく、口の中には肉の塊が残っていた。
この辺りに居るといよいよ内院に近づいてきたという感じで、その夜も雪が降ってBC方面への道を完全に雪が埋め尽くしてしまった。
夜少し頭が痛くなったのだが、結局ここで一泊した事は高度に順応するにもベストな選択だったようだ。
昨日の雪でマチャプチャレBCへのトレイルは完全に雪の下に埋まってしまった。とりあえずイギリス人3人+ガイドが上を目指すというので少し後ろを着いていくことにした。これならガイドがいるので雪崩の予測もできて安全だ。
デオラリ〜マチャプチャレBCは基本的に冬季はトラバース(迂回)した道を通るので雪崩とは無縁なのだが、崖に刻まれた細道を通ったりするので滑落には注意しなければいけない。そして四人が通った後とはいえ、まだまだ雪は新雪にちかく、時折太ももまで雪に埋まってしまう上、高度障害もあって体力の消費が激しい。水分の補給を欠かさないように気を付けながらなんとか一行の後を着いていく。
大部分はトラバースしているのだが、最後のマチャプチャレBC周辺だけは直角の崖の下を行かなければならない。最も致命的な雪崩は兆しが大きい為に予測できるとの事なのだが、一度自分の通ったすぐ後ろを中ぐらいの雪崩が落ちてきて生きた心地がしなかった。、まあガイドによるとアレぐらいの規模なら命に別状は無いらしいのだが。
息も絶え絶えにマチャプチャレBCに着くとイギリス人三人が拍手で迎えてくれた。しばらくすると、リトアニア人、ポーランド人カップルが上がってきて、一同今日中にアンナプルナBCを目指すという。自分としてはここで高度順応の為に一泊したかったのだが、自分以外の全員が上に上がってしまうため、最悪今晩雪が降ると道を見つけることが出来なくなってしまう。
いろいろ考えた末、一番安全な方法という事で、一緒にアンナプルナBCを目指すことにした。聖なる内院は分厚い雲で覆われていて空も地面も全て真っ白の世界で、なんだか自分が中に浮いているような変な錯覚に陥ってしまった。
10月なら1時間半ほどでたどり着ける距離を3時間半かかってやっと目的地アンナプルナBCに到着した。不思議とこのときは大きな感動は無く、「どうすれば最も安全に山を下りれるか?」そんなことばかりを考えていた。
夕方少しだけ雲がきれて、マチャプチャレ方面の山を見ることが出来たが、どうも雲に阻まれていまいちだった。明日は晴れることを祈るばかりだ。
山を見るために6時に起きた。というのも今の時期のアンナプルナ周辺は午前中9時頃まで晴れて、その後は雲に覆われてしまうというのが典型的な天気の移り変わりだからだ。そして喉が乾いたのでボトルの水を飲もうと枕元に手を伸ばすと水が凍っていて飲むことが出来なかった。
朝起きると外は雪で、全ての山は雪のカーテンで全く見ることが出来なかった。部屋にいるとこごえそうなので、とりあえずネパール式コタツのあるダイニングに移動する。コタツといっても、テーブルの下にケロシンの調理用コンロを置いただけのもので、たとえケロシンを燃やしていても吹雪けば部屋の温度は氷点近くまで下がってしまい、隙間から入ってきた雪は夕方まで溶ける事は無かった。
昨日一緒に上ってきたポーランド人カップルは、どうやらまったく内院からの景色を見る事無く、朝一番に下りていったらしい。昨日もドバンから来たというし、今日はチョムロンまで帰るという。とてつもない体力の持ち主だ。
イギリス人3人組の一人が日本語をしゃべることもあって、一同と英語&日本語で暇つぶしの会話なんかをしていたのだが、しばらくすると吹雪の中遠くに人影が4つほど現れた。するととつぜんイギリス人の一人が「あの先頭が上ってくる時間で賭けをしよう」と言いだしそれからはもう大変。競馬のノリで「おらー行けー」とか「Oh Shit!! なんでそこで休む!!」とか極寒のキッチンは熱く燃え上がっていた。
結局自分は12時丁度(やく30分後)にかけていたのだが、先頭が上がってきたのは12時7分。わずかの所で80ルピーを逃してしまった。(笑)
最初に上がってきたのはガイドの「KB」(名前がややこしいらしく、イニシャルで呼んでくれとの事だ)そして、次は「思いつきトレッカー」彼は大学生なのだが、インドでアンナプルナの噂を聞いて思いつきでやって来たらしい。そして到着早々「ああ、死ぬかと思った」と心から思いつきで来たことを後悔していたようだった。
その後は「卒業写真」彼はカメラマンで学園の卒業アルバムの写真なんかを担当しているらしい。日本では夏山の経験は豊富らしいが、こんなひどい冬山は初めてだったらしい。そして最後は「謎のおねえさん」改め「社会人学生」だった。思わぬところでの再会に驚いてしまった。アンナプルナBC方面がきついという話を聞いたのだがあきらめきれずにガンドルンで2泊ほどしてからやって来たらしい。
そんなわけで、一気に日本人がやって来て、その後は暇つぶしには事欠かなかった。
今朝も願い空しく早朝から雪、そしてそれは午前中の早い時間にはブリザードとなった。イギリス人たちと「思いつきトレッカー」が飛行機のチケットの関係で下山しなければいけないらしく、8時頃強行下山を試みたのだが、20分後には全員戻ってきた。しかも息も絶え絶えに「ああ、死ぬかと思った、畜生!」と山小屋に入るなりその場に倒れ込んでしまった。
思いつきトレッカーによると、吹雪で前のガイドの姿も時々見失うし、わずか20m程前の人の足跡も猛吹雪で埋まってしまうほどだったらしい。顔つきからかなりびびっていたようで「マジ死ぬかと思いましたよ」という言葉にも重みが感じられた。
結局その後はみんなでコタツに入って寒さに震えながらティーを飲んだりしゃべったりと一日を過ごすことにした。少なくとも日本人全員はわりと「思いつき」で来てしまったらしく、「いやあ、これってトレッキングじゃなくて、雪山登山ですよねー」とか「誰だよ情報ノートに”私たち女の子だけでも楽勝でした(てへ)”とか書いた奴!殺す!」とかそんな話で盛り上がった。他に何もする事がないというか、出来ないのだ。
結局イギリス人は午後の少し吹雪がましになった瞬間を狙って下りていったのだが、明日雪に埋まった足を発見しなくていいように祈るだけだった。
そしてもう「安全にさえ帰れたら雪山なんて見れなくてもいいや」とみんなが思いだした夕方頃、突然雪がやみ、雲が切れだしてBCを取り巻く360度の山々が姿を現し始めた。深く雪を頂いた険しい山々。それはもう言葉を通り越した光景でただただぐるぐると回りを見回すしかなかった。わずかに山頂にかかった雲がそれらをより神々しく見せる。
この景色を見れば、昔の人がここを「聖なる内院」と呼び神が住むと考えたのも納得できる。まさに神からの贈り物だった。
帰る日になって朝から快晴。どうやら一番大変な時期に来てしまったようだ。朝からパッキングを済ませ、朝食の準備をしている間に外に出てもう一度内院からの景色を楽しむ。日が昇るにつれて山と空の色は徐々に変わっていき、8時前には久しぶりの真っ青な空を見ることが出来た。そして8時少し過ぎにいよいよ出発。
今日はガイドのKBのあとをみんなで着いていくので全然楽勝のはずだったのだが、ここに来てランドルン、チョムロンでの急な下りの連続で痛めていた膝の筋がかなりまずい状態まで達してしまった。
内院の積雪は約2m。KBが道を作ってくれるものの、とうぜんほぼ新雪なので自分も時々太ももぐらいまでが雪に埋まってしまう。タダでさえ痛めている足なので一歩歩くごとに膝に激痛が走る。しかしもう彼に着いて行くしかない。休憩を取って一人で下りる事よりもガイドの後ろを着いていった方が安全であり、雪崩の恐怖と激痛をくらべても痛みの方が遙かにましだった。
時たま筋に負担がかかると思わず「うあっ」と声が出てしまう。KBもそんな自分を気遣って、安全な場所は休憩を取りながらゆっくり歩いてくれていたようだった。そしてようやくマチャプチャレBCが見えてきたとき、なんと「卒業写真」が貴重品袋を宿に忘れてきた事に気が付いたらしい。結局下から上ってきたポーターに取ってくるよう頼んだのだが、KBによると「絶対戻ってこないから自分で取りに行け」という事で、結局自分が彼の荷物をマチャプチャレBCまで運んで預け、彼はアンナプルナBCまで戻る事になった。
彼の荷物は自分のと比べるとかなり重かったが、これからの彼の道のりを思うとそんなことは全く気にはならなかった。マチャプチャレBCの宿に荷物と伝言を言付けて自分たちはもう一つ下のデオラリを目指す事にした。
この区間はマチャプチャレBCを出てすぐの所からトラバースするまでの区間が最も危険な場所らしい。とは言う物の谷になっている訳ではなく直角の崖から散発的に雪崩が落ちてくるぐらいなのでKBに言わせると「No Probrem, Just relax」との事だった。
大船に乗ったつもりで崖の下を下っていくとごく小さな雪崩がぱらぱらと落ちてくる。しかし突然「パーンッ」と銃声の様な音が響きわたりKBの顔色が一瞬にして変わった。なにやらでかい雪崩の可能性がある音らしく、安全な場所を確保してからしばらく待機する事になった。KBによると、雪崩はでかければでかいほど兆しがあって、最初はゆっくり崩れ始めるので大丈夫らしい。事実ここ10年ほどでトレイル上で雪崩で死んだ人は一人も居ないという事だ。しばらくして、どうやら不発だったらしく大丈夫のようだった。ただ「足を止めるな」と言われ少し緊張しながら崖の下を早足で歩いた。
その後も両足で雪をかき分けながら2時過ぎにようやくデオラリの山小屋に到着した。しかしここへ行く途中にもう一頭雪崩に巻き込まれた鹿を見てしまった。足をばたばたしながらもがいていたのだが、やがて自分たちが通り過ぎる頃には事切れた。そしてKBがその様子を山小屋で伝えると、さっそくネパール人二人が鹿を回収しにいった(笑)今夜は鹿鍋パーティーらしい。
KBは何としてもパーティーに参加したいようで「ここで一泊しよう」と言うのだが、雇い主の「思いつきトレッカー」がドバンまで下りようというと吹っ切れたように準備を始めた。そして最大の難所ヒマラヤホテルの雪崩を乗り越えてドバンをめざした。
しかしこの間で膝が限界に達してしまい、下りはもう半歩ずつしか歩けなくなってしまった。とはいうもののほとんどの場所は自分で何とかなるのだが、一カ所だけ凍結して滑ってしまいどうしても自分の足では降りれない所があったのだが、KBに足で支えてもらいながら何とかクリアでした。彼にとっては自分たちは客でもなく単なるお荷物なのに、ここまでしてもらって本当に感謝している。
その後も痛みを堪えながら全部で5つの雪崩で出来た氷河を乗り越えて日も暮れかかった5時頃、ドバンの山小屋に到着した。ドバンまで下りてくるとようやく水道があって(もちろん川の水)蛇口から水がでるだけで感動してしまった。
2本の杖と反対側の足に頼り切っていたので、その3つが激しい筋肉痛になってしまった。まあ筋肉は寝れば治るので大したことはない。ここから先はもう雪もほとんどなく危険な個所は1つもないのでこれで無事下山できる。ほっとするとすぐに眠りこんでしまった。
「思いつきトレッカー」にもらった湿布が効いたのか朝になると膝は少しましになっていた。しかし今日の行程は上り下りがとても激しい。下りを半歩づつしか歩けない自分は当然遅れるのが分かっていたのでKB達には先に行ってもらうことにした。
標高差はわずか500mのはずなのだが、まずドバンからバンブー 2190mまで下りた後、ふたたびクルディガル 2551m間で上らないといけない。そして最もつらいのがここからチョムロン手前の橋 1800mまでの下りだった。半歩ずつおりているときりがないのでたまに一歩下りてみるのだがとたんに激痛がはしる。体は楽なのに足だけが痛くて動けなく、なんだかとてもイライラしてしまった。
途中に大きな雪崩による氷河が1カ所あったのだが、上に比べるとまったく楽勝で、そしてここ2日の快晴で溶けたのか行きよりも少し小さくなっているようだった。
結局の所一行より1時間ほど遅れてチョムロンに到着したのだがKBはロッジ前で待っていてくれて「よくがんばった」と声をかけてくれた。ここチョムロンは村になっていてドバンよりも更に便利で、なんと宿にはソーラーホットシャワーがついている。荷物を部屋に運び、8日ぶりの入浴。そして石鹸で体を洗うのは10日ぶりの事だった。
何度も石鹸をつけて体を洗うと次第に泡がたつようになってきた。髪の毛も3回洗うとほぼ元通りのサラサラになった。これを読んだ人は「汚いなあ」と思うかもしれないが、BC周辺の部屋の中が氷点下になる状況では入浴(バケツにお湯)なんてもってのほか、歯を磨くのにも結構決心がいるのだ。
その夜は何とみんなでビールとピザを頼み、ちょっとしたお別れパーティーをする事にした。チョムロンゲストハウスの「チョムロンスペシャルピザ」は最高に美味しかった。
今日で即席パーティーは解散だ。KBと「卒業写真」「思いつきトレッカー」は川沿いの道を通って今日中にポカラに着くと早朝に出発していった。「社会人学生」のお姉さんは山賊の出るというタラパニを通ってゴレパニ〜プーンヒルを目指すらしく、分かれ道で同行者か他の団体を探すとの事だった。
自分はグルン族の住むガンドルンを目指すことにした。道は地元の人用でトレッキング地図にはあまり載っていないのだが、今日はなんだかお祭りがあるらしく、たくさんの人とすれ違い、そのたびに道をたずねたので全く困る事はなかった。
チョムロンからの下りはかなり足に厳しかったのだが、後は山の中腹をひたすら歩いていく感じで、目の前に棚田や山々が広がりすっかりハイキング気分だった。ただ平坦な分以外と距離が長くて少しきつかったのだがそれでも2時頃までにはガンドルンの村に着くことができた。
ここは電話も来ている大きな村なのだが、物資輸送は未だにポーターに頼っているようだった。石畳と昔ながらの家で山の上に綺麗な町並みが広がっている。ここまでくればポカラまで一日で帰れるのだが、宿でなんだか明日ストライキがあるような話を聞いてしまった。本当にストならポカラまで帰れないので困ってしまう。なんとかバスがあるといいのだが。
今朝は宿のおやじに「無駄だ」といわれながらも一気にナヤプルを目指すことにした。どっちにしろ無駄なら無駄で自分の目で確かめてみたい。そもそもアンナプルナBC行きもほとんどのトレッカーやガイドに「無理だ」と言われ続けていたのだ。
ガンドルンからの道もなかなかの絶景だったのだが、いかんせん足が痛くてなかなか進めない。しばらく歩いてから急な階段を痛みを押しながら下りていくとやっとの事で川沿いまで下ることが出来た。ここからナヤプルまでは全く平坦なので自分にとってはもう着いたも同然だった。
しばらく歩いてシャウレバザールという村で日本人のおばちゃん達のトレッキングツアーの団体に会ったので、添乗員さんにストの状況を聞いてみると、やはり今日はストらしい。ただカトマンズが中心だといっているので、まだ望みはある。別れ際におばちゃん達が懐かしいでしょ?と日本の「梅肉いり梅キャンディー」を一袋くれた。日本に居るときは単なる梅飴なのだが、ここではとてつもなく嬉しい。
平坦な道をしばらくあるくと、いよいよアンナプルナ保護区の出口のビレタンティに到着した。ここでACAPのチェックポストがあって、入場券のチェックがある。
このACAPなのだが、自分自身はかなり強い不満をもっている。一応保護区の管理をしているらしいのだが、各チェックポストは地元民が小遣い稼ぎのアルバイトでチケットのチェックをしているにすぎず、情報を聞いても何もしらないという事が多かった。もちろん山も素人だろう。
そしてこれはネパール自体に言えるのだが、救助体勢もなにもあったものではなく、アンナプルナBCで何か起きた場合は、無線も電話も連絡方法がなく、歩いて3日間もかかるガンドルンまで行かなければいけないそうだ。そして各山小屋での情報収集は通行人に聞くしかなく、当然山小屋では天気図はおろか公式な情報は何も手に入らない。やはりACAPは山小屋の各種料金の談合価格の決定と入場料の徴収しかやっていないと言われても仕方ないのではないだろうか? ここでは情報収集から安全管理まで100%自分だけでやるしかなさそうだ。あの1000ルピーもの入場料は一体とこへいってしまったのだろう。そんな事を考えていると、ついついチェックポストでの態度もぶっきらぼうになってしまう。
チェックポストの隣のレストランで遅めの昼食を取る。出発しようとすると、やはり店員や他の白人から「今日は行っても無駄だ」と言われる。「でもやれることはやってみたい」というと「無駄だとおもうよー」と言われ少し切れる。
ナヤプルに向かう途中にもいろんな店の店員から「ノーバス、ノータクシー」と言われるが、それならこの目で見てやるとばかりにナヤプルを目指す。そしてナヤプルの道路沿いの茶屋まで登ると、何人かの現地人が来る宛の無いバスを待っていた。なんでも今日はストでバスもタクシーも無いのだが、運がよければ6時頃トラックかバスが通るらしくたぶん載ることができるだろうとの事だった。最初はヒッチしてでもと思っていたのだが、ポカラへ行く地元民がいるとなると心強い。
しかし結局6時半になってもバスは来ず、いやバスどころか4時間ほど待っていた間に通った車は0。4時間の間に通ったのはかごをかついだおばちゃん3人だけだった。結局そんなわけでナヤプルで一泊することにしなった。とはいうものの、こんな所に宿泊する人はだれもいないので、一応ロッジと言う看板が出ていたのだが、最近は人を泊めたことが無いらしくとまどっている。やがて2階の雑魚寝間に通されて、「ここで良かったら泊まっていいよ」と言うことになった。どうやらビレタンティまで戻らずにすみそうだ。
今日の自分の行動には自分でも少し驚いている。少し大げさだが今までなら情報に頼って分からない時は止める方向で動いていたのだがアンナプルナ以降「とりあえずやってみよう」という気持ちが強くなってきている。これは旅に出ようと思ったきっかけでもあったので、なかなかいい傾向かもしれない。
昨日の峠茶屋のおばちゃんの情報では7時に始バスがあるというのでそれに合わせてご飯をたべていると、けたたましい音を立ててバスが峠の上を走り去っていってしまった。ただストの影響なのか、今日は短い感覚でバスがどんどん来るので大丈夫なようだ。
7時過ぎに峠に登ると一台のバスがやってきた。しかしバスは満員でナヤプルに泊まらず通過してしまった。次に来たバスも満員だったのだが、屋根の上が空いていたのでみんな屋根に登ることになった。外国人は自分とイギリス人、そしてガンドルンであった日本人一人だった。
屋根の上は最高の展望席で、バスが峠を登ると今まで自分が越えてきたアンナプルナ周辺の山々が遠くに連なって見える。あの山の裏側まで歩いて行って戻ってきたとは我ながらよく頑張ったものだ。一時はどうなる事かとおもったが、無事に帰ってきて再び見る山は以前とは少し違って見えた。
バスは2時間ほどでポカラの外れに到着。例によってたくさんのタクシーが押し寄せてくる。一人の日本人にタクシーをシェアしようと言われたのだが、路線バスがあるのを知っていたので市バスで帰る事にした。今度は変なところにいかないように、ちゃんと行き先をしつこく確かめてからバスにのる。
バスはなんでこんなに遅いんだというほどのスピードでダムサイドに向かう。宿で預けていた荷物を受け取り再び同じ部屋にチェックイン。そしてレンタルの寝袋を返してから久しぶりの日本食を食べる為、味のシルクロードへ。その後はなんと31アイスクリームでシェークを飲んでしまった(105Rs)なにやら山の上の狂った物価にすっかり慣れてしまったようだ。
夜は「卒業写真」と会って、ネパーリキッチンですき焼き定食。全く贅沢しまくりだが、もうすぐインドが控えているので最後の日本食と言うことでここポカラでは豪遊する事にした。ネパール滞在もいよいよあと1週間といった所だろう。
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