このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ネパール巡礼編
(ポカラ〜ルンビニ〜スノウリ〜ゴラクプル)
 


3月29日 休養日1(ポカラ)

2日ほど完全に休養する予定。今日は朝からジャーマンベーカリーで朝食、昼はMt.富士MOMOで豚カツ定食。昼は31アイスでダブルディップ、そして夜は「卒業写真」と一緒にイタリアレストラン「マンマミーア」でピザとパスタ。そんな贅沢三昧の一日。

相変わらず午前中だけヒマラヤが見えて綺麗だが、あの裏側まで行っていたとはいまいち実感が沸かない。

そういえば昼過ぎにヘワ湖でうだうだしていると子供が5人ほど集まってきた。最初はいろいろ質問してきて、まわりでうだうだ遊んでいたのだが、うち解けてきた頃を見はからって、例のカンパノート攻撃だ。これはポカラではかなりポピュラーらしい。

要は、「私たちの学校にサッカーとバレーのチームを作りたいのですが、つきましては寄付をお願いします」というような英文が書いてあって、下の方に各国の寄付者の名前、国籍 そしてブロック体のサインが書いてあるという物だ。なんだかアホらしいのだが、こんなのに引っかかってしまう人はいるのだろうか?



3月30日 休養日2(ポカラ)

朝:ジャーマンベーカリー
昼:ますらお(豚キムチ定食)
夜:ネパリキッチン(焼き肉定食)

ひたすらHPの制作とメールの返事、洗濯なんかをだらだらとこなす。
夕方からダムサイドの南の方へ歩いて行くと旅行者は皆無住民のエリアになっていて興味深かった。もう少し行くと、パタレチャンゴ(別名:デビッドフォール)という滝が有るらしいのだが片道3Kmだと言うので断念。デビッドフォールの由来は、アメリカ人のデビッドが落ちて(フォール)死んだからだとう話なのだが、いまいち真相は不明。

次の行き先は、仏陀四大聖地の生誕の地「ルンビニ」に決定。またガタガタバスの旅になりそうだ。


3月31日 休養日3(ポカラ)

「思いつきトレッカー」にもらった湿布のせいか、膝の状態はだいぶましになってきた。痛みは残るものの、階段を一歩づつ下りれるようになったのはうれしい。

そして朝からジャーマンベーカリーで朝食。そしてマンマミーアのパスタがもう一度食べたくなり、自転車を借りてレイクサイドへ。途中HPの更新をするべく、例のインターネット屋に寄る。なぜかポカラのアクセスポイントはエラーでつながらなく、しかたないのでカトマンズまで直接電話をかける。(一分12Rs)

トマトっぽいパスタを頼むが絶品だった。調子にのってそのあと31アイスで大盛り(90Rs)山から帰ってきてからというもの贅沢三昧だ。

涼しくなってからダムにいってうだうだしているともう夕方。なんだかアッという間の一日だ。



4月1日 出発(ポカラ〜バイラワ〜ルンビニ)
 
 
このローカルバスに乗っていった。
ボロいが中は意外と広い。
 
さあいよいよ出発だ。6時前に起きて力強くパッキングをする(笑)。7時前にチェックアウトして市バスでプリティビーチョークのバスターミナルへ。今回はあえてツーリストバスは使わずにローカルバスの旅だ。

とはいうもののターミナルにつくと、年代物の今にも壊れそうなバスが並んでいてちょっと引いてしまう。とりあえずキップ売り場を探して「ナラヤンガート経由バイラワ行き」というと、すぐにチケットを売ってくれた。しかも指定席で一番前の席。そして発車は20分後とまずまずだ。

バスはやはりローカルバスなので、ターミナルは定刻通りに出る(出さされる)のだがやはり町中をうだうだと客拾いしながら走る。町外れにさしかかるとあきらめたのかぐっとスピードが上がり一路スノウリをめざす。

所がバスは途中の村で止まってしまったと思ったら、どうやら後輪の内側のタイヤがパンクしたらしい。そして村の工場でしばしパンク修理。なんだか修理屋のおやじはハンマーと鉄の棒を上手く使って外すのだが、タイヤやリムが壊れそうでおそろしい。小一時間ほどして無事修理は完了した。
 

 
パンク修理の図
 
バスの隣の席の人がなにやらネパール語で話しかけてくるのだが、「解らないよ」というと英語になる。でも次話しかけてくるときはまたネパール語だ。うーん不思議だ。この人は、カマラという女の人でポカラの大学で勉強している学生らしい。

なんだかんだしゃべったりしている間にバスはナラヤンガートに到着。ここは交通の要衝でたくさんのバス、貨物、人人人と無秩序に賑わっている。ナラヤンガートから少し行ったところでカマラは手を振って下りていった。

この辺りから乗客が減りだしてやがて自分もバイラワ北側のルンビニ行きの道路の分岐点で下ろしてもらった。ルンビニへはこの交差点からバスで1時間。バスは田んぼとまばらな木しかないという、本当の田園風景の中を駆け抜けて、というかちょくちょく止まるのだが、とにかく1時間ほどでルンビニ北側の交差点に到着した。

本当ならルンビニ聖園行きのはずなのだが、客が自分一人になったからなのか、バスはここで終わりのような事を言い出した。「最初にルンビニに行くと言っただろう?」というとなにやら運転手が下りて、車掌の一人が運転しだした。一応サービスのつもりなんだろうか?

所がバスは地図とは違う道をいって、挙げ句の果てに聖園までまだ2キロ以上有るところで「終わりだ」といわれた。よくある事なので激しく抗議。特に切れては居ないのだが大げさに手に持ってる本をバシバシ叩いて怒鳴ってみる。最初はへらへらしてたのだが少し効いたらしい。

道があるのだからさっさと行けばいいのだが、ひょっとしたら無免許でゲートのある所は通れないのかもしれない。とにかく通りかかるバスにいろいろ頼んだりして何とか切り抜けようとしているみたいだった。一応悪気は無さそうなので「じゃあもう下りて歩くから3ルピー返してよ」というとホッとしたようにお金を返してくれた。

何処までも広がる草原とまばらな木。そしてぽつりぽつりとある各国の寺を遠くに見ながら聖園をめざす。日はもう夕暮れ寸前で涼しい風がふきぬけていく。まるで仏陀が「そんなつまらないことで怒るんじゃありませんよ」と言っているかのようで、不思議と気分が安らぐ。

聖園を目指すというのはここにダラムシャーラと言う巡礼宿があると聞いていたのだ。そしてさっそくそこへ行ってみると、無料で好きなだけ寄付してくれという事だった。ただ部屋はお世辞にも綺麗とは言えず、コンクリートの床にむしろが敷いてあって、何ヶ月も洗っていないであろう布団を2枚ほど貸してくれるだけだった。電球はあるのだが電気は来て無く、トイレも汚くシャワー室は桶で水をくんで浴びるだった。

しかし、こういう所に泊まるのも良い経験なので、一泊する事にした。もちろんダニを防ぐためにアンナプルナで活躍した寝袋カバーをしっかり敷く。日が沈むとまったく真っ暗になってしまうのだが、山での生活以来7時半に寝るなんて楽勝になってしまったので問題は無い。日が昇れば起きればいいのだ。

夜になるとあれだけ熱かった空気がひんやりとしてきて、アッという間に熟睡していたようだった。



4月2日 聖地(ルンビニ〜ゴラクプル)

6時少し前に目が覚めた。当然と言えば当然なのだが(笑)窓から外を見るともう巡礼者の姿がちらほらと見え始めている。さっそく自分も長ズボンに履き替えて外に出てみる。

外は明るいのだが、まだまだ朝の明るさで空気もまだひんやりと冷たい。聖地は巡礼宿の目と鼻の先にある。聖地はまだ朝も早いせいか人通りもまばらで思ったよりもひっそりとしていた。仏陀が生まれたという場所やアショカ王が建てた石柱、そして沐浴池に菩提樹、イスラム教徒に破壊されたというストゥーパの跡を足早に回ってみる。

聖地自体は一通り見て回るぐらいで十分といった規模のものなのだが、聖地から見渡す風景は果てしなくおだやかに感じられた。ここが聖地で有ることを実感させられる。
 

 
マーヤ聖堂
まさにこれがブッダが生まれた場所
 
とりあえず聖地巡礼という目的は達成したのでまたまたあわただしくパッキングをする。そう、今日はいよいよ国境を越えて14カ国目インドへと向かうのだ。

さっそく売店の親父にバイラワ行きのバス乗り場をたずねるが、バスはここからは無いという。なんだかおかしいなあと思いながら情報ノートから写した地図を見ながらバス停を目指す。途中で一人の少年が声をかけてきた。少年も「バスはここから無いよ」と言う。「案内してやるよ」と言うのだがとりあえずルンビニビレッジを目指せばかならずそこを通るバスが有るはずだ。

森を抜けて幹線道路にでたのだが少年は相変わらず着いてくる。そして向こうから走ってきた通学途中の小学生がたくさん乗ったトラクターに便乗させてもらったのだが、少年はまだまだ着いてきて、下りるときに「1ルピー」やっぱりこいつもそうだったのか。「知らないよ」と立ち去るとそれ以上は着いてこなかった。バスは結局ルンビニビレッジから出ているようで、今は聖園までは行っていないのかもしれない。

とりあえずバスを捕まえバイラワへ。ところがバス停ごとに客だどんどんどんどん際限なく乗ってきて車内は超満員になってしまった。車掌は「もっとつめろ」とかいってどんどん積み込んでくる。彼らには炉端にいる人はぜんぶ10ルピー札に見えるのだろう。1時間ほどすし詰めにされてやっとバイラワ。そしてここでスノウリ行きに乗り換える。

国境が近づいてくるといろんな奴が声をかけてくる。チェンジマネー、リキシャー、タクシー、何でもありだ。適当にかわしながらネパール側で出国審査。なんと出国スタンプまでシールになっていたのは少し驚いたが難なく終了。そしていよいよインド側。これはビザの問題があったのでちょっとびびっていたのだが、軽いジョークを言われて終了。
 

 
インド側のゲート
そしてまた一つ国境を越えた。
 
イミグレの親父は「一人だびなのか?彼女はどうした?」とか聞いてきたので「Don't worry, Be happy. I'm in INDIA」と言うとにこりと笑った。そして「クミコハウスへ行くのか?」と聞かれたので「あんな汚い所いやだよ」というと「そっかあ、日本人には安心だと思ったんだけど」と残念そうに言った。こんなとこまでクミコハウスの噂が届いているとはおそるべし。ともかくここからはボッタクリうそつき天国インドだ。気を引き締めないと。

最初の敵はゴラクプルまでのバス。最初のバスは満員だったので次のを待っていると車掌が「このバスはあと5分で出る、オレが席を確保してやるから乗れ、もし席が確保出来なかったらタダでいいから」という見るからに胡散臭い。「次のに乗るからいいよ」というと「次のバスは2時間後しか出ない」と嘘八百を並べる。この時点でこいつは信用ゼロ。その跡も「何が問題なんだ?」としつこく食い下がるのでうっとおしくなってその辺を歩き回ることにした。

うろうろしていると「ちょっと座っていきな」と子供が寄ってくる。小さな修理工場の中に座らせてもらって休憩する事にした。最初はフレンドリーな話題を振ってくるのだがしばらくすると「この男はすごく貧乏なんだ」と修理屋の主人を指さして「OK?」などという、何がOKなんだか。適当にあしらっていると小さい方の子供が「ギブミー 5ルピー OK?」適当にあしらっていると「2ルピー」「1ルピー」「3ルピー」「4ルピー」とうるさいしかも順序めちゃくちゃ。

「あげない」というと「コーラ飲むか?買ってきてやるよ」今度はお釣りをピンハネするのか?まったくせこい子供たちだ。そうこうしているうちに前のバスが出発した。「5分後に出る」と言ってから30分以上経過していただろうか?

次のバスは意外とすぐにきて、人の良さそうな車掌だったので乗ることにした。車内でチケットを買う。40Rs。ところがコイツもやっぱりインド人で「荷物代を20払え」とか言ってきた。「ヤダね」というと「ラゲッジ カネ ラゲッジ カネ」とうるさい。日本語が混じっている所で嘘だとまるわかり、そして金額が20Rsというのも。3ルピーぐらいなら騙されて払ってしまったかもしれないのだが。

「他の奴払ってないよ」というと「みんなもう払ったんだ」とか言う。隣の客に聞くと「払ってない」らしい。すると「こいつの荷物はちっちゃいんだ。他の、これとこれとこれの持ち主は払ったんだから、20じゃなくてもいいんだ、いくら払う?」もうあきらめろよアホ。とどめで「手口知ってるの。前回乗ったときはタダだっただろ?」とこっちもちょっと嘘混じりで対抗するとやっとおとなしくなったようだった。第一のインドの洗礼。

ポンコツバスは以外と元気でスピードをあげながら一面の麦畑を走っていく。途中一回水休憩が入ったがだいたい3時間程度でゴラクプル駅前に到着した。最初はここからクシーナガルへ向かおうかと思っていたのだが、往復すると帰りのバスが有るかどうか不安だし、車掌に聞いても嘘しか言わないだろうから思い切って割愛する事にした。

とりあえずここ一泊は必須なので駅前に宿をとって駅に出かけてみた。ここゴラクプルはおおよそツーリストの事なんか全く考えていないかのようで、時刻表も全部ヒンディー語だった。どうしようも無いのだがインフォも閉まっていて、ようやくエンクワイアリーのカウンターで明日のバラナシ行きの時間を教えてもらった。 列車は6時半発で、一応窓口で明日のチケットが買えるかどうか聞いてみたが、無駄な話だった。

宿に戻ってから宿のまわりをうろうろして、チャイを飲んだり夕食を食べたりした。レモン色の夕焼けと,
うす紫の透明な空は雲一つ無く、果てしなく澄んでいた。明日はいよいよ混沌の街バラナシか。またまた騙しに来るんだろうなあ、ああ、やれやれ。 



 

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください