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ノルウェー編
(カラシュヨク〜オスロ)
 


8月23日 北限(ロバニエミ〜カラシュヨク〜ノールカップ)

迷いに迷った末僕はユーラシアの最北端ノールカップを目指すことにした。まず迷っていた理由は、もう八月中旬以降はシーズンオフでバスがあまり走っていないこと、そして夜中の太陽どころか1時ごろになるとかすかに明るい程度でほとんど夜になってしまうこと。そして何よりノルウェー側の交通の連絡が最悪で、バスに乗るとわずかナルビクまでの距離なのに2泊〜3泊ぐらいしないとたどり着けない事などがあった。そして何よりもその交通手段がものすごく高いのだ。

しかしながらもうこんな所を訪れるチャンスも無いだろうし、交通の件は幸いロバニエミから直通のバスがある事、そしてノールカップの近くの街から少し高いがクルーズ船に便乗することで解決できそうだ。

僕は少しゆっくり目に荷物をまとめ、これからしばらくはご無沙汰になりそうなシャワーをたっぷり浴びてさっぱりした。チェックアウトしてスーパーでたくさんの食パンやジャム、サラダなどを買い込んでバスの時間を待った。バスはトイレのついた結構立派なバスで値段の方も8千円近くしてしまった。

バスの乗客は本当にまばらできっと赤字なんだろうけど、それでも時間通りに出発するのがヨーロッパでも最も豊かな部類に入る国だなあと感心する。バスは昨日も通ったサンタ村を通りどんどんと郊外へと進んでいく。家も減ってきて「何でこんな所に住んでるんだ?」というような所に家がぽつんとあったりする。

僕たちを乗せたバスはほとんど客は乗っていないのだが、街が近づいたり街に着いたりすると生活の足に使っている近所の人達が乗り込んでくる。そして彼らはすぐに降りてしまっい、またバスはたった3人の乗客を乗せてラップランドの湿原を走っていく。外を見ると道路脇に綿帽子のような草が生えている。なんだか暗いところで見えるとムーミンに出てくるニョロニョロにも見える。きっとヤンソンは月夜に光るこの綿帽子からニョロニョロのイメージを得たのだろう。

途中何度か野性のトナカイを見かける事があった。よく動物園なんかで見るのとは少し角の形が違って、こっちのは何だかふかふかした綿で覆われたような角で、切ったりしないせいかとてつもなく大きな角のトナカイも見かけた。そして少しかわいそうだったのが、車に轢かれたトナカイ。隣には轢いてしまった老夫婦が呆然と経っていて、僕にとってはそっちの方がかわいそうに見えた。

そんな車窓を楽しんでいるうちに、バスはいよいよ国境へとやって来た。国境にはゲートも何もなく「申告する物がある人はオフィスまで来てね」と言うような看板が立っているだけだった。ここで少し休憩があったので、僕は免税の書類を持って税関を訪ねた。いろいろと説明しようとすると、向こうも慣れた物でさっと書類を取り上げてスタンプを押してくれた。フレンドリーという言葉からはほど遠い対応だったが、対応自体は親切な物だった。

そしてその書類をノルウェー側のおみやげ物屋へ持っていくと換金出来るはずだったのだが、もうシーズンオフのため4時で閉まってしまうらしく、結局換金することは出来なかった。またオスロかどこかのカスタムオフィスで聞いてみるしかないのだろう。

ノルウェー側に入ってからは更に景色は荒涼としてきて、いよいよ最果てまでやって来たんだという感じがする。バスは川沿いの国境に沿って走っていたかと思うといつの間にか海岸線に出たようだった。ここからはもうまっすぐひたすら北上するだけ。「Nordkapp」の標識の距離がどんどん少なくなっていく。そして所々雪の固まりが見えたかと思うとバスは長い長いトンネルへと突入した。

このトンネルはどうやら本土とノールカップのあるマーゲロイ島を結ぶ海底トンネルのようで、かなり急な傾斜で地の底まで落ちていくのでは無いかと思うほど長かった。そしてトンネルを抜けるといよいよ最後の街ホニングスボーグだ。バス5分ほど停車してそのままノールカップを目指す。

今はもう8月末なので当然夜中は陽が沈んでしまうのだが、それでも少し前に会った旅人に聞いたら、真夜中でも結構明るいと聞いていたのた。しかし今ではもうかなり暗くなってしまうようだ。バスはどんどん進んで、回りはいつの間にかもう木一本育たない荒涼とした苔だけの世界になっていた。そしてついに北の果てノールカップのドームが見えてきた。

僕はバスを降りると、近代的なホールを素通りして一気に岬まで駆け下りた。この先は正真正銘もう何もない。断崖から見下ろす世界は全てがあお一色につつまれていて波の音だけが途切れること無く聞こえてくる。岬の先端には地球儀をかたどったモニュメントがライトアップされている。北緯71度10分21秒。数字だけではぴんと来ないのだが、これは南半球だと南極大陸の内側という事になる。つくづく遠くまできたもんだ。

僕は少し落ち着くと、ノールカップホールというお土産物屋、教会、レストラン、展示等がある建物に入った。さすがに体が冷え切っていて暖かい。しかしそこも0時には閉められてしまい僕は猫の様に建物のかげに丸まってうとうとしていた。30分ほどするとバスのドライバーが中に入れてくれて中で仮眠することが出来た。

このバスはロバニエミからやって来て、ノールカップに22時30分到着。そして2時に折り返して再びロバニエミへと向かうのだがホニングスボーグで朝の5時30分まで停まるので結局その時間まで中で眠らせてもらう事にした。変な姿勢なのだが疲れていたのか短時間だがぐっすりと眠ることが出来た。目が覚めると空が明るくなっていた。今日の日の出は3時49分だったらしい。
 

 
北緯71度10分
ついにやってきた北の果て。
真夜中なのに少し明るい。
 


8月24日 豪華客船で行こう(ホニングスボーグ〜トロムソ〜)

ノールカップまで来たのはいいけれど、ここからの交通は本当に涙が出そうなぐらい貧弱だ。まず僕は誰一人居ない早朝の港のベンチに座って朝食を取ることにした。といってもメニューはお総菜のマカロニサラダと買い込んだ食パンだけだった。

そして当然閉まっているインフォメーションセンターの壁のバスの時刻表を見るとやはりここからはアルタ行きが一本あるだけで、しかもアルタからのバスは明日しか無いらしい。そこで僕は前にオーストラリア人から聞いていた「沿岸船」に望みを託すことにした。

とはいうものの何処から出るのかも分からないので港を歩き回ってみたが、やっぱり何処のオフィスも閉まっているのでわからない。困っていると目の前に一軒のホテルが見えたので中に入って見るともう既に受付の人が居たので訪ねてみると、パンフレットを出してきて地図に印を付けてくれた。しかも出航は6時45分であと1時間ほどしかないので願ったり叶ったりだ。

僕は乗り場近くのベンチに座ってしばらく過ごす事にした。しかしそんな船なら1時間前には入港してそうな物なのだが30分前になっても一向に来る気配が無い。「ひょっとしたら毎日じゃないのかも?」不安が頭をよぎるのだが、残り20分を切った頃思ったよりも少し大きな船がカーブを描きながら港に入ってきた。「助かった!」

僕は乗り込んでみて驚いた。この船は「コスタルスティーマー」と呼ばれていて沿岸の道路も通わないような島々の人々に物資を届けるのと客船をかねていると聞いていたのでもっと質素な船だと思っていたのだ。しかし実際は船内にレセプションはあるし、全面ガラス張りの展望ラウンジはあるしで、小さいながらも豪華クルーズ船といった感じだった。

僕はおそるおそるレセプションでチケットを買った。スタムソンまで740クローネ。何と1万円もしてしまうのだ。しかもlこれはデッキクラスというキャビンが割り当てられないチケットで、しかもこれでも学生証で半額になっているのだ。恐るべし豪華客船といった所だろうか。

とりあえず居場所が無いので展望デッキへ上がって一息ついていたのだが、暇なので船の中をいろいろ回っていると何とデッキクラス用の無料の寝室があった。まあこれはバックパッカーとかにロビーで寝られると上級客がいい思いをしないという配慮なのか?狭い部屋に大きめのソファーと毛布が各10個ぐらい置いてあるだけなのだが、ソファーは完全に平面になっていてとにかく充分過ぎるほどだ。

僕は早速全荷物をこの部屋に移して部屋の端っこのベッドを一つ占領することにした。しかもベッドの下にはコンセントも着いていたので早速お湯を沸かして早朝のティーとしゃれ込むことにした。これからの40時間弱の船旅はなかなか快適なものになりそうだ。

一息ついてから僕は再び船内を探検する事にした。一応利用することは無いだろうけど船内のカフェとかにも行ってみると乗り込む時に見かけた日本人旅行者にばったりと会った。一人は25才ぐらいの女の子でもう一人はその母親。少し話をしていると、今朝ホテルでもらったと言う朝食の残りのパンとジャムを頂いてしまった。何だかこれまでにも何度も親子で旅行しているようで本当に仲の良さそうな親子だった。

最初は船の前のデッキで景色を楽しんだ。回りは本当に北極圏の島々という感じで、岩肌に苔が生えている程度。そして去年の雪がまだまだ残っている。しばらくすると別のコスタルスティーマーとすれ違うというアナウンスがあったので見ていると前から同じ様な船がやって来た。お互い汽笛を鳴らしあい、船の横側のデッキでは客室係員らしき人達が大きなシーツをパタパタ振って答えている。何だか楽しそうな船旅だ。

このコスタルスティーマーはベルゲンからロシアの国境付近のキルケネスまでを往復11日で結んでいる。と言うことは11隻のコスタルスティーマーがあると言うことなのだ。それにしてもこんな所を毎日走っているのは貨物船も兼ねているから出来ることなのだろう。

ホニングスボーグを出てから何故か南へ下っているはずなのに少しずつ寒くなってきた。ひょっとすると海流の関係なのかもしれない。ちょっと震える程になってきたので展望ラウンジへ上がることにした。ここでも先ほどの親子と会って色々話をしなが絶景を楽しんだ。途中いくつも大きな氷河や雪に覆われた岩山を見ることが出来た。おまけにアイスクリームまでごちそうになってしまった。(笑)

この船はいろんな小さな港を回りながら進むのだが、やはり少し大きめな所になると停泊時間が1時間とか2時間とかになる。そして上級客向けにバスで見所を回って別の港で追いついて再び合流するというツアーが一日大体二回ぐらい行われている。そして船はハンメルファストという港に着いて、みんなは教会だとか博物館だとかに向かうのだが、僕の向かう先はズバリ、スーパーマーケット(笑)

少なくなってきた食材を補充しないといけないのだ。食パンに総菜のサラダ。そして見ているうちにどうしても食べたくなって、300円以上もする魚の缶詰を買ってしまった。これだけで1000円ほど。全くもう鼻血も出ません(笑)

ハンメルファストを出てからも相変わらず絶景だった。僕はこの日は大体親子といることが多く、この親子のおかげで全く退屈する事は無かった。特に女の子の方はバックパッカーという訳でも無さそうなのだが、ヨーロッパのかなりの地域を回っている様で荷物もリュック一つと旅慣れているようだった。ヨーロッパのいろんな見所を教えてもらったり僕の今までの旅の話なんかをしているうちに次第に辺りが暗くなってきた。

薄明かりの中で青く光る雪山や、わずかに雲の切れ目に見えるオレンジ色の夕焼けはなかなか幻想的だった。陽も暮れてきたので僕は次の大きな寄港地トロムソ観光に向けてしばらく仮眠を取ることにした。何せ昨日は4時間ほどしか寝ていないのだ。所が最近バンコクで買った「ニセキティーめざまし時計」の調子が悪くて結局朝まで寝倒してしまった。でもまあ疲れもとれたのでいいか。
 

 
ハンメルファストの港の近くの山から
港に泊まっているのが僕の乗った船
 


8月25日 孤島(〜トロムソ〜スタムソン)

今日は朝のうちはそこそこいい天気だったのだが次第に雲が増えてきて雨がぱらつくようになってきた。

朝起きるとトロムソは既に遥か彼方でその次の寄港地に丁度到着するところだった。時間は4時半。「ああやってしまった!」しかし過ぎたものは仕方がないのでもう一度寝ることにした。

そして再度8時に目が覚めて例によってコイルでお湯を沸かして紅茶と食パンの朝食をとった。展望ラウンジに上がってみると昨日よりもずいぶん木が増えている。そして昨日はとんでも無い辺境の島に1件だけ民家があったりして驚いたのだが、この辺りから多くは無いものの家がまばらに見かけられるようになってきた。しかしこんな所にこんな苦労してまで住むとは、きっとここなりの良さが何かあるのかな?

景色も少し単調になってきたので僕は雑居寝室の一角でたまっていた日記を書くことにした。船はこのころまでは全く揺れることもなく快適そのものだった。そして何日分かを書き終わっておなかが空いてきた頃に親子連れの母親がやって来て、何と食事に招待してくれるというのだ。僕は一瞬躊躇したのだが、せっかくなのでご好意に甘える事にした。

果たしてそのランチはものすごかった。普通のビュッフェ形式なのだがその料理の質が豪華客船らしくてすばらしい。僕は驚喜してしまった。スモークサーモンも普通の人はフォークの先で2〜3枚引っかけて取るのだが、僕はフォークをアイスピックの様に握って「ぶすり」と根本まで突き刺した。スモークサーモン12枚捕獲!

他にもお皿に山盛り盛って席に戻ったのだが、少しアホな所を見られてしまったのかも。僕はここの所の栄養不足を一気に取り返す為に食いに食いまくった。料理は本当に美味しかったので親子の方も結構な量を食べていたようだった。本当にごちそうさまでした!

午後からは本当に天気が悪くなってきてそのうち少し海が荒れだした。まあ大したことは無いのだが少し船酔いが心配かなという程度だった。そして雨が降ると切り立った岩山から何本もの滝が海に降り注ぐ。天気の悪い日は悪いなりの楽しみがあるようだ。

やがて夕方頃スボルバルで親子が降りるので一緒に写真を撮ってから船の外まで見送りに行った。ここはもうロフォーテン諸島の島の一つなのだが、僕はもう一つ先のユースホステルが有るという噂のスタムソンまで行くことになっている。

ここで僕はこの船が支えている沿岸住民達の生活を少しかいま見ることが出来た。スボルバルからは20人ぐらいの子供達が乗り込んできた。最初はぎゃーぎゃー騒いでうるさいなあと思っていたのだが、船が出航する前になると誰かが外を指さして全員弾けるようにデッキへと飛び出していった。

遠くへ向かって一緒に叫びながら手を振っている。そう言えばそろそろ学校の夏休みが終わる頃なので学校のある都市へと戻っていくのだろうか?みんな見えなくなるまで手を降り続けてやがてラウンジへ戻ってきた。何だか泣いている子供も何人か居た。次にふるさとに帰れるのはいつのことなのだろうか?

このころから本格的に船が揺れ始めてきた。まだ我慢できるレベルではあるのだが、我慢することに何の意味も無いので僕は例の雑居部屋のソファーでしばらく眠ることにした。そして次に目が覚めるとまもなく到着を告げるアナウンスが聞こえた。

荷物をまとめて降り立った港は本当に最果ての村という感じだった。当然インフォメーションも無いので僕は適当に家の多そうな方に歩き出した。港周辺を歩き回ってもそれらしき物は無いので困っていると、一軒のオフィスの様な所におばさんとおばあさんが居るのが見えたのでノックをして入って見た。二人によるとユースはこっから道路を1.5キロ程いった所にあるらしくて、道は一本しか無いので簡単に行けるだろうとの事だった。

僕は薄暗くなった道をどんどん進んでいった。途中で不安になって向こうから来た鼻ピアスの女の子に聞いてみたらやはりこの道であっているらしい。そして僕はそれからすぐに一軒の漁師小屋の様な建物にたどり着いた。見るからに漁師という感じのおじさんが出てきてくれて僕は無事ベッドにありつく事ができた。

中には予想よりも遙かにたくさんの若者が泊まっていて丁度食事の真っ最中だったらしい。中にはリガで一緒だった日本人も居る。僕は早速シャワールームへ飛び込んだ。もう3日も風呂に入っていない計算になる。夜行移動は安くていいのだが、シャワーを浴びれないのがつらい。イランのハマムのような物があれば本当に便利なのだが・・・・

かくして僕は北極圏に浮かぶ辺境の島にたどり着いたのだった。
 

 
北極圏の夕焼け
 


8月26日 漁師とカモメ(スタムソン〜レクネス〜オー)

スタムソンに着いて僕はまたまたやられてしまった。バスがほとんどないのだ。しかも今日明日は土日という事もあって本当に厳しい。有るには有るのだが連絡がもう最悪で次に向かうオーには土曜日なら何とか行けるが日曜日は夜の一便しか連絡していない。本当にノルウェー人は合理的に計画するという能力が欠落しているのでは?と思ってしまう。

仕方がないので僕は今日の昼過ぎの便でオーに向かう事にした。この便さえも途中レクネスで2時間半時間をつぶさなければいけないことになる。そして帰りのフェリーも丁度明日から便数が激減するようで本当にもう助けてくれと叫びたい気分だった。

予定が決まるとさっそくスタムソンの村を散歩してまわる。僕は当初ここの港から時刻表に載ってないような船がたくさん有ると思っていたのだが全くの間違いでこの村を通るのはコスタルスティーマー一本らしい。スタムソン自体は特に見るべき物はなく、例のユースが名物になっているぐらいのようだ。何でも船を貸してくれて釣りが出来るらしい。

昼過ぎに僕はバスに乗り込んだ。この辺りのバスはインターレールパスで半額になると聞いていたので見せてみるとあっさりと半額になってしまった。もし正規で買うとここから50キロ程のオーまで1500円ぐらいしてしまうのでこれは助かる。バスはあちこちで買い物客らしき人達を乗せて30分ほどでレクネスの町に到着した。

ここはスボルバルと並ぶロフォーテン諸島の中心都市らしく、何軒ものスーパーや商店が軒を連ねていた。交通量もなかなかの物だった。僕は近所のスーパーで食材を補充してからバス停のベンチで今後の予定を考えたりした。そして散歩なんかもして何とか2時間をつぶしてバスに乗り込んだ。この頃から結構な雨が降り出してきた。

割と多くのバックパッカーが乗り込んで来るのでみんなオーに行くのかな?と思っていたのだが、結局今日の夕方の船でボードーに向かう人達だったようだ。途中巨大なフィヨルドを橋で渡ってついにロフォーテン諸島の果てオーに到着した。

このオーと言う町はノルウェーの文字では「A」の上に丸を一つ書くのだが、きっと世界で一番短い地名だろう。それにしても本当にここは最果てでもう商店もすべて閉まっていて、人影もまばらだった。僕はユースらしき所へ行ってみたのだがレセプションは閉まっていて、後から来た何人かのバックパッカーの内の一人が電話をかけてまもなく管理人がやって来た。

ユースは一人125クローネ。結構高いなあと思っていたのだが、中に入ってビックリ!!中は全て木造で広い談話室が2つ、綺麗なシャワー室や僕の泊まる部屋も本当に申し分が無いほど綺麗だった。外はあいにく小雨だったのだが、やはり荷物を降ろすと外に出かけてしまう。

オーはすぐ裏まで山が迫っていて、その山も上の方は霧にかすんでいる。反対側を見るとたくさんの小屋が海の上に立てられていて、3人のおじさんが外で魚を裁いていた。たまに切れ端を放り投げるとたくさんのカモメがそれを奪い合いする。ここは本当の最果ての街なのかもしれない。
 

 
切り立ったフィヨルド
バスの中から
 


8月27日 移動の始まり(オー〜レイネ〜ボードー)

朝目覚めると嘘のように天気が回復していた。雲はたくさんあるものの雲の切れ目から朝日がまぶしい。早速朝食を食べて外を散歩する事にした。

天気が違うと印象もずいぶん違って見えて、昨日は「何て厳しそうな所なんだろう」思ってのだが今日のオーは何処までものどかだった。一瞬もう一泊しようかとも思ったのだがこんないい天気が何日も続く訳じゃないだろうし、今日なら船は夜に出発なので丸一日この天気を満喫できるだろうし。

結局今日出発する事にして、午前中はめいっぱいオーを満喫する事にした。それにしてもここは海鳥が多い。ユースの建物も軒先、屋根がぜんぶ鳥の巣になっていて、朝からもうとてつもなくうるさいのだが、ここでは鳥と人間の距離がとても近いのだろう、宿の人も鳥の巣を撤去する様子もないし、散歩していると鳥に餌をあげたりする人もちらほら見られる。

やがてチェックアウトの時間になったので荷物をまとめてからキッチンでインスタントパスタを茹でて昼食をとり、一路レイネを目指すことにした。レイネはロフォーテン島随一の景勝地らしくてフィヨルドの縁に出来た村らしい。入り口には「CITY」と書いていたが何処が市なんだか、本当に小さい村だった。

一番大きなフィヨルドは来るときにバスで通ったのだが少しここから距離がある。ただ街自体もこじんまりしていて後ろは切り立った山で囲まれていてなるほど素晴らしい景色だった。僕は結局ここで何をするわけでもなく、ひたすら辺りを散歩してやがて港まで歩いていくことにした。

ここから港のあるモスケネスボーグまでは実はもう少し待てば唯一一本あるバスに乗れるのだが、何となく歩いてみたい気分だった。距離も4キロと書いてあったので1時間弱ぐらいだろう。最初はなかなか良い調子で歩いていたのだが歩いても歩いても港は見えない。結局6キロぐらいあったんじゃないだろうか?途中バスにも抜かれて結局1時間半ほどで港にたどり着いた。

そしてここでも2時間ほど待ち時間があったのだが、もはや今の僕には2時間なんてどうという事はない。考え事をしたり港を歩き回ったりして時間をつぶしているうちに乗船時間になった。しかし切符を買う段になってこのフェリーは学生割引もインターレールパス割引も効かないのだそうだ。そんなわけで正規運賃で1400円ほど払うことになってしまった。まあバスでスタムソンに戻ることを考えたら同じ様なものなので仕方ないだろう。

フェリーは小さい割には一応個室もあった。もちろん僕はそんなところに泊まれないので大部屋のソファーの手すりをあげて横になる。幸い乗客はそれほど多くなかったのでたっぷりと眠ることが出来た。

そして明け方の3時頃船はボードーの港に到着した。それまでほとんど人の居ないような所ばかりを回っていた僕に取っては、この寂れた港町さえ大都会に見えて、まるで光の洪水のようだった。それにしてもこんな時間にこんな所で降ろされても困ってしまう。たしかこの船は折り返し7時発だったはずなので船員に「朝までここで寝かして貰えないか?」と頼むとあっさりと了承してくれた。そして僕は朝までたっぷり、のべ8時間ぐらいは眠ることが出来た。

北国はその厳しい気候のせいか逆に人にはすごく暖かいように感じた。
 

 
オーの集落
 


8月28日 北極圏からの脱出(ボードー〜トロンハイム〜オスロ)

船を下りた僕は駅を探していた。一応北線の終着駅なので待合室なんかがあって、大きな駅だろうと思っていたのだが、それは貨物の引き込み線のような所の端にぽつりとあった。

とはいうものの駅舎自体はそこそこの物なのだが、それはカフェであったり、ユースホステルであったりで、列車の来ない夜中は施錠されていてしばらく寒空で待つことになった。もっともこの駅には一日上下合わせて6本しか列車が来ないので当然と言えば当然なのだ。

駅が開いてから荷物を置いて町へ出てみたのだが、どの店も10時からのようで、再び僕は駅で時間をつぶすことになった。そして10時を過ぎてから食パンやお総菜を買い出しにいって、そして久しぶりに肉が食べたくなってバーガーキングへ入って見る事にした。ここ北欧ではファーストフードはかなり高いのだが、それでも他の飲食店に比べるとかなり安い部類にはいるのだ。いったいいつまでこんなひもじい生活が続くのやら。

食料を仕入れて列車に乗り込むと、まもなくトロンハイムへと向けて出発した。景色は絶景というまでもいかなかったが、それでも沿線沿いはまだまだ雪が残っている。そして一カ所緩やかで巨大な谷があったのだが、谷を一面埋めつくす針葉樹林が圧巻だった。他にも至る所に滝があったりして景色はどんどんと変わっていく。

そして2時間ほどして僕はやっとの事で北極圏から脱出した。とはいうものの景色は相変わらずで、トロンハイムまでの10時間の道のりは大体こんな感じだった。

長い間かかってたどり着いたトロンハイムはなるほど美しい町だった。運河があって、運河沿いにパステルカラーの建物が建ち並んでいる。でもまあ今までもこんな風景はたくさん見てきたのでそのまま一気にオスロを目指すことにした。

ここで北京で会って以来時々メールを交換していたミカエルに連絡を取ってみる事にした。彼はスウェーデンのマルメに住んでいて北欧に来るなら是非寄ってくれと言われていたのだ。さっそく電話してみると驚いた様子で、そしてとても喜んでくれた。このまま列車を乗り継ぐと明日の夕方にはマルメに着く計算になるのでそう伝えると、駅まで迎えに来てくれるという事だった。ちょっと疲れるけどもう少しの辛抱だ。
 

 
トロンハイムの運河
 


8月29日 あと一息(オスロ〜リレハンメル〜オスロ〜マルメ)

7時10分。定刻通り列車はオスロ中央駅に滑り込んだ。なんだかんだ言いながら僕は列車の中で熟睡していた。そして僕はここオスロでしなければ行けないことが一つあったのだ。それは税金の払い戻し。

さっそく駅内の郵便局に行くと分厚いマニュアルを出してきてちょっとした騒ぎになってしまった。しかし「購入時のレシートと現物がないと払い戻し出来ない」と言い出す。レシートは探すとすぐに見つかって、現物の方は「自分はもうフィンランドの国境のカスタムでチェックを受けてスタンプをもらっている。これはもう既に輸出されているのだ」と言うとしばらくの議論のあと「手続きからはずれるけど、話し合った結果良いことにするわ」と全額返して貰えることにしなった。

そして次は何とかシャワーを浴びたいと思ってインフォメーションで訪ねる事にした。前にもらった少し古いパンフレット
にたしかオスロには「インターレールセンター」と言うのがあって、パスを持っているとラウンジやシャワーが使えると書いてあったのだ。

しかしインフォメーションの若い女の子は一言「無いわ」というだけだった。僕は無いものは仕方ないのだが、元からないのか閉鎖されたのか知りたかったので効いてみたら、なんと「無いものは無いのよ 知らないわ」みたいな対応をされた。インフォメーションの仕事もなんやらイヤイヤやっているような感じだった。

何だか北の方と違って都会はこんなものなのかと思ってしまう。そして僕は次のマルメへ行く列車の時間を聞くために再びインフォへ行った。もちろんさっきの女はむかつくので隣の窓口に行ったのだが、コイツが又「超使えない奴」だった。最初に12時30分にあると言ってたので安心して辺りをぶらぶらしていると、いつまで経っても発車時刻の掲示板にその列車が現れない。

再びインフォに行くと「あら。その列車もう無いわ」とさらりと言われてしまった。そんなことを言われても困るので「他の接続で行けるのは無いの?」と聞くと「無いわ 明日の朝ね」とかさらりと言われてしまった。もうこんな奴らを当てにしていても仕方がないので、自分でその辺の時刻表を片っ端から取ってきて調べると、何と夜行列車が有るではないか。何が「明日の朝まで無いわ」だ!!こいつらプロ意識のかけらも無い素人以下だ。

まったくどうなって居るんだろうこの国は。アホなインフォの職員もそうだが、何で北欧の主要都市を結ぶ列車が一日に2本しか連絡してないんだ?もう少し時間をずらせば済むだろうに。まったくこの国には効率という言葉は無いんだろうかと思ってしまう。

とにかく時間があまったのでどうしようかと思い、ストックホルム回りで行こうか共考えたのだが、何と次の瞬間掲示板のストックホルム行きの欄が「CANCELLED」に変わった。理由は通知されない。もう「キーッ」と声に出して叫びたい気分だった。

ともかく仕方がないので、腹いせにレールパスを使いまくる事にした。ここから何処へ行けるのか分からないのだが、ふと掲示板を見ると「Lillehammer」と書いてあるリールハンマー?、、、んーーー、おおっ!リレハンメル!!僕は衝動的に列車に飛び乗った。別に行っても何が有るというわけではないのだろうが、サラエボに行ったんだからリレハンメルに行くのもいいだろうともう訳がわからない。

かくしてたどり着いたリレハンメルは、なんだか小綺麗な土産物屋がならびちょっとした観光地だった。何が有るというわけではないのだが、傾斜の上に作られた小さな町はちょっとおしゃれっぽくて良かった。もう一つの収穫は、ここノルウェーでは缶コーラが200円もするのだが、何とリレハンメルのスーパーで半額で売っていた事だ。スナック類も半額だったので、帰りはスナックをほおばりながらまたまた2時間半の旅を楽しむ事にした。

そして僕はまたまた衝動的にオスロ空港駅で列車を降りた。空港ならなんか時間をつぶせるかもと思ったのだが、ここは娯楽施設も無く免税店も全部出国審査より向こうにあるのでつまらない。なにより滑走路側が全く見えない作りだから飛行機が飛ぶのが見えないのだ。結局次の列車でオスロ中央駅へ戻って駅前をうろつくことにした。

オスロで驚いたのは、インド人、黒人、中国人の多さ。とりわけインド人の多さは他の都市の比では無いかも知れない。インド人とはいうものの、もうすっかり国籍もノルウェー人なのだろう。マクドナルドをはじめあちこちの店やガードマンまでインド人という所があった。

やがて列車の時間が来て乗り込んだのだが、驚くことに列車は全席埋まっていた。やはりこの路線はかなり需要があるのだ、なのにほとんどの列車の運転が八月中旬でうち切られてしまってこの有様だ。通路に座っていた人も何人か居たようだった。ともかく車中も3連泊になるともうあまりいろいろ考えなくなって、逆にどうでもよくなってくる。

明日の朝は思いっきりシャワーを浴びれるはずなのでもう少しの辛抱だ。
 

 
リレハンメルにあった
ベタなモニュメント
 


 

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