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パキスタンおとぎの国編
(ギルギット〜チトラール)
 


5月22日 突然ツアー(ギルギット)

なぜか朝早く目がさめた。と言っても6時半なのだが。普通娘はもう空港に旅立った後のようだ。なんでも教員採用試験の為に帰るとか。

それからも起きるでもなく寝直すでもなく、本棚にあったワールドアトラスを見ながらこれからの行き先をぼんやりと考えたりして過ごしていた。久しぶりに見る詳細地図はなかなか興味深かった。とくにこれから向かおうと思っている東欧については、どの国とどの国が国境を接しているかさえよく分かってないので、それを見ながら大まかなルートを考えてみたりした。

陽がだいぶ高くなった頃に遅めの朝食。日本の雑誌を読む。そして一通り読んでしまうと次は禁断のマンガ一気読みだ(笑)「風の谷のナウシカ全7巻」一説によると映画版の風景はこのフンザをモデルにしたとか言われているのだが、そんなフンザの麓で読んでいるのが何だかおかしかった。
 
そしてベッドに寝ころんで4巻ぐらいまで読んだ頃突然「ツアーリーダー」がやって来た。「のりさん明日シャンドール峠行きませんか?」何でもジープをチャーターして行こうと言うのだ。そう言えば前々から「行きたいねえ」とは話していたのだが何とも急な話だ。

「うーん、急だなあ、、、」と考えているとプッシュが激しい(笑)「決まるまでココいますね」なかなかやり手だ。すぐに落ちると見抜かれているのだろうか?確かにシャンドールには行きたいのだがここにももう2泊ほどしたい気もする。でも来た道を引き返すのもアレなのでシャンドールに抜けられるのは魅力だ。結局20分ほど考えた結果思惑通り参加する事にした。さすがツアーリーダー(笑)

そうと決まるとなんだか急にギルギットの町を散策したくなる。どうせ時間が無いのでメインロードを行ったり来たりして店を覗いたりした。屋台でソフトクリームを食べたり。そう言えばどこかでマグカップを無くしてしまったようだ。チタン製で2千円もしたのでかなり痛い。でも一軒の店で中国製のホーローのカップが会ったので値段を聞いてみるとたったの18Rs。日本円で36円だ。柄も中国製そのもので面白かったので即買いだ。

宿に帰ってしばらくすると夕食。今日は日本食ディナーの日で鶏づくしだった。日本料理か?と言われると疑問なのだが鶏南蛮はたいそう美味しかった。たぶんこれがトルコに着くまでで最後の日本食になのだろう。こうして沈没スポットの滞在はわずか2泊に終わった。ひょっとするとヨーロッパが呼んでいるのかもしれない。
 

 
久しぶりの下界ギルギットのメイン通り
 


5月23日 猜疑心(ギルギット〜グピス〜パンダール)

6時に目覚ましが鳴った。さっさとパッキングをして軽く朝食を取る。今日のメンバーは「ツアーリーダー」あとの二人は中国から越えてきた「人民帽」と大事に太鼓を抱えている「タブラー」。そしてドライバーはパキスタン人の若者だった。7時を少し回った頃、まだ少し肌寒いギルギットを後にした。

ジープは少し走るとすぐにダートに突入した。とはいうもののこの辺りはまだまだ大したことはない。まず最初に向かうのはグピス。ここまではNATCOのバスがあるのだがここから先はいつ来るとも分からない乗り合いジープしか無いらしい。

運転手の若者はなんでもグピスの出身らしく出稼ぎでギルギットに来ているらしく家に寄れるのをすごく楽しみにしていた。ただその想いが強すぎるのか、一同がおなかが空いているというのにも関わらず、一番に彼の家に行ってしまった。とはいうものの一般家庭を見学できておまけにチャイまで出してもらって言うことは無いのだが、あとで少々問題となる。

若者の家を後にしてから連れて行かれるままに湖のそばのホテル兼レストランで食事をする事になった。レストランは本当に質素な物でダル以外は何も出来ないという。それはいいのだが、ここまで来る間に後輪の片側がカラカラと音を立てていたのでドライバーが分解修理を始めた。なにやらブレーキの部品がゆるんでいたような感じでしばらくして治ったようだった。試運転してみて「OK」と言った。

所がしばらくしてからなにやら宿の男と二人でなぜか反対側のタイヤを外し始めた。そしてしばらくしてから呼ばれて言ってみると宿の男が「ブレーキを支えているピンが壊れている。これは大きな問題なのでグピスに戻って部品を探して修理しなければいけない」と言い出した(運転手は英語が話せない)まあそれならそれで問題が無いのだが宿の男が言うには「6時間ぐらいかかるかも知れない」という。もちろん後輪のブレーキの修理ぐらいでそんなにかかるわけは無い。部品があればすぐに治るし無ければ何時間かけても治らないのだ。何だか不審だ。

ここでインドでさんざん騙されてきたので色々と考えてしまう。まず宿の男にとってはここで泊まると宿代&食事代も入ってくるしホクホクだ。しかも運転手にとってもここならグピスから30分ほどなので、今夜は自分の家でゆっくり出来る。双方の利害が完璧にかみ合ってるし、お互い友人らしい雰囲気だった。

その間も日本人4人であーだこーだ。と言っていたのだが、やはり見張りを一人着けなかったのは失敗で、こうなったらもう何がどうなっていても分からない。そのうち宿の男は「今日は泊まるんだろ?」などと言ってくる。そして結局修理が終わって戻ってきたのは宿の男が言った6時間に少し足りないぐらいの時間だった。

さっそく全員がリュックを持ってジープに向かうと運転手は何やら驚いた様子で「泊まらないのか?」とか言っている。宿の男も「ここからパンダールまでは6時間かかるから真夜中になる。おまけにここからは危ないんだ」とかまるでインド人の様なアホなウソを言う。この時間ならもうあきらめて泊まるだろうとでも思っていたのだろうか?しかし運転手は「行け」と言われれば行くしか無いわけで、結局最後はパンダールに向かう事になった。

真相は全く分からない。彼が6時間必死で修理していたのか?それとも軽く部品を交換して家に帰ってお茶でも飲んでいたのか?しかし部品があればすぐに治るし、無ければ治らないそんな単純な故障なのは明白なのだ。

ジープは出発するともうすぐに夜になってしまった。風が冷たくて体が冷えるが寒くて我慢できないと言うほどではなかった。3時間ほどでパンダール湖のそばの宿に着いたのだが宿は満室でテントならOKらしい。僕は疲れていて座っていたので知らなかったのだが宿の人がどんどん準備をする。そして見に行って驚いた。テントと言っても下はジャリで屋根があるだけと言った物で外で寝るのと同じだ。冗談じゃない。別の宿に行く様に言うと「他には宿は無い」とかいう。本で調べて置いた宿に行くようにいうとようやく動き出した。

もう一軒の宿は湖から4キロほど行った所で電気も全くなかったが、部屋はそれなりに清潔でジャリの上で眠るよりは100倍ましだ。おまけに値段もテントと同じで一人50Rsだった。さっそくチェックインすると体が冷えて弱っていたのか気分もすぐれずすぐにそのまま眠り込んでしまった。

今日の事に関してはいろいろみんなと話しをしてみたが、人民帽は結構彼のことに対して肯定的な見方をしているようだった。何だか自分が疑り深くなりすぎているような気がして少し落ち込んだ。
 

 
運転手の自宅にて
こんなカワイイ女の子がお茶を入れてくれた
 

5月24日 峠を越えてどこまでも(パンダール〜シャンドール峠〜チトラール)

朝からなんだかやられたという感じだ。宿の辺りの景色はなかなか最高で朝から少し散歩をしてみた。そしてその後昨日真っ暗で見えなかったパンダール湖へ戻るのだろうと思っていたら何と運転手は「昨日お前達の言われたとおりにこの宿まで来たのだから戻らない」とか言い出した。

パンダール湖といてばこのシャンドール越えの一番の見所なのにそれは無いだろう。徹底抗戦のつもりだったのだか何だか他の3人があっさりと納得してしまったようで仕方なくそのまま先を目指す事にした。

少しガッカリしたもののここから峠までの景色は絶景だった。フンザともパスーともまた違う美しい谷がそこにあった。この辺りから道はかなり悪くなってきて胃が上下左右にシェイクされる。標高もどんどん上がり体が冷え切ってきた頃にちょうどシャンドール峠の頂上に到着した。標高3700m

峠の頂上は草原のようになっていてあまり峠を感じさせないのだが、峠にはテントだけでできたホテルがあって笑ってしまった。テントの中にはちゃんとお店もある。あと頂上にはポロの競技場があって、毎年ここでチトラールとギルギットのそれぞれの優勝チームが戦うらしい。何もない草原に一年に一度しか使われない観客スタンドがぽつんと建っていた。

下りは楽になるだろうと期待していたが道はどんどん酷くなる一方だった。とはいうもの今回は4人で一台をチャーターしているのでまだ身動きがとれる分かなり楽ではあるのだが。それよりもこの辺りからドライバーは全く道を知らないようで何度も地元の人にたずねたりしていた。そしてドライバーをますます信用できなくなるような事がいくつかあった。

峠の茶屋のお金やマスツージの村で食べた昼食のお金をどうやらドライバーは払わないのが当たり前のように思っているようで、請求がこっちに来た。ドライバーに言うとその分は払ったのだが、チャイ代は結局「タブラー」が払ったそうだ。普段自分が連れていく店は全部ただで食べられるでそう言う癖がついているのか?

何だか気分は晴れないが他の三人は結構楽しそうにやっているのでまあいいのかな。道はブニの村を過ぎると待ちに待った舗装路になり、そこからは結構なスピードで飛ばして2時間ほどでチトラールの村に到着した。村と言っても今までの村に比べるとかなりの規模だ。宿もファン、バストイレ付きの四人部屋で250Rs。部屋も綺麗そうだったのでそのままチェックインした。

ドライバーはチトラールまで行く間も「明日はみんなでカラッシュバレーに行こう。フリーだフリー」などと調子の良いことを言っていた。もっとも彼は英語がしゃべれないので「フリー」と言っていたのはウルドゥ語の何か別の単語なのかもしれないのだが。しばらくしてからドライバーが部屋にやって来て「明日カラッシュへ行こう」と言う。「タブラー」がヒンディ語でたずねると(ウルドゥとヒンディはよく似ている)やっぱり1200Rsとか言い出した。問題外だ。僕はもうこの時点でこのドライバーとは完全に縁を切ろうと思った。ダメだというとそれが1000Rsになってやがて500Rsになった。

乗り合いなら22Rsでいけるからいいよと言うとさっきまでのフレンドリーさと笑顔は彼の顔からは全く消えていた。何だか幕切れが悪いのだが、彼は僕たちの書いた手紙を日本人の経営者にもって帰るよう命令されているので、その中に会った出来事をいくつか書いて置いた。もっとも最終的には納得したから残りの金額を満額ドライバーに渡した訳なのだが、やはりもう少し出発前に細かくつめていくべきだった。宿の人が「彼も少しぐらいなら英語しゃべれるんじゃない?」とか言っていたのであまり気にしてなかった、そもかく単語を数十語知っているだけで英語はまったくしゃべれなかった。

気分直しにみんなで食事に出かけるとなかなか美味しいアフガン食堂を見つけた。スパイシーに炒めたマトンとチャパティー。しかもアフガンスタイルで床に座って食べる。味の方もなかなか満足だった。そして帰りに飲んだマンゴー100%ジュースも最高でこんなのがたった20円で飲めてしまうのはさすがパキスタンだ。チトラールも結構長居になったりして。
 

 
シャンドール峠の手前
幻想的な風景がどこまでも続く。
 


5月25日 おとぎの谷(チトラール〜ブンブレッド)

突然ツアーの4人組だが、やはり「ツアーリーダー」と「人民帽」のテンションにはどこか着いて行き難い所もあってそろそろ一人で行動しようかと思っていたのだが結局行き先が同じと言うことで一緒に出発する事になった。

まず最初に地元の警察署へ行ってカラッシュバレーへのパーミットを取らなければならない。パーミット自体は無料でオフィスはアフガン人で混んでいたものの30分ほどで発行して貰えた。パーミッションを受け取ると今度は町外れのジープ乗り場へ。適当に歩いていると上手い具合にブンブレッド行きのジープから声がかかった。

カラッシュバレーは、ブンブレッド、ルンブール、ビリールの3つの谷からなるエリアを指していてこれらの谷にはイスラム教徒とは全く違った文化を持った「カフィール族」が住んでいる。女の人が髪の毛を出していたり、おおっぴらに酒を飲んだりと結構特殊なエリアらしい。

ジープの荷台は町を回っているうちに30分ほどで10人以上の人でいっぱいになりまもなく出発した。チトラールからアユーンまでは舗装路で結構なスピードで飛ばす。景色もU字谷の上に広がる麦畑や遠くに見える雪山となかなかで、朝の風が気持ちいい。

アユーンを過ぎると道はすぐに瓦礫になった。それでも谷の入り口までは20〜30キロで走れるのでまだまだいい方だ。谷の入り口でパーミッションを見せて台帳に記入する。ここで入域料100Rsも払わなければいけない。ここから先はいよいよ道もでこぼこでジープは前後左右に揺れながら谷を登っていく。

しばらく走ると目的地のジープはカラカール村の手前の宿の前で停まった。宿の人とグルらしく宿の主人は「この先はろくな宿が無いからここに停まった方がいい。部屋だけでも見ていってくれ」とかいうが当然相手にせず「カラカール」と言うとジープはさらに上へと動き出した。

しかし今度もジープはカラカールの入り口の宿の前で勝手に停まってしまった。しかも他の客がいないのを良いことにここで打ち切りらしい。宿の主人がさっそく寄ってくるが相手にはしなかった。運転手に「カラッシュホテルは?」と言うと「聞いたこと無いなあ」とか言う。「リーダー」と「人民帽」はちょっと興味がありそうだったのだが、僕はこういうやり方が大嫌いなので、ジープ代を払ってとっとと歩き出した。やはりここはとびきりの観光地なのだ。

しばらく歩いていくと村は建物もまばらではずれの辺りで目的のカラッシュホテルを発見した。こんなまばらな村の道路沿いの宿を知らないわけが無い。やっぱり運転手はウソを言っていたのだ。

気を取り直して宿に入ると人のよさそうな爺さんが迎えてくれた。「まず荷物をおろしなさい」と椅子に案内してくれてお茶を出してくれた。宿はネパールの山小屋程度の建物で大したことは無いのだが、庭がとても広くて気持ちがいい。それにテラスからの景色もなかなかだ。さっそくチェックインして昼食を用意してもらった。

この宿には他にカナダ人カップル、イラン人の運び屋、あとから「タブラー」もやって来た。カナダ人カップルはぶっきらぼうなのだがいろいろ話しかけてくれたりしてもする。感じとは裏腹にフレンドリーだ。

食事がおわると村を歩き回ってみる。とはいうものの村と言っても細い瓦礫の道沿いに何軒か家が建っている程度の所なので上へ行くか下へ行くかしかないのだが。

歩いているとあちこちでカフィールの子供達が遊んでいる。見ている分には可愛いのだが、やはりツーリストが多いため「お金」とか「ペン」とか言ってくる。あとこのあたりでは写真を撮ると必ずお金を要求されるらしい。どうしたものかと考えた結果デジカメをダシに使うことにした。

試しに風景を撮って見せてあげてから「写真を撮っていい?」と聞くと大喜びで首をたてに振る。スナップを撮って見せてあげると何やら写真に見とれているようだった。しばらく行くと集団の子供達を発見したのでさっきのスナップを見せてあげると当然知り合いらしく「私たちも撮って」と言うことになった。

こっちの子供は元気いっぱいで、一枚撮ると今度はポーズをつけて「もう一枚!」そして今度は変な顔をして「もう一枚!」結局5枚ぐらい撮っただろうか。子供達も大喜びでこっちも良い写真が撮れた。こんな観光地なのだが少し仲良くなるとみんな気さくでフレンドリーだ。

その後下の方に下りていくと一軒の宿で日本人と出会った。せっかくなので少し話をしていったのだが、いわゆる「インド至上主義者」っぽかった。以前にはいろいろと回ったそうなのだが今はインドらしくビザが切れてパキスタンに出てきたそうだ。

自分の旅の事を話すと「そんな短い期間で何みるの?」みたいな事を言われてしまった。ちょっとカチンと来たが彼の話を聞いていると納得させられる所もある。彼が言うには「風景は飽きるけど、人は飽きないからね」という事なのだが、要はそんな旅程じゃ現地に親友を作ることが出来ないだろうという事のようだ。「風景は飽きる」と言う彼の言葉が少しの間頭の中に残った。

夜はカナダ人カップルにトランプを教えてもらった。シーゲートと言うゲームらしいのだがちょっと複雑だった。大富豪とウノを組み合わせたようなゲームなのだが手札が全部無くなると自分の前に伏せた6枚のカードを出して行かなくてはいけないと言うのが普通のゲームとは違っている。

ちょっと頭を使ったからか10時ごろになると眠たくなってきて先にやすむ事にした。フンザで満月だった月はもうだいぶ欠けてきたのかまだ空には昇ってなくて空一面星の洪水だった。
 

 
おとぎの谷の妖精たち?
ちょっと悪ノリしすぎ(笑)
 

5月26日 星空の下で(ブンブレッド)

5時頃に目がさめた。外に出てみると空気が冷たい。そして今にも朝日が昇りそうで山の縁が金色に輝いていた。そしてやっぱり二度寝(笑)

朝食を食べてうだうだしながら考えたのだが、やっぱり今日中にギルギットへ下りて明日にはペシャワールに向かう事にした。昼ごろに宿を後にしようと思っていたのだが、宿の主人がおらず使用人は全く値段については知らないという事で困ってしまった。

結局イラン人に大まかな値段を聞いて、これだけ払えば絶対足りるだろうという額を使用人に渡して宿を出ることにした。そんなことをしているうちにジープが2台ほど通り過ぎていったのだが、昨日夕方にたくさんのジープが下りていったのを見ていたので全然気にはしなかった。

所が道ばたで待っても全然ジープは来ない。来ても下までは行かないとかそんなのばかりだ。やがて2時間ほど待っていると数台のジープが下から上がってきた。これが下りてきたらきっと捕まるだろう。

そして待つこと1時間半。数台のジープが下りてきた。一台目は貸し切りらしく後ろを指さすので見てみるともう一台ジープがやってきた。しかし運転手が言うに「ギルギットまで100Rsだ」いくら何でもボリすぎだろう。「いらないよ」というと50になったが「来るときは30だったじゃないか」というと何も言わずに去っていった。後で考えるとこれが下へ下りる最後のチャンスだったのだ。

後から来るのは上まで人を運んで谷にある自分の家に帰るものばかりだった。何と偶然一緒にシャンドール越えをしたドライバーにも会った。まだこんな所にいたのか。たぶん実家に帰ると言って休暇とってこの辺でアルバイトでもしているのだろう。普段飲めない酒を飲んでいたのだろうか?ドライバーは後部座席に寝ころんで、他の人間が運転していた。

どうやら下までは行かないが他の谷へ行くのでチェックポストまでなら行くという。「ただでいい?」と聞くとすかさず英語を話せる運転していた男が間に入ってきて「橋まで50Rsだ」とかぬかす。むかついたので「もう一泊するからいい」と今日はもうあきらめる事にした。何処の国でもそうなのだが、こういう車を持って商売をしている輩はけっこう悪どい事をしている。逆に悪どいから車が持てたのか。

宿に帰ると爺さんが「おや戻ってきたのかい?」と言う感じで迎えてくれた。爺さんがいうには、確実に下りるなら朝6時ごろのやつに乗らなければダメらしい。その他のは便が少ないのでふっかけられたりする事がおおいのだそうだ。明日は早起きしなければならない。

そんなわけで今日一日は本当に無駄に終わってしまった。まあテラスからの景色も悪くないしもう一泊するのもいいか。

夕方にカナダ人カップルがファイヤーをしたいと言い出した。宿の主人と薪の交渉をしているようだった。日が沈んでしばらく夕寝をしているとさっきのカナダ人が「いい感じでファイヤーを焚いているので良かったらおいで」と呼びに来てくれた。

行ってみると他の宿のイギリス人カップルや他にも数名が火を囲んで集まっていた。太鼓とギターの音を聞きながらゆらゆら揺れる炎をぼんやりと眺めていた。火の中には焼き芋やタマネギが仕込んであるらしい(笑)

しばらくすると爺さんが食事を持ってきてくれた。芝の上に座って揺れる炎と星空を交互に眺めながら食べる食事は最高だった。わいわい盛り上がるでもなくみんなで静かに言葉をかわしながら火を見つめていた。なんだかスタックしてガッカリと思っていたのだがなかなか素敵な夜だった。
 

 
おとぎの谷の水道
川から離れた家にも上流から水路を通って水が行き届く
 


5月27日 何もない町の一日(ブンブレッド〜チトラール)

昨日爺さんに言われたとおり5時40分に起きた。下に行って見ると爺さんはまだ寝ていたのだろうか?眠そうに目をこすりながら出てきてくれた。支払いも全部自己申告制で、昨日200Rsと多めに払っていたので残りはたったの85Rsだった。お金を払っていると上からジープが下りてきたのであわただしく別れて道路まで走っていった。
 

朝のジープはみないい感じで、一発で30Rsだった。たぶん地元の人は25とか言っていたのだが全然問題ない金額だ。さっそく荷台に乗り込む。しばらくは全くの一人で「こんなんで客集まるのか?」とか思っていたのだが余計な心配で、谷を下りるまでには荷台はすし詰め状態になっていた。

ジープは相変わらず飛び跳ねるが朝の風が気持ちいい。アユーンからの舗装路にさしかかると今までの鬱憤を晴らすかのように広い道路飛ばして行った。すし詰めで足と腰が限界に来たと思った頃見覚えのあるチトラールの村に到着した。入り口には日本の援助で出来たという立派な橋がかかっていた。

とりあえず宿は前に泊まった「AL FAROOQ」と言うところがシングル80Rsだったのでそこに直行した。シングルはフルらしいが、ダブルの部屋でも80Rsで良いらしい。マネージャーもいい人だしなかなか当たりの宿だ。荷物を下ろすとさっそく電池の充電と、日記書きと言うのが悲しいが、ともかく風呂もあって電気もある都会に戻ってきたのだ。

チトラールは良いところだが、カラッシュバレーへの基地という以外観光名所は何もない。せいぜい川沿いのモスクとフォートをぼんやり外から眺めるぐらいだ。そんなわけでしばらく宿でごろごろしてから食事をとりに出た。前から目を付けていた角にあるケバブ屋だ。

店の前で焼いているのを見ていると子供が手招きをする。ケバブは一本2Rs。チャパティーも2Rs。おなかいっぱい食べてもたったの12Rsとお得な上このケバブの味がまた最高だった。少々スパイスが利きすぎのような気をするが谷での生活が味のないダルばっかりだったので余計に嬉しい。食事のあとは前にも行った店でコーラ。店の人は覚えていてくれたようで「やあ、調子はどうだい?」と声をかけてくれる。なんだか二日いるだけなのに顔なじみみたいでうれしかった。

その後は唯一の見所のモスクとフォートのほうへ歩いていく。すれ違う人がみんな笑顔で挨拶してくれる。モスクの写真を撮ったり、フォートに沿って木陰道を歩いて川まで行ったりしてしばらく過ごした。本当に静かで平和な村だ。少し離れてモスクをみると遠くに雪山が見えてまるでおとぎの国のようだった。

明日はいよいよ下界に下りるというのでバスの下見も怠らなかった。乗り場に行ってみるとさっそく声がかかる。「明日の朝ペシャワールに行くんだ」と言うと「6時のがあるから今から予約しておいたほうがいい」と言う。名簿を見せてもらうともう既に半分以上が埋まっていた。バスといってもハイエース改の四人掛けなので上手く選ばないと地獄の9時間になってしまう。悩んでいると切符売りのおじさんが「試しに座って見ろよ」とドアを開けてくれた。

結局後ろの席は足下がすごく狭くしかも頭が天井の横に当たるのでパス。3列目の窓側をキープした。その辺にたむろってる連中は気さくで切符を買うと「明日六時なー」と見送ってくれた。そしてふらっと立ち寄ったチャイ屋でもいいオヤジに会うことができた。

子供とオヤジが笑顔で迎えてくれた。英語は全く駄目らしくて飲み終わってからお札を見せると恥ずかしそうに指を2本だして笑った。チャイととっておきの笑顔がたったの2Rsだ(笑)チャイ屋から出ると子供が「何してるんだ?中国人かい」と声をかけてくれる。「散歩してるんだ」と言うと「何でも僕に聞いてくれたら手助けするよ」と本当にみんな親切だった。

出会いはまだまだあって、夕方のモスクに行こうとするとまたまたチャイ屋でくつろいでいる爺さんから声がかかる。英語が堪能なのでしばしチャイを飲みながらいろいろと話したりした。「日本から来た」というと「日本はナイスな国だ」とうなずいていた。その後モスクへ行くので別れたのだが、モスクでぼーっとしているとアザーンが鳴って人々が集まってきた。

ばったりとさっきの爺さんに会ったのだが、なんでも中を案内してやるから着いてこいとの事だった。「イスラム教徒じゃないのにいいの?」と聞くと「大丈夫大丈夫」と中に招き入れてくれた。中にはたくさんの絨毯が敷いてあって夕方のお祈りに集まってきた人達が熱心に祈っていた。

祭壇の前の方には古びた本が積んであった。爺さんは「これがクアラン。私たちの神だ」と誇らしそうに言った。しかしモスクの中ではけっこうな注目を浴びてしまう。とはいうもの好奇心の対象のようで排他的な感じはしなかった。イスラム教徒といえば好戦的で排他的な雰囲気があるが、実際見てみるとヒンズー教の方がよっぽど排他的だった。
 
帰りにも店でコーラを飲んでいると、渡辺徹みたいないいガタイの主人が話しかけてきた。いきなり「ウイスキーは好きか?」と来た(笑)なんでも「これから友人達が近くの村まで酒を飲みに行くんだ」と店の前の車を指さした。飲酒運転やん、、っていうか君らイスラム教徒、、、やっぱり飲みたいものは飲みたいらしい(笑)

主人はそこそこ英語を話した。結構みんな酒は隠れて飲んでいるらしい。「良かったら明日うちでワインを飲ませてあげるよ」と誘ってくれたのだが「もうチケットを買ってるんだ」というと残念そうに握手をしてくれた。

宿に帰ってテラスでくつろいでると、アイルランド人とチェコ人が話しかけてくれた。何処へいったとか何処が良かったとかたわいもない話なのだが何となく気があって楽しかった。なんだか出会いがいっぱいの一日だった。これだから一人旅はやめられない(笑)

駆け足でも出会いはたくさんあるのだ。
 

 
町のモスク
おとぎの国のお城みたい
 

 

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