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パラグアイ編

(エンカルナシオン〜シウダーデルエステ)


3月16日 ずぶ濡れ大使館(ポサダス〜エンカルナシオン〜アスンシオン)

「バチバチバチッ」「ん、、?」目覚めると外は滝のような大雨だった。あっちゃー。夜は明けたばかりでまだまだ外は薄暗かった。バスは昨日よりもぐっと背が高くなった草原や森の中をどんどん走っていく。亜熱帯に入ったようだ。

バスはしばらくしてポサダスのターミナルに到着した。実はここポサダスにはブラジル大使館がある。そして最近ブラジルは日本の不法労働者取り締まりに逆切れして、なんと日本人へのビザの発給をかなり厳しくているらしい。隣接国でも航空券の提示を求められたり、白人に発給される3ヶ月ビザが日本人にのみ1ヶ月しかでなかったりとか。

そしてブエノスは旅行会社と結託しているのか、旅行会社にお金を払えば1日で発給されるはずのビザが、自分で行くとさんざんな対応をされた上に、3日とか4日とか待たされるらしい。しかも大使館に「○○旅行社にいくら払えば1日で可」とかいう張り紙が張られている始末だ。

ここポサダスは穴場らしいので、最初はここで申請しようかと思ったのだが、ターミナルがセントロから遠い上に、この滝のような雨だ。仕方が無いので僕は、対岸パラグアイのエンカルナシオンにやはりあるというブラジル領事館に望みをかけることにした。

国境越えの国際バスはタダの路線バスで、乗客も大半が通勤客で現地人はみんな素通りできるようだ。だから国境では置いていかれて後続のバスを拾わないといけないと思っていたのだが、幸運にも何人か地元民でもスタンプをもらわないといけない人がいて、自分も一緒に出入国をして同じバスでエンカルナシオンまで行くことができた。

国境の橋を渡ると一気に風景が変わる。川一本隔てて対岸には大きなビルが建ち並んでいる。まるでラオスの首都ビエンチャンそのままだ。ターミナルに着くといきなりいろんな売り込みが来るところも、これまでの南米先進国チリ、アルゼンチンとは明らかに様子が違う。

とにかく当たって砕けろで何とバスターミナル正面にあるという便利なブラジル領事館へ向かう。こんな格好で入ったら怒られるかな?とずぶぬれの上着とリュックを玄関に降ろしておそるおそる入る。ポルトガル語なんて分からないのでとりあえず「ワタシ、ホシイ ビザね。今日ビザ出来るアルか?」あやしげなスペイン語で訪ねてみるとおとなしそうな係員は「メイビー」と言った。すごいよ!あんた英語できるんじゃん!でもMaybeは無いだろうコラ!

とりあえず即日出来て申請料は20,000グラニー(約$54)条件としてはこの辺りで最高だろう。さすが田舎。さっそくお金をゲットするために街をさまようのだが、これまでの先進国のようにその辺にATMが、という訳にはいかず、あちこちずぶ濡れになってさまよってやっとのことでお金を手に入れて申請した。ビザは1時間半後に出来るという。

ターミナルで待っていると何かとウザイので、近くの薬局のアーケードの下に何故か置いてある長椅子に座って時間をつぶした。パラグアイは移民の国でここには50以上の国からの移民がやってきたらしい。隣に座っていた男も白に近い金髪で、たぶん北欧辺りからやってきたのだろう。待ちくたびれるとおなかが空いてきたので何となく地元の食堂に入って見たら驚いた!

外にはただ、LOS ANDESとしか書かれてないその店の中には日本の提灯が飾ってあって、なんと日本語のメニューもある。どうやらここは日系移民の人が経営しているようだった。それにしても外には日本のにの字もない。さっそくうどんを頼むとおじいさんが麺を打って時間をかけて作ってくれた。目玉焼きやレタスが入っているのはどうか?とは思ったのだがほんのりショウガが効いていて、しかも一緒に出てきたシソの漬け物が最高だった。

冷え切った体が暖まった所でそのまま領事館に向かうとすぐにビザを受け取ることが出来た。申請通り3ヶ月だ。これでいつでもブラジルへ行ける。

雨の方は留まることをしらずに延々降り続く。街の道路はあちこちで川のようになっている。本当はこの近くのトリニダー遺跡や日本人コロニアのピラポなんかへ行ってみたかったのだが、この雨じゃどうにもならないので一気にアスンシオンまでコマを進めることにした。

ターミナルの客引きに「アスンシオンか?」と聞かれて、あれよあれよという間にチケットを買って乗り場に案内されたのだが、どうやら客引きは引き継ぐときに間違えたらしく、僕はいつまでたってもアスンシオン行きがこないぞ?!と思っていたら、チケットを見た係員が「おい、なにしてんだ、お前のバス入ってしまったぞ!」というそんな馬鹿な。「さっき出たのはシウダーデルエステ行きだろう」と問答しているうちにさっきの客引きが来た。「お前アスンシオンへ行くのか?」というので「そうだ」と答えると「あっちゃー」というような顔をして慌てて別のオフィスへ走っていった。

結局僕は一円も払うことなく別のアスンシオン行きのバスに乗れた。でもよく考えてみると先進国では当たり前のような事だがこのレベルの経済力の国では画期的な出来事のような気がする。アフリカだと「おまえのせいだ」と言われてチケットを買い直しさせられるだろう。

ともかくバスは出発して、順調に走り続けた。滝のように降る雨が熱帯の風景をさらに盛り上げた。途中車内ではアメリカで作られたと思われるヤクザ映画をやっていて、つまらんなあと思いつつも結局最後まで見てしまった。

アスンシオンは思ったよりも小さくて大きな街だった。建物一つ一つは平屋とか2階建てなのだが、そんなのが広域にわたって散らばっているものだから、街の入り口からターミナルまで30分ぐらい。そしてターミナルからセントロまでも20分以上かかった。なんだかよく考えてみるとガーナのアクラに少し似ているかもしれない。

セントロに着くともう日も暮れかかっていたので、僕は旅で会った人に推薦されたホテル内山田という宿に向かった。ここは安宿ではなく立派なホテルなのだが、そこはパラグアイの物価なので$15で完全和食の朝食食べ放題と、無料インターネット使い放題という特典がついている。

部屋に入るとテレビこそ無いものの綺麗にベッドメーキングされているし、何とバスタブまで着いている。$15というのはバックパッカーには結構な金額だが、ここはなかなかナイスな使いどころだった。特に今日はもう心身共に疲れまくっていた自分には最高のプレゼントだった。

雨上がりの景色
こんな草原が延々何百キロも続く。


3月17日 街はお祭り気分(アスンシオン)

やっぱり朝の食卓はこうでなくちゃ!当たり前のように白米をご飯によそって、焼き魚にみそ汁。そして卵に醤油をかけて溶いてご飯のうえにかける。ばりっとした味付け海苔で頂く至福の時間だった。アルゼンチンならこの食事だけで$10は堅いだろう。満腹になった後は無料インターネットでメールをチェックしてからお散歩。

パラグアイは暑い。ま、まだ3月だから暑いのは仕方ないんだけど湿度がものすごい。外でジュースなんかを買うとあっという間に缶の周りが水びたしになってぼとぼとと水が道路へと落ちていく。もう飽和寸前の蒸し暑さだ。

天気の方は昨日と打って変わって良く晴れた。だからなおさら水蒸気で蒸し暑い。もう汗をかくのを嫌がるのはやめよう。そう開き直ると街歩きも楽しい。汗を吹き出しながら英雄広場という所まで来ると何やらパラグアイの旗をもった集団にであった。太鼓を叩いて、車一台にアンプを乗せて大音響で音楽をかけている。横断幕を持っているのでどうやら何かのデモらしいのだが、みんなとても楽しそうでまるでお祭りだ。

デモの行列の中には、コーラ売りやお土産物売りなんかが紛れていて、デモをしながらコーラを飲んでいる人もちらほら。大きな国旗をマントのように体に巻き付けて陽気にはしゃぐおじさんなんかをみているとこっちまで嬉しくなってくる。みんな自分の国が好きなんだなと思う。

パラグアイはこの辺の国なのかではド田舎なのらしい。だから大きなデパートとかは少ないのだが、小さなアーケードにたくさんの日本製の電気製品を売っている店がある。中でも驚いたのがPlaystation2の鉄拳のデモ。プレステ2はダカールのまぐろ調査船に乗せてもらったときに見ていたのだが、ここまですごいとは。まるで映画でも見ているかのようななめらかな動きだった。ああ、何年も外国にいる間に日本の進歩はめざましいようだ。

街を散歩していても、アスンシオンは田舎の雰囲気が漂っている。まるで10年後のラオスといった感じだ。大聖堂のまわりにはたくさんの野菜の露店が並んでいて、公園の木陰ではたくさんのテーブルを並べてチェス大会が行われている。見るものはまったくないのだが、久しぶりのアジアっぽい雑然さに少し嬉しくなってしまった。

歩き疲れて昼寝をしていると大きな音で目が覚めた。雷だ。窓を開けるとまたまた外は大雨。ひょっとして今って雨期なのだろうか?とりあえず明日この快適な宿を離れて久しぶりの観光地イグアスの滝へ行こうと思う。

デモもお祭り気分


3月18日 友情橋(アスンシオン〜シウダーデルエステ〜フォスドイグアス)

今日も満足の朝御飯だ。まさに「あさごはん」という響きがぴったりで、あつあつご飯に玉子かけ。しかもフルーツやオレンジジュースまであって至れり尽くせり。もし市内に見所があったら何連泊もしてしまいそうだ。昼飯の分も一気に食いだめしてからテルミナールに行くといままさに発車しようというバスがあったのでチケットを買って乗り込んだ。

そと見えは良さそうなバスだったのだが内装はボロボロ。そして吹き出し口はあるのだが勿論冷房は聞かない。まあ値段が安いし、バスのクオリティなんてアフリカに比べると格段にいいのだが、安いバスの困った所はいちいち街で客集めをするためにダラダラ歩くぐらいのスピードで走ることだ。これは貧しい国共通なのだが、エンカルナシオンからのバスがあまりにも快適だったので最初はちょっとイライラしてしまった。

途中日本人入植地のイグアス市という所を通って3時頃にシウダーデルエステの町外れのテルミナールに到着した。そして外に出るといきなり雨が降り出し、やがてそれは結構な勢いとなった。最初はセントロまで行ってからバスに乗ろうかと思って雨宿りしていると、ブラジル側のフォスドイグアスへ行くというバスがたまたまやってきたのでこれで一気に国境まで行くことにした。

というのもこの国境は普通の人は外国人も含めてノーチェック・フリーパスの国境なので、入出国スタンプが必用な人はいちいちバス降りて、またお金を払って次に来るバスをつかまえないといけない。橋のような物が見えたので「フロンテーラ!」と騒いでいると、少しパラグアイ側国境をオーバーした所で降ろされた。歩いて戻って出国審査。そしてお金がもったいないので川向こうのブラジル側国境まで1キロ程を歩く。歩いての国境越えなんて西アフリカ以来だったので少し嬉しかった。橋のど真ん中で欄干の色が変わるので久しぶりに「来たねー」と言ってみた。

ブラジル側も手続きする人がほとんどいないので自分で事務所を探して手続きしていると、金色の髪の毛の日本人がやってきてスペイン語で職員に「パラグアイ側の国境はどこ?」と聞いていたので「通り過ぎちゃいましたね。橋の向こうですよ」と教えて挙げるとショックを受けながらまた橋をとぼとぼと歩いて戻っていった。僕はというと後続のバスをつかまえて「金髪くん」に教えてもらったというユースホステルにチェックインした。朝食付きで10へアル。約600円という所だ。

しばらくしてからそういえばブラジルのお金を持ってない事を思い出してさっそくATMを探しに外に出たのだが、僕はここで完全にはまってしまった。町中には山ほど銀行があるのだが、信じられないことにどの銀行も世界標準のCirrus(Master)やPlus(Visa)のカードを受け付けないのだ。1時間以上さまよい歩いたあと、Banco do Brasilというどうやらブラジルナンバーワンと思われる銀行があったので入って見ると、十数台あるATMのうちの2台だけがなんとか国際カードに対応しているようで、やっとのことで現金を手に入れた。

宿に帰っても朝からハードに移動しているでもうふらふらだったのでそのまますぐに寝てしまった。

雨に打たれながら渡った国境の「友好橋」


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