このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
ポーランド収容所編
(クラコフ〜ワルシャワ)
 


8月9日 収容所(クラコフ〜オシフェンチム〜クラコフ)

列車はまだ夜が明けたばかりのクラコフに到着した。もう少しゆっくり寝たいのだが着いてしまった物は仕方ない。ここでは結構インフォメーションで地図とか貰えると聞いていたのだが、そんなものは無く、あったのはホテルの紹介所ぐらいだった。

列車の同じコンパートメントに日本人のおじさんが居て「一緒に宿探しをしよう」と言うことになった。まだ朝も早いのでとりあえずトラムに乗ってユースへ向かってみようという事になったのだが、ここで驚き。トラムが80円近くもするのだ。こんなに高い所は初めてだ。ポーランド何かイヤな予感がする。

そしてやっとたどり着いた修道院の中にあるユースは閉鎖されて別の場所に移ったらしい。教会で住所は聞き出したのだが、インフォが"使えない"のでどうやって行ったらいいか分からない。自分の抱えている宿以外の事は教えてくれないのだ。

仕方なく駅にカウンターを作って客引きをしている「ストロベリーユースホステル」という市営のホステルの話を聞くことにしたのだが、値段が一気に倍の$10ほどになってしまう。おじさんは疲れたらしく「ここにしようよー」としきりに言う。なんでも二人部屋でもドミトリーの値段でいいそうなのだ。さすがもともと高いだけの事はある。

迷った物の、今からあの高いトラムを乗り継いでユースに行く苦労を考えると一泊だけと割り切って妥協することにした。今すぐ荷物を預かってくれるというのも大きかった。そんなわけで2時間ほど無駄にしてしまったが荷物を預けてそのまま8時半のバスでポーランド最大の見所「アウシュビッツ収容所」のあるオシフェンチムへ向かう事にした。

バスは郊外の丘を登ったり下ったりしながら進んでいく。煉瓦づくりの建物が増えてきて今までと少し違った景色がうれしい。そしてそれは郊外の農地に囲まれた所にぽつんとあった。収容所前でバスを降りるといきなり鉄条網と鉄骨で出来た十字架が教会の屋根の上に取り付けられている「きてるなー」と言うのが最初の一言だった。

そして進んでいくとすぐに博物館があった。入場料はもちろん無料。きっと世界中のユダヤ人からの寄付でまかなっているのだろう。とりあえず最初に博物館をずらっと回ることにしてみた。

通常この手の博物館は被害者寄りになっている事が多く、被害も多めに語られがちである。事実当初ここで亡くなった人の数は800万とも言われていたのだが調べているうちに150〜180万人というのが現実的な数字として今日語られている。そして、ここはユダヤ人収容所のように言われているが、実際にはソ連兵、ジプシー、反政府政治犯、一般犯罪者、同性愛者などの刑務所で、ユダヤ人の数は過半数に少し足りないぐらいらしい。

ともあれ多くのユダヤ人がここで過労や病気、そして有る者はガス室で処刑された事が事実であり、そのことが証拠痕跡を交えて淡々と展示してあるのがかえって強烈な印象を与える。

展示内容は、写真から始まって、無数の焼けた眼鏡、靴、カバン、ブラシ、鍋などとにかくものすごい分量なのだが、ここに連れてこられたときに持ち込まれた者らしい。展示の後半はアートっぽいものとか、各国の展示などが占めていて、さらっと流せるような内容だった。収容所全体は、当時の様子はとても想像できないほど、緑に覆われたのどかなものだった。

そして次に訪れたのが、アウシュビッツⅡと呼ばれるビルケナウ収容所だ。ここはとにかくすごかった。何が凄いかというと規模が圧倒的にでかいのだ。おそらくアウシュビッツの8倍ぐらいは有るんじゃないかと思うほどだ。ちなみにここはよくナチスの虐殺を扱った映画で登場する、列車の線路がゲートをくぐって収容所の中まで続いているシーンがあるのだが、それがまさにこのビルケナウ収容所なのだ。

ここには二つの破壊されたガス室の後と、あとは当時の無数の建物の残骸が残っている。収容所にもやはり暖房設備はあったらしく、一棟に二つの暖炉がついているのだが、その煉瓦づくりの暖炉煙突だけが緑の野原の中に無数居残っているのだ。アウシュビッツが博物館という性格なのに対して、こっちは正に収容所そのもので、僕にとってはこっちの方が印象深かった。

なんだかんだで結局アウシュビッツに丸一日使ってしまって宿に帰ったときにはすっかり疲れ果てて、日記を書くことも無くたっぷり8時間眠り込んでしまった。
 

 
地獄への入り口
ビルケナウ収容所
 


8月10日 高速移動(クラコフ〜ワルシャワ〜ヴィルニウス)
 
何だか移動ばっかりで落ち着く暇もないのだが、インターレールパスの開始日も迫っているのでさっさと次へ行く。元々ポーランドには思い入れも無かったのでアウシュビッツさえ見れれば上出来だろう。

今日の移動は楽勝だと思っていたのだがまずチケット購入でやられた。ただでさえポーランドの物価は狂ってると思っていたのだが、今日は格別だった。たった300キロ離れたワルシャワまで乗車券だけで$15以上もしてしまうのだ。他の東欧諸国なら$5が良いところだろう。おまけに特急料金まで取られて踏んだり蹴ったりだ。本当によく地元民がこんな値段を払えるもんだと不思議に思う。

ともかくチケットを手に入れてホームに行ったのはいいのだが、今度はダイヤがかなり乱れてるみたいで、出発時間が来ても到着ホームさえ決まらないありさまだった。本当に来るのかと不安になった頃に30分ほど遅れて列車がやって来た。今日の列車も特急とはいうものの質素な車両だった。ただこの区間はかなり力が入っているらしく線路の品質がかなり高いのだ。そのせいか列車がどんどんスピードを上げ、130キロ〜150キロぐらいで快調に飛ばしていく。揺れもほとんど感じないほどだ。結局3時間丁度で100キロを走り抜けたので平均時速100キロという事になる。これはあっぱれだ。

チケットはワルシャワ中央駅まで買ったのだが、ふと見ると大きなバスターミナルが見えてきた。何となく本能的に「ここだろう」と思い一つ手前の駅で降りてターミナルに直行したら見事にビンゴだった。片言の英語を話すインフォメーションにいって聞いてみると、ヴィルニウス行きが夜の7時半に有るという。さっそくチケットを買って荷物を預けた。ただポーランド語ではヴィルニウスの事を「ヴィルノ」と言うらしくちょっと不安だったのだが確認すると間違い無いというので信じる事にした。

ワルシャワの街はほぼ徒歩で回った。途中郵便局に寄って、以前ホロコーストにはまっていた人にアウシュビッツの絵はがきを送った。喜んでくれると良いのだが。

街をどんどん歩いていくとやがて旧市街にたどり着いた。ワルシャワ自体は一度破壊されているので単一的な旧ソ連っぽい街並みのようんおだが、この旧市街は城壁に囲まれていて、これまで訪れた旧市街の中でも結構上位にランクされるほどだった。ワルシャワと美しい旧市街。何だか失礼だが意外な感じだった。

街も駅前や駅の地下街に変なのがいる以外は、言われているほど危険は感じなかった。まあ5時間ほどの滞在なので何とも言えないのだが。

やがて時間がやってきので路線バスでバスターミナルへ。軽く腹ごしらえをしてから荷物を受け取って乗り場へ。今日のバスはどうやら、ポーランドの会社の様でバスもハンガリー製かどこかのようだ。ただバス自体は椅子の間隔もひろくてそこそこだった。バスは程なく満員になり、定刻通りリトアニアの首都ヴィルニウスへ向けて出発した。

道路はきわめて快調で、途中までは片側2車線の高速道路のようだった。路肩も充分取ってあって、道沿いには深夜でも灯りのともったBPのガソリンスタンドやモーテルが見える。これだけ見るとまるで西側先進国のようだ。途中休憩で寄ったカフェも日本でも珍しいほど綺麗な建物だった。

日が暮れると月明かりに浮かぶ街路樹と星だけしか見えなくなって、そんなのをぼーっと見ている間にいつの間にか眠りについていたようだ。次に起きると国境で、僕は一度パスポートを持って行かれたものの、あっけなく新たに2つのスタンプをもらって国境を後にした。深夜の国境事務所の空気は引き締まるほど冷たかった。
 

 
ワルシャワの旧市街
 

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