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ポルトガル編
(ヴィラ・レアル・デ・サンアントニオ〜リスボン)
 
 


9月25日 バスに揺られて(セビーリャ〜アヤモンテ〜ビラ・リアル・デ・サントアントニオ〜ファロ〜ラゴス)

僕はわずか数百メートル程の川を船に揺られていた。しかもすぐ上流には橋が架かっているというのに。

朝セビーリャで僕を乗せたバスは2時間半ほどで海沿いの国境の町アヤモンテに到着した。僕はてっきりバスターミナルは港の近くにあって、行き交う船で賑わっていると思いこんでいたのだが、僕が着いたのは意外にも町外れの小さなターミナルだった。

それもそのはず、今ではすぐ1キロほど上流に橋がかかっていて、こんな所をフェリーで渡るのは歩行者かそれともよっぽど暇な人しかいないのだ。僕は最初この川は交通の要衝になっていて、橋が架けられないのだと思っただのだが、どうやらそれはきっと間違いで、あまりにも寂れた田舎なので、最近まで橋を架ける必用が無かったのだ。事実この両国を流れる川の両岸はどこまでものどかっだった。

そんなわけで僕は約1キロ程あるいて港にたどり着いた。港にはラグビーボールのようなずんぐりとした丸っこい船が停まっていて、寂れた桟橋を渡って乗り込むと10分ほどしてから僕たち歩行者と、暇人の車3台を乗せて向こう岸へと出発した。

木で出来た甲板に座って風に当たっていると船のスピーカーから時代遅れのアメリカンポップスが流れてくる。そして10分足らずののどかな航海を終えて僕はユーラシア最後の国ポルトガルへとたどり着いた。古いゲートだけが昔のイミグレーションが有ったことを感じさせる。当然パスポートコントロールはおろか港には両替所すらなくて、僕はATMを探して町中をさまよわなければならなかった。

ATMは田舎なので通信状態が悪いのか、何度かトライしてやっとお金を引き出すことができた。そして次にバスターミナルを探さなくてはいけない。町の案内地図をすみからすみまで見回したのだがそれらしい場所は見あたらず、結局フェリー乗り場の前の市バスのバス停だと思っていた所がそうだったようだ。

窓口の表示を見ると15分後にファロ行きのバスがあった。僕はバスに乗り込むと久しぶりの感覚にうれしくなってしまった。これまでもスペインや北欧でバスを使ったのだが、どれもあまり生活感の無いバスだったのだが、今日のはまさに沿線の生活を支えているバスだった。この小さな町を出るまでにもあちこちのバス停で停まって学校帰りの生徒やら買い物のおばちゃんやらをどんどん乗せていく。

ここからファロまでは40キロほどあるのだが、このバスはこの中距離と沿線の各町の市バスを兼ねている様な感じだった。基本は幹線道路を走っているのだが町にさしかかるといちいち道をそれて町をぐるりと回っていく。こんな寄り道は大歓迎だ。

そんな寄り道を繰り返しながらバスは1時間半ほどでファロの町に到着した。ファロは海沿いの町で、この辺りで一番大きな町らしくて市内に入るのも出るのも結構な時間がかかった。町の中心は海に面した港になっていて、たくさんの小さなボートが停まっていた。

ここでも早速時間を調べてみるといい感じで30分後にラゴス行きのバスがある。僕は行き当たりばったりながら実に上手くここまで来ている。セビーリャで見つけたダイレクトの高速バスの会社に向かって「ざまーみろ」と言ってやりたい気分だった。このバスはちょっと車両が長距離バスっぽかったが、それでもやはり小さな町に寄って遠回りをしながら少しずつ進んでいった。

最初バスは結構な賑わいだったのだが、途中のリゾート地のような所で約半数が降りてしまって、さらにその次のラゴアでほとんどの乗客が降りて、車内に残ったのは僕を含めて3人だけだった。そして残りの二人も知らない間に降りたようで、バスは運転手と僕一人だけを乗せてラゴスの小さなバスターミナルに到着した。

降りてまずここからのバスの時間をチェックした。行き先は当然サグレスだ。今日今からでもサグレスまで行けるのだが、さすがにここで一泊することにした。まだ何となく心の準備が出来ていないような気がしたからだ。僕は略地図をたよりにユースホテルにたどり着いて荷物を降ろすといつものようにふらふらと町を散歩する事にした。

ここラゴスはバリバリのリゾート地だ。リゾートと言ってもそんなに海が綺麗な訳ではない。要はこの季節まだまだ泳げるのがウリなのだろう。観光客もスペインに居たときはほとんどがスペイン人だったのに、ここでは英語を話す人が大半できっとイギリスから格安航空券でとんできたのだろう。

夕暮れのビーチで少したたずんで、相変わらずこれまでの旅について考えていた。ここからまっすぐあの夕日に向かって進めば、ゴールのサグレス、サン・ビセンテ岬。路線バスに乗ればたったの45分の距離だ。ビーチを後にして既に薄暗くなった旧市街を歩いているとギターの弾き語りが聞こえてくる、「カントリーロード」

目指すゴールが目の前にあるのと同時に、振り返ればそこには今までたどってきた道がある。遠いふるさとまで続いている一本の道。そう、見なれた玄関のドアを閉めてから今日で丁度365日。日本を出たのは一年前の9月28日なのだが、実際に僕が家を出たのは丁度一年前の9月26日。つまり明日なのだ。

いよいよ明日僕のユーラシア横断の旅が終わる。
 

 
国境を渡るフェリー
 


9月26日 果ての岬(ラゴス〜サグレス)

たった僕一人のためにバスは果ての岬をめざす。少し前までは海の反対側に丘や山があったのに今はそれすらない。ここはもう果ての岬なのだ。そして目の前にゴールがある。僕がこの旅に出ると決めたときからのあこがれのユーラシアの果てサン・ビセンテ岬があるのだ。

昨日は夜遅くまで同室のノルウェー人とポルトワインを飲んでいたにも関わらず9時にはすっかり目が覚めて、そして朝食を取ってからあっという間に荷造りをしてバスターミナルを目指した。なんだか僕はドキドキしていたのだ。

そしてバスターミナルからいよいよサグレス行きのバスに乗った。バスは日帰りに観光客でごった返していたが、一応全員何とか座ることが出来た。ラゴスからサグレスまでは思っていたよりも距離があって、小さな町をいくつか通り抜けて1時間ほどで到着した。

このバスはユーラシアの果て、サン・ビセンテ岬まで行くバスだったのだが、僕はとりあえず今夜の宿を探すためにサグレスの中心部でバスを降りた。というのも僕は日帰りではなく、何としてもこの最果ての町サグレスで一泊したかったのだ。

中心部といっても、ロータリーとツーリストインフォがあるぐらいで何もない。そして目の前が崖になっていて大西洋が広がっている。さてどうした物かと思っているといきなりおばさんに「部屋探してるの?」と声をかけられた。お、来たな!久しぶりの交渉だ!と少し気合いを入れながら値段を聞くと、たったの2000エスクードで良いという。日本円で900円ほどだ。とりあえず部屋を見せてもらうために着いていく事になった。

このおばさんは、ルーマニアで会ったマリアの様にビジネスライクでは無く、何となく趣味でやってるっぽくて柔らかい感じがした。そして僕はちょっと古いけどテラスのあるなかなかいい感じの家に案内された。まだ前の人がいるという事なので、荷物を置いてとりあえずサグレスをぐるっと一回りしてみることにした。

最初に向かったのは町の南にある着きだした岬にある砦で、ここは遠い昔、エンリケ航海王子が航海学校を設立した場所らしく、ここで航海を学んだ若者達が世界中へと富を求めて旅立って行ったのだそうだ。砦は入場料がいるのだが、中に入って見たらほとんど何の展示も無くて、岬の先まで歩いていける程度のものだった。
 

 
サグレスの砦
内側から。
 
 
もっと航海学校の事についていろんな展示が有るのかと思ってすこしガッカリだったのだが、岬の先の方に歩いていくと遠くに本当の果てサン・ビセンテ岬が見えた。ついに来たんだ。

僕は砦の先にある岬でしばらくぼーっと考え事をした後、おなかも空いてきたので近くのスーパーで食材を買って宿に戻った。しかし宿に帰ってみると、今日チェックアウトするはずの人が戻ってこないとかいう話で、かわりに友達の宿に泊まれるように手配したから3時に迎えに来るとの事だった。

大丈夫なんかな?と思ったのだが、迎えは3時少し過ぎに来て、僕は別のおばちゃんに連れられて少し離れたアパートの一室に案内された。こちらの部屋も素晴らしくて、ほぼ新築のツインルームでキッチンやバスルームもぴかぴかに磨き上げられていて「なんでこんな所に900円で泊まれるのだ?」と驚いてしまった。

もちろんトップシーズンはもっとするのだろうが、これならラゴスに泊まる必用なんてなかったかもしれない。最高の宿をゲットした僕は軽く食事をとっていよいよ果ての岬を目指すことにした。

ここから岬は6キロ程。バスが有るのだが帰りの最終が夕方5時で終わりなのだ。僕は何としても地の果てに沈む夕日を見たかったので、最悪6キロを歩く覚悟をした。まあ今日は特別な日なので6キロぐらいなんて事は無い。行きは幸い良い時間にバスがあったのでそれに乗っていくことにした。

やって来たバスには見事に誰も乗っていなかった。全員サグレスの町中で降りてしまったようで、バスは僕一人だけを乗せて、ごつごつした岩場の中を通る道を走って岬を目指す。やがて両側に海が見えてまもなくバスは岬の灯台の前で停まった。

そして9月26日午後4時32分。バスを降りた僕のユーラシアを横断の旅は無事終了したのだ。かなりこみ上げてくる物があったが、それが終わると不思議な安堵感につつまれていた。灯台の敷地を通って本当の先っぽまで行ったあと、辺りを当てもなくうろうろと歩き回った。

岬は海に突きだしているので、本当に回りが全部海だ。全部が高さ50mぐらいの断崖になっていて、岬から海岸線や大陸側を見ると「本当に世界の果てに来たんだ!」と実感が沸いてくると同時に、何だかひとりぼっちになってような気がして少し寂しくなってしまった。そんな事もあってか、ついつい写真を撮ってもらったついでにカナダ人のおばさん達に、今日1年間かかってユーラシアを横断したことを話したのだが、おばさん達は驚きと同時に「すごいわ、素晴らしいわ! 今度はアメリカ大陸を横断なさい」と僕の旅を祝福してくれた。そうだ、僕には僕の旅を応援してくれるたくさんの人がいるのだ。

歩き回ったりその場にすわったりを繰り返しているうちに3時間程の時間が経過した。日は既に傾き灯台や海や空、全てを金色に染めている。金色に光る海の上をカモメがただ羽を広げて風に乗って通り過ぎていく。すぐ後ろ見ると海岸の崖で吹き上げられた空気が雲に変わって僕のすぐ頭の上を通り過ぎていく。手を伸ばせば本当につかめそうだ。
 

 
全てを金色に照らす太陽 
 
 
そしてやがて夕日は灯台や岬や海。そして僕を真っ赤に染めてから水平線と雲の狭間に音もなく消えていった。僕はその瞬間断崖の上をサグレスまで続く道に沿って歩き出した。何台かの車が僕を追い越していったあと、僕は「いっちょやりますか?」と誰にというわけでもなくつぶやくと親指を立ててヒッチハイクを始めた。そして何と幸運にも一台目の車が僕をサグレスの町まで連れて帰ってくれた。やはりまだ僕の旅は続くのだろうか?

僕はもう一度だけ車の中で後ろを振り返った。
 

 
夕日、そして果ての岬
 


9月27日 そしてリスボン(サグレス〜ラゴス〜リスボン)

今朝も僕は早起きだった。今日は午前中にはもうここを発つので、長い間あこがれだった地をもう一度目に焼き付けておきたかったのだ。7時に起きるとまだ日は昇って無くて、回りは薄暗いままだった。そして僕はホテルがあるもう一つの岬へ行ってみる事にした。

岬はやはりごつごつとした岩場で、海沿い特有の背の低い小さな木が生えている程度だった。岬の半分程の所にさしかかったとき、丁度日が昇って回りが一気に明るくなった。この岬は特にどうというわけじゃないんだけど、向こうにエンリケ王子の岬と、地の果ての灯台が見えた。

一度宿に戻って朝食を取った僕は次に同じ宿のフランス人お薦めの漁港に行ってみることにした。漁港では何人かの老人が井戸端会議に花をさかせていた。そして水揚げされた魚を求めてたくさんの海鳥が乱舞していた。

「サグレスに何があるか?」と聞かれたらおそらく何もないのだろう。ただここは岬にいても、町を歩いていても、常に「最果て」という事を感じ続けられる場所だと思う。僕は町の中心を歩いている時もスーパーで買い物をしているときも、そしてもちろん海を見ている時も幸福感でつつまれていた。

そしてやがて時間が来て僕はサグレスを後にした。来たときの様にとりあえずラゴスまで行ってそこからリスボン行きのバスに乗り換える。バスはリスボン行きという事だったのだが、何だか途中のインターの様な所で降ろされて別のバスに乗り換える事になった。

今日のバスは少し退屈だったせいか、結構うとうとしている事が多かった。5時間程かけてリスボンへ到着する訳なのだが、町の入り口はなかなか感動的な風景だった。川があるのだ。川と言うよりも巨大な湾と言った方がいいのかもしれない。そして川には巨大な橋が2つ架かっていた。一つはまるでいつか本で見た、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのようだった。

やがてバスターミナルでバスを降りると僕は町中にあるというユースホステルを目指した。僕はあらかじめラゴスから電話かけてみたのだが、その時の返事は「今日はフルだ」との事だった。しかしこんな観光地でもない都会のYHそんな時間にフルなはずはなく、僕は直感的に嘘だとわかったのだ。

きっと無断でキャンセルする人がいるから電話での予約は受付ないという事なのだろうが、それなら嘘なんかつかずに「電話での予約は断っている」と言ってくれればいいのに。今考えれば、イタリアのルッカのYHも案外同じような事だったのかもしれない。

僕の予想通り、夕方に到着したにも関わらずYHにはまだまだ空きがあったようだ。とりあえず僕は2泊分の宿代を払ってベッドで横になった。明日から新しい行き先を探さなくては。上手く見つかるといいんだけど。



9月28日 リスボンは雨(リスボン)

今日は着いていきなりなのだが旅行会社に行ってみる事にした。ちょっと気が早い気もするのだが、やはり一番時間のかかることから開始しなければいけないのだ。代理店は世界中にある学生旅行者御用達の「USIT」という会社で、値段表をもらおうとしたのだが、どうやらそう言うのは無いらしく、一つずつ聞いてバルセロナでもらったチラシの端っこにメモっていく。

結構な数を調べてもらったのだが、受付のお兄さんは嫌な顔一つせずに黙々と端末を叩いてくれた。そしてここリスボンは意外と航空券が安いのだ。もちろん学生割引が効いているのかもしれないが、少なくとも「26歳以上」と言ってあるので、これは一番安いとされるユース割引ではないのだ。

主なところだと、ニューヨーク往復が39600エスクード。たった1万9千円ほどだ。これは驚き。あとはイスタンブール32400エスクード(以下片道)、サンパウロ53300エスクード。アビジャン34000エスクード。そして日本までは67000エスクードだった。

もう心はだいぶ帰国へと傾いていたのだが、こんな値段で世界のどこへでもとんでいけるのなら、もう少し旅を続けても良いかもしれない。とりあえずこの件はゆっくり考える事にして、一度宿に戻ると大雨になってしまった。せっかく観光しようと思っていたのにこれじゃどこにも行けやしないや。宿に居ようにも、ここはロックアウトが10時30分から18時ととてつもなく長く、かといってロビーの様な場所も狭苦しくてくつろげない。これは明日朝いちで宿を移るしかないだろう。

とりあえず天気の事は仕方が無いので、近所に昼食を食べに行ったあと、ふと見つけたポルトガルテレコムの大きなビルに入って見るとインターネットカフェがあったので、メールの送受信の為に立ち寄った。一時間400エスクードはなかなか西側の中では安い方にはいると思う。そしてさすがテレコム直営だけあってスピードは速いし、フロッピーもつかえるしで、一瞬で更新作業とメールの受信が終わったので、久しぶりにいろんなホームページを見て回った。

雨の方は全然降り止む気配も無かったので僕は英語の本を扱っている本屋を探すことにした。何せ僕はどこへ飛ぼうにもその国にビザが必用かどうかさえ知らないのだ。イスタンブールのガラタホステルでもアフリカや南米の話題が上がっていたんだけど、その時は目先のヨーロッパの事しか考えていなくて全く話を覚えていなかったのだ。

とりあえず大きな本屋で片っ端からロンリープラネットをチェックする。ビザをあらかじめ取らなくては行けないのが、ブラジル、コートジボアール。他の国はどうやらビザ無しか空港で取れるようだ。建前上往復チケットを要求している国もあるので油断は出来ないがそれはその時に考えるしか無いだろう。

ともかく今日一日は雨の中そんな雑務に追われて過ぎていった。



9月29日 いい宿と最西端(リスボン〜カスカイス〜リスボン)

今日は朝から宿をうつった。とは言ってもやはり一人だとここリスボンでも宿代はかなり高くつくので移った先もユースだ。ここリスボンには二つのユースがあって、片方は市内、そしてもう一つは市内から10キロほどの海沿いの別荘地にある。ここはなかなか人気のユースらしいので一応前のユースで予約をしていったのだが、着いてみると結構ガラガラで予約料300エスクードは無駄だったようだ。

そしてユースに着いた瞬間何だかうれしくなってしまった。本当にユースの敷地が海に面しているのだ。建物も綺麗だし広いラウンジもある。そして何よりも受付のお姉さんが親切でアジア人は一人しかいないからなのか、すぐに僕の事を覚えてくれて、お金を払うときも、カギをもらうときもいちいち部屋番号や名前を言う必用がなかった。

しかしここにもやはりロックアウトの時間があって、部屋に入れないので荷物を置いてユーラシアの一番西にあるロカ岬に行ってみる事にした。地図で見た限りはやはりサグレスがユーラシアの果てに違いないのだが、緯度で見るとここロカ岬がユーラシア最西端という事になる。結構意気込んで行く人も多いのだが、僕のユーラシア横断の旅は終わっているので、気楽な遠足という感じだ。

列車でカスカイスまで行き、シントラ行きのバスに乗るとロカ岬に寄り道してくれるのだ。最初ロカ岬はなだらかな海岸の様な所だと思っていたのだが着いてみるとやはりサグレスと同じように崖の上にあった。ただ岬と言うよりは海岸の一番突き出た部分という感じで地形的には大したインパクトは無いのだが、長い海岸になっているために、大西洋から幅何キロもある大きな波がいくつもいくつも途切れる事なくやってくるのだ。

そこには小さな波はなくて、周期の大きなうねりだけがいくつもいくつも岸をめがけてやってくる。そして崖にぶつかって真っ白な泡になって消えていく。やはりロカ岬もいざ来てみるとなかなか感慨深い物があった。アジアを越えてここを目指してきたサイクリストは思わず崖の上から自転車を海に投げ込みたくなると聞いた事があるのだが、いったい何台の自転車がこの崖の下に沈んでいるのだろうか?(笑)

それにしてもここにはひっきりなしに観光バスがやってくる。多きときには4台のバスが駐車場に停まっていて、岬はドイツ語と英語であふれかえっていた。そしてバスが行ってしまうと又岬は数人の人だけの静かな場所に戻る。しかしのんびりとくつろいでいると今度は急に西から雨雲がやって来た。ここ数日ずっとそうなのだが、ここリスボンは快晴でも1時間後に雨雲がやってきて大雨という事が何度かあった。すごく天気が変わりやすいのだ。

ツーリストインフォで雨宿りしていると、一人のアジア系の女の子を見かけた。どう見ても日本人には見えないのだが、読んでる本が地球の歩き方なので何となく声をかけてみた。日本人と話すのは結構バルセロナ以来かもしれない。彼女はイギリスに留学しているらしいのだが、ビザの更新の機会に3日程の予定でリスボンにやって来たのだそうだ。もちろん国内でも更新できるのだが、さすがイギリスだけあって、凄くしつこく根ほり葉ほり追求されるのだそうだ。だから一度海外に出た方がずっと楽なのらしい。

雨宿りしているとバスがやって来たので町に戻ることにした。カスカイスの駅で彼女と分かれて、僕は駅前の大きなスーパーで買い物をすることにした。なにせ今日からの宿はキッチンが使えるので、これでこれまでの浪費分を取り返さなくてはいけない。例のパスタ類とジュース&お菓子、そしてワインを一本買い込んで両手一杯のビニール袋を下げて宿に帰った。

宿に着く頃には天気は完全に回復していて、庭から綺麗な夕焼けが見えた。ここなら長居できそうだ。
 

 
ロカ岬にぶつかる大西洋からの波
 

9月30日  渡船とカモメ(リスボン)

今日は朝からホームページを更新しようと張りきってインターネット屋に行ったら、、、休みだった。土曜日ぐらい営業しとけよ。とにかく仕方が無いので今日一日はリスボン市内の観光でもすることにした。最初に行ったのは丘の上の公園。この前旅行会社に行ったときに、大きなロータリーから斜面を駆け上がる巨大な公園があったのが見えたのだが、今日はその上まで登ってみる事にした。

公園の上にはまあ大したことの無いモニュメントがあったぐらいなのだが、そこから海の方まで緑のスロープになっていて、もちろん町が見下ろせる。案内地図が無かったので何の公園なのかはよくわからないが、時折観光バスがやってきては写真を撮って去っていった。

そしてそのまま坂を下ってから細い路地を探検していたとき、僕は途中で変なトラムを発見した。トラムなのに車体自体に傾斜が付いていて急な坂道をぐんぐん登っていく。よく見ると線路の下に溝があってケーブルが通っている。これはほぼトラムと見かけは同じなのだがれっきとしたケーブルカーだったんだ。そう言えばリスボンではケーブルカーが名物だと聞いたことがある。少し興味深かったのでその坂道を追いかけながら登ってみると、ケーブルカーは坂の下から上まで、わずか100m程の距離しか無かった。そのぐらい歩いて登れよ(笑)

あちこち迷いながら細い路地を抜けていくと今度は巨大な川「リオ・テージョ」に出る。出たところは丁度何かの船の港だった。そして係員が「もうすぐ出発だから急げ!」というような事を言っているので、僕はすかさず値段を見た。「180エスクード」まさかこの値段なら外国まで連れて行かれることも無いだろう(笑)そう思ってとっさにチケットを買って飛び乗った。

今日は天気も良くクルージングはご機嫌だった。最初は橋のたもとの一番川幅が狭くなっている海峡の様な所へ向かうのだと思っていたのだが、船は意外にも遥か遠くに霞む対岸へと向かっていった。焼け付く西日と冷たい風がミックスされて丁度心地の良い温度だ。そして風に吹かれる事30分ほどで船は対岸にたどり着いた。

対岸は駅になっていて、リスボンから南へ行く列車の始発駅らしい。つまり僕が乗ったのは国鉄の連絡船だったというわけだ。そう言われればリオテージョには鉄道橋は架かっていなかったような気がする。少し駅をのぞいてから僕は近くにあるスーパーマーケットで買い物をして再び船に乗り込んだ。

帰りの船は行きとさして差はないのだが、帰りはどういう訳かたくさんの海鳥が着いてくる。みんな船にあわせて飛んでいるから横を見ていると鳥が空中で停まっているように見える。そのうち観光客のおばちゃんがパンの切れ端を差し出すと、一羽の鳥がそれを手から奪い取って行く。船の上はちょっと盛り上がっていた。

そんな鳥達をぼーっと見ながら船が再びリスボンの港に着いたときにはもう日もかなり傾いていた。
 

 
リスボン名物 ケーブルカー
 


10月1日 昼下がりのクインテット(リスボン)

最近朝はのんびりだ。とはいうものの朝食だけは朝食が始まる8時半に起きてちゃんと食べるのが日課になっている。そして朝食を食べたらしばらくゴロゴロして、日記を書いたりメールを読んだりしてから外で洗濯。ここはちゃんとした洗濯場所があるのでいい。

そして11時前には食材と飲み物を持って部屋を出る。そう、11時からはロックアウトタイムなのだ。そしてすぐ出かけるかと言えばそう言うわけではなく、今日は日差しも柔らかかったので、庭のコンクリートの上に寝ころんでぼーっとしたり、リビングのソファーに深く腰掛けてうとうとと眠り込んだりしていた。

結局食事を宿で作って食べて、そして宿を出たのは1時を回ってからだった。今日の行き先はどうやら見所らしいベレム地区。行ってみると大きなカセドラルがある。早速中に入って見るのだが、祭壇のキリストが処刑されていく時の4枚ほどの油絵が素晴らしかった。

奥の方に博物館のような物があったのだが、入場料が高いなあと躊躇していると、何やら金管楽器を持った人達がぞろぞろ出てきた。どうやら入り口の前でコンサートをするらしい。丁度5人と言うことは金管五重奏だ。

最初はレベルの方はあんまり期待してなかった。というのもニュージーランドのレベルがあんなだっただけに、日本以外のアマチュアのレベルというのは結構低いんじゃないかと思っていたのだ。しかし今日のは絶賛するほどでは無いが、もし彼らが大学生かアマチュアなら、ポルトガルの音楽レベルはそこそこ高いんじゃ無いかと思う。プロだったらちょっとショックだが(笑)、、レパートリーは以前に演奏した事が有るような物ばかりだったので何だか懐かしかった。

コンサートが終わるともう博物館の方はどうでも良くなって、そのまま近くに新しくできたショッピングセンターに寄ってから市内の電話屋を目指した。この前散歩しているときに、個室のブースがある電話屋を見つけたので今日はラップトップを持ってきたのだ。

中はなぜか黒人だらけだったが、そんなに混んでいるわけでもなく、中に入ってモジュラーをつなぐだけで簡単にネットワークにつながった。やっぱり自分のパソコンはいいのだが、バッテリーで運転しているために30分程しか持たないのがつらい。特にモデムは消費電力が大きいようだ。

いろんな人からいろんなメッセージが届いていて、ますます今後の行き先を迷ってしまう(笑)
 

 
カセドラルの油絵
 


 10月2日 はれ時々坂道(リスボン)

今日はなんだか打って変わって素晴らしい天気だった。相変わらず予定らしき物はないので、とりあえず情報収集のためにバスターミナルと市内のインターネットカフェへでも行くことにした。もちろんメール&更新準備を済ませてから。今日は地下鉄を使わずにバスに乗ったのだが、隣に乗ったおじさんも久しぶりにいい天気でうれしいのか陽気に話しかけてくる。今日は何だか快調な出だしだ。

まず最初にバスターミナルの方へ行ったのだが、市内地図にはこの大きなバスターミナルがなぜか載っていない。いったいどんな理由があるのかわからないのだが、とにかく記憶をたよりに探し回ったのだが迷ってしまって結構時間がかかった。そしてここのインフォメーションがまたまた使えなかった。

とりあえず今はかなり西アフリカに惹かれているのと、あとポルトガルの港町のナザレを訪れてみたいと思っていたのでその時間を聞いてみることにした。まず「ナザレ」と言うと「5:30」という。そんな馬鹿な。ここからナザレなんて、へたすりゃ1時間おきに出ていても良さそうな距離だ。そして「一日一本しかないの?」といったら、「Si」とうなづく。

おかしいと思いつつもしばらくして、今度は西アフリカへ行くとしてモロッコに向かう最初の起点、サンアントニオ行きの時間を聞いたのだが、これはすぐに時刻表をくれた。「うーん、おかしい」そしてもう一度時刻表を見せて「ナザレ」と言うと、あっけなくナザレ方面の時刻表が出てきた。最初からそれをくれって言ってるんだよ全く。しかもその時刻表には一日8本程のバスが載っていた。あの返事はいったい何だったんだろうか?ま、いいけど。

次にインターネットカフェに行って情報を調べていたら、何とモロッコでのモーリタニアビザの取得が少し苦しくなっているらしい。何でもビザの申請にダミーチケットが使えなくなったとか。これは結構当てにしていたのでつらい。情報はあくまで情報でそこまで行ってみると言うのも大切なのだが、別にそうまでして行きたい訳でもないので、一気に南へ下るという案は沈んでいってしまった。

まあ考えても仕方ないので気分転換に町を歩くことにした。前から気になっていた丘の上にある城壁に向かっていった。狭い道を折り返しながらどんどん登って城壁にたどり着くと坂の町が上から見下ろせた。特別な物は何も無いんだけどなかなか良い景色だ。城壁の中は特に対した物もなく、その代わりに入場料は無料だった。

ちょっと汗をかいたので日陰で風に吹かれてみることにした。本当に次はどこへ行ったらいいものか、、、
 

 
坂のまちリスボン
 


10月3日 旅立ちは突然(リスボン)

昨日の夜荷物を整理してみた。とにかく最近荷物が重すぎてザックを背負って歩くのが苦痛なのだ。重さ自体は他の旅行者に比べれば大したことは無いのかもしれないが、ザックが3ウェイなので背負う機能が良くなくて少しつらい。

まず要らない物の筆頭は、ヘルシンキで買ったデジカメの付属品、CD、箱。そして各国で両替できずにたまった膨大な両のコイン(たぶん1Kgぐらい)、あとはチラシ、チケット、パンフレット。そんな物を一緒にしてデジカメの箱に詰め込んで、ここから送ることにした。

僕はやらなければならないことが多ければ多いほど行動が遅くなってしまう。なんでも山積みにされるとやる気が無くなってしまう方なのだ。だからすこしずつ片づけていかないと本当に動けなくなってしまう。朝イチで郵便局に行って荷物を送ると、2Kg以下なら「手紙」として遅れるので半額ぐらいになるらしい。計りとにらめっこしながらぎりぎり2Kgにおさえた。値段は1500円だった。

そして一つ片付くとがぜんそれがエネルギーになって僕のやる気は盛り上がる。そのまま一気にAMEXの代理店に行ってクレジットカードでTCを買うことにした。結局色々制約事項があって満足のいく結果ではないのだが、$2300のTCを手に入れることができた。これが日本会員の最高限度額なのだそうだ。しかし、高額TCが無かったのか明細書にサインしてから、$100と$50のTCを出してこられて、断ろうにも結局つぎどこでTCが買えるか判らないので仕方なくそのまま受け取った。どこかで高額TCに両替出来ると良いのだけど。

一気に二つの用事を片づけた僕の勢いはもう停まらない。そのまま旅行代理店へ行った。そして行き先も完全に決まってないまま番号札をちぎる。そして20分ほど考えている間に自分の番が回ってきた。「あの、イスタンブールまでのチケットを」結局僕の行き先はイスタンブールになったようだ。とりあえずここからならどこへでも行けるし、道に迷ったときは迷った交差点まで引き返すのが良いだろう。

そしてお姉さんは言った「いつ?」「えーっと、出来るだけ早く」「それなら明日はどう?」おいおいちょっと待ってくれ。それじゃナザレに行けないじゃないか、あ、でも別にそれでも良いか、、、もうポルトガルでの目的は果たしたし、今の気分でポルトガルを回るより一気に飛んでしまった方がいいかも知れない。「じゃそれでお願いします」

端末を叩くと一番安いエールフランスのパリ経由の便が出てきた。そしてそれを買おうと思ったのだが、いざ買う段になって「えっなに?あなた31才なの?これは29歳以下しかダメなのよ」とあっけなく却下されてしまった。そして結局年齢制限のゆるいスイスエアのジュネーブ経由のチケットを買うことになった。少し高くなったがそれでも2万円しないので充分安い。出発は8時15分と少し早いのだが、だから安いチケットなのだろう。

何だか急にここを去ることになってしまったので、夕方前から気になっていた宿の近くのフォートへ行ってみることにした。夕方問いよりもそれはもう夕暮れ後に近かったのだが、空はかすかに赤みが残っていて、空はどこまでも透明なそらに一番星が見えた。僕はフォートの近くに座ってワインのボトルをちびちび飲みながら海と空の間をながめていた。

やがてワインが空になった頃日もどっぷりとくれて、海岸沿いの道を宿まで歩いて戻った。空き瓶をプラスチックのゴミ箱に放り込むとドンッという鈍い音がした。
 

 
月、ワイン、夕焼け
 

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