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スペイン編
(バルセロナ〜セビーリャ)
 
 


9月17日 戦い(バルセロナ)

ここ民宿「アリラン」はお世辞にもいい環境とはいえない。1000円近くするのに、床に敷いたたくさんのダブルのマットに二人ずつ雑魚寝。そしてマットを敷くともう荷物を奥場所も無いほどだ。それにも関わらずたくさんの人がここに泊まるのは、オーナー李さんの人柄と、宿にいる面白い日本人達のせいなのかもしれない。

昨日遅くまで飲んだりしゃべったりして盛り上がってきたので起きたらもう10時前だった。とりあえず出かけてバルセロナで絶対はずせないサグラダファミリア教会へ向かった。ここはかの有名なガウディがその生涯をつぎ込んだ代表作で、未だに建築中で完成まであと200年かかると言われている。

そして着いてみると小綺麗な塔が4つ。「あれ、こんなんだったっけ?」と思い一周回ると裏側に同じように4本の、こちらは古い黒ずんだ塔が建っていた。実物は意外とさっぱりとした印象を受けたが、それでもここはバルセロナ最大の見所には違いないだろう。

何だかメインを見ると観光気分も少ししぼんでしまって、これと言って行く宛もないので宿に戻ることにした。宿にはもうあちこち行き尽くした長期組が旅の話に花を咲かせていた。僕もしばしそこに加わってやがて昼下がりになったので、もう一つのメインの闘牛に出かけた。

スペインでは毎週日曜日に闘牛をやっているらしい。ちょっと時間が早かったせいかチケット売場はそんなに混雑してなくてすぐにチケットを買うことができた。闘牛の席はソル(日向)とソンブラ(日陰)に分かれていて当然日陰の方が料金は高い。そして伝統では夕方に陰が競技場の丁度真ん中を通ったときに闘牛がスタートするらしいのだが、ここでは6時開演という事で始まった。

最初にマタドールや、槍を刺して牛の動きを鈍くする係、そして他のいろいろな係が入場してくる。そしてマタドールは貴賓席に向かって見栄を切る様なポーズで挨拶をして、自分の飾り布と今日闘牛で使う布を交換する。会場にはバンドとファンファーレ隊が居て雰囲気を盛り上げていた。

そして本日最初の犠牲者の入場。僕はニュージーランド、インドと牛を見てきたので牛というのはとてつもなく動きが鈍い生き物だと思っていたのだが、今日の牛は違った。まるで「野性の王国」に出てくるトラやライオンの様にすばしっこい。ひたすら走るだけじゃなく、前足で砂を蹴ってブレーキをかけたりその動きは驚くほど俊敏だった。

さすがにこんなのと対決すると危険すぎるので、最初に牛を少し弱らせるのだが、この係が馬に乗って出てくる。馬は当然牛に攻撃されるので全身に畳のような分厚いマットで巻かれていて、おまけにおびえて逃げないように目隠しされている。4人の見習いマタドールがそれとなく馬の方に誘導して牛が馬を攻撃するとその上から槍で牛の背中を突き刺す。

この刺す度合いが重要で深く刺しすぎるとそこで牛がそこでもうダウンしてしまう。本当に一度ダウンさせてしまったことがあって、もう回りはブーイングの嵐で騒然となってしまった。でも面白いのがその後で、牛を退場させるためにカウベルを付けたおとりの牛が6頭ぐらい出てきて会場が一気に和む。そして闘牛うしも「あれれ?」とか思いながら知らない間に群の中に入ってそのまま退場していくのだ。なかなか微笑ましい光景で「命拾いしたね」と思ったのだが、結局この牛は殺されてしまうらしい。

牛が弱るとまたまた見習いマタドールが3人登場して、牛の背中に飾りの付いた短い槍を計6本突き刺す。彼らは布無しで牛に向かっていってすんでの所でかわすのでなかなかスリルがある。そしてその後はいよいよマタドールの登場だ。

マタドールは小さな布を使って牛をかわしながらどんどん弱らせていく。時には地面に膝を突いてその場で牛をぐるりと回したり、上手なマタドールになると牛が地面に角を引っかけてひっくり返ったりといろんな小技を見せてくれる。そして牛が弱ってくるといよいよとどめ。飾りの剣を本物に取り替え、じりじりと間合いを詰め一気に牛に突進して背中に剣を突き刺す。

うまく刺さるとここで闘牛は終了。あとは見習いマタドールがしばらく布で牛を動き回らせるとやがて大地に膝を突いてうずくまる。そして頭を短剣で突き刺されてさようなら(合掌)。牛は三頭立ての馬に引きずられながら競技場から運び出されてこれで1回の闘牛が終了。そしてこれが一晩に6試合ほど行われるのだ。

闘牛が終わるとけっこうな時間になっていたのでまっすぐ宿に帰ることにした。屋上でのんでいると李さんが上がってきて、何だか高いテンションでここには到底書けないような話をいろいろとしてくれた。その壊れ方はすさまじく、じいさんのくせに乗せると何処までも行ってしまう人のようだ。
 

 
闘牛の入場シーン
 

9月18日 個人の権利(スペイン)

昨日も遅くまで飲んでいたのでまた寝坊だ。そしてなぜだか分からないのだが、ここスペインに入ってからあまり観光気分になれないのだ。宿が心地いいのも理由の一つだが、他にも何か理由がありそうだ。

今日しなければいけないのは南に向かうチケットの手配。そしてホームページの更新。昨日サンツ駅に行ったときに偶然電話屋があるのを見つけたのだ。個室ブースが並んでいる形態なので、パソコンを持っていけばそのまま接続できるかもしれない。そして昼過ぎに行ってみると予想通りで一発でバルセロナのアクセスポイントにつながった。メールの送受信、HPの更新会わせて15分ほど。電話代も本当の市内通話代だけで、たったの60円ほどだった。

そしてチケットなのだが、ここスペインでは「シェスタ」といわれる昼寝の習慣がある。だから僕は最初に駅に行ったときに窓口がずっと空いている事を確認したのだ。しかしこれがまた最悪で、僕は番号札を持っていてあと20人という所で2時半になったのだが、なんと係員が一人を残して全員荷物をまとめて帰ってしまうのだ。6つあった窓口が一気に1個になって全く進まない。

しかも、何も分かっていない地元のスペイン人が延々20分以上も窓口で押し問答してたりして、全く進まなくなってしまった。結局それから1時間ほど待ったのだが、僕の番はちゃんと列車も調べてメモを作っていったのでわずか2分で終了した。ヨーロッパではこういう感じで「他人の迷惑」とかいう考えよりも「自分の権利」の方が遙かにでかくて、日本人の自分は結構イライラしてしまうことが多かった。

チケットが手に入ると後はもう宿でまったりすることにした。夕食も宿でビビンバプを食べた。少し高いが量が丼1杯ぐらいでおなか一杯。しかもご飯がおかわりし放題だ。でもそんなに食べれないってば。



9月19日 ぐうたら観光(バルセロナ〜グラナダ)

今日はいよいよグラナダへ向かう日なのだが、ここアリランはその劣悪な環境の代わりに一つとびっきりのメリットがある。それは出発の日は何時まで宿に居てもいいのだ。だから夜行列車で移動という時にはすごくうれしい。

「今日は観光だ!」とはりきっていたのだが、午前中から雷雨で全く出かけることが出来なかった。小雨になってから駅にメールの返事を送信しにいったのだが、相変わらず小雨がぱらぱらしている。

3時を回ってやっと空が明るくなってきたので、重い腰を上げて観光に出かけることにした。とはいうものの時間が短いので結局カセドラルと市場に行っただけで宿に戻ってきてしまった。シャワーを浴びて荷造りをして夕方6時頃に李さんに挨拶してから駅に向かう。

今日は南へ行く人が多く。「先輩&後輩」や近所の「高砂の女の子」も途中までいっしょだった。彼らはチケットを買うのが遅かったためにクシェットを取れなかったらしいのだが、僕は久しぶりの寝台車でなかなか快適な旅が出来そうだ。

列車に乗ると息を切らせて二人の日本人の女の子が乗ってきた。同じアリランに泊まっていた女の子なのだが、何でも途中で草履が壊れて新しいのを買ってアリランまで走って荷物をとって、そしてまた駅まで走ってきたらしい。まったくご苦労様だ。

なんだかんだ車内で話をしてたのだが、彼女らはイタリアに留学しているらしくイタリア語が解るので、回りのおばさん達とイタリア語で無理矢理会話していた。話が通じる所を見ると、やはりイタリア語とスペイン語は日本語と韓国語よりもずっと近い親戚なのだろう。

10時ぐらいに眠くなってきたのでベッドを作ろうとしたら、回りのスペイン人に「寝るの早い」と笑われてしまった。そりゃ君ら昼寝してるから(笑)。相変わらず乗り物の揺れには弱いらしく、一瞬で眠り込んでしまった。
 

 
街角パフォーマンス
 


9月20日 トンネル(グラナダ)

朝7時に列車はグラナダ駅に滑り込んだ。ここスペインは夏時間なのにくわえてイギリスより西にあるのに1時間も早いから7時と言っても回りは真っ暗だ。何だかまだ気分は朝5時半といった所なのだが、とりあえず宿を決めないと行けないのでユースホステルを目指すことにした。

列車であったイタリア留学中の女子大生二人も同じ行き先だったので一緒に行くことにしたのだが、ユースに着くと今日はなんだか予約だらけでこんな朝早くに行ったのにもう泊まれないそうだ。女の子たちはかろうじて別々の部屋で一人ずつ泊まれる事になって、僕はユースを後にして旧市街に向かうことにした。

たしか旧市街のアルハンブラ宮殿周辺に安宿があるというので僕は歩いてそちらへ向かうことにしたのだが、「Alhambra」と書かれた標識に従って歩いていくと30分経ってもそれらしい物は見えてこなくて、そしていつの間にか全く反対の街の外れまで出てしまった。目の前は高速道路が走っている。いったいここは?!

どうやら標識は車専用のもので、街の外を迂回するとんでもないルートだったらしい。近くのおばちゃんに「ペルドン アルハンブラ?」を連発して何とかそれらしいエリアにたどり着くことができた。最初からこうすれば良かったのだ。

さすがに夜行明けにとてつもない距離を歩いたのでもう精神的にも身体的にも疲れ切っていた所に追い打ちをかけられた。数軒の安宿を回ってみたが全部フルだという。そして部屋があっても3人部屋しか無いとかそんなので、一気に途方に暮れてしまった。仕方が無いので宮殿の近くの部屋数が多いという所に行ってみようと思ったのだが、これがとんでもない坂の上にあって、たどり着いた時にはもうふらふらで、正常な判断力が無くなっていたのだ。

値段を聞くと何と4千ペセタもする。日本円に換算すると2500円ほどなのだが、僕はあまりの疲れの為にそれで泊まることにしてしまった。一応シャワートイレ付きなのだが、部屋は狭くそんなに綺麗ではない。そしてトイレが着いているのはいいのだが、ドアがスライド式なので小便臭いのが部屋まで臭ってくるという始末だった。

最高に綺麗なユースのツインが一人1200円なのにどう考えても値段が釣り合わない。ひょっとしたら日本人なのでぼられたのかもしれない。いきなりの満室攻撃の上に、これでかなりへこんでしまった。気分転換に目の前にあるアルハンブラ宮殿に行ってみたのだが、まだ午前中にも関わらず今日の分のチケットは全部売り切れらしい。なんてこったい。

仕方が無いので、宮殿の敷地のうちタダで入れる所をぐるっと回ったり、街へ降りたりした。グラナダの街は何の変哲も無い街で見所もない。ただごちゃごちゃしているだけで、アジアの様なワクワク感も全くない。宮殿の高台から見た白い家の集落はなかなかのものだったが、何となく観光気分が失せてしまって、もし明日宮殿に入れなくても明日にもこの街を後にする事に決めた。

宿に帰ってたまっていた日記を書いたりして過ごしたのだが、僕はペインに入ってから観光気分が失せてきている原因に何となく気づき始めたのだ。
 

 
アンダルシアの白い集落
 


9月21日 アルハンブラの思い出(グラダナ〜ラ・リネア〜ジブラルタル)

目覚ましが鳴った。まだ朝7時で外は真っ暗だ。このところ観光気分減退なのだが、やはりせっかくなのでこのアルハンブラ宮殿だけは見ておきたい。チケットの発売が8時からだと言うので地の利を生かして7時から並ぶ事にしたのだ。幸い宿から宮殿までは徒歩1分だ。

チケット売場に着くと既に30人程の人が並んでいた。空を見上げるとまだまだ星がいっぱい出ていて、もう7時を回っているとは信じがたい。ここで少し腹の立つ事があった。チケットの発売前になって、スラブ系の言葉をしゃべる旧共産圏のどこかの国の老人の団体が20人ほど横から割り込んできたのだ。

そして割り込んだ所には頭を剃ったガラの悪いガイドが居た。どうやら彼が20人分の場所取りをしていたと言いたいらしいのだ。他にもそこまでひどくはないのだが、やはり発売直前に車で暖をとっていた人達がその連れの所に割り込んでくる。やはりヨーロッパに入ってから他人に対する配慮とか遠慮と言うものが余り感じられない。元々そういう文化なら外国人の自分がとやかく言う事でないのだが、、、

8時になりチケットが発売された。僕は今日中にここを発ちたいので何としても午前の早い時間帯のチケットを手に入れなければならなかった。そして自分の番が来て「出来るだけ早いやつ」と言うと「じゃ今ね」とあっさり8時半からのチケットが手に入った。そしてまもなく門が開いて、僕は時間指定されているという一番の見所のナザリエス宮殿を目指した。

結局ここがアルハンブラ最大にして最高の見所だった。内部はイスラム特有で漆喰に細かい装飾がしてある。そしてそれは壁はもちろん天井に間で及んでいて、床にはタイルがちりばめられている。そしてここの宮殿の最高の贅沢は、このような丘の上の宮殿なのにも関わらず、中庭は部屋の中に噴水や水路が作られているのだ。これは部屋の温度を下げるのに役立って、アンダルシアの暑い夏には最高の贅沢だったことだろう。

パティオにも大きな正方形の池があって、宮殿がそっくりそのまま水に映って見える。そして奥の中庭には緑の木々と色とりどりの花が植えられていてしばし見とれてしまった。とにかく金や銀はまったくないのだが、インドのマイソールパレスとは又違った意味で贅沢の限りを尽くした宮殿だと言えるだろう。

宮殿の後はチケットに着いていた砦と博物館に入った。砦は崖からせり出しているので昨日よりも広い範囲が見渡せたが特に目新しい物は無く、博物館が僕の苦手とするところなので、例によって5分程で出てしまった。なんだか博物館に展示されている展示物というのは僕にはどうも動物標本と同じで「死んだもの」にしか見えないのだ。茶碗や銅器はお茶の間に有るから生きているのであって、ガラスケースに入れても何の役にも立たないのだ。
 

 
アルハンブラ宮殿の内部
 
 
何とか念願のアルハンブラ宮殿を見終わってから宿のチェックアウトの時間もあって早々にパッキングを澄ませて宿を後にした。そして無謀にも又歩いて駅まで行こうとしたのだが、やっぱり迷った(笑)「ペルドン!エスタシオン?」を連発してなんとか1時間ほどで駅までたどり着くことができた。行き先は全く決まってなかったのだが、色々考えた末ジブラルタル海峡を見に行くことにした。チケットを買ってから近所のパン屋でチョコレートパンを買ったら、これが大当たりで今まで食べたどのチョコレートパンよりも美味しかった。これで少し元気回復だ。

今日の列車は全部で5時間ほどかかったので、その間に最近の旅の事をいろいろと考えてみた。昨日も地図を広げてみた時にはっきりとわかったのだが、僕はやはり目の前に迫ったゴールの事をかなり意識している。一応ポルトガルは数ある内の目的地の一つと位置づけていたのだが、僕はそれが目の前まで来ているというのに、未だに次の目的地を見つけられないでいる。

イタリア以降も意欲的にいろいろと観光して回って楽しいことや新しい発見もたくさんあったのだが、やはり今までの旅の事を考えているうちにそれらのことは砂のようにさらさらと崩れていって、最後に一つ得体の知れない小さな箱が残るのだ。

この箱とはきっと「旅の終わり」なのだと思う。そして今の僕にはその中身がどんな物なのか全く想像が着かない。素晴らしい宝物なのか、失望なのか?それとも次なる目的地への地図なのか?それとも開けてみたら中身はからっぽなのかも知れない。それはきっと開けてみるまで分からないのだ。そして僕は今強烈に箱の中身の事が気になっている。

そんなことを考えているうちに列車は La Lineaに到着した。ここで僕は持っている唯一の情報はLa Lineaのバスターミナルからジブラルタルまでは歩いていけると言うこと。そして僕はなんと無しに列車の時刻表を見て「San Roque La Linea」で列車を降りればジブラルタルに行けると思っていたのだ。しかしそれは大きな間違いだった。

まず駅を降りて目が点になってしまった。案内板すらなく、英語をしゃべれる人なんて皆無で、僕は駅前でおしゃべりに興じている爺さんに「ジブラルタル?」と方向を聞き出すのが精一杯だった。どれぐらいの距離なのか分からないので歩くジェスチャーをして「ok?」と聞くと「Si Si!」と笑顔で笑う。今考えたら彼らには意味が全く分かってなかったのだ。どうもスペインでは歩くジェスチャーはあまり通用しないのか?

僕はグラナダでの失敗を教訓として、会う人会う人に「ジブラルタル?」と聞いて回った。しかし3キロほど歩いてもまったくそれらしい物は見えてこずにかなり焦っていた。そして一軒のバルに入って昼間から飲んだくれていたおじさんに聞いてみると「道路を渡ってブス(Bus)に乗るんだ」と言われて反対側に渡ると一人の女の子がバスを待っていた。「ジブラルタル ブス?」と聞くと軽くうなずく。彼女もそっち方面に行くらしくこれで安心だ。

バス停で待つとすぐにバスがやって来て、僕はアッという間に車上の人となった。そしてそこからジブラルタルに近いという本物のLa Lineaまでは10キロぐらいあったんじゃないかと思う。これを歩こうとしていたのかと思うとぞっとすると同時に、何だか笑ってしまいそうだった。大体こんなに遠いのに駅にLa Lineaなんて名前を付けるなよ!

かくして何とか僕はジブラルタルの目と鼻の先までたどり着くことができたのだ。僕は今までジブラルタルと聞いても「風雲たけし城」ぐらいしか思い浮かばなかったのだが、そのたけし城のセットのように目の前に円筒形の巨大な山がそびえる。風が吹くと海面の空気が一気に上まで押し上げられ、次々に雲になっていく。まるで山が雲を吐き出しているかのようで、何だか神々しく見えた。

パスポートを腹巻きから出していよいよイミグレーションを越える。ゲートの手前にはスペインの国旗、そして向こう側にはイギリスとジブラルタルの旗がたなびいていた。入国審査はパスポートをちらっと見るだけで難なく終了した。そして街に向かって歩いていくと信号と遮断機があった。この遮断機は何とここを横切る飛行機の為の物で、ジブラルタルの街に入るにはこの空港を横断していかなければいけないのだ。

何だかばかばかしいのだが楽しい。今となっはどうしてここまでしてジブラルタルの領有にこだわる必用があるのか解らない。植民地なんてもう時代遅れだし、返還された香港に比べてもそんなに重要な所だとは思えない。とはいうものの一方のスペインもセウタとメリラを手放していない手前イギリスに強く返還を主張する事も出来ないのだろう。

今日の宿探しは一発で決まった。町中にあるホステルで、12ポンドと少し高めだが朝食も付くし部屋も清潔だ。そして宿が決まるといつものように外に飛び出す。特に今日はもう宿に着いたのが7時前だったので急がないと時間が無いのだ。ジブラルタルに入った途端一気に英語が通用するようになって、僕は少し息を吹き返した。やはり人と自由に会話出来るというのはうれしい。

まず街を歩き回ったのだが、僕はジブラルタルというともっと寂れた城壁と旧市街の街だと思っていたのに、そこは高層アパートが建ち並ぶ結構な都会だった。まあ土地が少ないので仕方ないんだろう。山の上には城塞があって、一方街を囲む城壁にはたくさんの大砲が据え付けられている。この辺りは昔のジブラルタルのイメージだ。

一通り街を見ると次はヨーロッパポイントというジブラルタルの最南端へ行ってみたくなった。そこへはバスがあるらしいのだが、本数が少ないのかなかなか来ないので歩いていたら、結局1時間以上歩き続けるハメになってしまった。途中も結構アップダウンが激しくて高台に来ると湾の中にたくさんのタンカーが停まっているのが見える。

そして僕はついにジブラルタル北から南までを完全に徒歩で縦断して、ヨーロッパポイントにたどり着いた。ここで僕は少し興奮してしまった。目の前に大陸が見える。それは今まで這ってきたユーラシアではない。アフリカだ!ゴールを目前にした僕の目の前に新たな大陸が横たわっている。船にここから乗れば2時間ほどでたどり着いてしまう新たなる大陸。僕はしばし夕日とアフリカ大陸を交互に見てからバスに乗って岬を後にした。

アフリカ。それもいいかもしれない。
 

 
自然の要塞ジブラルタル
 


9月22日 ローカルバスで行こう!(ジブラルタル〜アルヘシラス〜カディス〜セビーリャ)

ここのユースは何故か食事が8時45分からとかなり遅い。僕もそれに会わせて少々寝坊する事にした。朝食はコンチネンタルブレックファーストとの事だったが、食パン2枚とバターにコーヒーだけの質素なものだった。ジャムぐらい付けてくれ、、、

早々にユースをチェックして、またまた僕は徒歩で滑走路を横切ってボーダーを目指した。そして僕が滑走路を渡りきって少ししてから信号が赤に変わった。「おお!ひょっとして?!」

そしてしばらくすると2機の戦闘機がゆっくりと目の前を横切って滑走路を下っていく。「下っていく」というのも、この空港に傾斜がついているように見えるのだ。そして戦闘機は端まで行くと爆音とともに目の前を横切り一気に坂をかけ登って空へと消えていった。そして開いた遮断機に殺到する車の列に紛れるように僕も国境を越えてジブラルタルを後にした。

今日の行き先はセビーリャ。そして昨日調べた所によるとセビーリャは早朝と夕方にしかないので僕はまず近くのアルヘシラスへ向かう事にした。こちらはモロッコへのゲートウェイでもあるのでかなりの頻度でセビーリャ行きが出ていると思ったのだ。

しかしそれは大きな間違いで、11時にアルヘシラスへ到着したのだが、次のバスは何と15時30分まで無いらしい。しかしとてもそんなには待っていられないのでとりあえず途中の街カディスを目指すことにした。こっちは12時丁度の出発でこれならたったの1時間待ちだ。

ターミナルで待っている間に、僕は荷物を狙っていると思われる二人の男を見かけた。一人は僕がチェーンで荷物をつないでトイレへ行っている間に、そのくくりつけているベンチにどっかりと座って辺りをきょろきょろと見ていた。僕が帰ってきて荷物のそばに座って動かないのを見ると、やがてターミナルから出ていった。

もう一人は隣の「ベンチが濡れているから」と僕の隣に座ってきた。信じられないことに英語を話す。そしてフレンドリーな人を装ってしきりに僕の出発時間を気にしている。二人のおばあさんがやって来て僕が席を譲ると彼も立ち上がって僕に着いてこようとしたので、僕はその隣のベンチの二人のおばさんの間に座る事にした。するとこの男もやがてバスターミナルの外へと消えていった。イタリア以来少し荷物に対する注意が散漫になっていたのかも知れない。ここらでまた気を引き締めないと。

12時丁度にやって来たバスは結局ラ・リネアからのバスだった。このバスの景色はなかなかのもので、出発してからしばらく海沿いの尾根を走る。尾根には無数の風力発電の風車があって、反対側にはジブラルタル海峡を行き交う船。そしてその向こうにはアフリカ大陸が見える。

途中、荒涼とした草原やアンダルシア特有の白い街を通り抜けて2時頃にカディスの街に到着した。歴史的な建物があったり、街そのものが岬の上にあるので海が近くてなかなか素敵な街だった。そして僕は再び3時発のセビーリャ行きのバスに乗り込んだ。

このバスではちょっとしたアクシデントがあって、前に座っていた屈強そうな男の人が気分が悪くなったらしく、運転手にビニール袋をもらって助手席でかがみ込んでしまった。そして吐くのはいいのだが、運転手のアナウンス用のマイクのスイッチが入りっぱなしになっていて「げろげろー ぴしゃっ ごぼごぼっ」とスピーカーから車内に響きわたるのは勘弁して欲しかった。結局このお兄さんセビーリャに到着するまでダウンしていたようだ。

バスはセビーリャの小さい方のターミナルに到着した。僕はまずユースに電話を入れるたのだが、何故か番号が変更されていて、しかも新しい番号はスペイン語のみのアナウンスだったので一回で聞き取れるはずもなく、結局バスに乗って直接押し掛けることにした。幸いここセビーリャは至る所に街の詳細な地図が貼ってあるので全く迷うこと無く目的のバスを探すことが出来た。

そして僕はユースに向かうバスの中でなぜだかワクワクしていた。「この街結構いいよ!」街は道も広くて建物もスペースを充分に取ってある。そして至る所にイスラム建築のお城のような家があったり、綺麗な庭園があったりで、これは結構素敵な街なのかもしれない。

ユースにチェックインしてからも何故かそのままシャワーも浴びずに表通りに飛び出した。通りを歩いていくのだが、この街はかなり大きくてバスを使わないと結構つらそうだ。そのバスも全てのバス停に詳細な地図が貼ってあるので全く簡単にみつけられる。僕はまず最初に次の下調べをするためにメインのバスターミナルへ向かう事にした。

メインのバスターミナルは今日着いた所よりもかなり大きくてインフォメーションにもコンピューターが入っている。僕は早速ポルトガルのファロとラゴス方面に行くための情報を集めるためにインフォメーションへ行ってみた。所がいきなりおねえさんがくれたチラシにはファロを通って別の所へ行くバスと、ラゴスを通って何とゴールのサグレスまでダイレクトで行ってしまうバスが載っていた。

僕は正直ショックだった。朝7時のバスに乗るとその日の11時半にはサグレスにたどり着いてしまうというのだ。なんてこったい。しかもそのバスは高速道路経由なので、以前はフェリーで渡っていた川も大きな橋でひとっ飛びらしい。これはどう考えても僕の望む形ではないので、そのチラシの中にある国境の町へ行くバスがあるかどうか聞いてみた。

幸いそこへは一日5本程度のローカルバスがあるらしいのでそれで行こうと思う。アジア横断以来ヨーロッパを列車ですっ飛んできたので、最後ぐらいローカルバスを乗り継ぐのもいいだろう。
 

 
ジブラルタルの空港
遮断機の向こうを戦闘機が飛び立っていく
 


9月23日 セビーリャの理髪師(セビーリャ)

スペインの日の出は遅い。こんなに西にあるのにイタリアやドイツと同じ時間を採用していて、しかもサマータイムのおかげで、明るくなるのは朝8時を過ぎてからだ。最初は不思議だったのだが、この変な時間のせいで結構午前中は過ごしやすい。僕もそんな涼しい時間帯をねらって早めに町に繰り出すことにしたのだ。

所でここセビーリャといえば、ロッシーニ作曲の「セビーリャの理髪師」というオペラがある。だから最近髪の毛が伸びてきた僕はここの理髪店で是非散髪してもらおうと、今まで切るのを我慢していたのだ。しかしそれは大きな間違いだった。

散髪屋に注意しながら歩いているとまず目に付いたのだ巨大なカセドラルだ。何でもギネスブックに載っているほどらしくて、今日は無料の方の入り口(少ししか見れない)から入って見たのだが、本当にでかい!! 大きさで感動したブルガリアのアレクサンドルネフスキー寺院6個分ぐらいは有るんじゃないかと思う。ただ大きいという事も限度が過ぎれば感動の対象になるようだ。

そして大きさに驚いたあとはその向かいにある「アルカサール」というイスラム風の宮殿に入る事にした。なんでも学生証を見せるとチケットは無料だった。そして入ってビックリ、ここはアルハンブラ宮殿には及ばないものの、かなり保存状態のいいイスラム建築の宮殿だった。全く予備知識の無かった僕は、うまいぐあいに日本人のパックツアーの団体を見つけて側でガイドの話を聞くことにした。

何でもこの寺院はグラナダやコルドバ等イスラム王国の技術者を集めて作らせたのだが実際に住んでいたのはキリスト教徒で「残酷王」と呼ばれていたペドロ何世とかいう人らしい。その彼がなぜイスラム建築の宮殿を建てたのかはよくわからなかったが、とにかく漆喰の彫刻から天井のはめ木細工まで純イスラム建築だった。

余談だが、マゼランやコロンブスが航海に出発した時の壮行会が行われたのもこの宮殿だったらしく、そんな事からか庭園の方は南米から持ってきた植物が多くて亜熱帯の様相だった。

宮殿を見終わったあとは、何となくHPの更新がしたくなって、駅へ向かう事にした。ひょっとしたらバルセロナのように電話屋さんが有るかも知れないと思ったのだ。しかし着いたところには公衆電話しかなく、仕方ないので向かいにあるスペイン資本とおもわれる4つ星のホテルで「ビジネスセンターありますか?」と聞いてみたら、なんと「たぶん無いと思うけど」と言われてしまった。「たぶん」じゃないだろう全く。

仕方が無いので早めの昼食にしたら、今朝インフォでもらったインターネットカフェのチラシをもらったのを思い出して行ってみる事にした。チラシにはDTPからワープロ、そして「何でも相談にのります」みたいな事が書いてあったのできっと何とかしてくれるだろう。

チラシを見てたどり着いたそこにはフレンドリーで親切な受付のお姉さんがいた。ただ自分のパソコンをつなぐのは今ボスが居ないからよくわからないとの事だった。フロッピーを使えるか聞いてみたのだが「もちろん使えるわよ」と気前のいい返事だった。無事HPの更新と10通ほどのメールを受け取ることが出来た。

カフェを後にしてから僕は前から地図上で気になっていたスペイン広場という所へ行ってみる事にした。そしてたどり着いた所はローマのそれとは比べ物にならないほど巨大なものだった。巨大な半円の広場の回りが掘になっていて、その円周を囲むように一つの建物が建っている。そして建物の端と端には大きなイスラム建築の塔がたっていた。

ここセビーリャは本当に何処へ行っても美しいイスラム建築を見ることができる。ガイドブックを見たことが無いのでわからないのだが、その数もきっとガイドブックに載せきれない程じゃないかと思う。

今日は結局一日探し回って「理髪師」に会うことは出来なかった。仕方がないのでリスボンででも散髪しようと思う。
 

 
公園にあった噴水
 


9月24日 ドミンゴ(セビーリャ)

今朝も涼しいうちから散歩に出ることにした。宿は川に面した中心から少し外れたところにあるのだが、近くには市街地から続く大きな公園があった。早速中に入っているのだが、ガイドが居ないのでいまいち何が何かわからない。でも綺麗なイスラム建築の建物と木々の間の池を泳ぐ鴨たちを見ながら歩くだけで充分だった。

しばらく歩くと昨日行ったスペイン広場にたどり着いた。広場に着くと大音響でダンス系の音楽とDJが鳴り響いていたので「何だ何だ?」と思っていると、どうやら今日は広場でストリートバスケの試合をやっていたのだ。選手の中には黒人もいて、なかなかのハイレベルだった。どこか大手の飲料メーカーがスポンサーになっているらしく、会場はそのTシャツを来た人でいっぱいだった。

今日は二つする事があった。一つは日曜日がダタだというカセドラル(有料の方の入り口)に入ること。そして未だ口にしたことが無いという本場のパエリアを食べることだ。カセドラルは2時過ぎからだったので、まず安いレストランを探すべく僕はサンタクルスと呼ばれる中心のユダヤ人地区を目指すことにした。

サンタクルスにはたくさんのレストランが建ち並んでいた。さすが観光客向けなのか結構な値段がしている。そして通りを奥に入っていくと僕は細い路地にテーブルが並んだ一軒のレストランを発見した。ランチメニュー950エスクード。これはお得だ!!早速座ると、メニューの中から選べと言われたので、ガスパチョとパエリアを食べることにした。

ガスパチョというのは野菜をメインにした冷たいスープで、前に仕事でプエルトリコに行って、インテルのおごりで豪遊(嘘)した時ににごちそうになったのだが、なかなか酸味があって美味しいのだ。そしてパエリアはスペインに来たなら当然だろう。

僕はほとんど客の座っていないテーブルのうちの一番はしに腰をかけて料理を待った。石畳の細い路地の両側に白壁の家が建ち並んでいる。そしてどこからかスペイン独特の3拍子のギターの調べが聞こえてくる。ビールを半分ほど飲むとそれだけでもうご機嫌だった。

ガスパチョはなかなかのレベルだったのだが、パエリアはもうひとがんばりという所だろうか?日本のパエリアは割と乾燥していて芳ばしい感じがするのだが、こっちのはちょっと水分が多くどろどろしていて食感が悪かった。まあ魚介類がたっぷり入っていて味の方がまあまあなだけに残念だ。

その後向かったカセドラルは、昨日入れなかった有料の方の展示と、塔の上までぐるぐる回りながら登っていった。展示の方はたくさんの宗教画や豪華な装飾でなかなかだったが、塔からの景色は町を歩いている景色が良すぎるので何だか「こんなもんか」という感じだった。

カセドラルを見終わると4時前で、これは変な時間設定の為に一日でもかなり暑い時間なので、宿に帰ってシェスタとしゃれ込む事にした。やっぱい郷に入れば郷に従えという事だろう。

お気に入りのセビーリャだったが、いよいよ明日ポルトガルへ向かう事にする。
 

 
カセドラルの中
 

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