このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
スウェーデン・デンマーク編
(マルメ〜コペンハーゲン)
 
 


8月30日  再会(オスロ〜マルメ)

目が覚めると辺りは深い霧に覆われていた。当然もう列車はスウェーデンに入っているのだが夜中に起こされる事は無かった。この辺りを旅するのにひょっとするとパスポートなんて物は必要無いのかもしれない。

結局マルメ駅には、20分程遅れて到着した。こんな事はあたりまえなのか、すぐにミカエルに電話したのだが全く驚いた様子はなく「30分ほどで行くからちょっとまってて」と眠たそうな声で返事がかえってきた。そして待つこと30分弱、後ろから肩を叩かれて振り返るとそこには懐かしい顔が!「おお ひさしぶり!!」お互い久しぶりの再会に少しはしゃいでしまった。

ミカエルは会社があるので、僕をアパートまで連れていってくれて、しかも洗濯室の予約までして置いてくれて至れり尽くせりだった。朝食を一緒に食べた後彼は会社へ、そして僕は1年ぶりに洗濯機と格闘する事になった。なにせここ一年というもの洗濯機など使ったこと無かったし、おまけにスウェーデン式洗濯機は何と乾燥機のように、横から洗濯物を放り込むタイプで、何とか格闘の末スタートする事が出来た。

とにかく今日は4連車中泊で疲れていたので午前中はメールのチェックや返事を書いたりして過ごした。午後からも回りを少し散歩したぐらいで、ほとんど家の中で過ごすことになった。やっぱり旅には休養が必用だ。

4時頃にミカエルが帰ってきて、町を案内してくれるというので、一緒に市内を歩いて回ることにした。マルメの町はそこそこ古い街並みが残っていて緑も多い。隣にコペンハーゲンが有るだけにいまいちメジャーでは無いのだが逆に観光客が少なくてとても歩きやすい。

歩きながらもやっぱりミカエルはおしゃべりなので、いろんな話題が途切れない。ミカエルもエリクソンというスウェーデンではトップクラスの企業に勤めるエンジニアなので「LSI設計について」というマニアックな話題でも盛り上がってしまった。とりわけエリクソンはハード重視で設計を進めていて、ライバルのフィンランドにあるノキアはソフトでDSPの高速演算に頼っていて最近少し処理が追いつかなくて問題が出ているらしい。

日本での給料の話をすると「エンジニアなのにそんなの安いのか?」と驚かれてしまった。まあ日本は「年功序列だからねー」と説明すると「そんなもんかねー」という感じだった。そして「お前ぐらいの経験がスキルがあれば、いつでもスウェーデンの会社で雇って貰えるぞ、なんならオレがマネージャーに紹介してやろうか?」とか「おいおいちょっと待ってくれ」と言いたいほど話の展開がすごい。

気持ちはうれしいのだが、自分の設計してたのはちょっとつぶしが利きにくい分野なので、即戦力で働くのはなかなかきついことは自分でもよく分かっているのだ。

しゃべりつづけながら大きな公園やいくつかの広場を回っているうちに雨が降り出したので慌てて車まで戻ったのだが結構濡れてしまった。結局雨は降ったり止んだりでそのまま家に帰ることになった。

家に帰るとミカエルが「夕食を作ってやろう」と、ステーキを焼きだした。なんでも最近料理に凝っているらしく、かなりの種類のスパイスが用意してある。そして味付けの方もなかなかで、豪華客船以来の満腹の食事だった。

食後はビールを飲みながらまたまたお互いの旅の話やその他どうでもいいような話題で盛り上がった。なんでもミカエルには旅行中に知り合った韓国人の彼女がいるらしく、写真を見せてくれたり、なんかのろけたりでアレなのだが、来年にもスウェーデンに呼びたいとか言っていた。そしてお互い話疲れて眠ることになった。そしてなにやら3時ぐらいに話し声で目が覚めたのだがオーストラリアに居る彼女との電話だったようだ。何でも安い国際電話会社と契約して毎日ほど電話してるとか(笑)やれやれ。

そして僕はそのうれしそうな話し声を聞きながら1分後には深い眠りへと落ちていった。
 

 
最新式の海峡横断列車
 


8月31日 ちょっと隣国まで(マルメ〜コペンハーゲン〜マルメ)

今朝はけっこう寝坊してしまった。ミカエルも寝坊したようだったのだが、それでもぎりぎりの時間には起きてせわしなく出ていった。そして僕はしばらく寝てから朝食とメールチェック。そして今日はミカエルお薦めのコペンハーゲンへと出かけることにした。

ここマルメからコペンハーゲンは以前は船で連絡していたのだが、つい数ヶ月前にデンマークとスウェーデンを結ぶ橋が完成して、おかげでたったの35分で行くことができる。本当に「ちょっととなり町まで」ならぬ「となり国まで」と言った所だ。

マルメからの列車はすこぶる速くて、車両も最新式で一瞬こんな車両に追加料金無しで乗れるのか?と躊躇してしまったほどだった。線路も出来たばかりの新線で途中マルメ空港やコペンハーゲン国際空港といった交通の要衝を通過していく。そして列車は時間通りにコペンハーゲン中央駅に到着した。

まず僕は改札を出ると宛もなく歩き出した。そして通りに案内板があったので、「なんとなくこっちっぽい」と運河の有る方に歩き出した。その勘は大当たりで運河にかかる橋を渡ると町中で見かけた絵はがきと同じ風景が広がった。

運河に停泊している無数のヨットや、いまさらだが古い教会。そして中に一つ、キリストよりも天使たちをメインにしている教会があった。もちろんキリスト像もはしっこにだが置かれている。そしてメインは、ミカエル、ガブリエルといった天使達の大きな像だった。教会にはもう飽き飽きしていたのだが、ここは何か一風変わっていて少し新線だった。

結局綺麗な街並みを見ながらあちこちを散歩して夕方にはまた最新の列車にのってマルメへと帰ってきた。

ミカエルもまもなく会社から帰ってきて、今日は二人で町中の「典型的スウェーデン料理」なる物を食べに行くことにした。とはいうもののレストランではなくスタンドの様なところだ。ミカエルもまだ働き初めて3ヶ月だから余り財政は潤ってないようだった。

彼のお任せで注文してもらって、ソーセージとパンと山盛りのマッシュポテトに独特のソースがかかったという、いわゆるジャンクフードを食べた。さすがスウェーデン人が普通に食べているだけあってマッシュポテトはなかなかいい味だった。

アパートに帰ってからは僕が町で仕入れてきたビールを次から次へと開けてまたまた酒盛りが始まった。酒の肴は旅の話。そしていつの間にかミカエルがウイスキーを出してきて、結局全部飲み終わった頃には時計はもう2時を回っていた。

しかしげんきんなもので、オーストラリアが朝になったとばかりにちゃっかり彼女に電話をかけるのだった。僕も少しだけ韓国語と英語を交えてしゃべったが、なんだかお互い緊張してあまりしゃべれなかった。そして僕は今日もうれしそうな話し声を聞きながら眠りへと落ちていくのだった。
 

 
コペンハーゲンの水路
 


9月1日  海峡(マルメ〜ハンブルク)

昨日突然のように決めたのだが、今日ドイツへ向けて出発することにした。マルメでもう少しゆっくりしたい気もするのだが、パスの期限もあるし進めるだけコマを進めておきたい。昨日のうちにコペンハーゲンからの列車のチケットの予約を入れたのだが、朝イチの列車は既に満席で、僕は昼前の列車の座席をかろうじて押さえることが出来た。

ミカエルが言うには「マルメとコペンハーゲンの列車は問題だらけで、1時間以上の余裕を見ておかないとやばいぞ」との事なのだが、僕は昨日の列車があまりにもスムーズで速かったので、まあ30分みておけば楽勝だろうと思っていたのだが、それは大きな間違いだった。

いつもの時間にミカエルは出社、そして日本での再会を誓い合って、良く外国人がやる「片腕で抱き合う」と言うのをやって、あわただしく出ていった。そして僕も荷物をまとめて余裕を持って出かけた。

だがしかし、駅に着いてみると、僕の乗るつもりだった列車は遅れた上についにはキャンセルされてしまった。そして次の列車は20分後。これはかなりまずい状況だ。時刻表を調べると何とかぎりぎり間にあいそうだったのだが、この車両がデンマーク国鉄のもので、車掌は英語もろくに話せず使えない上、何と列車が遅れに遅れて結局コペンハーゲンに着いた時には既に20分も遅れていて僕は予約していた列車を乗り過ごすという失態をしてしまった。

万が一、列車の遅れを考慮して待っていてくれるかとも思ったのだが、やっぱり期待するのは間違いで、そんなことは無かった。そして僕は600円も払って予約を入れたチケットをどうしたものか考えを巡らせた。まず乗り過ごしたのは僕の責任ではなく、明らかに鉄道会社の責任だ。ちゃんと連絡時刻表なる物まであって、僕はそれに従って余裕を持って駅に着いていたのだ。だから当然無料で振り替えて貰えるのが筋だと思ったのだ。

しかしながら、今朝の使えない車掌や、アホアホノルウェー鉄道でのさんざんな対応のために、僕は少しヨーロッパの鉄道会社に不信感を持っていた。そしてバトル覚悟でいろんな台詞を英語で考えてから気合いを入れて窓口へ向かった。そしておもむろに「列車の遅れのせいで乗り過ごしたんだけど」と切り出すと「ああ、替わりの予約がいるのね。わかったわ」と手慣れた様子ですぐに無料で次の列車の予約券をくれた。マルメ〜コペンハーゲンは慢性的におくれているんで、向こうも慣れっこなのだろう。ともかくデンマークの鉄道会社はなかなかフレンドリーで親切だった。

そして僕は駅で1時間半ほど時間をつぶして車上の人となった。意外だったのが、このユーロシティとばれる国際列車がたった3両のディーゼルカーだったことだ。まあディーゼルカーといっても日本のとは全く違って煙も臭わないしコンピュータ制御された最新のものだ。そして今度の列車は時間通りに出発した。

実は列車が出発してからすぐに眠り込んでしまった。昨日遅くまで飲んでいたので当然といえば当然なのだが、そして気が付くといつの間にか列車は港町にやって来たようで、またマルメからのように橋があるのかな?と思っていたら、列車はなんだか当然のようにそのままフェリーの中へと乗り込んでいった。

一瞬「そんなばかな」と思ったのだが列車はするすると船の中を走っていって一番奥で停まってからエンジンを切った。列車から降りて階段登ってデッキへ行ってみるとそこはもうドイツで、ドイツ語の表示やドイツマルクが当たり前のように幅を利かせていた。船の旅は1時間も無かったと思うのだが、それでもみんな飯を食べる食べる。ビール飲む飲むといった感じで船内は結構な賑わいだった。

そしてドイツ側の港についてからも、船は何事もなくまたまた陸へ上がって走り出した。国境審査はまったく何もなかった。そしてハンブルクに着いたときには降り続く雨のせいもあってもう外は暗かった。ここままブレーメンまで行ってしまおうかとも考えたのだが、もし満室なんて事になったらたまらないので、とりあえずハンブルクのユースを先に当たってみる事にした。

ユースはSバーンと呼ばれる近郊列車の駅すぐ上にあって、雨にもほとんど濡れずにたどり着くことができた。ただ部屋の方はあいにく満室と言われてへなへなモードに入っていると「まあ非常用ベッドが図書室に9個用意してあるんで、それでよかったらいいよ」との事だった。「地獄に仏」とはきっとこう言うときのための言葉にちがいない。

僕の泊まる図書室は本がいっぱいあってラッキー、、、じゃなく、ベッドはたくさんあるのだが、広々としてなんだかアジアの安宿を思い出して懐かしかった。荷物を降ろしてロビーへ行ってみると、一見「韓国風美人」と「広東のほほん娘」か?と思う二人組がいたのだが、何気なく横を通り過ぎると日本語を話していたのでちょっと話しかけてみる事にした。なにここドイツから南は地図さえも無く何か情報が欲しかったのだ←いい訳

あんまり為になる情報は無かったけど、沿岸線親子以来の日本語だったのでなかなかうれしかった。「韓国風美人」は少し前までイギリスに住んでいてその帰りに旅行中らしい。髪の毛が腰まであってしかも束ねてあるので韓国人かと思ったのだ。もう一人の「広東のほほん娘」の方は実際中国に留学していて中国語もばっちりとか。今回は5回目の会社を辞めて旅行中らしい。

なんだかヨーロッパに入ってから一人旅の女の子に会うことはほとんどなかったので、「めずらしいなあ」と思っていたら何ともう一人「仲間入れて下さーい」と若い女の子がやってきた。この子はよくいる「大学三年生」で理系なので来年は旅行出来ないだろうからぱーっと夏休みを使ってやって来たらしい。

なんだかんだ言いながら夜の12時ぐらいまでしゃべってしまった。どっかでこの寝不足を解消しないと・・・
 

 
船底に滑り込んだ列車
 

 

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