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タイ・リゾート編
(アランヤプラテート〜バダンベサール)
 


12月18日(土) 大都会でリラックス(バンコク)

昨日の夜はとにかくうるさかった。昨日はカオサンの宿に泊まったのだが宿の隣が何と白人向けのバーで大音響の音楽や白人の叫び声が3階の部屋まで聞こえてきた。最初は最悪1時ぐらいで終わると思っていたのだが結局音楽は3時過ぎまで鳴り止まなかった。

ともかくカオサンというのは全てが西洋文化で白人に取ってはリラックス出来るのだろう。毎日毎日バーやカフェは大繁盛だ。

一夜明けてさっそく宿を移ることにした。実はシェムリアプで合った日本人に良い宿を紹介されていたのだが昨日は時間が遅かったためカオサンに泊まることにしたのだ。紹介された宿はバンランプー運河の外れの水上住宅っぽいひっそりとした集落の中に有った。

宿はベニヤ板のしきりがあったりとお世辞にも立派とは言えないが、こまめに掃除されていていい感じだ。値段も一泊60B、ツインでも120Bと格安なのも嬉しい。唯一の欠点は洗面所がない事。シャワーの床に座ってシャワーでうがいをする事になるのは愛嬌だろう。

宿も決まったのでさっそく街に繰り出すことにした。行き先は伊勢丹やそごうもあるサイアムスクウェア方面。バスマップを見ながら目的のバスを待ったのだが何と一台目は通り過ぎてしまった。どうやらタイのバスは体を張って止めないと停まらないいらしい。それと止める場所と言うのも本来はバス停に停まるのだが乗客がみんな木陰で待つためにいつの間にかバスはバス停ではなくその木陰の前で停まるようになったりとかなりアバウトだ。どうも上手くつかまらないのでバス停を変えてみると今度は乗降客も多くて一発で停まってくれた。

バスは渋滞に巻き込まれながらも何となく進んでいたのだが遂にサイアムスクウェアの手前で動かなくなってしまった。今日の第一目的はAMEXのオフィスに両親からの郵便物を受け取りに行くこと。しかもそれは土曜日なので12時までしか営業していないらしくこのとき時計は11時47分。バスを飛び降りてパヤタイロードを目指して走る。すぐにたどり着けたものの、その辺りの番地は400番台、そしてオフィスの番地は173。残り時間は10分。

日本を出てからこんなに走ったことはなかっただろう。遠くにかすんで見てるビルはなかなか近づいてくれない。8分間の全力疾走で何とか目的のパヤタイプラザに到達。残り2分。汗びっしょりでエレベーターに乗り込むとなぜか日本語をしゃべるタイ人のおじさんが乗っていて「Sea Tourなら6階だよ」と教えてくれる。記憶ではたしか8階だったような気がするのだがとりあえず6階で下りてみた。ここで残り1分。何処を探してもそれらしいオフィスはなくガセネタだったようだ。すかさず目の前に現れたお姉さんにたずねると「たしか7階だったはずね」という事で階段を使って7階にダッシュ。が、しかしやっぱりそれらしいのはない。階段を駆け上がる途中に遂に12時になってしまった。やはりオフィスは8階にあったのだ。オフィスにたどり着くとしめる準備をしていたのだが手紙を受け取りたいを言うとすぐに手続きをしてくれた。カードの提示や控えまでとられ結構厳重に管理しているようだった。さすがAMEX。貴重品はこっちに送ってもらって正解だった。

はてさて何とか目的を果たしてもう抜け殻状態。1階のロビーにへたり込んで封筒を空けてみると頼んでいた物と母親からの手紙が入っていた。旅に出てから初めて両親からの手紙を受け取るようになったのだが、読んでいるといろいろ心配してくれているようで、やっぱり自分は両親に取っては死ぬまで子供なのだなと思った。

体力が80%程回復してから伊勢丹方面に通常の1/2の速度で歩き出した。途中中国以来ご無沙汰だったマクドナルドで食事。タイでマックもなんなのだが、この旅では全ての国のファストフードを制覇するというささやかな目標がある。もちろんローカルメニューもすべてだ。なんだか名前は忘れたがチキンのトマトソースみたいなバーガーを食べた

その後は伊勢丹の紀伊の国屋を冷やかしたりそごうで買い物をしたりしてからファランポーン、バンコク中央駅に向かった。年末は南の島で過ごそうというささやかな願いを叶えるための第一歩、時刻表を入手しに行くためだ。駅はさすがにバンコクの表玄関だけあってツーリストには至れり尽くせりだった。英語が通じるのはもちろん日本語を話す係員もいた。そして時刻表を手に入れて考え事をしていると次から次と係員から声がかかる。他のアジア諸国ではこういう場合は警戒心を全開にしないと行けないのだがバンコクでは全て鉄道や観光局の職員でたずねた事だけを親切丁寧に教えてくれる。タイはもう完全に先進国だ。

いろいろと思案している18時丁度に時報と共に国歌が流れた。と同時に歩いている人も座っている人も全て起立した状態で演奏を聞いている。駅に飾られた国王の肖像画に向かって立っている人も多くいた。国歌が終わると人々はまた元のように忙しく通り過ぎていく。自分も窓口へと向かった。

係員によるとぼちぼち南行きの列車が混み出す時期だというので2日後の夜に出る列車のチケットを買った。行き先はスラータニー。たしかそこからバスを乗り継げば目的地のクラビーまでたどり着けるはずだ。

ほんとに長い1日だった。カオサンに帰って久しぶりにインターネットカフェに行くとたくさんのメールが届いていた。いつもながら旅先でもらうメールは嬉しい。中でも一つは日本で入っていた吹奏楽団のOL二人組がもうすぐバンコクに遊びに来るという事、そして一番驚いたのは両親が1月中頃にパックツアーでバンコクに立ち寄るかも知れないと言うことだった。この件はまだ未定なのだが、年明けは何かといろいろ有りそうで楽しみだ。
 

 
6時と共に動きが停まる人々
ホアランポーン駅にて。
 

12月19日(日) 床屋へ行こう (バンコク)

昨日が長い一日だとすれば今日は短い一日だ。

午前中は10時頃まで宿でごろごろしてからカオサン方面をぶらぶらした。屋台でぶっかけ飯を食べてから今度は市場で買い物。実は例の激悪乗り合いトラックでたくさんの持ち物が壊れてしまった。カンボジアなので当然荷物は荷台に敷き詰めるように乗せ、その上には15〜20人もの人が乗る。当然ノートパソコンはハードディスクなど壊れやすい物が入っているのでサブバッグに入れて大事に抱きかかえていたのだが、ひげ剃りと電子辞書はザックの中に入れっぱなしにしていたのだ。

ひげ剃りは網が破れ、電子辞書は液晶が粉々に割れていた。ひげ剃りはともかく電子辞書は2万円以上する物だっただけにショックだ。他にも充電器のカバーやいろいろ小物が壊れていた。

ともかくそんなわけでひげ剃を早急に購入しようということでバンランプーのマーケットを探した。しかしタイでは電気かみそりと言う物があまりメジャーじゃないのか何処にも売っていない。中国では何処の市場にでも100〜200円ぐらいで売っているのだが。やっとの事で売っている店を見つけた。品物は松下製で500円以上もするのは痛かったが、刃もモーターも日本製と言うことでそり味はなかなか満足だった。

ヒゲを剃ってすっきりした所で次は散髪だ。前回切ったのが香港だったのだが結構伸びてうっとおしくなっていたのでここ先進国タイで切る事にした。美容院を探してうろついているといつものぶっかけ飯屋の近くで一軒の店を発見した。おばさんというか30過ぎのおねえさんが一人でやっているようで、カットは何と80B(220円) と格安だ。

さっそくお願いする事にしたのだが、前の客のブローを予想の10倍以上も丁寧にやっているのでそれだけで1時間かかってしまった。おまけに急にパーティーか何かに出なければ行けなくなった人が来て順番を譲った為更に1時間。結局自分が髪を切り始めたのは5時を回っていた。

おねえさんは「長い時間待たせてごめんね」と言ったので「マイペンライ(気にするな)」と答えるとニコッと笑って髪を切り始めた。おねえさんは少しだけ英語が話せるみたいで切っている間もいろいろ話しかけてくれたりした。仕事の方もかなり丁寧で、80バーツなのにそんなに時間をかけていて採算がとれるのだろうかとこっちが心配になるほどだった。

出来上がりの方が、前髪がかなり短くなってしまった以外は満足だ。途中で7:3分けのタイアイドルカットにされそうになったのでセンターに戻してもらったのは言うまでもない(笑)

夜はいつも通りぶっかけ飯を食べてとっとと宿に帰って寝た。タイはとにかく楽に旅というか生活が出来る国で今後も毎日こんな生活になるのかも知れない。



12月20日(月) 一路南へ(バンコク〜スラータニー

少しせわしいのだが、今日は一路南へ移動する日だ。午前中にチェックアウトして宿に荷物を預けて街に繰り出す。特に宛はないのだが何となく伊勢丹方面に向かう。例によってマックで昼食。店内はクリスマスの飾りがされていて、照りつける太陽とは裏腹に年末なのを実感する。あとマックでは今ハローキティキャンペーンをやっているらしく、何かのメニューのおまけでキティちゃんグッズが貰えるらしい。子供ばかりではなくOL風の女の子も嬉しそうに手に持っていた。

そごうでニセモノっぽい金鳥の蚊取り線香を購入してその足でAMEXを目指す。高額TCを両替するためだったのだが、途中でたくさんのパソコンショップの入った建物を発見して中を冷やかしていたら結局時間がなくなって行けなくなってしまった。

エアコンバスで宿の周辺まで戻って荷物を受け取り今度は駅へ。結構忙しい。しかも渋滞しいてバスは途中で行き止まりで乗り換えとなった。ちょっとまずいかなと思った頃バスは渋滞を抜けて、列車の時刻の1時間ぐらい前にファランポーン駅に到着した。

駅で軽く夕食を食べホームに向かったのだが列車はまだ到着してなく、しばらくしてからゆっくりとバックで駅へ入ってきて、少し遅れての出発となった。

自分の席は2等なので割と良い席を想像していたのだが、車両は結構古く椅子がぐらぐらで、自分や隣のおばさんが座り直す旅にガタンと揺れた。しかしここまで旅慣れてタフになったのか発車して程なく眠り込んでしまった。日本に居た時は寝台車でも熟睡できなかったのに(笑)
 

 
夕方のホアランポーン駅
 

12月21日(火) 川沿いの小さな町(スラータニー〜クラビー)
 
浅い眠りを繰り返しながらうとうとしていると6時前ぐらいに少し空が明るくなってきた。目的地スラータニーには6時半頃到着の予定だったのだ。6時半頃列車がスピードを落としたので、「スラータニー?」と隣のおばさんに聞くと、まだ次の次だという。どうやら列車は一時間ほど遅れているらしい。そう言えばチュムポンで30分以上対向列車待ちをしていたような気がする。

朝もやのかかった熱帯の風景をぼーっと眺めながら1時間ほどするとスラータニーの寂れた町到着した。スラータニーはサムイ島やプーケット、コ・ピピへの表玄関だというのでもう少し大きな町を想像していたのだが予想以上に寂れた感じだった。

列車を下りるとさっそく大量の外国人向けエアコンバスの客引きが寄ってきた。最初はローカルのバスで行こうと思ったのだが列車移動で疲れていたのと、ローカルは各町で客を拾うので倍以上かかると言うことでツーリストバスを使うことにした。(150B)

バスは8時に出発すると言っていたのだが、客席が少し空いていたのでなかなか発車しようとしない。これはベトナム、カンボジアでは当たり前なのだが、ここ先進国タイでやられると少しイライラしてしまった。30分を過ぎた頃次の列車が入ってきて何人かの客を拾ったのだがまだ2席空いているようで客引きが客を探す。いい加減うんざりした白人が文句を言ってからしばらくしてバスはクラビーは向けて出発した。

「年末をビーチで」というのはシアヌークビルでリゾートに失敗してからずっと頭の中にあったのだが、今東海岸はモンスーンの影響で波が荒くて天気も悪いと言うことでコ・ピピを目指すことにした。そしてそのベースタウンとなるのがクラビーなのだ。2時間程たってバスは川沿いの町クラビーに到着した。さっそくCha Guesthouseという町中の宿にチャックインして町をぶらついてみた。

町の中には日本人で現地に住み着いたお姉さんのやっている「さくら」という日本風飯屋があって、いろいろ話を聞いているとそこでコ・ピピまでの割引チケットが買えるという事だったのでさっそくお願いした。(120B)お姉さんは京都出身の人で、関西弁とタイ語を流暢に話していた。

ここはバイクでしばらく走ったところにわりといいビーチがあるらしいのだが、町はあくまでも島へのゲートウェイといった感じで、バス停にも各フェリーのスタッフが客引き合戦を繰り広げていた。フェリー乗り場周辺の広場は夜には屋台街となって大層なにぎわいで、夜風にあたりながら屋台飯をかき込んだ。明日は早起きだ。



12月22日(水) 白い砂と透明な海(クラビー〜ピピ島)

今朝は早起きして荷物をまとめて早めに宿をチェックアウトした。フェリー乗り場へ行く途中の屋台で、鳥めしをかき込む。この鳥めしは軟らかめのごはんの上に細く刻んだチキンが乗っているもので、しつこくなくて朝食にもぴったりだ。

船の出航は10時丁度でまだ少し時間があったので町を少しぶらついていたら、かなりレートの良い銀行があったので、ニュージーランド時代から残っていた最後の2万円のT/Cを両替する事にした。これで残りはもう全て米ドルのT/Cのみという事になる。

財布が膨らんだ所で港に向かうとまもなく乗船が始まった。ところがここでも船は乗客を待ってなかなか出発しようとしない。やはりタイはまだ完全に先進国と言うわけではないのか、それともマイペンライ(気にするな)の国民性なのか、国民のモラルは確かに高いのだが、約束や自分の言った事に対してかなりいい加減だという面が見えてきた。やはりボートは30分程遅れて出発した。

コ・ピピへの船は少し揺れた物の快適で、いつの間にか眠り込んでしまっていた。まだ少し疲れが残っているのだろうか?周りの騒がしさで目が覚めると目の前にこれまでとは明らかに違う海の色が広がっていた。いよいよピピ島到着だ。

桟橋付近はさっそくバンガローの客引きでごった返していたが、タウンの中は割と値段が高めだったので、貧乏旅行者が好むというロングビーチまでロングテイルボートに乗って移動する事にした。こちらの方もやはり高めで、ほとんどのバンガローはオフシーズンの2倍程の値段を付けていた。最初に行った所は一番安い所は850Bと話にならないのでもう一軒の方に行くと250〜550B程度であるという。シャワーも海水ではなく淡水(雨水)が出ると言うことなのでこちらに決める事にした。

ロングビーチはタウンから離れている為砂浜も綺麗で水もプランクトン等の浮遊物が多いもののかなり綺麗だった。ここコ・ピピの砂は真っ白で、まるでパックツアーのパンフレットの中にいるようだった。

着いたのが昼下がりだったせいもあって、結局この日は海には入らずにビーチで波の音を聞きながら昼寝をしたりして過ごした。夕食はさすがにリゾート地の島というか競争が少ない為にかなり割高で、大体本土の2倍ぐらいの値段になっていた。しかもあまり美味しくなさそうだったので少しでも良い屋台を探すためにタウンまで歩くことにした。

海沿いの岩場を歩いたり、木の生い茂った山を越えたりして40分程度でタウンまで歩くことができた。船で結構かかったので歩くのは無理かとおもったのだが、これで食事の心配はしなくて済みそうだ。タウンにはやはり本土よりは高いものの、なかなかの味の麺屋やぶっかけ飯屋、シェーク屋、パンケーキ屋があって、これで3食大丈夫そうだ。

帰りはライトを持ってくるのを忘れて、どうしようかと思ったのだが、この日は丁度満月の前日だったので月明かりをたよりに帰る事が出来た。月が海に写ってキラキラと光っていた。
 

ピピ島、ロングビーチの白い砂浜
 


12月23日(木) ビーチでごろり(ピピ島)

今朝ははりきって朝から泳ぐことにした。ピピ島の海は果てしなく遠浅で海水浴にはもってこいだ。しかもプランクトンが多いのか魚の数がものすごく多くて、背の着くぐらいの所で色とりどりの魚が泳ぎ回っていていい感じだ。白人のおじさんが食パンをもって海に入ったら、100匹以上の小魚が群がってきた。

少し潜ってみたのだが、人間の目という物は前に空間がないと焦点が合わないのだという事をすっかり忘れていた。昔プールで泳いでいた時にはもっとクリアに水底が見えたような気がしたのだが。

仕方ないので適当に泳いでから浜で寝たりしてごろごろと過ごした。なんか少しダメ人間になったような気分だったが、たまにはこんなのも良いんじゃ無いかと思う。リゾート地ではあんまり日記に書くような事がないのかも知れない。

夜は町まで買い物と夕食を食べに出かけた。物価が本土よりも1.5倍ぐらい高く、やっぱりリゾートはお金がかかるなあと思った。
 

 
タウンから見た夕焼け
 


12月24日(金) 海でぷかぷか(ピピ島)

今日はピピ島一日ボートツアーに行きたかったのだが、近所の店では人数が集まらなくて船が出ないらしく、シュノーケルとマスクを借りてシュノーケリングをする事にした。

1日50Bとまぁまぁの値段なのだが、デポジットとして500Bも預けないといけないのがかなりうっとおしい。まあ以前に盗難とかがあったのかも知れないが。

マスクを着けると視界くっきりで色とりどりの魚や珊瑚を見ることが出来た。ただ久しぶりのシュノーケリングだったので、マスクやシュノーケルのクリアに時々失敗して水面でもがいてしまったりした。しばらくやっているとだいぶ慣れてきて、深く潜ったりも出来るようになってきた。

透明度はあまり無いが本当に魚が多くて、深く潜ると珊瑚をガリガリとかじっている魚の音が聞こえてきたり、無数の魚の群が目の前を横切ったりしてなかなか堪能出来た。

シュノーケリングでここまで綺麗だと思わずダイビングの資格も取ってしまいたくなりそうだ。
 

 
こーんな所に泊まっていた
ロングビーチのバンガロー
 

12月25日(土) 荒波ツアー(ピピ島)

昨日はツアーが出なかったので、午後からタウンに行って大きなショップでツアーを申し込んでおいた。そんな訳で今朝は6時に起きて準備をして、朝っぱらから40分かけてタウンまで歩いていった。

以前ニュージーランドで映画を見に行った時に予告編で「THE BEACH」という映画をやっていたのだがその撮影地がここコ・ピピらしく、あのレオナルド・デカプリオもやってきたらしい。そんなわけで最近はとみに観光客が増えたり、撮影現場のマヤビーチもボートツアーの広告では「THE BEACH」を書かれていたりする。地元の人によると映画が公開されるとさらに島の物価は上がるだろうという話だ。

今日のツアーは400Bの方が小型のロングテイルボート(タイ漁民仕様)で600Bの方がクルーザー(ダイビングショップ仕様)なのだが、当然安い方を申し込んでいた。これが後で大後悔となるのはこの時は知る由もなかった。

ボートは出発して少し揺れながらも順調に進んでいた。ここピピ島は、町のあるピピ・ドン島と無人島のピピ・レ島からなっているのだが、この日は波がかなり高い為に、おやじは先にドン島の裏側に行くという。しかしドン島の裏側は風がもろに当たる為に更に波が高く、しかも波に逆らって進むため波にぶつかる旅に飛び上がって「パーンッ」と海に落ちる。

何とか波をやり過ごしながら、小さな入り江で停泊してしばらくシュノーケリングをする事になった。ここは島の裏側で少し深い所もあって、大きな魚やテーブル珊瑚なんかをたくさん見る事ができた。が、この後が悲惨で、体が冷え切っているのにおやじは全速でボートを飛ばし、そしてボートは波で飛び跳ね着水するたびに頭から水をかぶる事になり、もう完全に体温を失って、そんな状態なので船酔いまで併発してしまった。

やっとの事で船は裏側の大きなビーチに上陸して、ヘロヘロになりながら砂浜までたどり着いた。ともかく体温を回復させる事が第一なので、日なたに寝ころんで強烈な太陽光線を浴びる事にした。この際日焼けは二の次なのだ。

体温が戻ると船酔いも一撃で回復して、全体無理だと思っていた昼食もペロリと食べきる事ができた。しかしなかかなボートのおやじが戻ってこないのでどうしたのかと思っていると、しばらくして別の英語をしゃべれる人を連れて帰ってきた。

通訳によると、今日は波が荒すぎるのでピピ・レ島の方には行きたく無いという事だった。もう一つのビーチに行ってその後は引き返したいらしい。通訳もあまり英語が分かっていないようだったのだが、とりあえず我々が「メインのバイキングケーブだけは何としても見たい」というと「OKOK」と言っていたのでそれで納得する事にした。(しかしバイキングケーブはレ島にあるのだった。)

そしてそれは船頭にもうまく伝わっていなかったようで、何カ所かのシュノーケリングポイントで停泊して「潜れ」という。そのたびに「ケーブ!ケーブ」とゼスチャーすると「okok」と船を動かすのだが、やはり分かっていないようだった。所がしばらくして波が少し収まってきた所でおやじがレ島へ行ってくれる事になった。収まっているといってもやはり波は激しく頭から水をかぶったりしながらひたすら耐えていた。なぜかこの時”大船に乗った気分”という言葉が繰り返し頭の中で流れていた(笑)

その後船は"The Beach"のマヤベイともう一つの砂浜は無いが水深が凄く浅い入り江に入ってから島に戻った。バイキングケーブは横を通っただけだった。桟橋があって上陸出来るらしいのだが、たしかにこの波だと船を横付けしていると転覆しかねないから仕方ないのだろう。
 
港に帰ってから少し休みたくて浜辺に座っていると、NZ人のおじさんとスウェーデン人のカップルに声をかけられた。「Merry X'mas!」そういえば今日はクリスマスだっけ。この夫婦は夏の間キャラバンでキャンプ場を回ってレストランをやっていて、冬の7ヶ月は古里NZに帰ったり旅行をして過ごしているらしく、おじさんの方はワイルドでなかなかいい感じの人だった。いろいろ話ているうちに「お前も一本飲んどけ!」とワインを一本おごってくれた。

久しぶりにNZの話なんかをして少しNZに帰りたくなってしまった。旅の最中のクリスマスとしてはまぁまぁかな?
 

 
"THE BEACH" Maya Bay
 


12月26日(日) 一休み(ピピ島〜クラビー)

今朝は少しゆっくりしてから荷物をまとめ、バンガローをチェックアウトした。やはりピピ島の物価は高くしかもシーズン料金になっているので長期滞在はつらい。そんなわけで一度クラビーに帰る事にした。

今回はフェリーも時間通りに出発して、寝ている間にあっという間にクラビーに到着した。クラビーはそんなにリゾート地ではないので物価も良心的で、久しぶりに屋台飯やアイスクリーム(島では異常に高い)を食べまくってしまった。

夜からぶらぶらしてたら、近所の駄菓子屋件雑貨屋のおばちゃんに呼び止められた。別に何を買ってくれという訳でもなく、ただ座れと座らされてフルーツを出してくれた。おばちゃんは店番の間もうとうと寝てるので店番が欲しかったらしい(笑)

このおばちゃんはいまいちやる気が有るのか無いのか、かなりアバウトな経営をしているようだったが客は多くて、客が来る度におばちゃんを起こしたり、片言の英語で会話したりしながら時間をつぶした。クラビーに来る人がいたら、町の名所としてこのおばちゃんの店をお薦めしたい。



12月27日(月) バイクと海(クラビー)

今日は昨日のおばちゃんの店でバイクを借りることにした。一日150B(400円)と結構お得だ。

まず最初に買ったのは貝の化石のある海岸。ここはただの貝の化石ではなく、泥の層をはさんで何層にも化石層があるため、平らなコンクリートをばきばき割ったような固まりが海岸に落ちていて、この手の貝の化石は世界では3カ所だけしかないらしい。

とはいうものの、あんまり見栄えのするもので無いのはたしかで、中の売店でアイスを食べて退散する事にした。貝の層の上をサンダルで歩いているときに思いっきりすべって肘の辺りを深く怪我してしまった。(あいたた)

次に向かったのは、クラビーのリゾート、アオナンビーチ。ここは少し高めのバンガローやダイビングショップが建ち並ぶ海岸で、多くの白人リゾート客を見かけた。ただビーチはきれいなもののピピ島とかに比べると少し物足りない感じだった。

その後は山道や海沿いの道をバイクで走り回った。なんでか知らないが、頭の中のミュージックはマッチのハイティーン・ブギだった(笑)←なんだそりゃ?

夕方もう一度アオナンに戻ってきた。というのはクラビーで日本人のいるタイビングショップを紹介されていて、「もし行くならたずねてみたら?」と言われていたからだ。ショップに行くとスイス人のオーナー「マヌー」と日本人の「まどかさん」が出迎えてくれた。

最初はちょっと興味があるぐらいだったのだが、いろいろ話をしているうちに「ダイビングいいすよ!ここでライセンスを取っちゃいましょう」という事になり、あれよあれよと言ううちに明日からの講習を受けることになった(笑)「確かヨーロッパを目指して旅をしてたんだよなあ?」と一応自分の中で再確認してみる。ま、いいか。

とりあえず明日は学科らしい。
 

 
貝の板状化石
よく見ると表面に無数の小さな貝が見える。
 


12月28日(火) 机で勉強(クラビー)

朝から学科。今日の先生はまどかさん。なんだかひょうひょうとしたしゃべり方の人で、面白いのはテキストのページをめくる度に「ちゃららら〜ん」とか必ず自分で間奏を入れる事で、なんだか最後の方は自分にもうつってしまった。

学科の内容自体は元物理屋の自分としてはかなり楽勝な物だったが機材の扱いとかは命に関わるのでなかなか集中して聞いた。今日は5章あるうちの1〜3章まで。

明日はいよいよ実技が始まるらしい。少し楽しみ。


12月29日(水) なぜか潜ってます(クラビー)

朝いちで機材を渡されて「それじゃあ行きましょう」と言われ、アッという間に海の上。今日の先生は陽一さん。通称Sunny先生。小柄だがなかなか海の男という感じの人だった。

一番最初は水泳の試験で、なんと200m泳げないとライセンスは貰えないらしい。まあ海の上なんで楽勝なんだけど。軽く平泳ぎ+横泳ぎで疲れたら仰向けで休憩を繰り返して難なくクリア。自分の体は結構密度が高いのか海でさえ沈みがちなのだが、昨日習った「肺を膨らませて浮力を確保する方法」を使うと楽に浮くことが出来た。他の参加者は息を吐いても浮いていられるらしいのだが、自分の場合は速攻で吐いて吸わないと水をかぶってしまうようだ。

水泳の後はいよいよ限定水域トレーニング。いわゆる浅場(5m)ぐらいでの練習で、車の教習に例えるとコース内練習と言った感じだ。さっそく機材の組立&装着。先生も見ていてくれるのだが基本的に講習中でも自分の機材は自分の責任で用意しなくてはいけない。タンクとファーストステージ(減圧する機械)をつなぐ所は本来ぐらぐらで良いらしいのだが、何となく不安だ。

バックロールというよくテレビとかで見る後ろにごろりんとひっくり返る方法でエントリー。さっそく水底まで潜るのだが最初はこのレギュレータと言うのになれなくて息を吸うのがものすごく苦しい。思わず自分だけ浮上してしまおうかと思うほどだったが何とか耐えた。

最初の方は潜水、浮上、マスクから水を追い出す方法や、レギュレータが水中で外れてしまったときの対処、エアが無くなって人に自分の補助空気源をあげる方法など練習をする。少しつらかったのは、壊れて出っぱなしになったレギュレーターから空気を吸う方法で、これはパージボタンを押しっぱなしにして10気圧で出っぱなしのレギュレータから呼吸をするという方法で、レギュレータを半分だけ加えてやるのだが、水が口の中に入ってきて塩辛いのと何となく普通に呼吸できないのでちょっと怖い。

しかも今日は水温が低い為体が凍えてしまってよわよわ状態だった。途中で他の生徒が凍えてギブアップしてしまったので今日の教習はここまでで打ち切りとなった。ボートに腹這いになって熱を吸収しようとするのだが、さすがに芯まで冷え切ってしまうとつらかった。

帰ってから学科の4章。帰るまでの間もずっと肺が苦しかった。タイビングってこんなつらいスポーツだったのか?



12月30日(木) 魚とたわむれる(クラビー)

今日はいよいよ路上教習だ。最初に昨日出来なかった中性浮力(バランスが取れた無重力状態)の練習と水中で空気が無くなったときの緊急脱出の練習。これは「あー」と声を出しながら比較的早いスピードで浮上するもので、空気を吐いていても水深が浅くなるにつれてどんどん肺の空気が膨張するので、いくらでもはき続けられるという面白い現象が起こる。逆に息を止めると肺が膨張しすぎてえらい事になるらしい。相変わらず呼吸は苦しいのだが、昨日よりはだいぶましになってきた。

午後からはいよいよ路上教習にあたるオープンウォーターだった。今日潜ったのは水深12mでただ先生について泳ぐいわゆるファンダイビング+αみたいな感じでいろいろカラフルな魚が見れて楽しめた。とくにハリセンボンは大きなうるんだ目がキュートで思わずファンになってしまった。ただ呼吸方法がいまいちよくないのか、上まで上がってしまう事は無いものの、浮力の調整がなかなかうまく行きにくい。そして船に上がった後もしばらく肺が苦しかった。

帰ってから学科5。なぜかそのまま最終試験までやってしまおうという事になった。結果は97点で難なく合格。元資格マニアとしてはこのくらいの筆記試験で落ちるわけにはいかないのだ(笑)

これであと4本潜れば講習は終わりという事にしなる。



12月31日(金) さよなら1900年(クラビー)

今日は最後の限定水域の5番とオープンウォーターの2番。今日はもう呼吸もだいぶ慣れて、講習の間も周りを見回す余裕が出てきた。講習は水中でBCDを着たり脱いだりする練習や、バックアップ空気源が壊れて時の為に1つのレギュレータを二人でシェアする方法をやった。自分のやつを相手にあげているとき、一度なかなか返してくれなくて少し焦った(笑)

午後のオープンウォーターの頃にはもう完全にリラックスして潜れるようになって、空気の消費量もかなり減らせるようになってきた。仰向けになってゆらゆら揺水面を見たり、逆さになって岩の間をのぞき込む余裕まで出来てきた。

ショップに帰ってきた所で明日の予定を聞かれる。要は元旦を休みにするかどうかという事なのだが、明日やれば認定証の年月日が2000年1月1日になるので生徒全員一致でやることになった。まさか元旦に海の底にいる事になろうとは(笑)

明日は最後の講習なで、ピピ島まで潜りに行くらしい。楽しみだ。

宿に帰ってからは町をぶらぶらした。さすがに大晦日なのか町の外れのほうでイベントをやっていた。昨日までは無料だったのだが今日からは入場券を買わないといけないらしい。あんまり大したイベントでは無さそうだがとりあえず入ってみる事にした。

中はたくさんの屋台と移動遊園地そして2つのステージでコンサートとタイ舞踊をやっていた。といっても親父が衣装を着てステージでカラオケを歌っている程度のものだが、田舎ではこんなものだろ(笑)

盛大に「2000年はクラビーで」みたいな看板が会った割にはとくにカウントダウンのイベントもなく、あっけなく2000年になってしまった。12月は旅行者達の間で「どこで新年を迎えるか」というのが話題になっていたが、自分としてはやっぱり日本で迎えたかった。それがまさか、ついこの前まで名前もしらなかった土地で迎える事になるとは(笑)

当たり前だが年が変わったかといって何が変わるわけでもなく、自分の旅はまだまだ続くのだ。でも、いつになったら帰れるんだ?(はて?)



1月1日(土) 卒業式(クラビー〜ピピ島〜クラビー)

今日で長かった講習もいよいよ最終日。今日はなんとピピ島まで遠征だ。講習も講習と言うよりは完全にファンダイビングなのでとても嬉しい。

いつもより一時間早くアオナンに到着してさっそくクルーザーに乗り換えてピピ島へ。近海の実習の時はタイの漁師がつかうロングテールボートというのに乗っていくのだが、こいつは揺れる上に水しぶきを頭からかぶるのであまり好きでは無い。出来たら乗りたくない船なのだが、今日のクルーザーは大きくて快適だ。「大船に乗った気分」というのはこう言うことをいうのだろう(笑)

ポイントに着くと早速ブリーフィングをして潜る。ピピ島は透明度はいまいちなものの、その分プランクトンが多いので魚の数が他と比べて圧倒的に多い。午前中は様々な色の魚に加えて、砂地にいるレオパルドシャーク(トラフザメ)を見ることができた。こいつはなかなか大人しくて虎というよりは猫みたいでなかなか可愛い。

いろんな魚を見ることが出来たのも良かったが、一カ所浅場から崖で20mぐらいまで落ち込んでいる所があって、そこを真っさかさまに下っていくのがスリリングで楽しかった。このころには呼吸の方も完全に陸上と同じ気分で出来るようになり潜っていてすごく楽しかった。

こうして最後の講習もあっという間におわってクルーザーで昼寝しながら本島へ帰った。店に着いてログブックを書き終わると、一人づつSunny先生より認定証が手渡された。これで晴れていよいよ一人前のダイバーなのだがなんだか実感が沸かない。先生によると最初の20本ぐらいまではどんどん伸びるので、「ぜひまた旅の間にどこかで潜って下さい」との事だった。

楽しかった分知らずに疲れていたのか、宿に帰るとシャワーも浴びずに眠り込んでしまった。
 

 
Sunny先生と
今日から晴れてダイバー
  


1月2日(日) 久しぶりのOFF(クラビー)

今日は久しぶりのOFFだ。というかまぁこの旅自体OFFなんだけど、ここ数日体を酷使していたので今朝は10頃まで朝寝坊。そして朝ごはんを食べてまたまた昼寝。だいたいそんな一日。

そして今日は、たまっていたメールの返事と日記書き、そしてホームページの更新を一気にやることにした。ダイビングやピピ島での間、あまり日記を書いていなかったのが気になっていたのだが、何とか記憶をたよりに出来事を書き記す事ができた。

寝たり起きたりを繰り返して、結局メールを全部送り終わった時には日にちが変わってしまっていた(笑)。普通に旅行している分には夜が結構暇でこまめにいろいろ出来るのだが、ここの宿のように部屋にコンセントが無かったり、昼間動きすぎで疲れたりが続くとなかなか大変だなあと思った。

まあ、負担にならないようにぼちぼち更新していく予定。



1月3日(月) 民族大移動(クラビー〜トラン〜ハジャイ)

直前まで決めていなかったのだが、やはり今日の朝南へ向かって移動する事にした。まず例のアバウトな経営のおばちゃんの店でハジャイ直通のワゴンを頼んだ。ここのおばちゃんはあまりもうける気が無いのか、ほとんどコミッションを取っていないので他の旅行代理店とかに比べると格安で買えてしまうのだ。

だが、今日はタイ人の休日が終わる日で、乗り合いワゴンは何処へいくのも全て満席だという。仕方無いのでソンテウ(タイ版乗り合いトラック)に揺られて町外れのバスターミナルまで。しかしここでも満席。しかも行き先を変えようとしても、全ての行き先の指定席が満席らしい。おばちゃんに聞いても「立ち席覚悟で、ラッキーなら座れる」という返事しか帰ってこない。

やっぱりもう一泊しようかと思った時、さっきのおばちゃんが「トラン行きに空きがある」と呼びに来てくれた。トランはクラビーからハジャイへの丁度間にある町で、そこからたくさんのハジャイ行きが有るらしい。これで何とか動けそうだ。

バスは出発してからもあちこちで乗客をひらって途中満員状態で、しばらくしてこじんまりとしたトランのバスターミナルに到着。ターミナルで軽く腹ごしらえしてうろうろしていると丁度目の前にハトヤイ行きのバスを発見して乗ることにした。

このバスはエアコンバスなのだが完全自由席で、途中もたくさん客を詰め込もうとして座席に3人座らせたりして結構窮屈だった。それでも途中からたくさんの人が立っていたのだが、30分待てば空のバスが来るのにタイ人は我慢強いのか、何も考えてないのか(笑)。少し日が傾きかけた頃、ハジャイの時計台前に到着。どうやらここが町の中心らしい。

着いてさっそく宿探しなのだが、タイの正月明け大移動の為か何処もいっぱいで、何軒か回っても満室で、やっとの事でちょっと古い怪しげな宿にチェックインした。タイ人というよりもちょっとマレー人っぽい感じの人がやっている宿で、いよいよ国境に近づいたなと感じた。

明日はいよいよ国境越え。ちょっとドキドキだ。



 
 
 
 
 

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