このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

タイ・再会編
(ハジャイ〜ウボンラチャタニー)
 

1月8日 そこはクラビー(ハジャイ〜クラビー)

昨晩は宿が胡散臭かったので南京虫を警戒して、寝袋カバーにくるまって寝たので汗びっしょりだ。でもそのおかげか一カ所も噛まれる事なく乗り切る事ができた。

朝っぱらからシャワーを浴びて、レセプションで今日のチケットを買うことにした。行き先はよく決めてなかったのだが、不意に出た言葉が「クラビー1枚」。「なんやー、またクラビーかー!」と心の中でツッコミを入れつつも、やっぱり気に入っているのか支払いを済まして上機嫌だった。

乗合いバンは予約のあった安宿を回って客を集めるのだが、やっぱり一人でも客を増やしたいのかもう一度最初の宿に戻ってきてしばらくまっている。10分ほどしてもう一人客を拾ったところでクラビーへ向けて出発した。

やっぱりバンは速い。特にトラン〜クラビー間は峠があるのだが、バスの何倍ものスピードでビュンビュンと走っていく。そして1時半ごろにバンは見慣れたクラビーの町へと帰ってきた。

今回は短い滞在になりそうだったので、前に知り合った日本人がやっている普通のレストラン「さくら」の2階にお世話になることにした。特に看板を出して宿をやっているわけではなく、口コミで希望者がいれば50Bで泊まってもいいという感じで、どっちかというとホームステイしているような感じだ。下の店でいつも本を読んだりしているのだが、娘のサラ(ハーフ)がいつもじゃれついてくるので結局子供と遊んで過ごすことが多くなりそうだ(笑)

まだまだ日が高かったので、町の食堂で昼飯を食べてから友人達にハガキを書くことにした。この旅では頻繁にメールの読み書きをしているので、すっかりハガキを書くことが無くなっている。そんなわけでインターネットを使えない友人を中心にハガキを出した。

やはり土地勘のある町というのはいいもので、屋台をはしごしながら見なれた町を歩き回った。夜風はこの前よりも少し蒸し暑くなっていた。



1月9日 秘密の泉(クラビー)

今日はこの前から気になっていた、Princess Lakeへ行くことにした。この前も行こうとしたのだが、ここは海沿いの険しい山の中にある小さな湖で、周りを崖に囲まれているため「結構気合いがいる」とダイビングショップのマヌーに脅されて断念したのだった。

しかし「さくら」のお母さんに聞いてみたら「地元のタイ人はスリッパで登ってるよ」という事なのでスリッパで行くことにした。(間違いその1)まず港で適当に声をかけてくるボートマンを探してボートまで連れていってもらう。50Bと距離の割には安かった。45分程かけて、またまたロングテイルで水をかぶる。まあ今回は大した事は無かったし、「大船」は出てないので他に選択肢は無いのだ。

ライレービーチは砂が巻き上がっているのか思ったほど綺麗ではなかったが、反対側のプラナンビーチは、コ・ピピに匹敵するほどの綺麗さだった。ビーチで遊ぶ人々を後目に登り口を探すが一通り回ってそれらしい登山口は見つからなかった。「おかしいなあ」と思いながら来た道を戻るとなんだか崖にロープがぶら下がっている。「はっ、、まさか!!」近くにいたドイツ人のおっさんに聞いてみたらそのまさかだった。「装備無しに登るなよ」と看板に書いているのだが、来てしまった物は仕方ない。そこに山があるから仕方ないのだ!

岩と泥の混ざった急斜面を片手をロープ、反対側の手で岩をつかんで注意深く登る。登り始めると意外と楽に登ることが出来たのだが、下りは結構垂直チックだった。まだ1つの高さが5mぐらいで段々になっているのが救いだろうか。ともかく無事に”秘密の湖”に着くことが出来た。だが湖は別に秘密にするほどの物では無かった。雨水がたまるだけの湖なので水が汚いのだ。

仕方ないのでさらなる秘密を求めて、VIEW POINTとかいう所を探したら、こっちはなかなかの絶景で楽しめた。ただ人が多くて秘密でも何でもないのだが(笑)

来た道を戻り、海岸でぶらぶらして帰る事にした。今日は貴重品を持ってきてしまった為、ビーチでは泳げないのだった。これが一人旅のつらいところかも。

クラビーに帰ったら、相変わらず”トンタイゲストハウス兼よく分からない店”のおばちゃんに「座れ座れ」と言われて店の前で涼んでいたが、ついでに明日のバンコク行きのVIPバスのチケットを予約する事にした。このおばちゃんやる気が有るのか無いのか、コミッションを取ってないらしく値段が他より格安なのがうれしい。額面450Bのチケットを350Bで売ってくれた。しかしこれが地獄への第一歩だとはこのときは知る由も無いのであった。ちゃんちゃん。
 

 
VIEW POINTからの景色
手前がライレーで、奥がプラナンビーチ
 


1月10日 泥棒バスの攻防。バックパッカー対極悪旅行会社(クラビー〜バンコク)
 
昼下がりに、色々よくしてもらった「さくら」を後にして集合場所のトンタイの前へ移動することにした。サラちん子供のくせに投げキッスなんかせんでよろしい。でも可愛いから許す(笑)

そして、ピックアップのトラックがきたのでそれでバスまで連れていってくれると思っていたら、町中の旅行会社に連れて行かれてそこにバスが来るのかと思ったら、結局チケットを別のチケットに交換され、バンに詰め込まれてスラータニーの町まで連れて行かれた。そしてそこで乗り換えだと思ったら、また別の旅行社で、なんだか訳の分からない「Transfer ticket」なる社名も何も入ってない紙切れと交換されて別のバンに乗せられる事になった。

ここでまず一つ目のトラブルが起こった。クラビーから一緒に来た通常バスのチケットを買っていた3人は「今日は通常バスなんて無い。チケットを無駄にしたくなかったらここで100B払ってVIPバスに乗れ」と言われていた。当然議論になっていたのだが「そんなことを言われても、うちはチケットを横流ししてるだけ何で何も知らない」とかとぼけられて、結局しぶしぶ払っていたようだった。

そして次に連れて行かれた最終的な旅行会社「Udon Mart Tour」には明らかに一目で悪人と分かる怪しげな男2人が居た。まず名前となぜかパスポートナンバーの記入を求められた。番号を書こうとうすると、イギリス人の女の子に「この前もT/Cを取られた人が、届ける前に換金されてしまっていたという事件があったからダメよ」と言われ、自分をふくめ数人が書かなかったのだが、係員は急に脅迫的になり、「パスポートの番号を書かなければバスは出発しない、好きにしろ」と怒りだした。結局全員が折れて書くことになったのだが、当然自分は嘘の番号を記入しておいた。

この時点で自分はこの会社にかなりの警戒心を持っていた。南部方面のバスでの盗難や飲料水への睡眠薬の混入などは特に有名な話らしい。そしてデジカメでバスのナンバー、スタッフ、店の写真を撮っておく事にした。そして極めつけは、バスに乗り込んだらシート番号が全部はがされていて、係員の言うがままに座らせられるという点だ。自分のチケットは「11A」窓側の一番後ろの席のはずなのだが、なぜかチケットには鉛筆でご丁寧にもLower Deckと書き足されており、他のイギリス人二人乗り込んだ後で1階の普段はラウンジとして使われる貧弱な長椅子のある薄暗い一角に連れて行かれた。

イギリス人は「550Bも払ったのに、こんな狭苦しい所なんて納得行かない」などと食いついていたが、相手は悪人なので無視したり文句を言ったりを繰り返していた。そして彼らは自分たちの証拠になりそうなチケットを回収する事に全力を傾けていたようだった。イギリス人が「クレームを付ける時の証拠にするので渡せない」というと「チケットを出さないとバスは出発しない、勝手に朝までここに居ろ」などと信じられない事を言い出した。

結局自分は渡す事にしたのだが、係員の前でデジカメを出して、店の名前をノートに書き写したりしていると急に態度が変わって上のデッキに行ける事になった。回りの人達に一部始終を話し、警戒を求めるように注意したのは言うまでも無い。

そしてそれからは何の問題も無く、深くリクライニングするシートでほとんど一度も起きずに熟睡できた。バンコクに着いたらいきなりツーリストポリスが乗り込んで来て「全員所持金と貴重品をチェックするように」と指示された。やはり前科があるのかポリスからマークされて居たらしい。結局注意の甲斐あってか被害は無かったみたいだが、騙されて100B払わされた白人3人は移動交番で届け出をしていたようだった。

それにしてもまさか実際に自分の身に降りかかってくるとは、タイもあなどれん。
 
 証拠写真。



1月11日 天使の都(バンコク)

やっとバンコクに帰ってきた。バスが着いたのが朝の5時半だったのでどうかなあと思ったのだが、朝食をとったりして時間をつぶして、この前いた「ピンタイゲストハウス」へ行くことにした。

到着すると丁度だれかが早朝にもかかわらずチェックアウトするようで、うまく入れ替わりに入る事ができた。ただ前はシングルが1泊60Bと格安だったのだが、80Bに値上がりしていた。荷物を下ろしてとりあえずシャワーを浴びてもう一度寝直すことにした。

次に起きると9時半。この前からちょっと体を酷使していたので、タイマッサージに行くことにした。店は日本人経営の所で、前に一度情報ノートを読ませてもらいに行ったことがあった。店に入ると冷たいお茶を出してくれた。なんでも12時までに入店すると割引してくれるらしい。なんだか怪しいがマッサージは気合いの入ったものだった。それにしてもみんな力が強い。林檎を片手でつぶせるんじゃないのか?

若い女の子が多いのだがやんちゃなのか、隣の人の足の裏をこそばしたりしてくるから難儀だ。ただでさえこそばいのを我慢しているのに(笑)。マッサージは1時間コースで100B。どっちかというと足に重点が行っていたようなので、次は上半身中心にしてもらおうと思う。

マッサージの次はこの前から気になっていた予防注射を打つためにタイ赤十字社へ。受付で聞くと予防注射の係を教えてくれた。さっそくA型肝炎と狂犬病のワクチンを打つことにした。A型肝炎は、HAVRIXという最新のワクチンで、日本で9000円、カンボジアで$60、ここタイでは1500B(4500円)だ。かなりの大金なのだが日本で打つより安いので思い切って打つことにした。狂犬病の方は1回350B。3回打たないといけないのが難点なのだが、これは発病すると100%死ぬので打っておく事にした。

なぜか両肩に一本づつ打たれたのだが、子供の頃に比べるとあまり痛みを感じない。いやあオレも大人になったな(笑)

その後は例によって伊勢丹を冷やかして宿に帰った。バンコクには何でもあって思わず沈没してしまいで怖いのだが、とりあえず両親が日本に帰る20日まではここにいる事が決定したのでバンコク生活を楽しもうと思う。
 

 
イセタンの近くでルミナリエの
小さなのを発見。
 


1月12日 待ちぼうけと再会。(バンコク)

今日は朝からインターネットカフェにメールを受信しに行ってから、日本大使館領事部へ。大使館宛に届いていた手紙を受け取るためだ。

バンコクのバスはなかなか経路が複雑でわかりにくい。そして乗るときはまだいいのだが下りるときが困る。地図とにらめっこしながら自分が今どこにいるのかチェックし続けないといけない。そしてそれらしい通りの辺りで停車ボタンを押すと渋滞のせいかバス停じゃないところで下りる事が出来た。

領事部はビルの中にあるのだが、入り口でさっそくX線と金属探知器のチェックがあったりしてなかなかの警戒ムードだ。日本人向けのカウンターに行くと、手紙の受け取り時間までまだ1時間ぐらいあるらしくその辺の本を読んで時間をつぶす事にした。

チラシ類を見ながらしばらくすると客が全く居なくなり、時間外だがその間に手紙を受け取る事ができた。ほんの数通だが年賀状となぜだかインスタントみそ汁が届いていた。これは嬉しいかも。そんな感じで大使館を後にして今度は新しくバンコクに出来たという高架鉄道に挑戦する事にした。

さっそくASOKの駅に行くとまだ開業して間がないのか案内のお姉さん二人が立っていた。経路図を見ながらチケットを買ったがこれがなかなか他の交通手段に比べると格段に高かった(25B)そしてチケットや列車はどちらも香港の地下鉄のような感じだった。イギリス製なのだろうか?

高架列車は冷房も効いていておまけに交通渋滞も無いのでアッという間にパヤタイ駅に到着した。そしてここから59番バスに乗り換えて空港へ。そう、今日は前から言っていた、吹奏楽団のOL二人が日本からやってくる日で、密かに空港で待ち伏せて驚かせてやろうと思っていたのだ。

59番バスは想像を絶する排気ガスと渋滞の中を1時間と少しかかってドンムアン空港に到着した。空港内を散策して目的の全日空の便がとんできたのでArrivalでしばらく待つ事にした。所が待てども待てども全然それらしい団体は出てこなくて、結局1時間半待った所でおかしい!と思い到着掲示板をチェックすると、Gate1,Gate2の表示が、、、やられた!なんと国際線のゲートは2つあって、国内線ターミナルだと思いこんで居たところが第2ゲートだったのだ。

そう言うわけで結局会えず、来た道をバスに乗って帰る事にした。さすがに9時を過ぎているのでバスはビュンビュンと景気良く飛ばしアッという間にパヤタイに到着した。ここで時計を見るとまだ10時になっていなかったのでそのままヒルトンホテルに押し掛ける事にした(笑) 

止せばいいのにバスを乗り継いでヒルトンへ。そしてそのドアをくぐった瞬間、心から後悔した。ヒルトン、、、ここまですごいホテルだとは思わなかった。ボロボロのつっかけとよれよれのTシャツを来た自分は明らかに別世界の中で一人浮いていた。例えるならブランドショップの並ぶデパートの1階に焼き鳥の屋台が有るようなものだろう。しかしもう後には引き返すことは出来ない。自分に言い聞かせながらおそるおそるレセプションに向かった。

「日本から来た友達と連絡取りたいんすけど、、」「お名前は?」「ま(仮名)です」 さすが五つ星ホテル!一瞬のとまどいは見過ごさなかったが電話をかけて取り次いでくれた。そして電話からは聞き覚えのある懐かしい声が。そしてロビーまで迎えに来てもらって感動の再開後、部屋に行って2ヶ月ぶりのお湯の出るシャワーを使わせてもらった。そして救援物資と称して日本のお菓子とカップラーメンを受け取って、2時間ほどたわいも無い話をしてからバスに乗ってホテルを後にした。

最終日はフリーらしいのでまた何処へ連れていくか色々考えないと。
 

 
新登場の高架列車
 


1月13日 総理大臣ウヲッチング(バンコク)
 
今日の昼間は全く暇になったので、初めてのバンコク観光に出かける事にした。まずはじめに向かったのが、涅槃仏で有名なワットポー。ここはタイマッサージの総本山らしく、寺の中にマッサージ学校があった。そして修学旅行のシーズンなのか、坊さんがなにやら高校生に説法をしていたのだが、この坊さんなかなかユーモアのセンスがあるのか、高校生達は大爆笑で話に聞き入ってきた。タイ語なので何を言ってるのか分からないのが残念だった。

それから暑いので涼んでいたら地元の学校の吹奏楽部が練習をしていた。演奏の方はうーんという感じだったのだが、チューニングや先輩が後輩に教えてる様子なんかが妙に懐かしかった。

ここ数日のバンコクはとにかく暑くて参ってしまう。これから4月のピークを目指してどんどん気温が上がるらしい。しばらく寝釈迦の前で涼んでから今度は川を渡ってワットアルン(暁の寺)へと向かった。

このワットアルンは三島由紀夫の小説の舞台にもなったらしいのだが、活字嫌いの自分がそんな話を知っているはずも無かった。(笑)ともかくこのワットは他と違って金キラ系ではなく白っぽい外張りになっていてなかなかイカしている。

そんな感じで初めての観光を終えて今回は今持っている最高の服装に着替えてヒルトンホテルへ。とはいうものの、服装はチェックの長袖シャツ、綿パン、トレッキングシューズ。そんなものなのだが。

今日はOL二人組はタイスキを食べに行ってるらしいのだが、時間が伸びているのかなかなか帰ってこない。そしてロビーで待っていると一目でSPと分かる目つきの鋭い人達がどんどんやってきた。そして普段使わない一番大きな扉も開けられ「なんだなんだ?」と思うといきなりパトカー、白バイにつき沿われて黒塗りの乗用車がいっぱいやってきた。そして中から出てきたのは、、、「あ、小渕くん」相変わらず小さくて腰が曲がっていて存在感が無く最初は見落としそうだったのだが紛れもない小渕首相だった。

自分が日本に居ない間に、ハッピーマンデーとか変な法律ばっかり作って「ちょっとピシャゆわしたろか!」と思ったがそんなことをすれば10人以上のSPに同時に飛びかかられるのは明らかだった。のほほんとした首相とは対照的に回りは緊迫した雰囲気だった。それにしても、お供の数が多すぎて驚いき!総理大臣が一人移動すると100人からの人間が付いてくるのだ。

そして例によってホテルの湯船を使わせてもらい温水シャワーを浴びて、今日行った観光名所を聞いて明後日の計画を立てる事にした。なんだかほとんどの名所を回りきってしまったようなので、カオサンにでも連れていくしかないかな。
 

 
ワットポーの涅槃仏
かなりでかい!!


1月14日 チャイナタウン(バンコク)
 
今日はOL二人組を何処に連れていくか下見をかねてチャイナタウン方面へ。なぜか普通バスが来たので飛び乗ったのだが後で心から後悔。チャイナタウンは雑然としたバンコクにあって輪をかけてごちゃごちゃしている。交通が半分麻痺していて動くことが出来ないバスは太陽にじりじりと焼かれて蒸し風呂状態だった。

たまりかねず下りると、そこはヤワラーと言われるチャイナタウンの中心部だった。とりあえず近くのスーパーに駆け込み体を冷やす。そしてぶらぶら歩いていると人がぎりぎりすれ違える程の路地に無数の商店や屋台が並んでいる通りにでた。どうやらサンペーンレーンという通りらしい。

商品は服からアクセサリー、果物からニセ腕時計まで。そういえばペナンで腕時計を落としてしまっていらい時計を持っていなかったんでここで買うことにした。いろいろ見ていると、S-ShockといったG-Shockのニセモノとかがたくさんあったのだが、見かけが安っぽい。その中に一つだけ割と綺麗な作りの物があった。Baby-Gと書いてあるがそんなモデルは見たこと無いしもちろんニセモノだ。値段は200B、防水とアラームが着いているので買うことにした。

それにしても暑いのと汚いので、こんな所に免疫の無いOLを連れてきたら倒れてしまうかも。そんなわけでチャイナタウンはあっさりと却下される事になった。(笑)



1月15日 サヨナラ、また日本で(バンコク)

今日はいよいよ二人が帰ってしまう日で予定は丸1日フリーになっている。二人は止せばいいのに「ディープなタイが見たい」というので、とりあえずバンランプー方面に連れていく事にした。

二人の為に60番の最新エアコン付きオレンジバスを停めて乗せる。二人は当然バンコクで路線バスに乗るのはじめてで「これはバンコクで一番いいバス」と言うと驚いていた。民主記念塔辺りで下りて郵便局でハガキを出し、その後「やっぱりタイはマッサージでしょう」という事で、行きつけのチャイディーマッサージへ連れていくことにした。

「30分でいいんじゃ」という二人だがここは1時間コースを薦める。タイマッサージは時間をかけないと効果が薄いような気がするからだ。1時間後、二人は連日パックツアーで連れ回されて疲れていたのか、思っていた以上に喜んでくれた。サービスで出されるンゴ(ランプータン)も彼女らには珍しいらしく、爪で「ばきっ」と割ってあげると美味しそうに食べていた。

次の興味は、”僕がどういう旅をしているか”に移っているらしく、僕の泊まっている宿が見てみたいというので連れていく事にした。今泊まっている宿はカオサンではなく、バンランプー運河の反対側の集落の中にぽつんとあるので、そこまで行く間にも人々の生活風景がたくさんあって「すごい!」とか驚いていた。

レセプションで許可をとって部屋に案内すると「うわー、すごーい!! 写真写真」とか、、お前らなんで人の部屋で記念撮影してるねん!!ま、いいけど。さすがに自分たちのホテルとのあまりの差に驚いたようだ。これがアジア標準なのだ。

そんなこんなしているあいだにかなり時間が経ってしまったので遅めの昼食を食べてホテル方面へ戻る事にした。たわいもない話をしながら、途中イセタンを冷やかしたりしてから徒歩でヒルトンへ。

そしてヒルトンの前でいよいよお別れ。日本にいた時は、一緒に楽器を吹いたり、飲み屋でへろへろになるまで飲んだりしてた仲間なので、なんだか自分だけ置いていかれるような気がして、ちょっと寂しかった。旅に出て4ヶ月日本から知っている友人に会うのは初めてだったので妙な感じだ。

あっさりと別れてバス停に向かって歩く。後日聞いた所によると彼女らは僕の姿が見えなくなるまでずっと見送ってくれていたらしいのだが、なんだか振り返ると余計寂しくなりそうだったので振り返らなかった。

そして又一人旅が始まる。



1月16日  再会第2弾(バンコク)

昨日は友人達が帰ってしまったのだが、よく考えてみると今日両親が来るのだった。空港は素通りになりそうだったのでちょっと時間が遅いのだが直接ホテルまで行くことにした。

夜の11時ごろ"Raddison Hotel"に到着。そしてレセプションで聞くとまだチェックインしていないそうなので、1階の送迎口に行くとちょうど到着した所だったようだ。小一時間ほどだがいろいろと旅の話なんかをして、お土産に日本のお菓子をたくさんもらってしまった。

この辺りは人通りが少なくてかなりやばそうだったので、帰りはロイヤルパークアベニューという繁華街を通って帰ったのだが、ここはクラブ、ディスコ、ライブハウスが両脇にあって耳が割れそうなぐらいの大音響だ。ただ警官やガードマンが警備しているので安全に通れるという面では文句無しだった。

中では超満員でタイの若者達が踊り狂っていた。神戸にもこれだけクラブが密集してるような所は無いだろう。やっぱりバンコクはすごい。
 

 
ロイヤルパークアベニューの
クラブ街


1月17日 予防注射第2弾(バンコク)

今日はバンコク予防注射計画の第2弾で昼過ぎからスネークファームのあるタイ赤十字社へ。

2回目なので手慣れた物で、問診係で「狂犬病(Rabies)と破傷風(Tetanus Toxioid)」と言うと紙をくれ、それを持って会計でお金を払って薬局でアンプルを受け取る。そしていつものように看護婦のいる部屋に持っていって打ってもらうのだが、今回は「一緒にミックスしましょう」と二つのワクチンを混ぜてシェイク!1回の注射で済んだ。「大丈夫なん?」と聞くが「OKOK」らしい。さすがマイペンライだ。

ちなみに前回のA型肝炎は1500B、狂犬病は350Bだったのだが、破傷風トキソイドは何と15B!(45円)これなら10本打ってもたったの150B←止せ これはお薦めだ。たしか日本で打つと1500円ぐらいだったと思う。

破傷風は1回で10年有効らしい。もっともこれは基礎免疫のある人の話なのだが、「20年ぐらい前だけどやった」と言うと「OKOK」らしい。日本人なら全員やっているはずなので、大丈夫だろう。

注射が終わるとちょうどスネークファームの「格闘!へび対人間ショー」(本当は違う)の時間だったのでそっちの見学に行くことにした。ここはかの有名なパスツール研究所の支援で作られた世界で2番目の規模の毒蛇研究所らしい。ここでは毒蛇の血清に関する研究が行われていて、たくさんの種類の蛇が飼育されている。

ショーでは飼育係のおじさんが手づかみでキングコブラを持ってきて、そして叩いたりして怒らせて対決していた。コブラは普段は細長いのだが怒ると頭が平たくして持ち上げる。昼寝からたたき起こされて機嫌が悪いのかコブラも「シャーッ」と怒っている。でも百戦錬磨の飼育係の敵では無くあっけなく首を押さえられて捕まってしまった。

最後は毒のない巨大蛇(4mぐらい?)を首に巻き付けて写真を撮らしてくれたりとなかなかサービスも良い。解説のおじさんもなかなかユーモアがあって、マイクをコブラに向けて「こんにちは!」とか言っていた。

次の予防注射は21日後に狂犬病をやれば全て終了。これで懸案事項が片付いた。A型肝炎と破傷風は1回で済むので、これから長期間旅行する人には是非おすすめ。
 



1月18日 今後の予定(バンコク)

最近ダメダメ人間度に拍車がかかっている。今朝も起きたら11時。ここ連日ホテル通い(別に怪しくないです)をしていて毎日帰ってくるのが1時前というのもあるんだけどいい加減生活態度を改めないとと思う。

そんなわけで今後の予定なんかを立ててみた。やっぱりラオスへはウボンラチャタニーからチョンメを通って入ろうと思う。途中にナコーンラチャシーマとかピマーイ遺跡なんかがあるのでその辺りも回ってみる予定。とにかくラオスは所によっては電気が無かったりするらしいので、懐中電灯の電池を補給したりいろいろ買い物が必用そうだ。

そして今回は短距離の移動が続きそうなので、せっかくだから列車で行けないものかとタイ語版の時刻表をもらってきた。実はツーリストインフォでは外国人向けの英語版の時刻表もあるのだが、これは主に優等列車と一部の長距離普通列車しか載っていないので地方の町から乗る場合はあまり役に立たないのだ。

英語版を参考にしながらタイ語の時刻表に英語で読み仮名を付けたりして何とか使えるようにした。ローカル列車とはまさに沿線住民の生活の一部で楽しみだ。

所で短期的にはそれでいいのだが、この度の最大の目的「ユーラシア横断」の方はかなり行き詰まっている。まずいかにしてミャンマーを通らずにインド亜大陸に抜けるかなのだが、船の方もいろいろ問い合わせてみたのだがなかなかいい返事は返ってこない。シンガポールまで行ってチャレンジする価値はあるのだが。

一方陸路はチベット回りとフンジュラーブ越えの2つがあるのだが、どちらにしろ雪と寒さの為5月までは無理だろう。そうするとネパール、インドが雨期に入ってしまって観光どころでは無いかもしれない。

それとももう陸路はあきらめて、飛行機でヤンゴン〜チッタゴン or カルカッタへ飛ぶとミャンマーにも入れるし陸路で行くよりもはるかに安く行けるだろう。

いずれにせよこれは次にバンコクへ戻ってくるまでに何とかしないといけない。ラオスでメコン沈む夕日でも見ながらゆっくり決めたいと思う。



1月19日 少し参加(バンコク)

今日はツアーの方は昼まで買い物ツアーで夕方までフリーと言うことだったので、親を迎えにWTCのイセタンまで出向いたのだが、何と水曜日でイセタンも屋台も休みの日なのに、添乗員は「ここで4時間後に待ち合わせ」と言い残して去っていったらしい。パックツアーにしては手抜き過ぎるような気がする。旅慣れてない人ならどうしようも無いんじゃないだろうか?

ともかく親と無事合流して初日のツアーに組み込まれていなかったワットポーへ連れていく事にした。今日は両親を連れているので「何が何でもエアコンバスを探さなくては!」と思っていたのだが渋滞でバスはなかなか来ず、やっと来たバスはエアコン無しの赤バスだった。「乗る?」「乗ろう乗ろう」という事で赤バスに乗せる事になってしまった。ちょっと心配だったのだが今日は珍しく涼しいのとイセタン以降は渋滞も無くスムーズだったので思ったよりも楽だった。

両親は別の寺の寝釈迦は見たらしいのだが、本家ワットポーの巨大な涅槃仏にちょっと驚いていたようだった。帰りは渋滞を見越してこれまた運河ボートに乗せる事になってしまった。時々泥水が飛んでくるので心配していたのだが、両親は「普通のツアーじゃ乗れない」と喜んでくれていたようで良かった。

この日の夕食は両親がツアーに一緒に参加出来るように追加を頼んでいてくれていて、イセタンから一緒にツアーバスに乗ってチャイナタウンの海鮮料理屋へ。他のツアー参加者なんかに自己紹介をしたりしてたのだが、前に座っていた若い女の子二人組が旅のいきさつを聞いてなんだかすごく驚いていたようだった。「うそー、すごいやん、一緒に記念撮影しましょう」とかいまいち意味不明(笑)海鮮料理を食べた後帰り際に握手まで求められてしまった。

なんだかいまいちよく分からない一日だったが久しぶりに腹一杯夕食を食べて満足だった。


1月20日 さよなら2(バンコク)

今朝は朝一番で宿を移ることにした。昨日まではPin Thai Guest Houseというカオサンから少し離れたエリアの静かな宿に泊まっていた。ここは旅行会社のお姉さんが経営していて管理は親戚夫妻に任されているようだった。最初に訪れたときはの親戚の素朴で親切で良い宿だと思ったのだが、最近ゲストハウス経営のおいしさを知ったのか、宿の値上げに始まって、荷物預かりも1日5Bとかお金を取るようになってきた。

そして最後の方にはコンセントでノートパソコンを使う事に対してもあまりよく思って無い様で、チェックアウト時には「君は部屋のコンセントでパソコンを使っていたから10B払ってくれ」とか言われる始末だった。もちろん後からそんなことを言われても払うわけはなく「払わない」というと機嫌悪そうにデポジットを全額返してくれた。そんなことを言い出したら扇風機の方がよほど電気を食う。もっともノートパソコンの消費電力などと言っても分からないのは仕方無いのだが。

そんなわけで移った先は韓国人経営の「出会いの広場」 ここは日本人と韓国人のたまり場的な宿で、名前の通りパブリックスペースがものすごく広くてまさに出会いの広場だった。シングル一泊80Bも安くてお得だ。荷物を下ろしさっそく両親が待つRaddison Hotelへ。

今日はいよいよ最終日なので、あまりあちこち連れ回しても大変なので、カオサンの行きつけの「チャイディーマッサージ」へ連れていくことにした。カオサン通りも見てみたい風だったのでちょうどよかった。

ホテルに着くとちょうどホテルのシャトルバスがあったようで、それに乗ってワールドトレードセンターまで行く。なんだか部屋番号の確認とかをしていたが適当にごまかして上手く切り抜けた。母親はどうもあまりツアーで食べたタイ料理が気に入らなかったらしく和食を食べることになった。外国生活が長い自分にとっても願ったり叶ったりだ。

例によってバス乗り場へ。今度はちゃんと冷房バスが来たので一安心だ。昨日夕食に参加してみて分かったのだが、パックツアーというのは結構ハードな旅行だ。タダでさえ過密スケジュールのなかに、現地会社の利益の為におみやげ物や免税店回りをさせられるので朝も早く夜も遅い。そんなわけで疲れをとって日本へ帰ってもらう為に2時間コースをお願いした。

マッサージの方はなかなか好評だったようでなによりだった。バスに乗ってもと来た道を帰ると集合時間の約1時間前で、そのままホテルのロビーでいろいろしゃべったりしているとやがて出発時間がやってきた。バスに向かって手を振るとあっけなくバスは空港へ向かって去っていった。

とりあえずこれでバンコクでの予定は全て終了。



1月21日 一休み(バンコク)

ここ出会いの広場は沈没スポットになっているようだ。その大きな理由にパブリックスペースの充実と、巨大な本棚。本棚には日本、韓国のマンガから小説など山のような本があるので思わず読みふけってしまうと言うわけだ。

自分も例外ではなく、昨日の夜から「修羅の門」(月刊マガジン掲載)を読み始めてしまった。昨日は夜中までかかって12巻ぐらいまで読んだのだが、今日は一日で続きから最後の32巻まで一気に読み切ってしまった。

旅が始まるんじゃなかったのか?まったく何やってんだか(笑)



1月22日 もう一休み(バンコク)

うーん、今日で最後にします。ごめんなさい←誰に?

そんなわけで懲りもせずイセタンへ。紀伊の国屋〜ミスタードーナッツのゴールデンリレーを経て、なぜか急に夕焼けに染まるワットアルンが見たくなって1番A/Cバスに飛び乗る。

なんとかぎりぎり夕暮れに間に合った。日没と共に色合いの変わっていくワットアルンは美しかった。そして日没後は何とライトアップされていて、これまた渋い黄色に輝いていて綺麗だった。

そう言えば結局ワットアルンの中には入らなかったような気がするが、対岸から見るワットアルンもなかなかよかったのでそれで良いことにする。
 

 
ライトアップされたワットアルン
 


1月23日 旅の再開(バンコク〜コラート)

今度こそ3度目の正直で旅を再開させる。ああ、長かった。

10時頃に荷物をまとめチェックアウト、向かうはファランポーン・バンコク中央駅。とりあえず普通列車で東へ向かおうという事で、適当な列車を選んでチケットを買うが、いつもの外国人用窓口にいったら「普通列車は15番の窓口へ行ってくれ」と言われてしまった。普通列車のチケットは優等列車とはちがって正方形の小さなものだった。

チケットを買ってホームにはいるともう既に列車が入線していたのでさっそく乗り込む。同じ3等でも板張りとクッション付きの車両があって当然後者を選ぶ。

列車はのんびりとバンコク市内の人々の生活の間をすり抜けて郊外へと抜けていく。空港駅を過ぎた辺りから駅間も長くそしてスピードも上がって調子が出てくる。

草原をしばらくはしるとやがて山がちになってきてそれを抜けるといよいよコラート大地だ。今日の目的地はナコーンラチャシマー(別名コラート)だ。列車内にはいろいろな物売りがタイミングよく欲しい物を持ってきてくれる。売り物も少し地域性があっておもしろい。

日が沈みかけた頃目的地に到着。適当に歩いていると中国系の「東京旅社」という宿を発見した。バストイレ付き(当然水シャワー)で150Bとお手頃だったのでそのまま泊まることにした。コラートはさすがイサーン第一の町だけあって町の規模は結構大きい。
 

 
とある田舎の駅にて
 


1月24日 アンコール文化圏(コラート〜ピマーイ)

特にコラートは何も見るものが無さそうなので朝から荷物をまとめてローカルバスでピマーイ遺跡のあるピマーイへ。昨日はわざとバスターミナルの近くに宿をとったのにピマーイ行きは別のターミナルから出るらしく、ソンテウ(乗り合いトラック)で第2ターミナルに向かう。

ターミナルについてしばらくするとピマーイ行きのバスがやってきた。ノンエアコンバスなので窓が全開になっていて郊外を走ると風がびゅーびゅー入ってきていい感じだ。バンコクと違って排気ガスも無いし、気温も心なしか涼しくて快適だ。

1時間半ほどしてピマーイの町にはいるとすぐに一目でアンコール形式とわかる遺跡が見えてきた。ここイサーンは場所柄たくさんのクメール遺跡が残っているらしい。

バスから下りてメイン通りを歩いていると見覚えのあるユースホステルの看板を発見したので入ってみると思いのほかいい雰囲気の宿だったのでさっそくチェックインする事にした。なんとYHAカードで10%割引にしてくれた。

宿が決まるとさっそく遺跡見物に出かける事にしたのだが、ここの遺跡は町の中心にあるのですごく便利だ。建築様式はアンコール形式なのだが、アンコール遺跡群よりもかなり古いのか風化が激しくてレリーフも盗掘にあったのかあまり残っていないのが残念だった。そう考えると大規模な修復がされているなりにもアンコール遺跡群の状態はかなり良いことが分かる。 とはいうものの「カンボジアまで行くのは、、、」と言う人にはやはりお薦めかもしれない。

遺跡の後はこの町のもう一つの見所の巨大なベンガル菩提樹のある公園へ行った。公園までの道にも大小のカラフルな寺があってタイ人の信心深さが伺える。公園は大きな池に面していて、池の畔には長さ50m、幅20mほどの巨大な菩提樹のかたまりがあった。本来菩提樹は一本の木が横に伸びて新しく根を下ろして広がっていくらしいのだが、ここは主な木が3本ほどあって、それらがお互いに絡まっているのでこんな巨大なかたまりになったらしい。はもちろん信仰の対象になっていて、メインの幹には色とりどりの布が巻かれていた。

ここは小さな町なのだが、心地よい宿やフレンドリーな人々そして見所もあってなかなか「当たり」の町で、思わず予定が延びてしまいそうだ。

 

 
ピマーイ遺跡
 


1月25日 とある田舎の博物館(ピマーイ)

昨日で街の遺跡や見所は大体回ったのだが、ここピマーイにもう一泊する事にした。大きな理由は泊まっているYHA「オールドピマーイゲストハウス」の居心地があまりにも良いことだ。ここはYHA会員証によるディスカウントもしてくれるし、英語も十分に通じていろんな旅行情報が壁に貼られていて、まるでニュージーランドのユースホステルのようだった。

そして今日は同じ宿の日本人親子おすすめの「ピマーイ博物館」へ行くことにした。この親子は遺跡にはまっているらしく、ピマーイは3度目との事だった。博物館は規模こそ小さなものだったが、中はアンコールワットでも見たようなクメール様式のレリーフや像が所狭しと飾られていてかなり見応えがあった。

ただ観光客自体が少ないので入場者はほとんどおらず、閉館1時間前に入ったのに、チケットには「11」と書かれていた。つまり今日11人目の外国人観光客というわけである。

博物館見物のあとは適当に町をぶらぶら歩いてみた。大きなお寺には仏教学校が有るらしく、多くのお坊さんが学んでいるようだった。それにしても鉄筋の校舎やスクールバスまであってかなり大きな規模なのには驚いた。

宿に帰るとなぜだかどうしようもなく眠くて、夕寝して起きてまたうたた寝というなんだかまただらしない生活をしてしまった。それだけ宿の居心地がいいという事なのだろう。



1月26日 あてずっぽ移動(ピマーイ〜ヒンダート〜スリン)

今日はほんの少しだけ冒険だ。ここピマーイは幹線ルートから外れているため、バスは全てコラート経由になってしまう。これは来た道を1時間半も戻るという事で、それはどうも負けたような気分で仕方ない。

宿のおばさんに聞いてみると、東北線のヒンダートという駅まで乗り合いソンテウ(トラック)があるらしいので挑戦してみることにした。今回の移動では地元の人の交通機関をできるだけ使おうというささやかな目標があったので、あらかじめタイ語で書かれた、ローカル列車の全て載った時刻表をもらっていたのだ。しかしながらこのヒンダートという駅はその時刻表にも載っていない程小さな駅らしい。列車の時間も分からないのだがとりあえず町中のソンテウが出るというピマーイホテルに行ってみる事にした。

ホテルまでに着くとおばさんが出てきて「ホテル?」と聞いてきたので「ソンテウ、ヒンダート!」と答えると近くのバス乗り場まで連れていってくれて、いろいろ回りの人に聞いてくれた。おばさんによるともうすぐ客を集めにこのターミナルへやってくるらしいという事なのでベンチに座って待つことにした。

このおばさん世話好きなのか待っている間もずっと一緒に居てくれて、ソンテウが来ると運転手に「列車に乗るらしいからちゃんと駅まで連れていってね」と頼んでくれた。このソンテウの運転手は珍しく20代だと思われる笑顔の青年だった。荷台には山盛りの食材とおばちゃんたち、そして学生風の女の子たち。

ソンテウは赤茶けた風景の中を風を切って走り、一人、また一人と客を降ろしていく。風がとても心地よい。そしてしばらくするとソンテウは細い路地に入っていき一軒の食堂の前で停まった。どうやらおばちゃんの為のスペシャルサービスらしく、運転手は山盛りの食材をおばちゃんと二人で下ろして食堂に運び込んでいた。なんだか生活感有りまくりでなかなかイカす移動だ。

そしてその後客は自分と助手席に乗っている運転手の彼女と思われる女の子だけになってしまい、しばらくして小さな村のこれまた小さな駅が見えてきた。とりあえず駅に入ってみるとどうやら次の列車は2時間半後らしい。ここは村というよりも単に駅が有るだけと言った感じで駅前には店はなく、駅の反対側に商店が少しと、少し離れた国道沿いに小さな食堂があるぐらいだった。

おなかが空いたので国道沿いまで歩いて食堂で焼きめしを頼んだ。バスの休憩所にもなっているらしく「高いかな?」と思ったが余計な心配で、山盛りのおいしい焼きめしを20Bで食べる事が出来た。

駅ではおじさんちが貨車からトラックに荷物を積み替えている。少し働いては昼寝してまた少し運んで休む。一台の貨車が終わると、何と4〜5人で貨物を押して動かし、新しい貨物を取ってくる。見かけによらず力持ちのようだ。

そんな風景をぼーっと見ているうちにやがて列車がやってきた。4両編成のディーゼルカーで、中には行商のおばさんや焼き鳥売りなんかがいて生活感でいっぱいだ。途中イサーンの草原に沈む夕日を見たりしながら2時間程で目的地スリンに到着した。なんだか前よりも少しタイの人達に近づけた様な気がした。
 

 
片田舎の小さな駅
ヒンダートにて。
 

1月27日 遺跡の町(スリン〜シーコラプーム〜ウボンラチャタニー)

スリン市内にはあまり大した見所も無いようなので朝からウボンラチャタニー方面に向かうことにした。コンビニで遠足用のおやつを買って、最近お得意さまのタイ国鉄駅へと向かう。

今日の列車も昨日と負けず劣らず古くてがたがた。最初に向かうのは遺跡があるというシーコラプームという小さな町。着いてみると駅前には商店があって、思っていたよりも町は大きかった。駅前に遺跡のミニチュアがあり、やはり町の目玉なのかバイタクやトゥクトゥクのドライバーがたくさんよってくる。

とりあえず歩いていける距離だというので売店のおばちゃんに大体の方向を教えてもらってそれに従って歩いていくとなんとなくそれっぽいタイ語の看板を発見した。本を見ながら解読すると「遺跡公園」となっていたのでなんとか自力で行けそうだ。

静かな集落を抜けてしばらく歩くと、レンガ色をした朽ち果てた遺跡があった。遺跡の規模はきわめて小さいものだったが、ピマーイとちがい朱色の煉瓦を積み上げて作られているようで風化の度合いも激しくなかなかいい味を出している。遺跡は外や裏の破れた柵から入れたので「無料なのかな?」と思ったら正門の所に「30B」と書いてあった。結局係員が寝ていて請求されることはなかったのだが(笑)

遺跡見物にはほとんど時間がかからなく、次の列車まで2時間あるので駅前の市場で昼食をとることにした。東北料理なのか、白い麺に唐辛子の利いたドロッとしたタレをかけたもので、味の方はともかくおじさんがとてもフレンドリーで楽しかった。タイ語も解らないなりにも名詞や疑問形なんかの単語を少し覚えたので時々言っている事がわかって嬉しい。

食事のあとはいつものように、WALL'Sのアイスクリーム。ここ東南アジアに来てからはアイス食べまくりだ。特にタイは安いので1日3本ぐらいは食べている。それでいて体重には全然影響しないので、甘い物を食べたら太るというのはきっと嘘だろう。(笑)

昼下がりの列車で一路ウボンラチャタニーへ。ここから先はもう線路もなく列車用の給油所と車両基地が広がっていた。駅から市街まではかなり距離があるようで、市バスにチャレンジする。ウボンのバスは日本の物と同じシステムで、乗るときにお金を入れて後ろから下りるというタイプだ。とりあえず町の中心っぽい博物館の前で下りて宿探し。

所がここウボンにはあまり安宿が無いのか、どこも280〜350Bと少し高めだ。350の宿はホットシャワーやテレビまで付いていてかなり惹かれるものはあったのだが、もう一歩きしていると200Bの中国旅社っぽい宿を見つけたのでチェックインする事にした。当然水シャワーなのだが、イサーンはここ2〜3日異常なほど寒いらしくなかなかつらい物があった。

夜は屋台でイサーン風のそぼろご飯を食べたのだが、これが又激しく辛い。やはり北国の人は体が温まるように上手く考えているのだろう(笑)
 

 
ウボンラチャタニーの公園の船のモニュメント
先頭には巨大なガルーダの像が
 


1月28日 東北人は暖かい?(ウボンラチャタニー)
 
昨日は結局ホテル探しと夕食で日が暮れてしまったので今朝は起きてすぐに観光。まず最初にTATへ行って町の地図をもらう。TATには何と「織田裕二」がいた。よく旅人の間で「後藤久美子のシェイク屋」とか「奥菜恵のバー」とか言われてるのと同じで、織田裕二のそっくりさんがカウンターに座っていた。裕二は英語はあまり出来ないようだったが、親切に観光地図にいろいろと見所をかき込んでくれた。

そして最初に向かったのはウボン博物館。ここはイサーン地方の歴史をテーマにしたもので、地球の誕生あたりから恐竜時代〜原始時代〜アンコール期〜アユタヤ期と順を追って展示してある。展示内容はそこそこだが、博物館自体が土足禁止の木造建築で中庭もあってなかなかいい味を出していた。

次に向かったのが町の北側にある寺で、地図を捨ててしまったので名前は分からないのだが、仏塔の形が他のタイの物とは全く違っていて興味深そうなので行ってみることにした。ここの仏塔は縦に細長い台形でレリーフが施してる点も他の仏塔とは異なっている。仏塔の中はひんやりして気持ちよかったのでしばらく居ると、タイ人のカップルが話しかけてきた。

女の子の方は最初少し恥ずかしがっているようだったが男の方に連れられて近づいてきた。何でも二人はウボンの大学で英語とコンピュータを学んでいるらしく、英語で話をしてみたかったらしい。男の方は日本語も習っているらしく、簡単な会話が出来た。これがバンコクだと少し警戒しなければいけないのだがさすがにここはイサーン、そんな必用は全くない。彼らが言うには、この仏塔は仏陀入滅2500年を記念してインドのブッダガヤかどこかに有るものと同じ様式で立てられた物らしい。彼らは一通り説明していくと「昼休みが終わるから」とさっさと学校へと戻っていった。

寺を後にしてから少しのどが渇いたので近くの駄菓子屋でコーラでも飲むことにした。ここのおばちゃんも笑顔いっぱいでとても親切だった。ただ駄菓子屋のくせに酒を置いているのはいまいち謎だ。店の前の椅子に座ってコーラを飲んでいると買い物客らしいおばちゃんが話しかけてきた。このおばちゃんなぜか英語が堪能でお決まりの会話のあと地図を見ながらいろいろと見所を教えてくれた。どうやらラオス国境付近の滝とメコン川の合流地点がおばちゃんの一押しのようだった。

ここイサーンでは英語が出来る出来ないに関わらず話しかけてくる人がものすごく多い。さすが田舎はフレンドリーな人が多いのか?あまり見所の無いイサーンだが出会いが向こうからやってくるという点ではこういう旅には打ってつけなのかもしれない。

その後近所の寺を回ったりしたが、さすがに「見所が無い町」と言われているだけに「おおっ」というような物はなかった。町の中心の公園で夕涼みをしていたら、たくさんのジョギングをする人や、スケボー少年が行ったり来たりを繰り返していた。空が真っ赤に染まっていくのを見ながら今後の旅に思いをめぐらせてみた。
 

 
ブッダガヤを模して作った言う仏塔

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