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にわとりの鳴き声で目が覚めた。時計を見たら3時だった。はやすぎるっちゅうねん。もう一度寝るのだがやっぱりにわとりの鳴き声で5時に目が覚めた。バスは6時集合なので、ゆっくりと荷造りして宿を後にした。
真っ暗な街を大通りに沿って歩く。こんな時間でも結構な人通りで特に危険は感じない。やはりアクラはアフリカの首都の中ではかなり安全な部類に入るのだろう。マーケットの横を通り過ぎたときには薄明るくなってもうすでに結構な賑わいだった。あちこちのワゴンから「ロメ?」と声がかかるが、今日はゆったりバスに乗りたい気分だったので先を急いだ。オフィスでチケットを買うと42番だったので結構ぎりぎりだったのかもしれない。今回のバスは定刻よりも早く来て、荷物を積み終わると時間前に出発した。
コートジボアールからナイジェリアまではギニア湾岸ハイウェイ(正式名称は不明)構想で良い道路が作られているはずなのだが、ガーナ国内はケープコーストからアクラにしても、アクラからトーゴまでにしても存外に悪かった。アクラからテマまでは綺麗な有料道路が作られているのだが、それ以外の無料区間は舗装も悪くて穴も多かった。
3時間かかってアファラオの街に到着した。荷物を降ろすと早速、両替屋から「ビザ申請にはオレの助けが必用だ」とかいう訳の解らないのまでが寄ってくる。とりあえず朝飯を喰い損ねたのでFronteer Cafeという名前そのままのレストランでぶっかけ飯と流し込んでからすぐ近くの国境へと向かった。
ガーナ側は例によって、いろんな人が正式なのか賄賂なのかお金を取られていたが僕は手で「さっさと行け」と合図された。しかしこんな所で入国カードはおろか出国カードまで書かされるなんてなんて、しかもビザの申請書は何故か4枚も必用だったし、そして30日ビザなのに60日の入国許可をくれるし、いまいちガーナのイミグレは訳が分からない。
心配していたトーゴ側の方は意外とスムーズで「国境で取れるらしい」ビザは本当に国境で取れてやれやれだった。10000CFA札を渡すといきなり胸ポケットに押し込んだんで「コラコラ、賄賂とちがうぞ」と思ったのだが、ちゃんとパスポートに収入印紙を張ってビザを作ってくれた。このビザが入国ビザという面白い物で、ビザ番号、名前、有効期間以外の記述が何もない。逆に言えば期間中なら何度でも出入り自由なんだろうか?だったらこの後一度ベナンへ抜けてからまた戻って来ようと思っているのでとてもうれしい。
イミグレを抜けると早速バイクに囲まれるが歩ける距離なのでそのまま進むことにした。ここロメは本当に変わった街だ。ロメ自体が国境の街でありまた首都でもある。首都の中心から国境までが2キロしかないというのはすごい。そして砂浜に面しているので本当に綺麗なのだが、とてつもなく蒸し暑い。Tシャツはもうしぼったら汗がぼたぼた落ちるぐらいで、カイロで教えてもらったガイドブックに載ってない安宿を地図を便りに探したのだが、全然見つけられずに更に汗でびしょぬれになってしまった。
そして歩いている間もあちこちさら「チン チョン フォン」とむかつく言葉を浴びせかけられる。もっともここトーゴには日本人なんて住んでいないだろうし、日本人観光客もたまに旅行人ノート「アフリカ」の読者のバックパッカーが来るぐらいだろう。だから日本人を見たことが無いのは仕方ないのだが、それにしてもその人を小馬鹿にしたような物言いは何とかならないのか?僕のイライラは徐々につもっていき、僕の前に立って延々「チャンチョンフォン チンコン シノワシノワ」と延々言い続ける小学生ぐらいの子供に遂に切れてしまった。「中国人じゃないって言ってるだろう。オレの事を二度と中国人と言うな」ともう英語だったかフランス語だったか覚えてないが怒鳴り付けてしまった。子供は少しびびってそそくさと去っていった。
さてそんなイライラの宿探しの方は目印になる通りの辺りを丁寧に探したのだが全然見つからず、もうあきらめて少し高い所へ泊まろうかと思って、最後に念のためもう一回だけ地元の人に尋ねてみると何と目の前の建物を指さすではないか・・・しかしその建物には一切看板もなく「そらわからんわ」という作りだった。
早速ドアを開けて中に入ってみる。看板も表示も一切ないので本当に宿なのか、しかも作りは普通のお金持ちの豪邸といった感じだった。「部屋ありますか?」と言うと早速愛想のいいお兄さんに部屋に案内された。清潔なファンのついたトリプルで「ははあドミだから安いんだ」と思ったのだが、何とこの部屋を一人で使っていいらしい。しかもたったの2000CFAだという。信じられない!アクラの宿がド最低だっただけに本当にオアシスにたどり着いたみたいだ。最高の宿をゲットした僕はげんきんなもんで、もうすっかり上機嫌だった。
今日はする事目白押しだ。まず一番時間のかかることから先にやるという鉄則に乗っ取って旅行代理店に向かう。所がロンプラの地図がもう全く嘘のでたらめの、通りの本数さえ違うという使えない物だったので、いきなりインチキフランス語を駆使するハメになってしまった。それでも何とかたどり着いてみると何と昼休みらしい。ここトーゴはすべてが昼休みを取るのでとりあえず何をするにしても2時半にならないとダメらしい。ああなんてこったい。
ビーチで昼寝をしてからあちこち回ってみると、結局何処の会社も片道の格安というのは存在しないらしい。そりゃそうだ。こっちの地元民が片道でヨーロッパや南アに行くなんてあまり考えられない。第一ビザが取れないだろうし入国できないだろう。往復だとエールフランスで350000CFA。$500ちょっとだ。痛いなあと思いつつも最後の切り札のフランス版HISのNouvells Fronteersという所を訪ねてみると、何とCORS AIRというチャーター便(?)の片道が219000CFAであるという。これなら$350もしない。席は来週の月曜日しかないと言うのでトーゴ滞在がかなり短くなるけどそれに決める事にした。
航空券は現金でしか払えないというので、ECO BANKというなんだか環境に優しそうな銀行でTCを両替したのだが、窓口は完璧な英語を話すし、しかもコミッションも無料だった。人にまでやさしいとはおそるべしECO BANK。そして大金(といっても$300だけど)を握りしめて旅行会社に戻りいざ買う段になって「貴方フランスのビザ持ってないの?」とかいう話になってしまった。日本人はビザが要らないのだと何度も説明して、EU諸国のスタンプを端から見せていくのだが「日本のパスポートはあつかった事無いから空港のオフィスで聞かないとダメね」という事になってしまった。
そして予約を入れるのだが、これまたエールマリの時のように、旅行代理店にあるコンピュータから出力された名簿みたいなのの下にボールペンで名前を書き込むだけだった。予約確認証も何もくれなくて、当日夜中の2時に空港へ行って名前を言ってそこでお金を払えというのだ。「本当に大丈夫なのか?コンピュータに入力しなくていいのか?」とか問いつめるのだが「大丈夫大丈夫」の一点張りだった。本当に乗れるんだろうなあ・・・・
不安な気持ちのまま日も傾いてきたので、この辺りの国ならどにもある「独立広場」という所を通って宿に戻る事にした。それにしてもロメの街並みは綺麗で、ゴミもあまり落ちていない。何よりもこの辺りのアフリカの国で街角にゴミ箱があるのはここぐらいのものだろう。
独立記念塔(?)の近くではローラーブレードをしている若者達や学校帰りの小学生達が遊んでいる。記念塔の写真を撮っていたら子供が「私も撮って」というので1枚とって見せて上げたら大騒ぎになってしまった。ここアフリカでは本当に人物の写真を撮るのが難しい。僕はこれは植民地時代にさんざん搾取されていた時の恐れが今も残っている為だと思っていたのだが、意外と観光地じゃない所ではそうでもないのかもしれない。何枚か写真を撮るといい感じで夕暮れになってきたのでそのまま宿まで歩いて帰った。
夜はChina Town(中国城)という中華料理屋へ行ってみたのだが、高級店の割には焼きめしとかは安くて味もまあまあだった。何よりもぐっときたのは、日本語の演歌が流れていた事だった。しかも歌っているのがたぶん売れない女性の演歌歌手で、有名なレパートリーを延々カバーしていくというものだった。
こんなごく一部のバックパッカーぐらいしか訪れることの無いレストランで明日も明後日も日本語の歌が流れているのだと思うと何だか不思議とうれしかった。
突然フライトが決まったので、すぐにここを発たなくてはならなくなってしまった。いや、本当は少しつかれていて、もう早くアフリカを抜けたいのかもしれない。ともかく出発が決まったのでこの辺りをゆっくり観光することは出来なくなってしまった。とはいうもののこんな所に2度と来ることは無いだろうし、ちょっとお隣のベナンにも興味があったし、たったの3時間ほどで行けると言うので日帰り海外旅行を強行することにした。
朝6時に起きて7時にはもう通りにでていた。走ってくるバイクタクシーを止めて「コトノウ行きのタクシー乗り場まで」と言うと海沿いで通りにでようとしていた一台のタクシーに上手く乗せてもらうことが出来た。
タクシーには運転手のほか一人しか乗ってなかったので「おかしいなあ?」と思っていたらその客の家に寄って、山ほどの荷物と女の人3人、子供4人が乗ってきた。5人乗りの乗用車に11人(笑)僕は助手席に先ほどの男と二人で乗っていたのだが、もう慣れたもんで腹が立つどころか心地よい揺れにうとうと眠り込んだりしていた。
トーゴの道は素晴らしく良かった。マレーシア並といってもいいぐらいだ。そして海沿いを走るので見渡す限りの椰子の木や、密林の中の大きな川を何度も渡ったりするので何だかベトナムのメコンデルタを想い出してしまった。そして1時間もかからずに国の端から端までを横断して国境に到着した。
ここで謎な出来事があった。ここではいったん車を降りて客は歩いてイミグレーションを越えなくては行けないらしい。だからここでタクシー代を払うように言われたのだが3000CFAなので10000CFA札を出すとなんと5000CFAしかお釣りをくれない。「ぼってんのかふざけやがって」と思ったのだがどうやら本当に計算が出来ないらしい。埒があかないので秘蔵の5000CFA札を出すとすぐに正しいお釣りを受け取ることができた。全く謎だ。
ここで出国手続きをしながら思ったのだが、進んでいっても車が待っているような所は何処にもない。さては騙されたのか?まそれならそれで今日は荷物もないし先で別の車を拾えば良いだけの話だ。そしてベナン側4000CFAで2日間限定の入国ビザが発給された。僕にはこれで十分だ。
やっとのことでイミグレを抜けてベナンに入国すると、運転手が「ビザ手間取ったねえ」とわざわざ僕を捜しにイミグレの出口で待っていてくれた。ああ、疑ってすまん。他の客も待たせたにも関わらずイヤな顔ひとつせず、隣の男は英語を話すのでそれをきっかけになんだかんだと話をするようになった。何でもトーゴはガーナの隣にあるので結構英語が重要らしく学校で習ったそうだ。たしかにトーゴは英語が通じるとは言えないが、結構な数の人が簡単な買い物会話ぐらいはこなす。街が綺麗なのも教育が充実しているからなのかもしれない。
ベナン側にはいってさらに道が綺麗になった。そして途中水上集落のある大きな湖や深い森を見ながら2時間ほどでコトノウの街についた。僕はコトノウについてロメのようなイメージを持っていたのだが、それは全くの大外れで、どっちかというとバマコやワガドゥグに近い感じのバイクの排ガスで何も見えなくなるようなそう言う人や交通量の多い、悪い意味での都会だった。
人が多いのだがかといっていろいろと整っている訳ではなく、たんに人口が全部首都に集中したという感じがした。西アフリカの首都なんて多かれ少なかれそんなもんなのだが、ロメだけは例外だった。そういう事がわかっただけでもベナンまで来た甲斐があるというものなのだが、ついでなので街の北にあるカラビーという湖沿いの町まで行ってみる事にした。そこから水上集落で有名なガンビエへのボートがでているらしいのだ。
所がカラビーに着くと子供がみんな手を出して「カドゥーカドゥー」と寄ってくる。こう言うのはマリ以来だったのでちょっと複雑な気分だったが、後から後から団体観光客のツアーバスがやってくるのを見て納得してしまった。やっぱりガンビエへ行くのはやめよう。もちろん一人でボートを借りると高いというのもあったが、何となく行ったらガッカリしそうな気がした。行ってみてこの目で見てガッカリするのもまた旅なのだが、何故だか今はそれをしたいと思わなかった。やっぱりちょっと疲れているんだ。
行きと同じようにギュウギュウ詰めの乗用車に揺られて来た道を帰っていく。国境も今度は両方ともビザをちゃんと持っているのでどっちもたったの1分で終了して、地元民よりも早く通り抜けてしまった。今日はめちゃくちゃ暑かったのであちこちで袋入りのアイスを買ってしまった。これが一つ100CFAなのに美味しくてくせになってしまう。FAN MILKと言う会社のアイスで、他にもFAN YOGOとかFAN COCTAILとかいろんなのがあるって、検問で停まっているといつぞやのWallsのアイスのように自転車に乗って売りに来るのだ。僕は中でもFan Yogoのの歩かな酸味が大好きだ。しかし今戻ってきたトーゴがアフリカ最後の国になるので、もう来れも食べ納めだ。
市内に戻ってくるとやっぱり中国人だの声がかかる。しかし今日は余裕があったので無視せずにいちいち「日本人だってばー」とか冗談混じりに会話をするようにした。態度が変わると言うことはやっぱり中国人を小馬鹿にしてるんだろうしそれをいちいち説明する自分も何だかイヤだが、こんな所にも日本人が来ていることを知ってもらいたかった。
あれほど邪険にしてた闇両替屋でさえちゃんと話をすると結構気のいい人達だった。今日カバンの奥底からガーナセディの札が何枚かでてきて、金額的には$2に満たないのだが「あっちゃー」と思っていたら、彼らの中の一人が両替してくれた。勿論レートは普通の80%程度だが、セディなんてガーナ近辺以外では紙屑だし、これは僕の予想していたレートとどんぴしゃりだったので「双方良かったね」と握手をして円満に両替を済ませた。
その後夕日を見にビーチへ行ったら英語を話すカップルに出会った。男の方は専門学校でコンピュータの勉強をしているらしくて、自分が「昔ハードウェアの設計をやっていた」というと目を輝かせていろいろと聞いてくる。彼女の方はあまりしゃべらないのだが「卒業したら結婚するんだ」と自信たっぷりに話す彼らがなぜかとてもうらやましかった。
解っている。本当はみんな良い人たちだ。運転手も闇両替もバスの客引きも。一部の奴らに騙されてどっと疲れる。疲れが心の余裕を失わせる。そして物がまっすぐに見えなくなってくる。分かり切っている事だが、これからの半年はもっと心に余裕を持って人と接することが出来たらいいなとアフリカ最後にきて思うのだった。
いよいよアフリカ最後の一日がやって来た。早起きして近所のスタンドで例の甘いカフェオレとフランスパン。いよいよこの組み合わせともお別れだ。
何となく宿の近くのビーチを朝から散歩してみると、日曜日だからなのか何だか砂浜にスピーカーを持ち込んで音楽をかけながら踊っている団体がいる。何だかとても楽しそうだ。青い海、黄色い砂浜、照りつける太陽。そして何処までも続く椰子の木林。その風景をもう一度目に焼き付けるために町まで歩くことにした。
実は町で最後にホームページの更新をしようと思っていたのだが、ここの休日はもう街自体がお休みで露店さえもまばらですっかり静まり返ってきた。まるでゴーストタウンのようだ。実は昨日ホームページを更新しようとしたら、フロッピーの使用を断られて何とか今日中にと思っていたのだが、この国ではInternetを最初に導入した誰からそう言う風に教えたのか、何処へ行っても全く同じように断られてしまう。
仕方無しに町の中央にそびえる巨大なホテルへ行ってみる事にした。こう言うところは大体ビジネスセンターがあって、そこならこういう事も慣れていると思ったからだ。しかしホテルのビジネスセンターは英語もろくに通じない上に、ネットワークにつながっても全くデータがやってこずに、Hotmailの表紙さえ見ることが出来なかった。おまけにフロッピーはダメだと言う。この国でこういう形態でインターネットをするのはどうやら無理のようだ。仕方ないのでこの件はあきらめることにした。
次は余ったセーファーフランで何か買おうかと思ったりもしたのだが、とにかく店という店が完全に閉まっていて、自転車で通り過ぎるFan Yogo売りから買うぐらいしかできなかった。本当はアフリカを去る前にメフロキンをもう一箱買っておきたかったのだが、まあこれは「汚染地域を離れてから1ヶ月間服用」というのにぎりぎり足りないが、治療薬も持っているのでこれは良いことにした。
一日の大半を海でぼーっとして過ごす。砂浜に座って海を見ているとしばらくして少年が近くにやってきた。そして僕の隣に座り込んで同じようにぼーっと海を見ている。この海の向こうに新大陸アメリカがあるのだが、残念ながらここからそこへの便は無い。この大西洋は距離以上の何かで二つの大陸を隔離しているような気がした。そしてその新大陸には何が待っているのか?僕はまた少しドキドキしている。
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