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トルコ・アジアの果て編
(ドゥバヤジッド〜ギョレメ)
 


6月16日 アジア最後の国へ(マクー〜ドゥバヤジッド〜エルズルム)

僕は技術者だった頃たまに寝坊をして電話で「すんません今日昼から行くんで、半休と言うことで、、」とかいう電話をしていたのだが、この旅が始まってからまだ寝過ごしてバスや列車に乗れなかった事は一度もない。我ながらたいしたもんだ(笑)

夜中にも目がさめたのだが、それはあまりのかゆさのためで、よく見ると何カ所か南京虫に噛まれてしまったようだ。まったくイランで南京虫とはついてない。気を取り直して朝食を食べに出ると、ナンと羊のスープが出てきたのだが、なんとスープの中身が羊の脳味噌で、一見豆腐のような感じなのだが、後味が何とも言えず一口しか口にすることが出来なかった。

そんな感じであわただしく最後の町マクーに別れを告げてタクシーに乗る。この乗り合いタクシーも今までの経験からいうと3倍はぼってくると思っていたのだが、何と一人目に声をかけてきたドライバーは地元プライスの1000リエルで行ってくれるという。今日は朝からついてそうだ。

国境に近づくとアララト山が大きく目の前に見えてきた。山頂は何と5000m以上あってこの時期でさえ上半分は雪で覆われている。なるほどみんなが聖なる山だと思ったのも納得できる。そして国境につくとさっそく国境に巣喰う奴らがやってくる。チェンジマネー屋だ。

最初はこっちが何も知らないとおもってめちゃくちゃなレートを言ってくる。結局ぼられるのだが、まあ手持ちのリエルも2千円分ほどなので少しだけ交渉して少し悪めのレートで交換する事にした。しかしこいつら、計算した額の端数は問題ないから切り捨てるとかアホな事を言い出す。店を出ようとすると「OK OK」と態度を変えて端数を出すのだが、今度は「バクシーシ」ときた。タダでさえボラせてあげてるのになんでその上お前らに金を恵まないといけないんだ。「死ね!」と思わず口に出して言ってしまった(笑)

国境のは丘の頂上にあってそこまではまたまたミニバスに乗っていくのだが、これも今日は地元プライスで乗ることができた。

しかしここの国境はなかなかくせ者だった。とりあえず越える人数と係員の処理能力が全くつりあってないのだ。さっそくイランの出国側に並ぶのだが朝からイラン人の長蛇の列で、建物に入るのに20分。そして入ってからスタンプを押してもらうのに更に15分以上かかってしまった。

しかもイラン人というのは全く列を守らない。これはイラン旅行中からあちこちで感じていたのだが、特に女の人は保護されているという考えなのか、平気で割り込んできてそして誰もとがめない。それじゃ先が思いやられるのだが、なんとか周りの人と出来るだけ会話をして仲良くなって、うまい具合に割り込まれない様にガードしてもらったりしながら何とか進んだ。

トルコ入国の方はこれ又遅くて、特にイラン人はやはりあちこちで不法就労してるのだろう、結構チェックで時間がかかっている人も多かった。こちらの方も恐れていたほどの混乱はなかったのだが、何せ人数が人数なので結局両方で2時間ぐらいかかってしまったと思う。なかなか今までの中でも最悪の類に入る国境だった。
 

 
やっとの思いで抜けたトルコ側の国境
 
 
アララト山を見ながら丘を下っていくとドルムシュと呼ばれる乗り合いバンが停まっていた。おじさんに聞くと75万リラだという。これは聞いていたよりも結構安い。だいたい旅行者は1.5〜2ドル。ぼってくる奴は3ドルとか言ってくるのだ。おじさんと話をしていると、人相の悪いもう一人の奴が寄ってきて「この男はダメな奴だ、ドゥバヤジッドまでは$3だ」などとアホな事を言ってくる「ダメなのはお前だ」と言って追い払い最初のおじさんにお金を払ってバンに乗り込んだ。

バンは30分ほどで満員になってドゥバヤジッド目指して結構なスピードで走り出した。国境を越える前はトルコの方がよほど進んでいて整備されているのだろうと思っていたのだがそれは大きな間違いだった。ドゥバヤジッドの町はまるでインドの田舎やパキスタンのような埃っぽい汚い町だった。道路も荒れ放題で何だか町の雰囲気もあまり良くなかった。

そう言えば東トルコの人々は誰も自分の事をトルコ人だと思っていないそうだが、たぶん政府も彼らのことを自国民だと思っていないのだろう。道路の予算も着かずに道や建物も荒れ放題だった。ともかくこんな町は一刻も早くおさらばしたいので、適当に声をかけてきたバスの客引きに着いていくと、エルズルム行きが10分後にあるという。ワンにも興味があったのだが、こっちはワゴンが12時発という事だったので何となくエルズルムに向かうことにした。280キロ程の道のりを400万リラ。なんとイランの10倍だ。

しかしやっぱりバスは全然時間通りに来ず、40分ほど遅れてやって来た。しかしバスの車体自体はメルセデス製のハイデッカーで日本でもなかなか走っていないほどのものだった。なんでここまで豪華である必用があるのだろう?そんな所に金を使うなら、このバカ高いバス代を何とか下げて欲しいものだ。

エルズルムまでの前半は上下左右にさんざんシェイクされたのだが、やがて悪いなりにも道はましになり、バスはなだらかな丘の間を縫って走る。イランの後半よりも更に緑が多くなり、所々一面小さな黄色い花や紫の花の絨毯を敷いたようで風景は何処までものどかだった。

やがてバスはエルズルムの町外れの道路で停まりそこで降ろされてしまった。どうやらこのバスはイスタンブールまで行く長距離バスだったらしい。同じバスの青年に「オトガル?(トルコでバスターミナルの事)」と聞くと「着いてこい」という二人でオトガルまでたどり着くと今度は市内へ行くバスだ。今度は6人ぐらいの男女の学生が助けてくれて何とか市内行きのバスに乗ることができた。

バスは市の中心部らしいラウンドアバウトのど真ん中で停まった。まず最初にしないといけないのが両替で、イランではAKバンクと言うところがコミッションも無くレートもまともだというのですぐ近くにあったAKバンクで両替をした。あまり慣れてないのか結構時間がかかった上、なぜか領収証は「無い」と言われて貰えなかった。まあ現金が手に入ったのでいいのだが、、、

そして今度はホテル探し、何軒か聞いてみても部屋の割にかなり高く感じる。最初のホテルは部屋がボロボロの商人宿といった感じなのに$5以上して問題外、もう一軒も良いのだがやはり$5を越える。最後に行ってみた所は最初$7と問題外だったので立ち去ろうとすると$4.5ぐらいまで下がったのでここに決めることにした。そして宿が決まると真っ先に外に飛び出す。

最近頻繁に「旅に疲れてきているのかも」と書いているのだが、一体この元気はどっから出てくるのか自分でも不思議だ。ただこの町に着いてから僕は今までの2ヶ月ほどとは明らかに違った感覚にとらわれている。町並みがこれまで8ヶ月旅してきたどの町とも全く違うのだ。煉瓦づくりの建物に石畳の坂道。全くアジアを感じさせない、ついにヨーロッパ文化圏に入ったのかもしれない。

まず最初に久しぶりのWall'sのアイスを買ってそれを食べながら坂道を登っていく。もともとそんなに観光地では無いエルズルムでは子供達は外国人を見るのが嬉しくて仕方ないのか、どんどん着いてきたり、立ち止まっていると集まってくる。知ってる限りの英語で自己紹介をしたり、トルコ語でまくし立てたり。やはり「お金お金」なんて言う子供もいるのだが「やーだよー」と言って笑うと彼らも一緒になって笑う。

エルズルムの要塞を過ぎてしばらく登ると急に目の前にアルメニア教会風の建物が見えた。一軒教会風なのだが少し変わった形のミナレットが2本あってどうやらモスクのようだ。中は天井がぽっかりと空いていて青空がみえる。そして中庭の回りはチャイハネになっていていい感じだ。

座ってぼーっと眺めていると流暢な英語を話す高校生に2人ほど声をかけられた。しばらく会話かさねると「そろそろ行かなくちゃ」と握手をして去っていった。

その後もフォートの上でまたまた子供達に囲まれたり、ショッピングセンターを冷やかしたりして町を歩き回った。イランやパキスタンの町並みいうのはどうも無国籍な感じがするのだがここトルコは「これがトルコの町並みだ!」という何だか町が主張してるように思える。

日も傾いてきて明日のチケットを買おうとバス会社に行くと明日のトラブゾン行きは満席だという。他のバス会社が何処にあるのか分からず困っていると、一人のハリソンフォードの若い頃に似た青年が声をかけてくれた。「トラブゾンに行きたいんだけどバスが満員で、、、」というと別の会社まで連れていってくれてチケットを買うのを手伝ってくれた。

ここトルコは今日一日で言えばイランよりもずっと英語が通じない。バス会社やホテルでさえ英語が話せなく困ることが多かったので助かった。彼も同じエンジニアと言うことで仕事でいろいろと英語を使うのだろう。なかなか流暢な英語を話した。

聞くところにうよると、トルコは東の方はとても人が良くていろいろと向こうから声をかけてくれるとの事だったが、今日は正にそう言う一日だった。これが西へ行くと「声をかけてくる人=睡眠薬強盗」という事がかなりの確率であるらしいので、どこか途中で気持ちを切り替えないといけない。

とりあえず明日は黒海の町トラブゾンだ。久しぶりに海が見れる。しかも黒い海だというのでとても楽しみだ。
 

 
チャイハネモスクの中の
音楽隊のおじさん達
 


6月17日 海の見える丘の町(エルズルム〜トラブゾン)

昨日はなかなか気分爽快だった。何と安宿の共同バスにバスタブがついていたのだ。当然栓なんて無いのでビニール袋を詰めてたっぷりお湯を張って入浴。タイでOL二人組に会った時以来のお風呂だった。

そしてすっきり目覚めてそのままバス会社へ。オトガル行きのセルビスがあるという事だったのだが、朝早くて交通量も少ないのでバスがそのままバス会社まで来ていた。今日もメルセデスのハイデッカーだった。

今日はなかなかサービスも良くて、出発するとまもなくお菓子と紅茶のサービスがあった。今日の景色は昨日にもまして緑が多くなり、いくつもの丘や時には険しい峠を越えての6時間の旅だった。

そして山間の道を抜けると突然目の前に海が広がった。黒海だ。黒海は「黒い海」のはずなのだが、今日は天気もいいせいかどこまでも青かった。そしてほどなく町外れのオトガルに到着した。しかも今日は町の中心までのセルビスも待機していて、タダで市街まで行くことができた。

トラブゾンの町はエルズルム以上にヨーロッパ情緒溢れる町で、石畳の道をフィアットやルノーの車が所狭しと走り回っている。中心の広場はオープンカフェになっていてまるで映画の中の風景のようだった。着いてそうそうおなかが空いてる所に早速「世界共通のマーク」を発見してしまった。マクドナルドだ。

中に入って見るとやはりこれまでの国から比べるとかなり値段が高めに設定されている。ビッグマックセットで400円程度。値段ははるもののタイ以来の牛肉のバーガーはなかなか感慨深いものだった(笑)

おなかも落ち着くと次は早速宿探しなのだが、何人かの旅行者にここトラブゾンには旅行者を受け入れている教会があるという話を聞いていた。さっそく案内板を見ると「サンタマリア教会」というのがあったのでたぶんここだろうと、とりあえず行ってみる事にした。道路工事で掘り返された瓦礫の山を越えると何だか怪しげな古びた建物の前にでた。

門が開いていた中に入って見ると一人の青年が出てきた。おそるおそる「Have you got any accomodation?」とたずねてみるともう一人の女の子が出てきてくれて部屋に案内してくれた。部屋はこれ又清潔で何と黒海が見える、かど部屋だった。キッチンも自由に使ってもいいらしくこれは本当にいくら寄付して良い物か困ってしまうほど素晴らしい(笑)とにかく荷物を降ろして落ち着いた。

部屋にはもう一人先客の長髪の日本人「ロン毛くん」がいて早速お互い自己紹介がわりに今までの旅の経路とかそんな話をしたりした。そして着替えると早速町に飛び出す。南インド以来ほぼ2ヶ月ぶりの海なので思わずわくわくしてしまう。そんな気持ちを抱えたまま教会の前の海へつづく坂道を早足で駆け下りていった。

黒海沿いの通りはあちこちオープンカフェになっていて、据え付けのスピーカーから大きな音量で音楽が流れていた。さっそくビーチに降りてみて黒海の水に指を浸してなめてみた。黒海は内海なのだがやっぱり海なので海水なのは分かり切っているのだが、何となく自分で確かめてみたかった。味は瀬戸内海に比べるとかなり薄味だった。

そんなことをしているとあっという間に親子連れに発見されて囲まれてしまった。おじさん一人と娘二人そして娘の友達が3人ぐらいで、みんなほとんど英語は話せなかったがたくさんの女の子に囲まれて少し嬉しかった(笑)

おじさんは「うちの家に泊まって行け」としきりに薦めてくれるのだが「既に教会に泊まる事がきまっていた」というと「じゃあその辺を散歩しよう」と女の子達と黒海沿いを近くの遊園地まで散歩する事にした。遊園地自体はどうという物ではなかったのだが、トラブゾンはそれほど観光客が押し寄せるような町ではないのか、あちこちから声がかかる。

おじさん達と別れてから丘の方に登っていくとバザールがあった。雰囲気もこれまでの国とは違ってあか抜けた感じがした。トルコに入って懸案だった洗剤を買おうと思っていたのだが、やはり大きなのしか売ってなくて困っていたら、うまいぐあいに量り売りの店を発見して買うことができた。ニュージーランドにも「BIN IN」という全ての物が量り売りで買えるチェーン店があって、なんだか少し懐かしかった。

宿に帰る途中にたまたまインターネットカフェを発見したのであまり期待せずに入って見るとなかなか快適な環境で自分のホームページサーバーにもちゃんとつながって久しぶりに更新する事ができた。メールも何通か届いていて、懸案だったAMEXのカードもイスタンブールで受け取ることができそうだ。これで無事旅の資金を補充することができる。
 

 
部屋の窓からの風景
 


6月18日 雨の日曜日(トラブゾン)

今朝は4時頃アザーンの音で叩き起こされた。しかも教会のすぐ近くにモスクがあってスピーカーが自分の部屋の方向を向いているのでたまったもんじゃない。何とか再び眠りについて次に起きると9時前だった。

朝からたまっていた洗濯物を一気に片づけて今日も町へと飛び出す。最初にロシアバザールを見に行こうと思ったのだが道を間違ってしまったようで丘の上の方へ登ってしまった。上から見下ろすと急な斜面にしがみつくようにたくさんの家が建ち並んでいる。

そして崖の上の道を歩いていると不意に下に降りる階段があらわれた。階段は家と家と隙間を縫って下まで続いていてそのわずかな隙間から黒海がぽかんと見える。引き寄せられるように階段を降りていくとそこには人々の普段の生活があった。

遥か下の方の家の屋上で編み物をしているおばあちゃんや通りで遊ぶ子供達。降りていくと驚いた様子で他の家族を呼びに行ったりしていろんな人が窓から顔を出す。どうやらこんな所を歩いている外国人は相当珍しいらしい。

階段を下りきるとロシアバザールが見えてきた。バザールは期待していたのとは裏腹に全くつまらない物だった。何せロシアバザールのくせにロシア製品が全くないのだが。例の木彫りの人形が何個かあったぐらいで、後は中国製品やら日本製品やらそんなのばかりだった。名称に偽りありという感じだ。

そしてロシアバザールのアーケードを抜けると今度は空が真っ黒になってきた。海は青いのに空は黒い。逆だったら感じがでていいのに。とりあえずずぶぬれになるのもいやなので、スーパーで買い物をして宿に戻ることにした。

宿に帰ってからも天気はぐずついていたので昼寝でもする事にした。結局一日中天気は回復せず夕方に「ロン毛くん」と夕食を食べに行った以外は部屋でごろごろとしていた。夕食の帰りに2ヶ月ぶりにビールを買ってきたのだが、宿に帰って一気に飲むと少しだけ頭がくらくらした。うーん、ビバ!アルコール!トルコは物価高いくせにお酒はけっこう安いみたいなので楽しみだ。

日が沈むとついに天気は荒れ模様となって、雷が鳴りそのうち大粒の雨が降り出した。



6月19日 雨、雨、雨、(トラブゾン)

今朝もアザーンだ。しかも朝の4時から。そして今日は昨日よりも一段とアザーンおやじのテンションが高いみたいだ。いつもより長く歌っている。そしてやっとの事で寝て再び起きると今日はまだ8時だった。

そのまま朝食に出かけるのだが、ここトルコの食堂は「ロカンタ」と呼ばれて、何か一品頼むとパンが食べ放題というシステムになっているようで、今日は50万リラ(90円ぐらい 笑)のスープを頼んでパンをかき込んだ。ちなみに普通の夕食とかは大体200円ぐらいの予算になる。

トラブゾンに着いてからまだ観光名所という所に行ってないので、そのままアヤソフィア博物館へ行ったのだが何と月曜は休館、、、やられた。仕方ないので帰りは3キロほどの道を歩いて帰ったのだが、時折建物のすき間から海へ降りていく道が見える。観光地巡りをしなくてもまだこの風景だけで十分に楽しめそうだ。

歩き疲れて一度教会に帰って昼寝をするとまたまた雨がぱらぱらとし出した。日本では梅雨に入ったといろいろな人からメールをもらったのだが、6月生まれの自分にはこういう天気もなかなかリラックスできて良いのかもしれない。

一度夕方におなかが空いたのでマクドナルドまで出かけていった。トルコのローカルメニューは「マックロイヤル」何のことは無い少し分厚いめのハンバーガーなのだが、ビッグマックからパンを1枚抜いて、その中にタマネギやトマトといった野菜を多めに詰め込んだような物だった。美味しいのだがビッグマックよりも高いのは少し納得いかなかった(笑)

帰りにインターネットカフェにも寄ったのだが、なぜだか昨日とは比較にならないほど遅かった。メールの送信とこれから行く国の国旗をダウンロードしたりしたのだが、結局3通届いていたメールはトルコ語バージョンの表示のおかげでうまくセーブ出来てなかったらしく読むことが出来なかった。これは又次の機会に。

それにしてもここは居心地が良くていつ出発するか迷ってしまう。
 

 
我らがサンタマリア教会
 


6月20日 丘へ行こう(トラブゾン〜カイセリ

昨日おとついと雨でろくに出かけられなかったのだが、今日はなんだか朝から日がさしている。いい感じだ。

トラブゾンは見所というのはあまり無いらしいのだが、とにかく「ボステペの丘」からの眺めが最高だというので、さっそくドルムシュを拾って丘を駆け上がる。坂を登って急カーブを曲がると急に目の前が開けた。一面の朱色の瓦の屋根の向こうに真っ青な海が見える。まさに絶景だ。

崖沿いに一軒のオープンエアのチャイハネがあったので入って見たのだが、そこはがけの上に立っていて、町を行き交う車や人々の様子が見える。町にはたくさんの建造物があるのだが、屋根だけはなぜか全部朱色の瓦で統一されている。鉄筋のアパートまでそうなっている事をみると条例かなにかで決まっているのかも知れない。

しばし絶景を楽しんだあと今後の行き先を考えてみたのだが、もう黒海はこの景色で十分満足な気がしたので、そのままトルコのハイライトといわれるカッパドキアを目指すことにした。偶然「ロン毛くん」も行き先が同じだったので一緒にオトガルまで行くことにした。

オトガルに着くとインド並にバスの客引きが群がってくる。まずここからはカイセリの町を目指さなければいけないので、とりあえず「カイセリ」と言うと一斉にそれなら何時にバスがあるとか売り込みに必死だった。

結局朝早く着きすぎるのがイヤで一番遅い18時のバスの会社のチケットを買うことにした。客引きの感じが少し悪いのが気になったのだが、トルコは一応ヨーロッパにも入ろうという国だし、まだトルコに来てからそんなに騙された事も無かったので、特に気にしていなかったのだが、これが後でバスだけでなく、自分の旅の歯車までガタガタに壊してしまう出来事になるのだった。

18時に来たバスはあちこちで客をひらって、通路がぎゅうぎゅう詰めになるほどの人を積み込んで走る。寝ていると通路に溢れた人の膝や腕が当たってイライラしてしまう。しかしこれだけでは済まなかったのだ。
 

 
丘からの帰りの小さな路地から
ふと見えた風景
 


6月21日 崩壊(シワス〜カイセリ〜ウチヒサール)

夜中の3時ごろ起こされて突然「降りろ」と言われた。訳が分からなかったのだが、どうやらこの会社はカイセリ行きの路線と言うのが無いらしく、ここで降りて明日の7時の別の会社のバスに乗り換えろという事らしい。つまり僕たちは騙されたのだ。

しかし悔しいのだがこういうことをするような奴らには抗議というのは無駄以外の何者でも無いのはここ8ヶ月でイヤというほど分かっているので、もう朝までここで待つしか無いのだ。オトガルの長椅子に寝ころんでひたすら朝を待った。

朝になって言われたその会社へ行くのだが「そんな話は聞いてない」とか全然相手にしてもらえない。トルコ人の青年が同じくカイセリへ行くので、彼が元の会社や乗り換えの会社と色々話をしてくれて、最終的には元の会社が半分脅しまがいに乗り換える会社に話を通して僕たちは無事カイセリ行きのバスに乗る事ができた。その青年がいなかったら、いいように追加料金を払わされていたかもしれない。

カイセリからカッパドキアのあるギョレメ、ウチヒサールと言った村へ乗り換えなのだが、ここでもう僕は完全に頭に来ていた。看板を見て直接ウチヒサールと書いてある以外の会社の客ひきは一切無視して、今度は騙されないようにチケットを買った。事実群がってきた客引きは全員「ダイレクト、ギョレメ、ウチヒサール」等と言うが、よくよく聞いてみると半分以上が嘘で実際にダイレクトの路線を持ってない会社だった。所詮トルコもアジアなのだ。

ギョレメでロン毛くんと別れて自分はウチヒサールに泊まる事にした。なかなか感じのいいペンションで、宿代は最初800万($13)と言っていたのだが、「安い部屋は無いの?」と言うと「うーん、$10にディスカウントしよう」と言うので「じゃあ2泊ぐらいしようかな」と泊まる事にした。この順序を覚えておいて欲しい。これが僕にとどめを刺すトラブルの原因になるのだ。

ウチヒサールからギョレメまで谷を歩いて行った。景色はなかなか素晴らしいものだったのだが、なぜか素直に感動する事が出来ない。そしてギョレメに着いてますます自分でもう何をやっているのか分からなくなってしまった。「ああ、変な形の岩だな。」

ギョレメの町は完全に旅行者だけの為の町で、もはや通りは遊園地やテーマパークにしか見えない。強烈な違和感を覚えた僕は水の無い川にかかる小さな橋に座り込んでしまった。そして小一時間ほどのら猫のようにただ目の前を通りすぎる人や車を呆然とながめるしかなかった。僕は一体こんな所で何をしているのだろう?

なんだかやりきれない気持ちになり、カフェでサンドイッチをビールを頼んだ。店員は親切だったのだが会計の時に1千万リラ($18)とか言い出した。まあそんなことはあり得ないので、500万リラ($8)を渡すと「もう一枚だ」とか言ってきた。冗談なのかぼろうとしたのか分からないが僕がよほど険しい顔をしていたのか少し間を置いて「150万だよ。($2)」と冗談言ってみただけさというようなしぐさをして見せた。

ギョレメを後にしてウチヒサールの高台に登る事にした。さすがにここの景色は絶景で、少し気分も晴れた。しばらくしているとアメリカに留学しているトルコ人とその兄がやって来てフレンドリーにしゃべりかけてくる。しかし途中から人をおちょくったような冗談ばかり言ってきて少しカチンと来てしまった。そして「ヘイ ジャパン!」を連発するのが我慢できず「オレの事をジャパンって呼ぶな。オレは日本人だが日本じゃない。それにオレにはちゃんとした名前があるんだ」さすがに調子に乗りすぎた過ぎたと思ったのか素直に謝ってくれたのがまだ救いだった。

何だか気分も冴えないので、いっそのこと観光は辞めて旅行者とだべったりしてしばらく休憩しようかと思い、明日の朝チェックアウトしてギョレメに移ることにした。宿に帰ってレセプションに言うと「もちろん問題ないよ」とその場で一日分の$10を払って領収書をもらった。

しかし、10分ほどしてから「そう言えば2泊するって言ってたんで一泊$10にしたんだけど、1泊なら800万リラ($13)払ってくれ」とか言ってきた。僕も後から急に一泊で出ることになって「悪いなあ」とは思っていたのだが、彼が$10の値段を提示してきたのは僕が「2泊しようかな」と言う前だったのだ。

予定を変えたのは僕の方だし、僕は別に800万払ってもいいかなとは思ったのだが、彼の言い分が「君が2泊泊まるという約束で$10って言ったんだから、1泊ならもちろん800万払ってもらわないといけない」と言う物だった。それは実際とは違うわけで、僕は追加料金は払ってもそこだけは譲れなかった。彼は最初に「$10にしてやる」と言ったのだ。

しかし彼は人の話を聞かずに一方的に自分の言い分をしゃべる。自分の説明が不十分だった可能性についても一切認めず、ひたすら「お前の泊まっている部屋を掃除するのに二人の人を使うのでその人件費がかかる」とか全然求めていないような事ばかりしゃべる。話し方は丁寧で何とか納得して払ってもらおうという感じではあったのだが、人の話を聞かない事と自分が絶対に正しいと言う主張で僕は少し切れてしまった。

「ああわかったよ、どうせオレが悪いんだろ? 金さえ払えばいいんだろ。今持ってくるよ。ほらっ」僕はお札2枚を投げるようにして机の上に置いた。それを彼の母親に見られたのがすごく嫌だったのか「母の前でそんなに事荒立てるな」とか言い出すのだが「お前が正しいんだったら全然問題無いだろ?」とやり返した。

母親に見られていたからなのか、彼は「自分はちゃんと納得して払ってもらいたいから、この金は受け取れない」とか言って札を突き返してきた。そこで僕も少し正気に戻った。しばらく問答があったあと、僕もひょっとしたら思い違いって事もあるかも知れないので、一応素直に謝りお金を払い「次の人には誤解が無いようにもっとしっかりと説明して下さい」と言ったのだが彼は最後まで「いや説明は問題無かった」と言い切った。

部屋に戻ってから自分になぜか腹が立つやら情けないやらで、涙が止まらなかった。僕は一体いつの間にこんなイヤな人間になってしまったのだろう。騙されまい、騙されて傷つくのがイヤで尖ったり自分の回りに壁を作ってしまってこんな風になってしまったのだろうか?

バスの途中でもこんな事があった。トルコのトイレは有料なのだが、最近トルコでは25000リラ以下の小銭はあまり受け取りたがらない所が多い。とはいうものの自分はそれをトルコ人から受け取ったわけだし当然のように差し出すと、何やら文句を言って受け取らず別の硬貨をよこせという。僕は何度かそんなことがあって、ついにバスターミナルの公衆トイレ(有料)で頭に来て目の前でその小銭を全部床に投げ捨ててしまったのだ。「あのバスの車掌、使えない小銭を渡しやがって、、、」

今日の日記にも最初「トルコも公共交通機関のオフィスが堂々と人を騙したりするようじゃEU加盟なんて100年早い」なんて事を書いたりしていた。本当に僕は一体どうなってしまたのだろう。最近の日記を読み返してみても「○○人ってほんと××だよなあ、まったく」と言うような事ばかり書いている。○○人といっても本当にイヤな奴らはたぶん1%にも満たないのだろう。それもちゃんと分かっている。

しかも書いている本人がこんなイヤな気持ちなのだから、読んでいる人はいったいどんな気がするだろう、そんなことも分からない程疲れているのだろうか?それとも本当にイヤな奴になってしまったのか。あるいは元々こんな奴だったのだろうか?

たしかにイラン、トルコと過度に期待していた国で裏切られ続けて少しショックだった。パキスタン以降僕の旅は完全に「負け旅」だ。とにかく休息が必用なのは間違い無い。とにかく今の宿とは話もついたので、明日はギョレメの日本人宿に引っ越そうと思う。
 

 
ウチヒサールから見える
夕暮れ時のパノラマ
 


 

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