このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
朝起きてもまだ昨日の出来事を引きずっていた。テラスにでてカッパドキアの山々を見下ろしてみるが気分は晴れない。やっぱりさっさとこの宿を出て気分を切り替えることにしようと思い、パッキングをして出ようとすると、昨日の主人が「朝食は食べたのか?」と薦めてくれた。そう言えばこの宿は朝食が付いていたのだった。
テラスで朝食を食べてから鍵を渡してチェックアウトすると「君は昨日の事を本当にちゃんと理解してるか?」と訪ねてきた。僕は当然理解してるわけでお金の問題も全くない。ただ彼の説明がまずかった事、不十分だった事、100歩ゆずってその可能性がある事だけでも認めて欲しかったのだ。
僕は「じゃあ貴方は理解してるんですか?」と聞くと「オレはちゃんと分かっている」と言うので僕はもう何も言う事は無く、ただ「OK」とだけ言い残して宿を後にした。全くもう旅をしているのか何をやっているのか分からなくなってきてしまった。
ウチヒサールからギョレメは約6キロほど。ドルムシュもあったのだか気分的に歩いていくことを選んだ。少なくとも重いリュックを背負って歩いている間だけは自分の目的は明確になるからだ。途中見晴らしのいい場所で休んだりしながら、一時間半ほどでギョレメの町に到着した。
今はとにかくいろんな旅人と会って彼らの話が聞きたい。そんなわけで日本人が多めのビラモーテルという宿に行くことにした。値段も昨日あらかじめチェックしておいて$5弱と安かったのでダラダラするのにもいいかもしれない。チェックインすると早速テラスのソファーにごろりと横になった。
宿には四人ほどの日本人が泊まっていて、それぞれ東欧やアフリカを旅してきた強者のようで、彼らの話はとても面白かった。聞けば聞くほどそれらに対して興味がわいてくる。しかし彼らは既にチェックアウトしたようで、昼過ぎに一気に出ていってしまった。
何をするでも無くひたすら宿でごろごろしてたのだが、三時をまわるとやはりおなかが空いてきたので、チキンドネルサンドでも食べに行くことにした。そしておなかがいっぱいになると観光は止めておこうと思っていたのだが、散歩がてらに野外博物館の方に歩いて行ってみる事にした。
野外博物館にはパラボラアンテナの付いた放送局の車が止まっていた。どうやらNHKが取材に来ているらしい。博物館に入るでもなくその辺に座ってぼーっとしていると、IDカードを付けた二人組の女の子がやって来たので話を聞いてみた。
なんでもNHKの地球なんとかいう番組で明日から三日連続で生中継をやるのだそうだ。そしていろいろ話をしてると、なんとタレントのかなりファンだった酒井美紀さんも来ているらしい。しばらくするとカメラテストが始まって、酒井さんも車から出てきた。テレビと同じで可愛いのだが、服装がすごくラフで何だかその辺にいる普通の女の子みたいでよけいに感じが良かった。
仕事のじゃまにならないように、近くの丘の上からその様子をぼーっと見ていたのだが、テレビ番組、しかも生中継というのは結構大変なんだなあと思った。無事テストが終わったようなので近づいて行ってみたのだが、やっぱり仕事で疲れてるんだろうと声はかけれなかった。
一瞬目が合ったりして緊張してしまったりしたのだが(笑)酒井さんは自分のカメラで回りの風景を撮ったりしていたのでやはりサインをもらう機会を逃してしまった。うーん、押しが足りないなあ。
とにかく明日本番があるというので、どうせ他にすることないだろうし気分転換に見に行ってみる予定。
今朝は何となく目がさめたので例の野外博物館へ行ってみた。昨日ロン毛くんから博物館のチケットの半券をもらっていて、それを見せるとタダで手前の石窟教会に入れるというので行ってみることにしたのだ。この教会は石窟教会の中ではかなり大きい方らしく、中の壁画は青を基調とした美しい物で、壁画自体の保存も割と良かった。
外に出てみると相変わらずたくさんのスタッフが忙しそうに行ったり来たりしているのだが、酒井さんの姿は全く見えなかった。2時間ほど岩山を見ながらぼーっとしていたのだが、きっと時間が早すぎたのだろうと宿に帰ることにした。
帰りにロン毛くんともう一人、日本からロシアを横断して東欧をまわりここまで2ヶ月で来たという「駆け足くん」に会った。二人とも同じ宿に泊まっているらしい。「酒井さんいなかったよ」というと二人も一緒に宿に戻ることになった。
昼間からソファーに寝ころびながら昨日買って置いたビールを飲んだり昼寝をしたり。「駆け足くん」の東欧情報を聞かせてもらったりしているうちに4時になり、一行は再び野外博物館を目指して出発した。
結果から言うと結局会えなかったのだが、博物館の警備の軍人と仲良くなって色々話をしたり、まあのんびりした良い一日だった。
帰りに行きつけの酒屋に寄ると「今日は何を飲むんだい?」とフレンドリーな店員から声がかかる。「うーん、ワインかなあ」と言うと、いろいろ店に置いているワインの説明をしてくれる。「これは旨いんだがなあ、ちょっと高いんだ。こっちのは一番安いけどあまり旨くねーな。これなんかどうだい?」と言う具合にお薦めのワインを買って帰った。
昨日もエフェスと言うビールを買おうとすると「そんなのより、こっちの方が値段も安くて旨いんだぜ!」と薦められるままに買って帰ったのだ。
超観光地のここでは、いちいちツアーの売り込みが声をかけてきたりするのだが、ここ数日何処にも観光に行かず、ただ食料の買いだしに行くだけなので全然イヤな目には会っていない。お店も顔なじみの所が増えてきていい感じだ。
トラクターに乗って手を振りながら去っていくおじさんの笑顔を見ていると少し心が和んだ。
僕は色々考えた結果、ここトルコでの残りの旅は”消化試合”だと考える事にした。たとえば残り8ゲームで5位と10試合以上の差を付けられた阪神タイガースの様に、ただのんびりとイスタンブールを出発するまでの期間を消化していく。そんな旅もありかなと思うようになった。
今朝も遅くまで寝てから朝食の買いだしに行く。町外れのベーカリーでは焼きたてのエキメキと呼ばれる大きなトルコ風のフランスパンがたったの15円ほどで買えるのだ。新聞紙につつまれたパンを小脇に抱えて今度は雑貨屋でジャムを一瓶買った。
宿のテラスでお茶を沸かしてナイフでばりばりとパンを切って食べる。宿は全員出払っているようで鳥の鳴き声と近所の子供の声だけが聞こえる。そう言えばこんなに心も体ものんびりとしたのは久しぶりのような気がする。
テラスから変な形の岩を見ていたら、もう渓谷も地下都市もどうでも良くなってきてしまった。投げやりではなく、良い意味で「別にそんなところに行かなくったって全然いいじゃないか。所詮観光旅行なんだから自分が行きたい時に行きたい所へいけばいいんだから」と思えるようになってきた。
これからあと2週間ほどある消化試合だが、外野でビールを飲んで酔っぱらった阪神ファンのように気楽に行こうかなと思う。
酒井さんもエルズルムへ向けて出発してしまった事だし、そろそろギョレメを離れることにした。特に時間は決めてなかったのだが、今日出発するつもりで8時には起きてお茶を沸かしてテラスでパンをかじっていた。
ロン毛くんとパンをかじっていると一昨日ぐらいから宿に泊まっている女の子もテラスに上がってきた。フンザの「普通娘」以来の女の子らしい女の子だ←きゃー。 しかしこの女の子は見かけはなるほどかわいい女の子なのだが、なかなかトークが辛口で面白い。そんな「辛口娘」も今日アンカラへ行くと言うので同じバスで行くことになった。
出発まで時間があったので、一緒にその辺を散歩したりしていたのだが、話をしていると彼女も英語圏(カナダ)で生活していたことがあるらしく、カナダはどーだ、NZはどーだ とかそんな話をしているうちにバスの時間がやってきた。
ギョレメをメインにしているバス会社は主に「カッパドキア」というのと「ギョレメ」とい2つの会社なのだが、この「ギョレメ」はあまりにもトラブルが多いことで有名だったらしい。とはいうものの「カッパドキア」の方は丁度良い時間が無かったので隣の「KENT」と言う会社のバスのチケットを買った。この会社はカイセリにもオフィスがあって、カイセリでは係員の感じも良くしっかりしてそうだったからだ。
しかし、ここギョレメのオトガルは、実質「カッパドキア」以外の会社は全部「ギョレメ」のオフィスのオヤジが仕切っているらしく、乗せられたのは「ギョレメ」のバスだった。しかも遅れてきた上に、ダイレクトのバスではなくネベシェヒール乗り換えだった。(ネベシェヒールで45分の待ち合わせ)
「辛口娘」は「一体どーゆー事よ!」と少し怒っていたのだが、僕はもうすっかり気分も消化試合なので「まーねー。アジアだからねー」とちょっと投げやりに答えた。「ぜんぜん怒らないんですねー」と言われたのだが、そう言えば先週だったら激怒していたかもしれない。そう思うとなんだか少しホッとした。
乗り換えたバスでしばらく走ると巨大な湖が見えてきた。よくよく見てみると塩の湖らしく、対岸が真っ白塩で覆われている。そしてバスが進むに連れて湖の色がまるで血の色のように真っ赤になってきた。とは言う物の回りの景色と調和してそれは綺麗だった。「辛口娘」はこの湖が見たかったらしくすごく喜んでいた。
そして日も暮れかかった午後7時半、バスは空港のターミナルのようなアンカラのオトガルに到着した。僕たちはドルムシュで安宿のあるウルス地区を目指したのだが、ホテルの値段が軒並み上がっている。シングルルームだと$10もしてしまうのだ。しかも安宿は汚くて小便臭い所やお湯が出ないところもあって、どうしようもないという感じだった。
困り果てた末、目の前にある少し良さそうなホテルに入って見ると、何とシングルルームが$8だった。しかもバス・電話付きで部屋も綺麗だった。文句があるはずもなく早速チェックインする事にしたのだが「辛口娘」はビザ取りで何泊かするらしく値段交渉をすると$7.5にディスカウントしてくれた。僕は一泊か二泊の予定だったのだが、「別に一泊でもいいよ」と同じ値段にしてくれた。
ここの宿はなぜかバス付きのシングルがいっぱいあって「なんでだろ?」と思っていたらロシア人のおねーさんがたくさん住み込みで働いている宿だったようだ。とはいうものの宿が売春を斡旋しているのではなく、勝手に住み着いているのだろう。9時頃になるとみんな客をつかまえるためすごい格好で出動していった。
気が付くとすごくおなかが空いていたので二人で近所のロカンタに行ったあと、「パソコンの旅の写真を見たい」というので久しぶりにスライド上映会をした。彼女が部屋に戻っていってから「そう言えばアンカラってアクセスポイントなかったっけ?」と思い調べると案の定あったので試してみると一発でつながった。
ギョレメで結構受信したので、メールの数は多くなかったのだが、なんだか自分の事を心配してくれているメールが何通かあってありがたい。返事を書いたり、久しぶりに掲示板に日本語で書き込みしている間に時計の針は3時を回ってしまった。
昨日帰りにエキメキを買ってきた。朝食の約束をしていたので朝8時に眠い目をこすりながらシャワーを浴びた。しばらくするとドアをノックする音と共に「辛口娘」がやってきた。
昨日の夕方アンカラの街が見えてきた時「意外と面白そうだなあ?」と何となく無く思っていたので、もう一泊して「辛口娘」の辛口トークを聞きながらショッピングセンターを冷やかしたりしたい気もした。事実それはなかなか消化試合には持ってこいの楽しいオプションだと思い少し悩んだのだが、やはり僕は今日このアジア横断の旅にケリをつける事にした。
「辛口娘」はすぐにビザ申請に行くというので僕もバスターミナルへ向かう事にした。宿の近くで手を振ると彼女は雑踏の中に消えていった。そして僕は昨日来た道を通ってオトガルへと向かう。
トルコのバスというのは一応政府の決めた定価と言うのがあるのだが、実際バス会社の看板をかかげててもチケットを売るのはほとんど代理店で、売値と卸値の差が直接彼らの取り分になるようなシステムらしい。そしてやはり最初は高めの値段を言ってくる。
たとえばむこうから「学生料金だ」と言ってディスカウントされた値段も他の客のチケットを見てみるとそれよりも高かったりする事がある。そんなわけで僕はねばり強くあちこち回って700万リラでチケットを買った。最大手といわれているMetroという会社だった。
さすが最大手らしく、バスも今までにないほど豪華な物だった。飲み物のサービスも頻繁に回ってくるし、ケーキのサービスもあった。景色は単調だったのだが、高速道路のおかげで意外と早くつきそうだ。バスは途中一回自社のサービスエリアのような所で休憩を取った。
休憩の後も相変わらずうつらうつらしていたのだが、次第に回りに建物が増えてきたと思ったら、不意に左側に海が開けた。地中海だ。反対側を見ると「Istanbul 38Km」の表示が見える。「遂に来たんだ!」僕は港に着くまでの間、これまでの9ヶ月の旅の事を思い出していた。多くの人に支えられ、騙され、助けられ、ボられ、そして僕はここまでやって来たのだ。 街の風景が、人々の笑顔が、多くの旅人達の事が次から次へと頭の中を駆けめぐっていく。
長い長い坂道を下り僕は少し寂れた港の近くの小さなオトガルでバスを降りた。ここがアジアの終点。そして海の向こうはヨーロッパだ。僕は少し興奮気味にチケットを買いもう一度だけアジアの方を振り返ってからフェリーに乗り込んだ。
「おわった!」
僕は両手を思いっきり横に広げてのびをした。その瞬間ついに9ヶ月に及ぶ僕のアジア横断の旅は幕を閉じたのだった。
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