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トルコ・旅人達の交差点編
(イスタンブール)
 


6月27日 夏休み(イスタンブール)

ここイスタンブールにはたくさんの旅人がいて、かなりの人が1週間以上の長期で滞在している。そしてそんな旅人達の宿といえば以前はは「アヤソフィア」と「ムーンライト」だったのだが、ここ最近は「ガラタホステル」と「コンヤペンション」の時代らしい。そんなわけで僕も昨日ヨーロッパに着くとまっすぐにこの宿を目指してやって来たのだ。

チェックインするとみんな快く歓迎してくれて、みんなで自炊をして夕食を食べた。フンザで一緒だったケンちゃんや他懐かしい顔もちらほらと見える。 そう、ここは東西南北から旅人達が集まってきてそして次の目的地へ向かって旅立っていく、まさに旅人達の交差点なのだ。

今日は朝からさっそく新市街のタキシムを目指す。まず領事館に荷物を取りに行くのともう一つは、今後の行き先に関するビザ情報収集といった感じだ。領事館の方には小包が届いていて、懸案のクレジットカードと、あとはTシャツやみそ汁等今の自分に本当に必用なものが満載されいた。感謝感謝。

その足で旧ソ連に強い旅行会社へ行ってみたのだが、なんだか今日は分かる人がいないとかで回答が貰えなかった。仕方がないのでトラム沿いをてくてくと歩いて旧市街へ向かう。やはり街は完全にヨーロッパ風で、人はアジア。そしてどこかオスマントルコの陰がちらほら見えるという。はやりイスタンブールは魅力的な街だ。

宿に帰るとまたまた食事をシェアする事になった。今日の隊長はもと大阪に住んでいた広島の女の子「エセ関西人」で、僕はNZ時代ミートソースづくりにはまっていたので手伝う事になった。それにしてもミートソースにコーヒーを入れるというのはなかなかいいアイデアだった。

しかしながら量も10人前を越えるとなかなか作るのが難しい。結局あーだこーだいいながら、何となく無難に仕上がった。ちょっと多かったか?とも思ったがみんなを呼びに行くとアッという間に平らげられてしまった。

夕食後もみんなでだべったりしていたのだが、「エセ関西人」が明日出ていくというので、ノートを書いてもらったのだが、僕のノートの中に二人親友がいると驚いていた。一人はフエであった「美容師ねーちゃん」もう一人はつい最近ギョレメで会った「辛口娘」だ。まったく世の中というのは狭いものだ。



6月28日 $1のビザ(イスタンブール)

今日も連続でタキシムへ。まず一つはルーマニアビザ。これはいるとか要らないとか言われているのだが、結局必用なようなのだが、国境で無料で即時取得出来るという話もある。ただ日本人は申請料がたったの$1だというのでついでに取っておくことにした。

正午に申請、夕方受け取りらしいので昼前に行くとトルコ人が何人か申請をまっていた。どうやら$1なのは日本人ほか先進国の人のみらしく、トルコ人は分厚い申請書に何十ドルも払っていた。そして僕のビザはなぜか「そこに座っていろ」と言われわずか10分ほどで発給された。

その足で旅行会社に行くと「ああ、まだ何も問い合わせてないよ」とか堂々と言いながらもその場で電話して調べてくれた。しかしどうやらウクライナに関してはここイスタンブールでは日本人には発給していないらしい。そんなわけで次の行き先は必然的にブルガリアになりそうだ。

まあ、あと10日は最低ここにいるのでその間にじっくりと考えようと思う。

今日の夕食はカルボナーラ。「えせ関西人」は出ていってしまったので、今日はカップルで来ている「京女」と僕がソースを作ることになった。カルボナーラはニュージーランドにいた時に「夕子」に教えてもらったのでお手の物だ。ただクリームがないのでどうしようと思っていたらそこは「京女」がバターで小麦粉を炒めて牛乳に絡めるという方法でそれっぽく出来た。

夜半すぎに、なんだか濃厚なおばちゃん登場。なんでも興奮しているのかテンションが高く、大声でなんだかんだしゃべり続ける。どうやらここのオーナーのイスマイルのメール友達らしい。日本から直接来たのでたくさん日本のお酒とかを持ってきているらしく、若い衆はロビーで日本食の虜になっていたようだった(笑)
 

 
タキシムの商店街のなかに
ぽつんとあった教会
 


6月29日 平穏な一日その1(イスタンブール)

用事も済むとひたすらごろごろライフだ。一日中宿にあるあちこちのガイドブックを何となく眺めたり、ロビーで色々旅の話をしたりそんな一日。

夕方になると昨日のおばさん「やっちゃん」←と呼ぶように言われた。 が何と日本カレーとコロッケを作ってくれた。さすがに母の味という感じで、これは本当に嬉しかった。

久しぶりの本当の日本食だった。



6月30日 平穏な一日その2(イスタンブール)

相変わらず外出は朝イチのパン屋と、昼からスーパーに行ったくらいだ。
スーパーはなかなか格安の店で、2.5リッターの「Le Cola」という怪しげなコーラがたったの70円ほどだった。他にもいろいろお菓子を購入。

夜は「やっちゃん」がそうめんと天ぷらを作ってくれた。これも最高。日本食万歳!
かなり多めに作ったらしいのだが、みんなでむさぼるように食い尽くして、作った本人も喜んでくれた。



7月1日 平穏な一日その3(イスタンブール)

毎日ごろごろしている。さすがに体がなまってくるのでアクサライの旅行会社まで行ってみる事にした。ダメもとでもう一度ウクライナビザについて聞いてみるが、やはり日本人はちょっと厳しいという事だった。

宿に戻ってから本格的にブルガリア行きの手段を調べてみると、ちょうど列車で旨い具合に行くことが出来そうだ。とりあえず3日ほどで見所を回ってからマセドニア、旧ユーゴ辺りへ行こうかと思う。

夕食は野菜炒め。今日はほとんど「京女」 ともう一人中東から戻ってきた「大和魂」(というTシャツを着ている)が作ってくれたような感じで、味のほうもなかなか。特に大和魂の作った鶏ガラスープが最高だった。
 



7月2日 平穏な一日その4(イスタンブール)

朝一人の韓国人の女の子が訪ねてきた。どうやら「大和魂」の知り合いらしく、「今日はデートだ」とか張りきっていた。いいなあ(笑) 彼女は19才の大学生らしく1年休学してあちこち回っているらしい。見た感じきゃしゃそうなのだが、なかなかしっかりしてるようだ。

僕は例によってゴロゴロライフの一日。

夕方になって、急にケンちゃんと大ちゃんが出ていくことを決めたらしい。既にバスのチケットも買っていて明日の朝イチで出ると言うことなのだが、それを聞いて「やっちゃん」が大泣きしてしまった。僕たちにすれば、旅の別れなんていうのは当たり前の事でもう何でもない出来事なのだが、こういう旅が初めての彼女にしてはせっかく仲良くなった人が次から次へと出ていくのはつらい事なのだろう。

夜は肉じゃがだったのだが、何とチキンが丸ごと一匹しか売って無くて、解体するのにえらい苦労してしまった。包丁が全く切れないのでイライラ度数120。日本のスーパーってすらばらしいね。



 7月3日 海のローカル列車(イスタンブール)

朝起きたら10時を回っていた。なんとケンちゃん達はもうギリシャへ向けて出発したようで見送り損ねてしまった。ほんとダラダラ度に拍車がかかっているなあ。そろそろ本格的に体が訛ってきたので今日は久しぶりに遠出をすることにした。

ここイスタンブールは旧市街、新市街と二つの大きな地区に別れているのだが、どっちの地区もいまいち対した店が無い。聞くところによると郊外にショッピングセンターがあるといので、さっそく近くの国鉄駅へ向かう。

海沿いを走行中にも手で勝手にドアを開けられるような古い列車に揺られながら、窓の外を見ているとふと沖合の島が淡路島に見えて、なんだかJR神戸線に乗っているような気分になった。さしずめここは須磨海岸といった所だろうか(笑)

8駅目で降りると駅前にはたくさんの店が建ち並んでいた。大都会というよりもこ洒落た若者の街という感じだ。繁華街の南側には巨大なデパートもある。中身はあまり大したこともないのだが、トイザラスや各種ファーストフードなんかも入っていた。それにしてもトルコではいろいろな所でボディチェックをされるのだが、デパートで金属探知器でいろいろ調べられたのにはちょっと驚いてしまった。それだけテロが多いのだろうか?

結局特にたいした物は買わなかったのだが、中華食材屋で「大和魂」に頼まれた「出前一丁」を買って帰った。彼は今日もデートだったらしい。

久しぶりに出かけたので疲れてしまったのか、夕方から豪快に寝ていたらいつの間にかご飯の時間が終わってしまっていて食べ損ねた。ショック。一応大声で呼んでくれたらしいのだが寝ていたのではどうしようもない。

夜はなぜか古いマンガの主題歌のカセットを持ってきている人がいて、みんなで聞きながら盛り上がってしまった。それにしても20年以上も前の事を良く覚えているもんだ。「母を訪ねて三千里」の歌を聞いているとヨーロッパへ行くつもりが一気に飛び越して南米へ行きたくなってしまう(笑)
 

 
イスタンブールのローカル列車
 


7月4日 去っていく人々(イスタンブール)

今日はこの前届いてなかった荷物を取りに行ったり、本を探したりといろいろ用事があってタキシムまで出かけた。荷物は無事届いていたのだが、本の方は在庫が少なくて全然ダメだった。トルコ最大の都市の最大の外書を扱う本屋でこれとはなんともお粗末だなあ。

もう一軒アメックスでTCの購入をしようと思ったのだが、トルコのアメックスでは「ここはただの旅行代理店なので銀行へ行ってくれ」とか言われこれも全然使えない。パキスタンで「トルコの代理店で買える」と言われたのだが・・・

仕方が無いのでこれはまたブルガリアかハンガリーで買うしかないのだろう。幸いここから先はキャッシュカードが当たり前のように使えるし、両替手数料が下手したら8%とか取られてしまうらしいのでそんな焦る必用は無さそうだ。

夜はまたまた鶏肉を気合いでバラして炊き込みご飯。明日はたくさんの人が出ていくらしい。情報ノートに連載記事を書いている有名人「MRチュー」も出て行くらしく、ワインをたくさん買い込んで夜遅くまで飲んでいた。「大和魂」は何だか飲み過ぎたようでロビーでつぶれていた。
 

 
新市街のテュネル(地下鉄)
一両編成でケーブルカーみたい
 


7月5日 関西の味(イスタンブール)

昨日遅くまで飲み過ぎたのか、目がさめるともう昼前だった。今日こそ観光に行こうと思っていたのになんてこったい。仕方ないので遅めの朝食を取ってからロビーでごろごろ。

近所のスーパーまで買い物に行って、またごろごろ。

夕方になると一斉にみんな出ていくとか言い出して荷造りを始める。今日出ていくのは、「やっちゃん」「MRチューカップル」「京女カップル」あと2名。これだけ一気に減ってしまうと本当に寂しい。20人ぐらい泊まっていたのが明日から一気に6人ほどになってしまう。

最後と言うことでお好み焼きを作ることにした。最初はまかしていたのだが、焼くだんになって何だか関西人として見ていられなくて結局残り全部を自分が焼くことにした。家でもずっと焼いていたので慣れたもんだ。一部小手が無いので崩壊してしまったのだが、フライパン返しでひっくり返すと「おおっ!」とウケてしまった。

味の方はやはりお好みミックスを使ったからなのか最高の出来だった。

お好みを食べてしばらくするとみんな一気に出ていってしまって急に静かになった。そろそろ自分も活動を開始しないと。



7月6日 観光開始(イスタンブール)

完全に沈没傾向だ。どっかへ行こうとしても体がなまっていてしんどい。そしてまたゴロゴロするのだが、さすがに最近良心が痛むというか、もう一人の自分が「そんな事じゃあかんやろ!」と言っている声が聞こえそうだ。

そんなわけで今日はちゃんと目覚ましをセットして9時には起きていた。ロビーにいると今日も韓国人の女の子が訪ねて来ていた。なんでも今日は大和魂ほか数名と遊園地に行くらしい。自分も誘われたのだが、今日は復活の第一歩として何が何でも観光へ行こうと思っていたので断る事にした。

外に出ると、今日はいつもと逆の旧市街の観光名所が固まっている方へ向かう。さすがにこっちの方は観光客向けの店や旅行代理店とかがいっぱいあって、あちこちの日本語使いから声がかかる。

昨日までの生活パターンからは、イスタンブールって別にそんなに観光都市じゃ無いような気がしてたのだが、やはりここは世界一ツーリスティックな街だ。日本人はよほど騙しやすいのだろう。さすがに日本語使いにはうんざりなので無視する事にした。

しばらく歩くと6本のミナレットに囲まれた大きなモスクにたどり着いた。ここが有名なスルタンアフメット(ブルーモスク)らしい。今朝「駆け足くん」に「10日もいてまだブルーモスクも行ってないんすか?」と言われるほど基本的な所のようだ。

ここブルーモスクは入場無料と貧乏旅行者にはうれしい。最近のトルコは学生料金の廃止から始まって、観光地の入場料が暴騰している。2年前が$1だった所が、今はもう$7にもなっていたりして驚きだ。別にケチってもしかたがないのだが、「値段の割に全然大したこと無い」という声が多い。

ブルーモスクは中に入って見るとたくさんのステンドグラスがあってまるで教会の様だ。そして天井から何十メートルものワイヤーで地上3mぐらいに電球のたくさんついたシャンデリアがつり下げられていた。天井にも絵が描いてあるのだが、イスラム教のモスクなので幾何学模様ばかりで教会ほど見応えはないのだが、それでもなかなかの物だった。

次に向かったのはギュルハネ公園という所で、公園を抜けると高台になっていてそこから海が見れると思っていたのだが、道の海側が全部カフェになっていて、中に入って何か注文しないと景色も見れないようになっている。これはトラブゾンのボステペでもそうだったのだが、トルコという所は何かにつけてそういことが多い。

公衆トイレが有料なのはまだしも、バスターミナルやひどいときは映画館のトイレさえ有料になっている。「タダでは何もやらん」という感じを受けるのは僕だけだろうか?

せっかく丘まで登ったのに景色も見れず、降りていると駐車場のすき間から海がながめられそうだったので入ろうとすると、係員に止められてしまった。トルコ語なので何を言ってるのかわからなかったが、ここはお客用の駐車場だから客以外は入るなとかそんなところだろう。なんだか変に腹が立ってつっけんどんな態度を取ってしまった。少し反省。

その後は例によってガラタ橋で鯖サンド。今日は最高に蒸し暑くて、軽く30度以上ありそうで汗が噴きだす。あちこちの日陰で休憩しながら帰ってくると真っ先にコーラを一気飲みしてシャワーへ駆け込んだ。
 

 
ブルーモスク内部
 


7月7日 突然の別れ(イスタンブール)

本当にここイスタンブールは旅人達の交差点だ。次から次へと東西南北から旅人がやってきて、そしてまた去って行く。僕はそう言う旅人達を出迎え見送りながら毎日を過ごしている。

そして、今日も突然宿の中でも仲のよかった「大和魂」が出ていくことを決めたようだ。なんだか今日も七夕パーティーに誘われていたのでてっきり僕よりも長期滞在になるのだと思っていたので少し驚いてしまった。

いきなり夕方に出発を決めたらしく、あっという間に出発時間になって、玄関まで見送ってから握手をしてあわただしく別れた。まあ方向が同じなのでまたどこかで会うだろう。

彼と入れ替わりに、イランから二人、バンコクから一人、僕と同じぐらいの歳の女の子がやって来た。

イスタンブールはまさに旅人達の交差点だ。
 

 
宿の屋上からの景色
 


7月8日 再会(イスタンブール)

突然メールをもらって驚いたのだが、ルアンパバーンであった「さえこちゃん」がイスタンブールにやってくるらしい。彼女のトルコ好きは仲間内でも有名らしく、なんだかトルコで何かをたくらんでいるらしく、今回はその下調べらしい。

大急ぎで日本のラーメンとお菓子をリクエストしたのは言うまでもない。そして10時ぐらいに宿に電話がかかってきて無事到着したらしい。僕がイスタンブールに来たときは、まだまだ宿も空いていたのだが、そろそろホリデーシーズンでアヤソフィアもコンヤも既に満室らしい。そんなわけで駅まで迎えに行くことに。

ここはドミ$5と格安なので、貧乏人の彼女にもぴったりのようだ。

日本の雑誌と新聞ももらって読みふけっている間に何となく一日が過ぎてしまった。



7月9日 カレー日和(イスタンブール)

今日はとにかく暑くて、窓を全開にして寝ころんでいるあいだにまた眠ってしまって、結局夕方まで寝倒したような感じになってしまった。

夕方に起き出してさっそく日本から届いたばかりのカレールーでジャパニーズカレーを作る。ルーが少ないので全員に振る舞うことはできなかったのだが、鈴木さんほか1名とこっそり食べる事にした。

しかし、その匂いが上まで立ち上っていたらしく、他の人にもバレバレだったようだ。

コクが足りなかったのでコーヒーを入れてみたらなかなかいい味になった。また興味のある人は一度試してみて欲しい。



7月10日 再開の第一歩(イスタンブール)

夏休みに入ってからまる2週間が過ぎた。日常に埋没していくのも悪く無い気もするのだが、おそらくこの辺りが潮時だろう。そんなわけでそろそろ出発する事に決めた。

そうときまれば早速鉄道駅へ向かうのだが、なんでもブルガリア行きは夜行列車しかないらしい。たしか列車に張ってあった広告に昼の列車があったし、京女たちもそう言っていたのだが、、、ひょっとしたらそれは臨時列車だったのかも知れないのだが、駅のインフォもあまり英語が分からないらしく宛にならない。

そんなわけで選択の余地もなく夜行の切符を買った。行き先はブルガリア第二の都市プロブディフだ。

そして宿に帰るとまたまた何人か旅人がやって来たようで、ロビーで盛り上がっていた。何だか人数も増えて今日は久しぶりにシェア飯を作ることになった。とはいうものの今日は新しくやって来た人達が全部作ってくれたので調理には参加せず、できあがったトマトパスタをただひたすら食べるだけだった(笑)

余ったパスタにこの前の余りのお好み焼きソースと青ノリをかけると本当に焼きそばのようで大いにウケた。今日は人数が増えたこともあって、久しぶりに夜遅くまでみんなで旅の話で盛り上がった。

そして明日はいよいよ自分が見送られる番だ。
久しぶりの旅の再開に少しドキドキしている。
 

 
街の生オレンジジュース屋
 


7月11日 夜汽車にゆられて(イスタンブール〜プロブディフ

いよいよ、というかやっとというかイスタンブール最後の日がやってきた。朝からだらだらと荷物をパッキングして、12時ごろにチェックアウトして荷物をロビーに置く。チェックアウトとはいうものの、キッチンもシャワーもロビーも使い放題なのでうれしい。もっとも空いている日だと夕方まで部屋を使ってもいいらしいのだが、あいにく今日は満員御礼だった。

特に大きな予定もなかったので、近所の浜辺を散歩する事にした。海沿いの公園ではライフルで風船を撃つ射撃屋やら手を握る力でパイプの中の水がどんどん上に上がっていくしくみの握力計屋さんとかいろんなのが居て面白い。そういうので遊んでいるカップルなんかを見るとなぜかホッとしてしまう。

宿に帰るとここ数日で大量にチェックインしてきた女性陣がリゾットを作ってくれたので出発前に軽くかき込んでからロビーで最後の情報収集。なにせこれからは本当に英語が通じない世界に突入してしまうのでちょっと大変なのだ。

イランでもトルコでも「英語が通じないなあ」と思っていたのだが、最低駅やバスターミナルにはいくらか話す人がいる。しかしここから先は本当に大変そうだ。

最後に少し夜風に当たろうと思って屋上に上がると大量のポーランド人学生が居て宴会に招待されてしまった。東欧独特の小さなグラスにウォッカを注いでイッキ飲みしながら回していくやつだ。みんなもうかなり酒が入っているらしく、一人のポーランド人は何だか酔っぱらいながら熱く語ってくれた。

自分は結局4周ほど回ってきた所で時間が来たのであわただしく宿を出ることにした。親しかった人達はなぜかトルコに来ている「坂本龍一」のコンサートに行ってるらしく結局別れを告げる事が出来なかった。

真夜中のシルケジ駅に到着するとブカレスト行きの列車が1番ホームで静かに発車を待っていた。何だかよく分からないまま最後部の2等の車両に乗り込んだ。車両はヨーロッパタイプで8人用の個室がたくさんあるタイプだったのだが、ほとんど乗客がいなかったため長椅子をそのまま寝台のように一人でキープする事ができ、寝台料金丸儲けといった感じだった。

23時55分、列車は音もなく動き出した。金角湾からボスポラス海峡、そしてマルマラ海へ、イスタンブールの旧市街をぐるりと一回りして僕は2週間過ごしたイスタンブールに別れを告げた。


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