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なんとなくトルコ編
(イスタンブール〜アンタクヤ)
 


10月4日 見下ろす(リスボン〜ジュネーブ〜イスタンブール)

今朝は格安フライトの為に5時に起きた。当然外はまだ真っ暗で、夜逃げのようにこそっと荷物をまとめて居心地の良い宿を出た。門の所でもう一度振り返って「じゃーね」と誰にというわけでも無く言ってみた。

実はこの時間は航空会社が言うところの「1時間半前まで」にぎりぎりの時間だった。これ以上急いでも始発列車が5時45分からどうしようも無いとい。ちょっと焦っていたのだが、カイス・ド・ソドレでのバスの乗り継ぎもうまく行って、丁度1時間半前に空港のバス停に到着した。外はまだまだ真っ暗で本当に夜逃げするみたいだ。

チェックインカウンターへ行くと「ズーリック?(チューリッヒ)」と聞かれたのだが、僕は正直今日は時間以外は何処へ行くフライトかさえ知らなかった。確かスイスエアだったので自信無く「うん」と答えるといきなり慌てだして「何してるんだ早くしろ!」とか言われて少し驚いたのだが、よくよくチケットを見ると僕が乗るのはジュネーブ行きの飛行機だったようだ。 おじさんにCome on(おいおい、、)と言われてしまった。

今日はスイスで飛行機を乗り換えるのだが、両フライトともいわゆる共同運行便でジュネーブまではポルトガルエアだった。こっちのフライトは窓側だった物の風景はつまらない物で、朝食を食べると眠気が襲ってきた。そして昼前にはジュネーブに到着してトランジットルームで2時間程待つことになった。

トランジットルームは例によって免税店がいろいろあるのだが、さすがに1時間程で飽きてしまって椅子に座ってリスボンで買ったポテトチップを食べて空腹を紛らわせた。(やはり空港の食事もスイス価格)そしてやっとの事で搭乗時間がやってきたのだが、今度はトルコ航空だった。

退屈なのと寝不足で飛行機に乗り込むと一瞬で眠ってしまって、離陸時の加速感とエンジンの轟音でやっと目が覚めると新幹線と同じぐらいの速度で風景が後ろへ流れていた。

離陸してからしばらくはスイスの山々を楽しんだ。どれがマッターホルンで、どれがアイガーかわかんないんだけど、とにかく眼下に見下ろす山々はなかなか壮大だった。そしてまずい機内食を食べてからもずっと下を見ていると今度は空爆でボコボコになった空港が見えた。滑走路はもちろん周りにも大きな穴がいくつも空いていた。きっとユーゴ上空なのだろう。

トルコとギリシャは仲が悪いのは言うまでもないのだが、今回のフライトではまるでギリシャ上空を避けるようにわざわざユーゴやブルガリアの上空を遠回りして飛んだ。そして時間通りに僕は再び「旅人たちの交差点」イスタンブールへと帰ってきた。

本当に7ヶ月ぶりの飛行機だったので空港をうろうろ歩いているだけでも何となく楽しい。久しぶりに飛行機に乗ったからなのか単なる寝不足なのか、少し頭が痛かったのでそのままエアポートバスで市内まで行くことにした。土地勘のある街というのは本当に楽で、僕は全く地図を見ることも無く、住み慣れた隠れ家「ガラタホステル」へと帰ってきた。

たくさんの人が出迎えてくれるかな?と思ったのだが、もうイスタンブールは既に秋の気配で、泊まっていたのは7人ほどでそのうち4人も明日出ていってしまうらしい。とはいうもののこんな時期にこんな所にいる旅人ははやり濃い人が多くて、夜中2時頃まで旅の話で盛り上がってしまった。



10月5日 ビザマラソン(イスタンブール)

ここイスタンブールは昔「航空券購入のメッカ」と言われていたらしいのだが、今ではヨーロッパ各都市の過当競争のおかげでかなり割高に感じる。あの何でもないリスボンでさえ、イスタンブールと比べるとまだまだずっと安い。そんなわけで飛行機での移動はあきらめて陸路で南へ下る事にした。幸いそのルートにはたくさんの見所が有ることを昨日の夜に教えてもらったのだ。

ここから南へはまずシリアを通らなければならない。逆に他のビザは何処でも手に入るのだが、シリアビザはここで取っておくしかない。そしてそのシリアビザを取るためには日本領事館のレターが必用なので朝一番でタキシムの日本領事館へ。しかしここイスタンブールの日本領事館はレターの発行が次の日になってしまうらしい。ボールペンで名前を書き込むだけなのに・・・仕方ないので申請だけして領事館を後にした。

宿に帰ってメールを読んだり、食事を作ったり、宿の人としゃべっているとアッという間に夜になってしまう。中でも3年以上旅している「ヒゲさん」と同じく2年を越えている「酒のみねーちゃん」の話は濃いくて参考になる。 中でも酒飲みねーちゃんはこれから中央アジア方面へ行くために、例の面倒くさい地域のビザ取りで毎朝8時には宿を出ていくという毎日だそうだ。しかもまだまだ1週間以上は軽く続くのだとか、、、、

やっぱりイスタンブールは思わずのんびりしてしまう。今回こそはトプカプ宮殿に行ってみたいものだ。



10月6日 臨時休業(イスタンブール)

今朝は朝からはりきって日本領事館。そしてレターを持ってシリア領事館へと行ったら、、、、休みだった。臨時休業。何だって又こんな時に。せっかく早起きしたのに無駄足になって、やる気無し無しモードなのだが、まだ時間も早いので歩いてタキシムまで戻ることにした。

見なれた風景の中をやる気無く歩いていく。でもやはりトルコはアジアの香りがして、道行く人も話しかけてきてくれたりして少しやる気が出てきた。そしてそのまま調子に乗ってタキシムから旧市街まで歩く事にした。このあたりの新市街はさすがに地図を見ながら歩いた。そして細い路地を歩いていると、不意にガラタ塔の前に出た。そう言えばこんな近くでガラタ塔を見るのは初めてだった(笑)

そのまま坂道を下ってマリンターミナル方面へ。ここは以前から黄熱病の注射が出来るらしいのだが、有料だったり無料だったりと人によってバラバラだ。そして情報ノートに誰かが「無料だった」と書くとまたしばらく有料になったりするようだ。そんな訳なので一応立ち寄ってみるとやっぱり「10 million」と言われてしまった。実際打ってみるとただなのかも知れないが。

そして途中で買い物をして、食事を作って、ロビーでだべっているとまたまた夜になってしまった。ま、どっちにしても水曜日までは身動きが取れないから仕方ないね。



10月7日 沈没船(イスタンブール)

土曜日で大使館も休みなので久しぶりに寝坊してやった(笑)10時すぎに窓から差し込む太陽でやっと目が覚める。特にすることもないのだが、朝食を食べてゴロゴロしてから海へ行ってみる事にした。

イスタンブールは短期の沈没旅行者(10日ぐらいとか)がわりと多いだが、海へ行ってみると本当に船が沈没していた。どうやら岸に着けようとして座礁したのか、長さ50mぐらいの貨物船が岸壁に乗り上げて30度ぐらいの角度にひっくり返っていた。見たところ割と最近のようで、中にはいろんな物が散乱していた。

この船は散歩する人達のちょっとした名所になっているのか、家族連れなんかがきてしばしながめては去っていった。そして船の前にはトルコ名物「射的屋」なんかがいて「どうだ、一回やってみないか?」と誘ってくる。この辺りのオヤジはスフタンアフメットエリアとは全く違って、本当に人のいいただの普通のオヤジだ。

景品がタバコだったので射的は遠慮したが、少ししゃべってデジカメで写真をとって上げるととてもうれしそうにしていた。

その後なんとなしに歩いているとブルーモスクの辺りまで来てしまったのだが、この辺で声をかけてくるトルコ人は本当にもうどうしようもない。ボッタクリ旅行会社やカーペット屋など、声をかけてくるだけならいいのだが、最近は相手にしないと逆切れしてくるどうしようも無いのがいて本当にいやになる。

一昔前は「落ちましたよ!(日本語)」だったのだが、最近は手口も変わってきて「おお!ひさしぶり!!」「なんだ?オレのこと覚えてないのか?」とか言って注意を引いてくるのもいる。僕も田舎の方でいろんなトルコ人と出会ったので考えてみたが思い当たらない。そのうち「座れ」とか言い出して、しきりに僕の出発日と一人で来ているのか?と言うのを気にしているので、どうやら何かの詐欺に引っかけたいのかも知れない。

「友達と一緒だ」というと「大きな友達か?」と聞いてくるので「空手のブラックベルトだ。オレも空手はやってないけど柔道ならやってた」と何かで読んだ通りに答えると、それ以上は何も聞いてこなかった。全くどうしようもないね。

暇つぶしにはなったけど、やっぱりイスタンブールの観光地はつまんないかも。
 

 
さすがイスタンブール。
船まで沈没している。
 


10月8日 雨、雨、雨(イスタンブール

この時期のイスタンブールは一日一度は大体必ず雨が降る。そして今日は一日中雨で、情報ノートを読んだりして、暇だったのでしまいには今度は自分がヨーロッパのどうでもいいような情報をつらつらと書いてしまった。



10月9日 親切な領事館(イスタンブール)

やっとの事で月曜日が巡ってきたので遅れないように早起きしてシリア領事館へ。バス、ドルムシュを乗り継いでタキシムの北のモダンな繁華街に到着した。

領事館に入ると結構な人数のトルコ人が申請に来ていたのだが、日本領事館の紹介状を見せるとすぐに申請用紙をくれて、記入して出すとすぐにタイプで2枚の紙に打ち直してくれて、あっという間に申請が終わってしまった。係員のお姉さんは金髪の白人で、チャドルはおろかスカーフさえしてなかったので、一瞬ヨーロッパのどこかの大使館へ来てしまったのかと勘違いしそうだ。

一時期このイスタンブールのシリア領事館はビザの発給をストップしていたとか聞いたので、けっこう渋いのかな?と思ったのだが、中東系白人のお姉さんはとても親切だった。他にも何も調べずに来ていた南アフリカ人の白人二人が「紹介状ってなんだ? 南アフリカの領事館は何処にあるんだ?」とかアホな質問をしていたのだが、そんな質問にも調べてちゃんと答えていた。

領事館はその国の窓口なので、これからのシリアの旅は結構期待できるかも。



10月10日 久しぶりの日本食(イスタンブール)

昨日まで3人だった宿も、新しく4人ほどやって来て、ヒゲさんも戻ってきたので夜は久しぶりにシェア飯を作る事にした。最初はタマネギとかで普通のパスタだったのだが、酒飲みねーちゃんが何故だかたらこを持っていて、途中からたらこスパゲッティへと変わっていった。

久しぶりに食べるたらこスパは懐かしい味がした。一同「これ、ヤバいっすよねえ」(ヤバすぎる程うまいという意味)を連発しながら一瞬にして平らげてしまった。なにせこれだけはパスタの本場イタリアでもこれは食べられないのだから。



10月11日 軍楽隊(イスタンブール)

やっとビザが手に入る。ここイスタンブールでの滞在は、予想通りというか結構長くなっている。とはいえ今日までは最短でビザ取りに動いての事だから仕方ないのだ。ビザの発給は14時からなので、受け取り損ねないように昼過ぎに宿を出る。

領事館に行くと、宿の主人のイスマイルと、宿に泊まっている香港人の女の子がやってきた。この女の子は最初飛行機でテルアビブへ行こうとしていたのだが、あまりにもチケットが高いので陸路で行くことにしたらしい。ただ彼女はイギリスのパスポートで旅行をしているので、結局ビザに$80ぐらいかかってしまったらしい。ご愁傷様。

ビザの受け取りが終わると、イスマイルが「軍事博物館へ行こう」と言い出して三人で行くことになった。確か軍楽隊の演奏が3時からあって、前にイスタンブールに来たときも聞きに行きたかったんだけど、何となくダラダラして行けなかったのだ。時間的にも場所的にもシリアビザ受け取り→軍事博物館というのは密かに長期旅行者のゴールデンプランになっているようだった(笑)

軍事博物館自体は延々と武器が展示してあるだけでそれほどのものでは無いのだが、イスマイルがいろいろと解説してくれるのでそれはそれで楽しかった。コンサートの方は前に説明の映画が10分ぐらいあって、それの一番最後に「さあ、軍楽隊がやってくる!!」見たいなアナウンスがあって、何と映画を写していたホールの壁がスライドして中庭が現れて、向こうから軍楽隊が行進してくるという凝った演出になっていた。

演奏は一部と二部があって、二部は日本の「さくら」やその他の国の民謡なんかも織り交ぜて、なかなか楽しい1時間だった。これでイスタンブールは全て無事に終わったと思ったら大間違いだった。この宿は地下のタンクから屋上にポンプで水を汲み上げて貯めるようになっているのだが、おおバカアフメッド(従業員:本当はいい奴)がポンプのスイッチを入れっぱなしにして料理に熱中しているもんだから屋上の貯水漕が溢れて4回の僕の部屋が大雨になっている。

部屋にいた他の二人が何とかベッドを動かして置いてくれたので荷物は少し濡れるだけで済んだのだが、一息つくと僕以外の3人は2階のドミに引っ越していったようなのだが、しばらくすると雨漏りも止まったので僕は愛着のあるこの部屋にもう一泊する事にした。でもまたシングルドミになってラッキーかも。



10月12日 不思議ちゃん(イスタンブール)

今朝は突然一人しかいないはずのドミトリーのドアが開く音で目が覚めた。寝ぼけ眼に新入り従業員アフメットと何だか挙動不審の謎名女の子「不思議ちゃん」が映った。「おはようございます」顔色一つ変えず不思議ちゃんは素のまま言った。

不思議ちゃんは南国風のパーカーを脱ぐと何故だか赤いTシャツの上に袖無しのGジャンというケンシロウのような出で立ちだった。ますます不思議なのだが、それに輪をかけて「今からスケートに行くんですー」と言って手袋を取り出すと早速出かけていったようだった。そして平和が戻って僕は再びドミトリーでゆっくりする。
 
 そろそろ出発と言うことで日記を書いたり、いろんな情報を集めたりしていると午後になってしまった。本当は今日出発しようと思っていたのだが、どうしても今日出れない理由が出来てしまった。それは「カレーパーティー」今晩は酒飲みねーちゃんに送られてきたカレールーと台所にあったカレー粉を使ってカレーパーティーなのだ。これははずせない。

昼からは唯一イスタンブールの心残りだった「トプカプ宮殿」へ行ってみることにした。もう何日いるだろう?のべにすると一ヶ月近いんじゃ無いかと思うのだが、未だにイスタンブールの観光名所は「ブルーモスク」意外何処にも行ったことが無い。まず一つはあまりにも無いように比べて入場料が高すぎること(ブルーモスクは無料)。次に宿でしゃべっているだけでいろんな人に会えて楽しい事。そしてもう一つは観光地以外のイスタンブールの街が意外と素敵な事だ。

とにかく大沢たかおも行ったというトプカプ宮殿に行くことになった。ゲートをくぐるとチケット売場があって、$7近いチケットを買って中に入る。宮殿の内部はオスマン帝国の王の城という割には質素な感じがした。それよりも僕が感動したのは宮殿からの眺め。

海を見下ろしながらアジア側からヨーロッパ側までぐるっと見回せて反対側には金角湾、ガラタ塔なんかが見えている。テラスには少し装飾がしてあっていい感じだったのだが、予想外の内部に僕はもう$4ほど奮発して「ハレム」の中も見学してみる事にした。

不思議ちゃんが言うには「ここはー朝から並ばないと入れないですよー」という事だったのだが、もう既に観光シーズンも終わりかけているのか、3時頃にハレムの売場に行ったらあっけなくチケットが買えた。ハレム自体はちょっと期待はずれな気がする物の、スルタンの浴場なんかはなかなか見所があった。

しかし最悪だったのだがツアーの形態で、わざわざ人数を切ってツアー形式にしているのに、そのツアーが一時間に一回しか無いものだから、100人ぐらいの人間が狭い通路を行ったり来たり。ガイドは訛ったよくわからない英語を話す人が一人だけなので、当然後ろの方の人はその説明も聞けない。袋小路の部屋など凄い事になっていた。モナコを見習って、20人集まる毎にツアーを出せばこんな事にならなくてもすむのに、、、これは何とかして欲しかった。

ちょっと疲れてスルタンアフメットの辺りでうろうろしていると、強制靴磨きがやってきた。まずアホなのかスニーカーを見て磨かせろというとこ。布の靴を磨いてどうするよ?そして黙っていると勝手に墨をベタっと着けてくるらしく、僕はあぐらをかいてやり過ごしたが、ちょっとうんざりだった。斜め向かいに座っていた白人のおばさんは断りながらも結局磨かれてしまったが、結局いくら請求されたのだろう?

更に疲れて宿に帰ると既に不思議ちゃんは帰ってきていて、何でも今日はスケートには行けなかったそうだ。スケートと言ってもショッピングセンターのフードコートの一角にある小さい物なので、わざわざトルコまで来て滑る程の事も無いとは思うのだが、彼女のスケートにかける情熱はなかなかのものだった。

部屋で休んでいるとカレーの臭いが立ち上ってきた。下に降りて早速野菜の皮むきを手伝う。今日のシェフはヒゲさんだ。ヒゲさんは旅の途中アムステルダムのレストランで少し働いていたそうで、大量に作る時のコツみたいなのを知っていて手順もなかなかすばらしかった。そして出来たカレーはこれ又素晴らしい!!「んふふー」と声が出てしまう程美味しかった。

あまりにも美味しくて食べまくったからおなかいっぱいで部屋に帰ってごろごろしてしまった。そしてとめどない不思議ちゃんの不思議トークを聞きながら僕はいつの間にか深い眠りに落ちていった。

ちなみに話題は「ビーチボーイはいるのに、なぜビーチガールはいないか?」とかどうしようも無いものだったが、不思議な話題がどんどん出てくるのでそれはそれで、楽しかったのだった。
 



10月13日 そろそろ行きますか?(イスタンブール〜アンタクヤ)

朝起きると不思議ちゃんは既に起きていて、小さなナップザックが球体になるほど荷物をつめこんで出発準備に余念がない。みんな朝が遅かったのでそのままロビーでだべってから昼前に昨日のカレーを温めて食べた。やっぱりカレーは二日目にかぎるね!

カレーを平らげると不思議ちゃんは「スケート、スケート」と郊外のショッピングセンターへ旅立っていった。そしてしばらくしてから僕もみんなに挨拶をして、イスタンブールのオトガルへと向かった。オトガルは地下鉄で行けるのだが、この地下鉄の車両と言うかシステムが旧市街の路面電車を全くそのまま地下に埋めただけと言うのには笑ってしまった。確かにコストダウンできるんだろうけど・・・

たどり着いたイスタンブールのオトガルは噂通り巨大なものだった。そして巨大なだけでインフォメーションとかが充実していない。アンカラは巨大な電光掲示板に出発時刻とホーム、会社名が表示されるので一目瞭然なのだが、イスタンブールはまず何処の会社が何処行きのバスを出しているかさえ、オフィスの看板を一軒一軒見て回るしかなかった。

前にもトルコのバス会社には騙されて痛い目にあってるので、僕は大手で信用のおけるULSOY、METRO、Kamil Kocのどれかで行こうと思ったのだが結局どの会社もアンタクヤ行きの路線は持ってないらしい。そのかわりこれぐらい王手になるとちゃんと別の会社を紹介してくれて、僕はHASという南部に強い会社にたどり着いた。

時間を聞いてみるとバスは行ったばっかりで、次のバスまで3時間ほどあるらしい。他の会社も聞いてみたのだがそこは5時間待ちとかそんなんだった。アンタルヤ行きのバスは山のようにあるので、アンタクヤ行きもきっと同じぐらい有るのだろうと思ったのが大間違いで、そんなシリア国境の田舎町へ行くバスなんてそうそう無いようだ。

幸いにもバス会社の2階がサロンになっていて、そこの大きなソファーでゆっくりすることが出来た。昨日の不思議トークで寝不足だったのか結局2時間程そこで眠り込んでしまって、危うくバスを乗り過ごすところだった(笑)

所要時間は18時間。途中から夜になってしまうので景色なんてわからないのだが、初めて渡るボスポラス大橋はなかなか感動的で、他には前に「辛口娘」とドルムシュを探し回ったアンカラのバスターミナルが妙に懐かしかった。そして旅に出てから乗り物の中ではどんな体勢でも眠れる様になった僕は、相変わらずほとんどの行程をひたすら寝倒して、目が覚めた時にはもうアダナのバスターミナルだった。

バスのオフィスで「ダイレクト」と言われたのだが、バスの何処にも「ANTAKYA」の文字が無いので、きっとまた何処かで乗り換えさせられるのだろうと思っていたら、次に目が覚めたらバスはアンタクヤの街に到着していた。どうやら、HATAYと言うのがアンタクヤの別名らしい事がわかった。

そうして降り立ったアンタクヤの街はもう完全にアラブの世界でトルコの面影は全くなかった。


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