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 冠着橋…幅員が4段階に変わる不思議な橋                                              田舎の香りシリーズ ◆第7弾◆


冠着橋(かむりきばし)
千曲川に架かる、それは世にも不思議な橋である
なんと道幅が4段階にも変わるのだ
長野県埴科郡戸倉町の千本柳と更級を結ぶ、全長473メートルの橋
33年を費やし、6回にわたる架け継ぎをして、1991年(平成3年)に全面開通した

写真の(右岸→左岸、新→旧)の順で渡ってみよう。
数字は「冠着橋の歴史」のなかの写真の数字と一致しています。


ドライブ体験コースコメントチョットだけ脇見運転
国道18号線から千曲川堤防に向かって
くると左の看板が目に入ってくる。
この「幅員案内図」を見て、「な〜に〜、
この橋?」
と、驚くに違いない。
見落とすと、橋の上でパニック!
なんてことになりかねない。
鉄筋コンクリートの永久橋の先は、
いつも木橋であった。
20年前、堤防道路から河川敷に下り
て一車線しかない狭い板敷きの木橋を
ガタゴトと恐る恐る渡った記憶がある。
冠着橋東詰の交差点(01.01.13撮影)田中長野県知事も一期目に視察に
来たが、拡幅については
「ノーコメント」であった。
の一番幅の広い所
いよいよ橋の上に、右側に歩道・街路灯
が設置されているのがおわかりになるで
しょう。
1991年(平成3年)完成
長さ113メートル、幅7.3メートル、
歩道2.5メートル
の所
ここは長さ約150メートル、
一番長い部分である
右の橋桁のカラーリングにも注目
幅員とタイアップしているなんて
渋いんじゃないの。色は派手だ
けど。
現在の本流はこの下である。
右側に信号があるが、ここから先
の所、100メートルある
「規制区間が長いため必ず信号に
従ってください」とある。
右の写真の中央に見えるのが
「冠着山(姨捨山)」である。
70代の父は、船で渡って冠着山
の裏手まで薪を採りに行ったそう
だ。
このトラス橋がの所
6トン、幅3メートル以下の標識が
ある。下り坂になっているため、信
号がなかった頃、この辺りまで来
ないと、対向車が見えずハラハラ
ドキドキしたものだ。
また、冬場は凍結して危険である
渡り終えると、堤防上にサイクリン
グ道路があり、一時停止しなけれ
ばならない。慎重な運転を。
千曲川左岸の冠着橋西詰
父が小学生の頃、この橋の下で
(当時は橋がなかったが)水泳の
授業を受けたそうだ。かつての本
流は、このトラス橋の下を流れい
た。

冠着橋の歴史
画像年 月 日竣 工 状 況長さ   M延長   M幅 M備 考
1991.9平成3年全面開通1174737.3歩道2.5M付き
昭和59年鉄筋コンクリート50356
昭和58年台風10号で木橋流失
1982.8.13昭和57年鉄筋コンクリート50307
1981.7〜9月昭和56年台風15.16号で木橋流失
昭和48年鉄筋コンクリート50257
昭和48年鉄筋コンクリート100207
1969.7.8昭和44年鉄骨トラス橋竣工107107現在のもの
1965.9.17昭和40年台風24号で通行不能
1958.6.19昭和33年板敷の吊り橋竣工7474本流部分のみ
江戸時代から渡し船


「千本柳の来し方記」から
『千本柳と旧更級村を結ぶ交通は渡船解消の時期にしても、永久橋化の細切れ架橋にしても常に計画が後回しにされ
千曲川渡川交通手段上、上流、下流100キロメートル範囲中、いつも時代から取り残され、あたかも過去の架橋技術が
一カ所に集まった博物館か展示場のようで考古学的価値の方が高い。
千本柳が他に誇れるものの名物の一つとして、その活用先を考えてはいかがなものだろうか。』
2002年(平成14年)11月1日、この上流に新しい「大正橋」が開通した。
(2002.11.30記)

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参考文献 「千本柳の来し方記」竹内正一著 東京法令出版社刊 

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