このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

カズ鉄の独り言




南武支線にあの電車が・・・!

6月5日京急線八丁畷駅から南武支線に乗ろうとホームに上がって電車を待つこと15分。尻手行の電車を見てびっくりした。何と引退したはずの〔勝手に私が思っていただけだが・・・。〕101系電車がやってきたではないか。クモハ101-13クモハ100−172の浜3編成(2両編成のワンマンカー。)あの扉の閉まる音・コンプレッサーの音・モーター音と懐かしい音ばかりだった。音も録音して写真をとってしまいました。予備編成として残っているとは聞いていたのですが、まさかそれにめぐり合えるなんて思いもよりませんでした。往復14分間のタイム
スリップをした感じでした。

101系走行音
101系の走行音が聞けます。
7分間の音の鉄道旅行をおたのしみください・・・。

ちなみに2003年12月13・14日に、この101系電車さよならイベントが鶴見線で行われました。




JR東日本HPより上記イラストならびに下記文章の一部の一部と
共に引用させて頂きました。

101系の歩み

1957年(昭和32年)
 中央線の輸送力増強を契機として高加減速の新型電車(当時、新性能電車と呼ばれた)としてモハ90形が登場(試作車10輛が完成)
1958年(昭和33年)
 車体、主回路等の改良、変更を行った量産車が登場 中央線それとなんと山手線にも投入され、カナリア色で走っていました。
私のホームタウンであるところの総武線にもいわゆるゲタ電といわれた電車からこの101系に置き換わり、茶色からカナリア色へと変わってゆきました。
■1963年(昭和38年)
 103系の登場により、通勤型の製造の中心は103系に移
ちなみに、101系の総武線での運転期間:1968.10頃〜1988.11.30
 
■1979年(昭和54年)
 老朽化のため置替えはじまる。
総武線では冷房化した場合には基準運転時刻の確保が困難となってしまうため、冷房化が遅れることになってしまった。このため、1978年度から津田沼電車区に103系、1982年度から中野電車区に201系を投入することにより冷房化の改善と101系の置き換えが始まった。
■2002年(平成14年)
 E231系増備による205系の転入などにより、南武支線(尻手〜浜川崎間)用のワンマン車予備編成として2輛残
■2003年(平成15年)
 47年間の時を終え廃車となる…。
 


サヨナラ電車の運行や、車両の鶴見駅での展示記念オレカの発売などにぎやかに行われたようでした。残念ながら私はこのイベントには参加
できませんでしたが・・・。
また一つ「昭和」を走った電車が消える事になりました。さびしい限りです。
これで、営業運転をしている101系は、秩父鉄道に譲渡されたデハ1000系だけとなりました。

写真 旧塗装の秩父鉄道デハ1000系・写真 新塗装のデハ1000系






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