このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
吉原町のおもしろ資料
曼荼羅寺から善通曼荼羅両寺へ
(「香川史学 第三〇号」、H15.8.25、香川歴史学会 編集発行)より
これを読むと、
古代讃岐国多度郡内で隣接する弘田郷に善通寺が、吉原郷に曼荼羅寺があった。京や高野山で曼荼羅寺が記録されるのは、寛治3年(1089)の成立と考えられる「弘法大師御伝」で「讃岐国善通寺、曼荼羅寺両寺、善通寺先祖氏寺、又曼荼羅寺大師建立」とある。
曼荼羅寺と善通寺は「両寺」というように合わせて1つのものとして取り上げられており、2つの寺院が単に空海ゆかりの寺院であるということだけでなく、組織上結合した状態にあっただろう。
と書かれている。当時荒廃していた曼荼羅寺を、住僧善芳の尽力で康平5年(1062)に修繕活動を開始し、治暦5年(1069)に修理終了した。 現在は跡形もない大窪寺についても触れられている。
また「
曼荼羅寺考
」には「出釈迦寺は寺伝では曼荼羅寺の奥の院」であった、とあり、11世紀頃には、善通寺・曼荼羅寺・出釈迦寺あたり全体が、大師のゆかりの里と思われていたのであろう。
< 中 略 >
< 後 略 >
吉原町
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