このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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吉原町のおもしろ資料
「撰集抄 上・下」
(校注:安田孝子・梅野きみ子・野崎典子・河野啓子・森瀬代士枝、1985.11.25、現代思想社:発行)より
「撰集抄」は後の人が書いたようなので、「山家集」には出てこない「讃州みを坂の林にしばらく住んだ」とか「善通寺の方丈の庵にて書き終えた」とかはフィクションの可能性がある。
ウェブ検索すると、
「撰集抄の構造」
という興味深い論文が出ており、その中に「撰集抄脱稿の時と所とが、寿永二年讃州善通寺に設定されているのも、やはりひとつの創作であって」と書かれている。当然の解釈であろう。<解説>
上記によれば「撰集抄」は早いものでは慶安3年(1650)から出ている。(西行来讃の仁安3年は1168)
<本文>
<巻末>
吉原町
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