このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

吉原町のおもしろ資料


(第九回市内研修資料 「吉原町碑殿町古跡めぐり」 吉原郷土研究会)より




射的場
 

月照、信海両上人 生誕碑
 

一里松
 
十五丁の「さがり」とはどこのことを言ったのであろうか。
この記事によれば、定野うどん店(現在の中華「聚金源」)から北上する道が有り、東西神社から東進する道と交わっていた。そして旧伊予街道は東西神社・萬福寺前から西へ進み、北山墓地の下から岩本邸前を通って十五丁の西の端で国道11号線(現在の市道)へ降りていた。とすれば、この間で道が「下がって」いるのは北山墓地の下から少し東へ行ったところだけである。現在はこの道は市道まで降りられるようにつながっているが、昔は市道までつながっておらず、旧伊予街道はここでクランク状に曲がっていただけだったように記憶している。とすれば、旧伊予街道で「下がり」はこのクランク状の部分だけである。(もっとも、このクランクから前後100mぐらいはず〜っと西へむいて登り坂ではある。)
もう1ヶ所下がっているとすれば、岩本邸の前から下に下がる道があって旧石川儀太郎商店まで降りられるが、この道はいつ頃出来たのであろうか。伊予街道とは別の分岐道になるが、これを「下がり」といっていたという説も残されているがいかがであろうか。

天満寺、観音堂、天神社
 

東西神社と萬福寺


碑殿甚右衛門の碑
 

 

片山権左衛門の碑、香川用水通水記念碑


牛額寺、月照・信海両上人石像、牛穴、磨崖仏




吉原町

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