このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「矢止めの松」


 
「矢止めの松」碑文

    由 来 書
 この北方に昔南海道の重要な駅であった三井がある。この地方は高倉天皇の御代鵺退治
の伝説で知られる源頼政公の荘園であった。頼政公がこの地にあって遠矢を試みたとき、
矢がこの松にあたり止まったのでこの松を矢止の松とよんでいる。
 頼政公は平清盛の専横を憤り治承四年(西暦1180)兵を挙げたが敗れ、宇治の平等
院で七十七才を一期として自刃を遂げた。源氏の武将須藤氏はその遺髪を三井に持ち帰り
祠に納め其の霊を弔うた。その祠を 若宮 といい、また御門、的場という地名並びに恵比寿
湧の水番に頼政番等の名が現存している。

   庭の面はまだ乾かぬに夕立の
     空さりげなく澄める月かな
            源三位頼政

 昭和四十四年十二月    西村正夫書



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矢止めの松   記念碑   矢止

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