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☆市役所の政令指定都市準備室訪問  (2002/10/01)    区名疑問・目次     トップページへ    別館TOP

昨日(2002年9月30日)のTV報道に次ぎ、10月1日付朝刊各紙の埼玉版で区名の選定案が掲載されました。当日はたまたま筆者が休みだったので、区名に関する意見を伝えるべく市役所を訪ねました。

受付で「区名案に関する意見を伝えたい」旨を告げると、特に怪しまれることもなく、5階の「政令指定都市準備室」を訪ねてください、と告げられたので直接向かいました。準備室とはいえもちろんフロアの一部にある部門で、やや違和感はありましたが、受付で伝えたのと同様に「区名案について意見を述べたい」旨伝えました。職員数人がいっせいに振り向きましたが、出てきた職員は非常に穏やかに接してくれました。

当方としては「質問」というよりは意見を伝えるのが主眼でしたが、やはり聞かないわけにはいかないので、「区名投票の結果を無視したような区名案になったのはなぜなのか、投票の意味は何なのか」という主旨を伝えました。返ってきた答えは、すでに新聞報道でされていることとかなり重なってはいましたが、要は様々な考え方--従来の地名を残すべきか、将来を見据えて新しい名前を取り入れるか--について選定委員会でも意見がまとまらず、結局はかなりもめたようで最終的には委員の多数決になってしまった、というものでした。旧市名を一部しか残さなかったのは、今よりも将来の市にふさわしいものを優先した、という意志があったようでもあります。あらためて一般市民と選定委員会との意識の乖離を痛感するとともに、投票結果を無視ことに関する答えとしては正直、納得のいくものではないんですが、その職員の言葉によれば、「旧市名に方位をつけたものを外す」などの要件を投票後の最終案決定の段階になって初めて提示するような状況はやはりまずかったのではないか、という反省もあるようです(確かに!)。おそらくは選定委員会でも方向性に関してかなり意見の対立があったものと思われます。

そして実際にこの区名案に関しての反響はものすごいとのことで、すでに相当数の電話がかかってきており、その職員自身も近所や親類から「なぜ投票結果を反映しないのか」と突き上げられたそうです。筆者が市役所を訪問したのが午前10時頃でしたから、その時点で大きな反響があったとなると今後もかなりの反論が寄せられることは確実でしょう。実際どこまで反映されるかはわかりませんが、この反響の大きさは今後の正式決定までに「上」にも確実に伝える、とは言っていました。(さすがに直接意見を述べに来た人は私が最初だったようですが)。

また、区名投票に関しても、旧市名に投票した人が必ずしも長年その土地に住んでいた中高年というわけではなく、若い世代にもかなりの支持があったそうで、これはある意味私自身も心強い思いでした。そしてその職員自身も「私見を含めれば」やはり旧市名を残したいのが本音のようです(浦和市域在住とのこと)。

というわけで、筆者からは意見として以下のような主旨を伝えました。.

  1. 地名は歴史的資産であり、これまでありもしなかったような名前を押し付けて地名破壊を進めることは許容しがたい。
  2. 区名投票は「投票」と銘打った以上、その結果は尊重されなければ投票の意味がない。あとから条件を持ち出して一方的に決めるのではフェアでない。
  3. 今後、新しい街づくり*1を本当に実りあるものにしたいならば、市民に納得の行く決定でなければ(街づくりへの)共感も協力も得られない。このような市民の意識との乖離がある状況ではいい街になるわけがない。
  4. 多くの市民から区名案決定への異論が出ている以上、それらを重く受け取り、そのまま正式決定とするのではなく再検討することをお願いしたい。
     注: *1新しい街づくり・・・筆者は別に新しく街を作り変えて欲しくはない。ただし市行政関係者にとっては意味のある言葉であろうと判断した。 

実際にはこれ以外でも、市名決定の問題点などでもいろいろ意見を交わしましたが、正直、その職員も辛い立場だろうなとは思いました。とはいえこのまま決定を強行されては合併の決定や市名の決定などで市民不在まま突っ走ったことの三の舞い?になってしまうだけに、一市民の立場とはいえ直接意見を訴えることが出来たのは良かったと思います。このサイトでそういう市民運動を組織的に行うような意図はありませんが(^^;)共感してくださった方、ぜひ市へ直接意見を伝えることをお勧めします。それがどのくらい実効性があるかは別として、まずは声を伝えることが重要だと思います。

#この後、「市長への手紙」も投函しました。

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