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☆区名案に関する「要人」の発言へのコメント     (2002/11/10)   区名疑問・目次     トップページへ    別館TOP  

  

埼玉市の区名案に関して批判が続出する中、驚くべき発言が区名選定委員長であった井原氏、および現市長である相川氏から聞かれました。それぞれ新聞等の中での記述ですが、あまりにも住民を軽視した発言に義憤を覚えました。

10月30日付けの東京新聞系の無料誌「ショッパー」にて、井原氏が区名選定委員長として感じたことを一文にまとめています。その中で氏は、投票結果に対して「旧浦和市・与野市・大宮市の意識が抜けきれていない」との評価を下していますが、意識が抜けきれていない、とはどういうことでしょうか。そもそも住民は合併に関して一度も意志を問われていません。住民が望んだかどうかもわからない合併を一方的に推し進めておいて「もう新しい市になったんだから前の市のことは忘れなさい」とでもいわんばかりの発言は全く説得力がありません。仮に合併に反対でない人だったとしても、旧市の意識云々以前に「地名」として慣れ親しんだ、しかも住民にとってわかりやすい「旧市名+方位」を選ぶことは何の不思議もなく、井原氏の一方的な批判にある「旧市の意識」と関係づけられる必然性はありません。

また井原氏は「未来の関東の中心を目指し、若者たちに夢を抱かせる名前を市民は選んでほしかった」と書いていますが、投票を実施しておいて「選んでほしかった」とは何事でしょうか。これは「自分は区名にこういう候補が良いと決めている。なのに市民はそれを選ばなかったのはおかしい」と言っているようなもので、単に自分の考えを押し付けるわがままに過ぎません。市民をナメるのもいい加減にしろ、という印象です。そもそも「関東の中心」になることを市民は望んでいるのでしょうか。何か市民とは関係ないところで出来上がった筋書きがあって、それを強引に推し進めるぞ、とでも言うような傲慢さが感じられます。

井原氏の「与野区」関連のコメントも正直なところ主旨が良く分からないのですが、文末の「中央区という名前は昔の与野のイメージを再興したという気がして、これから旧浦和、旧大宮の一部を受け入れ易くしたと思う。」というくだりはいったい何がいいたいの、という印象でした。

さて相川市長です。朝日新聞11月4日付けの埼玉版で、どうやら記者が区名案等に関するコメントを取りにいった記事のようですが、「反対署名が2,3万人分集まり、市に異論が800件以上寄せられたといっても、100万人の市民からすれば本当に多数といえるのかどうか」と記されており、まるで、批判は所詮は少数なんだから眼中にない、何も言わない人は無条件に万々歳なのだ、とでもいわんばかりの発言です。何という思い上がりでしょうか。合併とは市民の声が届きにくくなることなのか、とあらためてその弊害を訴えたくもなります。

また相川氏は、区名案の投票に関して「旧市名に東西南北を付けた区名案は避けるという方針を選定委がもっとPRすればよかったのかもしれない」などと語っていますが、もっとPRどころではなく、区名投票の段階ではそのようなことは一言も触れられていません。今、手もとにその投票時の用紙があるんですが、しっかり「大宮北」「浦和南」等の候補も入っています。これでは「とりあえず投票はさせるが、本当はもう決まっているんだ」という風に市民を騙した、と解釈されても仕方ありません。というよりむしろ、最初から区名選定委員会の意図をはっきりさせてしまうとその時点で批判が続出するので、そういう批判を起こさないように最後まであえて隠して(つまり意図的に市民を騙して)いたのではないか、とすら思えてきます。もちろん選定委員会がそのように意図的に候補を絞ることが妥当とは考えませんが、少なくとも投票結果が出る前に批判を受ける機会があるわけで、今回のように合意事項を隠してしまうことほどには悪質ではありません。最後の最後で「実はこうでした」というのは最もずるいやり方です。

実際、この記事の中で相川氏は「区名選定委員会には市としての一体感を考えて旧3市名を使った区名はよそうという合意があった」とコメントしています。そんな合意を勝手にされても困るし、それを公表しなかった市関係者の責任も重大といわざるを得ません。そして、井原氏のコメントや区名選定委、政令指定都市準備室の考え方とも共通するのは「旧市名や個別の地域の地名はなるべく残したくない」という意図が強く感じられることです。まるで旧市名に愛着を感じるのはいけないことだ、とでもいいたげです。

おそらくは、旧市の対立を引きずりたくない、という意味かもしれません。市議会関係者にとって見れば、合併時に特に浦和と大宮が真っ向から対立し、エゴのぶつかり合いになった事実があります。しかしそんな対立をしていたのは市議会関係者の方だけで、市民にとって浦和や与野や大宮というのはそれぞれ住んでいるものにとっての愛着のある名前であり、それ自体が政治的対立とは無縁の「名前」のはずです。

合併に反対・賛成とは別に、旧市名に対する愛着を生かしてこそ、市民にも親しみの持てる街になる、という思いを一層強くしました。私はこれからも何らかの意思表明をしつづけると思いますが、区名が最終的にどのように決定するにせよ、地名を役所に決めさせるのではなく住民が馴染める地名を草の根的に流通させていくことで、実質的に浦和・与野・大宮の名前を後世に誇れる名前として生かしていきたいと思います。 

 

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