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☆青春18・北浦和〜大阪 (実行日:2002年8月1〜2日)     小さな旅日記目次へ      トップページへ      

   

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この記録は2002年8月1日に大阪に夕方の所用(?)があった際に、北浦和から大阪まで青春18きっぷで往復した経過です。趣味的というよりは(特に行きに関しては)実用的に大阪まで鈍行で行くとなるとどんな感じか、というのを中心に書いてみました。

  【8月1日】-------------------------------------
     
自宅を6:40ころ出発。途中で飲み物など仕入れながら北浦和7時ちょっと前の京浜東北線に乗る。思ったよりは混雑している。浦和7:03の東北線列車に乗り換えて上野に着いたのは7:24であった。ラッシュにかかる少し前、という感じである。東京駅まで移動して実質的な一番手の列車は東京7:40発の熱海行きである。11両編成で幸い?ボックス席主体。発車5分前程度に着いたのだがまだ1ボックスが丸々空いている程度の乗りだった。「深川めし」を仕入れて海側のボックスに坐る。発車時にはかなり席が埋まり私のボックスにも人が来るが、意外だったのは品川で少なからぬ下車があったこと。山手でも時間に大差ないが短距離の利用も需要があることを実感。川崎あたりからどんどん混雑し、8時を回った横浜から平塚あたりは完全にラッシュだった。途中の入れ替わりも多い。平塚で大勢下車したあとはかなり余裕が出来、小田原から先はボックス独占状態になる。根府川付近では左手に相模湾の景色がまぶしい(写真)。熱海9:31着。

熱海からはJR東海のエリアで、ここからはいっきに電車の編成が短くなることが多く、3両編成だったりすると坐れないことも多いのだが、幸い二番手の熱海9:39発豊橋行きは6両だったので何とか坐れた。この区間は浜松で乗り換えとなる例が多く、この電車も浜松で3両切り離しであることにあとで(車内放送で)気づくが幸い坐った車両は豊橋までだった。しかし豊橋まではちょうど3時間すべて各駅停車。青春18で関西方面へ移動するときに一番根気を要するのはこの区間かもしれない。ほぼちょうど席が埋まるかどうか、という状態で進み、静岡ではほとんどのお客さんが入れ替わり。この頃になると「この人もたぶん青春18ではないか」というのが車内で見当がついてくる(笑)。静岡〜浜松間は比較的近年に駅がかなり増えた区間でもあり、ひときわ長く感じる。静岡県内の二大都市を結ぶ区間なのに快速列車がほとんどないのは意外で、各駅に停まって約1時間10分を要し、急ぐなら新幹線を使えということなのかどうか。

浜松からは編成が短くなったこともあるがいっきに混雑してきた。もっともこれは浜名湖競艇のお客の影響が大きい。この区間を普通列車で通るときは気のせいかいつも競艇をやっているみたいで、混雑しているような記憶がある。浜名湖などが見えて車窓はやや変化があるのが救い。新居町で大量下車したがまだけっこう乗っている。昼飯の時間にかかって腹が減るがしばらく我慢。ようやく静岡県を抜け、豊橋に12:39着。

ここからは速い電車が待っている。三番手の豊橋12:51発新快速大垣行きは今着いた豊橋行きが逆方向に折り返していったあとに来るとのことでかなりホームで待つことになったが、階段を使わずに乗り換えられるのはいい。ただし列を離れられないので食べ物は買えなかった。新快速は2人掛けシートの4両編成。始発で大半の席が埋まるが、こういうシートで通勤できるのは羨ましい。ここまでの東海道線と違って飛ばすこと飛ばすこと。さすが快速という感じで、岡崎あたりからは立ち客も増える中、静岡〜浜松と似たような距離の豊橋〜名古屋間を46分で走破した。名古屋で昼飯というのも考えたがせっかく坐れていることでもあり、これまで降りる機会の少なかった尾張一宮(13:50着)まで駒を進める。夕方には大阪入りする都合を考えるとあまり余裕はなく、30分後の電車に乗ることにして駅内の食事処で済ます。しばらく乗り継ぎで慌しかったので忘れていたが強烈な日差しである。尾張一宮はJRと名鉄が隣接しているが、JR側の出口から見ると駅舎(写真)はなかなか貫禄があった。

四番手は浜松から直通してきた尾張一宮14:20発の新快速大垣行き。途中乗車のため坐れず、木曽川など3本の大河を渡り、結局坐れないまま大垣着となる。以前はこの区間は各停・快速とも大垣行きが多かったが、今は各停の大半が岐阜どまりになったので混雑するのかどうか。しかしそれ以上に混雑していたのが五番手になる大垣14:45発米原行きで、もう立錐の余地も少ないほどの乗りようである。しかも荷物の多い人が多く、これで米原まで坐るのは絶望的である。もっともこの区間は以前から青春18きっぷ利用の場合のネックの1つで今までに坐れたことのほうは珍しく、それでもしばらく前までは昼間は毎時1本だったが今は30分毎になっている。しかし今日のこの電車はなんと2両!東海道線という大動脈にしては心細い。車内でも「込み合いましてご迷惑をおかけします」と放送していたから年中というわけではないんだろうが、東海と北陸の接点のような車窓風景もちょっと味わいが減殺されてしまった。やはりというか途中ほとんど下車はなく、関ヶ原あたりで降りる人が通路をあけてもらっていた。満員のまま米原15:18着。

米原からはJR西日本のエリアだが、ここは近年は同じホームで乗換えができることが多くなりありがたい。長浜からやってきた米原15:26発の新快速播州赤穂行きは8両編成で余裕かと思われたが乗り継ぎ客も多くて、2人掛けが丸々空いているところは皆無に近かった。2人掛けシートが並ぶ新快速はわたし的にはJR西日本の看板のような印象で、さすがに高速で突っ走る。「播州赤穂行き」という距離にも圧倒される。停まるごとにたちまち満席となり、時々琵琶湖をのぞみつつ、周囲の人たちの会話で関西に来たことを実感する。京都からしばらく走った山崎駅あたりは以前降りたことがあるが、両側から山が迫っていかにも「国ざかい」という感じがする場所である。京都からは途中、高槻新大阪に停まるにもかかわらず、以前よりも早い27分で走破するのは見事。淀川を渡るといよいよ大阪の中心に来たな、という思いである。まだ日が高いとはいえ、いつも仕事に行く時刻よりも早く家を出てきてようやく着いたな、という気もする。16:44に大阪駅に到着。途中30分の休憩を含め東京駅から9時間ちょっと(したがって実質所要時間は約8時間半)、自宅からほぼ10時間の道のりだった。この日は大阪環状線の天満駅(写真は駅前)近くの宿を確保していたので先にチェックインし、その後は梅田でのひとときを過ごした。結局3次会まで居たので梅田を午前1時過ぎになってしまい、一駅分歩いて宿へ戻ることになった。

  【8月2日】-------------------------------------

翌日は昼過ぎまで大阪ミナミを散策。帰りはちょっと趣向を変えて関西線経由で名古屋へ向かうこととし、あまり立ち寄る機会のないJR難波駅(旧・湊町駅、写真)から13時ちょっと前くらいに青春18きっぷでの帰途が始まった。途中の久宝寺で、大阪環状線から来る大和路快速加茂行きに乗り継ぐ。快速停車駅の久宝寺だがひたすら広い駅構内でガランとした感じ。快速と普通列車の待ち合わせができるスペースがあるので快速を停めたのかと思うほどである。柏原を過ぎると風景が山がちになりつつも住宅地が開発されている様子が続く。このあたりから寝不足のせいで異様に眠くなり、せっかくめったに乗る機会のない区間なのにうつらうつらしながらいつのまにか盆地が開けて奈良を過ぎ、木津をすぎてまた急に山の中に入ったような感じの車窓で、ちょっと開けた感じの加茂に13:40過ぎに着いた。この先の関西線は車両編成が短いに違いないので、次の快速が着く前に駅へ戻ることにしてしばらく街中を散歩。「スーパー・カモ」というスーパーマーケットの名前に妙に惹かれながら14時頃駅へ戻る。

さてやってきた関西線、加茂14:08発の亀山行きディーゼルカーはなんと「1両」だった。その昔は幹線ルートだったはずの関西線が未電化なのもともかく1両とはびっくりである。たちまち席が埋まり、私は坐れたものの、「国電」型のロングシートなので何とも景色を眺めにくい。たちまち山間部に入り、進行左手は川、右手は山肌、という風景が続く。亀山までは1時間半近くかかるので坐れない人は大変だなと思ったものの、案外近距離のお客が多いようでやがて立つ人は居なくなった。しかし気がかりなのは天候で、加茂についた時点で雲が厚いなと思ったが、列車が加茂を発車する前に車内放送で「途中大雨のため徐行運転で列車に遅れが出る見込み」と告げられていた。実際、途中から猛烈な雨に見舞われ、稲妻が走るのが見えるほどの雷も鳴っている。とうとう月ヶ瀬口(加茂から3つめ)では景色が見えにくいほどの大雨になり、降りた人がホームのわずかな屋根の下で立ち往生している状態。これでは運転見合わせになるのではないか、と心配になりつつもディーゼルは頑張って走る。近鉄との乗換えが出来る伊賀上野まで来ると雨も収まってきた感じでややほっとする。しかし反対方向の列車はなんと伊賀上野で運転打ち切りになったようで、私が乗っていた列車も危ないところだったかもしれない。

ほっとしたのも束の間、まだ雨は降ったり止んだりの状態で、ついに草津線との乗換駅・柘植(つげ・写真)では「しばらく運転見合わせ」となってしまった。こちらは1両なのにここで接続している草津線は4両でしかも電車。いかにこの区間の関西線が不便かが分かる。ようやく発車したのは定刻を15分ほど遅れていた。あとは順調に走って15:46に亀山に着いた。ここからはJR東海である。
本来ならば亀山15:35に乗る予定だったがもう発車しており、次は亀山16:00発名古屋行きとなる。2両の短い編成ながらやや空席もあるくらいの乗りで、時刻表を見ると途中で鳥羽から来る快速に抜かれることが分かり、16:31着の四日市で降りて、四日市16:44の快速「みえ18号」名古屋行きに乗り継ぐ。ちょっと時間があったので改札を出てみたが、四日市の街の中心は近鉄の方で、こちらはあっけらかんとした駅前(写真)だった。快速は坐れず、昨日と逆に3本の川を渡る。このあたりは川の鉄橋を渡ると次の駅へ下りこむようになっているところがあり、低い土地であることが分かる。名古屋17:14着。名古屋では以前、弁当を買いに立ち寄ったみそかつの店「矢場とん」を目指す。地下街「エスカ」の一角にある店でロースを味わう。

あとはひたすら浦和を目指して進む。名古屋発17:50の新快速・新城行きは6両で満員だが刈谷付近でうまく坐れた。次は豊橋18:44発の浜松行き。これも幸い比較的長い編成で、さらに浜松19:23発の静岡行きはボックス席もある6両編成。ここが3両だったりすると静岡まで坐れない危険もあったのだがこれなら楽勝で静岡まで坐って過ごす。静岡20:31着。ここで腹の足しになりそうな小さ目の弁当を手に入れ、静岡20:50発の東京行きに乗車。実は東京駅まで行くのはこれが最後で、そのあとの21:12発三島行きで沼津で品川行きに乗り継ぐ方法がぎりぎり最終なのだが、品川で京浜東北線の大宮行きに2分しか乗り換え時間がなく、気分的によろしくないのでこれはやめておいた。考えてみれば帰りは名古屋での36分しかまとまった時間がなかったので、もしも関西線が雨で大幅に遅れたりしたら最終に間に合わないおそれもあったわけで危ないところだった。東京まで直通する電車だけあって編成は長く(たぶん11両)これまたボックス席もあり、今回の名古屋からの帰りは割合に電車には恵まれていた。空いた電車で沼津あたりで弁当を食べてからぼんやりすごし、熱海・小田原を過ぎて平塚からはまた行きと同様に乗客が増え始めた。もう23時近くになるのにいかに首都圏の電車の利用が多いかがあらためてわかった。

東京駅には23:48着。ぎりぎりその日のうちに着いた。いわゆる昔の国電区間では日付が変わっても終電までは青春18が使えるので心配はない。これで一件落着、といいたいところだがこの日は金曜の夜。深夜の電車が一番込む曜日である。もう最終2本前になっていた京浜東北は超満員。「今回の往復で一番混雑した列車」となってしまった。いっきに消耗し、0:43ころ北浦和に着いて、「JR難波」のスタンプが押された青春18を見せて有人改札を抜けた。
というわけでこれを読みとおされた方もお疲れ様でした。m(__)m

 

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