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☆浦和美園から埼玉スタジアムへ (実行日:2002年5月26日)   小さな旅日記目次へ      トップページへ     

  

今年2002年は、韓国と日本で世界的なサッカーの大会が開かれる年であり、その会場の1つになる埼玉スタジアム2002(以下「埼玉スタジアム」と略記)が浦和にある。
埼玉での試合を1週間後に控えた5月26日、おそらく最も多くの観客が利用するであろう浦和美園駅から埼玉スタジアムまでを歩いてみることにした。1年ちょっと前に埼玉高速鉄道が出来て間もない頃にも来ていたが、どれくらい様子が変わったか(変わらないか?)を見てみたい、と思ったことでもあり、前後の移動も含めて簡単にレポートしてみたい。
    
武蔵野線で東川口へ行き、そこで埼玉高速に乗り換えることにする。東川口駅は実はずっと昔に武蔵野線が開業した当日に来たことがあり、そのときはまだ周囲にほとんど家が見当たらなかったが、もうその当時の様子は全く信じられないほどの市街地になっている。ただし武蔵野線のホームから改札へ降りる階段が案外狭く、もしも乗り換え客が殺到したときを思うとちょっと不安が感じられたりもする。

地下へ入り埼玉高速の駅へ向かうと、あと1週間後の喧騒が全く想像できないほど静かな空間が広がっていた。やがて浦和美園行き電車が着いたが降りる人も少ない。埼玉高速の運賃が高いので、武蔵野線から都心方面への乗換え客が意外に少ないようでもある。
       

ガラガラの電車はやがて地上に出て浦和美園駅へ到着。ホームが2面あるうちの片方だけ使っていたが試合当日は両方使うとのこと。ただしもう一方のホームから改札へ向かう階段がどこにあるのかよくわからずじまいで、もしかして当日の準備のために改修中なのかなとも思う。改札を出ると「あと5日」の電光掲示があり、日が迫ったことを感じる。

浦和美園駅は構内も広く、エスカレーターとエレベーターが完備し、浦和市内でもっとも設備の立派な駅なのではないかと思われるがやはりもったいないほど人が少ない。とはいえ私と同じようなことを考えたのか、様子を見に来ている風の人がけっこういる。駅周辺の様子はあまり変わっておらず、東口に出ると相変わらず広々とした空間がひたすら広がっていた。もっとも将来の市街地整備の準備も始まっているのか、「浦和東部・岩槻南部.....」と書かれた看板が出ていて、これから開発が進むのかもしれない。
       
駅前広場にはバス停のほか店などは全く無いのは以前と同じで、飲食に関しては、少なくとも東口側は駅構内の売店と自販機だけが頼りであった。

駅から北に伸びる歩行者専用道は以前とは全く様子が変わっていて整備されていた。市道と並行していて、当日はゲートによって道を使い分けるようで、両者の間にフェンスが作られている。専用道のほうを歩いてみると、路面には「900m」のようにスタジアムまでの距離が記されていた。駅に一番近いところでの数字は「1120m」で、思ったより近そうだ。

車両基地に並行した専用道を北に向かって歩くと、やはり見物に来たと思われる人がけっこう行き来している。所々で道幅が急に変わったりしていた場所もあり、これで人が滞留しないのかな、と不安に思ったが、まだ改修途中なのかどうか。
      
道のりの半分ちょっとのところで一般道と交差していて、ここに以前は無かった自動販売機が数台設置されていた。この道沿いでは唯一の施設で、スタジアムには持ち込めないものの貴重な存在かもしれない。そこを過ぎると道の先にスタジアムが急に大きく姿を表し、間もなく南門に到着。南門までは平常時で正味15分というところであろう。

さすがにスタジアム周辺は様々な案内表示も出来ていたりして、かなり様子が変わっていた。とはいえ会場の周囲の景観は昔から見慣れた浦和市郊外の田園風景のままで、本当にここであの大会が開かれるのだろうか、と半信半疑状態が続く(この感覚は後までずっと続いた)。
      
   
会場では、工事関係の人たちのほか、大会関係者ではないかと思われるグループも出入りしている。それらしい人たちの出入りするところは警備されているが、今のところはさほどの緊迫感は無い。というわけで周囲を散策してみたが、実は駅からよりもスタジアムの敷地に入ってから先が案外広いことが判明(笑)。スタジアム本体の中には入れないものの、「埼玉スタジアム2002公園」と名づけられた周囲のスペースはかなりの広がりである。もう1つのゲートである北門方面へ向かうと、国道122号を走る車の音も聞こえ、やがて国道122号への取り付け道路に面した駐車場や並木が現れた。「埼玉スタジアム」を表示するプレートもあったりして、こちら側がどうやらメインの入口のようである。見上げるメインスタンドの屋根の規模は驚くほど壮大だった。
そこからは路線バスの通る道(の歩道)に沿って歩いてみたが、スタジアムを1周することがなかなかできない(^^;)。やっとたどり着いた北門周辺にも広大な駐車場があって、あらためてその規模に圧倒される。南門に着いた頃は、浦和美園駅から近いなと思ったものだが、駅側に近い部分から見えた敷地はごく一部だったこともわかった。バスの道の途中から水路沿いの細い道(右の写真)を通って最初の歩行者道路に戻り、その後は車両基地の手前を駅の反対側(西口側)へ抜けてから駅まで歩く。スタジアムからちょっと離れると全く昔のままの道であることにあらためて思い至る。
途中あちこち散策しながらとはいえ、結局往復1時間半近くを要した。浦和美園駅から北門へ歩く場合はおそらく平常時でも20分以上かかるかもしれない。まして試合当日に数万の人が集中したときにどれくらいかかるのか見当がつきにくい。そんなこんなで浦和美園駅へ戻ったのは18時20分頃。ちょうど1週間後のこの頃にはスタジアムはすごい熱気に包まれているはず。スタジアムの方角に夕焼けが見事であった(下の写真)。
    
帰りは駅前から18時半過ぎの片柳方面を通る行き国際興業バスに乗り、片柳小学校で降りて東武バスの北浦和行きに乗りついて帰宅。たまたま乗り継ぎがよく、浦和美園駅で乗ってから40分ちょっとで帰れたのは意外だった。バスからは遠くに雷が見え、サッカーには天候も心配な時期だということを改めて思った。

いろいろと心配が先に立ってしまったような感じだが、開催される以上は成功裡に終わることを望んでいる。

というわけで生で観戦に行く方、結果報告お待ちしています(^^;)。

 

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