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☆初めての海外の旅・韓国'93 (実行日:1993年3月24日〜31日)    小さな旅日記目次へ      トップページへ     

   

 この記録は、筆者が生まれて初めての海外への旅で韓国に行ったときの様子を思い出しつつ書いたものです。詳細な日程はもう忘れていますが、撮影した写真などからある程度行程も復元できました。もちろんデジカメも持っていませんでしたので通常の写真から取り直したために画像が不明瞭になっている点ご了解ください。

 なお、メンバーは大学の同じサークルの面々で自分含め6人です。当時私はとうの昔に学生ではありませんでしたが(^^;)まあその辺はいろいろとありまして(笑)暇な時期だったのでなんと7泊8日の長丁場になっています。当時はビザが必要でした。また当時の通貨レートはだいたい1万ウォンが1500円程度でした。 

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  【3/24】
  
ソウル駅(撮影は3/25) 京成のスカイライナーで成田空港へ向かい、第1ターミナルで集合。出国カード記入など慣れないことばかりで緊張の連続。飛行機はユナイテッド航空で、さほど揺れずにすみ、雲の中から右側通行の道路が見えてきたことで海外に来たことを思う。しかし金浦空港に降り立ってもまだ「海外旅行」という大それた(笑)ことをした実感に乏しい。窓の外にはハングルも見えたし、韓国にきたのは事実なんだがまだ信じられない気分だった。
 
 両替などは同行者と一緒にまとめてやったのでさほど慌てずに住んだものの、市街地へのバスになかなか乗れないのは焦った。当時はまだ私もハングルの読みは全くわかっておらず、漢字や英語の案内も少なかったうえ、バス乗り場に来てもバスが止まらず通過してしまったり、止まってもバス代でおつりがないと断られたりで前途多難。でもその分だけようやく海外に来た実感が込み上げてきた気もする。1泊目の宿は決まっているのだが、その近くへ行くバスがなかなか来ないので、とりあえず地下鉄の駅(今思うとそれは「市庁」駅だった)を通るバスにようやく乗る。どこを通っているかわからないものの、漢江の広い川幅に感動し、促されるまま市庁前で下車。初めての海外の街に降りて大いに緊張が高まった。そのまま地下鉄に乗っても上の空で、ひたすら荷物をしっかり抱えていることに気を取られ、改札を入るときに肝心のきっぷを取り忘れてしまう。目的の駅(今思うとそれは「乙支路4街」であった)で降りるときに同行者にえらい迷惑をかけてしまった。このときに地下鉄の最低運賃は300ウォン(約45円)。
 
 1泊目の「豊田(プンジョン)ホテル」はスタッフが日本語も通じ、驚くほど広い廊下を歩いて3人部屋2つに案内される。部屋に入るとようやく落着き、通貨の整理などしてみる。市内への電話は無料ということで、同行者の友人がその時ちょうど延世大学に留学に来ていたのでコンタクトを試みていた。無事電話が通じ、翌日に会うことになる。
 
 まずは初日の夜は明洞まで歩く。街の雰囲気は日本とさほど違わない気がするものの、看板の字が読めない感覚と言うのが何とも不思議な気分にさせる。女性同士で腕を組んで歩いている人たちが多いのも驚きだった。夕食はたしか「長寿カルビ」という店で、当時は今ほど日本語が多く見られなかった明洞であるものの、この店はメニューに日本語が併記されていた。たしかカルビタンのようなものを食べたのではないかと思うが意外なほど覚えていない(^^;)。
  
  
  【3/25】
  
乙支路入口の旅館(ヨグァン)入口 翌日はまずは宿探し。当初、江南にある「半島ユースホステル」を予定していて、地下鉄2号線の駅三(ヨクサム)駅まで乗ることになる。地下鉄車内に物売りが来るのに仰天したりしながら目的の駅で降りてそれらしい場所を探すが、どうも様子がおかしい。どうやらユースはもう無いようなので、どういう経緯があったか忘れたけどガイドブックにあった旅館を目指して都心部に戻り、駅で言えば乙支路入口という今思うとビジネス街の中心に近い路地裏にある「Kyang Pyung旅館」を訪ねた。何だが露店の道具みたいなのがいっぱい積んである間の細い道を入っていった記憶があり、けっして立派ではないが韓国式の建物で中庭に面したオンドル部屋に滞在することになった。4畳半くらいの部屋2つに分かれ、1人1泊で1万ウォン(約1500円)で、「荘」のつかない「旅館(ヨグァン)」としては今思うと特に安くは無かったかもしれないが、場所がソウルの中心部で便利だしやむを得ないか。まあ1週間居ても1万円ちょっとで済むのはありがたい。宿泊料が13倍(^^;)のロッテホテルの近くで、顔を洗ったりトイレなどにはそっちへ遠征も出来るし(笑)。風呂は無く、宿のすぐ裏手にサウナつきの公衆浴場があるのでそっちを利用することになる。浴場はサウナつきのせいか2000ウォン(300円)と意外に高い。宿のおかみさんは日本語も英語もなかなか達者である。
  
安重根の記念碑 宿が決まったところで南山公園へ向かう。歩いていったような記憶があるが定かではない。ロープウェイで公園まで上るがかなり霞んでいる感じで、ソウルタワーには上らなかった。この頃はたしかまだタワーからの写真撮影は禁止されていたと思う。その後はソウル駅に近い方向へ降りて「安重根(アンジュングン)」の記念碑を見たりしてから公園を散歩するうち、地元の年配者に話し掛けられる。植民地時代の教育で日本語を使わせられた世代の人たちといろいろ話をすることになった。この公園では薄っぺらい大きなえびせんのような円盤状の菓子を売っていて、20枚くらい入って600ウォン。買い込んで翌日の朝食となった(笑)。東京駅と雰囲気が似ている国鉄ソウル駅にもここで初めて対面する。
  
 夕方に、昨日電話した留学生と会うために新村の延世大へ向かう。大学前の信号で、青信号が異様に早く点滅するのに驚きながら、正門前で無事合流した。韓国のいろいろな話をしつつ、そのまま新村の民俗酒場へ行くことになる。大きなスルメを手始めに、鍋ものまで食べて1人で3000ウォンくらいだったのは安い。旅館に帰って寝たオンドル部屋は意外に暑い、というより熱かった(^^;)。
  
  【3/26】
  
ロッテワールド(マジックアイランド) この日は板門店ツアーに行くという話もあったが定員いっぱいで(私はこれを知らずに風呂に行ってしまい、これまた迷惑をかけてしまった^^;)結局ロッテワールドへ行くことになる。地下鉄2号線で蚕室(チャムシル)まで行き、1日の乗り放題のパスをたしか15000ウォンくらいで買ったと思う。最初は会場内を一周している気球のようなアトラクションで行こうかとしたら大行列で断念、あまり覚えていないがウォーターシュート系のに乗ったのと、私は怖くて乗れない宙返りコースターのフレンチレボリューションを見届けたはず。橋でつながっている屋外のマジックアイランドでは、変則的な動きをする観覧車に乗って酔ってしまった(苦笑)。途中かその後だったか忘れたが、どこかのレストランで麺類の昼飯を食べたが、黒っぽい具がかかっていたので、あれはチャジャンミョンだったのではないかと今思う。
 
ソウル市庁前から世宗路(セジョンノ)を望む ロッテワールドにいる途中の時間でいったん解散し、ここから初めて自分が海外での1人行動をすることになる。鉄道と徒歩でいけるところなら大丈夫だろう。地下鉄2号線から「教大(キョデ)」駅で4号線に乗り換えて景福宮(キョンボックン)駅で降り、当時まだ残っていた旧総督府の建物を利用した中央博物館へ立ち寄り、その後博物館の入口あたりにいた係員に頼んで光化門をバックに写真をとってもらった。海外へ来て丸2日目にしては慣れてきたようだ(笑)。ソウル市庁方面へ歩いて戻ると、道の広さに圧倒される。大規模なビルも多くて東京より大都会だなとも思う。
 
  【3/27】
  
都羅展望台 前日の仕切りなおしで、6人で「境界線」ツアーへ。もっともこの日は平日ではないので板門店そのものに行くツアーはなく、近くの展望台と「南進第3トンネル」へ行くツアーとなり、ガイドは英語である。ソウルから北のほうへ向かう道路は封鎖できる仕掛けがあったり、などという話を聞くと緊張感が増す。臨津閣から先は民間人は基本的に入れないエリアになり、鉄条網で囲まれ、銃を持った兵士が守るゲートをくぐってバスは進む。写真撮影禁止の知らせがあり、周囲が「mining zone」であることも告げられる。順番は忘れたが、トンネルのほうは日本語を話す兵士が案内をし、黒く塗られた壁面を見ながら、境界線すぐ手前まで往復する。なぜか犬が入り込んでおり(^^;)、その犬君はもっと先へ行ってしまった(^^;)。展望台は一部が迷彩色に塗られた建物の入口では撮影できたが展望台そのものから「向こう側」を撮影は出来なかった。大陸的な広がりを感じる風景で、町らしいものも見え、また線路の途中で放置された機関車を望遠鏡で見ることが出来た。ここをまた列車が通る日が来ることを祈りたい。
  
臨津閣 食事は非武装地帯にある国連キャンプ?の食堂で、ガイドさんの言う「G.I.food」が供された。帰りには臨津閣で休憩も入り、民間人が来られる一番先の「望拝台」にも立ってみた。先ほど通った鉄条網を改めて眺めていろいろと考える。
  

  
  【3/28】
  
天安の独立記念館 この日は天安(チョナン)にある独立記念館を見学に行くことにし、ソウル駅に行って切符を買おうとするが、どうも都合のいい列車がすべて売り切れの模様。やむを得ず高速バスに乗ることにし、地下鉄「高速ターミナル」駅まで行って巨大なバスターミナルへ向かう。ここでも天安行きのバスはかなり後の便しか入手できなかった。かなり混雑しているらしい。たしか1900ウォンで、公共交通機関は安い。やっと乗車したバスも、1時間で着くところをなぜか高速道路の途中で大渋滞し、2時間を要した。もう昼をとっくに過ぎている。それにしても発車・到着含め車内では一切の案内放送が無かったのは驚きである。天安のバスターミナルではどうやら記念館行きのバスに乗り換えなければならないらしいが、案内が読めないのでさっぱり分からない。幸い地元の人が教えてくれたようで、バス乗り場まで案内してくれた。記念館まではけっこう離れていたがバスはなんと410ウォンの安さ。
 
国鉄 天安駅 独立記念館は韓国の歴史、特に日本の植民地支配についてかなり多くのスペースを割いている。館内に日本人観光客らしい人はあまり見かけなかったが、ソウルからもけっこう離れているのでなかなか立ち寄りにくいのかもしれない。それにしても広く大規模で、閉館の時刻までに回りきれるか心配になるほどだった。最後の方は駆け足になってしまったが、植民地支配から開放された歴史の直後に「Korean War」の大きな掲示があったことに改めて重いものを感じた。帰りは行きのバスに懲りて、込んでてもいいから列車で帰ることにし、いつ来るか分からない市内線のバスを待つ。超満員のバスは、バスターミナルより先に駅らしいところへ着き、何の車内の案内もなかったものの「チョナンステーション?」とこちらから聞きまくって確認した。駅には電光掲示があり、全般に列車が遅れているようだ。それでも切符は何とか買えたようで、「トンイル」号に乗れることになった。ようやく韓国の国鉄に乗れるが、座席の指定はされておらず、指定の欄にはハングル2文字が書かれていたからおそらく「立席」のようなものと推察する。かなり遅れてやってきた列車は昔懐かしい客車列車の雰囲気。もちろん席は無いが何となく子供時代の列車の旅に戻ったような気分だった。途中、「平澤(ピョンテク)」「水原」に停まり、ソウル市内に入った「永登浦(ヨンドゥンポ)」ではかなりの下車があって空席が出来た。ソウル駅で切符は「スーベニア、OK?」と聞いて、もらってきてしまった(^^;)。
   
 韓式旅館は中庭があってそこがパブリックスペースのような形で各部屋に面している構造のため、旅行者同士の会話などもある。この日だったかどうか忘れたが、英語圏の人たちとしゃべることになったとき、私のファーストネームを聞かれ、以降その人が私を「名前」で呼ぶのだが、どうも慣れないと違和感倍増である(^^;)。時ならぬ英会話の実践をする羽目になり大汗をかいた。この辺はほとんど同行者任せではある。
     
  【3/29】
  
仁川の自由公園 この日はほぼ完全に1人で自由行動。読めはしないものの出掛けに新聞を買ってみると、何と1面に「列車○○、何人○○」「○○大惨事」の文字があり、転覆した列車の写真が出ているではないか。漢字の部分だけでも意味は取れる。どうやら前日に釜山に近いほうで列車事故があり、死者の出る大惨事だったようだ。バスの渋滞や帰りの列車の遅れはその影響だったのかもしれない。まずは電車で仁川まで行ってみることにする。国電はすべて各駅停車だったので近い割には時間がかかり、終点の仁川駅は何となく場末という雰囲気だった。ガイドブックによれば市街地の中心は1駅手前の東仁川(トンインチョン)のようで、途中、見晴らしの良さそうな「自由公園(チャユコンウォン)」を通っていくことにする。公園は海も見下ろせる場所で、生まれて初めて「黄海」を見ることが出来た。帰りは東仁川に回るが、我ながら初めての海外の街でよく歩けたなと思う。そのまま国鉄を引き返し、永登浦駅で下車。ここで「ロッテリア」に入るがあまり注文が通じず、結局自分の頼んだものを食べてないように記憶している(^^;)。
  
汝矣島の広場 その後は汝矣島(ヨイド)の広場を見たくなり、当時は地下鉄が通っていなかった上に1人でバスを利用する自信はないので永登浦から歩きに歩いた。途中で何とも殺風景な自動車道路の交差を眺めつつ、やっとの思いで国会の建物や、あの大集会が行われる巨大な広場に到達する。気が遠くなりそうな広場では貸し自転車があり、ものは試しで乗ってみる。韓国で自転車に乗る体験はなかなか楽しい。帰りは63ビルなど横目に見ながら、比較的近そうな国鉄の大方(テバン)駅まで歩いた。電車に乗れればひと安心、という感じである。
  
  【3/30】
  
国鉄 大田駅前広場 この日も1人旅で、韓国国鉄の看板特急「セマウル」に乗ることにする。実は前日のうちに切符を買っておいたのである。あらかじめローマ字(たぶんそうしたと思う)で「ソウル→テジョン、セマウル」と、乗車時刻を書いておく。窓口は行列していたがさほど待たずに切符を購入できた。が、しかし最初は駅員が間違えて行き先を「東大邱(トンデーグ)」で発行してしまったので、再度「テジョン、テジョン」と行って発行しなおしてもらおうとした。しかしなかなか意図が通らない。結局、私の発音が「Taejeon」に聞こえなかったようで、「ジョ」をもっと口をあけて言うべきだったようだ(^^;)。何とか意図した切符を入手。8100ウォンは当時の換算で1200円ほどだからけっこうな値段だが、ソウル〜大田は160kmあり、最速特急の指定席+乗車券であることを思うと安い。
 
大田駅に到着するソウル行きセマウル 乗車したのは晋州(チンジュ)ゆきセマウルでやや古いタイプの車両。当時の時刻表から推測するとソウル駅10:30発で、12:01着の大田までノンストップ。車内放送も韓国語のあと英語の案内が続く。車窓は意外に覚えていないが(^^;)農村地帯の後に岩山のような風景の中を通ったり、また都市部では巨大なアパート群があったり、という繰り返しだったようでもある。大田の駅へ降りてみると駅前広場のあっけらかんとした大きさに驚く。何となく大陸的な雰囲気で、確かに日本とは風景が違うな、と感じる。駅から伸びる道はすべて市場のような感じで露店が続き、活気に圧倒される。この年はここ大田で万博が開催されるため、あちこちにExpo'93の文字とマスコットが見える。しばらく街歩きをしてから午後の列車で戻ることにするが、駅の放送で「シップンチヨン...」と聞こえ、どうやら列車が10分ほど遅れているらしいと見当がつく。まさにそのとおり、定刻10分後に帰りの列車が現れた。帰りはおそらく釜山からの列車で新型だった。
 
東湖大橋からの漢江 ソウル市内へ戻ってからは江南の様子を見ようと地下鉄3号線で狎鴎亭(アプクジョン)で降りてみたが、近くに現代百貨店があったものの、繁華街からは離れていたようだ。どっちが先だったか忘れたが、この地下鉄3号線の通っているすぐ横の橋「東湖大橋(トンホテギョ)」を歩いて、漢江の広大さをあらためて実感した。夜はメンバーと合流し、メンバーのうち2人はこの日に帰ったので、4人で焼肉を堪能する。
 
  【3/31】
  
宿の近くの乙支路入口地下鉄乗り場付近 いよいよ帰国の日。南大門市場などを散策。つい市場の写真などストロボで撮影したら怒られてしまった(^^;)。見慣れた街角の風景をあらためて眺め、予め聞いていた美都波(ミドバ)百貨店前のバス乗り場から空港行きのバスに乗車。空港に入ると英語の案内も入るので大助かり。空港では土産の調達のほか、飲みもしないのに免税店でウィスキーなど買ってしまう(^^;)。しかし帰りの飛行機が機材調整のため大幅遅れ。成田に着いたのはもう夜の9時をまわっていた。結局スカイライナーの最終便には乗れず、22時すぎの最終の特急で帰ることになった。しかもそれが何かの事情で30分ほど遅れ、日暮里に着いたのはもう午前0時近い。危ないところだったが何とか北浦和に着き、雨の中歩いて帰宅した。

 

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