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がんばれ!パパ鉄ちゃん バックナンバー

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1997年11月分



中国へSLを撮りに行きたいなあ
1997年11月29日(土)

 レイルマガジン最新号を買ったら、「中国集通鉄路徹底撮影指南」が載っていた。 写真を見ていると、ほんとにダイナミックな風景で、普段「あのポイントは車を停めにくい」 とか「あそこの駅端は出発信号が邪魔だ」とかせこいことばかり気にしている 私の撮影スタイルとは非常に落差が大きい。

 一本の列車が見えてから、眺めがよいことと列車が遅いことから撮影可能時間が長く、 フィルムを何本も消費してしまうそうだ。私が、福知山線なり 播但線なりに朝、撮影に出て夕方帰ってきて36枚撮りを1本強、67版を併用した 時は1本弱という感じなので、こちらの方でも想像を絶する。1週間のツアーなら 100本ぐらいは持っていかないとダメなのだろう。

 列車を撮っている時にフィルム交換も可能ということだが、私が今まで屋外で ブローニーのフィルム交換をしたのが久大本線で1回したっきりで、普段は 撮影に出る前日に食卓でモタモタとスプールを入れ替えてスタートマークを あわせて・・・といった感じなので、防寒用手袋をして強風下でフィルム交換は 絶望的である。

 氷点下30度の世界ではモータードライブが回らなくなるそうだが、目の前を ゆっくり時間をかけて通過してくれるのだから、別にモータードライブはいらない わけで、手でゆっくり巻いたほうが硬くなったフィルムのためにもいいだろうとは思う。 (ペンタ645とかは仕方ないですがねえ)

 集通線の話ではないが、中国に撮影に行ったことのある人が言うには、 最近はかなりDL化が進んで、DL牽引で来ちゃうこともあるようだ。そうなると かなり悔しい思いがするそうだが「DF50牽引の雑客だと思えばいいんじゃないの」 と言ったら「行けばわかる」と軽く返されてしまった。

 しかし、いくら中国の撮影が魅力的であったとしても、妻が許すはずがなく(シキ君 を連れて行くのならいいそうだ−−−現地で乳母をお願いするか ^^;;)また、 雪景色の上田交通でネを上げた私が零下30度に耐えられる訳がない。 

 とは言うものの、ぜひ一度、自分の目で見てみたい。冬の煙もくもくでなくても、 草原を煙りちょろちょろでも十分感動できると思う。



水無瀬の大運転会に行ってきました
1997年11月22日(土)

 今週末は、水無瀬の大阪府立青少年の家で「鉄道模型大集合 in OSAKA」(関西 合同運転会)があるそうなので、ちょっと様子を見せて頂こうと思う。

 大運転会は昼からだと思うので、時間に余裕があるが、千里の会員制問屋の更新手続きに 行って、妻が美容院に行きたいというので、阪急の箕面駅で降ろして、妻の実家に荷物を 降ろして、私の実家(池田)でシキ(長男)とご飯を食べて、阪急電車で水無瀬へ向かう。

 いつもメインイベントにたどり着くまでの前置きがやたらと長いのがこの雑文の特徴であるが、 家族が増えてくるとどうしてもこうなってしまうことを独身の「バリ鉄」の方は 覚悟しておいたほうがいいかも・・・

 しかし、今回は私の父が「(シキが)熱出したところだから、連れていくな」と言ったので、 ありがたく一人で出かけてきた。阪急電車の池田から宝塚線で十三へ、 十三からは6300系の特急に乗る。久しぶりなので嬉かったが、 車体の上を膨らましていない分、JRの221系等に比べるとシートが狭いような気がする。 その代わりといってはなんだが、木目調の壁と、ディープグリーンのシート、ベージュのシート カバーの車内はとても上品で、私鉄のよさを感じる。走りっぷりもよく、JRと共に頑張って 欲しいと思う。

 高槻で普通に乗り換えて、水瀬の駅から徒歩5分、府立青少年の家にたどり着いた。 受付で「佼友会の森井さんに遊びにおいで、と言われたんですけど」と言うと、パンフレットと 名札をくれた。

 通路を通って、メイン会場の体育館へ。一面に線路が敷いてあって、圧倒される。 枕木とレールの幅のバランスが「ボクのと違う」ので、16.5ミリゲージでないことは わかるのだが、12ミリと13ミリの区別がつかない。ああ、あれはクマタ貿易のDD51 だろうから、これは12ミリとかその程度であるが、よく見てみると確かに12ミリは一回り 小さく、明らかに16.5ミリの80分の1とは違う。ちなみに、走っている12ミリと 13ミリを見るのは「生まれて初」である。
 森井さんに挨拶をして、会場内を見てまわることにする。

走っているOゲージを見るのもまた「初」である。迫力に大感激!こんなにカッコいいもの だとは思ってなかった。とても静かに、スムーズに走る。以前とれいんに掲載された 「スーパー雷鳥編成」もあり、快調にぶっ飛ばしている。作者の少年ともお話できた。これが 初の作品ということで、なかなかいい根性してる。シキはどうなるのだろうか?

 体育館の中には、超有名人の方々もうろうろしていて「記事をいつも見せて頂いてます」 とかいって話かけてみようかとも思ったのだが、私は恥ずかしがりやなので、声をかけさせて 頂くことはできなかった。

 大きな組立式レイアウトを長編成がゆうゆうと走る。とてもいい眺めだ。普段ではお目にかかれないような 作品もたくさんあり、趣味の世界の広さを感じる。その中で目立っていたのがB1パネル? のシーナリー付きレイアウトだった。やはり、地面付きは強い。もちろん、出来栄えもすごい。 お願いして写真を撮らせてもらう。

 RMMの牧窪副編集長がいらっしゃったので、挨拶をしに行く。「新作が仕上がったら、ぜひ 連絡してください」と言われる。半分(以上)社交辞令だとわかっていても、悪い気はしない。 他にも、とれいん、TMSからも取材に来られているようだ。

 牧窪さんいわく「2Fも面白いですよ」とのことなので、本館?に戻り、2Fの各部屋の 展示を見てまわる。こちらでは、比較的ゆっくりとじっくりと作品(車輌)を見ることが できて出来の素晴らしさにため息を漏らしたり、アイデアに感心したり充実したひとときを 過ごす。こちらでは趣味の世界の深さを感じる。

 ということで、素晴らしい内容で来てよかったと思う。それと、Oゲージの走るところを 見たことない方は、機会を見つけて一見されることをぜひ、お勧めする。

 これだけのビッグイベントをお世話される方々はホントにすごいと思う。鉄研仲間で運転会やバーベキュー をするぐらいで頭を抱えてしまう私からは想像もつかない。
 また、来年も見せて頂けるといいなと思う。



お座敷運転
1997年11月16日(日)

 とれいんの資料によると、百済〜梅田の間に「シキ610」が走るということ なので、単車で赤川鉄橋まで行ってきた。快晴ではなかったが割と暖かかったし、 時間どおりにDE10+ヨ8000+シキ610(空荷)はやってきたし、 トラス越しの撮影なので、写真自体は期待できないけれど、楽しい撮影だった。

 息子のシキを連れていかなかったのは、金曜日から熱を出していたので、お出かけが できなかったためで、私が帰ってから、妻は(リフレッシュ兼ねて)買い物に出かけるのだ。 その間は、シキと二人でお留守番である。彼も少し元気になってきたのか、退屈しはじめた ようなので、模型でも走らせてやろうと思う。

 年代ものの金属道床の16本組み線路で、いつものようにオーバルコースを作る。 シキは「そこに座っていなさい」と言えば、ある程度はおとなしくすわっているので その間に素早く準備をする。
 はじめは、キハ58*2+キハ65の「走ってなんぼ!」編成である。 集電シューを増設して、ドローバーで隣のキハ58からも電気をもらうようにしてあるし、 キャノンモーターに交換済みなので、快調な走りっぷりである。

 次は、モアのシキ610である。これは、当鉄道の「お宝」なので、「シキくん」 の前ではあまり走らせたくないのだが、今日は「シキ」な気分なので、大きな箱を 出してきて、牽引機を換えながら走らせる。

 そうしているうちに、妻が帰ってきた。
シキ610を見て「なかなかかっこいい!」と言う。確かに迫力のある模型である。 KATOのEF65一般型+シキ610+ヨ8000の編成をさして、「これが私(EF65)」、 「これがシキくん(シキ610)」、「これがあなた(ヨ8000)」と妻に言うと、 「これがシキくんみたい(ヨ8000)」と言った。なるほど、ちょろちょろ後から ついてくる姿は、シキくんそのものだ。
 すべて完成品なので、静々と走り続ける。私たちの暮らしもこんな風に、 平穏に仲良く行ったらいいのにな、と思っていると、EF65が脱線した。

 人生、なかなか順調にはいかないのかもしれない。 



播但線へ行ってきました
1997年11月9日(日)

 山崎の百山踏切りで知り合った、アクティブ撮影鉄のFさんの話では、この日 播但線に「サロンカーなにわ」が入るということなので、天気もよさそうだし、久々に出かけようと思う。 妻はなにか言いたそうな顔をしているが、この際、あまり気にしないことにする。

 撮影に行けず、いじけて最近は「鉄道ダイヤ情報」を買っていないので、 鉄仲間からの電話は大事な情報源である。播但線の午前中の遅い時間の上りの団臨は貴重だ。 なぜなら、「渕のカーブ」(長谷−生野間)が順光になるからだ。姫路−寺前間の 電化工事のため、撮影ポイントは限定されてきている。

 7時30分ぐらいには、ポイントについておきたいので、6時に中山寺を出発、 中国道で福崎へ向かう。国道312号線で、長谷−生野間のポイントへ、寺前駅から 線路沿いに北上しようと思っていたのだが、曲がるところがわからず、行き過ぎてしまった。 仕方ないので、生野付近まで国道を走り、北側からポイントへ向かうことにした。 他のポイントを確認しつつ、車を進めると「来年3月まで通行止め」のショッキングな表示、 これでは寺前まで戻らないとあかんがな!30分以上のロスである。行き過ぎてしまった ツケは、予想以上に大きかった。
 こういう時は、カーナビがあればと思う。撮影地ガイドと連動した、 鉄ちゃん用のCD−ROMがあれば、結構ウケるかも。

 なんとか、ポイントに着いた。DD51の「なにわ」までには、時間があるので、 寺前−長谷間に戻って「はまかぜ2号」と普Dを撮影、 渕のカーブに戻って、カメラのセッティング、ペンタックス67とニコンF3を平行プレート にセットする。67は2月に播但線で使って以来の登板である。67のFP接点とF3の モータードライブのリモート端子を特製のコードでジャンパする。こうしておくと、 67のシャッターを切れば、若干のタイムラグがあって、F3のシャッターが切れる。

 時間どおりにDD51が「なにわ」を牽いてやってきた。DD+客車7連なので、 カーブにきれいに収まるか少し心配だ。ぎりぎりまで粘ってシュート!67の 「バコン」というシャッター音にわずかに遅れてF3のモードラが回る。 DDのエンジン、客車のジョイント、スロフのDGサウンド・・・行ってしまった。 不安と充実感が入り交じった不思議な瞬間だ。

 姫路まで、何回か行き違い交換のための停車があるので、車で追っ掛けて 福崎−甘地間でもう一回、撮ろうと思う。
 播但線に沿って、車を南に走らせる。途中の踏切りで、DD+なにわに先行され、 少し不安になる。しかし、途中10分停車があったため、 撮影ポイントには余裕で間に合った。
 ここは、電化になる区間なので、架線柱が既にあるが、カーブの外側(山側) に立っているので、撮影側からはきれいに列車を見ることができる。 電化後も手軽なポイントとして、ある程度の人気を維持しそうである。

 はまかぜ1号まで撮影して、Fさんに携帯電話で連絡を取り、和田山−竹田間の ポイントで合流することにした。午後1時ぐらいに、和田山に「いきいきサロンきのくに」 が来るそうなので、それを駅付近の鉄橋で撮影しようと思う。
 甘地から竹田までは結構距離がある。国道312号線を流れに乗ってはしり、 ポイントに到着、合流。Fさんのほかに2人と一緒に和田山の鉄橋で、「きのくに」を 撮った。天気がよく、暑いくらいだ。

 撮影を終了して、遠坂トンネル、丹南篠山口から舞鶴道、中国道を通って、宝塚へ到着。 しかし、和田山は遠い。走っても走っても、なかなか家へ近づかない気がする。

 しかも、これからスーパーに行って、妻の実家に顔を出して・・・
パパ鉄ちゃんは、つ・ら・い!



山崎へ行ってきました
1997年11月8日(土)

 とれいんの最新号の資料によると、この日の昼過ぎに、梅田−梅小路間に シキ800のCタイプが走るようなので、出かけることにした。朝早くから 出かける気もそれほどなかったので、シキ(息子)も連れていくことにする。 一人で2才児を監視するのはなかなか骨なので、私の作りかけ東武6050系の クーラーを作ってくれた友人Oも誘った。

 11時30分にJR東海道線山崎駅でOと待ち合わせをしているので、10時前に 中山寺を出発、川西で妻をおろして(ゆっくり買い物をするんだそうな) 国道171号線で山崎へ向かう。息子は後席のチャイルドシートで静かに 景色を眺めている。なかなか、よい子だ。

 11時30分過ぎに山崎駅へ到着、Oもちゃんと来ている。彼はTMSコンペ入賞を 何度か経験していて、その気になれば、ペーパーでかなり繊細な電車を作るのだが、 ゴルフに凝ってしまって、模型のほうはあまりやっていないそうな。
 サントリーカーブの横を通って、定番の百山踏切へ行く。ここは、車を停めることが 比較的容易なので、ワンパターンだなあ、と思いつつついつい来てしまう。

 シキ車の通過予定時刻まで時間があるので、下り列車を中心に「来るもの拒まず」 方式で撮影する。線路端に保線用?のボックスができたり、土手がコンクリートで 固められたり、バックに大きなマンションが入るようになったり、撮影には少々 条件が悪くなってきているが、光線状態がよい、列車がかぶらない(下り快速線)、 上りも撮影できる、車が停められる、といったこと等から、これからも定番ポイント として、人気を保ち続けそうである。ここで知り合った「釜屋さん」達は「もうダメ」 と言っているが・・・。
 それと、そろそろお昼ご飯タイムなので、先手必勝でシキ(息子)にパンを与える。 常に満腹に近い状態にしておくのが、子供とお出かけの時の大事なポイントである。

 シキ800の通過予想時刻が近づいてきたので、上り側にレンズを向け スタンバイする。息子も、線路の近くに来ると、列車を怖がるかと思ったが、 ご機嫌で、列車を指差したり、踏切りの音をまねたり、とてもよい子である。
 300ミリを三脚にのせて待つ。シキ車を連結していると思われる、EF65一般型の 専用貨物列車がやってきた。機関車の次はコキ50000の3連で、結局シキ車は 連結されていなかった。2時まで待ったが、シキ800は来なかった。 まあ、こういうことはよくあることである。シキ800は撮影できなかったけど、 息子は喜んでいたし、300ミリのファインダーから見る秋の半逆光の中を行く貨物列車は、 とてもきれいだったし、EF200−901も撮ることができたし、まずまずの撮影だった。

 帰りの車の中で、Oとゴルフの話(私はゴルフはできない)で盛り上がった。 シキ(息子)はチャイルドシートで寝息をたてていた。



工作時間の確保
1997年11月2日(日)

 平日はもちろん会社に行かないといけないし、土曜・日曜はスーパー行ったり とか、子供の相手だとか、なかなか工作の時間が取れないのが私の現状である。
 しかし、ここでくじけてはいけないのが「パパ鉄っちゃん」である。

 まずは平日編、子供が寝てからの工作タイム、うちの子は宵っ張りで、しかも 早く寝ると、朝早く起きてくる可能性が高くなるので、妻があまり早く寝かした がらない。ということで、取りかかる時間が遅くなってしまうと、次の日の仕事がつらい。 また、子供を寝かせるのに自分の方が先に寝てしまうことが非常に多い。

 次は休日編、私は元々撮影派であることもあり、休みの日に早く起きることは それほど苦ではない。夏場に「だいせん」を福知山線の単線区間で 撮影する(篠山口複線化が実現した現在では非常に難しい) には3時台の出発となるのだから6時に起きて工作するぐらい はなんともない。子供が起きてくるのがだいたい9時ぐらいだから、約3時間は 工作ができるが、塗装等でごそごそやっていると、元気よく起きてきてくれる ので注意が必要。しかし、寒くなってきたのとバテてきたのか、 朝起きるのがつらくなってきた。最近では、私が最後まで寝ていることも珍しくない。  撮影でも、かに列車(味めぐり列車)等冬場の撮影はそんなに朝早く起きる必要が ないのだ。

 休日に昼寝をしている時に工作をするというのも、子供がだんだん昼寝をしなく なってきたこと、遊び方によって昼寝の時間が一定しない、自分も一緒に昼寝 してしまう、ということから、安定した工作時間の確保とはなっていない。

 また、その時々によって「やりたい工作」の種類が違うので、「はんだ付け」 の気分の時は、ブラスの車輌をいじりたいし、「紙細工」の気分の時は、ペーパー 工作をしたい。ということで、やりたい工作と、できる工作(しなくちゃいけない工作) の種類が違うと、せっかく時間があっても、雑誌読んだり、写真眺めたりして すごしてしまうことになる。気合が入っていない時はそれはそれで、楽しいのだけど 気分が乗っていて、手も目も元気な時はもったいないような気がする。

 ということで、貴重な工作時間を無駄に?しないために、蓋つきのトレーを 3つぐらい用意して、それぞれ「ブラス仕掛かり」、「プラ仕掛かり」、 「ペーパー仕掛かり」として、パーツも一緒に入れておいて、気分の乗ったときに すぐ工作にかかれるようにしておこうかな、と思う。
 こうしておけば、時間ができて、気分がのった時にすぐ工作を開始できるし、 「片づけろ!」といわれた時にすぐしまえるし、パーツを探すロスタイムの 削減にもつながるような気がする。

 これがうまく行けば、きっとこのホームページの「仕掛かり品のコーナー」 もすっきりとしたものとなって行くでしょう。



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