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がんばれ!パパ鉄ちゃん バックナンバー●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

99年1〜12月分

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近江路の極楽鉄
1999年8月28日(土)

東京在住の、情報通アクティブ撮影鉄のMさんから電話があり、「28日のレインボーの機関車は”赤”ですよ」とのことだった。これは、わかりやすく(普通に)言えば、「8月28日の大阪行きのスーパーエクスプレスレインボーの団体臨時列車の牽引機はレインボー専用機のEF651118ですよ。」と言うことである。

せっかく情報を頂いても、平日だったりしたら、せっかくの情報を活かせないワケであるが、幸いにも28日は土曜日である。どこで撮影しようかと悩んだのであるが、せっかくならいい所で撮ろう!ということで、米原付近へ遠征することにした。(私にとっては宝塚から米原は十分遠征である)

当然ながら、米原近辺は詳しくないので、地元の銀河51さんにお願いして、車で撮影地へ連れて行って頂けることになっている。
レインボー+レインボ釜は午後の通過なので、それほど早起きする必要はないので、シキ(長男3歳)を連れて行ってやることにした。

行きかえりとも新快速を利用したのであるが、行きは最新型の223系2000番台で、これがなかなか快適で、120km/hを感じさせないゆれの少なさであった。福知山線の快速の207系だと90km/hをこえると「けっこう頑張っているな」という感じなのであるが、淡々と120km/hですべるように走る。体感的には80km/hぐらいにしか感じない。(ちなみに、子供のトイレ対策で1号車に乗っていたので、運転室のメータが読める)
シキも上機嫌で、日石カラーのタキ43000なんかを見つけては「タンク!とーたんのやつ(KATOの16番のタキ)といっしょー!」とかEF210を見て「ももたろー!」とか、うるさいぐらいであった。

米原からは銀河51号さんのアベニールに乗せていただいて、有名撮影ポイントを案内して頂いたり、北びわこ号(C56)を見せていただいたりして、いよいよ、本番?のレインボーである。めぼしを付けておいたポイントには既に同業者が大きな三脚を沢山立てている。

30分ぐらい待って、レインボー釜がレインボーを連れてやってきた。手持ち105ミリモードラ4発。曇りだけど、通過直前に少し明るくなり500分の1秒でF4だった。(曇りのアンダーは色がにごるので、単体露出計の数字より半絞り開けている)
レインボ釜とレインボーの組合せは赤と白がとても映えてカッコよかった。満足!

これで目的は達したワケであるが、時間があるので、貨物を何本か撮りたいなということで、ポイントを移動した。貨物は撮れなかったが、JR東海の117系が結構かっこよく撮れた(と思う)ので、銀河51号さんのフィルムのキリがいいところで、撮影はお開きにし、温泉に行くことになった。

町営の300円で入れる温泉は露天風呂もあり、撮影後の汗を流して、とても気持ちいい。「鉄」後の温泉は何度やっても、いいものである。生きててよかった??

長浜まで送って頂き、221系の網干行き新快速に乗る。米原からは結構な混雑で(8連だからか)立ち客もいる。シキをひざに乗せ(大きくなってきたので、正直言ってつらい)て尼崎まで、尼崎から福知山線で最寄駅まで帰った。尼崎では寝起きだった為、シキがぐずったが、駅には妻とキヤ(次男1歳)が迎えに来ていた。


シキ君の願い
1999年7月12日(月)

ウチの長男(3才半)のシキは、近所の幼児教室に通っているのだが、七夕だからと言う事で「なにか願い事」を短冊に(お母さんが)書いて、ササに付けたそうである。
と言う事で、妻がシキに「おおきくなったら、何になりたい?」と聞いたら「電車が触れる!」と答えたらしい。

普段、模型で遊ぶ時に私が「大きくなったら触ってもいい」と言って、触りたがるのを”阻止”しているので、たぶんそのことを言っているのだろうけど、それなら少しクスリが効き過ぎのような気もする。

七夕の短冊に「電車が触れる」では、他の人が見て意味が全くわからないので、妻は短冊に「鉄道模型が欲しい」と書いていた。

それより前までは、シキに「大きくなったら何になりたい?」と聞いたら「なんにもやりたくな〜い」^^;と言っていて、さすが、無気力主婦とスチャラカ社員の間に出来た子供だと、妻と笑っていたのだが、最近では、しっかりと、「電車の運転士になりたい!」と答えるようになった。ぜひ、とーちゃんがなし得なかった夢を実現して欲しいものだ。

「電車の運転士になりたい!」と言うのが嬉しいので、何回も聞いて(言わせて)いると「とーたんは大きくなったら何になりたいの?」と聞いて来たので、「模型屋のおやじになりたいな。」と言っておいた。

 


パパ鉄ちゃんのとっても鉄分なGWの一日
1999年5月2日(日)

机の上で、携帯電話がけたたましく鳴っている。4時15分だ。アラームを止める(目覚まし代わりにもなるなんて携帯電話って便利だ)。
今日は、好天が予想されたので、福知山線にDD51牽引の客車急行「だいせん」を、尼崎に帰省しているKさんと撮影に行くのだ。

尼崎の2号線沿いでKさんをピックアップする。空は雲が浮いていて、少し不安になる。宝塚ICから中国自動車道で西へ向かう。車の量が多く、思うようにスピードが上がらない。

「だいせん」はできれば南矢代駅すぐの踏み切りで撮影したいのだけど、通過時刻は6時前と早いので、太陽光線が列車に当たるかどうか、列車に間に合うかどうかかなり不安である。しかし、三田−道場間の定番の築堤で撮るのは、少し物足りない感じがして、悩んで?いるのである。

Kさんは「どちらでもよい」と言っているのだが、めったに撮影できない(地元民の私と違って)列車でありギャンブルするより、カタく定番ポイントで押さえておきたいという気持ちのはず。
その気持ちを裏切って?三田のポイントはあっさりと通過した。途中、車の流れが悪く、少しやきもきしたが、無事にだいせん通過10分前に南矢代に到着。通過5分前に太陽が山から顔を出し、露出もOK。定刻に「だいせん」がやってきた。手持ち50ミリ、モードラ3発、手応えあり^^。前景は水田(列車が映る)、背景は少し霧のかかった山であり、期待が持てる。

Kさんは早く実家に戻らないといけない(パパ鉄のつらいところ)ので、三田の築堤で103系電車を少し見てから、帰ることにする。「だいせん」がなかなかよかったので、気持ちも軽い。そういえば以前、Kさんと撮影に来たときも、列車通過直前に晴れたりしたので、Kさんは引きが強いのかもしれない。

GW渋滞を避けながら、家に到着、妻は買い物に出たいと言っている。(ダイヤ情報をチェックすると)すぐに出発すれば、スーパーに行く前に、川西池田付近でDD51牽引の金沢お座敷列車(わくわくだんらん)を見ることができそうだ。

食事も採らずにすぐに出発、家族四人で宮原のDD51牽引の「わくわくだんらん」を見送った。三脚使用300ミリ、モードラ4発、逆光だけど、単レンズなので、そんなに色は濁らないはず。

スーパーの駐車場ではキヤ(次男1才)とうたた寝。家に帰って早めの昼食。昼過ぎにはOさんとONくんが遊びに来て、ウチの6畳間で「運転」をするのである。

6畳間を全部片づけて、エンドウのR750とR805にポイントでヤードを少々。パワーパックはトミックスの1.2AのやつとDU−2(2ハンドルの自動加減速タイプ)である。
EF71、ED78重連の10系寝台+スハ43系の急行列車、タキ43000の20連のガソリン列車などいつものごとく機関車牽引が多いのだけど、アーバンライナーや165系3連、箱根登山のモハ2などの電車も出てきて、夜までずーっと走らせた。シキ(長男3才)も這いつくばって、模型を見ていた。

食事をして、レールを片付けだしたのだけど、シキが「電車もっとするー、片づけたらダメー」とか言い出して、そのうちに泣き出した。大泣きになって泣き止まない。結構楽しかったようだ。

OさんとON君を見送って、本日のイベントは終了。実物に模型に鉄仲間と話をすることもできて、とても鉄分のあった、盛りだくさんな一日だった。
あまり、こういうのは好きではないのだけど、「鉄イベント」を理解してくれた妻に感謝したい。


たまには単車の話でも(3)
1999年4月7日(水)

限定解除すると、例の悪い^^;お友達らが「大型の中古はやすいよ」とそそのかすので、私もだんだんその気になり、コンパクトで乗りやすく(値段も安く?)しかもオシャレなヤマハのSRX6が欲しくなったのだけど、結果的に買ったのは、ヤマハのFZX750(後期型)の中古である。値段はムサシノのJRFシリーズ3輌分^^;で、かなり美品の後期型だ。

初めての大排気量マルチであると言うところを差し引いても、とてもパワフルな単車で、低速からモリモリとあるトルク、回せばめくるめく?加速感(XS250と比べれば当然)。また、まわりからは(特にオジさん達)「かっこいい単車だ」とよく言われた。

いい単車だから、長く愛用できるかと言えば、そうではなく、1年で手放してしまった。これは、その時期、結婚を控えていて、単車を買える最後のチャンスということで、以前からのあこがれの「アフリカツイン」(91年型黒、国内仕様)を買ってしまったからだ。

注目度抜群で、街をタラタラ流すのも気分満点である。妻を(ちゃんと結婚もしたのだ)後ろに乗せて、九州、北海道のツーリングに行った(当然ながら、フェリーを利用。宿泊は旅館である。)。この頃は、かなり乱れていて?ピークでは4台の単車を所有していた。(安い奴ばかりだが)

というところで、これもまた、いい単車だったのだけど、子供が出来るということで、あまりアフリカツインでツーリングに行くような事はなくなるだろうということで、沢山あった単車も処分し、アフリカツインは売ってフリーウエイとかのスクータを買い、鉄の為のツール(撮影、模型屋への足)として細々と使おうと思っていた。

ところが例の”悪いお友達”が「スクータはダメ」と言うので、「それなら、SRX6かブロス1の安い奴があるのなら、それにする。」と言ったら、ホントに安いブロスを見つけてきた。’88モデルなのだが、年式を感じさせないコンディションと、アフリカツインの売却益?でおつりが来る安さだった。

これも、250の乗りやすさと650らしいダッシュ、高速道路での「スーパー雷鳥並み」のクルージングも意外と楽、ということで、いい単車である。(アフリカツインもそうだったが、意外に低速トルクは細く、ノンスナッチスピード#だったっけ?#は高いように感じた)

しかし(例によって)自分の時間はどんどん無くなる一方で、乗る機会は更に減って行ったのであるが「マリンたかはま」(JR西日本の海水浴臨時列車)がDD51牽引で運転された時、海水浴渋滞を避けるために、撮影の足として、大活躍した。海水浴臨の撮影だけあって、とても暑く、50キロ以下に速度が落ちると、ヘルメットとウエアのベンチレーションが効かなくなって、発狂しそうにイライラしたこともいい思い出である。

車検も一応何回か自分で通したし、保険もいい年^^;になってきたので安く、それほど維持費がかからないので、置いてあるのだけれども、この前、エンジンを掛けようと思ったら、バッテリが死んでしまった。充電しても復活しない。

きっちりケジメをつけてやるか(放出)、少しメンテして、もうちょっと積極的に使うか、それともほったらかしか、岐路に立たされている”最後の単車”BROS君である。


たまには単車の話でも(2)
1999年3月14日(日)

レガシイツーリングワゴンは、燃費の悪さに悩まされながらも、遊びに大活躍して、それはそれでよかったのだけど、どこにも悪い?友達はいるもので、「倉ちゃん。中型(二輪免許)持ってるんなら、限定解除しときなよ。倉ちゃんなら簡単だよ。」(なぜか東京弁)と私をそそのかす(おだてる)のであった。

と言うところで、その気になってしまった?小心者の私は「そんな必要は無い」と友人が言った”限定解除の練習会?”(安全何とか講習会だったかも)に参加することにした。これは約1万5千円払えば、実際の試験場で講習を受けることができて、なおかつ、事前審査が免除(講習の中でナナハンの引起しと8の字引き回し?があって、それができればOK)になるのだ。

友達が言うには、それに1万5千円も払うのなら、試験を5回受けたほうがよい、との事であるが、あまり会社を休む訳にはいかないし、できるだけカタイ手段をとりたかったのである。

講習会は無事に終わったし、コース図を買って、まじめに覚えて、イメージトレーニングして、XS250で駐車場の白線を使って一本橋の練習をするなど、真剣に?取り組んだ為か、2回目の受験で限定解除に成功した。実は一回目も完走できて、最後に注意?を受けに行くのであるが「君、ホントに信号見てたのか?それで、今日は何回目?」と聞かれたので正直に「はい、一回目です。」と言ったら「じゃあ、また来てくれる。」と言われて、予約票を返された。これって「5回目です」とか言えば通してくれたのだろうか?いまだに疑問である。(単車マニアの友人によれば、試験官は何回受けているかはわからないらしい)

とは言うものの、試験官が机の引き出しを開けて「合格の書類」をくれた瞬間は本当に嬉しかった。
それはそれで、めでたいのだが、免許があれば単車が欲しくなるのはものの道理である^^;。
(予想以上に長くなったので、つづく・・・)


たまには単車の話でも(1)
1999年1月20日(水)

「やっぱり僕は鉄道一筋。車や飛行機なんて鉄道の敵には興味なんかない。」と操を守っている方もいらっしゃるかもしれないが、私の知る限りでは、鉄道も好きだし、車や飛行機も好きと言った”乗り物好き”の方が多い。

と言うところで、私も鉄であり、乗り物好きであるということで、好きな単車のお話をしてみたいと思う。

 実は免許を取ったのは結構遅く、20歳になった春、学校の近くの教習所で、普通自動車免許と自動二輪(中型限定)を同時教習で取得した。(無免許運転なんかしたことないよいこ^^;の私としては、初めて乗った単車は名車ホンダCBX400Fである)
そして、初めての車は当時はやっていた、ワンダーシビックとか言いたいところであるが、初めてのマイカー^^;はご近所の方に貸していただいた、パッソーラ(ヤマハの原付スクータ)である。

初めての単車らしい単車^^;は、同じくヤマハのXS250である。鉄研の先輩に安価で譲って頂いたのであるが、これが31PSの250cc並列2気筒(一応?ツインカムでした。2バルブだけどね)のそんなにパワフルじゃないエンジンに装備重量は170kgぐらいあるもんだから坂は登らないし、平坦路でもメータ読みで110キロぐらい(おまえは113系の5000番台か^^;)しか出ないし、でも1リッターで25キロは走るし、通学、バイト、お遊びのツールとして約3年間で2万キロほど走った。

と言うところで、無事に学校も卒業して、会社に入ることになるのだけど、すぐには車は買えなかったし、会社に行くのに(ホントはイケナイ)便利だったので、妹のジョグ(ヤマハの50ccのスクータ。ニュージョクと言われていたバージョン)を使っていた。なかなか速かったし、経済的でこれもいい単車だった。友人宅で「いまなお現役」のはず。

就職して初めての冬に、現在も乗っている、レガシイツーリングワゴン(平成1年式:新車)を購入、XSも手放し、単車は(ジョグには乗っていいたが)終わりになるかと思ったのだが、そうはいかなかった^^;;。
(つづく)
 


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