このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

明智光秀は織田信長を本能寺で討ち果たした後、天王山にて羽柴秀吉と戦い敗れた。

しかし、彼は落ち延びようと近江 坂本へと向かうが伏見の小栗栖の竹薮にて、地元農民の
落ち武者狩りに遭い、その命を絶たれてしまう。

と、ここまでが現在まで伝えられてきた有名な明智光秀の最期だが、実は、この話にはまだ
続きがある。

それは、こんな話だ。

小栗栖で農民に襲われ深手を負った明智光秀は家臣に、「首を斬り、知恩院にて灰にせよ、
体は田に隠し、人には知られないように」と言い自刃した。

そして、家臣はそれを実行し、明智光秀の首を知恩院へ運ぶ途中、夜が明けてしまったため、
その場に首を埋葬し自刃したという。

首を埋葬した場所には近年、小さな祠が建てられた。
この中には、明智光秀の木像が安置されている。

ちなみにこの場所から知恩院までは、あとほんの数百メートルだ。

明智光秀の塚

明智光秀の塚

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