このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
寺町門
本堂
天正10(1582)年6月2日早朝、織田信長が家臣である明智光秀に
襲われた”本能寺の変”であまりにも有名です。
京都の町の中心部にあって、人も車も多いところですが、
境内はそんな喧騒を忘れるくらい落ちついた空間です。
本能寺の変の一ヵ月後の7月3日、織田信孝(信長の三男)によって
この寺が信長の墓所と定められ、供養塔が建立されました。
本堂の裏にある”信長公廟”
武士の魂であるとされる太刀が納められている
(信長が所持していた太刀)
本能寺の変 戦没者合杞供養塔
織田信忠(信長の長男)、村井貞勝(長門守)や
森兄弟(蘭丸・坊丸・力丸)らの名前が見える.
ちなみに ”ほんのうじ” は、正式にはこのような
漢字です。
これは、 ”本能寺” は何度も火災に遭い、 ”能” は
火(片仮名では ”ヒ” )となることからこの文字を
使用することを嫌い、上の写真のような文字が採られた
そうです。(それ以来、火災には遭っていない!)
1582年(天正10)明智光秀が織田信長を攻め、自害させた「本能寺の変」で知られる。
1415年(応永22)日隆聖人によって創建。
「本能寺の変」当時は四条西洞院のあたりにあったが、
類失後、1587年(天正15)に現在地に移った。信長の供養塔がある。
建立:創建1415(応永22)年、現在の本堂は1928(昭和3)年の再建
本能寺(ほんのうじ)
信長の供養塔
本堂
信長まつり
6月2日に”本能寺の変”が起こったことにちなんで、毎年6月の第一土曜日・日曜日の
2日にわたって、この本能寺で開催されます。
京都市長も参加(挨拶する京都市長)
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