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出雲の阿国(いずものおぐに)
1603年、京都の四条河原には諸国から遊芸人が集まっていました。
その中の新顔の一座には、巫女姿の女がいて、その女の踊りは激しく、狂おしく、官能的であり、
これまでの常識、価値観を打ち破るような舞いを披露しました。
その女こそ、阿国でした。
阿国たちは、河原を仕切る大将、京の実力者たちを取り込み、河原の一等地での興行権を
勝ち取り、情熱的なその踊りは京都中に響き渡りました。
「傾く(かぶく)」とは、新奇で斬新、異様な振る舞いで目立つことをいいますが、
”天下一のかぶき者”と称された阿国は、つまり、現在でいうところのファッション・リーダー的な
存在でした。
阿国の踊りは、能狂言や念仏踊り、風流踊りに影響を受けていたとか、イエズス会劇(教会劇)に
刺激されたとの説もあります。
女が男装し、男が女装して踊り、リズミカルで煽情的。
人間の本性に訴えかけるものがあったのではないかといわれています。
出雲というほどだから、出雲大社の巫女だったのだろうとの説もありますが、他にもさまざまな説が
あります。
全盛は10年ほどで、ライバルの出現や、女歌舞伎が禁止され京都を追われ、故郷・出雲で
尼・智月になり、87歳で亡くなったとも伝えられていますが、その実像はほとんどわかって
いません。
ただ確かなのは、400年前、一座がいずこともなく京都へ現れ、異風異形の踊りで、芸能の本場・
京都の民衆に鮮烈に印象を刻みつけ、いずこともなく去っていき、そして、何よりこの封建的な
時代に女性パフォーマーが躍動した事実こそが驚異なのです。
出雲の阿国
四条大橋東詰北側にあります。
四条河原で初めてかぶき踊りを披露したことを記念して建立されました。
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