このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

天神さん-菅原道真公を祀る。
創祀は(天暦元)947年で、朝廷、幕府の崇敬もあつく、寺子屋の普及とともに全国に分社ができた。
いまも受験生に人気のある学問の神様。
本殿、拝殿(国宝)は豊臣秀頼公が再建、八棟造りの屋根が典雅な桃山建築だ。
境内は梅の名所で2月25日梅花祭。
毎月25日は縁日で、宝物殿の社宝がこの日に限り公開される。
但し10名以上の団体であれば特別公開も可能。
雨天閉館。
創建:947(天歴元)年
天正15(1587)年10月1日、九州平定と聚楽第造営を記念して
豊臣秀吉(1536〜98)主催の大茶会が北野天満宮境内で行われた。
千利休(1522〜91)など堺の茶人をはじめ、全国から貴賤を問わず数寄者を集めたという。

北野天満宮(きたのてんまんぐう)

北野天満宮
北野天満宮
北野天満宮
北野大茶湯之址碑

北野大茶湯之址碑

延喜元(901)年、菅原道真は、57歳の時、政治的陰謀によって、
大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されてしまう。

大宰府に移った道真は、わずか2年後の延喜3(903)年2月25日、その地において亡くなった。
59歳であった。

道真没後、平安京では、奇々怪々な出来事が次々と起こり、これらは次第に怨霊となった道真の
しわざだと噂されるようになり、天皇をはじめ、道真を左遷に追いやった公家たちを恐れさせた。

天慶5(942)年7月30日のこと、平安京の右京、七条二坊に住んでいた
多治比文子(たじひのあやこ)という女性の前に幽霊となった道真が現れ、
「私は生前よく北野の右近の馬場で遊び、心身を癒したものだ。 思い出も多い。
一刻も早く馬場に私を祀る社殿を造れよ。」と語った。

文子は最初はお金もなく、自宅の傍らに瑞垣を造り祀ったが、後に天慶10(947)年、瑞垣は、
北野の右近の馬場に移された。 これが北野天満宮の発祥となった。

天徳3(959)年、時の右大臣藤原師輔は社殿を寄進し、永延元(987)年、一条天皇の勅命に
より、道真を追悼する勅祭をおこなった。 
その際、天皇は、「北野に坐します天満宮天神」と述べられ、それ以来、”北野天満宮”と
呼ばれるようになった。

この地に菅原道真が祀られているわけ

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