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北法相宗の本山。西国観音霊場三十三カ所第16番札所。
778年(宝亀9)延鎮上人が開山、798年(延暦17)坂上田村麻呂の創建と伝える。
音羽山中腹に30近い堂塔伽藍が並ぶ。現在の主な堂塔は、1633年(寛永10)徳川家光の再建。
‘清水の舞台’で知られる本堂(国宝)は寄せ棟造り、檜皮葺、寝殿造り風の優美な建築で、
十一面千手観音立像を安置。舞台の下方に音羽の滝、谷を隔てて安産祈願の子安の塔(重文)
がある。ほかに仁王門、馬駐(うまとどめ)、鐘楼、西門(さいもん)、三重塔、経堂、田村堂、轟門、
朝倉堂、釈迦堂、阿弥陀堂、奥の院など重文指定の建造物がいらかを連ねる。
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録
された。
建立:現本堂1633(寛永10)年再建 創建798(延暦17)年、平安時代初
京都市東山区清水1丁目

清水寺の狛犬

狛犬というのは通常「阿吽の呼吸」といわれるように、一体が口を開き(阿像)
もう一体が口を閉じて(吽像)いる。

ところが、清水寺の狛犬は二体とも開口している阿阿像だ。

狛犬とは実は唐獅子のことなのだが、この清水寺の狛犬は口を開いて吼えているそうだ。

これを「獅子吼(ししく)」という。

清水寺の狛犬はもともと金銅製の阿吽像だったが、太平洋戦争で金銅の仏像も狛犬も
供出させられた。
「今度は石にしておけば、いくら戦争でも持っていかれないだろう」という発案のもと、
阿阿像の石造狛犬が昭和19年(1944)に寄進された。

阿阿像の狛犬も珍しいが、寺に狛犬があること自体が珍しい。

清水の舞台

数ある京都の有名寺院の中でも、清水寺は常に一二を争う有名寺院だろう。
特にこの清水の舞台は有名だ。 国宝にも指定されている。

高さは12メートル強、日本独特の「懸造り(かけづくり)」という柱組みで、
ケヤキの柱78本が支えている。 釘は1本も使われていない。

舞台の床は、正面が約18メートル、側面は約10メートル、面積は約190平方メートル。
厚さ約10センチのヒノキの板が416枚敷かれている。

舞楽などを奉納する正真正銘の舞台である。

舞台の上はこんな感じ

舞台を下から見上げる

おもいきったことをする時、よく使う言葉に「清水の舞台から飛び降りたつもりで・・・」
というのがあるが、実は昔は実際にここから飛び降りた人がいた。

京都府は明治15年(1882)に「舞台飛び下り禁止令」まで発令している。

数年前の調査で舞台の下から人骨が発掘されたという話も聞いたことがある。

記録として確認されているだけでも、飛び降りた人は引き留め未遂を含め234人にのぼる。
これは、命をかけて観音さまに祈願し、願いが叶えられれば存命するという清水観音信仰に
よるものらしい。 また、当時は「飛び降り」ではなく「飛び落ち」という言葉を使っていた。

さらに記録によると、飛び降りた人たちの男女比は、男性が女性の2.5倍、年齢判明者の
年代別では、20代までの若者が73.5パーセントと圧倒的、そして生存率だが、なんと
85.4パーセントは命が助かっている。

音羽の滝

この音羽の滝の水を飲むとご利益があるとされる。
そのご利益とは、3本流れる滝それぞれに違い、右から延命長寿、縁結び、学業成就と
いわれる。 どれかひとつ、心に念じて飲むと効用が得られ、仮に欲張ってご利益すべてを
望むと霊水の効用は得られないとの噂もある。
滝の水を飲もうとする人の行列は、途切れることはない。

この滝水は、瓶詰めにされて本堂(清水の舞台)と滝前で売られてもいる。

ちなみに、この滝水は地底約1000メートルの東山断層の割れ目から湧出しており、
多少のミネラル分を含んでいる。

音羽の滝の水が落ちる場所には、このような石が置かれている。
これは、水垢離(みずごり)滝行(滝の水に打たれておこなう修行)のためのもので、
まず、丸い石の上に立って礼拝し、その後、角石に両足を乗せて滝に打たれる
そうである。
水垢離滝行は、現在でも一般の参拝者が引いた夜におこなわれているそうだ。

音羽の滝には不動明王が祀られているが、滝の水を口にする人は多いのに、
この不動明王に手を合わす人はほとんどいないのではなかろうか・・・

清水寺(きよみずでら)

狛犬
狛犬
舞台
舞台
舞台
音羽の滝
音羽の滝

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