このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西本願寺 御影堂 ただ今、平成の大修復中
屋根から降ろされた瓦
剥き出しの大屋根
瓦葺き作業

2003年8月30日、世界遺産である西本願寺の御影堂の”平成の大修復”の作業現場を見学する
機会に恵まれましたので、その様子をちょこっとレポートします。

御影堂は本願寺において、もっとも重要な建物とされています。

この事業は、数百年に一度といわれるもので、今回の”平成の大修復”は、1810年以来の
約200年ぶりの大修復となります。

修復作業は1998年10月から着手しており、2009年3月に完了するという約10年もの年数を
かけておこなうもので、その事業費は57億5千万円(国庫補助60%)というものです。

修理内容としては、半解体修理ということで具体的には、
①屋根本瓦葺の全面葺き替え
②屋根小屋組材の修理
③縁周り・床・天井等の修理
④壁の塗り替え
⑤内陣彩色の剥落止め
等の作業をおこないます。

僕が見学した頃は、ちょうど瓦葺きの作業が進められていました。

屋根瓦は一旦すべて屋根から降ろす。
西本願寺 御影堂は、木造建築物としての平面積は世界最大級(3106平方メートル)なので、
瓦の数も半端じゃない。(約11万5千枚)

今回の大修復では、従来の瓦の4割をそのまま使用し、6割を新品と取り替える。

屋根から降ろされた瓦

剥き出しの大屋根

大屋根部分は、瓦の破損により雨水が浸透し、蒸れ腐れの生じている箇所が多くあったため、
全面的に解体修理がおこなわれた。

屋根小屋組材の36本ある曲がり材のうち、折れていた30本が新品に取り替えられた。

瓦葺き作業

従来の瓦は1枚1枚そり方が違うため、形の合うものをあらかじめ選別しておく。
それらを屋根の下に順番どおりに並べておいてから、屋根の上へと運び、3枚おきに
釘で留めつける。

浄土真宗本願寺派の本山。
1272年(文永9)宗祖・親鸞聖人の末娘覚信尼が京都の東山大谷に建立した廟堂に始まる。
第3代覚如上人のときに本願寺と公称。
第8代蓮如上人の尽力により大教団に発展。
その後、寺地は大阪、和歌山を転々とした後、1591年(天正19)豊臣秀吉が寺地を寄進、
現在地に移った。
1602年(慶長7)本願寺は東西に分立。
御影堂と阿弥陀堂はともに重文。
書院の庭園(特別名勝・史跡)は桃山文化を代表する枯山水様式。
そのほかわが国最古の北能舞台、唐門など桃山文化を今に伝える国宝建造物を多数擁している。
美術関係では紙本墨画親鸞聖人像(国宝)などの文化財も所蔵。
1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、
「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
建立:1272年

京都市下京区堀川通花屋町下ル

西本願寺(にしほんがんじ)

京都には、西本願寺と東本願寺のふたつの本願寺があります。
はじめから西と東に分かれていたわけではなく、もともとは本願寺としてひとつの寺でした。
それが、慶長7(1602)年、徳川家康によってふたつに分けられました。

それには、本願寺は豊臣家とつながりがあり、大きな規模を誇る本願寺の勢力を分断するため
だったという説があります。

西本願寺の正式名称は、”浄土真宗本願寺派本願寺”で、東本願寺の正式名称は、
”真宗本廟”です。

京都では、多くの人たちが親しみをこめて、西本願寺は「お西さん」、
東本願寺は「お東さん」と呼びます。

西本願寺は世界遺産に登録されていますが、東本願寺は4度の火災に遭い、建造物はすべて
明治時代に建造されたものであることから、世界遺産には登録されていません。

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