このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
大徳寺塔頭のひとつ。
この寺は、毛利家の菩提寺であり、毛利元就や小早川隆景の墓があります。
また、蒲生氏郷の墓もあります。
蒲生氏郷は朝鮮の役に従軍するため、会津から西に向かって行軍中でしたが、
京都で40歳の若さで病死してしまいます。
非常に優れた武将であったため、その才能に嫉妬した何者かに暗殺されたと
いう説もあるほどの急死だったようです。
蒲生氏郷の墓は他にもありますが、京都で亡くなったことを考えると、
この黄梅院にある墓こそが本当の墓なのかもしれません。
この寺は普段は非公開なので、拝観することはできません。
(拝観するには、はがきでの予約が必要)
臨済宗大徳寺の塔頭らしい、非常に美しい庭があります。
特別公開で観ることができましたが、写真撮影は一切禁じられていました。
毛利一族の墓や蒲生氏郷の墓は、この寺の檀家さんの墓と
同じ場所にあるからとの理由で特別公開時でも写真パネルでの公開
となっていました。
瓦にも毛利家の家紋が・・・
大徳寺塔頭。1588年(天正16)小早川隆景が建立。
方丈造りの本堂(重文)は、桃山時代の建築様式をよく表わしている。
襖絵の竹林七賢図・山水図(いずれも重文)などの水墨画は雲谷等顔筆と伝える。
囲式四畳半の茶室は武野紹鴎作「昨夢軒」と呼ばれる。(非公開)
建立:1588(天正16)年
大徳寺塔頭 黄梅院(おうばいいん)
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