このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大徳寺の二十二塔頭寺院のひとつ。
織田信長の菩提寺です。

天正十一年(1583)、信長の一周忌を迎え、その追善のために
豊臣秀吉が建立しました。

信長は遺骸が見つからなかったため、信長の木像を2体つくり、
1体は棺に入れて荼毘にふし、もう1体はこの総見院に安置されています。

信長は生前より、自身の法名を定めており、このお寺では、
「総見院泰巌安公」と伝わっているようですが、それがそのまま
このお寺の名称に使われています。
ちなみに、”総見”とは、すべてを見通すという意味だそうです。

このお寺には、信長の木像や一族の墓、また、茶室も三席ありますが
普段は拝観謝絶の立て札が出ており、それらを観ることはできません。
(毎年秋に特別公開があります)

井筒の部分が大きな朝鮮石で彫り抜かれています。
この石は、加藤清正が朝鮮出兵時、朝鮮から持ち帰ったと伝えられています。

この井戸は、今なお水が湧き出ており、毎朝のお供えに使用されています。

掘り抜き井戸

侘助椿

木が三本の枝に分かれ、その枝から紅白の花を咲かせるお茶人に
珍重される椿。

樹齢400年で、日本最古の胡蝶侘助とされ、秀吉がこよなく
愛したと伝えられています。

天然記念物に指定されています。

鐘・鐘楼

鐘楼は創建当時のもので、鐘・鐘楼ともに重文。
信長の家臣、堀久太郎秀政の寄進によるものです。

信長の墓

大徳寺塔頭 総見院(そうけんいん)

総見院
総見院
掘り抜き井戸
侘助椿
鐘・鐘楼
信長の墓

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