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室町時代の九州豊前豊後の領主でキリシタン大名として有名な大友宗麟が徹岫宗九に
帰依し、宗九を開祖として天文4(1535)年に菩提寺として創建しました。
境内には、大友宗麟夫妻の墓があります。
大友宗麟は、もともと大友義鎮と名乗っていましたが、22歳の折に得度を受け、名を宗麟と
改め、自らの法名「瑞峯院殿瑞峯宗麟居士」を以って、この寺を”瑞峯院”と名付けました。
この寺の庭は、独坐庭・茶庭・閑眠庭と3つありますが、これらはいずれも重森三玲氏によって
造られたものです。
大徳寺塔頭 瑞峯院(ずいほういん)
表門
参道
唐門
方丈
独坐庭(どくざてい)
峨々たる蓬莱山の山岳から半島になり、大海の荒波に絶え間なく打ち寄せもまれながらも
悠々と独坐しているという大自然の活動を表わしています。
手前の方は入り海となり、静かな風景を表わしています。
閑眠庭(かんみんてい)
大友宗麟が、キリシタン大名として知られていることから、7個の石組みからなり、
縦に4個、横に3個の石の流れが十字架に組まれ、万民の霊を弔っているといいます。
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