このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

メルボルン・シドニー

 
 

22日目(1993年9月9日)

 
 

メルボルンに7:30に着いた。やはりよく眠れなかった。雨が降っていた。メルボルンを観光した。ビクトリアマーケット、フラグスタッフガーデン、昔の監獄、フィッツロイガーデン、王立植物園、マーケットなど歩いて回った。マーケットでセーターを両親と自分の分を買った。(ウールの産地なので安い!!)昼前には雨も止み、植物園では昼寝をしてしまった。そのまままたメルボルンからシドニーまで夜行列車で行くという強行スケジュールになった。メルボルンは市内を観光した。そこのマーケットでウール製品などが安く売っていたのでセーターを買った。
そのままメルボルンにも滞在せず、また夜行列車でシドニーへ向かった。20:00アデレード発シドニー行きで、前より古い車両で混んでいてとなりもいたのでつらかった。

 
 


23日目(1993年9月10日)

 
 

列車の中ではさすがに疲れていたせいか前よりは寝れた。シドニーに9時に着き、駅の近くのバックパッカーに行った。まずGPO(中央郵便局)へ行き手紙をもらった。前もって郵便局留めで送ってもらえるようにしておいた。親と俊ちゃん(中学の友達)から手紙が来た。とてもうれしかった。
3日間バス・フェリーのフリーパスを買い、サーキュラキー、オペラハウス、キングスクロス、ダーリンハーバーを観光した。シドニーはやはり近代都市で高層ビルが建ち並んでいた。夜にシドニータワーに行き夜景を見た。とてもきれいだった。その後、ハーバークルーズをして帰った。

 
 


24日目(1993年9月11日)

 
 

2日間ちゃんとしたところで寝ていなかったので今日はさすがに寝坊して10:00に起きた。早速ボンダイビーチにバスで行った。まだ早春なのにビーチはにぎやかで、サーフィン、たこあげ、日光浴などしている人がいた。変なおじさんに話しかけられ、少し相手したがやらしい人だった。昼食を食べて帰った。次にマンリーへ行った。マンリービーチもきれいだった。カンガルー島であった女の子が教えてくれたサーキュラキーの上の高速道路のポイントから景色を見に行った。教えてくれたとおりきれいな景色だった。その後ロックスへ行って土産物屋をのぞいてたら途中で3人の酔っぱらいのおやじに飲みに行こうと誘われてついていってしまった。立ち飲みの飲み屋で3件行くから一人ずつ出そうという話だった。もうその前に結構飲んでいたみたいだった。周りの人に帰ったほうがいいよと言われた。たぶん常連でよくその人達を知っているんだと思う。それで途中で帰るのはすっごく恐かったので気付かないうちに逃げてきた。かなり最後はからまれたりして恐かったけど決して悪い人たちではないと思った。

 
  


25日目(1993年9月12日)

 
 

8:30に起きて外へ出たが店は全部閉まっていた。日曜日はみんな休みになってしまうようだ。土産物屋が1件だけ開いていて日本人の店員がいてすごく安くしてもらった。
そのあと母親の友達(女性)が近くに暮らしていたので会う予定になっていた。シドニーから約30分地下鉄に乗りチャツートという所に行った。その駅にその旦那さんと息子が車で迎えに来てくれていた。そこから少し行ったところにバーベキューするということだった。おばさんと近くのオーストラリア人のおばさんが来ていた。オーストラリアでの生活などいろいろ聞いた。やはり旅行に来るのはいいが住むとなるといろいろ大変なことが多いと言っていた。生活している人にいろいろ聞けてとても参考になった。
その後家に行った。家は庭付きのなかなか良い家だった。そこでバスケのゴールがあったので息子と遊んだ。3年間暮らしているらしいがオーストラリアのほうが楽しいと言っていた。駅まで送ってもらって別れた。

シドニーからサーファーズパラダイスへ夜行バスで行った。

 
  

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