長野県側では、国鉄の買収される事で運賃面や利便性などで有利になる事から
1939年(昭和14年)に「四鉄道国営促進期成同盟会」が結成され、
私鉄4社の買収を促す陳情が行われるようになります。
政府も私鉄4線は東海道本線と中央本線を結ぶ軍事上、重要的な路線であるという認識から
1943年(昭和18年)8月に国鉄によって買収、国鉄飯田線が誕生しました。
その後、1952年(昭和29年)5月のダイヤ改正では全線を約4時間30分で結ぶ
画期的な快速列車も運行を開始し、
1956年(昭和31年)には初めての優等列車である準急「天竜」が運転を開始します。
その後も様々な優等列車が走り、飯田線を賑わしますが、
中央自動車道の開通によって利用客は激減してしまいます。
1984年(昭和59年)には大垣〜飯田間を走っていた急行「伊那」が廃止、
1986年(昭和61年)には新宿〜駒ヶ根間を走っていた急行「こまがね」も廃止されてしまいます。
飯田線は優等列車が全廃され、ローカル輸送のみを受け持つ路線になりますが、
1992年(平成4年)に豊橋〜飯田間に特急「伊那路」が走り始め
飯田線初の特急列車となって話題を集めています。
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