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愛を忘れた街

 

プロローグ

  山田悦子の顔は怒気で満ちていた。あいつがあれほど勝手な奴だっなんて、よく知っていたつ

もりだったが、今度ばかりは頭に来た。婚約の段階になって、あんなことを言いだすなんて信じ

られなかった。同じB型人間だ、意見が自分本位でばらばらになるのは付き合っていた時から承

知していたことだ。しかし、限度というものはある。数カ月後、夫婦となってこれからの未来を

共に生活していかなければならない。人生の半分以上をあいつと分かちあい、子供のためにも家

庭というもの築き上げていく心構えだったのに、そんな謙虚な心持ちもどこかへ吹っ飛んでしま

った。

 いっそのこと婚約を解消してしまおうかとも、ふと思った。あんな奴と結婚してもうまくいく

のだろうか?結婚してから破綻が来てからでは遅い。今ならまだ間に合う。でも、それは問題を

残す現状があり、簡単には答えを出せなかった。結婚を急遽執り行うことになってしまった原因

があるかぎり。折角、幸せをつかみかけたと思っていたのに、ウェディングのゴールが離れてい

くような気がした。

 山田は愛車のシビックを知立に向け、かっ飛ばしていた。あいつの家で、あいつを怒鳴りちら

し、そのままの勢いで車を走らせた。普段これほど無茶な運転をしない彼女だったが、今は気持

ちが高ぶり、安全運転の励行など念頭になかった。憤りと悲しみと寂しさが混ざり合い、涙さえ

も目から横溢しそうだった。自分で自分を憐憫し、みじめな己をいとおしいと思った。

 その時、前方の交差点に左側から車が飛びだしてきた。山田の側が一時停止だったが、さまざ

まな感情に支配されていた意識はそれに気づく反応を遅らせた。気づいた時にはすでにブレーキ

は間に合わないかった。山田の普段持ち合わせていない反射神経が動きだし、ハンドルを右に切

ったが、速度の勢いは衰えず、シビックは歩道脇の電柱に激突した。

 フロントが潰れ、微かに白い煙が立ちのぼった。それと共に、クラクションの音が鳴り響く。

シビックのバックシートには後輩の土田からもらった、バルタン星人のぬいぐるみ「バルちゃん

」が、転がり落ちた。

 

  1  砂漠

 

 暑いのに冷たい。それが山田悦子にとって最初の感覚だった。背中がじりじりと熱せられる感

じと顔や腕脚の皮膚にひんやりとした感じがあったのだ。漆黒の闇が意識の中に覚醒し、体の感

覚が動きだした。意識が徐々に明確になっていくと自分の現状を考え始めた。

───どうしたんだろう?何があったの?・・・そうか、車をぶつけたんだ。ここは救急車の中

かしら、その割りには静かだわ。風の音しか聞こえない。それとも病院?でも、人の声が全く聞

こえない。

 

 全身の神経が目覚めていたので、試しにと手や足を少し動かしてみると、難無く動いた。次に

目を開いた。少々頭がくらくらする鈍い痛みがあったが、少しずつ瞼を開けた。開いた瞳にはま

だ闇が映っていたが、両端には僅かな光が射していた。自分がうつ伏せになっていることに気づ

き、山田は腕を立てて起き上がろうとした。掌が沈むのを感じるとともに視界は闇から光の中に

移っていった。彼女の体の下は一面の砂だった。腕と膝を立てて山田は起き上がり砂の上に座っ

た。眩しい光が目にしみり、眉毛の上に掌をかざして目が慣れるのを待った。何度も目をパチク

リさせているうちにやっと天を見ることができた。雲一つ無い青い空、まさに晴天そのものだ。

座った位置では周りは全て砂ばかりだった。どうやら、砂漠か砂丘のようだった。でも、なぜ自

分がこんなところにいるのか理解に苦しんだ。

 シビックに乗っていて急に交差点から車が飛びだし、避けようとして電柱にぶつかった。そこ

まではハッキリ記憶していたが、そこから先は何も覚えていない。救急車で運ばれたり、病院に

担ぎ込まれたりした記憶も全くない。そして、自分がなぜここにいるのかという理由は、皆目見

当がつかなかった。夢なのだろうか?だが、これはどう見ても現実だった。わざわざほっぺたを

つねらなくても分かる。

 山田は立ち上がった。あれだけのスピードで衝突したのにもかかわらず、体に異変を感じなか

った。痛むところはないし、鞭打ちになっている感じもない。パッと見たところ痣になっていそ

うなとこもなかった。まるで、事故った事の方が夢のように思えた。立ち上がってもやはり周り

は砂と青い空ばかり。周りの砂は山のようになっており、自分がちょうど谷底にいるようだ。

 山田は足をすくわれながらも砂の山を登った。登り切っても周りは砂ばかり。山田は途方に暮

れてしまった。しかし、このままここにいても仕方がない。砂漠は昼は暑いが夜になると急激に

冷えるという知識はあり、歩けるだけ歩くことにした。永遠に砂漠が続くのかもしれないが、こ

こで野垂れ死ぬよりはましだと思った。どっちの方角に行こうかと迷った。それで命運が決まる

こともある。どっちを見ても同じ景色で磁石など持っていないため、決めようがなかった。それ

なら太陽を頼りにと思い空を見上げたが、そこで山田はとんでもないことに気づいた。

───太陽が二つある。

 そう、山田の見た光の根源が二つあるのだ。一つの太陽を視界に捕らえた時、顔は固定して目

だけ右の方向に動かすともう一つ光の玉が見えるのだ。

───そんな馬鹿な?

 山田は事故の影響で目がおかしくなったのかと思ったが、足元を見て現実を悟った。影も二つ

あるのだ。足の根元から左右に三十度ほどの角度で影が広がっている。右に動けば影も右に動き、

左に動けば影も左に動く。同じ角度のままで。目の錯覚なんかではない。確かに太陽は二つある

のだ。

───じゃ、ここはどこなの?地球じゃないの?

 地球じゃない。そう考えるのが妥当だった。地球上で太陽が二つ見えるところなど無い。地球

の太陽は一つなのだから。なら、ここはどこなんだ?地球とは違う惑星なのか?そんな・・・?

全く持って信じられない現実だった。こういったSF映画のような不可思議な世界観を持たない

山田にとっては思考の限界だった。よく分からないまま見ていた映画のワンシーンのような気が

したが、映画のようにシナリオがある物語ではない。今は自分がそのシナリオを作らなければい

けないのだ。

 山田はとにかく歩くことにした。方向などどうでもよかった。こうなったら運を天に任せ、行

き当たりばったりで行くつもりだった。今までの人生もほとんど先のことは考えず、その場の思

いつきで生きてきたのだ。いまさら真剣に考えても仕方がない。そんな性分ではないと自分が一

番よく知っていた。

 だが、心細かった。こんな砂漠の度真ん中に一人でいることは耐えられない。暗い所、怖い

所、高い所など、嫌いな場所は幾らでもある。でも本当に一番嫌いなのは一人でいる事だった。

根っから陽気な彼女にとって仲間や家族のいない生活は考えられなかった。家でも学校でも職場

でも誰かと一緒にいなければ寂しいのだ。自分一人だけではしゃぐほど、脳天気な女ではない。

例えいつも明るく振る舞っているからといって、それは一人きりになるのが怖かったという思い

があったのだ。話す相手も、相談する相手もいないこの世界、しかも、ここは地球でないかもし

れない。こんな荒唐無稽な世界にいる自分は何なのだと思わざるをえない。もし、ここが地球で

ないとしたら、人間がいるのだろうか?もしかしたら無人の星なのかもしれない。それとも、生

物はいるが人間とは程遠い怪物がいるかもしれない。そういえば昔、何とかの惑星とかいう映画

で、砂から変な生き物が出てくる映画があった。それを思い出すと、砂の上を歩くのも恐ろしく

なってきた。

 目からはとっくに涙が溢れていた。しかし、照り突く二つの太陽の熱で頬を伝う涙はすぐに蒸

発してしまう。そして、いつしか涙も出ないようになってしまった。涸れてしまったのだ。それ

と共に喉も渇いてきた。汗はまだ出ているが、すでに体力、気力の方は極限に近かった。しかし、

まだ目の前に見えるものは砂ばかりで、これ以上歩く意気込みも徐々に消え失せてきた。

目前に大きな砂山がそびえ立っている。山田はもうふらふらの状態でその山を登り切った。どう

せ、砂漠が続くのだろう諦め気分で頂上に立つと、目の前には大きな川とその向こうに砂地では

なく岩肌の荒野があり、遠くには緑も見えた。山田は喜んだもののすぐに考えた。

───あれは、蜃気楼なんじゃない?

 そう思うと彼女は目の前が真っ暗になり、そのまま砂の斜面を滑り降りていった。

 

  2  街

 

 山田が意識を取り戻すとそこは荷台の上だった。周りには壺や瓶のような物が積まれており、

荷台がガタゴト揺れるたびにカチカチと小さな音をたてている。彼女は壺につかまりながら、中

腰になって前を見た。荷台のところには男らしき人物が二人おり、荷台を運ぶ動物を操っている。

その動物は馬のように見えたが、牛みたいな白黒の斑点があり、頭にはサイのような小さな角が

ある。山田は恐る恐る前の人物に声を掛けてみた。

「あの、すいません・・・」

「んー、ジリノー、女が気づいたみたいだぞ」と布切れを何枚も被ったような服装の男が振り返

った。男は肌の色が褐色で、髭もじゃであったが、人間の顔をしていた。山田はひとまずホッと

した。

「ここは、どこですか?」

「今は、ドーエン街道を進んでいる。もうすぐ、トーセの街だ」ジリノーと呼ばれた男が前を向

いたま答えた。西部劇に出てくるポンチョのような服を着たジリノーも、褐色の肌で少し頭髪が

薄い人物だ。

 トーセと言われても山田にはさっぱり分からない。

「ヤーハ、水でもやれよ」ジリノーに言われたヤーハが布で覆われた水筒のような入れ物から液

体を小さな器に入れ、山田に渡した。

 器の液体は透明で水のようだった。本当に水かと不安に思ったが、喉の渇きがその飲み物欲し、

少し舌で確認してから大丈夫と思い一気に飲んだ。

「あんた、一体あんな砂漠で何をしていたんだ。見たところトーセの人間でなさそうだし、オー

 リワ大陸の人間でもなさそうだな」ジリノーが無感情で尋ねた。

「それが・・・、私にもよく分からなくて。気がついたらあの砂漠に」

「それは、不思議な話だな。あんた、もしかして記憶喪失なのか?チーアからオリワを横断しよ

うとして何かの事故に巻き込まれたとか?」

「さあ、よく分かりません」

「まあいい。あんたも運がいいぜ。俺たちがあのそばを通らなければ、あんたは野垂れ死にだ。

夜になればあの辺は零下になる。まず、凍死だな」

「そうだぜ、俺が望遠鏡でたまたま覗いていたら砂山の斜面に人がいるのを見つけて、助けたん

だ。驚いたぜ、こんなところにチーアの女がいるなんて」ヤーハが笑いながら言った。

「そうですか。それはありがとうございました」

「まあ、感謝はあとでゆっくりしてもらうぜ」とジリノーが鼻で笑い、山田は嫌な感じがした。

 見知らぬ動物に引かれた荷車はどんどん進んでいった。いつしか、周りには木々や草が現れ始

め、遠くにも緑で覆われた山が望めた。そのうち、人家のような建物も現れてきた。ただし、ど

の家も木造の立方体の形をした家ばかりで、構造的にも見たことのない作りだった。そのうち、

木々が無くなりだすと、周りは街の様相に一変していった。人の往来も激しくなり、男も女も子

供もいた。どの人も、同じ様な肌をしており、山田の知る中近東からインドのような雰囲気だ。

街の様子は広い通りを挟んで様々な店がある。どこかの国の青空市場みたいで、活気にあふれ、

商品の売り買いに人々が奔走している。売っている物も果物や野菜、魚のような食料品から、ナ

イフのような金属製品を売っている店舗、陶器のような入れ物を売っている店など様々だが、山

田が見たことのない物が多い。

 荷車は大通りから外れ、煉瓦のような石で作られた建物の前で止まった。

「着いたぞ。お前は酒を下ろしておけ、俺はこの女をノーマツ様のところに連れていく」とジリ

ノーが命令した。

 二人は荷台から降り、山田にも降りるよう手招きした。ジリノーは長身の男だが、ヤーハは山

田より小さい小男だった。

「こっちに来な」と相変わらず無愛想な表情でジリノーが山田を呼び、何か不安を感じながらも

彼女は男に付いていった。二人ははドアのない入口から建物の中に入った。暗い通路を抜けると

、明るい大きな部屋に出た。木でできたテーブルや椅子があり、横にはステージのような台があ

る。反対側の壁にはさっきの荷台に乗っていたような壺や瓶があり、山田はここが酒場かレスト

ランだと考えた。

 ステージのところに男がいた。体格がよく厳めしい顔をした中年の男である。着ている服もペ

ルシャ絨毯のような柄の羽織をまとっている。

「ジリノー帰ったのか?いい酒は入ったか?」低い響くような声で男は言った。

  「はい、ノーマツ様。フーギ酒の上物がありましたし、エーミのナルツ酒もありました」

  「そうか、上出来だな。んー、その女は、どうした?」ノーマツが山田を睨み付けた。

  「ドーエン街道の砂漠で倒れているの見つけまして、連れてきたんです。どうやら、記憶を無く

しているようで、ここで使えると思いまして」

「そうか。見たところ、ヤゴナの人間らしいな。この辺では珍しいから、きっとよく売れるかも

な」ノーマツは唇を動かし、ニタリと笑った。

 山田は怯えた。この場の雰囲気は絶対によくない方向へ進んでいると確信していた。

「あのー、何のお話しですか?私をどうかするのですか?」

「はっはっはっ、当たり前だろ。何も持たずにこんなところへ来たんだから、ここで働いてもら

うぞ。記憶を無くして、途方に暮れてもここじゃ生きていけない。仕事を与えてやったんだ、そ

れに、これが命の恩人に対する礼というもんだ」ジリノーは山田の腕をつかみ鋭い目つきで言っ

た。

「えっ、ちょっと、待ってください。助けてもらったのは感謝しますが、そんな勝手に事を運ば

れたのでは」

「うるさい。いまさらじたばたしてもどうにもならんぞ。そのうちここでの生活に慣れるから、

それまでの辛抱だ」

「いやです。離してください」山田はジリノーの腕を振りほどこうとしたが、華奢な体格の割り

には力が強かった。そうこうしているうちに、ノーマツが近づいてきた。

「いい女だ。まず、俺が味見してみよう」と、ノーマツが山田の両肩に手を掛けた。

 これはもう危険の極地と思い、山田は逃げることを考えた。山田は思いっきり膝を振り上げノ

ーマツの股間を蹴り上げた。

 ノーマツは「ウォー・・・」と叫びを上げ、体を丸くした。ジリノーが「ノーマツ様!」と駆

け寄った隙に、山田は出口に向かって一目散に走った。

「あの女を捕まえろ」とノーマツは苦痛に喘ぎながらジリノーに命令した。

 山田は暗い通路を光に向け走った。出口で酒の壺を運ぶヤーハにぶつかり、壺が転がり割れ、

中から赤い酒が飛び散った。山田は構わず、人込みに向け突っ走った。壺が転がった拍子に倒れ

込んだヤーハに向け、追いかけてきたジリノーが「女を追うんだ」と言い、「ズーノ、お前も追

え」とヤーハを手伝っていた若い男にも声を掛けた。

 山田は右も左も分からないまま人込みの中を駆け抜けた。歩く人や手押し車にぶつかりそうに

なり、何度も転びかけたが後ろを振り返らず走った。しかし、街を把握している彼らにはかなわ

ない。先回りをしたジリノーが彼女の前に立ちはだかった。後ろへ戻ろうとしても、ヤーハと彼

の仲間らしい男が息を切らせながら立っていた。

「面倒かけやがって、素直に言うことを聞いてりゃいいものを、痛い目に遭うぜ」とジリノーが

恫喝した。

 周りの人はジリノーたちに怯えてか後ずさりしていった。彼らの評判は街の人間に知れ渡って

いるようだ。誰も助けてくれない。山田は絶望感と恐怖感に捕らわれた。

 ジリノーが歩きだし、山田の胸元をつかんだ。彼女は目をつぶり覚悟を決めた。その時、ジリ

ノーが急に苦しみだす声が聞こえた。山田は目を開け何が起こったのか確かめようとした。

 ジリノーの腕をつかむもう一つの腕が目に入った。ふと顔をずらすとそこには背の高い男が立

っていた。男と言っても顔を白い布で覆い、目しか見えない。服装も黒いスラッとしたドレスで

白いマントを羽織っている。

「若い女性を追いますとは、しけた奴だな」男は鋭い声で言った。

「何だてめえ、邪魔するな、怪我をするぞ」とジリノーも言い返したが、男につかまれた腕を取

り払えなくじたばたしている。

 すると、背後にいたズーノが腰から銀色の剣を抜き、男に向けて突き出した。「恰好つけると、

この剣がお前を貫くぞ」

 だが、白い布の男は身動きせず、目の反応も全くなかった。

 ズーノが剣を振りかざそうとした時、その剣を払うがごとく、もう一つの剣が現れ、ズーノの

剣を叩き落とした。ズーノがハッとすると、黒いマントに身を包んだ男が剣をズーノに向け突き

立てていた。

 山田はどうなっているのときょろきょろしていると、彼女の袖を引っ張る人物に気が付いた。

小学生のような髪の短い男の子だ。「お姉ちゃん、こっちこっち」と男の子は山田を引っ張り、

人込みの下をくぐり抜けていった。

 白い布の男が「このまま静かに去れ、そうすれば誰も怪我をしないからな」と言い、ゆっくり

ジリノーの腕を離した。そして、もう一人の男にも目で合図して剣を納めさせた。だが、ジリノ

ーは気が治まらなく、男が油断したと思い殴りかかった。しかし、男は意とも簡単にそれを避け、

ジリノーの腹と顔にパンチを食らわせた。ズーノも、もう一人の男に襲いかかったが、こちらも

簡単に交わされ、逆にズーノも背中に一撃を受けた。苦しみながら這いずるように二人は人込み

をかき分け、一人残ったヤーハもズーノの剣を拾って一目散に逃げていった。

 黒いマントの男が白い布の男に近づき言った。「ジーケンイット様、お怪我は?」

「ああ、大丈夫だ、ターニ。あんな奴ら屁でもない」と男は微笑んだ。

「ジーケンイット様、そのような下品なお言葉は?」

「厳しいな、お前は。それより、さっきの女性は?」

「ヒロが連れだしました。たぶん、広場の方にいると」

「そうか、では行ってみよう」

「はい」

 

「お姉ちゃん、ここまで来れば大丈夫だよ」男の子は山田を見上げて言った。

「ありがとう、坊や。でも、さっきの方々は大丈夫?」

「坊やはやめてよ。おいらそんなガキじゃないんだから。おいらヒロって言うんだ。ジーケン様

は大丈夫だよ。あんなチンピラになんか負けやしないから」

「御免ね、ヒロって言うの。その、ジーケンっていう人は誰なの?」

「えっ、知らないの?そうか、お姉ちゃん、ここの人間じゃないんだ。ああ、こっちに来たよ。

ほら」ヒロが指差す方向に二人の男がこちらに向かって歩いていた。

「大丈夫ですか?お怪我は?」ジーケンと呼ばれた男が尋ねた。

「ええ、大丈夫です。本当に危ないところを有り難うございました」

「いえ、大した事では。しかし、あんな奴らに追いかけられるとはどういう訳です?」

「それが、私にもよく分からなくて。気が付くと砂漠に立っていて、随分歩いたんです。結局、

疲れて倒れてしまったんですけど。それをあの人たちが助けてくれたんです。そこまでは、良か

ったんですが、あの人たち、私を無理矢理、酒場で働かせようとしたので、逃げてきたんです」

「そうですか。しかし、なぜ、砂漠なんかに?どうやらあなたはチーア大陸のヤゴナ人のようで

すが、そんな遠くの方がこんなところへ何をしに?」

「ですから、それが分からなくて・・・」山田には説明しようもなかった。自分が日本人、もし

くは地球という星から来たと言っても、通じないことは明白だったからだ。ここは記憶喪失で押

し通すことにした。「さっきの人たちも記憶喪失だろうと言ってましたが・・・」

「では、名前も分からないので?」

「いえ、名前は・・・」山田はここの名付けかたは英語式かと考えて「エツコヤマダ」と答えて

おいた。

「エツコヤマダ?変わった名前ですね。申し遅れました。私はジーケンイットと申します。こっ

ちは私の従者ターニ、そして、この子はヒロです」と言いながら、顔の布を取り除いた。

 ターニは軽く会釈をした。ヒロは「もう言ったよ」と子供っぽく言った。

 山田はジーケンイットの顔を見てときめいてしまった。自分の理想である「トム・クルーズ」

と加瀬大周を足して二で割り、褐色の色付けをしたような好男子だったからだ。歳は自分より若

く見えたが、そんなことも構いはしないと少女マンガのように目をキラキラさせた。

「エツコヤマダ、どうかしましたか?ボーッとされて」

「いえ、何でもないんです。はい。あっ、それと私のことはエツコと呼んでください。エツコヤ

マダでは変なので」

「はは、分かりました。それでは、これからどうします、エツコ。あなたはこの地の方でないし、

記憶を無くしておられるのでは、生活もままならない。どうです、記憶が戻り、チーアへ戻れる

状況になるまで私の家に来ては?いやいや、大丈夫ですよ。私はさっきの男たちのような危ない

男ではないので」

 危ない男だろうと、何だろうと、山田はこの男を顔だけで信用してしまっていた。それに、渡

りに船だ。見ず知らずの街に来て頼れるのは彼らしかいない。山田は二つ返事で、一応遠慮がち

に返事をした。「ありがとうございます。御迷惑かもしれませんが、お言葉に甘えさせてもらい

ます」

「そうですか?それは良かった。じゃ、すぐにも行きましょうか。ターニ、先に行って準備をす

るよう伝えておいてくれ」そう言うと、ターニはさっと走り去り、人込みの中に消えていった。

「あいにく、カウホースを連れてこなかったので、申し訳ないが歩きでお願いします」

「いえ、構いません」

 ジーケンイットとヒロに付いて山田は歩いた。はっきり言ってもうへとへとで歩きたくはなか

ったのだが、彼らの前で女々しい姿を見られたくはないと、気力で歩いた。ヒロは元気が余って

いるのか走り回ったり、飛び跳ねたり、または山田にいろいろ話をしてきた。山田もこの子には

心が解き放たれた思いになり、安らぎを覚えた。山田にも母性の本能が目覚めつつあったのだろ

うか?

 ジーケンイットとは何者だろう。恰好いいだけでなく、態度も言葉使いも身のこなしまで紳士

的だ。ターニという従者もいることから考えても、この街の金持ちか、領主、庄屋のような家柄

の御曹司のような気がした。まさに玉の輿と思わず思ってしまった。

 三人は街から離れ、山の方へ進んでいった。周りは森林だらけだが、道は結構整備され、道幅

も広い。目の前にそびえる山を回って大きく沢が広がったところに出ると、目前に大きな建物の

群れが見えだした。それはまるで、歴史の教科書で見たような城そのもので、はたからみても立

派で荘厳な建物だった。

 山田は恐る恐るヒロに尋ねた。「ねえ、ヒロ。もしかして、ジーケンイットさんの家ってあれ

なの?」

「そうだよ。あれがジーケン様の城だよ」

「城?城ってどういうこと?」

「だってさ、ジーケン様はあの城の王子だよ。ブルマン王朝の」

「お・う・じ?」山田は驚いて言葉に詰まった。

 

  3  城

 

 幅広い道が通る森を抜けると、そこからは木々のない草原が広がる。目前の建物まではまだ一

キロ以上ある。城の防御として隠れる物がないようにしてあるのだ。草原には、ジリノーたちが

操っていたのと同じ動物が放し飼いにしてある。角がある馬と牛のあいのこのような生き物で、

カウホースとヒロが教えてくれた。確かに馬と同じように黒やブラウン、白いのなど数十頭のカ

ウホースがのんびり草を食べたり、走り回ったりしている。

 雄峰な岩山の麓に白を基調とした城があり、城の前には大きな堀と、城壁がある。城壁はコン

クリートのようなつなぎ目のない石でできており、見た目にも頑丈そうだ。城壁の上には人が見

張れるような砦が等間隔で配置されていたが、人がいる様子はない。

「ヒロ、城のわりには警戒厳重という感じがしないけど、大丈夫?」

「警戒って、ああ、大昔、三百年以上前はあちこちで戦があったから、必要だったけど、今は戦

争なんて全くないから、無意味な物なんだ」

「そうです、戦争という醜い出来事は今はありません。オリワ大陸の各城主はそれぞれの領土を

明確な境界で区分しており、すべてが互いに和平を結んで、政治面・軍事面において共同体を組

んでいます。今やオリワ大陸は一つの大きな国になっています。ただ、あなたの故郷・チーアや

ワミカとは貿易としての交流はありますが、国としての明確な関係は結んでいません。特に、ワ

ミカの国々は領土を拡大しようという考えを持っているようで、ガーソワキ海峡はワミカとの境

界のため、常時監視が必要です。ヤイヌの国がその警備にあたっていますが、同盟である我々も

適宜、兵を送っています。ですから、戦争はなくても軍はあり、トーセの街の治安も軍が見てい

るのです」ジーケンイットが説明したが、山田にはさっぱり分からなかった。分かる範囲でまと

めると、ここはオリワという大きな大陸で、その中に沢山の国があり、それぞれは同盟関係であ

る。その国の一つがジーケンイットが治めるトーセなのだ。そして、ジーケンイットたちは山田

のことをオリワとは別の大陸、チーア大陸の人種、ヤゴナ人と思っているらしい。

 城壁の中央に大きな石でできた門がある。その門の堀を越した前に真四角な木造の建物があっ

た。城に出入りする際の検問所で、四、五人の男が中にたむろしていた。三人が近づくと中から

二人の男が飛びだしてきた。青を基調にしたガードマンのような服装で、腰に短剣をぶら下げて

いる。戦争がないため、比較的軽易な装備だ。

「王子!また、勝手に御外出を!あれほどお止めくださいと申しておりますのに」老練の男が血

相を変えて言い寄った。

「まあ、堅いこと言うな、テムーラ。城にいても暇なんでな」

「しかし、それでは、我々としての示しがつかないことに・・・」

「別にお前たちが悪いわけではないから、気にすることはない」

「ですが、王子、一体どこから城の外に出られるのですか?この正門はもちろん、裏門、オリト

門も我々が四六時中警戒していますのに」もう一人の若い門兵が言った。

「エーグの言うとおりです。今後の警備のためにもお教え下さい」

「それは駄目だ。秘密の出入口は教えられない。我々だけの秘密だからな」

「王子・・・!ヒロ、お前も知っているのだろう。ちゃんと私に話せ」

「いやだよ。ジーケン様との約束だからテムーラには教えない」

「なんだと、ヒロ!」テムーラがヒロを小突こうとしたので、ヒロは山田の背後に隠れた。その

時、テムーラは山田の存在に気づいた。

「おっ、これは失礼。王子、こちらの方は?」

「チーアの人だ。何か訳あってこの地に来たのだが、記憶を無くしたようで、街でチンピラに絡

まれていたのを助けたんだ。それで、城へ案内したのだよ」

「そうですか。それは、大変なことで」

「いえ、こちらこそ、お世話になります」山田は職業的な挨拶を思わずしてしまった。

「とにかく、開けてよエーグ、おいら、もう腹ぺこで早く飯が食べたいんだ」ヒロが腹を押さえ

て言った。

「これ、ヒロ、礼儀正しくないぞ。王子のお世話になっているのだから、もっとちゃんとしろ」

小うるさい親父のようにテムーラは怒鳴ったが、山田にはこの男もヒロの事が可愛いのだろうと

思えた。

「私も、おなかが空いたし、エツコも空腹でしょう。まあ、小言はまた後で聞いてやるから、早

く門を開けなさい」王子の命令には逆らえず、二人とも黙って門を開けることにした。

 城壁の門の下から、堀を渡る橋が現れ、こちらの岸に付くと、門が両側に開いた。堀の水が泡

を立てているので、水圧を使った動力で動くようだ。

 木の橋を渡り、門を潜ると目の前に巨大な建物が現れた。城壁とその建物の間は野球のグラウ

ンドぐらいの広場がある。中央は石で作られた道があり、その両側は芝生のような緑の草ですべ

て覆われていた。石道の終わりにはローマの遺跡のような巨大な柱が立ち、その上にバルコニー

がある建物、その両側は二階建てで、一階には窓がないが二階が大きな窓になっている部屋が左

右に並んでいる。その背後に大きな円形型の屋根を持つ建物がそびえている。建物はすべて御影

石のような美しい石でできており、床もすべて大理石だ。近くで見れば見るほど、その作りの美

しさと、荘厳さに息を呑むほどだ。

 大理石の階段を上ると、建物の入口である石の扉があった。そこにも衛兵がおり、テムーラか

ら連絡があったのか、三人を見るとすぐにその扉を開けた。ジーケンイットに付いて山田はその

中に入った。そこは大広間で、正面と左右に階段があり、その周りを円形に柵が覆ってあった。

真上には炎が灯ったシャンデリアがあり、外からの風で僅かに揺れている。床から壁、天井にい

たるまですべて白い石で覆われ染み一つないほどの眩しさだ。

 山田は周りを見ながらポカンとしてしまった。ヨーロッパに行った時に見た城以上のものだ。

夢を見ているのだろうか?この異世界に迷い込み、自分の行く末さえ分からない状態だったのに、

今はここにいるのことが最良の日々に思えた。砂漠でさまよった苦しみも、チンピラに追われた

恐怖も全て忘れてしまった。そして、自分の本当の世界の事も忘れそうになっていた。

 正面の階段から、三人の人物が降りてきた。真ん中の女性は黒い長い髪をした若い女の子で、

両側にはそのお供のような小柄の女性が一歩下がって歩いてきた。真ん中の女性は腰の部分をキ

ュッとしめた純白のドレスをまとっている、両側の女性は紺色のワンピースにエプロンのような

白いまとい物を胸から掛けていた。

「お兄様、また、お忍びで外出ですか?」女の子は呆れた表情でジーケンイットに言い寄った。

「フーミ、もう聞き飽きたぞ。お前もテムーラみたいな事をいうのか、そんなんだと、将来、妃

になれないぞ」

「大きなお世話ですわ、そんな事。それに私はまだ十五です。そんな歳ではありません」

「十五ならそろそろ考えねば・・・」

「そんなことより、そちらの方は?」

「ああ、お客様だ。ターニからもう聞いているだろ」

「ええ、さっき聞きました。チーアの方ですね」

「は、はい。エツコと言います。初めまして」

「よろしく。私はフーミと言います」この国の挨拶なのか、フーミは胸の前で手をひろげ、軽く

頭を下げた。山田も慌ててその真似を返した。

「私の妹です。小うるさいだけが取り柄で、しょうもない子ですよ」

「お兄様、お客様に対してそんなことを」

「いいじゃないか、どうせ、畏まったって、すぐに露顕するのだから」

「お兄様!」

「母上に似てきたぞ、その言い方」

 山田にはこの兄妹がとてもこの城の王子と王女には見えなかった。その辺にいそうな普通の兄

妹に見えた。

「それじゃ、エツコのことを頼むぞ。私も夕食の前に着替えたいからな。それでは、エツコ、夕

食の時にまた。その時、父上たちにも会ってもらいますから。ヒロ、行くぞ」と言って、ジーケ

ンイットはヒロと階段を上り奥に消えた。

 一人取り残された山田がきょろきょろしていると、フーミが二人のお付に言った。「では、マ

ーリとミーワがお世話しますので、お部屋に行きゆっくりしてください。夕食の時間になったら、

お呼びしますから。じゃ、あとよろしくね」

 フーミも階段の奥に消えると、二人の女性が「こちらへどうぞと」山田を導き、左側の階段を

上っていった。階段を上りきると、その奥に明かりの灯った廊下が続き、両側に幾つも扉があっ

た。ここがお客用の宿泊施設のようだ。その内の一つをマーリが開け、中に山田を入らせた。部

屋は山田の家が一軒入りそうな広さで、ここもすべて石作り、窓にはガラスがあり、絨毯のよう

なカーテンが敷いてある。床はやはり大理石でピカピカだ。窓際に大きな屋根のあるベッド、そ

のとなりに応接セットのような長椅子と、ピンポン台ほどのテーブルがあり、入口の右側には暖

炉があって、すでに火が炊かれていた。

 山田がボケッと突っ立っているので、ミーワが恐縮しながら言った。「あの、お風呂はこちら

ですので、お疲れでしょうから、お入りください。その際、今お召しの御衣装は洗わせてもらい

ますので、ベッドの上のドレスにお着替えください。

「は、はい。分かりました」我に返った山田は言われるままに返事をし、左側にあるバスルーム

へ入った。

 バスルームももちろん広い。自分の部屋ぐらいはあり、浴槽も山田が入ったら溺れてしまうく

らい広かった。風呂はすでに沸いているようでほんのり湯気が立っている。温泉のように浴槽の

縁から湯が流れ、満ち満ちた湯が溢れていた。石鹸もタオルも洗面器も見当たらなかったが、と

にかく山田は服を脱ぎ、湯船に飛び込んだ。砂漠を抜け、荒れた大地を通り、悪人に追いかけら

れたために、体は汗と砂で汚れていた。ちょうどいい湯加減が体の疲れを癒してくれた。まさか、

こんなお風呂に入れるなど、さっきまでは夢のまた夢だったのに。全身を湯に浸け、心の不安ま

でも洗おうとした。気が付くと、湯に浸かっただけなのに体や髪の汚れが落ちていて、髪もリン

スをしたようにさらさらしていた。しかも、お湯は全く汚れていない。だから、石鹸などもなか

ったのだ。不思議な水だと山田は思ったが、ここにいること自体不思議なのだから、無理に考え

ようとはしなかった。

 風呂を終えて、部屋に入ったが自分の服が何もないのに焦った。確か、マーリたちが洗うと言

っていたが、下着から靴まで全部持っていってしまったのには閉口してしまった。だが、もう二

人ともいないのでどうしようもない。ベッドに行き、置いてある服を見たが、シミーズのような

下着しかなく、あとは白いゴージャスなドレスと小さな薄紅色の靴しかなかった。参ったな、と

思いつつも仕方なく着用することにした。

 鈍感な山田は気づいていないが、衣類を一式洗ったのには訳がある。本来の洗濯の意味もある

が、山田の正体が明確につかめないため、何か危険なものを所持していないかのチェックも行っ

ていたのだ。とくに、チーアのヤゴナ人と思われているため、スパイかもしれないという疑いは

持たれていた。

「危険な物は持っていないようね。本当に砂漠を漂流していたみたい」マーリが言った。

 山田の服を洗濯場に運んだマーリとミーワは不思議そうに彼女の服を眺めた。白いシャツや靴

下は、まだ理解できたようだが、見たことがないジーパンには戸惑っていた。

「マーリ、こんなゴワゴワしたものよく履けるわね」とミーワが尋ねた。

「そうね。あの方、チーアの人らしいから、きっと向こうの流行なのよ」

「そう、私の兄が街で衣料品店を営んでいるから、教えて上げようかしら。きっと、儲かるわ」

「ねえ、ねえ、これ何?こんなもの何に使うのかしら」とマーリがブラジャーを両手で持ち上げ

た。

「それは、きっと目隠しよ。砂漠を越える時に、目を守るために使うのよ」ミーワが確信を持っ

た表情で答えた。

「じゃ、これは何?これも、そう言った物?」と今度はパンティを掲げた。

「それは多分、口を覆うものよ。砂が入らないように」と、マーリの持つパンティを取りミーワ

は口に当てた。

「なるほどね。チーアの文化って進んでいるのね」

「これも、兄に教えて輸入品が入る前に売り出そうかしら」

「そうした方がいいわ。きっと売れるわよ」

 数カ月後、トーセの街では変わった物が流行していた。

 

  4  王家

 

 山田はドレスに着替えベッドに寝ころんでいた。テレビもなければラジオもない。静かなこの

生活に現実を思い出し、寂しさを感じた。外はすでに夜のとばりとなり、真っ暗だ。ただ、月が

出ているのか外は明るく、窓から見える城の広場も目に見えた。それも、そのはず、月が二つあ

るのだ。この国でも月と言うのか知らないが、いわゆるこの星の衛星が二つ夜空に並んで出てい

た。月のような薄い黄色ではなく青白い光を放ち、肉眼で見える模様も表現のしようがないもの

だった。二つの月を見ることが、今自分が異世界にいることを実感させ、自分の世界のことが思

い浮かんだ。

───私、どうなるのかしら?このままここでくらすの?元の世界には戻れるの?まあ、あの王

子の下で暮らすなら、玉の興かもしれない。でも・・・

 山田はあいつのことを思い浮かべた。現実の世界では自分はどうなっているのだろう?事故に

遭った車の中には山田の姿はなかったのだろうか?もし、そうなら、家族やあいつはどう思うの

だろう?もし、この世界から帰れないのなら、あんな別れ方をしたことを山田は悔やんでいた。

白いドレスがウェディングドレスを想起させた。すでにドレスは実家に用意され、彼女の晴の日

を待っている状態だった。もう、それも着れないのか、山田は涙ぐみ始めた。その時、扉をノッ

クする音が聞こえた。「はーい」と言って山田がドアを開けると、ヒロが笑って立っていた。

「お姉ちゃん、夕食の時間だよ。王たちが待っていられるから、早く行こう」

「えっ、王って、この国の王なの?そんな偉い人に私なんかが会ってもいいの?」

「だって、お姉ちゃんは、ジーケン様のお客だろ。そんな遠慮することもないよ。それに王や女

王もいい方だし、心配することはないよ」

「そお、分かったわ。待たせては申し訳ないから、すぐ行くわ」山田はバスルームの鏡でもう一

度身なりを整え、靴を履いてからヒロの後に付いていった。

 客間から、玄関である大広間を通り、正面の階段を登ると屋根だけある長い廊下がある。両側

には焚き火が灯され、道を照らしていた。途中で左右に別れる道があるがそちらは城の使いの者

や警備兵たちの母屋につながっている。それを過ぎると、入口で見た大きな円形型の建物が目前

に迫った。一階の入口も宮殿のような凝った作りで、大きな石の扉があり、二人の衛兵が直立不

動で立っている。

「じゃ、お姉ちゃん、王たちはこの奥だから」

「えっ、ヒロは来ないの?」

「だって、ここからは王家の住居だよ。王家の人や特別なお客様しか入れないよ。おいらはここ

まで。じゃねー」とそそくさと戻りだしたが、途中で「後でお部屋にいってもいい?」ときかれ

たので「いいわよ」と笑顔で答えてあげた。

 私だけと戸惑ったが、前に行くしかない。衛兵に軽く会釈して石の扉から中に入った。そこは

小さな部屋でその奥に執事のような男が二人おり、山田を見ると深く礼をして、目前の扉を引い

た。山田はここで気分を改めきちんとしようとした。ただ、下着をつけていないのがどうしても

気になる。まあ、ブラジャーはどのみちつけていても意味がないので問題ないが、下を付けてい

ないのは慣れないのと、恥ずかしいので落ち着かない。むろん、透けるようなことはないが、付

けていないという意識だけで顔が赤くなりそうだ。

 開かれた扉の中には大きな広間になっており、真ん中に長いテーブルがあった。テーブルの上

には色鮮やかな花と様々な料理が既に並べられている。山田の正面のテーブルの奥に男が座って

いた。彼が王のようだ。山田は初め、王なのでもっと髭もじゃで、冠を被り派手な衣装でも着て

いるのかと想像していたが、実際には黒を基調としたワンピースに白い羽織物を肩から掛けてい

るだけで、派手派手しさはない。もちろん、王冠なども被っておらず、ジーケンイットのように

少し長い髪をしているだけだ。顔も王というよりは紳士的な甘いマスクで、スタイリッシュな貴

族という感じだ。テーブルの左側に女性がいた。王妃だ。王妃も王の服装に揃えているのか、派

手な服装ではなく、白一色のスマートなドレスを着ている。顔だちも丸顔のショートヘアー、美

人には間違いないが想像していたよりも若く、かわいささえも感じられた。王妃の隣にはフーミ

がさっきの服装でいる。その反対側のテーブルにジーケンイットはいた。彼も王のように黒いワ

ンピースを腰のベルトで閉め、スリムな体型を見せていた。

 山田が広間の中に入ると全員が立ち上がり、挨拶である手を胸の位置におくポーズをした。山

田もその通りに挨拶を返した。

 ジーケンイットが山田に近づき、王たちに紹介した。「父上、母上、こちらが先程お話しした

エツコ殿です。そして、エツコ、こちらが私の父と母、このブルマン王朝の王です」

「エツコ殿、よくいらした。私がシンジーマーヤ・ブルマンです」王はもう一度挨拶をした。

続いて、王妃が「アズサーミです。どうぞ、よろしく」と偉い人のわりには謙虚な態度で挨拶し

た。

「では、エツコこちらへ」とジーケンイットの手に誘導され、山田は彼の隣に座った。彼女が座

ると一同も座り、目の前のフーミがニコリと笑ったが、山田は笑い返せなかった。

 山田はこんな格式張った舞台に出たことがないので、何と言ったらいいか頭が混乱していたが。

しかし、とにかく何か言わないといけないと思い、口を開いた。

「ほ、本日は、私のような不届き・・・、不束な者を御招待いただき、あ、ありがとうございま

す」と支離滅裂なことを言いだすと、シンジーマーヤ王は笑って言った。

「エツコ殿、そんなに堅くならなくてもいいですよ。もっと気楽にしてください。そう緊張され

ると、返ってこちらが堅苦しくなるので」

「ええ、あ、ありがとうございます」と言い、少し気分がほぐれた気になった。

「では、乾杯しましょうよ」とフーミが言うと、彼らの背後から給仕が現れ、それぞれの前に置

かれている青い透明なグラスに酒を注いだ。

「エツコは酒をたしなみますか?」とジーケンイットが心配げに尋ねたので「ええ、少々なら」

と本当は酒豪のくせに、しとやかな返事をした。ただ、この世界の酒がどんなものかという不安

もあったが。                   ひと

 酒が皆にまわるとジーケンイットが「美しき女の来訪と、ブルマン王朝の繁栄を祝い、乾杯!

」と言って杯を挙げたので、皆もそれに従い「乾杯」と声を挙げた。山田は皆がグラスに口を付

けたのを確認してから、自分も酒を飲み込んだ。ワインのような味だが、実においしかった。口

当たりがよいと思うと、喉の奥がほんわかする不思議な感覚で、一本欲しいと思ったぐらいだ。

 酒の味に惚れ込んでいると、アズサーミが質問してきた。「エツコさんは、御記憶を無くした

そうですけど、まだ、何も思い出していないのですか?」

「は、はい。まだ、名前しか」ここは記憶喪失を押し通すつもりでいた。

「そう、それはおかわいそうに。何も手掛かりになるような物もお持ちでないの?」

「はい。何も」

「何か大変なことがあったと思われるが、まあ、記憶を戻されるまではこの城で静養してくださ

い。そのうち、何か思い出すでしょうに」シンジーマーヤ王がほがらかに言った。

「いえ、そんな、いつまでもこちらに御迷惑をおかけするような真似は・・・?」

「何、構わんですよ。フーミも一人で寂しい、いい話相手になってくださらんか。ん、それより

もエツコ殿は教養がありそうですな、ぜひフーミの家庭教師の一員にでも・・・」

 教養があると言われて山田は照れたが、異世界で何を教えるというのか。まさか、コンピュー

タのことを話すわけにはいかないし、あとは栄養学でも教えるしかない。

 今度はフーミが言った。「ヒロが結構お姉ちゃんと慕っておりますわ。あの子、一人きりです

から、嬉しいのじゃないかしら」

「そうか、ヒロもジーケンイットのお守りだけではつまらないからな」

「父上、そのような・・・」

「はっはっはっ、それよりもお前の方が気に入っているのか?少々年上のようだが、お前のよう

な腰の落ち着かない者には、お似合いかもしれんぞ」

「父上、そのようなことを言っては、エツコに失礼ですよ」とジーケンイットには珍しく、照れ

た表情を見せた。

「そうであったな。これは失礼した。はっはっはっ」

 山田もつられて笑ったが、ジーケンイットなら本当にそうなってもいいと思い始めていた。王

も王妃ももっと堅物で厳格な人と思っていたが、案外にも温和で人柄がいいことに、山田もホッ

としていた。

 料理も食べるように勧められ、目の前の御馳走を口にした。魚や肉もあるが味は素晴らしかっ

た。ただ、それが何なのかよく分からないのは考えものだったが、王たちが食べる食事なのだか

ら、決して変な物ではないはずだ。フルーツも見たことのないものばかりだが、味はバナナやキ

ウイに近く、どれも美味であった。酒も勧められ、山田は喜んでいただいた。ちょっとやそっと

の酒では酔わない山田なので、醜態をさらす心配もない。

 夢のような時間は過ぎ去り、晩餐も終わりに近づいた。山田にとってはダイアナ妃たちと食事

をしているようなものだ。この世界に来たのもまんざら悪いことではないと思い始めていた。

 最後にまた明日と言って、ジーケンイットたちと別れたが、「明日」という言葉に彼らが少し

顔をしかめたのがちょっと気になった。

 部屋に戻り、ネグリジェのような寝具に着替え、ベランダ越しに夜空を眺めていた。二つの月

はさっきよりも動いている。この星も自転をしているようだ。澄んだ空には星も瞬いていたが、

山田が知っている星座はどこにもない。もしかしたら、あの星の一つが地球の太陽かもしれない

と大袈裟な空想をしていた。そんなSF小説みたいな話があるのだろうか?知的生命のいる星は

宇宙のどこかにあってもおかしくない。しかし、地球から何万光年も離れた星に自分がいるとい

うのが全く信じられなった。この星空の遙か遠くに仲間たちや親類がいるのだろうか?それは、

彼女の思考力の限界を越えている話だった。

 入口の戸を叩く音がした。ヒロだと思い「どうぞ」と言うと、ヒロが静かに入ってきた。

「お姉ちゃん、何見ているの?」

「星よ。星を見ていれば何かを思い出すかもと思って。星はいつも変わりないから、ずっと見て

いたはずよ。だから・・・」山田は泣きそうな顔になりベランダから乗り出した。

「お姉ちゃん、悲しいの?でも、分かるよ、おいらも独りぼっちだから」

「独りぼっち?ヒロにはご両親がいないの?」

「うん、おいらの小さいころ病気で死んだんだ。その後、おいらは同じ様な仲間たちだけで、生

きてきたんだ。盗みや大人を騙したりしてね。でも、ある日、おいらだけ捕まったんだ。そのま

まだと強制労働をさせられるところだったんだけど、たまたまジーケン様がお忍びで街に来てい

て、おいらを見つけ連れ帰ったんだ。もう、悪いことはしないと約束するなら、城に置いてやる

と言われたから、ずっとこうしてきたんだ。だから、今はジーケン様の従者として、ターニの弟

子になっているんだ」

「そうだったの」山田はヒロに同情した。自分と同じように独りぼっちなことが彼女の心を震わ

せた。腕白だけど素直なこの子を本当にいとおしく思うようになっていた。

「ヒロは独りぼっちじゃないじゃない。ジーケンイット様やフーミ様もいるし、今は家族みたい

なものでしょう」

「家族?家族って何?」

「家族っていうのは?親がいて子供やその兄弟がいることよ」

「じゃ、おいらは違うじゃない。だれも血のつながる人なんていないんだもん」ヒロは不貞腐れ

たように言った。

「んーん、血のつながりだけが家族じゃないのよ。たとえ血が繋がっていなくても、愛していれ

ばそれで家族なの」

「愛?おいらにはよく分からないな」愛の説明までは幼いヒロにできなかった。

「もう、遅いからお休み。また、明日、お話しましょう」

「うん、分かったよ。でも、明日は・・・。まあ、いいや、また明日来るね。お休み」

「お休み」何か皆、明日にこだわっているな、そんな思いを胸に、山田はベッドにもぐり込み疲

れと不安ですぐに眠ってしまった。

 

  5  生贄

 

 カーテンを閉め忘れていたので、朝の木漏れ日が顔を照らして眩しかった。だが、それ以前に

窓を通して聞こえるざわめきにより、意識の方はすでに覚めていた。

───何なのだろう?こんな朝っぱらから?

 ベッドの中でまどろんでいると、山田を揺り動かす者がいた。

「お姉ちゃん、いつまで寝てるの?もう朝だよ」

「ヒロ、何時なの?」

「六時だよ」

「六時?まだ、寝れる時間じゃない。外が騒がしいけど、もう少し寝させて」

「何言ってるんだよ。六時ならもう起きなきゃ」とヒロは山田のわがままに関わらず、揺らし続

けた。

 山田は寝とぼけていたが、彼女は重大な事を見落としていた。この世界の時間と山田の世界の

時間とは基準が違うのだ。時間という尺度は星の公転、自転から決めるものだ。そうなると、こ

の星が地球と全く同じ動きをしているとは思えない。すなわち、一日の時間の感覚というものは

山田は身に着けているものとは違うのだ。山田にとっての六時とヒロたちの六時は全然異なって

いる。

 ヒロがあまりにもうるさいのでしかたなく山田は起きた。長椅子の上に自分の服が置いてあっ

たので、ヒロに向こうを見させ着替えた。綺麗にしかも完全に乾いていた。やはり、ここの水は

何か違うのだろうか?やっと下着も付けることができて、ホッとした。男ではないのでふんどし

を締めるという事ではないが、気分はやはり違う。

 窓際にいるヒロのところへ行き、外を覗いた。騒がしいはずだ、城と城壁の間の広場には人が

びっしり埋まっている。比較的歳を取った中年以降の男女か、若い男しかいず、若い女は稀だっ

た。

「ヒロ、何があるの?こんなに人が集まって」

「うん」ヒロはいつもの元気さをなくし、沈んだ声で言った。「今日は生贄を決めるんだ」

「生贄?」

 

 トーセの街とこの城の間には大きな森がある。その森を抜けると荒涼とした岩だらけの峻嶺な

山々が連なるスターライト連山がある。その中の一つ、セブンフローという山の中腹に大きな岩

穴があり、そこにはトゥリダンと呼ばれる竜、ドラゴンが生息しているのだ。トゥリダンは普段

穴の中で静かに眠っているのだが、毎年この時期になると目を覚まし、下界に降りては暴れまく

る。トーセの人たちはそれを鎮めるため、生贄を差し出すことを決めた。生贄は若い乙女の女性、

具体的には十五から二十五までの未婚で清らかな女性だ。毎年その行いを執行することで竜の怒

りを鎮めていた。それは数百年もまえから執り行われてきた掟であった。トーセの住民は女の子

が誕生すると複雑な心境にかられる。もちろん、産まれた事は嬉しいのだが、この子が将来竜の

犠牲になるかもという不安も同時に生まれるのだ。それが十年間続く。トーセの掟では女児が生

まれた場合、二十五歳までトーセを離れることを厳しく制限した。また、結婚も二十五までは許

されず、純潔を保つのも当然の義務であった。また、妊婦も出産するまでは厳しい監視下に置か

れる。これらに背けば、女本人はもちろん、家族も同罪とされ厳しく罰せられる。親からみれば

娘を生贄にするなどとは断腸の思いであるが、トーセの街を守るためには仕方のないことだった。

そして、今年の生贄を決める日が今日であった。

 山田はヒロから説明を聞き、驚いた。この世界はまともなとこかと思い始めていたのに、やは

りとんでもないところだった。竜がいるなんて信じられない。何か宗教的な儀式の誤魔化しでも

しているのではと、ヒロに問いただした。しかし、ヒロは数年前、生贄が直前で逃げだしたため

に、竜が怒り街を炎の海にしたのを見ていると言ったから、どうやら本当のことだ。

───竜か?見たいような、見たくないような

「でも、ヒロ、毎年生贄を出すぐらいなら、退治するとかできないの?」

「それは、無理だよ。今までも何度か軍が出向いたらしいけど、全滅だったそうだよ。おいらた

ちの力では無理なんだ」

 確かに、山田が今まで見てきたこの世界の文明では、竜などという怪物を倒すのは無理かもし

れない。ミサイルや核がある時代ではないのだ。

「だけど、生贄なんて、そんな迷信的なことを・・・」

「それがこの街の掟なんだよ。ああ、お姉ちゃんは大丈夫だよ。トーセの人間じゃないし、年齢

も二十五は越しているよね」

「ええ、そうだけど・・・」それ以前に彼女は乙女という条件から脱していた。まあ、そんなこ

とはヒロに言ってもしょうがないから黙っていたが。

 ホルンのような音が鳴り響くと、群衆が一斉に静まった。山田は窓から乗り出し、広場正面の

建物のバルコニーを見た。中央に二つ椅子があり、そこにはシンジーマーヤ王とアズサーミ王妃

が座った。そして、ジーケンイットとフーミがその両端に立った。その後方の両側にも男が立っ

たので、山田はヒロに尋ねた。

「王たちの後ろにたっている方たちは誰?」

「右側の方が政務宰相のヨウイッツ・キサラ様、左側の方が軍務宰相のジーフミッキ・ターベ様

だよ」

 ヨウイッツは白い清楚な衣装をまとう長身の男で王のように地位のわりには若く見える。一方、

ジーフミッキは黒の衣装で対照的な感じだ。髭を生やし、髪もヨウイッツが短いのに対抗してか

長髪であり、歳より臭い感じはないが、かなり小柄だ。

 その政務宰相ヨウイッツが前に出て、話しだした。

「今年も忌まわしい掟を執行する日が来た。悲しく辛い日ではあるが、これもトーセの街を守る

ため必要な事である。街の者たちもこの掟に従い、竜の怒りが鎮まる事を願ってもらいたい。で

は、いつものように生贄を選出する。生贄に決まったものは速やかに城に赴き、五日間の清めを

受けよ。もし、これに従わぬ場合は家族共々極刑に処す。また、生贄の家族の者には十分な慰安

金を渡すものとする」

 そう言うとヨウイッツは引き下がり、それと同時に大きな賽銭箱のような物が前に出てきた。

木でできた黒い箱の中央に拳ほどの穴が空いていた。そして台座が現れると聖職者のような白い

衣装と尖った帽子を被った男が、槍を持ってその台座に立った。

 

 ジーフミッキの側に彼の従者が近づき耳元で囁いた。

「ジーフミッキ様、すべて仰せの通り、ルフイが施しました」

「そうか、よくやった、ギオス」ジーフミッキはギオスが下がると、他の人に分からないように

唇を微笑ました。

 

 台座の上の男には目隠しがなされた。手探りで穴の位置を探し、確認した後、槍を穴に入れ思

いっきり突き刺した。群衆は静まり返り、固唾をのんで見守っている。男が槍を箱から取り出す

とその先にはトランプほどの大きさの木の板が突き刺さっていた。男は目隠しを取り、それをシ

ンジーマーヤ王のところへ持っていった。王はそれを手に取り、一瞬表情を強張らせたのが山田

にも分かった。再び、木の板が男に戻され、バルコニーの前面まで歩き、一息付いてから宣告し

た。

「今年の生贄は・・・、リ、リオカ・キサラ」それが伝えられた瞬間、群衆はどよめいた。中に

は悲鳴のよなものも聞こえる。自分たちの家族ではないという安堵感ではなく、何か大きな悲嘆

が流れたようだった。

 山田が目をバルコニーに戻すと、ヨウイッツがその場にうずくまっていた。それを庇うかのよ

うにフーミが彼の肩を抱いていた。反対側のジーケンイットも蒼白の表情で茫然としている。一

体、どうしたのかとヒロに聞こうとしたら、ヒロも涙ぐみながらつぶやいた。

「そんな、馬鹿な、信じられないよ」

「ねえ、一体どうしたの?リオカって誰なの?」

「リオカ様はヨウイッツ様の令嬢なんだ」

「えっ、政務宰相に娘さん?でも、そんな偉い人の娘さんも候補だったの?」

「そうだよ。トーセの掟には例外はないんだ。例えどんな役の人の娘でも例外はない。唯一、王

の娘、フーミ様だけなんだ」

「そうなの」群衆の心理、そして王たちの態度が理解できた。きっと、人柄の良く、皆に親しま

れている人なのだろう。だが、この地の掟は冷酷だった。だが、決まった以上仕方がなかったの

だ。

 群衆はどよめきを止めず、城を出ていった。王たちも下がったが、ヨウイッツはショックの余

り、お供に寄り添いながら戻っていった。そして、一人ジーケンイットだけが残っていた。

 ジーフミッキはほくそえみながら通路を歩き、途中で待っていたギオスとルフイに言った。「

二人とも、よくやってくれた。これで私の思いも成就するというものだ。ヒローヨもきっと喜ぶ

だろう。はっはっはっ・・・・」

 

 山田の気分も一気に滅入ってしまった。昨日までの浮かれた気持ちはどこかに飛び去り、この

世界の本当の厳しさを知ってしまったようだ。ヒロと庭に出ると、建物の影で一人座り込んでい

るジーケンイットを見つけた。今までに見たことのない沈痛な表情で、昨日までの覇気が全く見

られない。身動き一つせず、ジッと地面を見つづけている。ジーケンイットの様子が変なのでヒ

ロに尋ねた。

「ヒロ、ジーケンイット様、随分落ち込んでいるみたいだけど、リオカ様のことがそんなにショ

ックだったの?」

「そりゃ、そうだよ。だって、ジーケンイット様はリオカ様のことを思ってらっしゃるのだから

 ジーケンイットにも好きな人がいるのを知って山田は少し残念に思った。まあ、あれだけの人

だからいない方がおかしい。しかし、今はそんなことをいっている場合ではない。ジーケンイッ

トの精気を抜かれたような状態を何とかしなくてはならない。

「ヒロ、何とか掟を破ることはできないの?」

「それは無理だよ。そんなことをすればトーセの街がトゥリダンに襲われてしまうよ」

「しかし、人の犠牲にたっての平和なんて意味がないんじゃないの?そんなのまやかしよ」山田

はぶつけどころのない怒りを表した。

「でも、他に方法がないんだよ・・・」ヒロも悔しそうに言った。

 その時、背後から声がした。「方法ならあります。唯一の方法が」

「えっ」振り向くとそこにはフーミが立っていた。フーミも昨日までの陽気な面持ちはなく、憔

悴しきっている感じだった。

「方法って、あるんですか?何なんです?」

「トゥリダンを退治する方法があるのです。しかし、それにはある武器を入手しなければいけま

せん。ただ、トゥリダンを倒すことも困難ですが、その武器を手に入れることも非常に困難なの

です。今までにも、その方法で生贄になった娘たちを助けようとした者がいますが、誰一人とし

て成功したものはいません。皆、二度と戻らなかったのです」

「そんな・・・、でも、このままでは」

「そうです。リオカさんを失えば兄は死んだも同然です。この街を治めていくこともできないで

しょう。そうならば、兄は命を掛けてリオカさんを助ける価値があるのかもしれません」

 リオカを失えばジーケンイットも死ぬ。その言葉は山田には衝撃的であった。ならば、命を賭

けてでもリオカを救う手段をとった方がいいのかもしれない。わずかな可能性しかないのであろ

うと、今のジーケンイットを助けるのにはその方法しかないのだ。妹のフーミからそんな言葉が

出たのにも驚いた。フーミは今の状態のような兄を見たくないのだ。フーミにとってはいつも陽

気で逞しく、頼りがいのある兄が好きなのだ。生きた屍の兄など見たくない。そんな彼女の兄に

対する思い、そして、彼女の優しさだけではなく力強さというものも感じ取った。その方法にで

ればジーケンイットは二度と戻らないかもしれないのに。

「それで、その方法とは何なのです?」

「詳しいことは、賢者に聞いた方がいいでしょう。兄と一緒に。ヒロ、賢者・ノーマを呼んでき

て」

「分かりました。すぐにも」ヒロは急に元気を取り戻し、王宮のほうに走っていった。

「賢者・・・?」

 

  6  決意

 

 しばらくするとヒロが紫の衣装を頭から被った人物とやってきた。修道師のような装いだ。二

人の前に来るとその賢者は頭からフードを取り、フーミに挨拶をした。山田は賢者というからに

はもっと年をとった、白髪のおじいさんか老婆を想像したのだが、目の前の人物は自分とあまり

変わらない感じの若い女性だった。賢者は山田に気づくと、再び挨拶をし名乗った。

「ノーマと言います。あなたがエツコさんですね。ヒロから話を聞いています」

「ええ、初めまして・・・」

「ほっほっ、エツコさん、賢者と聞いてもっと年寄りではと思っていたのですね」

「いえ、そんな・・・」思っていることをずばり言われ、さすが賢者だと納得してしまった。

「いいんですよ。実は数カ月前までは私の祖母が、ここの賢者の任に当たっていましたが、歳に

は勝てぬと引退しまして、私が後を継いだのです。ですが、賢者としての力は祖母と変わりませ

ん。祖母からその知識を全て移行しましたので」

 何か山田にはよく分からなかったが、竜がいる世界だ、こんな人もいたっておかしくない。

「それで、フーミ様、私をお呼びになったのは、トゥリダンのことですか?」

「そうです。さすがノーマ察しが早いですね。兄はリオカさんのことで相当のダメージをうけた

ようです。このままでは兄は生きた屍になりかねません。ならば、危険な賭ですが可能性を求め

ようと・・・」

「分かりました。トゥリダンを倒す三種の神器を取りに行くのですね」

「はい」

 ノーマを先頭に四人はジーケンイットの前に進んだ。目の前にノーマが立ち、ジーケンイット

もやっと気づいて顔を上げた。

「お兄様、このままではトーセの街は終わりです。何とかお立ち直り下さい」フーミが心配そう

に言った。

「今の私に何を言って無駄だ。リオカが生贄になるなどとは・・・」

「お兄様・・・」フーミを制し、山田が言いだした。

「ジーケンイット様、あなたはリオカさんを愛しているのですね。ならば、リオカ様を助けるた

めに何とかしようとは思わないのですか?」

「愛する?愛とは何なのだ?」

「あ、愛って、その・・・誰かを好きになる、心から相手の事を思うことです」山田は少し戸惑

った。この世界の人は「愛」という言葉を知らないのだろうか?

「好きになる。そう、私はリオカが好きだ。一緒にいることが楽しい。それが愛なのか?」

「そうです。愛とは人を慈しむ事、人をこのうえなく思う事、そして、自分を犠牲にしてまでも

相手を守ることです」山田には珍しく雄弁なことを言った。自分でも信じられない言葉が勝手に

出てきたのだ。

「愛する・・・。そう、私はリオカを愛している。彼女がいなければ私は生きていく意味がない。

彼女救いたい、守りたい。しかし、どうすればいいのだ。トーセの掟を破ることは絶対に出来な

い。街の人々を災禍の中に巻き込むのは絶対に・・・」

 ここで、ノーマが言いだした。「ジーケンイット様、あなたは稀に見る勇気の持ち主で、剣術

もおたちになります。ですが、今のあなた様はそんな精彩もまったく無くなっておられます。あ

なたを立ち直らせるの方法はただ一つ、リオカ様をお救いになる事しかありません。しかし、そ

れはジーケンイット様にとっても命に関わる一大事です。それでも、ジーケンイット様はリオカ

様をお救いになりたいですか?」

「もちろんだ、リオカが助かるのなら私は何でもする。それは何なのだ?」ジーケンイットの精

気が甦り始めた。以前の悠々たる姿が戻り始めた。

「ジーケンイット様も『三種の神器』のことはお聞きになったことがありますでしょう?」

「三種の神器?そうか、トゥリダンを倒すことができる唯一の武器だな。そうか、すっかり忘れ

ていた。ノーマ、確かそれらはオリトの山に・・・?」

「ノーマさん、三種の神器て何なのです?」山田が聞きたくて尋ねた。

「三種の神器とはトゥリダンを倒すことができる武器で、ベーシクの盾、コーボルの剣、シーゲ

ンの矢の三つのことを言います。ベーシクの盾はトゥリダンの炎を防ぎ、コーボルの剣はトゥリ

ダンの弱点である角を切ることができます。そして、シーゲンの矢はトゥリダンに止めを刺すこ

とができる最後の武器です」

「で、それがトリオの山にあるの?」

「オリトの山です。オリトの山の中腹にオリトの森と呼ばれる樹海があります。そこに、三種の

神器があるのです」

「あら、そうなの?随分簡単なところにあるのね?」

「違うよ、お姉ちゃん、オリトの森は恐ろしいとこなんだよ。一度迷ったら出られないし、山に

は野獣が住んでいる」ヒロが嫌な顔をして言った。

「そうです。それに三種の神器は最も困難な場所にあります。魔女の館です」

「ま・じ・ょ?」山田はここでまたこの世界のすごさが分かってきた。竜もいれば魔女もいる。

なんて世界なんだ。常識では計り知れない。

「魔女って、恐ろしいの?」

「当然です。さっきも言ったように、何人もの勇者が三種の神器を手に入れようとオリトの森に

行きましたが、魔女によりすべて阻止されました。魔女たちは捕まえた者たちの魂を封印してい

ると伝えられています」

「げげ・・・」竜退治以前に魔女を何とかしなければいけないなんて、それは至難の業だ。だが、

ジーケンイットの心は決まっていた。

「私は行く。例え、魔女がどんなものであろうと、私は三種の神器を手に入れてみせる」と拳を

握りしめてジーケンイットは立ち上がった。

 山田は止めた方がいいんじゃないと言いたかったが、もう遅かった。魔女の事なんて知らなか

ったから、雄弁なことを言ったのに。

「フーミ、ヒロ、それにエツコ心配をかけてすまなかった。私はわずかな望みだが、これに賭け

てみる」

「ジーケン様、おいらも行くよ」ヒロが一歩前に出て言った。

「いや、今回だけは駄目だ。いつものお忍びとはわけが違う。今までにない危険なのだ。私一人

でいく」

「そんな、おいらも・・・」

「愛という言葉を思い出し、すべてが分かった。ヒロ、私はお前のことも愛している。だから、

お前が怪我などをして、私が悲しむことになってはもらいたくないのだ。お前はリオカの事を見

ていてくれ。私が必ず助けると、希望を捨てるなと言ってくれ」

「ジーケン様・・・」

「お兄様、私間違ったことをしてしまったのですか?お兄様のためと思って三種の神器の事を言

いだしたのですけれど・・・」

「いや、違う。お前は正しいことをしたのだ。あのままではリオカも私もこの世からいなくなる。

だが、僅かな可能性でもあるのなら、私はリオカのために戦う。それを気づかせてくれたのはお

前だ。フーミよ、私はお前のことも愛している。しかし、私にはしなければいけないことなのだ。

トゥリダンを倒さなければ、今後も毎年生贄を差し出さなければいけない。私と同じ思いを街の

者にさせるのはもう我慢できない。この街の王子として、私は私の成すべきことをするだけなの

だ」

「お兄様」フーミは号泣しながら、ジーケンイットに抱きついた。愛を思い出したジーケンイッ

トは神々しかった。愛の力とは人をどんなにでも変えることができるのだ。

「エツコ、フーミやヒロのことを頼む。頼れるのはあなたしかいない。心配しなくていい、また、

一緒に酒を飲もう」ジーケンイットは山田に微笑み、彼女も涙ぐみ始めた。

「では、すぐにでも行く。一刻の猶予もないからな。それから、このことはくれぐれも父上たち

には内緒に」そう、言うとジーケンイットは颯爽と歩きだした。後ろを振り返りもせず。

 

 城の一角に孤立した塔がある。石を積み重ねた二階建ての建物で、入口には衛兵が二人立って

いる。生贄に選ばれたものが、生贄の日まで過ごす場所だ。心と体を清め生贄の心構えをなすと

ころであるが、生贄が逃げださないよう軟禁する役目も担っている。塔に入れるのは生贄の家族

や親近者のみ。

 リオカのお付であるミヤカが彼女の様子を見にやって来た。衛兵によって入口の鍵が開けられ、

ミヤカは中に入った。牢獄ではないので部屋の中は他の王室の部屋と同じように立派なものであ

ったが、唯一違うのは窓に鉄格子がしてあることだけだった。

「失礼します。お嬢様、ご気分はいかかでしょうか?」ミヤカは沈んだ顔で言いながら、部屋に

入った。

「ミヤカですか。ありがとう。今は落ち着いています」リオカは格子のはまった窓から外を眺め

ていた。長い黒髪を風になびかせ、気持ち良さそうな顔をしていた。もう、見納めになるかもし

れぬこの景色を脳裏に焼き付けているかのようだった。二十歳を越えていたが、まだ少女っぽさ

を残す顔だちは、涼しげな顔だった。生贄に決まった時は、むろんショックであったが、今は覚

悟を決めていた。政務宰相の娘だ、じたばたするような見苦しい真似はできない。母は彼女が幼

いころ病気で他界していた。その後、優しくも厳しい父・ヨウイッツに育てられ、立派な女性に

成長していた。

 子供のころから、彼女の世話をしていたミヤカにとってはリオカの成長ぶりに驚かされるばか

りで、このような方が生贄にされるのが全く信じられなかった。

「父上の御様子は?」

「はい、今はまだ床に臥せていらっしゃいます。相当の衝撃のようで」

「そうですか」覚悟を決めたリオカにとり、心残りは父の事である。このような事態になったの

は晴天の霹靂であったが、掟では仕方がない。ただ、今後父だけを残していくのが、非常に心配

であった。すでに、生贄に決まったことだけで床に臥せている。今後、生贄が執行されればどう

なるのか?自分のこと以上にリオカは父の身の上を思っていた。

 そして、もう一人・・・。

 入口に人が立っているのをリオカは気づいた。振り向くとそこにはジーケンイットがリオカを

見つめていた。

「ジーケンイット様」ミヤカも気づき、その場のことを悟って言った。「お嬢様、また、後で参

ります」

 ミヤカが去ると、リオカはジーケンイットのところに近づいた。「ジーケンイット様・・・」

「ミヤカ、私はあなたを必ず救います」

「そ、それはどういうことですか?」

「私はこれから、オリトの森へ行き、三種の神器を手に入れ、トゥリダンを倒します。それしか、

あなたを救う方法はありません」

「ジーケンイット様、お止めください。私のためにそのような危険な事は?もう覚悟を決めまし

た、ですから、そのような無謀なことは?」ひと

「リオカ、私にとってあなたは命より大事な女だ。あなたがいなくなれば私は生きていく意味が

なくなる。だからこそ、オリトへ行かなければいけないんだ。リオカ、『愛』という言葉を知っ

ているか?」

「『愛』ですか?それは遠い昔に聞いたような」

「我々は『愛』と言うものを忘れていた。それを今私は思い出した。リオカのために戦うそれが

愛というものなのだ」

「ジーケンイット様、私も愛を思い出しました。私もジーケンイット様のことが大切です。心か

らお慕い申しております。ですから・・・、でも、無駄ですわね。ジーケンイット様は一度言い

だしたら後には引かない方ですから。分かりました、私はあなた様が無事戻られることを祈って

おります。それが今の私にできることです」

「リオカ、約束する。必ず三種の神器を手に入れて戻ると・・・」ジーケンイットはリオカを抱

きしめた。リオカ瞳からはすでに涙が溢れていた。愛を思い出した二人はしばしの安らぎを得て、

二人の時間に陥った。

 

 ジーケンイットはいつもお忍びで街に行く時の秘密の地下道を足早に走った。明かりがまった

くなく、真っ暗な通路は靴の響く音だけがこだまする。ジーケンイットが持つ松明の明かりが前

方に何かを捕らえた。彼には何かすぐに分かった。

「ターニ、何をしている。お前は城に残れ」

「いえ、それはできません。私もお供します」ジーケンイットを待ち受けるように方膝を付いて

ターニはいた。

「駄目だ。今度ばかりは危険すぎる。お前を連れていくわけには・・・」

「ジーケンイット様、私は既にあなた様に命を預けた身です。いまさら、そのようなことをおっ

しゃられても、私には通用しません」

「ターニ・・・。覚悟はできているのだな」

「はい」

「分かった」ジーケンイットは軽く笑って言った。「行くぞ・・・」

「はっ・・・」

 二人は闇の中に消えていった。

 

  7  陰謀

 

 城の中には宰相たちが住む住居もある。ジーフミッキ軍務宰相もその一つで生活を営んでいる。

ジーフミッキには娘が一人いるが、妻は数年前に他界していた。ヒヨーロは父の部屋に呼ばれて

いた。

「お父様、今回のことはどうにかならないのですか。あれでは、リオカさんが余りにもおかわい

そうです」

「ヒヨーロ、それは仕方のないことなのだ。トーセの掟なのだから。お前の気持ちはよく分かる。

もし、お前が生贄だと思ったら私とていたたまれない。しかし、決まってしまったことはいまさ

らどうしようもない。それよりも、今後の事を考えなさい。リオカの生贄はジーケンイット様に

とってもお辛いことだ。それをお前が慰めて差し上げるようにするのだ」

「お父様、私にはそのような差し出がましいことは・・・」

「分かっておる。だがな、ジーケンイット様のことも考えてみろ。リオカが亡くなろうと、この

街を背負っていかなければならない方なのだ。その支えになるよう、お前は努めなければいけな

い。宰相の娘として当然の義務だ」

「お父様・・・」

「まあ、しばらくは悲しみに耽るかもしれぬが、すぐに元に戻る」

 扉を叩く音がして、ジーフミッキが「入れ」と言った。執務員の一人が、ジーフミッキのそば

まで行き、耳元で囁いた。執務員が帰ると、「仕事があるので私は軍務省に行く。お前もこれか

らのことを考えておくのだ」と言い残し部屋を出た。

 ジーフミッキは少し苛立っていた。娘のためにいろいろ施しているのに、ヒヨーロはそれを蔑

ろにしている。優しすぎるのだろうか。母親の愛がないからこそ、強く育てたつもりだが、それ

がかえって心の広い人間にしてしまったのか。トーセの街を牛耳るには今回の手段が一番いい。

何もかも娘のため、そして自分のためにしてきたのに。

 住居から石畳の通路を通り、軍務省に入った。煉瓦作りの重厚な建物で、隣にある政務省とは

趣が逆である。執務室の前には二人の兵が待っていた。ジーフミッキを見つけると二人は敬礼を

し、彼に指図されるまま部屋に入った。ジーケンイットがデスクの椅子に座ると二人は前に立っ

た。

「ギオス、ルフイ、何だ急用とは?」

「はい、それがですね。大変なことになりました」恰幅がよく、髭もじゃのギオスが言った。

「何だ?何がどうしたのだ」

「リオカ様の拘留塔の衛兵から聞き出したんですが、ジーケンイット様がオリトの森へ向かった

そうです」

「何!オリトへだと。どう言うことだ。・・・三種の神器を取りに行ったのか?」

「たぶん、そうだと」背が高くひょろっとしたルフイが相槌をついた。

「んー、それはまずい。折角の考えが無駄になってしまう。何のためにリオカを生贄にしたのか

・・・」

「いかがいたしましょう?」

「お前たち、王子が三種の神器を手に入れぬよう、妨害してこい」

「えっ、我々がですか、オ、オリトの森へ行けと」ギオスは驚愕の表情で言った。

「そうだ。すぐにでも後を追い、何とかしろ」

「しかし・・・・・・」ギオスとルフイは見つめ合った。

「つべこべ言うな。お前たちは私の指示に従えばいいのだ。後で見返りはたっぷりやる」ジーフ

ミッキは怒鳴るように言った。

「ですが、ジーフミッキ様、万が一王子が魔女の手に落ちた場合、どうすれば?王子をお救いす

るのですか?」

「んー、そうだな・・・」ジーフミッキはしばらく考え込み、ニヤリと笑った。「その時はその

時だ。王子がいなくなれば、後を継ぐのはフーミ様になる。それならそれで別の考えがある。と

にかく、王子の後を追い、しっかり見張れ。三種の神器が渡らぬようにし、もし、チャンスがあ

るのならお前らの好きにしろ」と言って手を伸ばし行けと命じた。

 二人は当惑しながらも言われるままに出ていった。一人残ったジーフミッキは窓から見えるオ

リトの山を見つめ、一人嘲笑した。

 

 ヒロは一人で城の中をうろうろしていた。「ターニの兄貴いったどこ行ったんだ。この大事な

時に」とぼやきながら、ジーケンイットたちといつもお忍びで外出する時の、秘密の通路にやっ

て来た。

「あっ、もしかしたら、ターニも行ってしまったのかな。おいらを差し置いて、くっそ」とひね

くれだした。

 その時、通路に向かって誰か人が来る気配を感じ、暗い通路の中にある柱の影に隠れた。柱の

片隅から覗くと、松明の火がこちらに向かって来るのが見え、それと共にその人物たちの声も聞

こえてきた。

「ったく、ジー様にも参ったよな、何で俺たちがオリトへ行かなきゃならないんだ」ルフイは不

平を言いだした。

「おい、ジー様は止めろ、聞かれたら懲罰されるぞ」ギオスはおいおいという口調で言った。

「誰も聞いてやしないよ」

「まあ、そうだが。しかし、オリト行きとはまじで参ったな。魔女になんか会いたかないよな」

「ああ、もちろん。でも、どうすりゃいい、ジーケンイット様を妨害するったって、俺たちに何

ができる?先回りするのは難しいし・・・」

 二人はヒロの目の前を通ったが、話に夢中で暗闇の周辺には全く気を配っていなかった。ヒロ

もじっと息を殺してその場に小さくなっていた。

 ギオスは一瞬沈黙して言った。「無理をすることはない。ジーフ様も仰ったように、ジーケン

イット様を助けろとは命令されていない。つまりだ、魔女がジーケンイット様を捕らえてしまえ

ばもうそれで終わり、万が一、三種の神器を手に入れた時には隙をついて奪えばいい。それだけ

のことさ」

「しかし、それではこの王家が・・・」

「それはジーフ様も言っていたろ。後のことはまた考えると、それでいいんだ。とにかく、俺た

ちはジーケンイット様に追いつき、様子を見ることにしよう。俺だって、魔女に魂を取られるの

は御免だからな」

「分かったよ、ジーフ様に従うのが最善だからな。しかし、リオカ様のことからしてあくどい人

だジー様は・・・」

 声は次第に遠のき、ヒロに耳には靴音が響いていくのが最後の音で、火が完全に見えなくなっ

てから、走り勇んだ。

 

 山田はフーミの部屋にいた。あまりお茶を飲むような雰囲気ではなかったが、ノーマの勧めで

お茶を飲むことにした。紅茶に似た葉だがコーヒーをブランデーで割ったような、まろやかな味

が口の中に広がる飲み物だ。その味のおかげで、気分も落ち着き心が安らいだ。ノーマの心遣い

が染みてくる。何かにつけて気の付く人だった。フーミもさっきまでの悲しみに満ちていた顔を

今はいつもの姿に、それ以上に少し大人になった感じの落ち着きを見せている。ただ、瞳だけは

何かを一身に願っているように思えた。山田の後方の遙か後方にあるオリトの山に向かって。

 そんなところに、ヒロは息を切らして飛び込んできた。

「ハーハー、大変だよ、大変だよ・・・ジーケン様を・・・ギオスとルフイが・・魔女を・・・

「ヒロ、何をそんなに慌てているの、落ち着いて話しなさい」フーミがあやすように言った。

 ノーマがコップに水を持ってきてヒロに飲ませた。一息つくとヒロはもう一度最初から話始め

た。

「ギオスとルフイがジーケン様を追ってオリトの山に向かったんだ。三種の神器を手に入れるの

を阻もうとしている」

「何ですって」フーミは厳しい顔をしてヒロを見つめた。「なぜ、あの二人がお兄様の邪魔をす

るのです。三種の神器さえ手に入れば、トゥリダンを倒せるかもしれないというのに」

「それが、どうもジーフミッキ様の命令みたいなんです」

「ジーフミッキ?」

 山田は何のことか飲み込めないのでノーマに尋ねた。「ギオスとルフイって誰ですか?」

「ジーフミッキ様の従者です。いつもジーフミッキ様の側にいる側近みたいなものです」

「そう」

 フーミはしばらく考えた。「しかし、ジーフミッキがなぜそんな事を・・・」

「それに、二人はジーケンイット様にもしものことがあっても無視するようなことも言ってまし

た」ヒロは怒りをあらわにしフーミに訴えた。

「・・・んー、ジーフミッキは何を考えているのかしら。確かに、あの方の評判は最近悪くなっ

ていて、軍務を独裁的にしている感もあるけど・・・、まさか・・・」

「とにかく、ジーケン様にこのことを知らせないと、ジーケン様が・・・」

「でも、誰が行くの?」

「もちろん、おいらたちが・・・」

 その言葉を聞いて山田は嫌な予感がした。「ヒロ、そのおいらたちの”たち”って誰のこと?

「もちろん、おいらとお姉ちゃんに決まっているじゃん」

「えっ、わ、私!?」山田は驚きの表情でカップを落としそうになった。慌ててカップを置くと、

指で自分の顔を指した。

「でも、それなら、兵隊さんに頼めばいいじゃない。いっぱいいるんでしょ」

「駄目だよ。軍の人たちはジーフミッキ様の息が掛かっているから、誰を信用していいのか」

「うっ・・・」山田は困った。確かに今の状況では軍を信用できないし、かと言ってフーミを行

かせるのはもってのほかだ。ノーマも外に出る人間ではない。

「ターニさんはどうしたの?」

「ターニの姿も見当たらないんだ。どうやら、ジーケン様に付いていったと思うよ」

 何か話がとんでもない方向に進んでいる気がした。しかし、ジーケンイットたちに恩はあるし、

ヒロだけを行かせるわけには行かない。まあ、ここまで来たんだからあとは野となれ山となれと

半分なげやりで「分かったわ」と言ってしまった。

「ありがとう、お姉ちゃん」ヒロは嬉しそうに笑ったが、山田は引きつった笑いをした。

「しかし、エツコさん、オリトの山はとても危険です。女のあなたやヒロだけでは・・・?」フ

ーミは不安そうな目つきで言った。

「でも、おいらたちしかいないじゃありませんか?」

「それは、そうだけど・・・」

 山田もヒロが考え直してくれないかなとわずかな期待を抱いていたが、これ以上どうすること

もできない事実もわきまえていた。そして、フーミが最終決断を出した。

「分かりました。ヒロたちに頼むしかありません。ただし、お兄様に事の成り行きを知らせるだ

けですよ。それ以外の事、つまり、魔女と関わるようなことはしていけません。お兄様の足手ま

といになってはいけないので、ギオスたちのことを知らせたらすぐに戻るようにしなさい。いい

ですね」フーミはきつい口調でヒロに言った。「エツコさん、こんなことをお願いするのは恐縮

なんですが、今はあなたしか頼る方がいません。ヒロのことよろしく頼みます」

「いえ、いいんです。ここにいるのもジーケンイット様のおかげなんですから」と心とは裏腹に

山田は承諾してしまった。

「じゃ、すぐに準備してくるよ。いま出かけると二夜は野宿しないといけなくなると思うから」

とヒロは言い部屋を出ていった。

 野宿・・・、と山田は心の中でつぶやき、これから先の不安を募らせた。会社の仲間たちとよ

くキャンプなどに出掛けたことはあるが、今回はそんなお遊びとは違う。ヒロだけが頼りだが、

それでも不安の種は尽きない。佐藤か青山でもいれば助かるのだが、そんな願いは成就不可能な

のだ。

「エツコさん、これを持っていってください」ノーマが胸に掛けているペンダントのような飾り

を取り、山田に手渡した。直径十センチほどの金色の円盤に、ブドウの巨峰ぐらいの大きさの三

つの透明な玉が等間隔に付いている。円盤には複雑な文様が施されているものの、金色の輝きは

眩しかった。それ以上に三つの玉が不思議な光を放つ。太陽の光の反射とも違う輝きで、ダイヤ

モンドのような魅惑の光だ。

「これは・・・?」山田はそのペンダントに魅了されながらきいた。

「これは我々賢者に代々伝わる竜玉です。どんな願いでも叶えてくれる不思議な玉で、三つあり

ますから三度まで使えます」

「竜玉・・・!」英語に直すと「ドラゴンボール」かと現実の世界のマンガを思い出した。願い

が叶うなんてまさにそのものだ。しかし、だったら、こんないい物があるなら、これで竜を退治

すればいいじゃないかと安直な考えを起こした。

 しかし、ノーマはその山田の心を読んでいるかのように言った。「ただし、この竜玉も竜、す

なわち、トゥリダンに対しては何の効力もなしません」

「あらっ」山田は自分の心のうちを読まれたのと、ノーマの回答に落胆してしまった。

「この竜玉は遠い昔に、竜の涙によって作られたと言われています。ですから、竜に対しての願

いは全く効きません。ですが、それ以外のことには役に立つはずです。ですから、これをあなた

に授けます」

「ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」山田はそれを首にかけた。そして、心に

渦巻いていた不安が何となく消え去っていった感じがした。それはこのペンダントが頼れる宝物

だという思いだけでなく、何か暖かみが伝わってくるのだ。冷たい金属とガラスのような玉なの

に肌に接した部分からは温度計では計れない熱が伝導していた。それが、心の中に作用している

ようだった。

 ヒロが大きな袋を持って部屋に戻ってきた。どうやら、野宿をするための道具や食料が入って

いるようだ。「お姉ちゃん、これね」と二つある袋の一つを手渡した。持った瞬間肩が下がった

が、持てないほどではないし、自分より小さなヒロの方が大きな袋を持っているので虚勢を張っ

た。

 山田も意を決し、出発することにした。とにかくジーケンイットに追いつくことが先決だ。

「お気を付けて」フーミは少女の笑顔で山田に挨拶した。「ヒロ、危険のないように。エツコさ

んにも迷惑を掛けては駄目よ」とヒロにも言い聞かせた。

「では、行ってきます」山田も挨拶を返して、ヒロと部屋を出た。

 二人を黙って見送った後、フーミは窓からオリトの山の方角を見つめた。「ノーマ、なぜ竜玉

をエツコさんに渡したの?あれは賢者にとって大事なものなのでしょ。それに、なぜ、今渡した

の?願いが叶うのならもっと前に使っていればいいのに」

「フーミ様の疑問は御もっともです。あの竜玉は賢者にとっては家宝です。しかし、今回はあれ

を使う時なのです」ノーマは真剣な眼差しでフーミを見据えた。

「使う時?」

「そうです。あの竜玉は誰でも使えるというものではありません。ある条件がいるのです。まず、

心が清らかな人物であること。邪心を持っている人間ではあの玉を使いこなすことはできません。

邪な心を持つ人間がいくら念じても竜玉はその願いを叶えません。そして、もう一つ、トーセの

人間ではなく、遠くの街から来た人物でなければなりません。賢者の言い伝えに『竜の玉、光し

時、遠き地から来たりし異人、災い鎮めさむ』というのがあるのです。昨夜あの竜玉は光りまし

た。ついにその時が来たのです」

「遠き街とはチーアやフーギの事なのですか?」

「いいえ、もっと遙か遠い街です」ノーマは目を閉じ何かを念じた。

 

  8  山猿

 

 山田とヒロは暗い通路から出ると松明を消した。出口は高い草に覆われた湿地で、城の建物が

後方に一望できる。距離にすれば一キロもない感じだが、彼女には恵那山トンネルのような感じ

がしていた。数分の間であったが山田にとって暗闇の中を通るのはこの上もなく恐ろしかった。

元来、暗闇とお化け、高い所、スピードなど恐いものばかりの山田にはこの冒険自体、恐怖のオ

ンパレードとしか思えなかった。その最初が闇の通路だ。ヒロに「いつもここを通って街に行く

の」と尋ね、ヒロが「ここが秘密の通路だもん」と慣れきった口調で返答されたが、彼女には耐

えがたい恐さだった。前方に光の穴が見え始めた時にはもうそれだけを視点に捕らえ突き進んで

いた。やっとのこと外に出ると山田は松明の炎のせいだけでなく、冷汗で汗びっしょりだった。

だが、彼女にとっての恐怖はまだ続く。出口からは二つの道がある。一本は街へ向かう平坦な明

るい道だが、もう一本はその反対の森の中へ向かう上りの暗い道だった。ヒロは当然その暗い道

へ進んだ。山田も遅れを取らないようにヒロの後ろに付いていった。

 山田はもう一度考えていた。何で自分がこんなことをしなければいけないのか?交通事故に遭

ったはずなのに、なぜか見知らぬ世界に迷い込み、王子という童話のような人物に出会って気を

許したのも束の間、今度は普段なら絶対にしない「冒険」などというものに足を向けている。夢

なら早く覚めてと思っても、彼女の感覚ではこれは現実であった。決して夢ではない。しかし、

常軌を逸しているのは間違いない。今の体験を誰かに話しても(もし、現実の世界に戻れるとし

て)誰も信じてはくれないだろう。トリオのメンバーは皆、それなりにいろんな事に出会ったい

る。各々がちょっと普通の現実からは考えられない事にぶつかっていた。もちろん、全部、山田

は知らないが、まさか、自分もこんな目に遭うとは全く思っていなかった。それよりも、自分は

以前に専務の遺体を発見したり、後輩の悲しい事件を体験したり、はたまた、水死体との御対面

など、すでに数奇な出来事に出会っていたのだ。それなのに今度はこれだ。これが自分の運命な

のか、そう思わずにはいられなくなった。そういえば、この間、藤井が「人間の運命は決まって

いるのさ。時の流れにおいてその人の存在する意味は予め決まっている」などと藤井には珍しく

哲学的な事を酒の席でのたまっていて、青山だけが妙に賛同していたのを思い出した。彼らが何

を根拠にそんなことを言っているのか山田には分からないが、今の現実もその運命なのかと変な

思いにかられた。誰か私を助けてと彼女は願った。こんな世界の事をよく知っている土田に今の

状況を説明してほしかった。桑原や吉田の時も、竹内や筒井が危機一髪の間際に現れてくれたの

に、前沢や佐藤の時には、頼り無いながらも三人組や変な坊主がいたのに、自分の時には誰もい

ない。そんなの有り?せめて、あいつが手を伸ばしてくれたなら、と祈る気持ちだったが、あい

つにもそれは無理だった。まったくの孤独の世界、むろんジーケンイットやヒロとの出会いはあ

ったが、それは別世界の人たち、彼女にはいつも一緒に仕事をしたり遊んだりしていた仲間が恋

しかった。彼女の本当の恐怖は孤独だった。一人きりになること、それが彼女にとりもっとも耐

え難いことだった。いつも周りに誰かいなければ心が休まらない。誰かと心を割って話をし、笑

い、楽しむことが出来なければそれは苦痛以上のなにものでもない。あいつの声が聞きたい。あ

いつの・・・。

 山田の心には複雑な思いが張り詰めていた。体だけはヒロを追い、森へと進む。しかし、心の

方は全く別の次元に飛んでいるようだった。だが、彼女が不安と恐怖を抱くと、胸のペンダント

が柔らかく光り、その熱が肌を通して、胸の奥、心に奥に届き、彼女の憂鬱を消し去っていった。

目の前に様々な障害があるのは間違いないのに、心がなぜか落ち着いていった。それは自分がこ

の竜玉に導かれているかのようだった。

 二人は徐々に森の奥に進んでいき、周りの風景は鬱蒼とした光の届かないトンネルのように移

り変わっていく。以前、富士山まで行ったときに寄った氷穴のある青木が原の樹海みたいだった。

太陽の光も地表までは届かず、じめっとした苔が木の根元にこびりついている。既に方向も分か

らず、時間の間隔も無くなりだした。道は一様道らしく通っているのだが、木々の間を縫うよう

に曲がり、枝や切り株が飛びだして歩きにくい。

 ヒロは道が分かっているかのようにどんどん進んでいった。

「ヒロ、道はこれでいいの?迷ったりしたらやだからね」と山田は嘆き気味に言った。

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。まだ、この辺は分かりやすいところだから」ヒロは疲れも見せない

様子で答えた。

「あっそう。でもね、ここには何か変なものはいないの?蛇とか蜘蛛とか」

「蛇?蛇って何?」

「蛇」という言葉が通じないので「長くて、にょろにょろ這う、ぬめっとした気持ち悪い生き物

よ」と説明した。

「ああ、コレットのことだね。そんなもんこの辺にはうようよいるよ。さっきも足元を這ってい

たよ」

 ヒエーと山田は思った。それじゃ、自分が嫌いな多種多様な生き物もここにはいるようだ。先

が思いやられる。

「でも、それよりも山賊の方が恐いかも」

「山賊?そんなのもいるの?」

「うん、街を追われた悪党がここに逃げ込んでいるんだ。それで、時々、街に下りて悪さをする

んだけど、それで軍の治安部もたまに山狩りなんかして捜索しているんだ」

「ああ、そう・・・」ヒロは何も気にして無いように言っているが、山田にとっては問題の種ば

かりだ。

 だが、その種が発芽しようとしていた。二人の周りで風が吹いてもいないのに木々が揺れる音

があちこちで起こった。ヒロは立ち止まり、山田はヒロの背中に引っついて辺りをうかがった。

「ヒロ、何、どうしたの?」山田は脅え体を震わした。まだ、小さな子供なのに男であるヒロだ

けが頼りだった。

「何か、いるよ。気をつけて」ヒロは真剣な眼差しで辺りを見回し、息を殺した。

 確かに彼らの周りに動きがある。それは一方だけからではなく、取り囲むように動いていた。

「シュツ」という音がしたかと思うと二人の背後にある木に何かが刺さった。振り返って見ると

それは矢だった。

「やばい、山賊だ」ヒロは身構え、姿勢を低くして逃げ道を探した。山田も同じようにヒロの後

を追ったが、二人の前には大きな足が二本立ち塞いでいた。二人が、見上げると髭もじゃで髪の

ぼうぼうの大男が腕組みし、手には剣を持ちながら、ニヤリと笑った。

「珍しいな、こんな山の中にガキと女とは。しかもこの女トーセの人間じゃないな」

 二人は後戻りしようとしたが、すでに後方にも三人の男が待ち受けていた。ヒロは立ち上がり、

懐から短剣を取り出し構えた。山田はぴったりヒロの背中に張りつき周りをきょろきょろするの

みだった。

「ははは、ガキが身構えてもしょうがないぞ、ワイカどうする?こいつら?」三人の男の真ん中

の奴が言った。全員の中で一番背の低い男だが見るからに不精な恰好だ。

「そうだな、ターカオ、最近女には飢えているから、少し楽しませてもらおう。ダーワ、スマー

ダ、ガキの方は身ぐるみ剥がして、適当に処分しろ」

 ワイカの命令で三人の男たちが近づいてきた。ヒロは険しい顔で三人を見据え、短剣をかざし

たが、どうみても多勢に無勢だ。山田も自分の危機に声も出ないほどのパニック状態になってい

た。ヒロが短剣を振り回したが、ターオカたちは笑いながらそれをいとも簡単にかわし、迫って

きた。山田がそれに気を取られていると後ろからワイカに捕まれ、羽交い締めにされた。

「キャー」と悲鳴が聞こえると、「お、お姉ちゃん、くっそー、お姉ちゃんを放せ!」とヒロは

振り向きワイカに怒鳴った。その瞬間ヒロはダーワとスマーダに短剣を落とされ手足を取られて、

空に持ち上げられた。

「ちきっしょー放せ、放せ」ヒロはわめいたが、男たちの力には抵抗できない。

「チーアの女なんて久し振りだな、こりゃ楽しみだぜ」とワイカは山田の口を押さえ顔を向かせ

た。

 山田は最大の危機にどうにも対処できない。竜玉のことなどもすっかり忘れていた。

「よし、砦に帰るぞ。今日はいい獲物が見つかった」

 その時、ダーワが立ち止まり、つかんでいたヒロの足を落とすと、共に「ギャー」と言って沈

み込んだ。

「どうした、ダーワ」とターオカが近づくと、ダーワのふと股に矢が貫通していた。それに気づ

いた瞬間、ターオカの腕にも矢が刺さった。「ギエー」と再び、絶叫が樹海にこだますると、ス

マーダとワイカは身構えた。

「ワイカ、またあの山猿ですぜ」スマーダが言うと同時にワイカの足元に矢が突き刺さった。

「くそ、また奴か、邪魔ばっかしやがって」ワイカは怒りをあらわにし怒鳴った。「山猿、出て

こい、今日こそ決着を付けてやるぞ」

 すると、どこからともなく声が聞こえた。「ワイカよ。その人たちを放してさっさと去れ、俺

の矢は今、お前の心臓を狙っているんだぞ」

 ワイカたちは周りを見回したが、敵の姿や気配さえも分からなかった。ワイカは焦り始め、額

に汗をにじませた。見えない敵に対し、ワイカも対処できない。街を集団で暴れまわり、森を逃

げるのは得意だが、逆に一人の敵に追い詰められるのは苦手であった。

「どうします?」スマーダも怯えながら、尋ねた。

「ちっ、仕方ない。この森の中では奴の方が有利だ。いつか、隙を見て奴を倒す。今は奴に従お

う」

 ワイカは山田を放し、スマーダもヒロの手を放した。

「これで、いいだろ、山猿。しかし、今度会ったらただじゃおかんぞ」とワイカは捨てぜりふを

言って歩き始めた。スマーダは怪我をしたダーワに肩を貸し、ターオカと共にワイカの後を追っ

た。

 山田とヒロはその場にへたりこみ、大きく息を吐いた。男たちにつかまれていたところがまだ

痛む。「大丈夫、ヒロ、怪我はない」

「うん、何とか、お姉ちゃんは?」

「大丈夫よ。でも、誰かしら、私たちを助けてくれたのは」

「俺だよ」声がすると共に、木々の影から男が現れた。小柄だが、すっきりした体格の男で口髭

は生やしているが不精な感じもしない。きこりのような恰好で、ブーツのみたいな長い靴を履い

ていた。背中には弓矢を担ぎ、頭をヘアバンドみたいに結んでいる。まるで、ウィリアムテルか

ロビンフッドのようだ。

「危ないところをありがとうございました」山田はすぐに礼の言葉を言った。

「お前ら、無茶な奴だな。子供と女がこんな山に入り込んでどうするんだ」

「オリトの森に行くんだ」ヒロは立ち上がって、その男に言った。

「オリトの森、そりゃ、ますます無謀なやつらだな。死にに行くのか?あの森へ行っても生きて

帰れんぞ」男は呆れた表情で言った。

「でも、ジーケンイット様に伝えたいことがあるんだ」

「ジーケンイット?そうか、さっきの男がジーケンイットだったのか?」

「えっ、ジーケンイット様を見たのですか」山田が尋ねた。

「ああ、ちょっと前に二人の男がこの道を歩いているのを見た。そのしばらく後にも兵隊みたい

な男がいたな」

「ギオスたちだ」ヒロはつぶやいた。

「そうか、ジーケンイットはオリトの森へ行ったのか。魔女たちから三種の神器を奪うつもりな

のか。それを、あの兵隊が追っているんだな」男はすぐに状況を理解しだした。「で、お前たち

は何のために、ははん、兵隊のことを知らせるためか。しかし、女子供では無理と言うものだ」

「しかし、これにはリオカ様とトーセの命運がかかっているんです」山田は理解を求めようと言

い寄った。

「トーセの命運ね。俺には関係ないことだな。トーセがどうなろうと俺はこの山の住人だからな

「あなたは、この山で暮らしているのですか?」

「ああ、そうだ。ここが俺の庭、家かな。自由気儘に生きているんだ」

「お姉ちゃん、とにかく急ごう。ジーケン様に追いつかなくちゃ。おじさん、本当にありがとう

「おいおい、今から奥に行くつもりか、それこそ本当に無茶だぜ。もう日が暮れる。山の夜道は

昼以上に危険だぞ。それに、おじさんはよしてくれ、これでもまだ若いんだから。俺はコトブー

という者だ」

「でも、おじさん、追いつかないと」ヒロは逼迫した思いで言った。

「まあ、先の奴らも夜は休む。だから、今からはどこかねぐらを探さなきゃだめだぜ」

「ヒロ、この方の言うとおりよ。木々で太陽は見えないけど、確かにさっきより暗くなっている

わ」

「うん、分かったよ。そうするよ、でも、どこで休めばいいのかな?」

「しょうがねえな、今夜は俺のねぐらに案内してやるよ。どうせ、この森のことなぞお前たちに

は分からないからな」

「そうですか、ありがとうございます」山田は安心して礼を言った。この男のことは信じていい

と、彼女には判別できた。

「じゃ、付いてこい」男は歩き始めた。

「ありがとう、おじさん」ヒロがそう言うと、「おじさんはやめろ」とヒロを小突いた。

 

 そのころ城では大騒ぎになっていた。ジーケンイットの所在が分からなくなり、王の臣下が城

中を探しまくった。いつものお忍びで街へ行ったのとは違っていた。結局、ジーケンイットがオ

リトの山へ行ったことは、侍従長であるシーラがフーミから聞き出し、王の耳に入ることになっ

た。シンジーマーヤ王はシーラと衛兵長のテムーラを呼んだ。

「シーラ、ジーケンイットは本当にオリトへ行ったのか?」厳しい表情で王は言った。

「はい、そのようです。フーミ様にうかがったところ、リオカ様を助けるために魔女の森へ・・

・」

「申し訳ありません。私の責任です。いつも、王子の行動に関しては十分注意しておりましたが、

いまだに秘密の通路がどこにあるか分かりませんので」テムーラは頭を深く垂れ詫びた。

「まあ、お前の責任ではない。悪いのはジーケンイット自身なのだから」だが、秘密の通路の存

在を教えたのは王だったという引け目があったのが本心だった。

「はあ、ありがとうございます」

「しかし、ジーケンイットにも困ったものだ・・・」シンジーマーヤはアズサーミに向かってつ

ぶやいた。

「誰かに似たのでしょう」王妃は澄ました顔で言った。

「うん・・・」王は一瞬言葉に詰まって、正面を見据えた。「とにかく、森へ行ったのではしか

たがない、誰かを捜索に送るのも返って危険だ。しばらく、待つしかないな」

「承知しました」シーラとテムーラは声を揃えて答えた。

「ジーケンイット、きっと無事に帰ってくるんだぞ。そして、リオカを・・・」シンジーマーヤ

は小さな声で独語した。

 

  9  森

 

 コトブーは二人を自分の寝床の一つに案内した。樹海の中ではあるが、小高い丘の根元にある

大きな岩穴に入った。中は風などが遮られているにもかかわらず、以外と乾燥していて気温も適

温だ。外は既に真っ暗になり、暗所恐怖の山田には出歩くことは不可能だった。コトブーは器用

に木を擦り合わせて火をお越し、薪を灯した。山の中で生活しているだけあって、サバイバルな

生活には慣れているようだった。腰にぶら下げていた袋から何かの小動物の死骸を取り出し、手

際よく短刀で皮を剥いで、肉を焼く状態にした。次に、鮎みたいな魚も串に刺して火にかけ、あ

と、木の実や果実のような物も洞窟の奥にある穴から取り出し、それを二人に与えた。原始人み

たいな暮らしの男だから、少々不安だったが、空腹には耐えられずいただいた。果実は見た目以

上に甘く、喉を潤す。ヒロも城から持ってきた食料をコトブーに与え、焼くべきものは一緒に火

にくべた。

「一人きりで、山の中にいて寂しくないのですか」山田は木の実を食べながら尋ねた。

「別に、もう小さいころから一人だからな。子供の時に両親と死に別れてそれからは一人で生き

てきたんだ。街に住むのが嫌になって、山に入った。ここは食料も豊富だし、水もある。それに

自由だから何も気兼ねする必要はない」

「おいらと同じだね」ヒロが笑って言った。

「お前も孤児なのか?そうだよな、エツコはどうみてもトーセの人間じゃないから兄弟のわけも

ないか。しかし、あんたはなぜこの子に付いて森に行くんだ?もの好きな人だ」

 もの好きで来たわけではないが、山田は笑って誤魔化した。

「あの、さっきの山賊たちは大丈夫なんですか?仕返しなんか・・・」

「ああ、平気さ。俺があいつらに捕まるわけがない。人の山に勝手に入り込んで好き放題にしや

がって、いつもからかってやっているんだ」コトブーは相手にしていないという顔で笑った。「

山で俺に勝てる奴はいない」

 食べ物が焼けたのでコトブーは食べるように勧めた。ヒロは動物の肉を手に取ったが、山田は

遠慮して魚の方を手にした。これならまだ食べれそうだ。コトブーは次にウナギの蒲焼みたいな

串に刺した生の肉を火にくべた。山田は嫌な予感がして尋ねた。

「それは何の肉ですか?」

「コレットの肉だ。これが一番旨いんだぜ」とコトブーは舌なめずりして言ったが、山田は決し

て口にしないと心に誓った。

 

 食事が終わるとヒロはいつの間にか山田の膝の上で眠りについていた。持ってきた布を鞄から

取り出し、それをヒロの体にかけてあげた。時計というはっきり時間を計るものがないので感覚

的には時間が分からないが、山田はまだ眠くはなかった。

「エツコ、あんたは不思議な人だ」コトブーは水を飲みながら言った。

「えっ、何がですか?」山田はヒロをいやす手を止めコトブーを見た。

「いやな、あんたチーアの人間みたいだが、どこか違うな。記憶を無くしたとか言っていたけど、

本当か」

「ええ、そうです。名前しか覚えていないんです」山田は心を悟られないように気をつけた。

 コトブーはじっと山田を見つめた。炎越しに赤く見える山田の頬がより赤くなった。コトブー

の瞳はジーケンイットに似通った鋭さと優しさがあった。言葉遣いや行動は荒っぽいが、それが

自然で野蛮人とは違うワイルドさがある。城で出会った人たちとはまた違った意味で人間味を感

じる。

「あんた、どこか遠いところから来たんじゃないか?俺たちの知らないような世界から。ん、胸

にぶら下げているのは何だ?」

「これですか?」山田は胸のペンダントを持ち上げた。「これは、城の賢者さんからいただいた

竜玉ですけど」

「賢者の竜玉?それがか・・・、しかし、何で城の賢者が大事な竜玉を・・・」コトブーは考え

込んだ。

「どうかしましたか?」

「いや、何でもない。明日は本当にオリトの森へ行く気か?止めておいたほうがいいぞ」

「ええ、私もそうしたいんですけど・・・、でも、行かなくっちゃいけないんで」

「そうか、まあ、勝手にしてくれ、俺には関係ないことだから、じゃ、寝るぜ、あんたもさっさ

と寝な」ぶっきらぼうに言って、コトブーは横になった。

 山田も眠れないまま横になり、ヒロと並んで布に入った。

 

「お姉ちゃん、朝だよ。早く行かなきゃ」ヒロがまだ熟睡の山田を揺り起こし、眠い目をこすり

ながら彼女は起きた。どうも、ここの人間とは時間の間隔が異なり、生活のサイクルについてい

けない。焚き火はもうくすぶっている状態で、ほとんどが炭になっていた。起き上がってみると

コトブーの姿は無く、荷物などもなかった。

「コトブーさんは?」

「おいらが起きた時にはもういなかったよ。山の中へ行ったんじゃない」

「そう、何なら一緒に来てもらおうとお願いしようと思ったのに・・・」

「そうだね、あのおじさんが来れば心強いのに」ヒロも同じことを思っていたようだ。

 お礼も言いたかったが、先を急がなければいけないのですぐに出発した。昨日進んでいた道ま

で戻ろうと思ったが、この樹海では方向が分からない。

「ヒロ、どっちだったっけ?」

「うんー、おいらにも分からないよ」 と二人は腕組みをして途方に暮れた。

 

「おい、お二人、オリトの山へ行く道はこっちだぜ」と木の上から声がした。二人が見上げると、

そこにはコトブーが太い木の枝にぶら下がっている。

「コトブーさん」山田が感嘆の声をあげた。

「また、山賊に会ったら大変だろ。俺が案内してやるよ。どうせ、暇だし、たまにはいいかなと

思ってな。ただし、オリトの森の手前までだぞ。俺も魔女だけは勘弁願いたいからな。山賊もあ

そこには行かないし」

「ありがとう、おじさん」ヒロは満身の笑顔で言った。

「おい、おじさんはやめろって言っているだろ」そう言うとコトブーは木から飛び下り、二人の

前を進んだ。

 

 ジーケンイットは黙々と前に進んでいた。ただ、一身にリオカのことを考えているだけだった。

そして、ターニもその後に影のごとく付いていった。

 

 山田たちが森の中を進むと焚き火をした後があった。火は完全に消えていたが少し温もりが残

っていた。一時間程進むとまた人が野宿した後を見つけた。

「どうやら、ここがジーケンイットが休んだところで、さっきのが後を追っている兵のものだな

」コトブーが推察していった。「火の消え方からいって、ジーケンイットたちは三時間ほど前、

兵たちがその一時間後かな」

「あまり、追いついていないわな。でも、兵たちはジーケンイット様に近づいているわ」山田は

不安げに言った。

「とにかく、急ごうよ。ジーケン様に追いつかなくっちゃ」ヒロは勇んで進んだ。

 

 そこから数時間前にルフイとギオスはいた。暗くなっても森を歩き、体力にも劣らない二人は

少しずつだがジーケンイットに追いついていた。

 

 突然森が開けた。今までの太陽を通さなかった暗がりが、一挙に光の海となった。それと共に、

「ザー」という轟音が耳に届いく。目の前には激流の川が走っていた。森を抜けるとすぐ川原だ

が二、三メートルの幅しかない。大きな石がごろごろ転がり、川の流れに押し出された大きな朽

木も横たわっている。水の流れは目で追うこともできないような速さで、水量も相当なものだ。

川幅が十メートルたらずのため、その激しさが増していた。

「困ったわね、こんな所に川があるなんて。どうするの、橋も見えないし」山田は一息付いて言

った。

「そうだな、ここを渡るしかないだろう」コトブーは動じていない澄ました顔で答えた。

「わ、渡るって、どうやって、こんな激しい流れ無理よ。どこかに橋はないの」山田は怯えた。

「橋はこの下流にある。しかし、三時間はかかるな」

「それじゃ、ジーケン様に追いつかないよ」ヒロは見上げて二人を見比べた。

「なら、ここを行くか?」

「方法は?」

「まあ、任せろ」コトブーは背中から袋を下ろし、縛りつけてある弓矢を外した。袋の中からロ

ープのような縄を取り出すと端を矢尻に結び、身構えた。精神統一を行ってから矢を弓にそえて

大きく引く。矢は一直線に対岸の木の幹に突き刺さった。見事な腕だ。もう一方の端をこちら側

の森の木に縛りつけ、縄の調整を計った。矢はしっかりと幹を貫いているようでグッと引っ張っ

ても簡単には抜けない。「これで大丈夫だ」

「えっ、ここを渡っていくの?心配ない?」山田はコトブーの行動を見てながらも驚いた。

「まあ、俺たちは身軽だから大丈夫だろ」確かに、ヒロは子供だしコトブーは小柄だ。山田も女

性の中でさえ小さい方だ。しかし、今は少し体重が増えている。それが少し気になった。

 最初にコトブーが渡り始めた。荷物を頭の上に結びつけ、水に入った。水深は彼の腰ぐらいで

それほど深くない。しかし、水の流れにコトブーは押されていた。縄がピンと張り、コトブーは

必死にしがみつく。水の飛沫がコトブーの体を打ちつけ、流れの分流が彼の体の回りで起こる。

山田たちは手に汗を握って見守った。ふと、山田は対岸の矢が刺さった木を見た。深く刺さって

いた矢も流れの烈しさには適わず、少しずつ抜け出している。コトブーはすでに中間まで来てい

た。

「コトブーさん、矢が抜けるわ」山田は大きな声で怒鳴った。

 コトブーは水の轟音と逼迫した状況にかかわらず、その言葉を聞き、自分の危機を悟った。コ

トブーは慎重に縄をたどり力を加えないように努めた。あと、一メートル足らずまで来たとき、

矢が抜けピシューと音をたてて、たわんだ縄の反動で飛んだ。コトブーは右手の中で縄を滑らせ

ながらも握り、それと同時に体を水から飛び立たせて川岸の岩に左手を伸ばした。岩をつかんだ

左手を支点にコトブーの体が川を流れて背中が岩にぶつかった。縄をつかんだまま、岩の狭間に

体を押し込み態勢を整えて、岩を登った。山田たちも息を吐き、一安心した。しかし、これから

が彼らにとって問題だ。コトブーは矢から縄を外し、縄が届く範囲の岩に縛りつけた。

「よし、いいぞ、今度はお前たちが来い。俺が縄を握っているから。まず、軽いほうのヒロが来

い」

 呼ばれたヒロは戸惑う様子もなく、縄をつかみ川へ向かった。ヒロは川の中に入っても背が届

かないかもしれないので、縄を直接伝っていくことにした。身軽なヒロは川の手前で頭を対岸に

向け、手と脚で縄にしがみつきぶら下がった。ヒロの考えを察し、コトブーは岩に結びつけた縄

の端を握り、たるみが起きないように引っ張った。ピンと張った縄にぶら下がり、しゃくとり虫

のように手足を動かして縄を進み、全く水に濡れることなく対岸にたどり着いた。

「よし、今度はエツコの番だ。ヒロみたいには無理だろうから、ゆっくり川を渡れ。絶対に縄を

放すなよ」

「お姉ちゃん、頑張って」ヒロが声援を飛ばしたが、山田にとってはそんな気楽な物ではない。

一難去ってまた一難、一体いくつ難が有るのだろうか。山田は少したじろぎながらも、意を決し

て川へ進んだ。足を水に入れた瞬間、靴やズボンに水が入り、肌に吸いつく、傘がない時に夕立

に出くわしたのと同じ様な不快な感覚を感じた。山からの流れ込む水は澄みきって綺麗だが、冷

たい。肌が縮こまる震えを感じつつも、一歩一歩確実に進んだ。むろん、縄はしっかりとつかん

だが川の滂湃な水は彼女の体をいとも簡単に運び去ろうとした。コトブーとヒロが縄を掴み、彼

女の流れを止めた。両手で縄を掴んだが、足は水の流れに奪われ、プールでビート板泳ぎをして

いるみたいだった。それでも、重心を川底に落とし、足を付けて慎重に進んだ。半分ほど来たと

ころでコトブーが叫んだ。

「そこの左は気をつけろ、穴があって深くなっているから」

 だが、遅かった。山田は見事にその穴にはまり、足を滑らせて全身を水の中に没した。コトブ

ーたちは瞬時に焦ったが、縄の張りはまだあり、水平線にある縄の一点には手がのぞけた。右手

だけで縄をつかんで、窮地を逃れた山田は水を飲みながらも必死にはい上がろうと踏ん張った。

再び、足場を固め左手を縄に持っていき、上半身を水面に出した。

「良かった」とヒロは安堵の胸をなでおろした。

 その後も山田は注意深く進み、どうにか対岸に着くことが出来たが、全身はずぶ濡れ、体力の

消耗も激しく、ここで休憩をとることにした。すぐに、コトブーは落ち木で火をおこし、暖を取

った。

「よく、頑張ったな、ただの女かと思っていたが、少しは見直したぜ」とコトブーは余り見せな

い笑顔を見せた。

 寒さに震えて手を火にかざした山田は何も言えなかった。

───もう、いや、こんなの。

 心の奥でそう思うと、また、胸の竜玉がほのかな光を発し、目に見えない暖かさが体と精神に

入り込んだ。再び彼女の心が落ちつき、体の震えも消えてきた。

「あれが、オリトの森だ」コトブーは目前の森の向こう側にそびえる山を指して言った。

 その山は今までのような緑に囲まれた山ではない。確かに木々があり森なのだが、どこか暗く、

陰湿な感じを現している。緑というよりは黒に近い濃さで、遠くから見ると黒い岩山のように見

える。まるで、黒いハエや蜘蛛がたかっているかのごとく薄気味悪い情景だ。

「この森を抜ければ、オリトの森の麓に着く。あと半日ぐらいだな。前のやつらももう一泊する

はずだ。俺たちももう少し、進んで宿を取ろう」コトブーが提言すると、山田は素直にうなずき、

大きく息を吐いた。   しあさって

 トゥリダンの生贄の日は明明後日、もう三日と半日しかない。

 

   10  魔女

 

 オリトの山の麓、森への入口は湿原のような平地で草や花が広がっている。ところどころに大

きな木がそびえていて、そこが宿になっていた。ジーケンイットとターニはオリトの森の手前で

夜を明かした。いくら、彼らでも夜のうちに魔女たちのところへ行くことは出来なかったし、そ

の日までの疲れを癒さなければ、戦うこともできない。ただ、オリトの森は昼行こうが夜行こう

が変わらない。太陽の光も、そして光が持つパワーもこの森には無意味なのだ。

「では、行くぞ、ターニ。もう戻れないかもしれないがいいんだな」

「はい。ジーケンイット様」ターニはうやうやしく礼をすると、ジーケンイットは優しく微笑ん

で森へ進んだ。ターニは少し後ろを振り向いた。何か遠い背後に感じるものがあったのだが、森

へ急ぐジーケンイットに追いつこうと、すぐに向きを変えた。

 その遙か後方にギオスとルフイはいた。視力が異常に鋭いルフイには湿原の先にいる二人の姿

が見えた。

「ギオス、ジーケンイット様たちが森へ入っていくぞ。どうするんだ」

「そうだな、俺たちが行ったところで、しょうがない。魔女に任せるさ。たぶん、あの二人でも

生きては帰れないだろう。生贄の日までここで待って、姿を現さなかったら戻ろう」

「そうだな。それしかないな」でも、ルフイはジーケンイットたちが戻ってくるような予感がし

ていた。

 

 人は闇を恐れる。それは目に何も見えないという不安感から起こるのだ。明るさ、すなわち光

の中で生きている人間にとって、闇はそれを否定するものだ。古代の人々は照明というものを持

たず、自然の中で夜を迎えた。明かりの無い必然的な世界では何もする事ができず、眠るのみだ

った。現代の人間はさまざまな文明の利器により明かりを手にした。それにより、闇というもの

の存在を忘れ、闇が持っている意味をも無にしてきた。だから、いきなり闇の中に放り込まれる

と恐怖を感じる。闇の中では方向も、位置も人間が自分を感じる指標が全く無い。人は未経験の

こと、食べたことのないものなど、最初は戸惑い、不安を感じ、恐怖を得る。だが、それも仕方

ないことだ。人間は闇を支配しようとして、本当は闇に支配されているのかもしれない。

 だが、もし、人間が闇の中で生きはじめたら、逆に光を嫌うのかもしれない。闇を知り尽くし

ていれば、光が未知のものとなり、恐れるようになるはずだ。闇を好む人間、いや、闇を好む者

も世の中にはいる。

 目をつぶったのと同じ状態の暗黒、その漆黒の中には何かがうごめいていた。ササッと布が擦

れる音、微かな息づかい、周りからそれを見ようとしても何も見えない世界で何かが動く。その

者が進む方向に、微かな光があった。光といっても暖かみのある穏やかなものではない。青白く

薄気味悪いかすかな光だ。者はそれに向かって足を早めた。

「サーミ何なの、私を呼んで?」

「カーミ、見てごらん、人間が来たわよ」

「人間?」闇の中で者は笑った。青白い光に照らされたその笑顔は異様でもあった。

 者はもう一人の者の前に置いてある球を覗いた。ボーリングの球ほどの大きさがあある完全な

球体は無色透明で向こう側が透けている。反対側から者たちを見れば屈折した彼女らが見えるは

ずだ。その球体の中に人が歩く姿が映し出されていた。背景は真っ暗なのに、その二人の人物だ

けがくっきり映っている。

「久し振りね、人間なんて。そうか、トゥリダンの生贄の時なんだわ。しばらく、誰も来なかっ

たけど、凝りない人間がまた来たのね。この前はいつ人間の魂をいただいたのかしらね、サーミ

?」

「さあ、よく分からないわね。ここじゃ、時間の感覚なんてないんですもの」

「そうだったわ、でも、退屈しのぎにはいいかもね。すぐには捕まえないで十分楽しんでからに

しましょ」

「ええ、もちろん」

「ふっふっふっ・・・・・・」二人の者の笑い声が闇の中にこだました。

 

「ターニ、油断するなよ。ここはオリトの森だ。何が起こるか分からん。気を引き締めていけ」

「はい」

 森の中は完全な闇だった。二人の視界に入るものは何もない。いや、見えない。その状態では

どうすることもできないので、松明を灯し進んだ。炎の周りだけは明るいが、その先は全く何が

あるか確認できない。闇はまるでブラックホールのごとく光を取り込んでいるようだった。大き

な湖にインクを数滴垂らしても、染まることはない。つまり、巨大な闇の中に一点の光が灯って

いても、全く意味の無いことなのだ。

 一様道らしいものはある。その両側には木々が鬱蒼と繁っているのだろうが、光を全く通さな

いほどの茂りとはどんなものか分からなかった。音はないもしない。風もなく木々が揺れる葉音

も全く無い。静まり返る闇の中を二人はただ前へ進んだ。

「ジーケンイット様、お待ちください」ターニが突然言って。立ち止まった。

「どうした?」

「何かが動いています。何かが・・・・・・」そう言って、ターニは息を殺し聞き耳をたてた。

 ジーケンイットも同じように微動だ動かず、耳に神経を集中させた。かすかだが、確かに何か

音がする。かさかさと、擦れる音だ。二人は背中を合わせ、剣を抜いて身構えた。緊迫した空気

の中で、音がますます大きくなってきた。

 ターニが気づいた時には遅かった。足首に何かが絡み、物凄い力で引っ張られた。

「ターニ!」ジーケンイットはすぐに松明を持つ手を離して、ターニの手をつかんだ。引っ張ろ

うとする力が強いため、ターニの体は一瞬宙に浮かんだ。落ちた松明の光の中にターニの足に絡

みつくものが見えた。それは木の枝だ。灰色のような乾いた木の枝がツルのよに彼の足にまとわ

りついていた。ターニはそれを見ると、剣を振りかざし、枝を切った。彼の体が地に着くと同時

に、四方八方から何かが飛んでくる音がした。闇の中から伸びてくる無数の枝が彼ら目掛けて突

き進んだ。ジーケンイットとターニは剣をかざし、迫る枝たちを断ち切った。しかし、枝は切っ

ても切っても次から次へと現れる。しかも、宙を飛んでくる間にも地面を這った枝が彼らの足元

に近づいていた。

「ターニ、気をつけろ。足元にも来るぞ」ジーケンイットが苦々しい顔で言ったが、無数の枝は

ジーケンイットの腕にも絡んできた。蜘蛛の巣にはまった状態のジーケンイットはもがいても身

動きできなかった。だが、枝はそれでも容赦せず、伸びてきては彼の体を取り囲み、今度は締め

つけ出した。歯を食いしばり、耐えようとしたが枝たちの力は相当なものだ。しかも、手足の枝

が彼を捕らえたまま、動きはじめ、体を裂こうとしだした。全身に苦痛が走り、剣を持つ手も緩

んでそれは大地に突き刺さった。

 ターニはジーケンイットの窮地を悟ったが、自分の方にも無数の枝が縦横無尽に襲ってきたた

め、動きがとれない。たが、ターニは冷静だった。枝を切るために剣を振り回しつつも、目だけ

は周りの様子をじっと観察していた。松明の光が一瞬反射する位置をターニは逃さなかった。タ

ーニは腰から短剣を抜き、その光が反射した方向目掛けて短剣を投げつけた。短剣が闇に消えた

瞬間、「ゴッー」という低い音が闇に響いた。それと同時に、今まで無数にあった枝が突然止ま

り、地面に落ちた。ジーケンイットを捕らえていた枝たちもその力を無くし、ただの枝となって

動きを止める。ジーケンイットの体は枝が死ぬと倒れ込んだ。ターニはジーケンイットのところ

に駆け寄り、体にまとわりつく枝を切っていった。

「御無事ですか、ジーケンイット様」

「ああ、何とか大丈夫だ。体があちこち痛いが・・・」ジーケンイットはへばりながらも、剣を

拾いそれを杖にして立ち上がった。「ターニ、敵は?」

「多分、死んだと思います。奴の本体らしきものの目に剣を投げ込みましたから」

「そうか、さすがターニだ。助かったよ。礼を言う。・・・もう大丈夫だ先へ進もう。時間がな

い」

 ターニは松明を拾って再び闇の中に進んだ。

 

「なかなかやるわね。いつもの人間とは違うわ」カーミは球体を覗き込んで感心した。

「そうね、でも手応えがあって楽しいじゃない。いつも、悪樹の森で終わっていたんじゃ面白く

ないし」サーミは振り返ってカーミに向け不敵に笑った。

「でも、次は彼らも無理ね。『真実の部屋』へ誘い込みましょう。あそこほど楽しいところはな

いから」

「そうね。それは見物だわ」

 

 二人はひたすら闇の中を進んだ。方向も距離も時間的感覚も全く失っていた。本当にこの先に

魔女たちがいるのかとさえ、疑いたくもなってきた。森に入る前に見たオリトの山を考えると、

もう着いてもいいはずなのだ。

「くっそ、いつになったら着くんだ。もう何時間も歩いたはずなのに」ジーケンイットは焦り気

味に言った。

「たぶん、これも魔女のまやかしなのでしょう。さっきのことも有りますし、魔女をあなどって

はいけません」ターニは相変わらず、冷静に物事を判断している。

 松明の光の先に何かが現れた。闇の中なので全体は見えないが建物には間違いない。朽ち果て

た感じで、石が積まれている。

「あれなのか」ジーケンイットは呟いた。「入口はどこだ?」

「左の方に何かあります」二人が近づくと、そこに建物の中に入る小さな穴があった。

「ここから、入るか?」

「しかし、闇雲に入っては危険かと」

「それはそうだが、ここでボッとしていても仕方がない。魔女の罠としても前に行かなければ見

つけることもできんからな」

「分かりました。慎重にお願いします」

 二人は剣を鞘から出し、先を突くようにしながら穴の中に入った。穴の中もやはり闇である。

前を行くジーケンイットが気を配りながら松明をかざした。廊下のように両側を壁に遮られてい

る。二人は真っ直ぐ進み、部屋がないかと壁を手探りしながら歩いた。しばらく行くと廊下は行

き止まりになり、その先には木の扉がある。ジーケンイットはターニに目で合図して静かに扉を

開けた。何も動く気配はない。風が流れてくることもなかった。後戻りすることもできないので、

二人はゆっくり進んだ。部屋の中もやはり闇だった。松明の明かりが照らしだした範囲にも何も

ない。その時、今入ってきた扉が物凄い勢いでバタンと閉まった。それと、共に松明の火がさっ

と消えた。一瞬のうちに闇が彼らを支配した。互いに体をすり合わせ、存在を感じ取った。剣を

構え、何が起こってもいいように臨戦態勢をとった。

 ジーケンイットの視界にボーッと何かが見えだした。それは闇の中に見えるのか、自分が目を

つぶっている状態で見えているのか分からなかった。だが、彼の目にはその姿がハッキリと見え

ていた。リオカの姿だ。清廉で美しいリオカがお花畑で花を摘んでいる。突然の彼女の登場にジ

ーケンイットは戸惑った。なぜ、ここにリオカがいるのかそんな疑問も彼には浮かばなかった。

もう、会えないかもしれないリオカの存在が彼には嬉しかったのだ。ジーケンイットは彼女に近

づこうとした。しかし、近づいても彼女との距離は全く縮まらない。「リオカ」と呼びかけても、

彼女には聞こえていないようで何の反応も示さなかった。

 

 ターニの目には違うものが映っていた。何事にも冷静沈着なターニであるが、彼が動じること

もあるのだ。彼とて人間、今までに様々な生きざまを営んでいた。彼の過去は誰も知らない。唯

一ジーケンイットだけが知っているのみだった。彼は昔、盗賊の一員だった。幼き頃から裏街道

を進み、いつしかまともな生活から外れていった。孤独に没し、人目を避け、好き勝手な世界を

自由に進んでいった。そんな環境の中で同じ様な仲間に出会い、その一員になった。虐げられた

者たちが集まった集団において、ターニはここが自分の住処だと思っていた。盗賊の首領、ザー

ワに従い、ターニは街から街へと荒し回った。ただ、ターニは他の者たちとは違っていた。彼は

自分の利益の為に人を殺したことはなかった。盗賊の仲間は自分の身が危なくなれば、誰彼構わ

ず殺しまくっていた。それが、ターニにはできなかった。そのことを悟った彼は一味から離れ普

通の生活に戻ろうとした。だが、それも至難のことだった。ターニのことを知らぬ街を訪れ、仕

事を探し、住居を定めた。何度か昔の影の生活に戻ろうかとも思ったが、彼は奮起した。その、

理由の一つがスウーイの存在だった。街の酒場で出会った若くおとなしい少女、スウーイとの出

会いは彼の人生を変えた。彼女も孤児で身寄りのない身、それが心を引きつけたのか二人はいつ

しか深い仲になっていった。

 しかし、今までの悪業の罰か、彼の初めての幸せは無残にも踏みにじられた。ある日、ターニ

が仕事から帰ると、家が荒らされていた。そして、変わり果てたスウーイの姿があった。ターニ

は悲しみ憤った。その時、背後に現れたのはかつての仲間、グッチたちだった。怒りに震えたタ

ーニは剣を取ったが、相手は十人を超えていた。剣には勝っていたターニだが、スウーイの死の

衝撃によりその力は半減され、グッチたちに返り討ちにあった。ターニはすんでのところで逃げ

だし、瀕死の重症でさまよっていたのをジーケンイットが救ったのだ。彼の看病により、ターニ

は一命を取り留めた。ターニは全てをジーケンイットに話し、自分の一生を悔いた。だが、ジー

ケンイットは彼を責めたりはせず、自分の従者になるよう提言し、ターニはそれに従った。そし

て、それからの一生をジーケンイットに捧げたのだ。

 その生きざまが今目の前で繰り返されていた。自分の罪を見せつけられ、自分の行いを回顧し

ている情景があった。そして、スウーイの姿が現れた。愛しい女、生涯で一度だけ愛した女。記

憶の奥底に仕舞っておいた彼女の面影が今目の前に現れた。ターニは動揺した。ジーケンイット

に出会ってから、このような感情を捨てたターニだが、彼女の姿を見て心がおどった。

「スウーイ」ターニは手を伸ばし、彼女を捕らえようとした。しかし、まるで虚像の絵の如く彼

の手は空を切り、スウーイの体を通り抜けた。ターニが翻ると、スウーイの前にグーチたちが現

れた。彼女を見つけるとニヤリと笑いグッチとその仲間は彼女に襲いかかった。ターニはどうす

ることもできない自分がもどかしかった。目の前の光景が彼にとっては最大の衝動だ。「スウー

イ!」叫ぼうとも、スウーイの運命は変わらない。そして、今度は自分が現れた。あの時の自分

が。そして今度は自分がやつらに痛めつけられている光景が始まった。「やめろ、やめてくれ」

一生の中で一番の悲しみと、苦しみと、恐怖を思い出しターニの心は蝕まれていった。

 

「リオカ!」また、ジーケンイットは叫んだ。彼女は花を一杯手に持ち立ち上がった。何かが後

ろにいると気づいたからだ。ジーケンイットの目には彼女が振り返る姿が見えると同時に視点が

変わった。彼女の背後が見えるようになり、その彼女の前に巨大な黒いものが見えた。それはト

ゥリダンだった。トゥリダンだと思った。ジーケンイットは実物を見たことはない。長老たちの

話を聞いていただけだったが、これがトゥリダンだと彼には分かった。リオカは振り向き、恐怖

に怯えた形相で走りだした。ジーケンイットは「逃げるんだ、リオカ!」と叫び、リオカとトゥ

リダンの間に入ろうとしたが、それは出来なかった。必死に走るリオカ、彼女を追うトゥリダン、

ジーケンイットは彼女を救いたいと心から念じたが、何もできない。野原を走るリオカだが、巨

大なトゥリダンはすぐに追いつき、大きく口を開け炎を放った。青白い炎の塊は一直線にリオカ

に向かい一瞬のうちに彼女の体を焼きつくした。火柱が上がり、それはすぐに倒れ、地面に炎を

広げた。彼女が握っていた花が宙に舞い、灰となった。「リオカー、リオカ!!」ジーケンイッ

トは泣き叫んだ。リオカの死を目の前にして、彼は絶望の渦に取り込まれた。そして、気が遠く

なっていくのを彼は感じていた。

 

   11   恐怖

 

「暇だな。おい、寝ているのか、ルフイ」

「ああ、何もすることがないんだ。飯を食うにはまだ早いし、寝るしかないだろう」ルフイはだ

るそうに横になってほっといてくれというように手をはらった。

「おい、起きろ。誰か来たぞ」ギオスは小声になって、ルフイを起こした。

「何だ?こんなところに来る物好きがいるのか」ルフイはすぐに起きてギオスの横に来た。「あ

れは、ヒロとこの間来た、チーアの女じゃないか?何しに来たんだ?」

「んー、分からん。しかし、オリトまで来るとはよっぽどの事なのだろう。いや、待てよ。もし

かしたら、俺たちの事がばれたのかな?」ギオスが言った。

「それじゃ、放っておけないぞ、すぐに捕まえよう」

「待て、あいつらも森へ行くみたいだ。魔女に任せよう。その代わり、万が一にも備えてこちら

も支度をしておかなければいかんぞ」

 

「じゃ、ここまでだ。ここからはお前たちだけで行ってくれ」コトブーは荷が下りた思いで言っ

た。

「あの、本当に付いてきてくれないんですか?」山田はねだるような言い方をした。

「当たり前だ。誰が好き好んでオリトの魔女のところへなど行く。ここまで来るのだって大変だ

ったんだから、これ以上高望みはしないでくれ」

 山田にはここまで連れてきてくれたコトブーに心から感謝している。だから、これ以上の無理

強いはできない。しかし、目の前にある暗闇に向かうのはやはり気持ちが萎えてくる。

「ヒロ、ここでジーケンイット様を待たない。もうすぐ出てくると思うから。フーミ様も言って

いたしね」

「駄目だよ。ギオスたちがどこで待ち構えているか分からないんだから。それにおいらだってジ

ーケン様が無事に戻られる思っているけど、もし、魔女に捕まっていたら助けなくちゃいけない

だろ」ヒロには恐いものが無いのだろうか。子供らしい単純な考えかただが、その純真さにはか

なわない。

「じゃ、頑張れよ。魔女の術は恐ろしいけど。誰も戻ってきた奴はいないから本当のところは分

からないけどな、あばよ、生きていたらまた会おう」生きていたらとは少々不愉快だったが、粗

野なコトブーのユーモアなのかもしれない。

 ヒロと山田は松明に火を付け、闇の中に進んだ。山田にとって最も恐ろしい闇の中へ。

 

「どうやら、気絶したようね。まあ、『真実の部屋』では無理もないことだから。どんな恐怖と

悲しみを味わったか知らないけど、あいつらの精神はもう駄目でしょう」サーミはほくそえんで

言った。

「久し振りの人間の魂、楽しみだわ」カーミも嬉しくってしかたがないという表情をした。

「カーミ、あらら、また人間よ。今日はなんていう日なのかしら。しかも、今度は女と子供よ」

「本当?それは楽しみね。女の魂は若返りの元だから、ぜひいただきたいわ」

「何よ、カーミ十分若いくせにまだ若返りたいの。なら、私は子供の方を頂くは。子供の魂は精

気の源。これで百年は長生きできる」

「サーミも私のこと言えて、もう千年も生きているくせに」

「ほっほっほっ、さて、新しいお客をどうもてなすつもり?」

「そうね、魔木もやられてしまったし、早く魂が欲しいから、すぐにも『真実の部屋』に誘い込

みましょう」

「女や子供の恐怖って何かしら。楽しみだわ」二人の魔女はまた笑った。

 

 山田の恐怖は絶頂に近かった。たとえ松明が灯っていようとも、闇の中を歩くのは彼女にとり

最大の恐怖だ。むろん、真実の恐怖がこの先に待ち構えているとは知るよしもないが、彼女の熟

知している現実の恐怖が今は恐かった。だが、彼女の心の動揺が始まると、すぐに竜玉が反応す

る。彼女が不安を抱くたびに不思議なこのペンダントは彼女に安らぎを与えていた。恐怖は目や

耳、肌で感じて心がそれを受け入れている。その過程において竜玉は別の感情を融合させ、心に

届く前に恐怖の度合いを削減している。

 闇に入ってからどれくらいがすでに経ったのか、時間の感覚は麻痺していた。闇の恐怖ととも

にそういった方向や時間の感覚の不均衡が新たな恐怖を覚醒しだしている。そして、目の前に石

の建物が現れた。ジーケンイットがたどり着いた時間よりも早く着いていた。しかし、この森で

は時間というものは無意味なのだ。それはここに入り込んだ人間には分かるはずもない。生きて

帰った者がいないのだから。

「ここが魔女の家なの?」山田はヒロの背にもたれて体を縮めた。

「たぶん、そうだね」

「で、どうするの?まさか、入るわけ・・・」山田はおっかなびっくり言った。

「どうしようか?さすがにおいらも気が引けるな」

 だが、二人の意思にもかかわらず、建物の石の一部が崩れ、小さな穴を作りだした。穴が開く

と、風が起こり、二人を吸い込もうと物凄い吸引力が穴に向かって発生した。二人は、逃げよう

ともがき、地面にはいつくばったが、それも無駄で転がりながらも穴の中に吸い込まれた。

 穴に入った瞬間、静かになった。二人は体を打ちつけたために顔をしかめて立ち上がった。

「ヒロ、どこにいるの?大丈夫?」山田は真っ暗な空間を眺めたが、目をつぶっている状態と何

ら変わりはなかった。

「お姉ちゃん、大丈夫だけど、どこ、どこにいるの?」ヒロの声が聞こえたが、その方向は全く

つかめない。

 ヒロは何度も山田を呼んだ。彼女の声も聞こえはするが、やはり位置が判別できない。闇の中

をゆっくり歩き、手を伸ばして辺りをうかがった。目の前にわずかな光が見え、その方向にヒロ

は進んだ。光は大きくなり、ヒロを包み込むように広がった。今まで闇の中に慣れていた目がそ

の明るさに耐えきれず、目をしぼめた。瞬きしながら目を開けると、そこには若い男女がいた。

みすぼらしい服をまとい、引きずるような足取りでゆっくりと歩いている。女の腕には赤ん坊が

抱かれている。

「あなた、どうします。これから」女はやつれた表情で男の方に向かって言った。

「どうするって、どうしようもないじゃないか。もう金も底を尽きた。どうしようもない」男も

疲労に屈した顔つきで話した。

 その時、身なりのいい初老の男が彼らの前に現れた。「あんたら、困っているようだな。なん

なら相談に乗ろうか?」

 声を掛けられた男女は一瞬戸惑ったが、男が懐から貨幣を取り出し、それを見せびらかすと、

男女の表情がまた変化した。喉から手が出るほど欲しいものだ。

「これが、欲しかろう。欲しいならやるぞ。ただし、条件がある」

「条件?」男の方が尋ねた。

「そう、その子を私に預けてもらおう。つまり、その赤ん坊を買うんじゃよ」

「えっ」二人は顔を見合わせて茫然とした。

「あんた一体何者なんだ?」

「それは言えないな。しかし、子供を食おうとかは思っていないですよ。はっはっはっ、ちゃん

と、育てますから心配しなさんな。どうします?このお金は大金ですよ」男は嘲笑した声を発し

た。

 男は赤ん坊を見つめた。女はその表情を見ると、すぐに赤ん坊を強く抱きしめ「駄目」と男か

ら一歩下がった。

「しかし、このままでは皆死んでしまう。赤ん坊はあの人が育てると言っているんだ。だから、

心配することはないんだよ」

「いやよ、この子を手放すなんて。絶対に出来ないわ。そんなの絶対に」女は絶叫するように言

って男から後ずさりしていった。しかし、男は赤ん坊をつかみ、彼女から引き離して、初老の男

に向かっていった。女はその場に崩れ、泣き叫んだがもうあきらめていた。

───駄目だよ。そんなことをしたら。赤ん坊を手放すなんて、駄目だよ。ヒロは大きな声で叫

んだが目の前の人たちには聞こえるはずもない。

「この子を頼む」男も涙を流しながら赤ん坊を手渡した。

「分かっている。大事に育てるからな。これはその礼だ。大事に使えよ」と初老の男は金を男に

渡した。

───駄目だよ。そんなの。その子が不幸になるよ。ヒロは思い出した。自分は物心ついたころ

子供を売買する業者の所にいたことを。ヒロはそこを抜け出して、一人で生き始めたのだ。目の

前の光景は自分の事なのか?ふと、そんな思いにかられた。もちろん、ヒロは両親の顔など覚え

ているはずもなく、自分の生い立ちも知らない。だから、目の前の映像が自分の事か確信は持て

なかった。しかし、赤ん坊とて生きているのだ。物を見、音を聞き、感情もある。赤ん坊の時の

記憶が無くても、生きていた時の記憶は脳のどこかに記録されているはずだ。思い出せなくても、

どこかに記憶があるはずなのだ。それが、今の光景なのか?

 自分は捨てられた?金で売られた?そんな思いがこみ上げてくると、ヒロは深い悲しみと絶望

感を感じた。

 泣き崩れる女、それを慰める男。たとえそれが仕方のないことだとしても、ヒロには救いよう

のない出来事だった。ヒロの心は大きな悲哀に浸食されていった。

 

 ヒロを探し求めていた山田は完全に方向感覚を失った。ヒロがいなくなり、一人になった不安

が彼女の恐怖をまた助長させていった。その恐怖の大きさは竜玉の暖かささえも凌ぎ、心の不安

は増大していった。彼女の目の前にも光が現れた。山田は出口かと思って一目散にかけよった。

光が彼女を包み、目の前に人影が現れた。あいつだ。あいつの姿が見えた。山田は自分が元の世

界に戻れたかと思い、喜び勇んであいつに走っていった。今までのことは夢だったんだ。そう思

ったのも束の間、山田はあいつに抱きつくこともできず、途方に暮れた。「ねえ、私はここよ」

しかし、あいつには聞こえていないようだった。あいつは自分の部屋にいた。服装もあの日、別

れた時の姿だった。その時、部屋の入口の戸を叩いてあいつの妹が入ってきた。その彼女の顔は

泣き崩れている。あいつもその表情に気づき、どうしたんだと言い寄った。妹は泣きながら話す

とあいつは放心状態に陥った。山田はすぐに悟った。自分が交通事故に遇ったという連絡が掛か

ったのだ。「ねえ、私はここにいるの」もう一度、山田は言ったが、無駄ことだった。あいつは

部屋を飛びだし階段を駆け降りて、フェアレディに飛び乗った。猛スピードで飛びだし、あいつ

は車を走らせた。車が病院に着くと、あいつは車から駆けだして、病院の中の受付に慌てた様子

で行って、すぐにまた走った。あいつが行き着いたところは手術室の前だった。赤い手術中のラ

ンプが灯っている。それが、消えた。中から血で汚れた白衣を着た医者が現れ、あいつが医者を

見つけるとすぐに駆け寄った。医者が静かに目をつぶって首を振る。そして、あいつがその場に

しゃがみこんだ。手術室のドアが開き、担架がでてくる。白いシーツで覆われ、顔には白い布が

掛けられていた。あいつの前で担架は止まった。あいつは立ち上がり、しばらく逡巡してから布

を静かに取った。綺麗な顔だった。交通事故に遇ったのにもかかわらず、顔だけは無傷だった。

穏やかな死に顔、微笑んでいるよな顔。それは自分の顔だった。

───待って、私は死んでいない。ここにいるの、ここに。あいつがその場で唖然としていると、

医者が彼の肩を叩き、椅子に座らせようとした。遺体は再び布を掛けられ動きだした。山田の両

親や兄、あいつの家族も駆けつけていた。皆、あいつの表情から全てを察し、その場でうなだれ

ている。

───ねえ、私は死んでいないのよ。お母さん、お兄ちゃん、私はここよ。山田は泣き叫んで彼

らに取りすがろうとしたが、どうすることもできない。山田もついにその場に崩れていった。

 

   12   伝説

 

「どうやら、二人とも気を失ったようね。どんな夢をみたのかしら。とにかく、今晩は久し振り

のディナーね。楽しみ。少し力を使いすぎて疲れたわ、一休みしましょう」

「そうね、カーミ。私も久し振りに疲れたわ。楽しみは取っておいて、少し眠りましょうか」二

人は「ほっほっほっ」と高笑いしながら、闇の中に消えた。

 

 胸のペンダントがほのかに光った。弱い明かりは山田の全身を包み込み、彼女の体に息吹をふ

きこむ。山田は身体を震わせて、意識を取り戻したが、さっきまでの悪夢がまだ脳裏にこびりつ

きボーッとした感じだった。何とか目を開け瞬きを繰り返しながら、周りを見た。竜玉の明かり

に照らされ、そばにヒロが倒れているのを見つけた。這うように肘と膝で進み、ヒロのところま

で行き着いた。

「ヒロ、ヒロ。大丈夫」ヒロの身体を揺らすと、低く呻きながらもヒロは意識を取り戻した。

「お、お姉ちゃん。どうしたんだろ。何か恐ろしいものを見た感じだ」ヒロも疲れ切った顔で顔

を上げた。「ここはどこだろ・・・、そうか、まだ、吸い込まれた部屋なのかな」

「そうみたいね。ジーケンイット様もここにいるのかしら」二人はゆっくり立ち上がり、ペンダ

ントの光を照らして周りを見てみた。ある方向に光が射した時、倒れている人影を見つけた。

「あそこだ」二人は、そこまで体を引きずるように歩いていった。

 ジーケンイットとターニはうつ伏せに横たわっていて、近くには彼らの剣が転がっている。

「もう、魂を取られちゃったのかな」ヒロは心配そうに言ったので、山田はジーケンイットの顔

に触れた。まだ、温もりがあり、息もしているようだ。

「大丈夫、まだ、生きてらっしゃるわ」

「よかった」

 竜玉の光が彼らにも当たると、二人とも息をむせびながら、目を覚ました。

「ジーケン様、無事ですか?」

「ん、その声はヒロ、ヒロじゃないか。何でここにいるんだ。そ、それにエツコまで」ジーケン

イットは二人を見つけ、驚いていた。「まだ、さっきの悪夢の続きなのか」

「違うよ。おいらたちは大事な事を知らせに来たんだ」

「大事な事?なんだそれは?」

「実はね。ルフイとギオスが三種の神器を手に入れることを妨害しに来ているんだ。そのことを

知らせようと思って」

「ルフイとギオスが?」まだ、ふらついているターニが言った。

「なぜ、私の邪魔をしようというのだ。そんなことをして何の得策が・・・」

「よく、分からないけど、ジーフミッキ様の指示らしいです」

「ジーフミッキ?」ジーケンイットは怪訝な表情をした。「ジーフミッキが裏でかんでいるのか

・・・。まさか、そんな」

「確かなことは分かりませんが生贄の選別にも何かあるみたいです」山田はその疑問も話した。

「そんな、しかし、なにゆえに・・・。だが、リオカの生贄は変えられない。とにかく、三種の

神器を手に入れ、トーセに戻らなくては」

「ですが、ここからどう抜け出せばいいのでしょうか?」さすがのターニも先程の悪夢は応えた

らしい、珍しく弱音をはいていた。

「そうだ。それが問題だ。腕力や剣術なら私にもなんとかなる。しかし、こう精神的に追い詰め

られては、堪らないな。皆もやはり悪夢を見たのか?」皆、そのとおりだとうなずいた。「くっ

そ、人の弱い心に付け込むとは、魔女とはなんと卑怯な奴だ。どうすればいい、悪夢に勝つ方法

は有るのか・・・?」ジーケンイットは自分の心の弱さに歯ぎしりした。剣では負けない自身が

あったものの、見えない敵が相手ではどうすることもできない。

 その時、どこからともなく声がした。「エツコさん、エツコさん」山田は周りを見て言った。

「誰か私を呼んだ?」皆かぶりを振ったが、また、「エツコさん、エツコさん」と彼女を呼ぶ声

がした。

「お姉ちゃん、竜玉から声がするよ」ヒロが最初に言った。

「うん、エツコそれはノーマが持っていた竜玉ではないか?」ジーケンイットも光の元に気づき

言った。

 山田が胸元のペンダントを見るとそれは光を放し続け、その中心から声が聞こえるのがハッキ

リと分かった。そしてその声の主も。

「ノーマさんね」

「そうです。ノーマです。竜玉の力を通して話しかけています。皆さん御無事ですか?」

「ああ、大丈夫だ、ノーマ。しかし、我々は完全に魔女に捕らわれた。真っ暗な部屋に閉じ込め

られ、わけの分からない夢を見させられた。どうすればいいか教えてくれ」ジーケンイットはペ

ンダントに向け話した。

「ジーケンイット様、御無事で何よりです。そうですか、そこは多分、魔女たちの『真実の部屋

』でしょう。そこは人間が心に秘める、悲しみ、恐怖を導き出し、その人間に見せつける恐ろし

いところです。皆さんが御無事なのは何よりも奇跡です。たいていの人間ならすでに精神的な廃

人になっているはずです」

「そうか、しかし、さっきの夢は恐ろしかった。二度とは見たくないな。そして、今度同じ物を

見せつけられたら、今度はもつかどうか分からん。あの苦痛を思い出すだけでも気が狂いそうだ

」山田は初めてジーケンイットが震えるのを見た。どんな悪夢を見たのだろうか。少し、興味を

持ったが、自分のことを考えればそんな不謹慎な思いにかられたことが恥ずかしく感じられた。

「どうすれば、この部屋から抜け出し、魔女たちを倒せる?教えてくれ。今までここを訪れた者

のように犬死にはしたくない」

「『真実の部屋』は闇の部屋です。闇を葬り去るには光が必要です。ですが、そこには光があり

ません。ですから、ジーケンイット様の力で闇を切るしかないのです」

「闇を切る?どういうこだ。それに光はこの竜玉が光っているではないか?」

「竜玉の光は正しく言うと光ではありません。心のエネルギーなのです。竜玉だけでは抜け出す

ことが出来ないのです。そして、魔女を倒す方法ですが、文献を調べたところ一つしかありませ

ん」

「何だそれは?」

「三種の神器です」

「何?三種の神器だと。それはトゥリダンを倒すものではないのか?」

「もちろん、そうです。しかし、魔女たちも三種の神器のでなければ倒せません。なぜなら、魔

女たちも元はトゥリダンの一部だったのですから」

「どういうこと?」山田が尋ねた。

「私も、私の先祖もずっとある言い伝え、伝説を伝授してきました。それによると、遙か大昔、

この地に竜が存在し、暴れまわっていたそうです。人々は竜に脅え、逃げまどっていました。も

ちろん、戦おうという人たちもいましたが、竜の力の前には無力でしかありません。そんなある

日、一人の勇者が現れました。その勇者はこの地の者でなく、どこか遠い別の世界から来たとさ

れています」

 別の世界と言われ、山田のハッと思った。自分と同じではないかと。

「その勇者は特別な剣と楯、矢を持ち竜に立ち向かったのです。彼の持つ武器は竜の力を押さえ、

弱点である角を落としました。そして、止めをさそうと矢を射ろうとしましたが、さすがの勇者

もそれまでに力を使い果たし、ついには矢を放てませんでした。竜は一命を取り留めたものの深

手を負ったため、退散することにしたのですが、このままにしておいてはまたいつか誰かがこの

武器を持って現れるかもしれません。そこで、竜は自分の体の一部分を喰い千切り、二つの肉塊

から、人間を作りだしました」

「それが、魔女なの?」今度はヒロが尋ねた。

「そうです、魔女は武器を持ち去り、オリトの山の中に入ったのです。そして、その武器をずっ

と守りつづけることにしたと言われています。魔女は竜の一部です、ですから、三種の神器でな

ければ倒せないのです。そして、勇者の方もある物を残していました。それが、竜玉なのです。

竜は角を折られた時に、涙を三粒流しました。それを勇者が拾い、彼を助けに来た者に託して、

息を引き取ったということです。それが、私たち賢者に伝わり今、エツコさんのもとにあるので

す」

 単に伝説と言ってしまえばそれまでだが、どこか納得してしまう話だ。四人ともノーマの話に

没頭してしまった。

「そうか、分かった。とにかく、三種の神器を探せばいいのだな。そして、それはここのどこか

にある。何とか、この真実の部屋を抜け出し、神器を見つけよう」

「御健闘を祈ります。ここからでは私の力は何も及びません。どうかお許しください」

「いいんだ、ノーマ。そのかわりリオカのことを頼む。後何日だ、生贄の日まで」

「もう、明日に迫っております」

「何、そんな馬鹿な。もうそんなに経っているのか?おかしい、我々はそんなに長く眠っていた

のか?」

「オリトの森は魔女たちの力により、時間の流れが変化しているのでしょう。こちらの時間とそ

ちらの時間は違うのです。私はそう考えますが」

「何ということだ。しかし、私は諦めないぞ、最後まで」

「ジーケンイット様、あなた様だけが頼りでざいます」

「ああ、ノーマ」ジーケンイットは今までの疲れもどこかに飛ばし、立ち上がった。「行くぞ、

皆、今度こそ」

 

 柩のような箱に入り休んでいたカーミとサーミは同時に起き上がった。

「サーミ、感じた?獲物が動きだしたのを」

「ええ、感じたわ。もう起き上がるなんて、信じられない。まだ、精神に障害を起こしていない

のかしら」

「そのようね。のんびりしていられないわ。魂を取りのがしてしまう。今度はとどめをさしまし

ょう。最大の恐怖を味あわせて」

 二人は箱から飛び起きると、飛ぶように歩いていった。

 

「でも、どっちへ行けばいいのかしら、光がどこを照らしても何も無いわ」山田の顔が竜玉の光

でほのかに輝く。それは妙に神秘的な美しさをかもしだしていた。この竜玉は彼女がもってこそ

光る、彼女のために光っているとしか思えなかった。

 一瞬、ジーケンイットはその美しさに見とれ、返事に遅れた。「ああ、とにかく、前へ進もう、

ここに入ってきた以上、必ず出口はあるはずだ。ただし、皆離れるな。また、あの悪夢が襲って

くるかもしれない。それに対抗するには我々の意思の力が必要のはずだ」

 だが、敵はそんな団結を早くも切り崩そうとした。カーミとサーミは球体の前に立ち、その念

を山田たちに送った。それに彼らが気づいた時にはすでに遅かった。各々が、暗闇の中の光に捕

らわれ、目を通した意識がそれに吸い込まれていた。

 ジーケンイットはまた花畑の映像を目にしていた。またしてもかと、彼は考え、今度リオカが

襲われる姿を目にしても、それに負けない気力を振り絞る決意をした。だが、敵は甘くなかった。

そのジーケンイットの心をすでに見抜き、今度はさらに辛辣な手を使ってきた。赤や黄色、白の

花の中から、リオカが立ち上がった。だが、彼女だけではなかった。次にはフーミが花の中から

現れた。続いて、両親であるシンジーマーヤにアズサーミ、そして、ターニにヒロが、ついには

エツコまでもがその花咲く、楽園の中に登場した。皆はそれぞれに花を摘んだり、手を繋いで花

の周りを回ったり、フーミは花を長い髪に添えている。ジーケンイットの心は動揺していた。思

わぬ展開が彼の戦う意思を萎えさせた。この映像がどうなるか、彼には分かっている。さっきと

同じようにトゥリダンが現れ、リオカたちを焼き尽くすのだ。それが、分かっているからこそ彼

にはこの情景が恐ろしかった。リオカばかりではなく、フーミやヒロなど自分が愛する者たちが

目の前で無残に死んでいく。それを直視し、耐えることが出来るだろうか。

 ジーケンイットはターニのように、すでに悟りを開いている人間ではない。たとえ、剣の強者、

勇者であっても精神はまだ完全に鍛えられてはいない。愛する者がおり、その者たちとの幸せな

生活をおくることをいつも心に持ちつづけている彼にとり、その者たちの死は彼の死と同じであ

った。すでに、リオカの生贄選別において一度は心を閉ざしていた彼だ、まだ、その心の弱さを

完全には克服していない。

 ジーケンイットにはそれが、歯痒かった。何も出来ない自分、彼らの死が自分の心の均衡を破

壊していくことが分かっていながら、この映像を見つづければ自分の精神は崩壊すると知りなが

ら、それを制御できない自分が。その思いは現実にリオカを救うことができず、彼女をトゥリダ

ンの犠牲にしてしまうのではないかという不安がより一層、彼の正常な心を蝕んでいった。そし

て、それは諦めという最悪の感情を生み出し始めていた。

 

 山田も眩しい光に包まれた。彼女もまた、自分が死ぬ姿を見せられるのだろうと、気持ちを身

構えていた。自分は今こうして生きている。たとえここが別次元の世界であろうとも、自分は生

きている。そうした確信が有るかぎり、何度自分が死ぬ姿を見せられようとも、微塵も揺るがな

い心を持っていた。しかし、敵もさるものだ。そんな、彼女の思惑の裏をかくかのように、悪夢

は彼女の最愛の者の死を見せることにした。彼女が愛するもの、それはもちらん彼女の家族であ

り、あいつの事だった。だが、それ以上に愛する者があった。それはまだ芽生えたばかり、愛を

感じ始めたばかりで、これから、彼女が天寿を全うするまで愛しつづける人であった。山田の目

には病院の風景が映った。また、自分の死を見せるのだなと彼女は高をくくったが、その情景は

さっきとは違った。手術室のベッドの上には自分がいる。しかし、今度はちゃんと生きていた。

ベッドの上でもがき汗をかいている自分が。何なの?山田は思いはじめ、周りを観察しだした。

映像に映る自分は悶絶のように苦しみ、力んでいた。歯を食いしばり、玉のような汗を顔中に放

出している。ベッドには白いシーツが体の上に掛けられているが、その下半身はシーツが浮いて

いた。周りには、複数の看護婦が慌てた様子で動き周り、足元に医者が神妙な面持ちで手を動か

していた。

 彼女には何が起ころうとしているのか理解でき始めた。敵は自分の最も愛する者の命を奪おう

としているのだ。まだ、これから生まれようとする新たな命を数秒で亡き者にしようとしている

のだ。だが、それが理解できると彼女は戸惑いだした。この予想もしなかった幻影に、最初の決

意はもろくも崩され、心の弱さが露呈し始めた。敵は人間の心が持つ、最も弱い部分を見つけ出

し、それを増長させ、心の内部から殺そうとしている。それに彼女は耐えられないとすでに感じ

ていた。その心のもろさが、彼女の精神を狂気に変えようとしていた。このまま、この映像を見

つづければ、結末はきっと恐ろしいことになる。それが分かりながらも今の彼女にはどうするこ

ともできない。恐い夢を見始め、このまま夢を見つづければ恐い目に遇うと分かっていながら、

目を覚ますことができないもどかしさと同じだ。目をつぶろうとしても、この映像は瞼を貫き、

網膜に直接投射していた。

───止めて、誰か止めて!

 彼女は声にならない声で叫んだ。しかし、ビデオのストップボタンを押すようにはいかない。

映画館の映像のように目の前の光景は止まらなかった。彼女はこれから映るだろう映像をすでに

心に思い浮かべだし、自分の心が極限に近いことをわずかに残った理性が感じ取っていた。その

残されたわずかな理性は恐怖と狂気に挟まれながらも、尋常な考えを思いついた。

───そうだ・・・、竜玉を使おう。竜玉を・・・。竜玉よ、どうか私の願いを叶えて。もう私

の精神は限界です。どうにも自分ではできません。ですから、お願いです。私に力を貸して、こ

の悪夢に打ち勝つ力を・・・、お願い、お願い・・・・・・。

 

 ターニも光に包まれた。彼も二度と同じ手は食わないと身構え、心の中にバリヤーを張り巡ら

せた。だが、敵もそれを見抜いていた。前回と同じようにスウーイの姿を見せたりはせず、ター

ニが愛した、今は亡き両親の姿を映し出した。ターニがまだ幼いころだ。両親はいつも喧嘩が絶

えず、酒飲みの父は母に暴力を振るっていた。そして、ある日、泥酔した父は母を殴りすぎてつ

いに死に至らしめてしまった。ターニはその光景をまざまざと見ていたのだ。父はその後しらふ

に戻り、自分の犯した罪の重さに耐えかね自殺した。その死に際までもが目の前に現れた。ター

ニの心は動揺した。

 いや、それは違った。ターニの心は微動だも揺れ動かず、冷静そのままだった。もし、彼の心

電図が計れれば普段と何も変わりない結果になっただろう。なぜならこれはターニの罠であり、

彼は敵の裏の裏をかいたのだ。ターニは両親など微塵も愛していなかった。酒浸りで、働きもせ

ず母に暴力ばかり振るう父、それに耐えてるようで、裏では別の男と付き合っている母。そんな

両親をターニは目にし、彼らに対する愛情は幼い時に消え失せていた。二人が映像のように死ん

でも何とも思わず、その後彼は一人で生きていったのだ。ターニはそれを逆手に取った。両親を

愛しているように見せ掛け、敵にその死に様を自分に仕向けるよう、策略したのだ。ターニの精

神は並のものではない。心の中の感情を制御できたのだ。敵はその術中にはまり、ターニに両親

の絵を見せた。しかし、それは彼に取って何の悲しみでもなかった。愛を感じた事がない親など、

何の感情も湧かないのだ。

 ターニは一度目をつぶって精神を集中し、再び目を開けた。その開いた目にはもうさっきの映

像は映っていない。目の前には闇があるのみだった。ターニはおもむろに剣を抜き、眼前の黒い

空を斬った。その瞬間、闇が真っ二つに裂け、その奥に球体を握る魔女の姿を見つけた。

 

 竜玉の一つが今までにない明るさで光った。それは太陽よりも眩しいほどの光だ。その光は彼

女を包み込み、山田は白球の中に消えた。

 今にも彼女の体内から新しい命が誕生しようとしていた。医者の手にその生命が抱かれると、

大きな泣き声がこだました。今まで、音のない映像だったのになぜかその時は音が聞こえた。映

像の中の自分は大きく息を吐き、安堵の表情を浮かべている。その枕元にはあいつがいて、看護

婦から手渡された赤ん坊を、抱き抱え彼女にも見えるように傾けた。赤ん坊はまだ、フニャフニ

ャの感じで毛が一本も無いが、可愛らしい泣き顔を無邪気に見せている。その子供の姿に彼女も

微笑んだ。本当の幸せを、愛を、その時彼女は感じた。

 その瞬間山田は現実に返った。闇と戦う自分がいるのを認識し、心と精神がすべて正常に戻っ

たのを感じた。胸の竜玉はまだ光り続け、その光の帯が目の前の暗闇を切り裂いた。その、向こ

うには山田の出現により、呆気に取られたサーミがいた。修道院のような真っ黒な服をまとい、

長い黒髪を振り乱す女がいた。顔は黒い服とは対照的に真っ白で、見た目はまだ若い女の感じだ。

だが、サーミの目だけは怪しいほどにぎらつき、山田を凝視した。

「なぜなの、なぜ、真実の部屋から出られたの?」怒りと戸惑いにサーミは震えた。「あ、あれ

はトゥリダンの涙!」それを見た時、サーミは怯えた。

 竜玉の光はまだ放たれ、山田がペンダントを手に持って光をサーミに向けた。光がサーミを照

射すると、サーミは顔を手で覆い、物凄い速さで逃げ去った。山田はそばに倒れているヒロを抱

き上げた。体中汗でびっしょりだが、まだ呼吸はしている。

「ヒロ、しっかりして、ヒロ」山田はヒロの頬を二三度叩いた。

「うっ・・・」といいながらヒロは意識を取り戻し、目を開けた。「お、お姉ちゃん・・・」ど

うやら、精神の方も大丈夫でふらつきながらも立ち上がった。

「大丈夫、ヒロ、私が分かる?」

「うん、大丈夫だよ。ああ、お姉ちゃんが襲われる夢を見ていたんだけど、すんでのところで光

に包まれたんだ」

「そう、良かったわ」山田はヒロを強く抱きしめた。

 ヒロは山田の肩ごしにあるものを見つけ「お姉ちゃん、あ、あれ」と、それに指を指した。

 そこには二つの柩のような箱があり、その奥の台に楯と剣と矢があった。直径五十センチほど

の銀に光る楯、柄が黄金に輝き剣の部分もキラリと光る剣、そして、七十センチほどの細く鋭い

矢。

「あれが、三種の神器ね」

「きっと、そうだよ。早く、早く持っていこう」

 

「おお、なんてこと、私の、私の真実の部屋の壁を破るなんて」カーミはいきり立った表情でタ

ーニを睨んだ。サーミと同じ衣装を纏い、顔だちや髪も同じだった。彼女の怒りとともに、目の

前の球体にひびが入り、真っ二つに割れた。

 ターニは魔女目掛けて剣を突き出した。剣は魔女の服を裂き、体を貫いた。しかし、カーミは

顔色一つ変えず、その剣を手で直接握ってターニから剣を奪い、放り投げた。

 唖然とするターニ、魔女はやはり只者ではなかった。ターニはすぐに後ろに下がり、ジーケン

イットを探した。ターニはカーミに気をつけながら、そばにうずくまっていたジーケンイットに

近づき声を掛けた。

「ジーケンイット様、御無事ですか?」

「ああ、何とかな。あと少しで、やばかったけど、突然、悪夢が覚めたみたいだ」ジーケンイッ

トは頭を振りながら立ち上がり、顔を上げた。目の前に魔女を見つけると、ジーケンイットはす

ぐに体制を整えた。

「ターニ、あれが魔女か?」

「そのようで」

「しかし、どう倒す。三種の神器がなければ無理だろう。探すのが先か」

「それは無理でしょう。奴はすぐにでも襲ってきます」

 そうターニが言ったのも束の間、カーミは険しい表情で言った。「お前たち、たとえ真実の部

屋を破ったところで、勝ちではないぞ、私の力に勝てるわけがないのだ」カーミは宙に浮くと両

手の掌を思いっきり広げ、天空にかざした。指の先から青白い電流のような火花が散ると、雷の

ような閃光が手から放たれ、ジーケンイットたちの方に飛ばされた。二人はそれが届く寸前に避

けたが、その電流は床を這い、二人の体に伝わった。痺れるような、鋭い痛みが全身に走る。カ

ーミは容赦せず、次々に閃光を放った。剣でも避ける事はできず、もろにそれを浴びたジーケン

イットは失神に近い、激痛を味わった。

「とどめだわ」カーミが叫んだ時、サーミが飛んできた。

「どうしたの、サーミ?」

「真実の部屋が破られたわ、カーミ。あら、あいつら、こっちも破られたの」

「そうよ、でも、これからが本当の私たちの力を見せる時よ」

「けど、あの女、トゥリダンの涙を持っていたわ」

「トゥリダンの涙?なぜ、そんなものがここに?サーミ、三種の神器はどうしたの?、ちゃんと

見てないと」カーミは急に血相を変えて尋ねた。

「あっ、大変だわ、どうしましょ」

「とにかく、目の前の人間を仕留めるのが先よ。後は女と子供、どうにでもなるわ」

 カーミはジーケンイットたちに向き直り、今までよりもっと恐ろしい目つきで言った。

「人間どもよ。私たちを本当に怒らせたことを後悔させてあげるわ。もう、魂なんてどうでもい

い。いますぐ、お前たちを地獄へ送ってやる」

  カーミとサーミの手には今まで以上の光球が宿り、眩しいほどの明るさをあらわした。ジーケ

ンイットたちはそれを見て怯んだ。あれをまともに浴びれば命は無い。しかし、どうすればいい

のか。ターニはジーケンイットを守るために前に出た。楯になるつもりだ。

 魔女たちの手に光が溢れんばかりになり、それを振りかざそうとした。

「ジーケン様、楯と剣と矢です」ヒロの叫ぶ声が二人の耳に入った。剣と矢を持ったヒロと、楯

を重そうに転がしながら走ってくる山田を見つけた。魔女が閃光を放った。山田は転がした勢い

でそのまま楯を彼らの方に押し出し、楯はまっすぐ、ジーケンイットの手に渡った。楯を受け取

ってすぐ、ジーケンイットはそれを持ち上げ、ターニの前に掲げた。その瞬間に魔女の閃光が届

いたが、それは楯により反対側に反射させられた。楯は二人の体を隠せるほどの大きさでもない

のに、彼らの体全体にバリヤがあるかのごとく、敵の攻撃を受け付けなかった。

 魔女たちは焦った。ベーシクの楯をかざされては成す術がない。だが、それでもサーミは閃光

を放し続け、跳ね返されるたびに、ムキになり、ジーケンイットたちに近づいた。

「サーミ!やめなさい」だが、遅かった。ヒロから手渡されたコーボルの剣を握ったターニは閃

光を放し終わった瞬間のサーミに目掛け突進し、彼女の体を真っ直ぐ貫いた。

「ギャァァー」という獣のよな悲鳴と共に、サーミはその場に倒れ込んだ。

「サーミ・・・」カーミの絶叫が響いた。ジーケンイットはその隙に楯から弓を持ち替え、ヒロ

の手からシーゲンの矢を受け取った。それに気づいたカーミは逃げようと宙に舞ったが、ジーケ

ンイットはすぐに狙いを定め、飛び上がるカーミ目掛けて矢を放った。矢はカーミの脳天を貫き

止まった。

「グエェェェー」という雄叫びをあげ、カーミの体は急に向きを変え、床に真っ逆様落ちていっ

た。

 床に倒れた二つの亡骸は、朽ち果てるかのように崩れていった。肉の部分がみるみる水分を無

くし、乾いていく。骨が見えたかと思うと、それもすぐにひびが入り、粉々に割れていった。魔

女が着ていた服も溶けるかのごとくばらばらになり、風もないのに散っていった。最後には拳ほ

どの黒い塊だけが残った。もともとトゥリダンの一部だった部分に戻り、魔女は死んだのだ。

 静まり返った。さっきまでの騒々しさが嘘のようだ。ジーケンイットもターニも荒い息を吐き

だした。不死身と思えた魔女が滅んだ。普通の武器では決して勝つことができない相手をこの三

つの武器は信じられない力を発揮し、見事に魔女を仕留めた。

「ジーケン様!」ヒロが声をかけると、ジーケンイットはやっと我に返り、ヒロたちに振り返っ

た。

「こ、これが三種の神器の力なのか。素晴らしい、これならトゥリダンを倒せるかもしれない」

彼は神器の力に感慨し、弓を握る手を震わせた。

「ゴッッッッー」と低い音響と激しい振動が起こった。

「まずい、この建物が崩れるぞ、皆逃げるんだ!」ジーケンイットは叫び、走りだした。その途

中、カーミを貫き、床に突き刺さった矢を引き抜いていった。だが、魔女の断片がピクリと動い

たことには気がつかなかった。

 建物の石でできた壁が崩壊しだした。四人は出口を探したが、魔女が滅んだ今でもここは迷宮

のままだった。右往左往している間もなく、天井は崩れ落ち、壁が割れて飛んでくる。足元に転

がる瓦礫を飛び越し、頭上の石を避けながら必死で出口を探した。山田は前を行くジーケンイッ

トに並び、行く先を指示した。「こちらです」それは、彼女の意思ではなく、胸のペンダントか

らの導きであった。竜玉から伝わる何かが彼女を誘っていた。そして、彼女の誘導により、四人

は建物の外に出ることができた。外はさっき入ってきた時の暗闇ではなく、太陽の光が直接当た

っていた。周りにあった、樹海のような木々は全て枯れ果て、葉などは一枚もない。細々とした

枝だけが四方に伸び、今まで見えなかった空を通していた。彼らが外へ出るのと同時に背後の建

物が崩れた。崩壊した建物はただの石の山で、以前どんな建造物があったのか、その形を知るこ

とはできなかった。すべてが崩れ落ちると、瓦礫の縁から煙が立ちのぼる。その煙に混じって彗

星のような発光体が幾つも飛びだしていった。淡い白や黄色い手の拳大の光る物体だ。

「ジーケン様、何です?あれは?」ヒロはそれを眺めながらきいた。

「んー、たぶん、今まで魔女に戦いを挑み、その結果、魂を取られた者たちが帰っていくのだろ

う。それぞれ、愛する人のためにここに来て、その望みを達成できなかった者たちが、その命を

かけた人のところへ帰って行くんだ」ジーケンイットは静かに黙した。

 

  13  時間

 

 ジーケンイットたちが魔女たちと戦っているころ、現実の世界ではどんどん時間が進み、つい

に生贄の日となった。朝日が登ると同時に拘留塔の前には剣を地面に付き立てた兵隊が並んだ。

その兵たちの先にはカウホースに繋がれた車があり、入口の扉をシーラが開いて待っていた。塔

からミヤカに付き添われリオカが出てきた。向き合った兵たちが剣を上に上げ先を交わらせた。

その下をリオカはゆっくり歩いてくる。普通の生贄の女ならここで泣いたり、狂ったようにわめ

き散らす者も多かったのだが、リオカは毅然とした態度で前に進んだ。ミヤカの方が涙にくれて

いるぐらいだ。車のところには、リオカの父、ヨウイッツと仲の良かったフーミ、ヒヨーロが待

っていた。フーミもヒヨーロも目が潤んでいるが、ヨウイッツは娘と同じように泰然と立ってい

た。リオカは三人のところまで来て立ち止まった。

「フーミ様、ヒヨーロさん、ありがとうございました。今までいろいろ尽くしていただいたこと

決して忘れません」リオカは二人の手を交互に触れた。ヒヨーロは耐えきれず声を出して泣いた。

フーミも限界ではあったが、兄が戻ってることを信じ涙を見せなった。

 次にリオカは父のところに来た。「父上、長い間ありがとうございました。私が先に旅立つの

は心もとないのですが、これもトーセのためと思いご勘弁ください。私は父上のことを心から愛

しております」

「愛?そうか、愛か。私は今までその言葉を忘れていた。今、お前がいなくなると知った時、心

が張り裂けそうになった。そう、愛か。私もお前のことを愛している。産まれた時から今の今ま

で、いやこれからもずっとお前の事は愛する」

「父上・・・」リオカはヨウイッツの胸に抱かれた。もう、二度と父とは会えないと覚悟した思

いは彼女の父に対する愛情を大きくさせた。

「ジーケンイット様はお戻りになられたのですか?」

「いや、その・・・・・、まだ戻られてはおられない」ヨウイッツは答えに窮した。「でも、心

配するな、王子は必ず戻られる。そして、お前を・・・」

「私はジーケンイット様がご無事ならそれでいいのです。戻られることは私も信じております。

ですから、父上から礼を言ってくださるようお願いします」

 リオカは意を決して車に乗った。シーラがうやうやしく扉を閉めると、車は並んでいた兵たち

に挟まれて動きだした。

「リオカさん!」もう一度、ヒヨーロは名前を呼んだ。しかし、それに対する返事はもう無かっ

た。ヒヨーロはリオカの運命が自分の父の画策であることは露ほども知っていない。

 城の窓からはシンジーマーヤ王とアズサーミがその情景を静かに見ていた。王にとって今回の

生贄ほど辛いものはなかった。毎年のように若き女性を見送っていたが、それはいつも五臓六腑

にしみるほどの辛さであった。

「ジーケンイット、何をしている。早く戻らぬか、早く・・・」シンジーマーヤはつぶやいた。

 フーミは一人、車の後を追った。政務省の前を通ると、多くの執務官や秘書たちが車を見送っ

ていた。軍務省の前にも多くの兵が並んで剣を地面に付き立てている。フーミはふと上を見上げ

宰相室の窓から覗いているジーフミッキを見つけた。そして、彼が笑っているのを見て、彼女は

踵を返し、走っていった。

 

 フーミは政務省の裏にある建物に入った。そこは一種の倉庫で、政務や軍務に使われる様々な

物が仕舞われている。重要な物や貴重な物も置いてあるので厳重な管理がなされていたが、フー

ミはここに入るための鍵を持っていた。子供のころからここへは兄と遊びにきていたのだ。鍵も

シーラの隙を見て盗んでおき、暇な時はいつも倉庫で時間を過ごしていた。子供にとってここに

あるものは珍しいものばかりで、祭りや城の儀式に使われるものが多種多様にあり、飽きること

はなかった。ここに来るのは久し振りだ。フーミもジーケンイットが大人になってからは倉庫の

存在を忘れてしまっていたのだ。だが、鍵はまだ保持していた。それを自分の部屋から持ち出し

てきたのだ。フーミは重い扉を体全体で押し開け、中に入った。少し埃っぽいが、懐かしい匂い

がする。子供のころ、兄と遊んだことが懐古され、兄の帰還をまた願い始めていた。

 中は広いのだが、様々な物が所狭しと置かれている。何年も使われていないものから、トーセ

の祭りに使われる神具までいろいろだ。だが、フーミの探しているものは一つだった。生贄の選

出に使われた札を入れる箱だ。右左を見ながら彼女はついにそれを見つけた。倉庫の一番奥に絨

毯のような布で覆われている。フーミは布を取り箱を眺めた。真直で見ると意外に大きく、彼女

がすっぽり入ってしまうほどだ。台になる荷物を探し出し、それを運んで箱の上に乗り込んだ。

箱の中央には小さな穴が開いている。中に入っている札を突き刺す槍を入れる穴だ。フーミは穴

まで這っていき、中を覗き込んだ。真っ暗で何も見えず、腕を入れてみた。箱の上部は薄い板で

閉ざされているはずだが、穴の奥は周りを何かに囲まれているようだった。上からは分からない

ので、フーミは下に降り、箱の側面に回った。箱の下方に扉がある。そこから中に札を入れるよ

うになっているのだ。今は鍵が掛かっていないので、フーミはその扉を開けた。中はむろん空で

ある。札はもっと厳重な管理の元におかれているのでここにはない。フーミは一度箱から出て、

ランプを倉庫の中から探し、一緒に置いてあった火付け石で明かりを灯した。それを持って再び

箱の中に入った。明かりに照らされた内部はだだっぴろく、閉じ込められたような感じだ。フー

ミは中腰になり箱の中心に歩いた。外の光が穴を通して底を照らしている。しかし、その底を照

らす光は小さな円であった。普通穴からの光は広がるはずだ。フーミは穴の所に近づきランプを

寄せた。穴には三十センチほどの筒のような物が取り付けられていた。これでは穴から槍を通し

ても真っ直ぐ下にしか動かせず、箱の中をまさぐるのは無理だ。フーミはもっとその筒に近づき

間近で見てみた。筒の下側の縁には何かを取り付けた痕がある。筒の縁に釘のような尖ったもの

が筒の外側から内部に向かい、釘の先だけが少し飛びだした形で刺さっている。それが筒の両側

にあるのだ。フーミは考えた、この筒の内部に生贄の札を取り付けておけば、槍を穴から入れた

時に札が突き刺さるのではないだろうか?フーミは箱から飛び出て、すぐさま倉庫を後にした。

 続いて彼女は政務省に行き、生贄の札が管理してある特別の部屋に入った。そこの管理者がフ

ーミの姿に驚き、立ち上がった。

「フーミ様、何の御用ですか?」管理者は声を震わせ言った。

「リオカさんの札を見せてください」

「そ、それは、駄目でございます。あれは厳重に管理するよう言われていますので」

「分かっています。しかし、重要な事なのです」フーミは少女の顔とは思えない厳しい表情で言

い寄った。それに蹴落とされた管理者はフーミの要求を承諾するしかなった。

 管理者は鍵を取り出し、フーミを隣の部屋に案内した。そこは小さな部屋であったが図書館の

ように整然と物が置かれている。その中から男は一つ箱を取り出し、フーミに手渡した。箱を開

けると、そこにはリオカの名前が刻まれている札が入っていた。それを手に取り、食い入るよう

に見つめた。表面には何もなかったが、札の側面を見ると小さな穴が札の両端にあり、そこから

釘の先で傷ついたような痕を見つけた。その穴の大きさはさっき見た箱の筒にあった突起物の大

きさと同じであった。この札はあの筒の中に張りつけられ、生贄選出の時に槍が突き刺したのだ。

フーミには全てが理解できた。なぜ、リオカが生贄に選ばれたのか、そして誰がこれを仕組んだ

のかも。

 

 ここに来る時はとても長いはずの森が今は数十メートルしかなかった。行きのあの長い道はや

はり魔女の仕掛けた幻影だったのだろうか。両側の木は完全に枯れ、山火事の後の荒涼とした景

色と同じだった。

 山田は彼らの後ろを歩きながら手に竜玉を握って思った。

───この竜玉、本物だわ。ノーマさんが言ったとおり、私の願いを叶えてくれた。

「お姉ちゃん、そのペンダントすごいね。ちゃんと、お姉ちゃんの願いを叶えてくれたもんね」

ヒロも丁度同じことを考えていたところだ。そして、彼女が今思い立ったこともヒロは代弁して

くれた。

「そうだ、それを使えばお姉ちゃんの記憶も戻るかもしれないね。そうだ、きっと戻るよ。あと

二つあるから、トゥリダンをやっつけた後、使おうよ」

「そ、そうね・・・」山田もこれを使って現実の世界に戻る気だった。一つだけは願いを取って

おこうと。

 四人は森を抜けた。どれぐらい、魔女の館にいたのだろうか?時間的な感覚が全く狂ってしま

い、時差惚けの様な気分だった。彼らが湿原の道に入った時、目の前の木の影から男が現れた。

「まさか、本当に魔女を倒して、三種の神器を手に入れるとは思ってもみませんでしたよ」

「ルフイ、きさまここで何を・・・。ん、ヒロたちが言っていたことは本当なのか?何を企んで

いる。何のためにここに・・・、私の邪魔をしようというのか?ジーフミッキはお前に何を命令

したんだ?」ジーケンイットはルフイを睨み付けた。

「やはり、その小僧と女が知らせたんだな。そうなっては、事態は変わった。ジーケンイット様

たちを城に帰すわけにはいきませんな。私も使命を果たさねばならないので」

「何だと!」

「ただ、いまさら遅いですよ。あなたがたが、森へ入ってからすでに三日目、生贄の日は今日な

んですから」

「何だって」ジーケンイットは驚いた。オリトの森に三日もいたとは。時間の流れが異なるとは

言え、それほどのひらきがあるとは想像外だった。

「ジーケンイット様、ついでだから教えましょう。リオカ様が生贄になったのはそういうふうに

なるよう私が仕掛けたことなのですよ」ルフイは不敵に笑った。

「何!どういうことだ。そうか、すべてジーフミッキの企みなのか」ジーケンイットは憤りに震

え、楯を捨てて剣を抜き突進した。冷静さを欠いたジーケンイットはルフイの誘いに乗り、その

罠に陥った。ルフイの手前の地面が動いたかと思うと、ジーケンイットの足に縄が絡んだ。その

縄はするすると動き、彼の足を引きずりながら木の枝を登っていった。そのため、ジーケンイッ

トは足を取られたまま逆さで宙吊りになった。飛び上がった勢いで剣を落としたため、縄を切れ

なかった。腹筋の力で起き上がり、縄を解こうとしたが簡単にできる態勢ではない。

 ターニは機敏に反応し、すぐに走りだしたが、彼の進路を阻むように横の湿原から男が滑り込

んだ。

「ギオス、邪魔だ」ターニは剣を抜き、立ち止まった。

「ターニ、ここを通すわけにはいかん。どうしても通りたければ俺と勝負することだな」ギオス

も剣を抜き、対峙した。

「何だと」

「お前とは一度でいいから剣を交えたいと思っていたのだ。貴様が俺よりも劣るということを証

明するためにな」ギオスは自信満々の顔でのたまった。

「・・・・・・」ターニも相手の殺気を感じ取り、コーボルの剣を顔の前で構え、ギオスを視点

から離さなかった。

 

 ギオスはがっしりし、重量感溢れる兵ではあるが剣の腕は軍の中ではピカ一で、誰もが一目置

く存在だった。だからこそ、ジーフミッキの側近として動いているのだ。ターニは兵士ではなく

軍との関係は全く無い。ジーケンイットの従者としていつも彼の後ろに控えている。そして、そ

の剣術はジーケンイットに優るとも劣らない評判を持っていた。その二人がいま対決しようとし

ている。力と技のぶつかり合い、これは世紀の一戦でもあった。

 山田とヒロは二人が睨み合っている隙に、ジーケンイットを助け出そうと思ったが、ルフイは

剣を抜き、もがいているジーケンイットの顔に剣をかざした。

「お前ら、それ以上動けば王子を斬るぞ!」

 二人はその言葉に制され、仕方なく止まった。

 ターニは呼吸まで止めたように身動き一つせず相手の動きをうかがっている。ギオスもそうし

ていたが、業を煮やし自ら先手に出た。ギオスが重そうな剣を振り上げ、反動ををつけて切り込

んだ。ターニは剣をねかせそれをくい止めた。カーンと高い金属音が響き、ターニはギオスの重

圧を全身に受け、少しだけ後方に下がり歯を食いしばった。ギオスはそのまま剣を押し込み力を

くわえる。ターニは剣を傾けて相手の勢いを殺しつつ、後方に一歩飛び下がった。剣を構えなお

し、次の攻撃を待つターニにギオスは間髪を入れず、走り込んだ。ギオスはその容姿にもかかわ

らず、機敏な動きをした。単に力だけの兵ではないようで、ターニもそれを感じ取った。猛進に

剣を振りかざすギオスに対しターニは防御の一手ばかりであった。

 ターニには二つの不利な条件があった。一つは魔女たちとの戦いで体力の消耗が激しかったこ

と、もう一つは自分の剣ではなくまだ馴染んでいない神器の剣、コーボルの剣を使っていたため

だ。だが、ターニは決して負けを悟ったりはしなかった。負けを少しでも心に浮かべれば本当に

負けてしまう。それがターニの信念であった。たとえ、どんな苦境に落とされようとも負けを認

めることはしなかった。

 一方、ギオスは自分の優位を感じ、心の中で笑っていた。ターニを倒せば名実共に剣豪の誉れ

を頂くことができる。それが、自分の未来に、ジーフミッキとの関係にどれだけ有効かよく知っ

ていた。

「ピシュッー」と空を切る音がしたかと思うと、ジーケンイットが捕らえられていた縄がパシッ

と切れた。ルフイはそれに気づき、振り向いたが、その刹那彼の顔すれすれに矢が飛び、顔をす

くめてのけ反った。ジーケンイットは俊敏な動きで落ちている剣を拾い、ルフイの顔に剣をかざ

した。

「残念だな、ルフイ、そこまでだ」

 ギオスは背後の物音に一瞬気を取られ、隙を見せた。ターニはそれを見逃さず、ギオスの死角

に回って、剣を下方から振り上げ相手の剣を絡ませて、剣を空に放りだした。ギオスがその油断

に気づいた時は遅く、ターニの強烈な蹴りが腹部に命中し大地に叩きつけられた。すぐにも起き

上がろうとしたが、ターニの剣先が喉元を指し示していた。

 

 山田とヒロはすぐにジーケンイットのところに寄った。

「怪我は無いですか?」

「ああ、大丈夫だ。ヒロ、縄を持っているだろ。ルフイを縛り上げておけ」ターニがギオスを後

ろ手にして連れてきて、ヒロから縄をもらうと手早く縛り上げた

「しかし、誰が助けてくれたのだ。あのように矢を縄に的中させるなど、なかなかの腕の者だろ

うが」

「あ、あれ」ヒロが指差す方向に大きな木があり、その幹の影から男が現れた。

「コトブーさん、コトブーさんだったんですか?」山田が声をかけると、コトブーはこちらに歩

いてきた。

「まだ、帰らないのかと心配になって来てみたら、この様だ。まあ、悪人よりは善人を助けるの

が俺の趣味だからな」コトブーはクールに言った。

「ジーケン様、このおじさんがここまで案内してくれたコトブーさんです」ヒロがジーケンイッ

トに紹介した。

「これは危ないところを助けていただき、ありがたく、礼を言わせてもらいます」ジーケンイッ

トは礼を尽くして謝辞を述べた。

「あんたが、ジーケンイットか、なかなかの人のようだな。しかし、もうタイムリミットだぞ。

生贄の儀式はもう始まっている。遠くで雷鳴が聞こえるだろ」

 確かに遙の方向が真っ黒に曇り、低い振動音が伝わってくる。スターライト連山の方角であっ

た。

「では、やはり我々は三日間もあの森にいたのか?私たちには数時間にしか思えなかったのに」

「そうなのか、オリトの森は時間が止まるとは聞いていたが、本当だったんだな。だから、魔女

も長生きしていたんだ」コトブーは少し苦々しく言った。

「うっ、私は何のためにここまで来たのだ。折角、三種の神器を手にいれたというのに、リオカ

はもう・・・・・・」ジーケンイットは悔しそうに両手の拳を握りしめ震えた。

 山田たちも悲しかった。これまでの苦労が水の泡と消えようとしている。ここまでやっと来て

・・・。その時、山田は竜玉のことを考えた。さっきのように願いが叶うならと。

「ジーケンイット様、この竜玉に願いを叶えてもらいましょう。いますぐ、セブンフローの山へ

行けるように」

「エツコ、しかし、そんな空想のような願いが叶うのだろうか。我々がそんなすぐにあの遙か彼

方の山へ行けるなんて」

「大丈夫です。きっと、これは叶えてくれますよ。皆の心が一つになればきっと。ターニさん、

ヒロ、あなたたちも心から願って、今ここにいる皆があの竜の住む山に行けるように」

 山田が目を閉じペンダントを握りしめた。続いてジーケンイットがその手を包むように自分の

手を置き、ヒロ、ターニも重ねていった。誰の心の中にもリオカの下へという強い願いが詰め込

まれていた。

「おい、ちょっと、待て」コトブーが山田たちに声を掛けたが、山田たちの手の中から眩い光が

強烈に放たれ、そこにいた全員を包み込んだ。

 

  14  竜

 

 スターライト連山は標高三千メートル級の高峰が続く、険しい山脈でその尾根を超えることは

不可能に近い。頂きには万年雪がその行く手を阻み、戦乱の時代にはこの山を超えて攻め入ろう

とする軍もあったが、全て無駄な命を散らしていた。それだけ、トーセの街は自然の砦により守

られており、現在の繁栄もそのお蔭である。スターライトを超えられない理由の中に、セブンフ

ローの恐ろしさもあったからだ。この山は連山の中でも一番低く、決して超えられないことはな

い。しかし、その中腹は一切の緑がなく、荒涼とした荒れ地であった。しかも、連山唯一の活火

山で山肌にはいつも鼻を突く煙が立ち込め、この山に入るものを拒んだ。そして、この山が生き

ているという証は竜の存在にある。中腹の最も火山活動が激しい位置に大きな岩穴がある。そこ

に、恐ろしい魔物トゥリダンが生息していた。大昔はこのトゥリダンが暴れまわりトーセの民を

苦しめていた。トゥリダンんの活動周期は人間の時間に比べればとても長く、始終暴れまわって

いるのではない。ただ、餌になる人間を時々くらいに現れるだけだった。そこで、人々はトゥリ

ダンが目覚める時に、生贄を供え、トゥリダンの襲来をくい止めることにした。トゥリダンの方

も無理に動き周り、人間を捜し求めるより供えられている人間を頂いたほうが、楽だと考え始め

たのか、生贄を捧げるようになってから、街へ来ることはなくなった。その儀式がトーセの掟と

なり何百年も続いている。それはトゥリダンが死ぬまで繰り返される悲劇であった。だが、トゥ

リダンの寿命というものは人間が考えているほど甘くなかったのだ。そして、今年もまた悲しい

日が来ようとしていた。

 リオカの車は兵隊たちの先導でセブンフローへ続く山道を進んだ。もちろん、兵たちは山への

引率だけではなく、生贄が逃げないように監視する役目も担っている。だが、その兵士たちも今

回は足取りが重たかった。いつもは身も知らぬ街の女であり、あまり深い感情を抱くことはなか

った。しかし、今年の生贄が自分たちの城にいる、政務宰相の娘、リオカという事実はやはり応

えている。リオカは城にいる時、兵士たちとよく話をしていた。トーセの街を守る者たちをたと

え戦争が無いからといって、無駄な人材扱いをせず、一人の人間として接していたのだ。そのこ

とは兵たちにもリオカの存在を認識させ、それが街を守るという意識の向上にも役立っていた。

単なる宰相の娘ではなく、リオカは政をすでに司るような行動力をもっていたのだ。それゆえ、

今回のことは兵たちにも相当のショックで、この引率に出たがる者も少なく、上からの命令でし

ぶしぶ行く者も多かった。

 山の道は険しくなり、カウホースでは登れなくなる。麓から続いていた緑は徐々になくなり、

岩や灰色の砂だけがある荒れ地に変わっていった。鼻をつく匂いも漂いはじめ、竜の存在を皆感

じ始めていた。リオカは車から降り、五人の兵たちに囲まれて山へ進んだ。五人の中には門兵の

最古参テムーラもいた。テムーラもリオカには世話になっており、最後の見届け役を自ら買って

でたのだ。

「リオカ様、このようなお別れをしなければならないのは、私の人生の中でも最も辛いことでご

ざいます。ただ、最後の見届け役としてあなた様の側に付き添えたことは嬉しく思っています」

「ありがとうテムーラ、あなたには本当のお世話になりました。子供のころからいろいろ面倒を

見てもらい、最後まで付き添っていただき、感謝しております」リオカは優しい笑顔で答えた。

「リオカ様・・・」テムーラには返す言葉がなかった。なぜ、このような立派な方が生贄になど

ならなければいけないのか、理不尽な運命にテムーラは意気消沈していた。

「テムーラ、ジーケンイット様のことはよろしく頼みますよ。戻られても、これから街へ出掛け

られることがあろうかと思いますが、大目に見てさしあげてください」

「ジーケンイット様?」テムーラもまだ戻らぬジーケンイットの事が気掛かりであった。きっと

間に合うと信じていたのに、テムーラは二重の悲しみにうちひしがれていた。

 小高い尾根を超えるとそこがトゥリダンの棲みかである竜の谷であった。ここからは一人でト

ゥリダンの眠る穴の前まで行かなければいけない。リオカは立ち止まってから、振り返りテムー

ラに挨拶をして歩き始めた。一人の兵士が弓矢を構えた。生贄が直前に逃げださないよう、狙い

を定めておくのだ。

「よさぬか、リオカ様が逃げだすような事をすると思っているのか」テムーラは厳しくも悲しい

顔で叱咤した。兵もその言葉に自分を恥じ、弓矢を下ろした。

 リオカは一人穴に向かって歩いていった。真っ白なドレスをまとうその姿は荒涼な大地とは裏

腹に美しいものであった。やっと一人になり、リオカは初めて涙を流した。今までの人生を回顧

し、何も思い残すことはないと心に語った。父よ、ありがとう。フーミ様、ありがとう。一歩一

歩進むたびに彼女は今日までに出会った人々のことを思い返していた。そして、最後にジーケン

イットのことを・・・。

───ジーケンイット様、ありがとうございました。一時ではありましたが私はあなた様の愛を

知り嬉しく思っております。この世を去る前に愛を教えていただきありがとうございます。

 止まらぬ涙が頬を伝わり、白のドレスを濡らした。空は急激に曇り始め、雷鳴も鳴りだした。

あちこちにある噴火口からほとばしる煙の勢いが激しさを増し、穴の奥から大地を揺るがすよう

な響きがこだましだした。リオカは穴の前で立ち止まり、奈落のような穴を見つめた。再び、穴

の中からすさまじい轟音が流れだすと、漆黒の闇に三つの小さな光が灯った。リオカは思い出し

た、トゥリダンの目が三つあることを。

 その光が徐々に大きくなると、さすがのリオカも恐怖を感じた。多くの生贄がこの時点で逃げ

だそうとするすのだが、その時にはもう遅かった。トゥリダンは生贄をその視界に捉えると、不

思議な力を発し人間をかなしばりにさせるのだ。トゥリダンの目を見た者はもう身動きすること

ができない。リオカもすでにその術にはまっていた。頭の中では走ろうと意識しているのに、足

の方が全く言うことをきかない。トゥリダンの頭が穴の出口に近づき、雲で覆われた暗い光の中

でその姿を見せた。リオカの恐怖は絶頂にいたったが、多くの者がこの時気を失うのを彼女はま

だ耐えていた。

 それは、あることに気を取られたからだ。リオカとトゥリダンの間に眩いばかりの光球が現れ

火山が噴火したのかと思われるような輝きを起こらせた。トゥリダンも長らくの穴倉生活で暗闇

に慣れた目のため、少しあとづさりした。その光が弱まるとそこには七人の人間がいることがリ

オカに見え、その中にジーケンイットがいるのをすぐに確認した。

「ジーケンイット様・・・・」

 

 ジーケンイットたちは光に包まれたかと思うと、何か物凄い速さの乗り物乗ったかのような感

覚に陥った。足が宙に浮き、空を飛んでいるような気持ちであった。だが、その感覚もすぐに途

絶え、足の下にまた地面の感触を感じた。それと共に光の強さが弱まり、周りの景色が一変した

のを体が悟った。山田は心の中で願いが叶ったと思ったのも、束の間、この世の終わりとでもい

うような恐ろしい、響きが耳の中から脳髄を直撃した。大嫌いな雷以上の轟きだ。目の前にそれ

はいた。最初それはアザラシかと思ったが、こんな大きなアザラシはいない。しかも、顔はゴマ

ちゃんのような可愛らしいものではなく、カラスのような嘴を持ち、その付け根に大きく光る。

目を見つけた。しかもその目は顔の両側に有るだけでなく、その中間にもう一つあった。その真

ん中の目の上には円錐状の大きな角がそびえ、そこから後ろは毛皮とも鱗ともいえない文様があ

り、それが穴の奥まで続いていた。

───こ、これが竜?トゥリダンなの。

 竜と言えば、昔話や映画に出てくるような長い顔で大きな口に髭や長い耳を持ち、細い体をく

ねくねさせて、体よりは小さい手足があるという、生き物を想像していたが、これはそれとは全

く違う想像を超えた生物だった。前述のような顔に体は妙に図太く、大きな前足を地面に置いて

体を支え、体全体をひきづるように動いていた。まだ、キングギドラやマンダの方が可愛く思え

る。そんな感傷に耽っている間もなく、トゥリダンは彼らを見つけると大きく口を開けていなな

いた。山田も現実を思い出し、何もこんな所に瞬間移動しなくてもいいのにと願いを叶えてもら

ったのにもかかわらず、悪態をつきたい気になっていた。しかし、ここに移動した理由がすぐに

分かった。彼らのすぐ後ろにリオカがいた。トゥリダンの唸りに紛れ、「ジーケンイット様」と

呼ぶ彼女の声が聞こえた。

 ジーケンイットはそれにすぐ気づき、「リオカー」と振り向いて叫んだ。リオカは彼の出現に

よってかトゥリダンの呪縛が解け、彼らのところに走ってきた。

「リオカ、間に合ったか」

「ジーケンイット様、ご無事で」二人はそう言って抱き合った。

 だが、トゥリダンはそれを待ってくれない。三つの目を光らせて、彼らに近づいた。

「ジーケンイット様、トゥリダンが来るよ」ヒロが恐怖に震え叫んだ。

 ジーケンイットはすぐに反応し、剣を抜いてベーシクの楯を構えた。トゥリダンは再び、大き

な口を開けるとそこから青白い炎を吐きだした。そこにいた全員はもう駄目だと思ったが、ジー

ケンイットが掲げた楯はその大きさにもかかわらず、竜の炎をはねのけ、周りに飛び散らせた。

まるで大きな壁があるかのように、楯の後方には何も影響がない。

 山田は生きた心地がしなかったが、楯の力に救われホッとした。

「エツコ、何で俺までここに連れてくるんだ。トゥリダンと戦うなんてごめんだぜ」コトブーが

叫ぶと、後ろのルフイとギオスも大きく頷いた。山田がオリトの森にいる時、ここにいる全員を

リオカの下に導いてと願ったためにコトブーはおろか、側にいたルフイとギオスまでもここに連

れてきてしまったのだ。

「えっ、コトブーさんも来てしまったの?ああ、そうか皆を連れてって思っちゃったからか」

「ああ、そうかじゃないよ。くっそー、来てしまったんじゃ仕方がない、しかし、この態勢をな

んとかしなけりゃ、どうにもならないぞ」

「コトブーの言うとおりだ。このままでは私が動きを取れない。いくらベーシクの楯でもトゥリ

ダンが迫ってきたのではどうしようもないだろう。しかし、逃げるにしても、あの青い炎でやら

れてしまう可能性がある。逃げ場を無くしてしまった」ジーケンイットは楯を構えながら切羽詰

まった表情で言った。

「ジーケンイット様、私が何とかします」ターニはそう言うと、すぐに彼らのかたまりから離れ

出た。

「待て、ターニ!早まるな」ジーケンイットが制止しようとしたもの、ターニは横のほうに突っ

走った。

 トゥリダンはその動きに反応し、ターニを追うように向きを変えた。

「ターニめ、無茶をしおって。しかし、今がチャンスだ、皆向こうの岩影まで走り、身を隠せ」

その指示に従い、トゥリダンがこっちの動きに気がつかないよう願いながら、山田たちは一目散

い走った。コトブーは放っておきたいのも山々の気持ちであったが、見殺しにすることも出来な

いので、縛られているギオスとルフイも引きづるように引っ張っていった。全員が岩影に逃れた

のを確認すると、ジーケンイットはターニを追った。

 ターニは俊敏な動きで走り回っていた。トゥリダンは巨体で動きが鈍く思えたが、一度に動く

距離が違っていた。ターニがいくら一生懸命走っても、トゥリダンにとっては僅かな距離であっ

た。トゥリダンが吐く炎を最初は何とかかわしていたターニであったが、走りに疲れてくると、

それもままならない。そして、トゥリダンが大きく動き、その前足を振り払った。まともに当た

っていればその場で全身が砕けていただろうが、ターニは寸でのところでそれを交わした。しか

し、トゥリダンの爪先が彼の背中に触れ、ターニは大きく振り飛ばされた。激しい痛みを背中に

感じ、足元に流れる血の量に彼はたじろいだ。左腕も折れているようで、いびつな形に曲がって

いる。俺もこれまでか。ターニは人生において二度目の敗北を悟った。一度はグッチたちと戦っ

た時、そして今だ。───スウーイよ、今行くぞ。ターニは覚悟を決めた。トゥリダンが真正面

に迫り、大きく口を開けた。

 青白い炎がターニの目に見えた瞬間、ジーケンイットが持つ楯がターニの前に立ちはだかり、

炎を退けた。彼らの周りの砂が物凄い勢いで吹き飛ばされるのが分かり、炎は避けられたものの

突風が彼らの周りで巻き起こった。

「ジーケンイット様・・・」

「お前も無謀な男だ。一度死んだ身だろ、命を大事にしろ。もう、動けないようだな、ここでじ

っとしていろ。後は私がやる」

「ジーケンイット様・・・」今一度ターニは言った。

 ジーケンイットはターニからコーボルの剣を受け取り、力強く笑った。トゥリダンがもう一度

炎を吐き、ジーケンイットが持つ楯に大きな振動が伝わる。その波動が収まると、彼は一気に駆

けだした。まず、真横に走り、ターニからトゥリダンを遠ざけた。ある程度の距離まで来たとこ

ろで、ジーケンイットは楯を構えトゥリダンに突進していった。また、炎が襲ってきた。楯はそ

の炎を全く受け付けないが、何度もそれを浴びているわけにはいかない。しかし、これ以上トゥ

リダンに近づくのも難しかった。トゥリダンを倒すにはあの頭の角を切り落とさなければいけな

い。だが、それは生易しいものではなかった。ターニが負傷したことからも分かるように、トゥ

リダンの武器はその炎だけではないのだ。下手に近づけば、その前足によってはじき飛ばされる。

そうなれば、この楯でもくい止めることはできない。八方ふさがりで万策尽きたジーケンイット

はその場に立ちすさんだ。

 その時、後方から「ウォー」という声が聞こえてきた。ジーケンイットが振り向くと、そこに

はテムーラを先頭にした兵たちが突進してくる。

「テムーラ!」

「ジーケンイット様、我々も戦います」丘の上から煙り越しに見ていたテムーラたちは、ジーケ

ンイットたちが戦っていることに気づき、兵を引き連れて戦いに挑んできたのだ。

 トゥリダンが炎を彼らに向けて放った。一行は拡散し防御の態勢を取った。コトブーもその隊

の中におり、ジーケンイットのところに駆け寄った。

「ジーケンイット、お前のところの兵もまんざら捨てたものじゃねえな。トゥリダンに挑むなん

て見上げた根性だぜ」

「コトブー!」

「俺も馬鹿だな。自分から危険の中に飛び込むなんて。まあ、これも暇つぶしさ、山の中にだけ

いたんじゃ体が鈍るしな。とにかく、やつらがトゥリダンの気を引いているうちに近づいて、あ

の角を落とせ。頼んだぞ」コトブーはそう言ってすぐに走りながら弓矢を構えた。

 ジーケンイットもすぐに動きだし、トゥリダンの横側にある岩山に目を向けた。テムーラたち

は剣を握り、トゥリダンの周りに散らばった。トゥリダンは容赦構わず、炎を吐き散らし、逃げ

遅れた何人かはその炎に包まれ断末魔の悲鳴をあげた。コトブーは走りながら弓に矢を添えて放

ったものの、トゥリダンの体に突き刺さるどころかはじき返されるだけだった。

「なんて奴だ、さすがに森の獣とは違うな」と言いながら次の矢を放った。

 トゥリダンはコトブーの動きに気づき、彼目掛けて炎を発した。コトブーは咄嗟にそれをかわ

し、よけたものの炎が地面にぶち当たった勢いではじき飛ばされた。

「くっそー、後は任せたぞ」そう言って彼は気を失った。

 ジーケンイットは岩山を上りきり、トゥリダンの側面に出た。相手は手前の連中のせいで彼に

は気づいていない。ここから見るとトゥリダンの頭が真下にある。位置としては絶好の場所だ。

ジーケンイットは狙いを定めて飛び下りた。空を切る風が彼の髪をなびかす。数秒後にはトゥリ

ダンの頭に着地し、膝を付いた。トゥリダンもそのことに気づいて頭を振った。ジーケンイット

は振り落とされないようにトゥリダンの体にしがみついた。ここならば、トゥリダンの前足も炎

も届かない。彼は楯を捨てて剣を両手で強く握った。そして、バランスを取りながら頭の前方に

走り込んだ。剣を真横に持ち替え、角目掛けて腕を振りかぶった。激しい衝撃が剣から腕を通し

て体全体に伝わってくる。はじき飛ばされるかと彼は思ったが、コーボルの剣は雷のような閃光

を放ち角の中にに食い込んでいった。金属のような角がまるで木の如く切断されていく。ジーケ

ンイットにはスローモーションのように感じられたが、一瞬のうちにトゥリダンの角が切り落と

された。トゥリダンはその苦痛により、三つの目から涙を落とした。

 ジーケンイットは走り込んだ勢いでトゥリダンの頭上から飛びだしていった。角を切断された

ことにより、トゥリダンは苦しみだし、断末魔の炎を吐きだした。その炎は飛びだしたジーケン

イットの体をかすめ、そのために彼の体は宙にはねとばされた。トゥリダンが大地にその巨体を

打ちつけたのと同時に、ジーケンイットの体もその大地に叩きつけられた。

 

  15  愛

 

 トゥリダンがその動きを止めると、山田たちは恐る恐る岩影から出てきた。深手を負って動け

ないターニを見つけ、気絶しているコトブーも発見した。そして、大地に倒れ込んでいるジーケ

ンイットの姿が目に入った。

「ジーケンイット様、ジーケンイット様」リオカが最初に駆けつけ、続いてヒロと山田が駆け寄

った。

「皆無事か、よかった」ジーケンイットは虚ろな眼差しで、リオカたちを見つめた。

「ジーケン様、しっかりしてください」ヒロが泣き叫んだ。

「うう、トゥリダンはどうなった?」

「倒れ込んだまま身動き一つしていません。死んだのでしょうか」山田がその様子を聞かせた。

「いや、それは違う。角を折ったから力が弱まっただけでまだ死んではいない。トゥリダンに止

めを刺すにはシーゲンの矢を真ん中の目に撃ち込まなければいけないのだ。しかし、私にはもう

矢をいる力が残っていない。誰か代わりに矢を放ってくれ」ジーケンイットは苦しそうにそう言

って、背中から弓と矢を取り出した。

「でも、ターニも怪我で動けないし、弓矢の名手、コトブーおじさんもまだ気絶しているよ。誰

もいないよ」ヒロが嘆きながら言った。

「じゃ、あの兵隊さんたちを呼んでくるわ。彼らなら・・・」と山田が行こうとしたが、ジーケ

ンイットはそれを制した。

「駄目だ、それでは間に合わない。見てくれ奴の角が再生を始めている。すぐにでも矢を射らな

ければ、トゥリダンは蘇り、もう手が付けられなくなる。エツコ、君が矢を放ってくれ」

「えっ、私が、それは無理ですよ。弓矢なんかしたこと無いですし、もし外れたら」

「ヒロやリオカには無理かもしれない。しかし、エツコなら大丈夫だ。エツコには不思議なパワ

ーが宿っている。だから、君が矢を射れば必ず命中するはずだ」

「でも・・・」

「いいから、早くするんだ。もう角が半分まで再生している。早くするんだ」

 山田が見るとトゥリダンの角がすでに半分ほど伸びている。そして、トゥリダン自身もまた動

き始めていた。このままにして、またトゥリダンが蘇ったらトーセの悲劇は終わらない。それで

はジーケンイットたちの努力が無駄になる。今ここで仕留めなければいけないのだ。戸惑う山田

の心に、またしても竜玉の光が流れ込み彼女の弱気な心を打ち消した。それとは反対に彼女を奮

い立たせる力が芽生えだした。ジーケンイットから弓矢を受け取ると、山田は立ち上がり、トゥ

リダン目掛けて弓矢を構えた。真正面にトゥリダンを見据える。矢を弓に添え、普段なら決して

引くことができない弓の弦を彼女は引っ張った。信じられないぐらい軽い力でそれは大きくたわ

み、彼女はトゥリダンの三つ目の目をその矢の先に捕捉した。彼女の体にはジーケンイットの勇

気、ターニの強さ、コトブーの力、ヒロのエネルギッシュな根性、そして、リオカの優しさがみ

なぎっていた。皆の思いが彼女を取り巻き、その思いが彼女を奮い立たせた。そして、あいつを

思う気持ちと、体内に宿る新たな命が彼女の愛の力を増大させた。

 山田の心に「今だ」という声が聞こえ、彼女は矢を放った。シーゲンの矢は空を貫き、直線に

近い放物線を描いて、トゥリダンに向かう。山田は当たってと強く願った。トゥリダンの角はも

う四分の三ほどまで回復しており、動き始めようとしている。だが、矢はトゥリダンの頭目掛け

て突き進み、吸い込まれるようにその目に命中した。当たった瞬間、トゥリダンは大きく動きだ

し、両足をあげて立ち上がろうとした。だが、その瞬時にまた声をあげ、大地に激しくめり込む

ように倒れ込んだ。地響きが彼らのところまで伝わり、倒れたときの砂ぼこりが舞ってきた。今

度は全く身動きせず、それどころかトゥリダンの体が溶けるように崩れていった。それはまるで

奇術のような光景で、砂ぼこりとめり込んだ大地からほとばしる湯気が、トゥリダンの体を覆い、

見えなくした。

 山田は矢を放った状態で恍惚したように固まっていた。目の前の光景を見て、そのすさまじさ

に体を強張らせた。流れ込む砂煙にも動かないので、ヒロが彼女の腕を引っ張り、伏せさせたぐ

らいだ。

「お姉ちゃんすごいね、見事にトゥリダンを倒したよ」

「そ、そうみたいね、信じられないけど」

 二人は喜びにしたりながら見つめて笑った。だが、その興奮もすぐに打ち消された。リオカの

叫びが届いたからだ。

「ジーケンイット様、ジーケンイット様」

 ジーケンイットはもう目をつぶっていた。山田とヒロが駆けつけると、「エツコ、見事だった。

あなたの力は素晴らしい。あなたがいたからこそ、トゥリダンを倒すことができた。心から感謝

したい。そして、後の事も頼みたい」

「何を仰るのですか。しっかり、してください。あなたがいなければどうなるのです。何のため

に私たちは戦ってきたのですか」山田は涙を流しながら訴えた。

「もう私は駄目だ。リオカが無事だったことが何よりもの幸せだ」

「ジーケンイット様」リオカは彼の胸に顔を埋め号泣した。テムーラたちに抱えられてターニと

意識を取り戻したコトブーもやって来た。皆、この現状を知り、「ジーケンイット様」と声をか

けた。

「ジーケン様、おいらを一人にしないで。もう独りぼっちになるのは嫌だ」ヒロが泣き叫ぶ。ジ

ーケンイットはヒロの顔を手で触り、「何を言っているんだ、お前は一人なんかじゃないぞ、フ

ーミもいるし、リオカやターニがいるではないか。皆、お前の家族だ。もう一人なんかじゃない。

それに、エツコも側にいてくれる。わがままを言うんじゃない」

「でも、ジーケン様がいないなんて、そんな、そんな・・・」

「ヒロ、元気でな。リオカ、私はお前を心から愛していた。それは私が死んでも永遠に続く。エ

ツコ、記憶が戻るまでトーセにいてやってくれ、ヒロのことを頼み・・・・・・」ジーケンイッ

トの頭が力を無くし、横を向いた。

 山田には耐えられない光景だった。あれほどの勇気と優しさを持つこの男を亡くすことはでき

ない。彼には強い意思とみなぎる愛がある。それをこのまま無にさせることはできない。

───そうだ、これを使ってみよう。どんな願いも叶うのなら、きっとこの願いも。

「ヒロ、リオカさん。この竜玉に願いを叶えてもらうわ。ジーケンイット様が元の姿に戻られる

ように」

「お、お姉ちゃん。でも、そんなことをしたらお姉ちゃんの記憶を戻すことができなくなるよ」

「いいのよ、そんなこと、記憶なんかいつか戻るわ。でも、ジーケンイット様の命はもう戻らな

いのかもしれない。だったら、今こそこれを使う時なのよ」

 山田は確かに、自分の世界に戻るためにこれを使おうとしていた。しかし、今はそんな場合で

はない。元々、自分を救ってくれたのはこのジーケンイットだ。彼に恩返しをするのなら今しか

ない。たとえ、自分が元の世界に戻れなくてもいい。今はジーケンイットのため、トーセの街の

人たちのために最後の願いを叶えたかったのだ。

「さあ、皆願って。私の力だけじゃなく、皆の力、心からジーケンイット様を思う心があればき

っと願いは叶うわ。だから、皆さんお願い」

 山田は竜玉を手に握り、ジーケンイットの胸の前に差し出した。その手を覆うようにヒロの手

とリオカの手が握った。そして、ターニが怪我をしていない右手を伸ばし、コトブーもまだふら

つきながらも手を伸ばした。皆の手が一つになった時、竜玉から激しい光が放たれ、その光が下

方に流れだし、ジーケンイットの体を包み込んだ。周りの兵士たちも必死に願いを込めていたが、

その光が現れると少し引き下がった。

「お前たち、心を緩めるな。ジーケンイット様が元気になられるよう、心から願え」テムーラが

この事態にもめげない力強さで言った。

 光の強さが今までに無いほどのものになり、まるで大きな爆発でもあったかのような閃光が灯

り、天に向けて光がほとばしった。そして、今度はその光が逆流したかのように彼らの中心に流

れ込み、ジーケンイットの中へ吸い込まれていった。すぐにも光が弱まり、周りが元の状態に戻

る。

 山田は目を開け、ジーケンイットを覗き込んだ。瞳が閉じたままでまだ動かない。いくら竜玉

でも命だけは与えられないのかと、諦めかけた時、彼の瞼が大きく開かれた。

「ジーケンイット様」リオカがそれに気づき、呼びかけた。

「リ、リオカ。どうなっているのだ?私は死んだはずなのに」

「願いが叶ったのです。竜玉があなたさまをお救いになったのです」

「竜玉が・・・、エツコ」

 周りの兵たちが歓喜した。ヒロは飛び回り、ターニもコトブーも彼らには珍しい、心からの笑

いを顔に浮かべた。リオカはジーケンイットを抱き抱えて起こし上げ、山田はほとばしる涙を手

で拭った。奇跡が起きた。愛を思い出した人々はその愛の奇跡を思い出し、そしてそれが新たな

愛を生んだ。無傷のごとく、立ち上がるジーケンイット。彼は一度振り返り、立ち込める煙の中

のトゥリダンの小さな塊となった遺骸を見つめた。

 

  16  愛する人の元へ

 

 兵たちが戻ったと報告が入り、ジーフミッキはそれを出迎えた。城でもあの雷鳴は聞こえてい

る。トゥリダンが現れ、生贄としてリオカが供えられたことは間違いない。これで、いよいよ自

分の思惑が動きだすのだ。ジーケンイットが帰ってくるのかどうかはギオスたちも戻っていない

ので分からないが、もうどうでもいいことであった。これからは自分自身がこのトーセを司る気

持ちで一杯だった。だが、その野望も兵を迎えたときに打ち砕かれようとしていた。

 城門が開かれ、兵を従えた車が戻ってきた。しかし、その車からはリオカが降りてきたのだ。

「リオカ殿、どういうことですか。城に戻られるなどとは、トーセの掟を破られたのですか?テ

ムーラ、どういうことだ説明しろ」

「ジーフミッキ様、リオカ様は生贄になられなくてもよくなったのでございます」

「何!どういう意味だ?」

「竜は死んだのです。トゥリダンは倒されたのです」

「何だと、そんな馬鹿なことがあるか、あの不死身の竜が倒されるだと、そんなことができる者

がいるのか?三種の神器が無ければできないことを。さ、三種の神器・・・?」ジーフミッキは

言葉に詰まった。トゥリダンを倒したということはジーケンイットたちが三種の神器を手にいれ

たという事ではないのか。そして、リオカが戻ってきたとうことは・・・。

「そうだ、ジーフミッキ、私は三種の神器を手にいれ、トゥリダンを倒したのだ」車からジーケ

ンイットが現れた。ジーフミッキは驚いたものの、咄嗟にそれを顔に表さないよう努めた。

「ジーケンイット様、御無事でしたか。あなた様なら、三種の神器を手に入れ、トゥリダンを倒

すと私は確信しておりました。そうですか、トゥリダンを倒されたのですか」ジーフミッキは慌

てず、言葉を探した。

 リオカが戻ったという一報を聞きつけ、シンジーマーヤとアズサーミ、そして、フーミも駆け

つけた。「リオカさん、御無事で、ジーケンイット、お前も戻ったのか?」と王が言うと、フー

ミも「お兄様」と笑顔で迎えた。

「ジーフミッキ、白を切るのもいい加減にしてもらおうか。お前の企みは全て分かっている」ジ

ーケンイットは一歩前に出て言い寄った。

「な、何を仰るのですか。私には何の事か、さっぱり」猿芝居染みた演技で、ジーフミッキはと

ぼけた。

「そうです、ジーフミッキ。私は倉庫で、生贄選出の箱に仕掛けがしてあったのを見つけたので

す。あれもあなたの仕組んだ事なのでしょう」フーミも厳しい顔で言い寄った。

「フーミ様まで、そのようなことを言いだすとは、一体私が何を・・・」

「おい、ジーフミッキのオヤジ、いい加減にしろ」ヒロが車の中から飛びだして言った。

「小僧・・・」

「お前の悪事はこいつらが全て吐いたんだ。もう観念しろ」そうヒロが言うと今度は車の背後か

らターニや兵隊たちに引きづらたギオスとルフイが押し出された。

「申し訳ありません。ジーフミッキ様」二人は声を揃えて謝った。

「お、お前たち、この役たたずが。えい、こうなったら、どうにでもなれ」ジーフミッキは剣を

抜き、ジーケンイット目掛けて剣を振りかざそうとした。すると、今度は車の屋根から声がした。

「おい、そこのおっさん。そこから一歩でも動くと、俺様の矢がお前の脳天を貫くぜ」コトブー

が車の上からすでに狙いを定めて構えていた。

 ジーフミッキは身動きができず、歯ぎしりしながらもその場に剣を落とした。

「軍務宰相を反逆の容疑で逮捕しろ」王はそう衛兵に命じ、ジーフミッキは抵抗しながらも連れ

去られた。

「ジーケンイットよ、よく無事で帰った。しかも、リオカを取り戻し、トゥリダンまで倒すとわ

な。私の息子だけのことはある」シンジーマーヤは息子の帰還に心から喜び抱きしめた。アズサ

ーミも抱き寄り、フーミも兄の腕にすがった。リオカは迎えに来たヨウイッツを見つけるとすぐ

に飛び込んだ。「お父様」、「リオカ」

 ヒロも涙に暮れた。こんな嬉しいことはない。そのヒロの手を優しく山田は握ってあげた。彼

女にとってもこんな嬉しいことはなかった。

 

 その日の夜のトーセはお祭騒ぎであった。トゥリダンが倒されたことはすぐに街中に伝わり、

それはトーセの街始まって以来の吉報であった。何百年も一匹の化け物に怯えていた街が今蘇っ

た。しかも、トゥリダンを滅ぼしたのが王子、ジーケンイットとなると、ブルマン王朝の威信も

大きなものとなり、街民の信頼と誇りは揺るぎないものになっていた。

 街では飲めや歌えの大騒ぎになり、誰もがこの喜びを満喫していた。その興奮は城まで続き、

今夜は城の中庭が街の人々に開放された。酒や食べ物が配られ、今日ばかりは無礼講的な夜にな

った。街の人々を前にシンジーマーヤ王がベランダに出て語った。側には王妃はもちろん、ジー

ケンイットやフーミもいる。そしてリオカの姿も。

「トーセの街の人々よ。今宵はこの街始まって以来のめでたき日だ。遙の昔、長年に渡って我々

を苦しめ、悲しませてきた魔物はついにこの世から滅んだ」

「うぉぉぉぉー」という街の人々の歓声が城中に響いた。

「その魔物を滅ぼしたのは、我が息子、ジーケンイット。私は王子を誇りに思う」

「うぉぉぉぉー、ジーケンイット様、ジーケンイット様、万歳・・・」人々の喜びはますます盛

り上がっていった。

「そして、ここでもう一つ、めでたい報告をする。その王子、ジーケンイットは政務宰相ヨウイ

ッツの娘、リオカと婚姻の儀を結んだ」

 民がまた声をあげる。リオカはその声に照れながらもジーケンイットを見上げ、彼の手を握っ

た。

「今夜は最高の夜である。街の者も我々と一緒にこの喜びを分かちあおう。思う存分楽しんでく

れ」

「ブルマン万歳、ジーケンイット様万歳・・・・・・」人々の歓声はいつまでもやまず、街全体

が喜びの渦に取り囲まれた。

 

 その歓声が微かに聞こえる暗く狭い部屋に男たちはいた。普通の部屋ではなく、何もない閑散

とした部屋で、周りを鉄格子に囲まれている。

「ギオス、俺たちどうなるんだ。このまま投獄か?」ルフイが情けない声で言った。

「ちぇ、仕方がないだろう。お前があの時、矢に驚かなければ、うまくいっていたものを」ギオ

スは牢の隅で嘆いた。

「何言ってるんだ、お前の方こそ、ターニと勝負を付けるなんて、大それたことを言いだして、

もっと、まともに動いていればうまくいったんだぞ」

「何!、人のせいにするのか」

「何だと、そっちこそ・・・」

「騒がしい、静かにしろ」二人がいる牢の反対側から別の男が怒鳴った。

「は、はい、ジーフミッキ様、申し訳ありません」

 ジーフミッキは牢の窓から外の騒ぎに耳を傾けていた。あと一歩のところでこのトーセを牛耳

れたものを、彼は怒りに震えていた。

───ジーケンイット、これで終わったと思うな。私は必ず、この街を支配してみせる。いつか

な・・・。

 

 城の大広間では華やかな宴が催されていた。城の者や政務、財務・軍務の人間、街の統治者ま

で招かれ、美酒や豪華な食事が並べられ、この地方独特の踊りが、これもこの街にある見慣れな

い楽器の楽団で奏でられている。ジーケンイットもリオカもその踊りの輪の中に入っていた。竜

玉の威力は素晴らしく、ジーケンイットはどこも悪いところはなくかえって今までよりも元気な

ぐらいだ。山田も一応ドレスに着替えてから、その宴に参加した。山田が姿を現すと、ジーケン

イットたちが踊りを止めて近づいてきた。

「エツコ、遅かったね、待ってたよ」

「すいません、体に合うドレスがなくて」山田は照れくさそうに言った。

「お姉ちゃん、綺麗だね」とヒロの声がしたが、ヒロの姿がない。よーく見てみるとフーミと手

をつなぐ、淡い白の小さなドレスをまとった女の子がいた。

「あなた・・・、ヒロなの?えっ、ヒロ、女の子だったの?」

「うん、そうだよ。おいら本当は女なんだよ」その少女が言った。確かに顔はヒロである。

「エツコ、黙っていて悪かったけど、私がヒロを預かった時、女の子だとは知っていた。だが、

ヒロをそのまま女の子として育てたならば、トーセの掟に従わなければならなくなる。だから、

私はヒロを男の子として手元に置いたんだ。このことは私と父しか知らないことなんだ」

「私もさっきそれを知って驚いたわ。お兄様ったら、私にも黙っているなんて、ずるいですわ」

「フーミに教えるとすぐ喋ってしまうから、はっはっはっ・・・」

「ひどい」フーミも笑った。

「ヒロ、本当の名前はなんて言うの?」

「おいら、本当はヒロチーカって言うんだ。御免ねお姉ちゃん」

「うん、いいのよ。でも、女の子に戻ったなら『おいら』はやめなきゃね」

「あっ、そうか、えへへ」

「さあ、エツコも一緒に踊ろう。今夜は楽しもう」

「ねえ、お姉ちゃん、踊ろう!」ヒロチーカが山田の手を引っ張り踊りに輪の中に引き込んだ。

 

 ターニは、宴には参加せず城の裏庭に一人たたずんでいた。左手は痛々しく包帯が巻かれ、衣

服の下の背中にある深い傷痕がまだ痛んでいる。ターニは二つの月を見つめ小さくささやいた。

───スウーイ、またお前のところに行くのが遅くなってしまったな。でも、待っててくれ、い

つか必ず行くからな。

 

 ヒヨーロは大広間の片隅で一人座っていた。彼女にとり父、ジーフミッキが起こした犯罪はシ

ョックであった。確かに野心家であることは認めるが、ジーケンイットの命まで狙うとは信じら

れなかった。ヒヨーロには愛する父なのだ。この宴にも出る気はなく、部屋に籠もろうかと思っ

たが、フーミが出席するように勧めた。ジーフミッキの罪は彼女に何も関係ない。そして、誰も

彼女を責めることなどあるはずもない。ヒヨーロはフーミの申し出に喜びつつも、煩わしかった。

だが、ここに来てやはり白い目で見られているような気配に怯えていた。

 一人の男が彼女に近づいてきた。宴には似つかわしくない、山男のような服装の男だ。

「あんた、何で一人こんなところに座っているんだ?皆と楽しまないのか?」

「いえ、私はここでいいのです・・・」

「そう。俺も今まで山で一人で生きてきたが、たまには下に降りてくるのもいいなと思いはじめ

ている。一人もいいが誰かと出会うこともいいもんだな。あんたも、一人はつらいぞ。そうだ、

俺と踊らないか?俺、踊りは知らないんだ、教えてくれよ」

「えっ、でも・・・」

「いいじゃないか、俺はあんたが気に入ったんだ。俺はコトブー、あんたは」

「わ、私はヒヨーロです」コトブーはヒヨーロの手を引っ張り踊りの中に進んだ。

 

「ヒロ、じゃない、ヒロチーカ、疲れたわ。ちょっと休ませて」

「いいよ、じゃ、リオカ様と踊るよ」      へり

 山田は踊りの輪の中から外れ、ベランダに出た。縁にもたれながら、彼女は夜空を見上げた。

さっきまで浮かれた心しかなかったが、この空を見つめているとどうしても自分の街の事が思い

出される。

───ここは楽しいけど、この街の人は素敵だけど、やっぱり、帰りたい。でも、どうすればい

いの?もう竜玉の三つの願いは叶えてしまったし、もう戻る方法はないの?山田はもう一度竜玉

を握りしめた。しかし、それは今までのような暖かさはなく、単なる金属と硝子玉のような冷た

さだった。

「エツコさん、何を悲しんでいるのですか?故郷のことですか?」

 突然声を掛けられ、山田はハッと振り返った。そこにはいつもと同じ服装のノーマがたたずん

でいたので、山田は慌てて涙を拭った。「いえ、別に」

「あなたはこの街を救ってくれました。今度は私があなたお救いする番です」

「ノーマさん、私は・・・」

「エツコさん、あなたがどこから訪れたのか私には分かっています」

「えっ」

「あなたは遠い遠い別の世界から見えたのですね。そして、なぜここへ来たのかそれは私にも分

かりません。ただ、魔女の森でお話しした伝説のようにその竜玉を扱えるのはあなたのような別

の世界からきた人間だけなのです。もしかしたら、あなたはあの伝説の勇者の血を受け付いてい

るのかもしれませんね」

 ノーマの洞察力に山田は返す言葉がなかった。

「エツコさん、あなたの世界に戻る方法はあるのです」

「本当ですか?」

「ええ、その竜玉を使えばいいのです」

「でも、もう三つも願いを」

「いえ、竜玉は単なる媒体です。様々な奇跡を生んだのは貴方自身の心の力です。ですから、あ

なたが心から思えば、何でも希望は叶うのです」

「ノーマさん、ありがとう」山田は彼女の手を握り、心からの感謝を示した。

 山田は振り返り目を閉じ、竜玉を両手で握って祈った。私を元の世界に返してください。私を

愛する者たちのところへ、私を待つ者たちのところへ、この子の父親のところへ、愛するあいつ

のところへ・・・・・・。

 

「ノーマ何があった、今ベランダで物凄い光が見えたが」ジーケンイットが慌てて駆け寄り、続

いて、リオカ、フーミ、ヒロチーカが来た。

「エツコはどこに行ったんだ。確かにここにいたのに」

「あの方は帰られました。彼女が住むべき世界に」

「えっ、そんな、ずっと居てくれると約束したのに。さよならも言わないで行っちゃうなんて」

ヒロチーカがノーマにすがるように言った。

「そうか・・・、ヒロチーカ、わがままを言うな。エツコにもエツコの生活がある。彼女にも愛

する人がいるのだ。我々といても楽しいかもしれない。しかし、人間は本当に愛するもののとこ

ろにいるのが一番なんだ。まだ、子供のお前には分からないだろうが、いつか分かる時が来る」

ジーケンイットがなだめた。

「おいらにも、分かるよ。お姉ちゃんにも家族があるんだね」

「ああ、そうだ。いつかまた、エツコに会える時が来る。我々がまた困った時に必ず会えるよ」

 ヒロチーカはベランダの縁まで行き、夜空を見上げて言った。「お姉ちゃん、きっとまた会え

るよね、きっとまた」涙をこぼした彼女だが、さよならという言葉を言わなかった。

 

  エピローグ

 

 山田悦子は光に包まれたかと思うと、暗いトンネルの中をものすごい勢いで駆け巡るような感

覚に襲われいつしか気を失った。

 次に彼女は薬臭い匂いで意識を取り戻した。鈍い頭を回転させながら、ゆっくり目を開けると

目の前にはあいつの顔が覗き込んでいた。

「やっと、目を覚ましたんだな。随分、心配したぜ」

「えっ、ここはどこ?私はどうしたの?」

「何だ、まだ混乱しているのか。交通事故にあって病院に運ばれたんじゃないか。怪我は大した

ことないのに、意識が全然戻らないから、本当に心配したんだぜ」

 山田は自分が追突事故に遇ったのを思い出し、それからの記憶がないことに気づいた。

「あっ、それから、お腹の方は大丈夫だって、順調だとお医者さんも言っていたから」

「そう、良かった。立派な女の子が産まれるわね」

「何だ、何で性別を知っているんだ。もう調べたのか?」あいつは不思議そうな顔をした。

「いえ、そうじゃなくて、何となくそんな気がして」

「まだ、どっかおかしいんじゃないのか」あいつはベッドから離れて「何か飲むかい、喉が渇い

たろ。水ならここにあるけど」言った。

「ええ、水を頂戴」

 あいつがコップに水を注いでいると、山田はあることを尋ねたくなった。「ねえ、私が目を覚

ました時、何を考えていた」

「ん、何をってそりゃ、君の事だよ」あいつは照れくさそうに言った。

「私の事を、どんなふうに」

「どんなふうにって、いいじゃんか、そんな事・・・」あいつはコップを突き出し、返事を避け

た。でも、山田にはあいつの照れくささの中に自分を思ってくれていたことをちゃんと見抜いて

いた。

「あのさ、事故の日の事、謝るよ。おれが少し勝手だったみたいだから」

「いいの、その事は私も少し言いすぎたわ。あなたのいいようにして」

「まあいいや、そのことは後でまた。それじゃ、ご両親たちを呼んでくるよ、待合室で休んでい

るはずだからさ」

「ええ」山田は起き上がり、枕元にあるテーブルの上に目を向けた。そこには三つの硝子のよう

な球の付いた金属の輪があった。

「ねえ、これ何?」

 あいつは戸を開ける手を止め、振り返った。「ん、ああ、それ、何か知らないけど、君が救急

車で運ばれる時からずっと手に握っていたものだよ。そんなのいつ買ったの?見たことないな」

「この間買ったの」山田は作り笑いをして言った。

「あっそう、じゃ、呼んでくるよ」とあいつは出ていった。

 山田はそのペンダントを手に握った。冷たいはずのそれからはほのかな光と共に暖かいものが

伝わってくる。トーセでの出来事は全部夢かと思っていた。しかし、あれは本当の事だったのだ。

この竜玉が何よりもその証だ。でも、なぜ私はあの世界に言ったのだろうか。それは彼女の頭で

は分からない。ただ、思い浮かんだのは自分が愛を失いかけていたいた時に、愛を失いかけてい

た街が何らかの形で自分を呼び込んだのかもしれない。愛を忘れかけた街は山田によって救われ

た。愛を無くしかけた山田も、トーセの街との出会いで愛を取り戻した。それが全ての始まりで、

全ての結末だったのかもしれない。愛の力は偉大、それは単に恋愛小説の中だけの絵空事ではな

かった。本当の愛を悟った今、彼女は幸せというものを実感していた。

 どこかで、声が聞こえたような気がした。彼女の名を、「お姉ちゃん」と呼ぶような声が。そ

して、彼女も「ありがとう」と心の中で叫んだ。

 

 

            ──── 愛を忘れた街 完 ────

 

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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください