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祭り囃子の中で


プロローグ

「祐子ちゃん、お祭りに行こうよ」今年一年生になったばかりの孝は同級生の少女を誘いに家まで来た。
 祐子と呼ばれた少女は「今行くから、ちょっと待ってて」と言って、買ったばかりの浴衣を鏡に映した。短いおさげ髪には黄色いリボンが飾られ、祐子はそれが気に入っていた。
 母親に「それじゃ、行ってくるね」と言うと「気をつけてね、無駄使いしちゃ駄目よ」と定番の言葉をかけて送りだされた。草履をはいて祐子は「じゃ、行こ」と待っていた孝の手を引っ張った。
 孝は短く髪を刈った可愛らしい男の子だった。いつも元気で、今日も半袖半ズボンだった。二人が外に出ると、夜のとばりがすでに町並みを支配しており、澄んだ空には初秋の星が瞬いていた。遠くの方からは既に祭り囃子の音が聞こえている。孝たちと同じように神社の方へ向かう人たちもあちこちにいる。二人も遅れまいと小走りに走った。いつも遊び慣れた神社に向かい、楽しそうに笑いながら、祭りの楽しさにワクワクして・・・・・・。それが、遠い遠い昔の思い出だった。

1  祭りの夜

 真野祐子は久し振りに早く帰宅した。家電店を営んでいる実家の表口から帰ったのは何日振りだろうか?普段なら帰るころにはシャッターがとうに閉まっているので、裏口から入る日々が続いていた。残業には慣れている祐子だったが、今回のように連日連夜ではさすがに堪える。しかも、仕事的な内容よりもその背後にある精神面に気を使うのが、疲労を増大させていた。以前にも仕事にはまって精神的ストレスから拒食症に近い食欲不振に陥ったこともあり、今度もそうならないよう留意はしているが、今の状況では先が全く見えない。
 珍しく早く帰宅したものだから、母親は妙な顔つきで「今日は早いのね、どうかしたの?」と心配そうに言われてしまった。別に何でもなかったのだが、今日はなぜか作業をする気が無くなり、丁度区切りが付いたので六時半には会社をあとにしていただけだったのだ。作業のリーダー格である土田には「オヤッ」という顔をされたが、今夜は帰ることにしたのだ。
「別に、今日は早く終わったの」と素っ気ない返事をした。すると母親が「それじゃ、お祭りにでも行ってみたら」と提案した。
「お祭り?」祐子は何の事という表情で聞き返した。
「何言ってるの、今日はおイヌさんのお祭りよ。帰ってくる時、聞こえたでしょ、お囃子が」
 そう言われて祐子は思い出した。家の近くにある伊奴神社の例祭が十月十日だということを。
つまり、今日はその前夜祭なのだ。
———そういえば家に向かう時、何やら笛や太鼓の音が聞こえていたっけ。
「んー、気が向いたらね」と愛想のない返事をした。
 家族三人揃って食卓を囲むのも久し振りだった。祐子は一人娘で家族も両親だけ、子供のころは少し寂しい気もしていたが、いつの間にかそんな思いも喪失してしまった。両親も寂しいのかなと少し大人ぶって考えたこともあったが、そうでもないらしく、かと言って甘やかされて育てられたわけでもない。自分で言うのも変だが、よく立派に育ったなと感心する面もあった。家は子供のころから家電店を経営していた。自分が養子でももらって店を継がなければいけないのだが、彼女にはそんな気もなく(結婚する気さえもない)、親も継がせようとは思っていないようだ。一代限りの店になるかもしれないが、それはそれでしょうがない。
 久し振りの家族の食卓のせいで何となく気まずかった。よく考えると大人になってから食卓で会話をするのがめっきり減ったような気がする。もともとおしゃべりな子供ではなかったが、小学校の時はまだ学校のことなどを話していたのに、今となっては会社のことを話してもいたしかたがないので静かな団欒となっている。
 食事が終わって祐子は自分の部屋に戻ったが、存外に早く帰ったためすることがなかった。元来、テレビは見ない方だがドラマなど連続物は筋が分からないし、バラエティもあまり好きではなかった。それじゃ、と言うことで祭りにでも行ってみようという気になった。一応財布だけ持って、母親に「おイヌさんに行ってくるね」と一言言って家を出た。
 祭り囃子が聞こえる方向へ進むと、子供たちが同じ方向へ走っていく姿や、手に水風船などを持って帰ってくる子もいて、自分も大昔はああだったんだなと妙な懐かしさを抱いた。バス通りを歩いて川にぶつかったところで曲がった。川と言っても幅が五メートルもない小さな川で名古屋南西部への灌漑用水である。歴史的には古く、尾張六大用水の一つで昔は惣兵川とも呼ばれていた。明治十年、黒川開削に伴い二十八キロ再築され、稲生川となった。当時は輸送路として利用されていたが、今はその役割も終わり、緑地として埋め立てられ始めている。この付近はまだだが、コンクリートで固められた水路にはすでに水は流れておらず、夏など子供たちが降りて遊んでいる始末だ。その川沿いに進み、中央橋の前が「伊奴神社」だ。昼間なら鬱蒼とした緑の木々が見えてくる。祐子の住む近所の南方面は高層の住宅などが多くあり、ダイヤモンドシティという巨大なスーパーもあって、建物が密集している地域だが、この辺りはまだ雑然としていた。高層の建造物はあまりないが五階以下のマンションやアパートが点在し、あとは一戸建ての家ばかりだ。大昔は田んぼや畑も多かったが、今ではほとんどが宅地か駐車場になり、ちらほら空き地があるだけだった。歴史的には古くからある町なのだろうが、近年地下鉄鶴舞線が庄内緑地公園まで延びたおかげで、一気に開発が進んでしまった。
 伊奴神社の付近は明るかった。提灯が灯され夜店が川の前の道路まで出ていて、人出も結構あった。「伊奴神社」は「イヌ」と読む。スサノウノミコトの子・大年神(オドシカミ)と妃の伊奴姫が主神である。だが、イヌと読むだけあって犬にまつわる伝承もある。
———山伏が川の氾濫を鎮めるため御幣を立てると犬の絵と「犬の王」という文字が現れた。翌年、再び氾濫を起こしたため、山伏が祠を建てたという話だ。
 十月十日、つまり体育の日が例祭で、今日はその前夜祭としてすでに祭りが始まっていた。夜店は昔からある金魚すくいや綿菓子、お面屋やタコ焼きなどもあるが、今風のクレープなんかを売っている店もあり、時代を感じさせる。値段も一昔前とはかなり違う。もちろん物価の上昇のせいだが、子供のころの価値観とは随分隔たりがあり、今の子供たちが買えるのかと要らぬ心配をしてしまう。まあ、小遣いだって値上がりはしているのだろう。
 境内の中央に小さな鳥居があり石の参道を進むともう一つ鳥居がある。その左右が駐車場や空き地になっているので夜店がひしめき合っている。鳥居の正面が本殿で、左側に社務所、右側には神楽殿と王主稲荷社がある。犬の伝説のためか、本殿のそばには犬の像があり、また、その前に御神木である樹齢八百年の椎の木と、諸病平癒の大杉がある。
 鳥居をくぐるとその賑わいは一層激しくなり、祭りの楽しさが伝わってくる。もちろん、本物の神楽があるわけでなく、テープではあるがそれでも雰囲気は堪能できる。まず、本殿へ参拝することにした。そういえば、以前ここにきたのはいつだろう。今年の正月は初詣さえしていなかった。何となく不信心な気を持ちながらも、賽銭を投げ二礼二拝一礼をして願いをかけた。
———今の仕事が早く終わりますように・・・。
 今の願いはそれだけだった(結局、願いはそう簡単に成就できなかったが)。
 向き直ってどうしようかと考えた。知り尽くした神社だからこれといって見るものもないし、いまさらおみくじを引く気にもなれない。何か夜店のものでも食べてみようかと考えても、夕食で腹は一杯だった。そんなふうにボーッとしていると、目の前に小さな男の子が立っているのに気づいた。小学生の低学年ぐらいだろうか、スポーツ刈りのような短い髪に半袖半ズボン、女目で見ても可愛い子だった。男の子はじっと顔を見上げニコッと笑った。
 祐子は「どうかしたの」と尋ねると、男の子は「お姉ちゃん、遊ぼ」と言って彼女の腕を引っ張った。

2  男の子

———何、この子。
 と祐子は思ったが、次のことを考える間もなく男の子は彼女をグイグイ引っ張った。
「お姉ちゃん、金魚すくいやろうよ、金魚すくい」そう男の子は笑顔で言うと、祐子を金魚すくいの店の前まで連れていった。
「おじさん、二つね」と男の子は祐子の返事も聞かずに声をかけ、ズボンのポケットから小銭を出そうとした。
「四百円ね」と店のおじさんが言ったので、祐子は男の子の行動を制して自分の財布から四百円を出した。何かわけの分からない状況だったが、何となくその気になっていた。
 祐子にお金を出してもらうと、男の子は「お姉ちゃん、ありがとう」と嬉しそうに言った。そう言われると祐子も悪い気がしなかった。
 ウェハースで作られたすくい網が手渡され、男の子が受け取って祐子に一つ渡した。金魚を入れる入れ物も続けて手渡した。何年振りだろうか、金魚すくいなんて。昔はよくやって金魚を家に持ちかえり、すぐに死なせてしまったことが毎年のようにあった。どうやれば上手く取れるのだったかなと、こつを思い出そうとした。男の子はすでにしゃがみこんで狙った獲物を凝視していた。金魚が向きを変えいい位置にきた瞬間男の子はさっと網を水に入れ、手際よく金魚をすくい上げた。男の子は嬉しそうに「一丁あがり」と言ってすぐに次の目標を狙い定めていた。
 祐子もしゃがみこんで男の子の真似をしようとしたが、どうも上手くいかず狙った魚を逃がしてしまう。そうこうしているうちに網は水でふにゃふにゃに柔らかくなり、ついには針金から抜けてしまった。結局、祐子は一匹も取れなかったが、男の子は五匹も捕まえ、六匹目も捕らえたところで、ついに網はおしゃかになってしまった。店の人は男の子の六匹を透明な袋に入れ、祐子にも三匹小さな金魚を袋に入れてくれた。「すいません」と祐子は照れくさそうに言って、その店をあとにした。
 男の子は大きな金魚を捕まえられて満足そうだった。そして、祐子の金魚を眺めながら「一匹あげようか」と言ったが、祐子は「ん、いいわよ、それより、私の家には金魚を飼うものがないから、これも君にあげるわよ」と言って三匹入った袋を手渡した。
「いいの、ありがとう」と男の子はまた嬉しそうに笑った。
 祐子は何でこんな知らない子に付き合っているのかとふと思ってしまったが、男の子の喜んでいる笑顔を見ると、何となくそんな気持ちも薄れ、心が和んでいくのが分かった。
 男の子は「綿飴、食べようよ!」と言いだした。祐子は言われるままに男の子に付いていき、綿菓子屋の前まで来た。祐子がお金を出そうとすると「いいよ、今度は僕が払うから」と子供のわりには律儀な態度を見せ、綿菓子を一つ買った。箸だけ二つもらい、神社の外回りにある石の柵に座り、適当に二人で分け合って綿菓子を食べた。r> 甘い味がした。懐かしい味が・・・。昔はよく食べたっけ。こうして・・・・・・そうこうやって子供の頃、誰かと食べた気がする。子供の時・・・・・・。
 祐子は急に不思議な感覚に襲われた。自分がこうしている情景が昔にもあったという思いが、心の奥から湧いてきた。男の子の楽しそうに食べる姿が、何か懐かしさを想起させている。耳に聞こえる、祭り囃子は昔とちっとも変わっていない。神社の風景もそのままだ。神社の周りは随分様変わりしたが、今は夜なのでそれらも見えず、すべてが昔のままのような気がした。それは自分だけが子供から大人になり、他のものは何一つ変わっていないようだった。そして、今自分の心が大人から子供に戻りつつあるような錯覚に陥っていた。時代が進み、自分もそれに追いつこうと必死になっていた。今までの生き方、そして、その途中で置いていった、忘れてしまった子供の純粋な心。物事をそのまま見て、そのまま受け入れた素直な心。それが甦ったような気がした。大人という社会に紛れ、いつしかそのしがらみの中で生活することだけを念頭に置き、何も考えていなかった自分が客観的に見ることができた。世間一般から見た当たり前の生き方が本当に当たり前なのか?周りに流され、ただ川の水に漂う木の葉のように生きてきたことが当然なのか?心が子供に帰るだけ、大人としての矛盾した営みが表れてくるようだ。
 男の子は無邪気に綿菓子を頬張り、それを食べ終えるとまた祐子を引っ張って夜店へと引き込んだ。お面を眺め、水飴を二人で練って色を変え、絵文字焼きに変な絵を描き、タコ焼きを二人で分け合った。祐子は完全に童心に帰り、その男の子と共に祭りの楽しさを満喫した。お祭りがこんなに楽しいものだったなんて、今まですっかり忘れていた。子供にとってお祭りは大晦日と同じように夜遅くまで遊んでも叱られない唯一の安息日だ。大人になった祐子から見れば、まだ宵の口にも辿り着いていないが、子供にとっては深夜に近いものがある。夜更かしして、同じようにワクワクした心の昂りが、男の子から祐子に伝わっていた。
 時間は知らず知らずのうちに過ぎ去っていった。お囃子が聞こえるスピーカーから、今夜はもう終わりですというお知らせが流れた。
 祐子は男の子に向き直り「それじゃ、もう遅いから帰らなくちゃね、お家どこなの?」と尋ねた。
「すぐ、近くだよ、忘れちゃったの?」
「忘れちゃったって?」そう言われても祐子にとっては知らない子だ、家など知っているはずもない。
「まあ、いいや。それじゃ、お姉ちゃん、バイバイ」そう男の子は祐子を見上げて言うと、跟を返して、神社をあとにする人込みに走りだした。
 祐子は咄嗟に思い浮かんで「僕、名前は?」と大声で呼びかけた。
「孝だよ、松本孝!じゃあね、祐子ちゃん」と言って、闇に消える人たちの中に紛れ込んだ。
———祐子ちゃん?何で私の名前を知っているの?
 祐子は男の子を追いかけようと人込みの中に飛び込んだが、少年の姿はもう分からなかった。人々は鳥居から四方八方に広がり、薄暗い電灯の中に吸い込まれていく。その中からはもう見つけることはできなかった。
———あの子、一体・・・?
 祐子は人が疎らになった道路上にポツリと立っていた。

3  リメンバー

 祐子はその日よく眠れなかった。男の子のことがどうしても脳裏から離れない。
———松本孝、松本孝・・・。
 何度も心のうちでつぶやき、その名前の心当たりを思い出そうとした。確かにどこかで聞いたことのある名前だ。だが、それがなかなか思い出せない。記憶を現在から少しずつ過去に戻していった。会社、大学、高校、中学、そして小学生の記憶を呼び覚まそうとした時、その名前の記憶にぶつかった。
———松本孝。
 それは小学校時代に仲の良かった男の子の名前だった。小学校、特に低学年の時にはよく一緒に遊んだ男の子だった。「柳水」という喫茶店が今は立っているが、そこが以前呉服屋だった時に住んでいた家族の一人息子だ。小学校に入る前から近所ということもあって家族ぐるみでお付き合いしていて、同じ年の孝とはいつも遊んでいた記憶があった。そして、学年が上がるにつれ てあまり遊ばなくなっていき、彼が小学校を卒業すると同時に家の都合でどこかに引っ越してしまった後は全く音信不通になっていた。
 なんだそうだったのかという安堵感とともに、その矛盾した事実に驚いた。「松本孝」という名を思い出せなかったのは、遠い幼き日の記憶だったからだ。しかも、いくら親しかったとはいえ、当時は小学生の男の子だったのだ。その子と同じ名前の子が今現れたとして、思い出せるはずもない。でも、なぜ同じ名前の男の子が突然現れたのか?しかも、見ず知らずの私の前に。いや、そうじゃない。あの男の子は私の名前を知っていた。確かに「祐子」と少年は言ったのだ。
そんな馬鹿な・・・。
 祐子は布団からとびだし、電灯を付けて押入れの奥にある段ボール箱を引っ張りだした。これでもない、あれでもないと探しているうちに、やっと小学校時代のアルバムを見つけ出した。祐子はそれをパラパラめくり、小学校一年の学級写真を目にした。
———そ、そんな・・・、まさか。
 その写真には幼い頃の自分が写っている。妙に澄ましている自分が。そして、その対称的な位置に男の子が写っていた。それは紛れもなく昨夜出会った男の子だ。髪形から、背丈、顔の感じなど全く同じだ。そして、その子の名が「松本孝」となっていた。
 祐子は茫然自失の状態になった。一体全体どういうことなのだ。二十年も前の男の子が自分の目の前に現れたということなのか?それとも、昨夜の出来事は単に夢だったのか?そんなはずはない、すべて現実のはずなのだ。祐子には信じられない事だった。だが、男の子は現に実在していたのだ。一緒に金魚すくいをし、綿菓子を食べ、縁日の夜を過ごした。それは疑いのない事実だ。
 祐子の心臓は高ぶった。不思議な体験をしたことの把握が心の中では困難だった。ただ、恐ろしさというものは全く感じていない。ただ、愁いにも似た寂しさが心の奥に溜まっていった。
 翌朝になってもその回答は当然得られない。昨夜は結局眠れないままだった。どうすればいいか?なぜ、昨夜のようなことが起こったのか?
———松本孝・・・
 祐子は彼の所在を確かめることにした。小学校卒業のアルバムを見ても彼の住所は祐子の住む江向町のままだった。引っ越しが決まった時にはすでに印刷が間に合わなかったらしい。小学校に問い合わせても難しいと思い、卒業時の先生、恩師に手紙を書くことにした。恩師とは何年か前の同窓会で会ったきりだが、年賀状などの挨拶だけは今でも毎年送っている。そこで、松本孝の現住所を御存じないかとい手紙を書いて送った。
 一週間後、恩師からの返事が届いた。恩師は松本孝の引っ越した後の住所を記録していて、それを書き添えてくれたが、今でもそこにいる保証はないと断りだけは付け足してあった。
 松本孝の住所は豊明市・・・になっており、地図をみたところ駅に近い住宅街のようだった。翌週の日曜日、祐子は松本孝を訪ねてみることにした。今でもそこに住んでいるのかも分からないし、手紙をだせば済む用件なのになぜか自分の足で行ってみたい衝動にかられていたのだ。

4  幼き心

 日曜日、祐子は名鉄の準急に乗り豊明で降りた。駅からは国道沿い歩いて市役所へ向かう県道を進んだ。役所や消防署がある町の中心地を抜け住宅街に入った。住宅地の向こうはもう田んぼという名古屋に近いわりにはまだ開発途上の町である。住宅地に入ってからは、かなり道が入り組みややこしかったが、住宅案内図の掲示板を頼りに歩いていった。松本という家は案内図に記載されていた。番地も符合しているのでまず間違いない。松本の家は存在したが、孝がいるのかは分からない。
 祐子はここで、ふと考え直した。自分は何をしに来たのだろうか。松本孝と名乗る不思議な少年に出会い、幼き過去を思い出し、その奇遇な巡り合いの答えを見つけようとここまで来たのだろうか?松本の家を訪ね、松本孝が現れたら何と説明すればよいのか?ただ、懐かしいから会いに来たと言って相手は納得してくれるだろうか?彼が引っ越した後、何の音信も無かった幼友達がいきなり訪ねてきたら相手はどう思うだろう?それ以前に、彼は自分のことを覚えているだろうか?祐子でさえ忘れていた昔のことだ。
 気がつくと祐子は松本という表札の掲げられた家の前に来ていた。
———ここだわ。
 そう思うと、このまま訪ねていいものかと普段の祐子にはない迷いが巡ってきた。家は静かだった。まるで、誰も居ないかのようであった。玄関から見える縁側のガラス戸には厚いカーテンがかぶされている。しかし、そのカーテンの隙間から中の電灯が漏れているのが分かった。しかし、人がいることが分かったのになぜか荒涼としたわびしさが漂っている気がした。家全体が見えない悲痛に取り囲まれているような。
 祐子はしばらく躊躇していたが、意を決してインターフォンを押した。少し間があった後、プツッという音とともに低い女性の声が聞こえた。
「どちら様でしょうか?」
「あのー、私、真野と申す者ですけれど、孝さんはいらっしゃいますか?」
「孝ですか、あのー、失礼ですが、孝とはどのような御関係で?」
「ええ、孝さんとは古い友人でして、その、小学校の時に・・・・・・」
「あの、真野さんとかおっしゃいましたね、もしかしたら、電気屋さんの娘さんだった、祐子さんですか?」
「そうです、真野祐子です。江向町の」
「ちょって待ってください」そう言うと、インターフォンの音が途切れ、玄関のドアが開いた。 五十を過ぎたぐらいの婦人が現れた。黒っぽい質素な服装の女性に祐子は見覚えがあった。松本孝の母親に間違いない。
「真野さんところの娘さんでしたか、お久し振りですね」婦人は笑顔を見せて言った。
「はい、本当に御無沙汰です」祐子も深く礼をした。
「何十年振りかしら、よくここが分かりましたね」
「ええ、恩師の先生に教えて頂いたものですから」
「そうですか。でも、どうしてこんな突然に」
「はい、ちょっと昔のアルバムを見ていて、孝さんのことを思い出したもので、どうしてらっしゃるかとちょっと気になったもので、孝さんはこちらにいらっしゃるのですか?」
「孝ですか・・・」婦人は急に暗い顔になり、目を潤ませ始めた。
「孝は・・・、孝は先日亡くなりました・・・」
「な、亡くなられた・・・・・・?」
 祐子は松本孝の仏前で手を合わせた。仏壇に納められた写真はういういしい青年の明るい笑顔だった。自分と同じ年齢の松本孝の写真だが、幼いころの面影は随所に見ることができる。
 母親が祐子の後ろに座り声を掛けてきた。「先日、交通事故に遭いましてね。病院に運び込まれたんですけど、重症で手当ての甲斐もなく・・・」母親はここで言葉を詰まらせた。
「いつ、亡くなられたんです?」
「先々週の九日、体育の日の前日です」
「九日!」それはまさに祭りの日、あの少年と出会った日であった。ならば、あの男の子は・・・。祐子の考えを遮るかのように母親は話を続けた。
「そういえば、孝、治療中のベッドで言っていたわね、譫言のように。まだ、意識があった時・・・。お祭りに行きたい、とか、祐子ちゃんとか・・・。その時はよく分からなかったけれど、きっとあなたのことを言いたかったのかしら。子供のころはよく一緒に遊んでくれたから」
 祐子はその話に衝撃を覚えた。あの時の少年は松本孝そのもの、死線をさまよい今までの人生を走馬燈のように回顧し、一番楽しかった最良の日を心に思い浮かべていたのだ。その思いが彼を少年の姿に戻し、伊奴神社に解き放ったのだろうか。孝の魂はそのままの姿では現れず、少年の姿に形を変えた。それは彼にとって、子供の時が一番幸せだったということなのだろうか。そして、彼は祐子の前に現れた。楽しかった子供時代のその中での最高の思い出を与えてくれた人物の前に。彼が小学校を卒業して祐子と別れた後、どのように生活してきたか、祐子には分からない。祐子は孝との別離の後、徐々に彼のことは脳裏から消えていった。彼はどうだったのか?離れた後も、祐子のことを心の中に刻んでいたのだろうか。ずっと、ずっと子供時代の思い出を大事に大事に取っていたのだろうか?祐子は少し恥ずかしく、情けない気持ちになっていた。あれだけ仲の良かった少年のことをすっかり失念していたことが心苦しかった。あの時、男の子が最後に言った言葉「忘れちゃったの?」がいま思い出すと、妙に切なく訴えていたような気がする。少年は祐子のことを覚えていたのに、自分は結局その時、思い出すことができなかった。そんな自分がいまさらに歯がゆかった。むろん、祐子を責めることなど誰もできない。常軌を逸した不可思議な巡り合いだ、それは仕方のないことかもしれない。しかし、彼女は少年に出会うまで松本孝のことを一片も思い出していなかったことが、悔やまれてしょうがない。祐子はあまり過去のことを回顧するような人間ではない。人付き合いもどちらかといえば苦手で長いお付き合いというのもあまりない。そんな自分を少年は心の中でいつも思っていてくれた。しかも、死に直面した間際にまで。
 現実的に考えれば、あの時出会った少年は霊、生霊である。しかし、今考えても恐ろしさというものは微塵も感じていなかった。少年と手をつなぎ、賑わう祭りの中を駆け巡ったことは、本当に楽しかった。孝が最良の時代、少年の姿に帰ったように、それに同調した祐子も、楽しかった子供の時代、子供の心を取り戻していた。大人になって自分でお金をかせぎ、それで勝手に遊んだ、享楽したことよりももっと楽しかった時間を少年は与えてくれた。その事が祐子には嬉しく、そして感謝したい気持ちだった。
 祐子は遺影を眺め涙した。それは彼の死を弔う悲しみというより、自分のことを今まで思っててくれたこと、そして、童心と本当の楽しさを忘れてしまった心を甦らせてくれたことに対する深謝の思いからだった。遺影に写る青年の顔が祐子にはあの時の幼い少年の顔に見えた。そして少年は屈託のない笑顔を祐子に投げかけていた。

エピローグ

 秋の風はもう涼しさから寒さへと変わりつつある。でも、その風は爽やかで空の青さを強調させ、穏やかな雲の流れは冬の訪れを予感させた。風になびく伸び放題の草は、ところどころに咲く名も知らぬ花の彩りを輝かせている。
 祐子の家から五分も歩くとそこはもう堤防だ。ちょうどここで庄内川と矢田川が合流し、二つの川の中州がここから始まる。後方の土手沿いの道路は普通の車から大型車両までひっきりなしに走っている。あそこを超えるのが子供にとっては大冒険でもあった。左手には一宮方面に通じる庄内川橋がありいつも渋滞のように車が引き締めあっている。その橋の下には自分も通った庄内橋自動車学校があり(ちなみに彼女はペーパードライバー)、右手側にはゲートボール場や個人の菜園がある。ここの風景はあまり昔と変わっていない。対岸の緑地公園近くは地下鉄の開通も伴って随分様変わりしたが、川はだけは昔のままだ。
 川岸の堤防に座り込んだのも何年振りだろうか?こうして草の上にいると、子供の時、この堤防で孝や他の子たちと走り回っていた情景が目に浮かぶ。稲生公園で遊んだあと、よく道路を渡ってこの土手に来たものだ。春には花を摘み、夏には水と戯れ、秋には風に乗って遊んだ。冬になれば、自分はあまりしなかったが、男の子たちはいつも凧上げだ。今はそんな子供の姿もあまりない。現代っ子は家の中でコンピューターゲームを楽しんでいる。自分が子供だった時が一番いい時代だったのかもしれない。しかし、それも時の流れ、世の中は自然に移り変わっていくものなのだ。
 祐子はもう一度自分を見つめなおした。少年との不思議な出会いがこれからの自分を変えていくような気がした。それが、どう変わっていくかそれはまだ分からない。若くしてこの世を去った幼なじみの分まで頑張ろうという、崇高な気持ちは別にない。ただ、彼によって呼び覚まされた純粋な心だけはいつまでも持ち合わせていこうという思いはある。人は長い人生を幾多の波とともに生きなければいけない。困難もあれば至福の時もある。だが、いつもその人本来が持つ清廉な心だけは決して失ってはいけない。また来年、祭りの日を楽しもう。もう彼には会うことはないが、それでもいい。風が吹き抜ける祐子の耳には祭り囃子がの音色が響いていた。

———— 祭り囃子の中で 完 ————


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