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憑かれた男


プロローグ

 愛知県に住んでいる人なら、その名を一度は耳にしたことがあるはずだろう。「伊勢神トンネル」この地方で有名な霊的スポットである。夏にでもなると東海地方のローカル番組が納涼特集とか銘打ってよくここを取材に訪れる。伊勢神トンネルは愛知県東加茂群足助町と北設楽郡稲武町にまたがる伊勢神峠のトンネルで、トンネル自体は足助町側にある。伊勢神と言うと、いかにも仰々しく三重の「お伊勢さん」と関係があるのかと思われるが、実際にはそのとおりなのである。伊勢神峠には伊勢神宮遙拝所(遠くから礼拝する所)があり、名の由来はここに帰するのだろう。伊勢神峠は江戸時代から飯田街道の難所であった。塩や魚を信州へ運び帰りには炭や木材を運んだ。また、善光寺参りの人々もここを通っていた。飯田街道は名古屋の東から豊田、足助を経て、豊橋から至る伊那街道と合流して信州・飯田に入る。信州と尾張を結ぶ重要な街道であった。明治に入り、三十年、伊勢神トンネルが開通し、昭和三十五年、新伊勢神トンネルが開通し大型のトラックも通れるようになった。街道は国道一五三号線となり、飯田を経て諏訪まで続き、中央道が出来るまでは重要な道となっていた。
 名古屋の中学校に通っていた者なら一度は必ずここを通っている。名古屋市の野外教育は稲武のセンターで行われる。一五三号を通過するのだ。足助を抜け、香嵐渓を過ぎると道は山道特有の曲がりくねったワインディングになり、伊勢神ドライブインが見えてくると、全長一二四五メートルもある伊勢神トンネルに入る。トンネルを抜けると大きくUターンをした形で下っていき、稲武町へと入るのだ。
 問題は旧伊勢神トンネルの方である。新トンネルが出来てからはこちらを通る車はほとんどなくなった。新トンネルに入る手前で旧道に逸れ、狭い登り坂を走ると狭くうす暗いトンネルが奈落の底を開けているかのように目前に現れる。いつから、そうなったのかはっきり分かる者はいないが、いつの間にか噂が広まり、伊勢神トンネルには「出る」と言われるようになった。前述のようにTVの取材で霊能力者がここを訪れると、あっちにもこっちにもいると断言している。この近くに処刑場や古戦場などもなく、そういった霊的要因になるものはないが、トンネル工事中の事故や昔の峠越えで亡くなった人たちがいるのだろう。また人知れずこの付近の山々で自ら命を絶った者もいるのかもしれない。それは新伊勢神トンネルにおいても、たまに目撃されたり、トンネル内で写真を撮ると“写る”という噂もあるからだ。
 とにかく現在、伊勢神トンネルは地元の人か物好き、夏の肝試しで訪ねる人以外滅多に通過する人はいない。だが、今日は四台のオートバイがこのトンネルを通過した。その中の一人はトンネルに入る前から悪寒のようなものが体に響いていたが、前の三人に付いていくしかなかった。トンネルに入りバイクは一気に加速した。その男も後に付いたが、一瞬体がビクンとした感触があった。だが、トンネルを出ることに集中していたので、そのことはあまり気にしなかった。出口の光が徐々に大きくなる。バイクに乗ったその男は、再びこの世の光を浴びたようにホッとした。しかし・・・・・・

1  浪人の砦

 受験戦争という言葉が一般化し、その問題が取り沙汰される中、ある産業が急速にその成長をなし遂げている。予備校という新しい産業は受験の激化に伴い、大きな成長を遂げ、今では年間何億ものの膨大な利益を生み出すようになった。もちろん学習塾と呼ばれるような小さな個人経営のものから、そのへんの私立大より大きな予備校もある。その中でも三大予備校と言われるのが、K塾、Yゼミナール、S予備校である。日本各地に分校を置き、全国規模で受験に対する対策を整えている。今ではこれらの予備校の模試を受けなければ自分の力を把握できず、志望の学校に入ることもできない。高校だけの勉強では全く合格など不可能な状況になっている。今の受験体制は何とも理に適っていない。
 名古屋においてK塾の力は絶大だ。全国的にも一二を争うK塾だが、それは本校が名古屋の千種にあるからだ。K塾は名古屋だけでも大きな駅の近く学校を置いている。特に名古屋の駅裏・西側はK塾、Yゼミナール、S予備校はないがその代わりにW予備校があり、一大浪人街となっている。新幹線のホームから見えるこの駅の町は近くに大学でもあるのかという錯覚にとらわれる。そしてW予備校の十三時を指す時計がよく目立つのだ。K塾も駅裏には複数の建物とトライデントと呼ばれる専門学校まで築いていた。
 そして、本校が千種にあるのだ。名古屋駅がJRや名鉄沿線の人を対象にしているのに対し、名古屋に住む人々はこの校舎に来ていた。JRと地下鉄の駅がある千種から出ると目の前に大きな建物がある。そこがK塾の本校で金と力があるのか、最近では目前の道路に校舎に直接つながる歩道橋まで作ってしまったのだ。変な話、このあたりの飲食店はこの浪人の人たちによって、もっているといっても過言ではない。若い人の往来は絶えることがない。校舎もその大きな建物だけでなくその近辺に大小の建物があり、小学生から高校生まで対象としたカテゴリーや、また専門学校まである。
 そんな建物の中に生徒が決して入ることのできない建物がある。生徒たちは全く気にしていないようだが、そのレンガ調の建物こそK塾において最も重要な施設・システム部なのだ。現代は情報社会の時代である。予備校においてもそれは例外ではない。予備校生の管理から模試の採点(共通一次に合わせたマークシート)、その結果による統計などはすべてシステム化している。偏差値というのもこうしたシステム化の結果、生まれたものなのだ。こうした全ての作業がこの小さな建物で行われていた。受験産業というものは予備校だけでなくその周りに波及した産業までも大きく発展させたのだ。
 K塾のシステム化はすべてオフコンメーカーの最大手、F社が担っている。システムには大型汎用コンピューターのMシリーズと言われるもので運用され、連日休むことなくフル稼働している。F社の中でもFビジネス、通称FJBがその運営を担当しているが、むろんFJBだけでは作業を網羅できないので、K塾のシステム部はもちろんF社配下の関連会社に協力を委託している。トリオシステムもその一つで、随時五人ほどがK塾のシステム部に出向していた。
 現在、K塾には枡田秋信と前沢暁が常駐の人員として出向していた。以前は河合主任と下前一也がいたのだが、河合は広島営業所の所長となるため広島へ赴任し、下前は突然トリオを辞めてしまい今は二人となっている。また時期によっては忙しい時もあるので、時々短期間だけ出向に赴く人もいる。今は加藤千尋がその任に当たっていた。また枡田たちとは別の部門に秋山浩代が常駐していた。
 そんなある日の出来事、千尋は前沢の様子がおかしいことに気付いたのだ。
 

2 疲れた男

 システム部の建物は一階が受付で、二階が作業場となっている。システム部とあってそのセキュリティ管理は厳しい。入口の扉を開けるカードがなければその部屋に入ることができない。三階には生徒の資料や模試の結果などがすべてディスクに収納されているので、ランクの高いセキュリティが敷いてあり、特別なカードがなければ入室できない。二階のフロアーは人が動いていながらも静かな雰囲気だ。作業をするデスクと端末が三十台ほどが整然と並んでいる。プリンターも巨大なタイプがあるが、一角に仕切られているので近くまで寄らなければ気にならない。ここの端末は三階のホストコンピュータとつながりTSS(タイムシェアリングシステム)で稼働し、各人が持つパスワードで起動する。
 その席に一人の男がボーッと座っていた。加藤千尋はその前沢暁の後ろ姿を見てギョッとした。千尋は前沢に近寄り声を掛けた。
「前ちゃん、大丈夫?何か元気ないみたいだけど」
「ああ・・・加藤さん・・・、そうかい。うん、そうだなちょっと疲れているのかな」
 前沢は千尋の同期で今年二年目となる。長身で眼鏡を掛け、どこかボサッとした感じがする。皆からは「前ちゃん」と呼ばれ付き合いも良く、仕事の面も真面目な方だ。だが、その実態はいまいちつかめない気がする。
「疲れているったって、最近は暇じゃない」今は五月の終わりで、塾としては比較的暇な時期である。
「そうだけど、何だか体がだるくてね」
「ん〜、今日は真っ直ぐ家に帰ってゆっくり休んだら。作業報告書の方は私が持っていってあげるから」
「ありがとう、じゃそうするよ」元気がなさそうに前沢は返事をした。
 千尋は少々彼のことが気になった。心配しながら席に戻るとお昼になったので浩代が昼食を誘いにやってきた。浩代はもう七年目になる大ベテランで、唯一トリオの女性では既婚者である。まだ子供がいないのでこの仕事を続けているが、主婦もしなければいけない忙しい身だ。そのわりに酒の席など付き合いにはよく顔を出す。まあ、現在ご主人が単身赴任中なので暇を持て余しているのだ。旧姓は奇しくも目の前の千尋と同じ加藤でどうも「加藤さん」とは呼びにくい。顔立ちが何とかという洋犬に似ているのか「ワンさん」と呼ばれ、いくつになっても軽い感じの明るい人だ。
「千尋ちゃん、食事に行こう」
「はい、行きましょうか」千尋は前沢のことが気になり少々抜けた声で答えた。
「どうしたの?何か心配事でもあるの?」
「いえ、前ちゃんんの様子がちょっと変なんで」
「前ちゃんが・・・」浩代はチラリと前沢が座っている端末の方を見たが、遠くにいるのでその様子はつかめなかった。
「疲れているの?」
「本人もそう言ってるんですけど、実は・・・・・・」
「実は何?」
 千尋は少し渋る様子で答えた。「こんなことを言うと私が変に思われるかもしれませんけど、前ちゃんの背後に奇妙なものを見たんです」
「奇妙なものって・・・何・・・もしかしてこれ」浩代は両手の甲を前にたらして身震いした。  千尋は多少ながらも霊感のある少女で死んでしまった犬の気配を感じたり、ダムで他の人には見えない人を見たりしていた。その話を知っている浩代は千尋の態度からすぐにそう判断したのだ。
「そうなんです。前ちゃんの頭の後ろにちらりと見えたんで、一瞬ギョとしたんです」
「それって背後霊じゃないの」
「いえ、そうじゃないと思いますよ。背後霊にしちゃ不気味だし。第一、私には背後霊を見るほどの力はありませんよ。一瞬しか見ていないのではっきりとは言えませんが、青白い顔をした若い男の人みたいでした」
「確かに、今朝から前ちゃんを見ているけど元気がない感じがしたわね。んーどうしよう?単に体の調子が悪いだけならいいけど」
「そうですね。でも、前ちゃんから出るオーラみたいな、覇気が全く感じられないんです」
「そうね、やっぱり気になるわね。今日はしばらく様子を見るとして、それでも変なら相談してみましょうか」
「相談って誰にですか?」
「決まっているじゃない、こういう相談事と言ったら彼らしか」
「ああ、あの人たちですか?」千尋も納得と不安の表情をかいまみせた。

3 相談

 今日は月末であったので、千尋と浩代は社の方に戻った。前沢は千尋の勧めで家に帰り、枡田の方はまだ残業していた。二人は作業報告書を提出すると目的の男たちを探した。
「ラッキー、三人ともいるじゃない」と浩代は喜び跳び上がった。その三人の方は迷惑だったかもしれないが。
 その三人、竹内正典、伊藤賢司、土田道幸は仕事も終わりデスクを囲んで談笑をしていた。そこに二人はスルスルと静かに近寄った。
 最初に伊藤が二人に気付いた。「やあ、秋山さんとカトさん、お帰り。久しぶりだね」
「はい、ただいま帰りました」千尋は首を前後に振りながら三人の輪に入り込んでいった。
「あの、お話し中ちょっと・・・いいですか?」
「ああ、いいけど、何か用?」と土田が答えた。
「あのですね、ちょっと、御相談があるんですけど」とその言葉を聞いた瞬間三人の男たちは口早にしゃべりはじめた。
「作業報告書を書かなくちゃいけないな」、「そろそろ時間だから帰ろっかな」、「さあて、残りの仕事を片付けよっかな」と竹内、伊藤、土田は言って席を立とうとした。
「どうして、逃げるんですか」と千尋は不満げな低い声で抗議した。
 浩代は「あんたたち、薄情ね。か弱い女の子が頼み言してんのに、何てことするの」
「いえ・・・、あの・・・、分かりましたよ。ひとまず話だけでもききますよ」と竹内が二人を見ながら再び席についた。
「で、何なの、カトさんのこと」と伊藤が気を入れずに尋ねた。
「私じゃなくて、前ちゃんのことなんですけど」
「前ちゃん?前沢君がどうかしたの?」と土田が不機嫌そうにきいた。
「ええ、前ちゃん、何かにツカレタみたいなんです」
「疲れた?だったら、家でゆっくり休めばいいじゃん」伊藤はそんなことかという口振りで言った。
「いえ。その疲労とかの疲れたんじゃなくて、物の怪に憑かれたということなんですけど」
 その言葉をきいた竹内、伊藤、土田はまたまた口々に言い始めた。
「俺、もうちょっと頭を使う事件じゃないとやる気がでないもんで」、「俺、お化けは全く信じないから」、「ホラー映画は好きだけど、本物はちょっとね」、そう言って三人はまた席を立とうとした。
「どうして、逃げるんです?」とまた千尋は恨めしそうに低い声を出した。
「史ちゃんの時は助けてくれたじゃやないですか・・・」渡辺史子のことが以前にあったから、三人はこういう相談には乗りたくないのだ。
 が、そんなことも露知らない浩代が三人を叱咤した。「不公平はだめよ。千尋ちゃんの相談にもちゃんと乗ってやりなさい」
 三人は渋々席に戻り、ため息を吐きながら話を聞く態度を示した。
「で、前ちゃんが何かに憑かれたというのはどういうこと?まさか、カトさんこれでも見たの」と伊藤が手の甲を下げて尋ねた。
「まあ、そうですね。今日前ちゃんを見たら背後に不気味な物を見たんです。初めは錯覚かなと思ったんですけど見るたびにそれがはっきりしていって、それに、前ちゃんの様子も元気が無くなっているんです」
「加藤さんが言うんだから、まあ、間違いないと思うけれど、もちろん秋山さんは見えませんよね」竹内は浩代に尋ねた。
「もちろん、私には見えないけど、でも、前ちゃんの様子が変なのは気付いているわよ。何か青白い顔して覇気がないから」
「んーじゃ、前沢君に何か憑いているとして、いったい何が憑いているのかなあ。それは加藤さん分かるの」と竹内が真剣な顔になりはじめた。
「ええ、その憑いているもの自体はボーッとしているんですけど、青白い感じの若い男の人だっていうのは分かりましたよ。思い出すだけでもゾーッとするような気味悪い感じです」
「そっか、でも前沢君がどこでそんなものに取りつかれたんだろう。お墓でも行ったのかな」
 その竹内の言葉を聞いて伊藤と土田は顔を見合わせた。それに気付いた竹内は「ん、土田さんたち、何か思い当たる事があるの」ときいた。
「まあね」土田は伊藤の顔色をうかがいながら答えた。「実はこの間、みんなで伊勢神トンネルへ行ったんだ」
「伊勢神トンネル?」残った三人が声をそろえて言った。

4 鰻を食べに行こうツーリング

 佐藤寿晃はよく思いつきであちこちに出かける人だった。他人から見ればその目的に対し「馬鹿じゃない」と思われてしまうが、本人はいたって真面目にそれを実行する。まあ、一人で行くのなら誰も呆れないが、それに追随する同類もトリオの中にはいて、同じ穴の狢と呼ばれている。今までも五月になったから、カツオが食べたいと思い立ち、なんと高知までただ鰹を食べることを目的にして車を出したのだ。それに賛同した土田や桑原美香も傍から見れば呆れた連中だ。
 そんな佐藤が新たな思いつきを言いだした。「ウナギが食べたい」そう思った佐藤はそれを直ぐさま実行に移した。佐藤は自分の考えに同調するだろう三人を選んだ。その三人を選んだ理由は彼らがバイクに乗れることだった。佐藤はツーリングがてら、鰻を食べに行こうとしたのだ。選ばれた三人は伊藤と土田、それに前沢だった。皆それなりにバイク好きで、暇があればあっちこっちに行く人間たちだった。
 鰻といえばやはり浜名湖産である。浜名湖は愛知県の隣県・静岡県にあるため日帰りのバイクで行くなら丁度よい距離にある。浜名湖は鰻養殖で有名なところだ。鰻は海で生まれ淡水域で成長する。フィリピンや南西諸島から来た鰻がここまで泳いでくるわけだが、今ではそういった天然の鰻を捕ることは少なくなった。その分、この地で養殖が行われるようになったのだ。歴史は古く、明治初期から東京で始まった養殖が浜名湖に伝えられ、数々の品種改良や技術の向上により、今日の浜名湖における一大産業となり、全国の四十パーセントを占めている。ただ、鰻の孵化は実現しておらず、鰻の幼魚シラスウナギの漁獲が一番の問題で近年は中国・台湾の養殖物に押されがちである。
 浜名湖は日本で十番目の大きさを誇る湖だ。海とつながっているために海水と淡水が混ざり合っている。塩分の多い高鹹汽水湖で多くの付属湖を持ち、水深は比較的浅く、海とつながる湖口部は水深百メートルのため人口水路が設けられている。淡水・海水の両生物が生息するため、鰻の養殖においても好都合なのだ。
 浜名湖は浜松市、湖西市、三ヶ日町、細江町、雄踏町、舞阪町に囲まれており弁天浴場や館山寺温泉と遊園地などがあり、観光としても栄えた地域である。新幹線に乗れば北側に美しい景色が望め、また東名高速道路の浜名湖サービスエリアも東名高速道の中では富士川に次ぐ景観を楽しめる。
 佐藤たちは順繰りに集まり、最後に前沢の家によった。前沢のバイクはしばらく乗っていなかったためいまいち調子がよくなかったものの何とか乗れることはできた。しかし、前沢は五月の好天に恵まれた暖かい日なのにツナギをきていて暑苦しいそうだった。
 ツーリングということもあったので山道のルートを辿った。国道一五三で豊田から足助に入り香嵐渓から四二〇号線に至り稲目トンネルを通って鳳来町へ入った。鳳来寺山パークウェイへ行こうとした。が、土田が自分のバイクが故障中のため、佐藤の小型バイクを借りていたので、パークウェイは通行できず、仕方なく側の狭い道を通って新城へ抜けた。二五七号線を回って静岡に入り、細江町から館山寺温泉に辿り着いた。
 うまそうな(しかも手頃な値段の)店を見つけ、全員鰻重を注文、名産の味を満喫した。湖畔で一休みして、帰路につくことにした。行きと同じ道ではつまらないので、三ヶ日から宇利峠を通って新城に入り国道三〇一号へ向かった。ここでちょっとしたトラブルが発生した。そこまで土田が先頭を走っていたのだが、新城市街で迷ったため伊藤が先頭に立つことになった。そが大きな運命の分かれ道で、三〇一号を突っ走った伊藤が後方と少し離れた時、ネズミ捕りに引っ掛かってしまった。後ろの三人は捕まらず、伊藤がキップを切られるのを待った。伊藤は当然文句たらたらで、「もっと接近してくれたなら捕まらなかったのに、どーすんだよ、三十キロオーバーで免停だがや」とぶつぶつ・・・。三人は苦笑するしかなった。伊藤は免取という前科もあるので、今回のキップは大打撃だった。
 四人はゆっくりと三〇一号のワインディングを上り作手村へ入った。そこで誰が言いだしたか、まだ時間もあるし気晴らしにと遠回りすることにした。県道を進み設楽町から足助へ向かい、途中で伊勢神でも見ていこうかという話になったのだ。新伊勢神トンネルの稲武側、群界橋付近から旧道を進み、旧伊勢神トンネルに至ったのだ。四台のバイクはトンネルの前で一時停止した。土田と前沢はここに来たことがなかった。初めて見るトンネルは噂通り不気味だった。トンネルだと言ってしまえばただのトンネルなのだが、噂が助長させ余計なことを考えさせてしまう。伊藤は何度も来ていて、しかも、幽霊など信じていない人間だから、気にせず進んだ。佐藤も元来陽気な人間なので伊藤同様気楽に発進した。土田は恐い話は好きだが、実体験などしたくない臆病者なので恐る恐る進んだ。前沢は少々鈍感なところがあるので。あまり恐怖は感じなかったが、何か嫌な予感というものは多少感じていたようだ。しかし、前の三人についていくしかなくバイクを前進させた。
 前沢はトンネルの中ほどで何かに接触したような冷たいものを感じたが、出ることに神経を集中していたため、あまり気にはしていなかった。初めは小さな向こう側の丸い点が徐々に大きくなる。前沢はただそれを目指してスロットルを開けた。閉鎖されたトンネル内にはバイクの爆音が響きわたる。特に伊藤は面白がってエンジンをふかしている。猛スピードで走る彼らにトンネルの壁は全く目に入らない。もちろん、霊視できる者などいず、彼らは暗い周りを気にせず出口を目指した。バイクにとってはあっと言う間の時間だった。トンネルの出口を出た瞬間、音の波長が変わり、かすかにトンネル内にエコーが残った。四人は出口で一度止まり、ヘルメットごしに顔を見合わせ再出発した。その時、前沢は異変があったことなど微塵も感じていなかった。バイクは一五三号に戻り、豊田から一五三バイパスへ出た。伊藤は途中で瀬戸方面へ向かい、前沢も一五三号線沿いなので途中で別れた。土田は佐藤の家まで行ってバイクを返し、車で家に戻った。
 短い一日のツーリングは無事終わったかのように思えたのだが・・・・・・。

 竹内はその話をきいて難しい顔をした。「それじゃ、伊勢神トンネルが原因と二人は考えるのか?」
「ん、それしか思い当たらないよ。そりゃ、前ちゃん家の前はお墓だけど、もう何年も住んでんだろ、今更呪われるわけもないじゃん」伊藤がそれに答えた。
「まあ、原因はどうあれ、彼の様子が変なのは間違いないわけだから、今後どうするかというのが問題だな」
「・・・こういう場合は、あいつに頼むしかないかな」土田が思いついたように言った。
「あいつってもしかしたら、あのエロ坊主か?」伊藤は土田の言ったことがすぐに分かり声を高めた。
「しかし、あの男は霊的パワーはあるけど、品格が共わなわないからな」竹内も眉をしかめて言った。
「だけどさ、宜保愛子や織田無道に頼むわけにはいかないじゃない」土田が食い入るように答えた。
「あのー、その、エロ・・・・・・変なお坊さんって誰なんですか?」何のことを言っているのか分からない千尋が尋ねたが、さすがにエロ坊主と口に出しては言えない。
「ああ、以前、佐藤さんが似たようなことに出くわして、助けてもらったことがあるんだ。俺たちよりも若い僧侶なんだけど、霊能力者としての力は大したものがあるんだけど、少々問題もあってね」と竹内が説明した。「しかし、この際仕方がないか。前ちゃんを助けるのが先決だからね」
 土田が千尋の方を向いて尋ねた。「それじゃ、明日は土曜日だから、俺たちでその坊主に会ってみるよ。カトさんは明日、暇?」
「ええ、暇ですけど」
「なら、家で待機してて、連絡を入れるから。その後、前ちゃんを連れてきてよ」
「分かりました」
「よし、それじゃ、決まり」と竹内が締めくくった。
 千尋と浩代はこの男たちに相談したことが、大きな失敗のような気がして見つめ合ってしまった。

5 エロ坊主

 翌日の土曜、土田と竹内は伊藤の家へ行ってから、彼の車で出発し、淙伝寺へ向かった。目的の男はその寺でやっかいになっているはずで、修行に出ていなければいるはずだ。
 三人は寺の前に車を止め短い石段を登った。境内は正面に寺院があり左側には鐘堂、右側に僧侶の住居がある。境内の前に住職らしい、頭のはげあがった初老の男が掃除をしていた。竹内が言葉をかけた。
「すいません、こちらに宮崎さんはおいでですか?」
「はい、おりますけど。何の御用で、失礼ですが、どちら様で?」住職は手に持つ箒を止め、三人を見た。
「以前、宮崎さんに力添えしてもらったことがある者で、少々相談にのってもらいたいと思いまして」
「そうですか、また悪鬼でも出ましたかな。変な力はあるくせに、それをまともに使おうとしんから困った奴だ。・・・さっきまでその辺におったんじゃが、さては、またあっちの女子高でも覗きにいったのかな?」
「女子高ね。相変わらずやな」伊藤が小声で土田にささやいた。
「そのうち帰ってくると思うに、待っとってくださいや」
 三人は仕方なく境内をうろうろしていた。すると、石段の下からジーパンにTシャツというとても僧侶には見えない姿で歩いてくる宮崎博昭がやって来た。宮崎は二十代になたばかりの若い僧侶である。竹内ほどしか背丈はなくほっそりしているが、頭髪は長髪気味にしている。大阪出身でコテコテの関西弁をしゃべりまくる。若いうちに大阪を出て、日蓮宗の総本山、身延山の久遠寺で修行をした後、各地を回り、今は遠縁の寺で世話になっているのだ。行脚と言ってはあちこち遊びに出ているが、運よく今はここにいた。宮崎は三人の姿を見つけると歩調を速め近づいた。
「おや、おや、これはどなたさんでしたっけ?」と宮崎はとぼけた表情で言葉を発した。
「おいおい、もう忘れてしまったのかよ」伊藤が皮肉っぽく怒鳴った。
「ははは、嘘でっせ。ちゃんと覚えてまんがな。竹内さんに伊藤さんに土田さんでっしゃろ、記憶力は抜群でっせ」宮崎は人指し指で頭を突っ付いた。
「そや、思い出したで、この間の約束、女の子を紹介してくれるって、ゆうてはったのに。あの話はどないなったんでっか?」宮崎は目を細めてニヤリと笑った。「そんで、今日は何でっか?突然うちの寺に来はって」
 竹内がそれに答えた。「ああ、ちょっと頼み事があってね。僕らの同僚の男が何かに取りつかれたみたいで困っているんだよ。それで、昔の事もあったから宮崎さんに何とかしてもらおうと思ってね」
「ほうほう、また憑き物でっか、そちらさんもよくトラブリますな。で、その男の人はどういう状態なんでっか?」
「今は青白い顔で元気がなくなり、病的な感じになってるんだが」
「んー、典型的な憑き物やな。よっしゃ、分かりましたわ。竹内さんたちの頼みでっから、引き受けまひょ」
「そうか、ありがとう」
「ただし」大きな声で言って目を輝かせた。「今度こそは、女の子紹介してもらいますで。年上でもかまへんので、そちらの会社にも女子社員はいるでっしゃろ」
 三人は互いに顔を見合わせてしかめっ面をしたが、仕方なく竹内が承諾した。
「わかったよ。今度、うちの飲み会に誘ってやるよ」
「O.K、これで契約成立。で、いつその男の人に会うんでっか?」
「今からじゃ、だめか?」
「今これから?今日は法事がありまんがな。・・・まあ、ええか、そんなものは。和尚に任せて。見つからんうちに行きましょ、行きましょ」宮崎は三人を押して逃げるように石段を下りた。
 後ろの方から「こら、博、どこいくんや。これから法事だぞ。おーい!」と怒鳴っている声がしたが、宮崎は気にせず小走りに進んだ。

6 霊視

 竹内たちは途中で加藤千尋に電話を掛け、前沢暁を連れてくるよう頼んだ。千尋は豊田市の西南に住んでいて、前沢の住む東郷に近いので、彼女が車で前沢を迎えに行き、赤池の「青春は最後のおとぎ話」という気取った名の喫茶店で待ち合わせることにした。
 竹内たちは伊藤の車、フェアレディZに乗っていたのだが、宮崎はそれをみるなり「ええ車でんな」と助手席を陣取り、伊藤に「運転させてくれまへんか」とねだったが、伊藤が許可するはずもなかった。
 四人がその喫茶店に着くと、千尋は前沢と既に来ていた。この店はケーキが美味しいことで名を売っているのだが、千尋は当然ケーキと紅茶を頼んでいた。事態が深刻なのに女の子というものは甘い物に目がないのかと・・・。竹内は少々呆れたが、こちらの土田や伊藤もちゃっかりケーキの付いたセットを頼んでいた。しかも、宮崎は二つもケーキを頼んでいて、竹内は開いた口がふさがらない状態になった。
 前沢は手つかずのコーヒーを前にしてボーッとしている。顔は血の気がない青白さで、普段からの線の細さが強調されているようだ。千尋から話をきいて想像していた以上に、前沢の状態は逼迫しているのが読み取れる。
 相手の紹介もしていないのに宮崎がしゃべり始めた。「彼女でっか、なら見てぞんじあげましょ。んー、あんたさんの背後にはお・・・」
「おい、てめえ、今までの俺たちの話、聞いてたのか!問題があるのは男の方だって、言ったろうが!」と伊藤が怒鳴りつけた。
「分かってまんがな。ほんまに。名古屋の人は冗談がわからんでこまりますわ。大阪の人間なら『おいおい』って、突っ込んでくれまっせ」と宮崎は手の甲を振ってみせた。
 伊藤は拳を震わせていたが、ここは我慢した。千尋も宮崎を見る目付きが少し変わり始めた。「で、こちらの方でっか。んー、確かに何か憑いていますな」
「本当か?」竹内が言葉をもらした。
「ええ、ほんまです。痩せこけた若い男の人が彼の背後に見えますな」
「やっぱり、私の見たのと同じですね」千尋が宮崎を見て言った。
「ほー、あんたさんにも見えるんでっか?」
「ええ、少しですけど、たまに見えるんです」
「ほな、今度、平和公園でも一緒に行って散歩しまへんか?いろんなもんが見えて楽しいおまっせ」
 宮崎の目前に伊藤の握り拳が迫った。「真面目にやれよ!」
「じょ、冗談でんがな。そう怒らんでもええでっしゃろ」千尋もエロ坊主の意味が理解できたのか唖然としだし、フォークの上のケーキが皿の上に落ちたのも気付かなかった。
「で、どうするんだ。彼の憑き物を取ることは出来るのか」竹内がその場を治めようと尋ねた。「んー、そうでんなー・・・、取り去ることはでけますが、こういう場合、憑かれた場所で行った方がいいと思うんで、そこで除霊しましょか。現場はどこなんです?」
「旧伊勢神トンネルだよ」土田がケーキをほおばりながら答えた。
「伊勢神でっか、そりゃ、難儀なところでんな。素人さんがあまり行くところではないでっせ。あちこちにたちの悪い物が、めちゃおるでね。まあ、分かりましたわ、今からじゃ夕方になってしもうて、危険なんで明日あらためて行きましょか」
「私も行っていいですか?除霊なんて何か面白そうだから」千尋がニコッと笑ってきいた。
「いや、そりゃよした方がええでっせ。特にあんたさんみたいな霊感のある子はね。凄まじい物を見るはめになるかもしれへん。かえって危険や」宮崎は今までと打って変わって真剣な眼差しで千尋を見つめた。
 千尋もその目の真の力に押されたのか穏やかに「はい、分かりました」と萎縮して答えた。
「じゃ、俺も行かないほうがいいかな」と伊藤が言うので「僕も」と土田も続いた。
「あんたさんたちは大丈夫や、何も見えんのやし、霊も寄ってこんですわ」
 二人は喜んでいいのか悪いのか、憮然とした表情になった。
「それじゃ、明日ということで。あんたさんも頑張ってや」と宮崎は前沢に声を掛けたが、前沢はうなだれるようにうなずくだけで、反応らしき反応を示さない。
「ここは、おごりでっしゃろ?」宮崎は竹内の方を見て言った。
「ははは・・・いいよ・・・。」竹内は渋々答え、財布の重さを測った。
「すんません。プリンアラモード追加!」
「・・・・・・」

7 除霊

 翌日の日曜日はどんより曇っていて、いつ雨が降ってもおかしくない天気だった。もうすぐ梅雨が近いので天気も不順になりがちだ。山の方に行けば雨が降っているのかもしれない。実に除霊日和だと宮崎は陽気に言ったが、他の者には初夏なのにうすら寒さを感じさせている。
 竹内と土田が前沢を迎えに行き、伊勢神トンネルを目指した。国道一五三号線を豊田から足助に向かう。豊田の市街を出ると矢作川沿いに道は進み、勘八峡という小さな渓谷がある。道はカーブがあるものの広くて走りやすい。パーキングエリアには本来は違法の青空市が果物や野菜を売っている。猿投グリーンロードの出口まで来ると伊藤のフェアレディZが宮崎を乗せ待っていた。宮崎は僧侶らしく黒と白の袈裟を着ている。中金をすぎると足助町に入り、巴川沿いを走ると香嵐渓という観光地にぶちあたる。秋の紅葉は素晴らしい景観で、蛇とマングースの戦いで有名なヘビセンターもある。車は香嵐渓を過ぎ、そのまま一五三号線を進むと徐々に山を登るかたちでゆるいカーブを進みながら稲武町との境に近づいた。右手に伊勢神ドライブインが見えるとすぐに新伊勢神トンネルがカーブしながら見えてくる。車はその手前で右側にターンし、うっかりしていると見過ごしそうな脇道に入った。旧一五三の峠越えの道だ。旧道だけあって道幅も狭くカーブもきつい。五分ほどタイヤを軋ませながら登っていくと、目前に真っ黒な穴が押し迫ってきた。旧伊勢神トンネルだ。五人は車を降りトンネルを眺めた。思ったとおり、ここらへんは霧のような雨が降り視界もよくない。
 竹内はここに来たのは初めてで、これが噂の伊勢神トンネルかと感慨深げに見つめた。ただの古いトンネルと言ってしまえばそれまでだが、噂が浸透している気持ちで傍観すると、やはり気味が悪い。
 トンネル内には明かりが全くない。向こう側の出口が小さく点のように見えるだけだ。ここからでは距離ははっきりしないが二百メートルたらずだろう。トンネルの中は真っ直ぐで傾斜もあまりない。
「ほな、行きましょか?」と宮崎が口を開き歩きだした。
「行きましょかって、どこへ行くんや、ここでやるんじゃないのか」と伊藤が不吉な予感を胸に秘め尋ねた。
「そりゃそうでんがな。トンネルの中で除霊せな効果はありませんがな」
 土田と伊藤は顔を見合わせていたが臆病と言われるのもしゃくなので仕方なく付いていった。
 前沢は歩くのもおぼつかないほどにやつれ始めていた。気力というものが全く感じられない。竹内に寄り添われながら、引きずられるようにトンネル内へ進んだ。   トンネルは奈落の底へ向かうような錯覚を起こさせる。入口からの光が徐々に届かなくなり、闇の密度が逆に増していく。少しずつ目が慣れてきて闇の中もぼんやり見えだした。壁には水がしみ出ていて、様々な紋様を形作り、それがあらぬ想像を引き立てている。宮崎は冗談なのかマジで言っているのか分からないが、「あそこにいますな、こっちにも、そこにも座ってこっちを見てますわ」と、トンネル内に響き渡るような声ではしゃぎまくった。伊藤たちはさすがに恐怖を感じ、身震いするだけで宮崎を黙らせる行動にはでれない。ここでは彼だけが頼りなのだ。
 トンネルの中ほどまで来ると宮崎が立ち止まった。「この辺でええでっしゃろ」
 こんなトンネルの真ん中で立ち止まっていると、もし他の車でも来たら逆に幽霊と勘違いされそうだ。まあ、こんなところへ来る物好きはそうそういないだろう。ここにいる輩は別としてだが。
 宮崎は数珠を取り出し、しばらくぶつぶつとつぶやくと前沢の前に寄った。竹内は前沢から離れ、土田たちのところへ行った。前沢はうつろにふらふらしだし、意識が無くなり始めていた。宮崎は法華経を唱え始めた。彼は久遠寺で修行しているので、当然日蓮宗である。日蓮宗は日蓮聖人が鎌倉時代に開き、法華経を依り所としている。日蓮は人々を救うため法華経を広めていったが、その反面、幕府による数々の法難にも出会った強者である。
 宮崎は法要を行う準備と同じように「道場偈」、「三宝礼」を唱え、「開経偈」に移った。道場を清浄し、心身を整えたのだ。懐から線香を取り出し前沢の両端に置いて香を燃やした。不思議なことにマッチもライターも使っていないのに、香にはすでに煙が立ち込めている。これが、宮崎の真の力なのだ。
 準備が整うと宮崎は「妙法蓮華経方便品第二」を唱え除霊の始まりとなった。
 爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。・・・
 もちろん、竹内たちには何を言っているのか分かるはずもない。葬式や法事でたまに耳にする読経など無神論者の彼らには馬の耳に念仏なのだ。「南無阿弥陀仏」や「難妙法蓮華経」ぐらいしか知らない彼らだが、前沢を救うために目を閉じ手を合わせ無心で祈った。
 トンネルの中はひんやりしているのに宮崎の額には汗がにじみ始めていた。彼の読経だけがトンネル内にこだまして響いている。風は無いはずなのに線香の煙が左右に揺れ動き、竹内たちにも冷気が走っていた。竹内たちには見えていないが、無数の霊体が彼らを取り巻いていた。宮崎の読経をききつけ自分も成仏させてもらいたいと、盛んに懇願している。目をつむっている宮崎は心の目、心眼でそれらを全て見渡していた。宮崎のパワーがトンネル内に充満し、目に見えない念波が縦横無尽に張りめぐらされた。
 三十分ほど読経は続き、宮崎は急に静まった。竹内たちは終わったのかと感じ目を開けた。
「どうだ、うまくいったのか?」伊藤が待ち切れずに尋ねた。前沢の様子は以前と変わりがないように見える。宮崎は顔はもちろん全身に汗をかいている。憔悴した顔が精気を取り戻すと悔しそうに言った。
「あかん、奴を戻すことはでけへん」
「出来ん!そりゃ、どういうことなんだ。お前の力なら何とかなるだろうに」
「もちろん、私の力なら霊を取り去ることはたやすいでっせ、けど、この霊もなかなか念が強く、彼の体から無理矢理に除くと、彼自身の魂までも一緒に奪い取ってしまう可能性があるんですわ。そうなれば、かれは生きた屍、魂のない植物人間状態に陥ってしまいますで」
「じゃ、どうするんだ。このままほっといても、前ちゃんがやばいんじゃないか?」土田が心配顔できいた。
「それもそうです。こうなったら最後の手段しかおまへん。押さなあかん扉を無理に引いてまっては扉は壊れます。そんなら、素直に押すべきです。つまりや、無理に霊を取り去るのではなく、自ら離れてもらうしかありませんな」
「どうすればいいんだ?」と竹内。
「この霊は何か現世に未練があるようです。だから、その未練を成就させれば、自然に彼から去ると思いますがね」
「なら、その未練とは何なんだ。分かるのか?」
「ええ、ちょっと、霊視して、きいてみますわ」
 宮崎はつぶやくようにお経を唱えた。しばらくして、不思議そうな顔をしはじめた。
「分かったのか?」伊藤が急かしてきいた。
「分かることは分かったんですが、なんやわけの分からんことゆうてますな」
「何だいそれは」
「なんでも、マリオをやりたいとゆうてますわ」
「マリオ?」三人が口を揃えて言った。

8 マリオを探して

「マリオって、ゲームのマリオのことか」土田がなんじゃそれっという顔できいた。
「たぶん、そうだと思いまっせ」
「しかし、変わった霊だな、なんでそんなゲームをやりたいんだ?」伊藤も半ば呆れ始めた。
「ん、どうやら、この霊、男ですが、受験に失敗し、それを苦に自殺したらしいでんな。で、気晴らしにやっとったゲームのことが心残りらしいんですわ。最後まででけへんで死んでしまったんで、悔いが残っているんとちゃいまっか」
「なんという因果かね。受験で死んだ奴が、学習塾で働いている男に取り憑くなんて。で、何だそのマリオというゲームをやれば、その霊は浮かばれるということか」竹内は考え込むように尋ねた。
「そうです」
「でも、マリオって、今のファミコンやスーファミのマリオのことなのか?それなら俺が持っているけど」と伊藤。
「いや、この男は随分前に死んでまっから、そのころ、今のファミコンなんかはなかったんとちゃいますか」
「じゃ、なんだ、今のマリオの基になったゲーセンのマリオブラザースのことか?亀とか蟹が横から出てくる?」
「たぶん、そうでっしゃろ」
「しっかし、そんなマリオブラザース、今時どこにもないんじゃないか?」土田が不安げに発した。
「だが、それをやらなければ、前沢君を助けられないんだろ。とにかく、あちこちのゲームセンターを探してみるしかないな」竹内が皆を促し決断した。
 五人は車に乗り来た道を戻りながらゲームセンターを探した。豊田方面から見て回ったが、現在のゲームセンターでは、セガやナムコが直営しているような最新型のゲーム機ばかりで、遊園地に近いアミューズメントタイプのものが多い。そんな中に十年も前のゲーム機など置いてあるはずもない。
 インベーダーゲームが登場してから始まったゲームセンターの世界は技術革新と共に凄まじい発展をみせ、毎月のように新しいマシーンと客を驚かすような趣向がたち変わりいれ変わり店頭に出ている。数々のヒットゲームが生まれるなか、ファミコンという新しい世界が家庭にまでゲームを持込み、今では多種多様のゲームが日常生活の中に入り込んできている。マリオブラザースというのもその過程で生まれた人気ゲームで、マリオというキャラクターが敵キャラであるカメやカニを倒していくという初歩的で単純なゲームだった。その後、ファミコンの任天堂がマリオをリニューアルさせ、爆発的な人気を博したのだ。今ではファミコンの代名詞的な存在になりアメリカで映画にもなるそうだ。
 竹内たちは豊田から名古屋へ向かったが、ゲームセンターの近代化は都市へ行くほど顕著になっていき、初期のマリオを探すのは至難の業となりつつあった。
「どうする、マリオブラザースなんてどこに行ってもないよ」伊藤が疲れたよという表情で、ゲーム機の椅子にへたり込んだ。
「都会のゲーセンには無いかもな。どっかの遊園地か、古い旅館にでも行かなきゃないかもな」竹内も紙コップの自販機で買ったコーヒーを飲みながら言った。
「あっ、そうだ、古いで思い出したけれど、僕の家の近くにドライブインがあって、そこに結構古いゲームがあったから、もしかしたらそこにあるかも」土田が声を高めて言った。
「ドライブインか、それなら可能性はあるかもな。駄目で元々だから、行ってみるか」竹内は威勢よく立ち上がった。
「ところであの坊主、どこ行った?さっきから姿が見えないけど」伊藤がきょろきょろした。
「向こうで麻雀やっているよ。どうしても相手の女の子を脱がすんだとか言って、ゲーセン幾たびにやってんだから。袈裟なんか着てゲームやってるから、目立ってさ、周囲も異様な目で見てるよ。困った奴だ」土田が指す方向に一人で画面を叩いている坊主がいた。
 竹内は宮崎のところまで行って「行くぞ」と怒鳴ったが、「ちょ、ちょっと、待ってくれなはれ、今テンパッていて、リーチ状態でんから。これに勝ちゃ、明美ちゃんがブラジャー脱いでくれまんねん」と手を広げて待ったをかけたが、竹内はそんなこともお構いなく、強引に宮崎を引っ張っていった。
「せっしょーな!」

 五人は国道一号線沿い、大高緑地の近くにあるドライブインへ来た。幹線沿いによくあるドライブインでジュースやうどんの自動販売機やゲームなどが置いてあり、疲れてやる気の無さそうな親父の店員が座っている。一階のゲームは最新式のものがほとんどだが、二階へ上ると五十円や三十円でできる古いゲームが置いてあった。なかにはギャラクシアンやボスコニアン、初期の野球ゲーム、クレイジークライマーやスペースインベーダーまであり、懐かしさがこみあげてくる。その中にマリオブラザースもあった。確かに一番最初のマリオだ。竹内たちは「やった!」という歓喜の表情で笑いを押し殺していた。前沢がマリオを見つけると今までとは違って自ら意思の力で動き、ゲーム機の前に座った。
「だれかルイージをやってやれよ」と土田が言ったので、こういうことにかけては天才肌をみせる伊藤を前沢の隣に座らせた。
 竹内が五十円玉を入れ、二人用のボタンを押した。デモの画面が切り換わり音楽が流れると画面の上部にマリオとルイージが現れ、第一ステージが始まった。
 マリオブラザースは横型ディスプレイで一人もしくは二人で遊ぶアクションゲームだ。画面は四段になっていて上部から敵キャラのカメ、カニ、フライ(ハエ)が降りてくる。マリオとルイージはそいつらが歩いている(飛んでいる)床の下から、ジャンプをして敵キャラを転ばせ、数秒転んでいる間に蹴飛ばせば得点となる。そのかわり敵キャラはどんどん下に降りてきて、マリオやルイージに噛みつくとマリオたちの負けになり、三回負けるとゲームオーバーとなる。敵キャラを倒すとコインが降ってきたり、連続で敵を蹴ると高得点になったり、はたまた敵キャラだけでなく火の玉や電撃ボールが襲ってくる。という現代のゲームからみれば、単純なゲームなのだ。一人でもできるが二人でやったほうが面白い。協力して敵を倒したり、裏切って落ちているコインを奪い合ったりと結構楽しいゲームだ。
 前沢と伊藤は淡々とゲームを行い、ステージをクリアして、ボーナスステージや新しステージを進んでいった。普通ゲームというものは楽しくやるものだが、今回はそういう雰囲気ではない。なにしろ、前沢の命が懸かっている。前沢は虚ろな目で画面を見つめただ黙々とレバーとボタンを操作している。伊藤の方はここで自分のルイージが死んでしまえば、前沢のマリオのゲーム展開が不利になってしまうという思いで必死だ。時間は真夜中の零時になろうとしていた。店の人がもう終わりですよと言ってきたが、あと少しお願いしますとゲームをしていない三人が頼み込んだ。店員の方も竹内や土田は気にならないが、袈裟を着ている坊主に頼まれては断ることもできず、何事なんだという引きつった顔で、後五分と言ってくれた。
 ゲームは最終画面に達した。誰もこのステージは見たことがない。敵キャラは総出演でマリオとルイージに襲いかかる。既に三回死んでいる伊藤のルイージだが、ある得点になっているのでプレイヤーの数が増えていた。だが、そのルイージも敵の速さにはついていけず、遂にカニに捕らえられ、あとはマリオだけになったが、そのマリオの方も、もう残っているプレイヤーはない。手に汗握る思いで四人は前沢の動きを見つめた。そしてついに敵キャラを全て倒し、ラストの画面が終わって、“GAME OVER”となった。誰もが拍手と奇声を上げその光景を喜んだ。前沢は最高得点者の名前を入れる画面に「SICHI」と霊の本名らしきものを入力した。その途端、前沢の顔色がみるみる赤みを帯び、精気が満ち満ちてきた。そして少し首を振り、伸びをするような恰好をした。歓喜していた竹内たちはそれに気付き声を掛けた。
「前沢君、気分はどうだい?」
「ええ、何だかすっきりしてますよ。肩も軽くなったし、気分もいいですよ」
「やったぜ」と伊藤が歓声を上げ四人が再び喜んだ。
「いや、よかったよかった。これで一安心だ。これも宮崎さんのおかげだな」
「そうでっしゃろ。私の力を見くびったらあきまへん」宮崎は自慢げに言ったが、よく考えてみると彼は何もしていないような気がしてきた。
「じゃ、帰ろうか」と土田が皆に催促した。
「あの、ちゃんと忘れんようにお願いしますわね」宮崎は四人の前に飛び出て、猫撫で声を出した。
「何の話?」
「また、冗談きついでっせ。女の子紹介してくれるっていう話でんがな」
「ああ、そのこと。分かってる、分かってる。後でまた連絡するから」と竹内は答えたが、心の中ではそんな気はさらさらなかった。それともあの松浦美砂でも紹介しておこうかとふと思った。彼女ならこの宮崎ときっと気が合って、一発「バキッ」といってくれるかもしれない。

エピローグ

 一ヶ月が経った月末、浩代たちが会社に戻ってきた。竹内も帰っていて、また土田・伊藤とマシン室で雑談しているところだった。浩代、千尋、前沢が三人のところへ行き、先日の礼を更めて述べた。
「そのせつはどうもありがとうございました。あれ以来、すっかり元気になって」前沢が以前の笑顔で話しだした。
「そうか、それは良かった。あん時は苦労したからな」竹内が随分昔のような言い方で答えた。「で、その後、何も変化はないかい?また、あの霊が戻ってくるとか」
「ええ、そういうことはないみたいだけど・・・」浩代が何か言いづらそうそうな口振りで言った。「ちょっと、今度は枡田君の様子がここんところ変なの」
「枡田さんが!変って、どういうふうに」伊藤は嫌な予感を胸に抱いてきいた。
「元気がないというか、精気がみなぎっていないというか」千尋が浩代と前沢の顔色をうかがいながら言った。
「で、枡田さんは今日戻ったの?」と土田も不安げな顔で尋ねた。
「んー、一緒に戻ってきたけど、会ってみる」と浩代が三人を誘った。
 六人はマシン室を出て、枡田のいる席へ行った。机の上にもたれかかっているのは、気の無さそうな枡田だった。竹内たちは互いに顔を見合わせて、眉をしかめた。どうみても、この間の前沢の症状と酷似している。竹内が代表して話しかけてみることにした。
「枡田さん大丈夫ですか?」
 枡田は少し顔を上げて「ああ」とため息のような返事をした。
「あのー、枡田さん、最近どっかトンネルに行きませんでしたか?」
「トンネル?ああ、行ったよ。今週の日曜日に友達と」か細い声で枡田は答えた。
「トンネルって、まさか、伊勢神じゃ?」と伊藤が恐る恐るきいた。
「伊勢神・・・そう、伊勢神だよ。前ちゃんの話をきいて試しに行ってみたんだ」
 竹内たちは手で頭を押さえ、まぶたを閉じて首を振った。すぐに、土田が目を開け、枡田に近づいき、彼の両手が上下に動いているのを見つけた。
「あのー、何か異常にしたいことってありませんか?」
「あるよ」
「何です?」三人が声をそろえて尋ねた。
「クレイジー・クライマー」と枡田がポツリと言うと、三人の男はその場に「ガクッ」とこけてしまった。
 最後に竹内がつぶやいた。「『疲れた男』は俺たちだよ」

———— 憑かれた男 完 ————


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