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ソフトハウス殺人事件 〜メビウスのアリバイ〜 

エピローグ


 最初の事件から一ヵ月半が過ぎようとしていた。竹内はあの日からしばらく虚無感に襲われ、食事もろくに取らず、仕事も手につかない状態だった。それを救ったのは藤井と青山の電話で、「お前は精一杯のことをしたよ」という一言だった。
 事件は鈴木の単独犯ということでけりがつけられた。遺書にすべて書かれていたからだ。遺書には犯行は自分一人でやった。カードは片岡から盗んだ。動機は会社をクビにされたことなどが書かれていた。樋口のことには一切ふられておらず、そのため動機が彼らの父の事故死に起因していることも明らかにされていない。樋口を完全に守ろうとしたのだ。
 警察も遺書をもとに捜査を終結した。むろん、疑問や不鮮明な部分は残ったが、犯人が死んだ以上深く追究することは出来ない。樋口の方は暴走運転による事故として処理された。
 筒井警部補は竹内に会った時、納得がいかないという顔をしていたが、その後再び会った時は竹内に対し、全てを胸の内にしまっておくという表情をしていた。筒井もいろいろ調べたものの捜査本部の方にも報告していないらしい。
 竹内は事件の真相を伊藤以外には、土田にしか話さなかった。しかし、会社の人たちも、全貌までは分からないでも、うすうす感づいていたみたいだ。もちろん、誰もそのことは口にしなかった。警察にも必要以上のことは言わなかった。それは、鈴木が最後に見せた瞳が、弟のことを 頼むと言っているのが明察できたからだ。

 竹内は久しぶりに会社へやって来た。社内はいつの間にか今まで通りに動いていた。今日も相変わらず部長たちはいないので、竹内は土田と雑談にふけっていた。その時、入口の扉が開き、山田部長を先頭に十人の男女が、まだ真新しいスーツ姿で入ってきた。どうやら、来年度の新入社員のオリエンテーションをしているようだ。事件の影響もあり内定を取り止めた者もいたらしいが、十人はこの会社に入社することとなった。
 男は五人。背の低い笑福亭笑瓶みたいな奴、背が高くてひょろっとした眼鏡をかけた奴、若いのに頭髪が危なそうな奴、長身でもさっとした感じの奴(後で樋口の後輩と分かり、心に響いたが、十八歳には見えない)、それにとても二十代には見えない白髪のあるふてぶてしそうな奴。 女も五人。髪の長いポッチャリした感じの子、これまた長い髪でスラッとした感じの子、短い髪にチェーンの眼鏡をかけた子、肩までの髪でいけいけタイプの子、それに先日総務にいた子。 皆軽く「失礼します」と言ってぞろぞろ入ってきた。竹内は「今年はどうだい?」と土田にきくと「なかなかだな」と不謹慎な会話をしていたが、山田悦子がジロリとこちらを見たので、二人とも首をすくめた。
 土田は真顔に戻って言った。
「今回のこと、いろいろ有り難う。竹内さんには随分苦労をかけたみたいだけど、おかげで助かったよ」
「俺はたいしたことは何もしていないよ。いや、俺は少しのめり込み過ぎたかな。もう少しうまく事を進めていれば、三人も余計な犠牲者を出さなくてすんだかもしれない」
 「うん、まあ、片岡さんの件に関しては、僕にも責任があるし申し訳ないと思っているけど、二人に関しては仕方がなかったのじゃないかな。罪はやっぱり罪だよ」
 土田らしい考え方だと思った。物事を真っ直ぐに見る性格らしい。
 松野にとっては因果応報と言えるだろう。二人の兄弟の運命を狂わせたのは松野に違いない。だが、引き裂かれた兄弟の再会というのが、すべての流れを決定付けていたことも事実だ。鈴木がトリオに来たのは本人の意図によるものだが、樋口の入社は全くの偶然である。これを運命と言わず、何と言えるだろうか。人間の業がもたらしたものはその人に帰する。それは何者が画策したことかはかり知ることは出来ないが、運命という見えない力が働いていたのだろう。
 結果論だが、松野にとってこの結末は最善だったのかもしれない。彼の恥ずべき過去が明るみにならなかったことだ。松野自身はどうでもよいが、彼にも家族がいるのだ。
 とにかく、竹内はこんな苦労は二度と御免だ、決してこういうことには足を突っ込まないと誓ったが、天は、というよりトリオは彼をほっておいてはくれないだろう。
「それじゃ、また忙しくなるんで、しばらくは戻ってこないと思うけど、暇な時に電話でもしてくれや」

「ああ、そうするよ、じゃ」
 竹内は席を立ち、出かける準備をした。その時、古田が寄ってきて「来週の金曜日、樋口さんを偲んで食事でもしようと思っているんですけど、竹内さん、来れます?」
「ああ、もちろん、必ず行くよ」
「詳しいことは後で連絡しますから。有り難う」
 普段は男たちから飲み会などは声をかけるのに、古田から声をかけるなんて珍しかった。たぶん、古田と佐藤真里が相談したことなのだろう。二人の優しさが竹内にはしみじみと感じられた。 扉を開ける前にもう一度樋口がいた席を見た。花などに無知な竹内には、何の花か分からないが、色鮮やかな花が彼の机に置かれていた。その花の中に樋口昌洋の屈託のない笑顔が見えたような気がした。
 竹内は「行ってきます」と言って、静かに扉を閉めた。

———— メビウスのアリバイ 完 ————


  この作品はフィクションです。作中の登場人物、出来事などは実在のものとは一切関係が有りません。
          
 参考文献 「角川地名大辞典」 角川書店

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