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劇団S.W.A.T!雪原を血にそめて〜あさま山荘事件〜

2000.8.12(土) 於:本多劇場 15:00開演の回 後方座席中央よりやや右寄りにて鑑賞

【物語】

※役者の役名対照表配布がなく、役者名の文中表記できませんでした。

 とある田舎。来館者の姿もまばらな「カブトガニ記念館」。若い警備員二人は全く職務に身が入らず、目の前を通った泥棒にも気がつかないていたらく。そんな彼らを戒めたのは警察庁から天下ってきた上司。「君たちにとって、仕事とは何だ?」彼は、かつて職務に命を賭した者たちがいた時代の記憶を問わず語りにひもとき始める。かつて、警察官や自衛官が白眼視され、国家の犬と蔑まれた時代。しかし、それでも、自らの命を投げ出して職務を遂行した人々のいた時代の話を。……


 1972年。大学闘争のピークも過ぎ、凶悪なテロ集団と化した学生運動の少数党派が武装闘争と称して卑劣なテロ活動を行っていた時代。学生闘争の終焉につながる、一時代の幕切れを象徴する事件が長野で勃発した。長野・軽井沢の別荘「あさま山荘」に日本赤軍の一派が女性一名を人質に立てこもったのだ。

 警視庁・機動隊は事態を解決すべく長野へ急行する。
警察庁長官より下された命令は五つ。人質は必ず救出すること。犯人は全員生け捕りにすること。身代わりの人質交換はしない。銃器の使用は警察庁の許可を要する。マスコミとは良好な関係を保つこと。警察官に犠牲者を出さぬよう、慎重に事を行うこと。
 こんな完璧な命令、守れっこない。だが、守らなくてはならない。困難な状況に困難な命令。だが、現場にはさらなる困難が待っていた。プライドの高い長野県警との衝突。互いに職務にプライドを持つ機動隊と県警は、作戦の一つを決めるにもことごとく衝突する。つきまとうマスコミ、想像を絶する寒さ。しかも、 犯人達が逃げ込んだ「あさま山荘」は偶然にも守るに易く、攻めるに難い天然の要害だった。首脳陣は知恵を絞るが、なかなか攻めるに攻めきることができない。必死で考えたアイデアも時には喜劇のような結果を招く。犯人の親たちによる涙の説得にも反応はない。

 死と隣り合わせの現場に覗く人間模様。よど号事件で犯人を射殺した際にトラウマを追い、銃を撃つことのできない射撃の名人。機動隊の司令官の娘であるマスコミのレポーターと恋に落ちる機動隊員。学生運動の思想に傾倒している娘、犯人逮捕に命を懸ける隊員。二人を分かつ思想の深い溝。なにかと対立しながらも、いつしか深い連帯感を築き始める機動隊と長野県警。

 そして、長い持久戦にも幕切れの時が来た。機動隊と長野県警はオール警察軍一丸となり「警察が権力の犬なのではなく正義の味方なのだと国民に見せつけるために」決死の突撃をする。そして幾人もの死傷者を警察側に出しながら、犯人全員を生け捕りにし、人質の無事救出に成功したのだった。輝かしい正義と、職務に命を懸けた人々の勝利だった。


……死闘の思い出を語った元警察庁の隊員は、家族を連れて事件の場所を訪れる。かつて立った場所に佇むと、男達の声や爆音が耳の底によみがえる。彼らの勇姿が目の底によみがえってくるのだった。すでに、日本人は職務に対する真摯さを失いつつある。冷め切った時代の片隅、かつての戦場で、身の内にふつふつとたぎる熱気を抱え、いつまでも彼は佇んでいるのだった。

 

【感想】

 以前からインパクトのあるチラシを目にするたびに興味をそそられていた劇団。今一歩足を運ぶ決め手に欠けていたのだが、前から関心のあった「あさま山荘事件」を扱うとのことで、思い立って当日券で入場。が、コンタクトレンズを携帯してくるのを忘れたため度の合ってない眼鏡で、しかもかなり後方から鑑賞。役者の表情が全く判別できず、辛いものが。

 開演前、ミニミニコント「ヤクシャイダー」で観劇の諸注意。&終劇後、次回公演予告。観客サービス満点。ちょっとキャラメルボックス的な心配り。

 警察官の不祥事、雪印の食中毒事件、医療ミス事件、茨城の放射能漏れ事故、ビルやトンネルの欠陥工事……。一見バラバラに見える時事の向こうに見える、日本人の仕事に対する緊張感の欠如。一生懸命に、真摯に職務を全うしようという誠実さを忘れた日本人。そんな我々の目に、まさに命を賭して困難な職務を完遂した「あさま山荘」の警察官達の姿を、全力を傾けて仕事に向かった人々のいた時代を作者は復元してみせようとする。

 一時代を象徴する事件を題材にすることは、時代そのものを描くことと同義だと思う。それは非常に難しい作業で、ややもすれば中途半端な仕上がりに終わりやすい。

 恐らく、作者の中で「あさま山荘事件」とその時代が十分にこなれきっていないのではないだろうか。十分に消化して初めて、事件に対する独自の視点が生まれてくるものだと思う。
 エル・カンパニーの「WINDS OF GOD」を例に出すと、作者の今井雅之の中で戦争や、戦地に旅立っていった有為の若者の思いは彼と一体になっていたのだと思う。だからこそ、戦争を知らぬ世代の彼が真情のこもった数々の台詞を持つ品を生み出すことができたのだろう。
 作者には、もう一度自分とこの事件の関わりをより丁寧に掘り下げて欲しい。なんだか構成、人物設定などが資料の借り物に終わっているような気がして仕方がない。

 それでも、最後、思想の食い違う恋人への機動隊員の独白には作者の思いがこもっている。「彼らは14人もの同志を私的制裁で殺した。君はそれでも奴らを英雄だと言えるのか?難しいことは、俺には分からないが、これだけはわかる。命の尊さも分からぬ奴らに、革命をやる資格など無い。」それに対して、彼の恋人が事件中に口にする台詞は幼稚だ。「あの人たち、可哀想。国のことを考えてやっていることなのに。警察が武力で弾圧するから武器を持ったのよ。中や爆弾を手にする方が当然なのよ」仮にも大学を出てマスコミに入った人間が口にすることなのだろうか。これが当時の学生運動肯定派の主張だったならば、あまりにも幼稚な発想だと思う。実際、学生運動の文献を読んでみると、小理屈を練り回す割にはやっていることがあまりにも狭量だったり単純だったりで、日本学生の精神的成熟度は実に低レベルなものだと感じたりする。(現在においてはさらに精神の成熟が遅れていることが明らかだけれど)犯人の永田洋子や坂口弘が獄中でつづった回顧録を読むとよくわかる。たとえば「きけわだつみの声」の学生の言葉と彼らの言葉を比べてみたりすると、学生(というよりも、日本人が、なのか?)の精神が成熟しないまま体だけ成長している現実がより明確になるだろう。

 単なる娯楽作品と割り切るには重く、しかしドキュメンタリーとしては薄っぺらい。チラシの謳い文句に「ノンフィクション・ドキュメント 作り話」とあり、ドキュ・ドラマとしてもエンタテインメントとしてもそれぞれ成立した、コクのある作品だと思っていただけに。うーん。残念。

 舞台美術。いかにも「セット」。板で作られたあさま山荘が中央に。うーん。個人的な好みで言えば、もうちょっと抽象化した方が良いかと。あるいは徹底的に存在感を重視してリアルに作り込むか。言葉は悪いけど、中途半端な感じ。チラシのリアルな絵に惹かれて足を運んだだけに、ちょっと肩すかし。

 役者。役名との対照表がないので誰なのかは分からないが、犬とかバンマスの役をした俳優さん。どうやらかつてS.W.A.T!に所属していた人らしいが、器用な役者さん。ちょこまかして動きにオリジナリティがあり、キャラが立っている。この人が出てくるだけで舞台がぴりっとする。

 ちなみに、最大の資料として使われたのであろう佐々淳行著「連合赤軍『あさま山荘』事件」は何度読んでも面白いです。

 

【DATA】

公演はすべて終了。

作・演出:四大海

出演:清水浩智 大場真人 滝佳保子 中友子 柳瀬竜哉 高橋将 瀧下涼 渡辺有希 田村真美 坂本仁 根屋光宏 赤峰裕之 池田真一 佃一浩 蒲田哲 島田真次 内沼直美 久我依子 瓜生まどか 中山沙織 望月敦 富士原新 氏家雅美 貞広高志 松本剛 井川ちなみ 鈴木義英 宮原彩

照明:後藤義夫(ステージ・アイ) 舞台監督:小川丈洋 音響:大石こんた

マイム指導:石倉直樹 衣裳:ステージ・ママ

舞台写真:森本幹 衣裳協力:PPA 舞台美術:方勝

制作:スワット事務所

次回公演:タイトル未定 2000.12.3(水)〜12.10(日) @SPACE107

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