このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名馬・あの瞬間

平成8年「高松宮杯」
優勝馬フラワーパーク

 「高松宮記念」は、かつては「高松宮杯」の名称で、芝2000mのG2 戦として、7月に行われていました。 それが、平成8年から春シーズンにもスプリント戦のG1をということで、 この年からG1に格上げになり、距離も1200mに、 さらに施行時期も7月から5月へと変更になりました。

 そんな記念すべきG1となって第1回目の「宮杯」は、かなり興味深い メンバー構成となりました。

 人気の中心は、前年の「スプリンターズステークス」を優勝した ヒシアケボノ。そこに、「スプリンターズステークス」2着のビコーペガサス、 前哨戦の「シルクロードステークス」を快勝したフラワーパークが挑戦すると いう構図。ただ、ヒシアケボノは、休み明けだった「シルクロードステークス」 で、フラワーパークに負けており、かなり上位は激戦 ムードでした。

 そこにさらに輪をかけて興味を持たせたのが、長距離の王者のナリタブライアンの 参戦。G1・5勝の実績は断然光るものの、短い距離の競馬は2歳戦以来 (しかも、その時は負けてる・・・)ということで、ナリタブライアンが どういう競馬をするのかにも注目が集まりました。

 結局、1番人気ヒシアケボノ、2番人気ナリタブライアン、3番人気 フラワーパーク、4番人気ビコーペガサスという順番。

 で、いよいよスタートの時間。ここでまず注目はファンファーレ。中京では初めての G1ということで、どんな新しいファンファーレが用意されてるのかな?って思ったら、 普通に関西のG1のファンファーレが流れて、なんかガクッとしたのを 覚えています。「宝塚記念」のファンファーレを一般公募したんだから、 「高松宮記念」のファンファーレも他とは違うのにして欲しい。

 そして、注目のスタート!

 逃げたのは、デビュー以来一度も他馬にハナを譲ったことのないという スリーコース。好スタートを切ったフラワーパークがそれを追い、さらに ヒシアケボノがそれを追うという展開。

 スタートが注目されたナリタブライアンは、ゲートは速く出たものの、 ダッシュが利かずに後方に置かれる展開・・・。

 そして4コーナー。スリーコースをかわしてフラワーパークが先頭に 立つと、それをマークしていたヒシアケボノも追い抜こうと必死にスパート をかけるも、動きが鈍い・・・。逆にフラワーパークが突き放すという 展開に。

 必死にもがくヒシアケボノに変わって、今度はビコーペガサスが 伸びてフラワーパークを追うものの、最後までフラワーパークのスピードは 衰えず、そのまんま先頭でゴールイン!

 結局、2着にビコーペガサスで、ヒシアケボノは最後は完全にバテてしまい 3着。逆にナリタブライアンは、ステイヤーらしく最後までしっかり伸びた ものの、バテた馬をかわしただけの4着と敗戦・・・。根本的に1200mの 競馬は忙しすぎた感じでしたが、皮肉にもこの4着の賞金で生涯獲得賞金額が メジロマックイーンの記録を破って歴代一位(当時)になりました。しかも、 その後すぐに故障してしまって引退。これが最後のレースとなってしまいました・・・。

 勝ったフラワーパークは、実はこの時の私の本命馬でした。「シルクロード ステークス」を鮮やかに勝ったスピードを見て、この馬が負けるとは思えない というのが本命にした理由です。ですから、少なくとも距離が絶対に足りないと 思うナリタブライアンにだけは負けて欲しくないなっていう気持ちで応援して いたので、実際に優勝してくれて凄い嬉しかったのをよく覚えています。

 この馬は、3歳の秋に新潟競馬場で行われた「未勝利戦」で初白星。 この当時は、秋の新潟開催(例年は福島で開催でしたが、 この年は改修工事のために新潟で開催)というのは、最後の「未勝利戦」があるので 有名な開催でした。まだ勝ち星のない3歳馬にとっては、未勝利戦に出る 最後のチャンス。というわけで、どのレースも除外のラッシュで、普通は 一度除外されると次は優先出走権が与えられるのですが、その優先出走権 を持っている馬だけでもフルゲートオーバーとなってしまい、2回連続除外 なんてザラにあるという時期です。

 そんな時期なので、もうレースに出られるだけでもある意味ラッキーな わけで、もし勝ち上がれるようだと本当にかなりの運も必要なのですが、 この秋の新潟の未勝利戦を勝ち上がった馬が、翌春には一気に最高峰のG1 を優勝する、そんなサクセスストーリーを描いたのがこのフラワーパークでした。

 フラワーパークは、その後、秋のG1「スプリンターズステークス」も 優勝。この時は、最後の最後までエイシンワシントンとの競り合いが続いて、 着差はわずかに1cm。本当に長い写真判定の末に決着がついたのですが、 1着に商品の出るG1でなければ同着だったんじゃないかって今でも思っています。 少なくともどうでもいいような着順(13着と14着とか・・・)だったら、 間違いなく同着になっていたような着差での優勝で、ここでもかなりの運の ある馬でしたね。

 といっても、これらの運を活かしたのも実力があるから。1年に2つも 古馬の牡馬相手のG1を勝つというのは、本当に珍しいことで、当然の如く 「最優秀古馬牝馬」に選ばれるもんだと思っていたら、なんとこの賞は G1を1勝だけ、しかも牝馬限定の「エリザベス女王杯」を勝っただけの ダンスパートナーに持って行かれて、本当に納得がいかなかったです。

 この年は、ダートではホクトベガが重賞を勝ちまくり。しかも大きいところを ことごとく勝っていたので、ホクトベガに負けるんだったらしようがないと 思ってましたけど、ダンスパートナーに負けるのは全く解せないです。

 なもんで、「最優秀古馬牝馬」のタイトルは、短距離戦やダートで 活躍した馬は対象外なのかなって思いました。後に同じように牡馬相手に G1を2勝したファストフレンドも選ばれなかったし、「スプリンターズ ステークス」を勝ったビリーヴに至ってはG1勝ちのなかったダイヤモンドビコーに 持って行かれてで・・・、納得行かないのの連続なんですが、この場を 借りて選考委員の皆さんには考えて欲しいなって思います。

 どうしても、短距離馬やダート馬に獲らせたくないのなら、 「最優秀古馬牝馬(芝・中長距離部門)」ってすればいいわけだし。

 そんなわけで、フラワーパークの活躍を思い出すと、一緒にこの問題で 憤ったことも思い返すので、そうした意味でも印象に残るレースですね。

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