このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名馬・あの瞬間

1998年「モーリスドギース賞」
優勝馬シーキングザパール

 1998年8月9日。史上初めて日本調教馬が海外での国際G1レースに 優勝するという快挙を達成しました。歴史に名前を残した名馬の名前は シーキングザパール。場所はフランスのドーヴィル競馬場でした。

 それまで、海外で重賞を勝った日本馬は何頭かいましたが、G1レース となると一度も勝ったことがなく、競馬ファンならず競馬関係者に とっても夢のような出来事でした。

 そんな歴史的なレースでしたが、あまり注目度が高くなかったせいか、 当日はレースのテレビ中継は無し。ラジオ中継はあったのかもしれませんが、 レースの行われている時間(日本時間の真夜中)に仕事中だった私が、 その大ニュースを聞いたのは、仕事帰りの送迎バスの中で流れていた ラジオ番組内でのニュースででした。

 ただ、その紹介のされ方があまりにもひどくって・・・、パーソナリティ の方が競馬を全く知らない人だったばっかりに、「日本の馬がフランスの レースに勝ったそうです・・・。」「勝った馬はシーキングザパール・・・ って知らないですねぇ・・・。」などという調子で、正直「ふざけんな! わかんないんだったら、余計なコメントは付けるな!シーキングザパール は、競馬界では物凄い有名な馬だぞ!」などと怒ったのを今でも 覚えています。「お前が知らなすぎなだけなんだぞ!」と言いたかったですね。

 その後、家に帰って見たNHKのニュースでは、「競馬のフランスのG1 競走で、武豊騎手が優勝しました。」との報道。ちょっと待てよ、 確かに鞍上は武騎手だったけど、競馬の場合は騎手よりも馬が凄いんだから、 まずは馬の名前だろ!しかも日本の馬だぞ!それも史上初の快挙なんだぞ! もっと言えば、勝った馬は前年の「NHKマイルカップ」の勝ち馬だぞ! とこっちはNHKのニュースだけに、余計腹が立ったのを覚えています。

 こうした報道を見てると、一般市民にとっては、日本の馬が海外のG1を勝つというのが どれだけ凄いのかを全くわかっていないんだなということを思い知らされる ことにもなったのですが、とにかくこの快挙達成のその日はそんな感じでの 報道しかなく、まだ実感がよく沸かない感じでした。おそらく、この辺の ニュースを読んでいた方々は、翌日のスポーツ紙の競馬蘭を読んで、 事の大きさにビックリしたのではないでしょうか?

 まあ、それはおいておいて、このレースを実際に映像で見たのは、 しばらく経ってからでした。確かグリーンチャンネルで放送されたのだと 思うのですが、レースの映像が実況中継無しというものだったのがインパクト ありました。なもんで、ひたすらシーキングザパールの赤い勝負服を 追っかけていたのを覚えています。

 レースの方は、ドーヴィル競馬場の芝1300mの直線コースで行われました。 レース展開としては、馬群が左右に3つに分かれる展開。外ラチ沿いに 2頭、馬場の中央に6頭、内目に4頭という展開で、シーキングザパールは 真ん中の集団の先頭で逃げる形。

 この3つの馬群のうち、内目の集団は力が落ちる組だったのか、早めに 脱落してしまい、勝負どころでは外の2頭と真ん中の何頭かの争いに。

 ここで早めにスパートしたシーキングザパールは、最後までよく伸び、 追い込んできたジムアンドトニック以下を完封して優勝!鞍上の武豊騎手も 思わず笑顔のゴールインでした。

 シーキングザパールは、3歳時に「NHKマイルカップ」を優勝して G1ホースに。ただ本質的にはスプリンターということで、古馬に なってからは短距離戦線で大活躍。G1勝利のチャンスこそ巡ってきません でしたが、常にG1で好勝負を演じ大活躍しました。

 重賞は通算7勝。うち6勝が牡馬相手ってことで、まさに「名牝」と呼ぶに 相応しい名馬だったと思います。産駒のシーキングザダイヤが頑張ってG1 戦線を賑わせてますが、是非とも母子でG1ホースになって欲しいところです。

 あと、シーキングザパールというと、どうしても思い出しちゃうのが、 いろいろな厩舎を転々としたことです。普通、地方から中央へ、とか 中央から地方へ、また地方から別の地区の地方へというパターンでの移籍は よくあるのですが、この馬は中央でデビューして、中央の別の厩舎に移籍し、 最後はアメリカに移籍というパターンだったので凄い印象に残りました。

 シーキングザパールが日本馬初の海外G1制覇を達成した翌週に、またも フランスから快挙達成のニュースが入ってくるのですが、それは次回に。

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