このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名馬・あの瞬間

平成6年「ブリーダーズゴールドカップ」
優勝馬カリブソング

 今週は、旭川で「ブリーダーズゴールドカップ」が行われますが、以前はこの レースは、10月10日(体育の日)に、札幌で行われる、当時は3つしか なかった中央と地方の交流重賞でした。今回は、そんな頃のお話です。

 かつて、中央競馬が今のように路線整備がされていなかった頃、中央におけるダートの 重賞競走は「フェブラリーハンデ」「根岸ステークス」「ウインターステークス」の G3の3レースしかなかった時代がありました。(しかも、全て左回り・・・)

 この頃の中央のダートの強豪馬は、重賞競走を勝っちゃうと、ダート戦では重い斤量を 背負わされ続けることになり、必然的に比較的軽い斤量で走れる芝への路線変更を余儀 なくされるという冷遇の時代でした。

 カリブソングという馬もそんな一頭で、「フェブラリーハンデ」を勝って「ダート王」 の称号を手に入れたものの、その後は斤量との戦いが待っていて、なかなか思うように 勝ち続けることができませんでした。

 しかし、この馬が普通のダート王と違ったところは、芝でも走ったのです。当時の 中央所属馬が出走できるダートの重賞競走は、JRA開催の上記の3レースのほかは、 大井の「帝王賞」と札幌の「ブリーダーズゴールドカップ」しかなかったのに対し、 芝の方は毎月のように自分の得意とする条件の重賞が組まれていたこともあって、 芝でも勝てるカリブソングは、ローテーションの組みやすい芝の重賞戦線を歩む ことになりました。

 そして、「金杯」「目黒記念」と重賞を2勝、平成3年の秋の「天皇賞」では、 2着にも入るという活躍で、いつの間にか「ダート王」から「芝での実力者」 という感じにイメージが変わっていきました。

 しかし、年齢とともに実力に衰えが見えるようになると、芝の重賞戦線では なかなか活躍することができなくなってきました。そんな時、ふと「この馬は ダートだったらまだいけるのでは?」という希望が頭に浮かびました。

 ダートではまだ全く底を見せていなかったカリブソング。確かに往年の力は もうないのかもしれないけど、それでもそこそこは走るんじゃないか、そんな 希望を期待に変えてくれたのが、平成5年の「帝王賞」への出走でした。

 この馬がダートで走るのは、平成2年の「ウインターステークス」以来、実に 3年4ヶ月ぶり。レース数に直すと20戦振りのダートの出走でした。

 しかも、「帝王賞」は、定量戦。賞金をたくさん稼いでいるカリブソングでも、他の 馬と同じ斤量で出走できるうえに、このレースの場合55kgで出走できるという ことで、普段は60kg近い斤量を背負っていたこの馬には、本当に有利な条件での 出走でした。

 そしてレースの方は出遅れながらも4着と健闘。最後の直線の伸びは際立っており、 ダートならまだまだ行けるぞ!という内容でした。

 その翌年、またも「帝王賞」に出走し5着。勝ちきれないものの、全く差のない競馬を しており、久々の重賞制覇の可能性を大いに感じさせる競馬でした。

 そして迎えた10月10日。札幌の「ブリーダーズゴールドカップ」。 このレースも「帝王賞」と同じ定量戦で、55kgで出走できるという、カリブソング にとっては有利な条件。陣営は、おそらくここを最大目標にしていたんだと思います。

 この時の人気順は、1番人気がマキノトウショウで、以下バンブーゲネシス、 カリブソングと続き、5番人気までを中央馬が独占するという人気順でした。

 ただ私は、このメンバーだったらカリブソングで勝てると不思議と確信していました。 さすがに8歳馬ということで、上がり目はないだろうけど、みんなが思ってるよりも この馬は強いんじゃないかって思ってました。

 この日は、今のようにまだ全国発売がなかったこともあって、南関東の競馬場での 場外発売は無し。テレビもCS放送なんてなかった時代なので、当然の如く放送無し。 唯一、東京にいてレース実況を生で聴けるのがラジオたんぱでした。なもんで、 たんぱの中継を聴いてました。

 レースの方は、スタートで、いきなり1番人気のマキノトウショウが躓いて出遅れるというハプニング。 対照的に好スタートを切ったカリブソングは、抑えきれないような行きっぷりで、 1週目の正面スタンド前では先頭に立って逃げる展開。

 そして3コーナー過ぎ、逃げるカリブソングに、人気のマキノトウショウが襲い掛かり、 4コーナーを回るときにはこの2頭で後続を引き離して一騎打ちの展開。

 しかし、出遅れたマキノトウショウは、ここで力尽きてしまい、後はカリブソングの 独走に。

 最後、地元ホッカイドウのエース・ササノコバンが猛然と追い込んできて2番手に 上がったもののそこまでで、カリブソングの久々の重賞制覇がなりました。

 終わってみたら、ワンサイドの競馬。やっぱりこの馬は本当に強かったんだなって 実感する内容でした。今のようにダートの路線が充実していたら、一体いくつ重賞を 勝ったのだろう?G1も勝てたよなぁ・・・、そんな気持ちになるくらいの完勝でしたね。

 これでダートならまだまだ行ける!って思ったカリブソングでしたが、このレースの直後に 病気で急死。一度も走ることなく引退の形になってしまいました。しかし、最後のレースでの勝利は、結果的に引退の 花道を飾ることになったんだなぁって思いました。

 2着には、ササノコバン。正直、レース前にメンバーを見たときは、これは中央馬の 上位独占だなぁ・・・って思ったのですが、本当に大健闘の2着で、勝ったのと同じ くらいの価値はあると思います。当時のホッカイドウ競馬の最強馬でしたね。

 余談ですが、この時のカリブソングの鞍上は安田富男騎手。当時は、JRA全10競馬場 のうち、札幌だけ重賞を勝ったことがなくって、札幌で勝てば史上初のJRA全競馬場 での重賞制覇というのが話題になっていたのですが、JRA開催ではなくホッカイドウ競馬 開催での札幌競馬場での重賞制覇というとこで、これは全場制覇になるのかな?と いうのが話題になったものでした。ちなみに、安田騎手は、この2年後に「札幌スプリント ステークス」を制して、晴れてJRA史上初の全競馬場重賞制覇を達成しています。

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