このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名馬・あの瞬間

平成8年「川崎記念」
優勝馬ホクトベガ

 これは、本当に凄いぞ!

 この馬は、本当に強かったんだ!

 レースが終わった瞬間に、そう感じることが時々ありますよね。自分の中で そう思ったレースの代表格が、このホクトベガが初めて勝った時の「川崎 記念」でした。

 ホクトベガは、デビュー戦の ダートのレースでいきなりぶっちぎっての大圧勝。 それをたまたまテレビで見ていて、これは強いぞ!って思い、 その後も彼女のレースを追っかけることにしました。

 デビュー2戦目こそ惜敗してしまったものの、3戦目の500万下の特別 戦でも後続に大差をつける圧勝でオープン入り。4戦目では芝の重賞の 「フラワーカップ」に挑戦。初めてのオープン、初めての芝という問題も 難なくクリアして快勝!これは今年のクラシックを沸かせるぞ!って思いました。

 しかし、春のクラシックの主役は、「ベガ」はベガでも、「ただのベガ」 でした。というのは、この年の3歳牝馬路線では、東のホクトベガに対して、関西にも ベガという有力馬がいたんです。で、これがまた強くって、「桜花賞」の トライアルの「チューリップ賞」を圧勝。なもんで、ホクトベガと ベガの「ベガ」の名前が付く2頭の「ベガ対決」が注目だったのですが、 ベガが「桜花賞」「オークス」を連勝して2冠を獲得したのに対し、ホクトベガ の方は「桜花賞」が5着、「オークス」が6着と完敗・・・。この時点では、 G1候補どころか、並の強い馬止まりの予感が漂うことに・・・。

 秋になっても、「エリザベス女王杯」のトライアルだった「クイーンステークス」 「ローズステークス」で好走はするものの、勝つことができず、迎えた3歳牝馬 3冠の最後のレース「エリザベス女王杯」では、3冠を目指すベガが堂々の 主役なのに対して、ホクトベガは完全に脇役扱い。単勝のオッズも20倍を 越えて伏兵の1頭に過ぎませんでした。

 しかし、レースの方は、3冠を目指すベガが伸びきれないのに対し、 ホクトベガは思い切った後方待機策から、インを突いて一気に抜け出して 快勝!実況アナウンサーの「ベガはベガでもホクトベガ!」とのアナウンス と共に、牝馬3冠の最後の1冠を手にして、G1ホースの仲間入りをしました。

 その後、古馬になったホクトベガは、G2、G3戦でそこそこ走る馬って 感じで、たまに勝ったりもしましたが、どうしてもG1になると勝ち負けする までの力はなく、普通の「名牝」止まりの馬かなぁ・・・って感じでした。 一時は、障害転向も見据えた障害練習をした時期もあるくらいで、そんなに 大きな期待はしちゃいけない馬になってしまいました。

 ただし、それは全て芝での話。デビュー直後に2度の大圧勝をしたダート だったらどうなんだろ?というのは、ホクトベガを応援していたファンが 皆思ったことでした。一度だけ、明け4歳の1月に、京都の重賞の「平安 ステークス」に出走したことがあったのですが、この時は輸送が応えたのか、 それとも展開が合わなかったのか、全く競馬にならずに惨敗・・・。この 敗戦があったことと、芝でG1を勝ってることもあって、なかなかダート出走の 機会がなかったわけですが、5歳になった年に、それまで地方競馬だけの レースだった川崎の「エンプレス盃」が、中央の馬も出走できることになり、 牝馬限定戦なら強いだろうと思った陣営は、このレースにホクトベガを出走 させました。

 ダートなら本当は強いんだろう、そうは思ってはいましたが、 そのレースは本当に衝撃的で、2着に3秒以上も差を付けての大圧勝! 川崎競馬場に行って、寒い雨の中で見届けただけに、余計印象に残ってます。 ただ、この時は牝馬限定戦なうえに、相手が地方の馬ばっかりだったことも あって、強いのはわかったけど、あくまで牝馬同士のG3レベルなら・・・ といった風潮がありました。

 その後、ホクトベガはまた芝のレースに出続けましたが、ローカルのG3 なら何とかなるけど、中央場所に来ると足りない馬って感じで、そこそこの 活躍馬状態がしばらく続くことになりました。

 こうなると、ファンとしては、もう1度ダートを走らせてみたい!あの 圧勝ぶりなら、まだまだ勝てるぞ!と思っていたところに、「エンプレス盃」 と同じ、川崎の2000m(当時)の重賞「川崎記念」出走の報が。 これは絶対見届けなければと思ったのと、テレビの生中継がなかったことも あって、迷わず川崎競馬場に行ってスタンドでレースを観戦。それが、 今回紹介するレースです。

 「川崎記念」は、それまでは地方競馬の全国交流レースとして行われて いたのですが、前年から地方と中央の交流が一気に活発になったことで、 この年から中央の馬も出れる「交流重賞」になりました。

 その記念すべき第1回だったのですが、メンバーが本当に豪華で、前年の ダートの大レースをことごとく勝ったライブリマウントに、ライブリマウント のライバルとして頑張った地方代表のアマゾンオペラの当時のダート古馬2強が 揃って参戦。さらには芝でもダートでも重賞を勝ったトーヨーリファールや、 名古屋の雄のライフアサヒ、さらには、ピークは過ぎた感はあるものの、 往年の名馬のレガシーワールドやローリエアンドレも参戦して、非常に 興味深い一戦でした。

 しかし、戦前の予想では、ライブリマウント対アマゾンオペラの対決を軸に、 トーヨーリファールがどこまで食い込めるかが焦点で、ホクトベガは人気こそ ありましたが、みんなさすがにこのメンバーでは勝ち負けはきついんじゃないか って評価でした。

 でも、強かった!ダートの王者ライブリマウントがなんだ!とばかりに、 「エンプレス盃」同様に3コーナー手前から一気にスパートすると、後は 後続を全く寄せ付けないで独走。結局ホクトベガを負かそうと頑張った ライブリマウント、アマゾンオペラ、トーヨーリファールの3頭が潰れる ことになり、2着には人気薄のライフアサヒが入るという結果。終わってみたら、 この間の「エンプレス盃」の大差勝ちは本物だったんだ!ということを証明 すると同時に、ダートの王者の座をライブリマウントから力ずくで奪い取る 結果となりました。

 ただし、この「エンプレス盃」「川崎記念」ともに、大圧勝とはいえ、 共に川崎の特殊な超小回りコースが舞台だったので、まだ抜群のコース適性が あったからだよ、という声もあったのですが、続いて走った東京の 「フェブラリーステークス」で、57kgを背負って、またまた大圧勝。 コースが変わっても関係ないじゃんってことで、この馬の強さは万人が 認めるところとなりました。

 その後もダートの交流重賞で勝ちまくったホクトベガ。「フェブラリー ステークス」の後は、「ダイオライト記念」(船橋)→「群馬記念」(高崎) →「帝王賞」(大井)→「エンプレス盃」(川崎)→「マイルCS南部杯」 (盛岡)ととうとう重賞7連勝。その後も、「浦和記念」「川崎記念」を 勝ってダート重賞9勝目を挙げたあと、引退レースに選んだのは世界最高峰の 「ドバイワールドカップ」。さすがにここで勝ったら凄いなぁ・・・と 思いつつ、テレビ中継がなかったもんでラジオでこのレースの模様を聴いていたら、 何と転倒して競走中止。しかも、翌日の新聞で予後不良で安楽死になった と聞いて、本当に大ショックでした・・・。重賞を勝ちまくったホクトベガは、 牝馬獲得賞金額歴代1位の記録を達成。現在も破られていないどころか、 この先もこの記録を破る馬は出てこないだろうな・・・と思います。

 この偉大な名馬を称えて、ホクトベガが重賞を4勝もした川崎競馬場には、 「ホクトベガメモリアル・スパーキングレディーカップ」という牝馬の重賞が 創設されました。この原稿を書いてる時点で、川崎の重賞競走で競走馬の 名前が入っているのは、このレースの他に「キヨフジ記念エンプレス盃」と、 「ロジータ記念」だけで、しかも後の2頭は川崎所属馬だったことを考えると、 本当にファンの記憶に残る名馬だったんだなぁって思います。

 レース中の事故で星になってしまい、子供を残すことができなかったホクトベガ ですが、ライバルだったベガの子供のアドマイヤドンが、ホクトベガの後を 継いでダートの王者になったことは、何か不思議な因縁を感じちゃいます。

 あと、忘れずに書いておきますと、この「川崎記念」で2着に入った ライフアサヒ。名古屋所属の地方馬なのですが、お父さんがダートで 活躍したライフタテヤマ。競馬場にいたある観客が、「お父さんは強かったぞ!」 と興奮して叫んでいたのを覚えています。ちなみに、そのお父さんは 大井が生んだ名馬ハイセイコーで、こっちも血のロマンスを感じちゃう 活躍でしたね。

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