このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名馬・あの瞬間

平成12年「有馬記念」
優勝馬テイエムオペラオー

 いつからだったか、秋の「天皇賞」→「ジャパンカップ」→「有馬記念」の 全てのレースに優勝すると、2億円のボーナスがJRAの方から出ることになりました。

 過去にも、こんな感じで、指定されたレース全てに優勝するとボーナスが出るという 企画は幾つかあって、自分的には、「帝王賞」→「オールカマー」→「ブリーダーズゴールドカップ」 の3レースを同じ年に勝つと1億円というのが印象に残っていますが、これは、 ダートの重賞が2つある間に、芝の「オールカマー」も勝たなくてはいけないというのが 難しすぎたのか、結局、ボーナスをゲットした馬はいないままに廃止されてしまい ました。

 また、中央と地方の交流が深くなった頃、3歳馬の3冠路線を確率させようと、 「ユニコーンステークス」→「スーパーダートダービー」→「ダービーグランプリ」 の3レースを全部勝つと1億円という企画もありました。これは、ウイングアローが、 最初の2つを勝って、いよいよボーナスか!って思った「ダービーグランプリ」が、 雪で順延されたのが印象に残ってます。結局、1月近く遅れて、競馬場も 盛岡から水沢に変わって 開催された「ダービーグランプリ」で、ウイングアローはまさかの2着に敗戦。 この時、当初の予定通り盛岡で行われていたらなぁ・・・、と思ったものですが、 この企画も、ウイングアローが涙を飲んだ翌年に、春シーズンに「ジャパンダートダービー」 が新設されると消滅。結局。ボーナスをゲットした馬はいませんでした。

 この手の、ある主催者側からボーナスが贈られるという企画で、自分が競馬を見るように なってから、初めてボーナスをゲットしたのは、ホクトベガです。ただ、この時は、 指定されたレースに全て勝つという方式ではなく、年間を通じてある一定以上の 成績を残したら貰えるというボーナスで、ホクトベガがその基準をクリアしたために 貰ったボーナスでした。

 そんなわけで、この手のボーナス企画は、話題にはなるけれども、達成するのは 非常に難しいせいか、ボーナスをゲットした馬はいないというのがこの頃の現実でした。

 さて、冒頭に戻ります。JRAが打ち出した、秋の古馬中長距離路線の3冠達成、 これは、かなり至難な業でした。過去をさかのぼってみても、「ジャパンカップ」と 「有馬記念」を連覇したのは、シンボリルドルフただ一頭。そのシンボリルドルフも、 「天皇賞」は2着に負けていたので、3連勝した馬はいませんでした。

 そして、平成11年。このボーナスが誕生して間もない頃だったと思いますが、 スペシャルウィークが「天皇賞」「ジャパンカップ」と連勝。これは、2億円ボーナス 行くんじゃないかって話題になったのですが、「有馬記念」では、わずかハナ差だけ グラスワンダーに届かずに2着。またも快記録はなりませんでした。

 そして、その翌年。またしても、「天皇賞」「ジャパンカップ」を連勝した馬が 登場しました。テイエムオペラオーです!

 オペラオーは、この時4歳。3歳の頃は、強い馬ではありましたが、まだ完全ではなか ったのか、取りこぼしも多く、強い馬の一頭にすぎない存在でしたが、古馬になって 完全に本格化。内臓面が強化されたのか、それまで2着、3着が多かったのが嘘かの ように勝ちまくり、春は「天皇賞」と「宝塚記念」に優勝。そして、秋も「天皇賞」 と「ジャパンカップ」に勝ち、芝の中長距離路線の主要G1を全て勝ってしまうという 快進撃でした。

 この4つのG1を同じ年に全て勝つだけでも、史上初の快挙だったわけで、その時点で もう年度代表馬のタイトルは決定したようなものだったのですが、ここまで来たら、 年間完全制覇、そして初の2億円ボーナスと期待は含まるばかり。この年の 「有馬記念」の注目は、テイエムオペラオーに一心に集まりました。

 もちろん、1番人気はテイエムオペラオー。2番人気には、G1で3回続けて オペラオーの2着だったメイショウドトウが推され、3番人気には、ナリタトップロード が推されました。

 レースの方は、逃げ宣言をしていたホットシークレットが出遅れて行けない展開に。 そのために、逃げ馬不在となり、最初の4コーナーから団子状態に。

 こんな中で、オペラオーの位置取りは、折り合いを欠いてはまずいと思ったのか、 集団の後ろにつけるという形。この位置だと、後ろから数えたほうが早いような ポジション。

 そんな団子状態のままレースは進み、いよいよ2周目の3コーナー過ぎ。

 ここで動いたのは、ナリタトップロード。このところ、ライバルといわれた オペラオーには負け続けだったのですが、意地を見せるとばかりに、外からまくって 出ての早めのスパート。

 それに付いて行ったのがダイワテキサス。距離が不安視されていましたが、 超が付くほどの荒れ馬場巧者なので、芝の傷んだ今の中山は、絶好の舞台。

 この2頭がスパートしたことによって、レースの流れは一気に激しくなりますが、 そんな中で、オペラオーの位置はまだ後方のまま。

 そして最後の直線。

 早めに動いたトップロードが、意外と持たずにあっさりと潰れると、先頭に立ったのは ダイワテキサス。このまま押し切りたいところだったのですが、

 道中、常にいいポジションをキープしていたメイショウドトウが、満を持してスパート すると、外から良く伸びてダイワテキサスをかわし先頭に。

 この時点で、オペラオーは、まだ馬群の後ろにいる状態。

 さすがに、直線の短い中山で、この位置だと今日は負けたんじゃないか・・・、と 誰もが思うようなポジションだったのですが・・・、

 ここからがこの馬の凄いところ。ほとんど隙間のないような馬群のど真ん中を、強引に こじ開けて抜けてくると、ゴール前では逃げ込みを図るメイショウドトウに猛然と 襲い掛かり、ゴール寸前でかわし去り、優勝!

 最後の着差はわずかに「ハナ」だったのですが、競馬の内容の差を考えれば、 メイショウドトウとは、まだまだ力が違うんだというところを見せ付けての優勝でした。

 これで、この年8戦8勝。うちG1勝ちが5勝。そして、史上初の「天皇賞(秋)」 →「ジャパンカップ」→「有馬記念」の3連勝達成による2億円ボーナスもゲット したわけで、まさにこの年の競馬はオペラオー一色に染まった年でした。

 2着のメイショウドトウは、これでG1で4回続けてオペラオーの2着という珍記録。 これも非常に珍しい記録だと思いますが、この記録が生まれたのも、オペラオーの 強さが一番の原因だと思います。

 テイエムオペラオーは、翌年も現役を続け、同じようにG1・5連勝を目指しますが、 さすがにそうは上手くはいかず、勝ったのは春の「天皇賞」の1つだけでしたが、 その時の2着もまたメイショウドトウだったのが印象に残っています。

 ただ、負けても、内容的に不利のあった競馬がほとんどで、とにかく、どんな競馬に なっても、最後はしっかりと来る!というのが、オペラオーの競馬の一番の印象 でしたね。そして、この時代は、オペラオーの他に、ナリタトップロード、メイショウドトウ、 ステイゴールドといったとにかく故障知らずに頑張る馬が多かったので、G1戦線が 充実していたのも印象に残っています。

 そういうわけで、今回はテイエムオペラオーが、初の「2億円ボーナス」をゲットした、 平成12年の「有馬記念」の思い出でした。

 ちなみに、平成17年現在、テイエムオペラオーの獲得賞金額は、世界No.1です。

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